夕食後のお茶の時間、息子から一本の電話。「悪いんだけど実家が燃えちゃったわ。子供の日遊びが原因だから、笑って許してよ。」 その軽口の向こうで、嫁が「あんな古い家、私たちが片付けてあげたと思って感謝して欲しいくらいです」と笑っている。 彼らが知らないのは、私が三ヶ月前にその家を売却していたこと。そして今、私がいるのが、九条財閥の当主が所有する豪邸だということ。…

夕食後のお茶の時間、息子から一本の電話。「悪いんだけど実家が燃えちゃったわ。子供の日遊びが原因だから、笑って許してよ。」 その軽口の向こうで、嫁が「あんな古い家、私たちが片付けてあげたと思って感謝して欲しいくらいです」と笑っている。 彼らが知らないのは、私が三ヶ月前にその家を売却していたこと。そして今、私がいるのが、九条財閥の当主が所有する豪邸だということ。...

夕食後のお茶の時間、スマートフォンから信じがたい息子の声が響いた。
「あ、母さん悪いんだけど実家が燃えちゃったわ。まあ、子供の日遊びが原因だし別にわざとじゃないからさ。親なら笑って許してよ。」
手から湯呑みが滑り落ち、畳に染み込む温かい茶を眺めながら、私は震える声で聞き返した。「燃えた実家が今なんて言ったの? 」
息子のたけしは反省の色も見せず、面倒臭そうに鼻を鳴らした。「だからさ、燃えちゃったもんはしょうがないだろう。。それより母さん火災保険の書類どこにあるか知ってるか? 結構な額が降りるんだろう。それでさ、俺たちの新築マンションの頭金にしようと思って、ちょうど良かったよ。」
電話の向こうで嫁のえみさんも茶碗を洗いながら口を挟んできた。「そうですよ、小ぎ母さん。あんな古い家維持するだけでも大変じゃないですか? 私たちが代わりに片付けてあげたと思って感謝して欲しいくらいです。」
二人の言葉が理解不能な記号のように頭の中を飛び替える。背筋に冷たいものが走り、何かが決定的におかしいと感じた。この時、勝ち誇ったように笑っている二人はまだ知る由もなかった。数分後、自分たちが犯した過ちの深さに気づき、人生で一番の絶望と後悔を味わうことになるなんて。

私は勤めて冷静に一文字ずつ噛しめるように問いかけた。「家が燃えてしまったのね。子供の日遊びだから許せと。保険金で新しい家を立てるから文句を言うなと。あなたはそう言いたいのね。」
「そうそう。話が早くて助かるよ。」
胸の奥から湧き上がってくるのは怒りではなかった。それはあまりに愚かな我が子に対する深い深い哀れみだった。「たけし、えみさん、いいわよ。別に家が燃えたことについては私は一言も責めたりしないわ。」
電話の向こうで二人が「やった」と声をあげて喜ぶのが分かった。
「でもね、一つだけ言っておくわ。」私は冷徹な声で続けた。「そこ、他人の家よ。」
一瞬の静寂が電話の向こうを支配した。
「いえ、何言ってんの母さん、ボケちゃった?

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あそこは俺が育った実家だろ。」
「いいえ。よく思い出してごらんなさい。」私は窓の外に広がる、見たこともないほど豪華な庭園とライトアップされた噴水を眺めながら静かに告げた。「私が三ヶ月前にあなたたちに何を伝えたか。そして私が今どこにいるのかを。」
この瞬間から、彼らの地獄が幕を開けるのだ。

私の名前は佐藤子。今年で六十五歳になる。つい一年前まで、亡くなった夫と一緒に建てた木造二階建ての家でひっそりと暮らしていた。夫が残してくれたその家は決して豪華ではなかったが、庭には季節ごとの花が咲き、私たち夫婦の思い出が詰まった掛け替えのない場所だった。
しかし夫が病で逝ってからというもの、一人息子のたけしとその妻であるえみさんの態度は目に見えて変わっていった。「母さんいつまであんなボロかに住んでるんだよ。管理も大変だろうし、もう売っちゃえよう。」
法事の度に投げかけられる言葉。都内の小さな会社に務めるたけしは、見えっ張りな性格が災いしてか、常に金欠状態だった。一方のえみさんもブランド品に目がなく、SNSで見栄を張ることばかり考えているような女性だった。
「たけし、ここは私とお父さんが苦労して守ってきた家なのよ。私が生きているうちは手放すつもりはないわ。」そう答えるたびに、えみさんはこれ見よがしに大きなため息をつき、私を下げるような視線を送ってきた。「小母さん、それって結局エゴですよね。私たちは将来のことを考えて言ってるんですよ。」彼女にとってあの家はただの換金可能な不動産でしかないのだろう。
三ヶ月前、私はある大きな決断をした。誰にも行き先を告げず、信頼できる不動産業者を通じ、ある人物にその土地と建物を譲渡したのだ。
そして今日、たけしから突然の電話がかかってきた。彼らは私がまだあの家に住んでいると思い込み、とんでもない暴挙に出たのだ。「ナカさん、聞こえてる? とにかく家はもう諦めろよ。警察も消防も子供の日遊びだってことで納得してるし事件にはならないよ。」
私は震える手でスマートフォンを握りしめ、窓の外を見つめた。そこには彼らが決して足を踏み入れることのできない別の世界が広がっている。
「たけし。あなたは本当に取り返しのつかないことをしたわね。」
電話の向こうが騒がしくなったかと思うと、聞き覚えのない男性の怒鳴り声が響いた。「おい、お前ら、ここで何をしてるんだ? ここは立ち入り禁止だぞ。」
どうやら、ついに本当の地主が現れたようだ。
「いや、ああ。ここは俺の実家でちょっと片付けを。」
「実家だと何を言っている? ここは先週から我が社の所有地だ。」
私は心の中で静かにカウントダウンを始めた。「さあ、地獄へようこそ。たけし、えみさん。」
電話の向こうでは、たけしたちが男性と言い争っていた。「ちょっとそこのスーツの人、不法侵入はあなたの方でしょう。ここは将来私たち夫婦が相続する大切な土地なのよ。」
男性の声は怒りで震えていた。「訴える?

