「ゆ香さんって、引きこもりのニートなんですか?」――兄嫁が結婚の挨拶に来た日に、彼女は私に向かってそう言って笑った。在宅でイラストレーターをしていると説明しても、彼女は「現実逃避は良くない」と取り合わない。それから4年、新築祝いで彼女に手作りのエプロンを贈ったら、床に投げ捨てられて「ゴミでしょ」と笑われた。その瞬間、私は黙って彼女が知らない真実を見せつけることに決めた。彼女が欲しがっていた高…

「ゆ香さんって、引きこもりのニートなんですか?」――兄嫁が結婚の挨拶に来た日に、彼女は私に向かってそう言って笑った。在宅でイラストレーターをしていると説明しても、彼女は「現実逃避は良くない」と取り合わない。それから4年、新築祝いで彼女に手作りのエプロンを贈ったら、床に投げ捨てられて「ゴミでしょ」と笑われた。その瞬間、私は黙って彼女が知らない真実を見せつけることに決めた。彼女が欲しがっていた高...

「ゆ香さんって、引きこもりのニートなんですか?」

4年前、兄嫁のルミさんが結婚の挨拶に来た日、家族全員が言葉を失った。私が在宅で仕事をしていると話した瞬間、彼女の口から飛び出したのがその言葉だった。

「いえ、収入もありますし、家事もしていますから」

私が困惑しながら答えると、ルミさんは笑った。

「分かりますよ。でも、いつまでも現実逃避するのは良くないですよね」

「分かるって、何が分かるんですか?」

私が乾いた笑みを浮かべると、兄は弱々しくルミさんを叱っただけだった。兄は若くて可愛らしい嫁にデレデレで、この場にいた全員が兄の結婚に不安を覚えた瞬間だった。

私はゆ香、35歳。実家で両親と同居しながら、在宅でイラストレーターの仕事をしている。兄と弟はそれぞれ結婚して家庭を持っていた。

ある日の晩、両親と夕飯を食べていると、母が聞いてきた。

「年屋の新居祝い、いつ行くことになったの?」

兄は実家からそう遠くない場所に家を建てていた。先日、ようやく完成したのだ。

「ああ、来週の月曜日です」

私が答えると、父が不服そうな顔で味噌汁をすった。数週間前、兄夫婦から新築祝いに家族みんなで集まろうと連絡があった。しかし、最近になってルミさんが「大人数はだるい」と言い出したのだ。確かに、うちの両親、私、弟夫婦がいっぺんに押しかけるのは大変かもしれない。でも、そっちが言い出したことなのに、と私も両親も困惑した。

結局、人数を分けてそれぞれ別の日に行くことになった。私は弟嫁のあき子さんと一緒に、来週の月曜日に行くことに。曜日もルミさんの希望だ。弟は平日仕事なので、私とあき子さんの二人での訪問になるだろう。

父は納得できていない。

「全く、何を考えているんだか。月曜日じゃ、兄貴は仕事でいないだろう。我が息子ながら、嫁の尻に敷かれて情けない」

せめて、家を建てた兄が新居にいられる日を選ぶべきでは? 私もそう思う。兄嫁は私より年下の28歳。結婚してすぐ仕事を辞め、今は専業主婦だ。わがままで自己中心的。他人の気持ちを思いやれないルミさんのどこに、兄は惹かれたのだろう。

今日も、彼女からメッセージが届く。

「今日も自宅警備お疲れさま。新築祝い、めちゃめちゃ楽しみにしてるから。あ、ニートだからお金かけられないか」

以前は「ニートじゃない」と抗議していたが、今はもう面倒で流している。本当はブロックしたいところだが、彼女の性格上、逆に面倒を起こしかねない。新居祝いに行くのは気が重い。何事も起きなければいいけど。

当日、立派な新築の前で私とあき子さんはため息をついた。チャイムを鳴らすと、機嫌の良さそうなルミさんが出迎えた。そのまま新築ツアーが始まり、こだわりの場所ごとに立ち止まって自慢話が続く。特に彼女のクローゼットには驚かされた。ブランドのバッグや服がたくさん収納されていたのだ。

「すごい数ですね。もしかして、ルミさんが着ているワンピースもブランドの?」

「当然でしょ。こんなの普段着よ。あ、ニートのゆ香さんには無縁のものだったか、驚かせちゃった?」

余計な一言だ。乾いた笑顔を浮かべる私に、あき子さんが小声で「にしちゃだめですよ」と耳打ちした。

リビングに移動し、私とあき子さんがお祝いを渡す。私からの包みを開いたルミさんは、顔をしかめた。

「え、何これ? エプロン? このキャラクターはよく見かけるけど…」

「それは、私が作った…」

説明しようとした私の言葉を、ルミさんが遮る。

「今時、手作り? ゆ香さんがエプロンに刺繍したとか? ニートとはいえ、もう少しマシなものを持ってくると思ったわ。こういうの、ゴミでしょ」

なんと、彼女はエプロンを床に投げ捨てた。呆然とする私の前で、あき子さんがさっとエプロンを拾い上げ、ルミさんに抗議した。いつも温厚なあき子さんが怒るのを初めて見た。

