高級イタリアンの個室。ママ友たちの前にはコース料理が並び、私の前にだけ、生のゴーヤが一本、白い皿の上に横たわっていた。
「あら、あみさん、ゴーヤ苦手って言ってたでしょ。特別メニューよ」
矢島ゆあさんは、満面の笑みでそう言った。先日のお茶会で私が何気なく口にした一言を、彼女はしっかり覚えていたのだ。周りのママたちは凍りつき、誰も何も言えない。私が口を開こうとしたその時、一人のママが小さく抗議した。
「これはないわよ、ゆあさん。あみさんだけひどいじゃない」
バチンッ。鋭い音が個室に響いた。ゆあさんはそのママの頬を平手打ちしていた。
「黙りなさい。私のパパは総流会のボスよ。あなたたちに何ができるって言うの」
その言葉で、すべてが繋がった。彼女がなぜここまで横暴に振る舞えるのか。なぜ誰も逆らえないのか。私は背筋を伸ばし、冷静に立ち上がった。
「失礼します」
「腰抜け。逃げるの?私のパパを知らないの。あなたの家族にも迷惑かけられるわよ」
ゆあさんは私の腕を掴み、無理やりゴーヤを口元に押し付けてきた。強烈な苦みが口いっぱいに広がる。しかし私は表情を変えなかった。感情を表に出せば、彼女の勝ちになる。私はゆっくりと彼女の手を振り払い、口の中のゴーヤをナプキンに吐き出した。
「皆さん、お元気で」
私は背筋を伸ばしたまま、部屋を出た。背後からゆあさんの怒声が聞こえるが、振り返らなかった。
家に帰り、何度もうがいをしても、苦みは消えなかった。それは味覚だけではなく、心に刻まれた屈辱の記憶だった。鏡に映る自分の顔には、静かな怒りと決意が浮かんでいた。
私は藤村あ美。37歳。表向きは普通の主婦だが、裏の顔は藤村会レディ組長。夫の信司は藤村会の若頭だ。私はこの屈辱を、決して許すつもりはなかった。
翌日、私は藤村会の本部にゆあさんを呼び出した。高級な和室に通された彼女は、異様な雰囲気に戸惑っている様子だった。そこには総流会の幹部たちも集められていた。
「お久しぶり、ゆあさん」
私は黒い着物に組紋の入った羽織りを身につけ、髪を丁寧に結い上げて現れた。昨日までの穏やかな主婦の姿はどこにもない。
「え、あみさん、なぜあなたが……」
「紹介するわ。私は藤村会レディ組長の藤村あ美。あなたのお父様や総流会の皆さんは、うちの組織に頭を下げている関係よ」
ゆあさんの顔から血の気が引いていく。私は静かに続けた。
「昨日はご馳走様。特にあなたが無理やり食べさせてくれたゴーヤ。なかなか忘れられない味だったわ」
総流会の幹部たちは硬い表情で彼女を睨んでいた。私はテーブルの上に資料を広げる。それは彼女がママ友たちから巻き上げた金額の記録だった。
「迷惑料や慰謝料も含めて、総額で1億円。支払うか、それとも……」
私はテーブルに小さな箱を置いた。箱を開けると、中には刃物と白い布が用意されている。ゆあさんは青ざめて震え始めた。
「この箱が何を意味するか、理解していると思うわ」
ゆあさんの父親が床に額をつけたまま震える声で懇願した。
「どうかお許しを。私は何も知らなかったのです」
「あなたの娘さんは、自分の父親が総流会の人間だと言って周囲を威圧していたのよ。それも知らなかったと?」
私は冷たく笑った。ママ友たちから巻き上げた金、嫌がらせの慰謝料、そして昨日の屈辱に対する代償。合わせて1億円、3日以内に用意しなさい。支払いが滞れば、あなたの指一本では済まないでしょうね。
1週間後、私はかつてゆあさんに被害を受けたママ友たちを、高級料亭の一室に集めた。部屋の隅には藤村会の女性組員たちが静かに控えている。扉が開くと、ゆあさんとその父親が姿を現した。ゆあさんの顔色は蒼白で、完全に別人のようだった。
「ゆあさん、皆さんに言うことがあるのでは?」
ゆあさんは震える手で封筒を差し出し、深く頭を下げた。
「これまで本当に申し訳ありませんでした。こちらは皆様からお借りしたお金、そして慰謝料です」
封筒には数千万円が入っていた。だが、それは私が提示した支払いのほんの一部に過ぎない。
「ゆあさん、残りは?」
ゆあさんは目を伏せ、別の封筒を差し出す。それでも足りていない。私は続けた。
「この場で指を詰めさせることも考えたけれど、今日はママ友会だから特別に免除してあげる。その代わり、残り1億円きっちり払ってもらうわ。支払いができないなら、こちらが用意した仕事についてもらう。少し危ないけれど、逃げなければ関西は可能よ」
ゆあさんの父親は冷や汗を浮かべながら深く頭を下げた。
「総流会としても、娘が逃げたり支払いを拒むことがないよう、監視と管理を徹底いたします」
ゆあさんはその日から、裏の仕事につき、監視下で働くこととなった。
それから半年後、組長である私の前に、部下の葛西が分厚い封筒を置いた。
「ゆあからの借金は全額回収しました。彼女は香港の場所へ送られ、借金返済のために働いています。最初は遠洋漁業の船に乗せる予定でしたが、彼女自身が別の道を選びました。ある種の接客業です」
私は目を閉じた。自業自得とはいえ、女として同情する気持ちもある。しかし、あの日のゴーヤの味と屈辱を思い出せば、因果応報以外の何者でもない。
「そこでの生活はかなり厳しいようです。すでに2度ほど逃亡を試みたようですが、事故の可能性はかなり高いでしょう」
私は手を上げて、葛西の言葉を遮った。
「詳細は結構。保険は万全なの?」
「はい。何かあれば、残りの借金は全て保険で清算される手筈になっています」
ゆあさんの夫と子供は北海道の小さな町に引っ越した。夫は地元の工場で働き始め、子供も転校している。私は無言で頷いた。罪のない家族まで巻き込むつもりはなかった。
翌日、私はママ友たちを自宅に招いた。普段着の私には、藤村会レディ組長の面影はない。
「皆さん、これを受け取ってください」
一人一人に封筒を手渡す。中には現金と、ゆあさんから回収した金額の明細が入っている。封筒を開けたママ友は驚きの声をあげた。
「ゆあさんが集めていたお金です。彼女のご家族が返済してくれました」
「でも、これは私が払った金額より多いわ」
「利息と精神的苦痛への保証です」
「あみさん、あなたが……」
「私は何もしていません。ただの主婦ですから」
私は微笑みながら、湯呑みに緑茶を注いだ。こうして回収した金は被害にあったママ友たちに分配され、平和な日常が戻ってきた。
「あみさん、あの後どうなったの?」
ママ友が恐る恐る訪ねる日もあった。
「ご心配なく。もう彼女に会うことはないでしょう」
私は穏やかに微笑むだけだった。力を持つということは、それだけ責任も伴うもの。私は娘を見つめながら、二度とこのような報復が必要のない世界を願った。二つの顔を持つ私だからこそ、平和の尊さを知っている。娘には普通の幸せな人生を送ってほしい。それが私の本当の願いなのだから。