それはこちらのセリフだ。この土地は佐藤義子さん本人から正式な手続きを踏んで三ヶ月前に売却の契約が済んでいる。当社も確認済みだ。君たちが誰かは知らんが、この火災で近隣の家にまで被害が出ているんだぞ。」
「損害賠償は数千万、下手をすれば億単位になるぞ。」
その言葉を聞いた瞬間、えみさんの悲鳴のような声が響いた。「お義母さん、嘘よ。そんなの嘘だって。ここはただの古い家でしょう。」
「火災保険は笑わせるな。所有者でもない人間が他人の家に勝手に侵入して火を出したんだぞ。それを保険会社が認めるわけがないだろう。これは立派な放火罪、あるいは重過失罪だ。」
「母さん、おい、母さん、聞こえてるんだろう。黙ってないで何とか言えよ。」
私はゆっくりと、一言ずつ重みを持って答えた。「たけし、さっきも言ったはずよ。そこはもう私の家ではないわ。私は三ヶ月前にその家と土地を全て売却し、手続きを終えたの。」
「なんで、なんでそんなことしたんだよ。俺たちの将来をどう考えてるんだ? 」
「あなたたちの将来のためになぜ私が夫との思い出を捧げなければならないの? あなたは私の学歴をバカにし、私をババと呼んだわね。」
「あれは口を滑らせただけだ、いいや。」
「いいえ、あれがあなたの本音よ。えみさんも、あんな古臭い家は私にお似合いだと言っていたわね。だから私はお似合いの場所へ移動しただけ。それの何がいけないのかしら。」
「小母さん、今そんな意地悪言ってる場合じゃないですよ、警察が来ちゃったんです。」
パトカーのサイレンの音が近づいてくる。
「たけし、えみさん、私はあなたたちを許すも許さないもないわ。だって私はもう被害者ですらないのだから。」
「待ってくれ、母さん。見捨てないでくれ、俺が悪かった、謝るから。」
「人生が終わる? いいえ、たけし。これは始まりよ。」私はそこで一度言葉を切り、彼らが最も知りたくなかったであろう新事実をそっと突きつけた。「あ、そうそう、言い忘れていたけれど、私が今住んでいる場所、気になる?


「どこだっていいよ。」
「いいえ。私が今いるのはね、あなたたちが逆立ちしても一生入れないようなあの方の邸宅よ。」
「あの方? 」
その時、サイレンの音がすぐ近くで止まり、ドアが開くような音が聞こえた。「佐藤たけしさんですね。書類までご同行願います。」
それが、彼らの自由な人生に幕を下ろす合図だった。

しかし、この事件の真の衝撃はこんなものではなかったロン彼らが燃やしてしまったのは単なる古い家ではなかった。その土地に眠っていたあるとてつもない秘密を、彼らは炎と共に暴いてしまったのだ。
「ちょっと話しなさいよ、私が何をしたって言うのよ。」警察車両に押し込まれようとするえみさんの絶叫が電話越しに響く。
「小母さん、あんたわざと黙ってたんでしょう。家を売ったことを言わずに私たちが火を出すのを待ってたんでしょう。」
たけしの声は血を吐くような低い声に変わっていた。「母さん、あんた本当に人間かよ。俺がこんなに困ってるのに高みの見物か? ああ、そうか、中卒で学歴もないからまともな判断もできないのか。」
「いいか、よく聞けよ。あんたみたいな社会のゴミがたまたま親父の残した家に住み着いて生きてこられたのは俺たちがいたからだろう。」
私は何も言い返さなかった。ただ静かに沈黙を守った。この沈黙こそが、彼らにとって最大の恐怖であることを私は知っていた。
「うるせえ、理屈はいいんだよ。金だ、家を売った金があるんだろう。」
「残念だけど、たけし、そのお金は一円もあなたたちの手には渡らないわ。」
「はあ? 何言ってんだよ、あんた。その金を一人占めするつもりか。」
「一人占めなんてしていないわ。そのお金はもう、あるべき場所へ寄付したのよ。」私はスマートフォンの画面越しに、彼らには見えない景色を思い描いた。「私が今お世話になっているこのお屋敷の主人は、あなたたちが火をつけたあの場所の本当の価値を知っている方なのよ。」
「誰だよ。そいつはさっきの不動産屋か?