「ルミさん、あんまりです!」

「じゃあ、あき子さんがもらえば?」

ルミさんの言葉に、あき子さんの視線が私に向く。

「あき子さんさえよければ、もらってくれる?」

私が言うと、ルミさんが爆笑した。

「バカじゃないの? あき子さんだっていらないに決まってるわよ」

しかし、あき子さんの反応は違った。

「いいんですか? この高級ブランドのエプロン。ゆ香さんのイラスト、大好きです。家事をするのが楽しくなりそうです。宝物にしますね」

思いもよらない反応に、ルミさんは固まった。

「え、高級ブランドにゆ香さんのイラスト?」

あき子さんが、困惑するルミさんに笑顔で説明した。

「最近、ゆ香さんが描いたキャラクターが高級ブランドとコラボしたんですよ」

そう、私はいわゆるイラストレーターだ。会社を辞めてからずっとこの仕事をしている。最初は苦労したが、ネットに載せていたキャラクターがヒットし、高級ブランドとのコラボが実現したのだ。職人さんの手で丁寧に作られた、数量限定の一点物。私が作ったキャラとブランドのコラボ品と言いたかったのに、ルミさんは私の最初の言葉だけを捉えて、手作りの品だと勘違いしたのだ。

「ゆ香さんはニートでしょ」

相変わらずの言葉に、私は否定する。

「違いますよ。今まで何度も言いましたけど」

「確かに兄がイラストレーターとか言ってたけど、嘘だと思ってた」

どれだけ思い込みが強いんだろう。呆れ顔の私とあき子さんに腹を立てたルミさんが、エプロンを返せと手を伸ばした。私はとっさにあき子さんをかばい、ルミさんを睨む。

「分かるように言ってました。それに、もうエプロンはあき子さんのものです」

ルミさんはわなわなと震え、私を強く突き飛ばした。

「もう最悪。帰って」

私とあき子さんがなだめようとしたが、聞く耳を持たない。仕方なく、私たちは帰ることにした。帰り道、あき子さんはすっかり元気をなくしていた。

「出しゃばってしまって、ごめんなさい。ゆ香さんの努力をゴミ扱いされて、つい…」

あき子さんは私の苦労していた頃からのファンの一人で、コラボ品が出来上がった時も喜んでくれていた。私の努力の結果だとエプロンを返そうとする彼女の手を、私はやんわりと押し返す。

「謝らないでください。あき子さんが怒ってくれて、本当に嬉しかった。だから、気にせず受け取ってください」

ようやくあき子さんの笑顔が戻り、私はほっと胸を撫で下ろした。

その日の晩、兄が実家を訪れた。髪は乱れ、頬には引っかき傷やあざが目立ち、シャツは乱れていた。

「ルミにはコンビニに行くって言って、出てきたんだ」

兄は力なく、ルミさんと喧嘩したことを白状した。母が兄の顔の手当てを始め、兄は私に深く頭を下げた。

「ルミが不愉快な思いをさせて、本当にごめん」

父と母にはまだ話していなかったので、私は簡単に昼間の出来事を説明した。兄が言うには、兄の帰宅と同時にルミさんが詰め寄ってきたそうだ。

「なんでゆ香さんが人気イラストレーターだって教えてくれなかったのよ。知ってたら、あのエプロンは私のものだったのに」

兄はルミさんに私とあき子さんへの謝罪をさせようと説得した。今までも、ルミさんが問題を起こすたびに影で叱ったりはしていたそうだ。だが今回は、怒りを爆発させたルミさんが物を投げたり、わめいたりと暴れ、手がつけられなくなった。兄の傷は、ルミさんを止めようとした時にできたものだった。

私や両親は知らなかったが、ルミさんは以前から感情が爆発すると暴れてわめくことが多かったらしい。ネットで自慢することに執着して、家事もほとんどしていなかったのだと。