「いいえ。不動産屋さんは単なる代理人に過ぎないわ。あの土地を買い取ったのは、日本の政財界にも大きな影響力を持つ、ある名門の投資家よ。」
電話の向こうでたけしが鼻で笑う音がした「嘘つくんじゃねえよ、中卒のババーがそんな大物と知り合いなわけないだろ。」
「そうね、あなたにはそう見えるかもしれないわね。」私は、この屋敷の執事が入れてくれた香り高い紅茶を一口含み、そしてゆっくりとその名前を告げようとした、その時だった。
「おい、ちょっと待て、警察官の方、今の何ですか? 何を見つけたんですか? 」
どうやら現場で警察官があるものを発見したようだ。「これはまさか,こんなものがあの古い家の地下に。」
「母さん、これ何だよ,地下に何があるんだよ。」
火災によって剥き出しになった家の土台部分そこには戦後の混乱期から今日まで、夫が死ぬまで沈黙を守り続けてきた一族の闇が隠されていたのだ。
「ああ、ついに見つかってしまったのね。」私は静かに紅茶のカップをソーサーに戻した。かちりという小さな音が、まるで審判の鐘のように響いた。
「たけし、えみさん、あなたたちが燃やしたのは単なる家じゃないわ。あなたたちは、開けてはいけないパンドラの箱を、その手でこじ開けてしまったのよ。」
火災現場の混乱は、もはや鎮火の処理どころではない異様な事態へと発展しようとしていた。そしてこの発見こそが、たけしたちをさらなる絶望の淵へと突き落とす、衝撃の逆転劇の序章となるのだった。
「母さん、説明してくれ,これは何なんだ? なんでこんなものが俺の実家にあるんだよ。」
しかし、私はもう答えるつもりはなかった。
電話の奥底、かつて床下収納があった場所のさらに深くから、警察官たちが泥にまみれた金属製の重厚なトランクを引きずり出した。「触るな,俺のものだ。」
「中身は何だ?

金か? 金塊か? 」たけしの見苦しい叫び声がスピーカー越しに私の耳を打つ。隣ではえみさんも恐怖を忘れたかのように目を輝かせている。
「小母さん、これだったのね,家を売るなんて言っておいて、実は地下にこんなすごいお宝を隠してたなんて。」
警察官が冷静な声で私に問いかけてきた。「もしもし、佐藤義子さんですね。この住宅の地下にこのような隠し金庫が存在することをご存知でしたか? 」
私は深く、長く息を吐いた。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。それは彼らが期待しているような隠し財産が見つかった喜びなどではない。ついに夫が命をかけて守り通し、私が引き継いだ重責が、最悪の形で陽の目を見てしまったことへの絶望だった。
「はい。その金庫の存在は承知しております。」
私の言葉を聞いた瞬間、たけしとえみさんの歓声が上がった。「ほら見ろ、やっぱり金だ,母さんよくやったよ,あんなボロ家燃やして大正解だったな。」
「小母さん、さっきは言い過ぎました,やっぱり小母さんは最高です。」
彼らの浅ましい妄想に、私は目眩を覚えた。
警察官の声はさらに低く、厳しいものへと変わる。「佐藤さん、この金庫の中身についてご説明いただけますか?

実は、今、隙間から見える限りでは、通常の現金や金属とは少々様子が違うようなのですが。」
私は沈黙した。何を言っても、今の彼らには届かない。そして真実を口にすれば、事態はもはや一家族の次元では済まなくなる。
「小母さん、黙ってんじゃねえよ,早く説明しろ,何が入ってるんだ? まさかヤバい薬とか当品じゃないだろうな。」
その言葉に、私の目から自然と一筋の涙がこぼれた。
「どうしたのよ、小母さん,共栄がないから説明の仕方も分からないの,中卒だと金庫の中身を説明する言葉も持ち合わせてないわけ。」
その時だった。
「失礼,その電話,私に代わっていただけますか? 」
背後から、図とした、それでいて深い威厳を感じさせる男性の声が聞こえた。私は驚いて振り向いた。そこにはこの広大な屋敷の主であり、私が現在生活のお世話をさせていただいているあの方が立っておられた。
その方はそっと私からスマートフォンを受け取ると、そのままスピーカーに向かって氷のように冷たい声で話し始めた。「警察官の方ですね,私はその土地の現在の所有者であり、佐藤義子さんの身元を保証しているものです。」
「ええ、どなたですか? 」
「私の名前は九条です。九条財閥の現当主といえば、お分かりいただけますか?


九条。その名を聞いた瞬間、電話の向こうの空気が一変した。たけしとえみさんの騒ぎ声がぴたりと止まる。日本に住んでいてその名を知らない者は、いない。金融、不動産、流通,あらゆる分野を掌握する日本最高峰の財閥の名だ。
「おい、エミ,今の聞いたか? ,九条ってあの九条か? 」
「嘘よ,小母さんがそんな人と知り合いなわけないわ。」
九条様は淡々と続けた。「警察官の方,その金庫の中身を確認するのは構いませんが、取り扱いには細心の注意を払っていただきたい。」
「そこに入っているのは、現金などという卑俗なものではない。」
「では、何が入っているのですか? 」
九条様は私の目をまっすぐに見つめながら、静かにしかし衝撃的な事実を口にした。「そこにあるのは、我が九条家が戦後の混乱期に、当時の佐藤家に預けた、時価数千億円にも登る国宝級の美術品と、それに付随する歴史的証拠文書だ。」
「数千億?

」たけしのかれた声が聞こえた。
「義子さんはその価値を一切誇張することなく、長年ひっそりと守り続けてくださった。」九条様の声は、静かであればあるほど、鋭く突き刺さるような圧を帯びていた。「それをあろうことか、実の息子であるお前たちが,日遊びなどという軽卒な行為で灰にしようとした。,この罪の重さ、分かっているのか。」
「何言ってんだよ,母さんはただの中卒の貧乏ババーだ,そんな大事なものを持ってるわけがない。」
九条様の次の言葉が、彼の最後の希望を完膚なきまでに打ち砕いた。「お前は、義子さんが三ヶ月前に土地を売却したと言った際、その理由を一度でも尋ねたか? 彼女は建物の老朽化で地下の収蔵庫の維持が困難になったと判断し、私に相談に来たのだ。そして土地ごと私に譲渡し、自分は責任を持って最後の移設作業を見届けるつもりだった。」
「今日、その移設が行われるはずだったのだよ。」九条様はふっと悲しげなため息をついた。「だが、お前たちが勝手に押し入り、火を付けた。」
「警察官の方,金庫の中を確認してください,もし熱で中の美術品や古文書に修復不能なダメージがあれば、私は個人としてだけでなく、九条グループの総力を挙げてこの夫婦を訴えるつもりだ。」
電話の向こうで、誰かが腰を抜かす音がした。
「さらに言っておこう。」九条様の声が怒りで震えた。「佐藤義子さんは、今回の売却益の全てを、文化財保護のための財団に寄付されている。彼女自身は一円も受け取っていない。」
私は九条様の言葉を横で聞きながら、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。私の役目,夫から引き継いだあまりにも重すぎる使命。,それが今、最悪の形でたけしたちに知れ渡った。
しかし、事態はこれだけでは終わらなかった。
「九条様,金庫を開けましたが,中身が,中身が,ありません,空です。」
「どうした? 」
「そこが抜けています,地下にさらに深い空洞が続いています。」
その報告を聞いた瞬間、私は自分の耳を疑った。地下にさらに深い空洞? ,そんなもの、私は一度も聞いたことがなかった。一体、あの家の地下に何が隠されていたというのか。そして、九条様がおっしゃった国宝は、どこへ消えてしまったのか。
「空っぽ?

,そんなはずはない,母さん,どこに隠したんだ? ,あの金庫の中身,あんたが先に持ち出したんだろう,白状しろ。」
たけしの理性を失った叫びが響く。
私は九条様の横顔をそっと見上げた。九条様は、驚かれる様子もなく、ただ静かに焼け跡を見つめるような遠い目をされている。
私は震える唇を噛みしめ、夫との約束を思い出していた。
「義子,いいか,この家はただの家じゃない,命をかけて守らなきゃならないものが、この地下には眠っているんだ。もし万が一のことがあったら,その時は、この鍵を九条様に。」
三十五年前、家を建てた時に夫が私に託した重すぎる言葉。夫は腕利きの宮大工だったが、その裏の顔は、九条家が代々信頼を寄せる守護の一族だった。
あえて中卒という学歴で社会の底辺を這うように生きてきたのも、目立たず、静かにこの地に隠された歴史を守るためだった。
「たけし,さっき九条様がおっしゃった通りよ,あの家は、重要な品々を一時的に保管するための器に過ぎなかったのよ。」
「嘘だ,そんなの信じるかよ。」
「エミさん,私は一円も受け取っていないと言いました。」私は静かに、そしてはっきりと告げた。「それに、あなたたちが今立っているその場所,金庫の下の空洞を,あなたたちが想像しているようなお宝の隠し場所じゃないわ。」
「わあ,何言ってんだよ,隠し場所じゃなきゃ何だよ。」
「そこは、身代わりの場所よ。」
私の言葉に、電話の向こうのたけしが息を飲むのが分かった。
「九条家が守ってきたのは、目に見える宝だけじゃないのよ。」私は続けた。「時には、歴史の闇に葬らなければならない、呪われた異物や、国を揺るがすような不都合な真実も含まれていたわ。」
「夫は,万が一が襲われたり,火事にあったりした時,それらの品々が二度と世に出ないよう,特殊な仕掛けを施していたのよ。」
「たけし,あなたが火をつけたことで,その仕掛けが作動したのよ。」
「金庫の底が抜けたのは,中のものを守るためじゃないわ。」私は自らの手でスマートフォンをしっかりと握りしめた。「侵入者を道連れにして,全てを地中深くの岩盤へと沈め,二度と掘り出せないように粉砕するため,つまり,そこにあるのは,もう,何もないのよ。」
「粉砕,沈めた,? 」たけしの声から完全に力が抜けた。
「あなたたちが欲しがっていた金も,美術品も,全てはもう存在しないわ。そしてその消えた国宝の責任は,火をつけたあなたたちが負うことになる。」
「そんな,そんなの,嘘だろ。」
「九条家が長年続けてきた歴史を,あなたたちはただの日遊びで,永遠に葬り去ったのよ。」
「たけし,あなたは自分のしたことの重大さが,まだ分かっていないようね。」
その時、電話の向こうから別の人物の声が割り込んできた。「失礼します,県警の捜査一課ですが。」
警察官の口調が、先ほどまでの事務的なものから明らかに深刻なものへと変わっていた。「佐藤たけしさん,及びえみさん,現時点を持って,あなた方を重要文化財損壊罪,及び火災による過失致死傷罪の疑いで,緊急逮捕します。」
「いえ,知らない,誰も死んでないだろう,母さんは生きてるし,俺たちだって,」
「隣接する住宅の住人が,消火活動中に煙を吸って,,意識不明の重体です。」
「さらに。」警官の声はさらに低くなった。「あなたが火をつけた建物内から,,身元不明の遺体が一体,,発見されました。」
「地下の空洞付近です。」
「痛い,そんなの知らない,あそこは空き家だったはずだ。」
「それは,署で詳しく伺いましょう。」
「義子さん,聞こえますか? どうやらこの事件,単なる家屋火災では済まないようです。」
「この地下から見つかった遺体,,それは,,あなたのご主人ではないですか?