「根気よく接すれば、いつか改善すると思ってた。でも、全部俺がルミを甘やかしたのが原因だ」

両親は「結婚を許すべきじゃなかった」と肩を落としていた。そんな時、私のスマホが鳴る。ルミさんからだ。

私が通話をスピーカーモードにすると、ルミさんの声が響いた。

「例のエプロン、あと5着用意して」

挨拶どころか謝罪もなく命令するルミさんに、私はとぼけて見せた。

「え、どのエプロンですか?」

「あんたが今日持ってきたブランドのエプロンに決まってるでしょ?」

「手元にないですし、お渡しする理由もありません。必要なら、ルミさんがご自分で購入してください」

「あんた、キャラクターの作者なんだから、少しは融通聞かせなさいよ。友達に話したら、みんなも欲しいって言ってるのよ。私もネットで自慢したいし」

ルミさんは自分勝手な言葉を続ける。あき子さんにもエプロンを返せと電話したが、そばで聞いていた弟に怒鳴られ、ブロックされたのだとか。

「何度言われても無理です。ルミさんに用意したものも、私が慈悲で購入したものですしね。ゴミ扱いしたことは、ちゃんと謝るから」

ルミさんは猫なで声で態度を一変させる。私ははっきり言ってやることにした。

「いい加減にしてください。仮にエプロンが本当に手作りだったとしても、床に投げ捨てるなんて人としてどうかと思います。高級品だから自慢するために欲しいなんて、恥ずかしい人ですね」

「ああ、もう! ぐずぐず言わずに、5人分用意しなさいよ。本当にあんた、全然役に立たないんだから。兄は高収入だから結婚してやったのに、ほかが全然ダメなんだから、せめて私のご機嫌取りくらいちゃんとしろっての!」

私の両親と兄が聞いているとも知らずに、ルミさんはわめく。兄の顔は蒼白だ。ルミさんの暴言は続いた。

「これにお父さんやお母さんも、若くて綺麗な嫁が来たっていうのに、全然ちやほやしてくれない。しかもニートだと思ってたあんたが実は人気イラストレーターだったなんて。なら、もっと周りに自慢できたはずよ」

「不満だらけなら、なんで兄と一緒にいるんですか?」

私の質問に、ルミさんが鼻で笑う。

「兄は私に夢中で何でも言うこと聞いてくれるし、収入も高いしね。お情けで一緒にいてあげてるのよ」

「その言葉、私が兄に伝えたらどうします?」

「あんたが告げ口したところで、私がちょっと泣いてみせれば、絶対私の味方してくれるわよ。なんなら、言ってみれば?」

ルミさんが答えたところで、先ほどまで黙っていた兄が突然口を開いた。

「ルミ、離婚しよう」

「え? なんで?」

突然の兄の言葉に、ルミさんは慌てる。しかし、兄が私に謝罪に来ていたと知ると、ルミさんは兄を罵倒した。

「わざわざ謝りに行くとか、キモいんだけど」

兄は、今までのデレデレした態度が嘘のように無表情だった。

「君は今まで、どれだけ注意しても俺や家族に対してひどい言動を繰り返してきた。勝手に仕事を辞めて専業主婦を選んだのに、家事もしない。やるのはネットや友達への自慢だけ。見ているのは、俺じゃなくてスマホばかりだ。もう無理だよ」

「いやよ。絶対に離婚しない!」

ルミさんは拒否したが、兄は首を振った。

「俺の貯金の使い込みや暴力、暴言の証拠もちゃんとある。君に殴られて、医者にかかったこともあった。だから、ルミの有責は認められると思う」

淡々とした兄の言葉に、ルミさんは言葉を失う。ずっと黙っていた両親が口を開き、兄の行動を後押しした。

「私たちも、息子の意思を尊重します。もっと結婚に強く反対すればよかったよ。息子に2度と近寄るな」

兄だけでなく両親までもが聞いていたと知り、ルミさんは泣き出した。

私は再び口を開く。

「新居で家事を頑張ってほしいと思って、エプロンをお祝いに選んだんですけど、離婚するなら必要なくなりましたね。自分を正して思いやりを持たなければ、ルミさんはこの先ずっと一人ぼっちだと思いますよ」

悔しそうなルミさんのうめき声を最後に、私は通話を切った。

後日、兄は無事に離婚。ルミさんは使い込みや暴力、暴言の慰謝料を分割で支払うことになった。その上、エプロンの件で嘘つきと言われて友達も失ったらしい。まさに自業自得だ。

兄は離婚から2年経った今でも、大きな家で一人で暮らし続けている。ルミさんの件で随分反省し、「もう結婚はしない方がいいのかもしれない」とかなり弱気になっている。

私はと言うと、弁護士の夫と出会い結婚して実家を出た。ルミさんに対し、イラストレーターとしての個人情報を漏らさないよう依頼したのが出会いのきっかけだった。お互いに自立していて、いい関係を築けている。

あれから私は、人を外見や思い込みで判断しないことを心に刻んでいる。あの日、私の努力をゴミ扱いした人は、結局、大切なものをすべて失った。

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