その一言を聞いた瞬間、私の視界が激しく揺れた。夫は三年前、病院で亡くなったはずなのに,なぜあの家の地下から遺体が見つかるというのか。
私は九条様の顔を見た。九条様は、悲しげに、しかし何かを覚悟したような表情で、ゆっくりと頷かれた。
「義子さん,彼が最後にあなたに何を伝えたか,もう一度よく思い出して欲しい。」
夫の死に隠された、もう一つの真実。そして、たけしたちが知らずに火を放った、本当の標的。
物語は、私の想像を絶する、家族の崩壊と再生の物語へと加速していくのだった。
「母さん,父さんって病院で死んだんじゃなかったのかよ,あれは誰なんだよ。」
たけしの悲鳴が、夜の静寂にいつまでも響いていた。

やがて、彼らの叫び声は、警察官に両脇を抱えられ、泥だらけの地面を引きずられていく音に取って代わられた。
「小母さん,助けて,ねえ,助けてよ,私たちただあなたの将来のためにあんな古い家を片付けてあげようとしただけなの,死体があるなんて知らなかったのよ。」
えみさんの金切り声も続く。「全部,,小母さんのあの死んだ,小父さんの責任でしょう。」
「静かにしなさい,これだけの損害を出しておいて,,まだ言い逃れをするつもりか。」
そして、ガチャリと冷たい金属が触れ合う音が、電話を通じて聞こえてきた。手錠。
かつて私たちが注いできた愛情は、こんな形で終わってしまうのか。虚しさが波のように押し寄せ、私はその場に崩れそうになった。
その時、私の肩に温かく力強い手が置かれた。九条様だった。
「義子さん,しっかりしなさい。」九条様は、焼けた跡地を遠く見つめるような厳しい表情のまま、静かに語り始めた。「警察が発見したのは,,生身の人間ではない。」
「あれは,,我が九条家に代々伝わる,,ミイラだ。」
「ミイラ,? 」私は息をのんだ。
「歴史の教科書にも載っていない,,極秘の,,国宝級の,,ミイラだよ。」
「健一さんは,,それを守るために,,あの家を建てた。特殊な防腐処置を施した地下室を作り,,毎日欠かさず供養を続けていたんだ。」
「病院で亡くなる間際まで,,彼はその存在を,,誰にも漏らさなかった。」
「欲にまみれた人間が,,そのミイラを奪い合い,,歴史を汚すことを,,恐れたからだ。」
夫が時折り,地下室にこもって何やら熱心に祈りを捧げていた姿が,脳裏をよぎる。「掃除をしているんだよ」と笑っていた夫の顔。その裏で,彼は国家的な宝を,たった一人で守り続けていたのだ。
「だが,,義子さんたちが火を放った。」九条様の声は,さらに重く沈んだ。「あのミイラは,,特殊な保存材や香木と共に暗蔵されていたため,,火が回れば,,一気に燃え上がる性質を持っていた。」
「警察が,,遺体だと判断したのは,,その焼けた残骸が,,あまりにも生々しい,,人間の形を留めていたからだろう。」
九条様は,,霊鉄な一瞥を,,電話の向こうの角逐へと向けた。「いいか,,たけし,,お前たちが焼き払ったのは,,単なる古い家でも,,ましてや家財でもない。」
「この国が,,数百年かけて守り抜いてきた,,信仰と歴史の結晶だ。」
「その価値は,,金銭に換算すれば,,数百億を下らない。」
「数百億,? 」たけしの声から完全に正気が失われた。
「それだけではない。」九条様はさらに続けた。「お前たちの不法侵入は,,監視カメラの映像でも確認されている。」
「三ヶ月前,,義子さんが家を出た後,,私はあの土地の周囲に,,最新の警備システムを導入していた。」
「お前たちが裏口の鍵を壊して侵入し,,子供に花火を持たせて遊ばせている様子も,,全て記録されているのだよ。」
「監視カメラ,そんなの卑怯じゃない,わざと私たちを罠にかけたのね。」えみさんが狂ったように叫ぶ。「小母さん,,あんた最初から知ってたんでしょう,私たちが来るのを待ってたんでしょう。」
私は沈黙を守った。罠にかける,そんな魂胆はなかった。私はただ,,夫の意思を継ぎ,,九条様に全てを託して,,静かに余生を過ごそうとしていただけ。その平穏を壊したのは,,実の息子夫婦の強欲さだったのだ。
「小母さん,,黙ってないでなんとか言ってよ,,この学歴なしのクソババ,,あんたのせいで私たちの人生は終わりよ。」
えみさんの言葉は,,もはや人間としての尊厳すら捨て去ったものだった。
私はスマートフォンのスピーカーを切り,,静かに受話器を耳に当てた。そして,,冷たく澄み渡るような声で告げた。
「えみさん,,私は中卒で,,あなたたちの言うような教養はないかもしれない。」
「でもね,,自分の犯した罪を,,他人のせいにするような,,そんな卑怯な生き方は,,教わってきませんでした。」
「たけし,,聞こえてるかしら,,母さん。,これが私からあなたへ送る,,最後の言葉よ。」
「さようなら,,もう二度と,,私の前に現れないで。」
「待って,,母さん,,助けてくれ,,俺が悪かった,,死にたくない,,刑務所なんて嫌だ。」
たけしの悲鳴を,,私は非常に遮断した。スマートフォンの画面が暗くなり,,部屋に静寂が戻る。
しかしこれで終わりではなかった。
翌朝,,この事件は全国ニュースとして,,大々的に報じられることになる。歴史的発見と同時に消失,犯人は実の息子夫婦,そのセンセーショナルな報道は,,たけしの務める会社,,そしてえみさんの実家をも巻き込み,,さらなる地獄の連鎖を生み出していくのだ。
そして,,警察のさらなる捜査によって,,もう一つの,,箱が発見された。
そこには,,夫が私にすら隠していた,,最後の真実にまつわる,,驚愕の,,記録が記されていたのだ。

事件の翌朝,,九条様のお屋敷にある客間にて,,私は一睡もできないまま夜明けを迎えた。窓の外には広大な庭園が広がっているが,,私の心は,,焼け落ちたあの家の,,土台部分に釘付けになったままであった。
午前九時を回った頃,,警察から一本の電話が入った。「現場検証を続けていた捜査員が,,土砂と煤に埋もれた瓦礫の中から,,豪華な装飾が施された,,小さな漆塗りの箱を,,発見しました。」
「義子子さん,,この箱には,,佐藤健一さんの署名が入った封書と,,いくつかの古い書類が納められていました。」
「非常に重要な内容が含まれている可能性があるため,,至急,,九条様と共に,,確認いただけますか? 」
電話を切った後,,私は隣に座っていた九条様を見つめた。
九条様は,,全てを悟ったような表情で,,静かに頷かれた。「行きましょう,,義子子さん。」
「健一さんが命をかけて守り,,そしてあなたにだけは,,最後まで隠し通したかった,,最後の真実が,,そこにあるはずだ。」
警察署の取調室。そこには,,一晩ですっかりやつれ,,髪は乱れ,,目に不気味な血走った光を宿した,,たけしとえみさんが,,手錠をかけられた状態で,,座らされていた。
「あ,,母さん,,来たんだな。」たけしは私を見るなり,,椅子を鳴らして叫んだ。「なあ,,早く警察の人に行ってくれよ,,あの箱だろう,,新しいお宝が見つかったんだろう。」
「それさえあれば,,賠償金なんて余裕だよな,,やっぱり親父は俺のために隠し財産を残してくれてたんだ。」
その顔に,,反省の色など微塵もなく,,ただ金への執着だけが透けて見えた。
「小母さん,,早く,,私たちこんな汚いところに閉じ込められて,,肌もボロボロよ,,その箱の中身を売って,,今すぐ保釈金を払いなさいよ。」
警察官が鋭い視線で二人を制し,,テーブルの上にあの漆塗りの箱を置いた。そして中から一通の手紙を取り出し,,ゆっくりと読み上げ始めた。
「最愛の妻よ,,もしこの手紙を読んでいるのが,,息子を名乗る者であったなら,,覚悟して聞くがいい。」
手紙の冒頭を聞いた瞬間,,たけしの顔から笑みが消えた。
「たけし,,お前は,,私の実の息子ではない。」
「そして,,義子の血も,,一滴も引いてはいない。」
「三十五年前,,家の守護を任されていた私は,,ある事件で身寄りをなくした赤ん坊を,,不憫に思って,,引き取った。」
「それが,,お前だ。」
「ああ,,」たけしの口から,,魂が抜けたような声が漏れた。
「私はお前を我が子として愛そうと務めた。だが,,お前の本性は,,幼い頃から,,よく深く,,恩を仇で返すような,,冷徹なものだった。」
「義子がお前に尽くしてきた数々の苦労を,,お前は,,学歴や教養という言葉で,,踏みにじってきた。」
「だが,,真実を知れ,,お前がバカにしていた義子こそが,,九条家から,,正式な継承権を与えられた,,血筋高き,,守護者なのだ。」
警察官の声が室内に響く中,,たけしはガタガタと震え始めた。えみさんは,,信じられないと言った様子で,,口をパクパクとさせている。
「たけし,,お前には,,佐藤家の財産を相続する権利も,,あの土地に足を踏み入れる権利も,,最初からなかったのだ。」
「あの家は,,義子が九条家から信託されたものであり,,お前は,,ただの居候に過ぎない。」
「もしお前が,,この家や義子に,,牙を向くようなことがあれば,,この事実を持って,,お前を,,佐藤家から,,永久に構築する。」
手紙には,,当時の養子縁組の解消予約書類と,,たけしが佐藤家の人間ではないことを証明する,,親子鑑定書が添えられていた。
「嘘だ,,嘘だろ,,親父何だよこれ,,ドッキリかよ。」
「俺が佐藤家の子じゃない,,?

じゃあ,,あの家を売った金も,,これから出るはずの保険金も,,俺には一円も入らないってことかよ。」
たけしは狂ったように机を叩いた。
「小母さん,,いえ,,あんた知ってたんでしょう,,最初からこうなるって,,分かってて私たちに優しくしてたのね,,なんて因業なババアなの,,私たちの人生を弄んで楽しいか。」
しかし,,私はただ涙が止まらなかった。夫が,,どれほどの思いでこの秘密を抱えてきたのか川出来の悪い息子であっても,,いつか後悔してくれるのではないかと信じ,,最後まで実子として接してきた夫の深い愛情川それを,,この二人は,,今この瞬間も,,踏み躙っているのだ。
私はゆっくりと立ち上がり,,たけしの目の前まで歩み寄った。
「たけし,,私は,,今の今まで,,あなたを本当の息子だと思って,,愛してきました。」
「学歴なんて関係ない,,ただ元気で,,善良な人間になってくれれば,,それでいいと。」
「でも,,あなたは。」私は一度言葉を切り,,たけしの目を見つめた。
「あなたはその愛情を,,中卒の馬鹿な親の施しだと笑った。」
「夫が命をかけて守ってきたものを,,金のために焼き払った。」
「温情をかける余地は,,ありません。」
「母さん,,いいや,,義子さん,,頼むよ,,嘘だって言ってくれ,,俺,,あんたの息子だろう,,捨てないでくれよ,,借金があるんだ,,これじゃ俺,,本当に路頭に迷うよ。」
たけしが縋りつこうと手を伸ばしたが,,警察官に厳しく抑え込まれた。
「残念ですが,,たけしさん,,この手紙の内容は法的に有効であり,,義子さんは,,本日付けで,,あなたとの親族関係を,,完全に終了させる手続きを,,取ることが可能です。」
「そうなれば,,あなたたちは,,単なる他人の家を,,前借させた,,放火犯でしか,,ありません。」
警察官の霊鉄な言葉が,,とどめとなった。
その時,,九条様が静かに口を開いた。「さらに付け加えておこう。」
「たけし,,君が務めている会社の社長は,,私の古い知人でね,,今朝,,君の不祥事について報告しておいたよ。」
「君は,,即日解雇だ,,当然,,退職金も出ない,,それどころか,,会社の信用を著しく傷つけたとして,,損害賠償を請求されるだろう。」
「ああ,,ああ,,」たけしの口から言葉にならない嗚咽が漏れた。
しかし絶望の波は,,これで終わりではなかった。
えみさんのスマートフォンに,,彼女の実家から,,絶叫に近い着信が入ったのだ。
「エミ,,あんた,,何やらかしたのよ,,九条財閥から,,うちの店に,,巨額の,,請求が来たわよ。」
「あんたがSNSで自慢してた,,あのブランド品,,全部,,うちの店の仕入れ資金を,,横流しして買ってたんですってね。」
「もう,,破産よ,,一家,,路頭に迷うしかないわ。」
スピーカーから漏れる母親の悲鳴。えみさんは,,その場にへなと座り込み,,白目を向いて,,泡を吹き始めた。
「さあ,,ここからが,,本当の,,再生の時間です。」
九条様の冷たい声が取調室に響き渡る。それは,,傲慢な息子夫婦が築き上げてきた,,偽りの人生が,,ガラガラと音を立てて崩れ去る,,終わりの始まりだった。
取調室に重苦しい沈黙が流れたかと思ったのも束の間,,それはたけしの獣のような咆哮によって破られた。
「ふざけるな,,こんなの,,間違いだ,,三十五年前も,,親子して生きてきたんだぞ,,今更,,血が繋がってないから他人だなんて,,そんな理屈が通るかよ。」
彼は手錠をかけられた両手を振り回し,,机を激しく叩きつけた。その振動で,,夫が残した漆塗りの箱が,,ガタガタと揺れる。
彼は,,先ほどまでの金さえあればいいという態度から一転,,今度は,,親子の情という,,自分が最も愚弄してきたものに,,縋りつこうとしていた。
「母さん,,いいや,,義子さん,,あんた自分で言っただろう,,俺を愛してたって,,だったら,,この書類は,,今すぐ破り捨ててくれよ。」
「そして,,警察に行ってくれ,,俺が,,全部,,指示しました,,ってさ,,それが,,親の勤めだろう。」
あまりの言い草に,,傍らで立ち会っていた警察官が,,呆れたように,,深いため息をついた。
「たけしさん,,あなたは,,先ほど,,義子さんを,,学歴のない,,馬鹿な親だと,,罵倒し,,絶縁すると,,まで言いました。」
「自分の都合が悪くなったとたん,,親,,高校を,,崇拝するのは,,あまりにも,,身勝手ですよ。」
「うるせえ,,他人は黙ってろ,,これは家族の問題なんだよ。」
たけしの目は血走り,,口角からは泡が飛んでいた。
そんな彼の横で,,えみさんは,,うつろな目を,,虚空を見つめていた。彼女の耳には,,先ほど,,実家からかかってきた,,破産,,という言葉が,,呪文のように,,リフレインしているようだった。
「嘘よ,,こんなの,,悪い夢だわ,,私が,,こんなところで,,手錠なんて。」
えみさんは,,震える手で自分の乱れた髪を整えようとしたが,,金属の鎖が,,ガチャリと音を立てて,,それを阻んだ。
その瞬間,,彼女の中で,,何かが,,プツりと切れた。
「全部,,あんたのせよ,,たけし,,あんたが,,実家の地下には,,絶対に金がある,,なんて言うから,,親父は宮大工のくせに,,九条家と繋がってるから,,隠し財産を溜め込んでるはずだ,,って,,毎日毎日,,私をそそのかしたじゃない。」
「お前だって,,新しい家に住みたい,,ブランド品が欲しい,,って,,俺の尻を叩き続けただろう,,」
「火なら,,住むところがなくなるから,,それで家を燃やして,,地下を暴きましょう,,って案したのは,,お前だ。」
取調室の中で,,見苦しい,,責任の擦り付け合が始まった。昨夜,,実家が燃え上がるのを,,笑いながら眺めていた,,仲睦まじい夫婦の姿は,,そこには,,微塵もなかった。
私は,,二人の,,修羅場を,,ただ静かに見つめていた。何も言わず,,表情も変えず,,ただそこに座っている。その私の沈黙が,,彼らにとっては,,何よりも恐ろしい,,拒絶に感じられたのだろう。
「黙ってないで,,なんとか言いなさいよ,,この薄汚い中卒ババ。」
えみさんが,,ついに理性を,,鼻で笑う,,その勢いで,,私に襲いかかろうとした。
「あんた,,今,,幸せなんでしょう,,九条家なんて,,大物に囲われて,,贅沢な暮らしをしてるんでしょう,,私たちは,,こんなに苦しんでるのに,,あんただけ逃げるなんて,,許さないわ。」
「その九条の,,じいさんに頼んで,,私たちの借金を,,全部払わせなさいよ,,それが,,今まで私たちを騙してきた,,慰謝料よ。」
えみさんの叫びは,,もはや,,人間の言葉とは,,思えなかった。
欲に目がくらみ,,自分たちが,,どれほど恐ろしいものを,,破壊したのか,,その自覚が,,全くない。
「えみさん。」私は初めて,,静かに口を開いた。「私は,,あなたたちを,,騙してなどいません。」
「何度も,,話し合おうとしたわ,,夫が死んだ時も,,三ヶ月前に家を出る時も,,でも,,あなたたちは,,その度に,,私の学歴を笑い,,私の存在を否定した。」
「金にならない話はするな,,と言ったのは,,あなたたちの方よ。」
「今,,あなたたちが失ったのは,,家や土地だけではないわ。」
「あなたたちは,,人間としての道を,,失ったのよ。」
私の霊鉄な言葉に,,えみさんは言葉を詰まらせ,,そのまま激しく泣き崩れた。しかしそれは,,反省の涙ではなく,,ただ,,自分の不遇に対する,,自己憐憫の涙であることは,,明白だった。
一方,,たけしは,,まだ何か,,裏道がないかと,,思索しているようだった。
「なあ,,九条様,,あんた,,金持ちなんだろう,,あの,,ミイラとかいう,,いくらするんだ? 俺が,,一生かけて働いて返すから,,だから,,今回のことは,,内密にしてくれないか? 」
「会社だって,,あんたの一言で,,復職できるんだろう,,頼むよ,,この通りだ。」
たけしは,,椅子から滑り落ちるようにして,,九条様の足元に,,縋りつこうとした。
九条様は,,汚れ物を見るような,,鋭い視線を一瞬だけたけしに向け,,そのまま視線を警察官へと戻した。「担当官,,彼らが破壊したのは,,金銭で解決できるようなものではありません。」
「我が九条家,,及びこの国にとって,,変えの効かない,,遺産です。」
「一切の妥協は,,不要です,,法が許す限りの,,最後刑を,,執行してください。」
「了解いたしました。」
それから,,九条様,,一点気になることがございます。警察官が,,テーブルの上の資料をめくり,,少し,,間を置いて,,切り出した。
「焼け跡から見つかった,,ミイラの残骸ですが,,先ほど,,本部の監識から,,連絡が入りました。」
「どうやら,,燃えていたのは,,ミイラそのものでは,,なかったようです。」
「何だと? 」九条様の眉が動いた。私も驚いて,,警察官の顔を見た。
「残骸を詳しく分析したところ,,それは,,高度な技術で作られた,,身代わりの,,人形であることが,,判明しました。」
「材質は木材と漆,,そして表面には特殊な樹脂が塗られており,,燃えると,,生々しい,,遺体のような匂いを放つよう,,設計されていたようです。」
「では,,本物のミイラは,,どこにある?


九条様の問いに,,警察官は,,静かに私の方を見た。
「義子子さん,,あなたのご主人は,,死の直前に,,あなたに,,ある鍵を,,渡しませんでしたか? 」
「漆塗りの箱の中には,,入っていなかった,,もう一つの,,小さな鍵です。」
その言葉に,,私は,,はっとした。
夫が息を引き取る間際,,私の手のひらにそっと握らせた,,古びた,,真鍮の鍵川それは,,私がいつも肌身離さず,,持っている,,お守り袋の中に,,収められている。
「はい,,,持っております。」
「その鍵が,,本当の隠し場所を,,開くためのものです。」
「佐藤健一さんは,,万が一,,この家が狙われた時のために,,三重の罠を,,講じていたようです。」
「彼らが燃やしたのは,,健一さんが,,用意した,,おとりに,,過ぎなかったのですよ。」
その事実が判明した瞬間,,たけしの顔に,,今日一番の,,卑怯な笑みが浮かんだ。
「なんだ,,じゃあ,,本物は,,無事なんだな,,だったら,,俺の罪も,,軽くなるだろう,,大した被害は,,なかったってことだ。」
「わあ,,なんだよ,,親父も,,上手いことをしてくれるじゃねえか。」
たけしは,,自分の愚かな行為が,,まだ許される余地があると,,思い込んだようだった。
しかしその浅墓な希望は,,九条様の次に放った,,一言によって,,絶望という名の闇へと,,完全に飲み込まれることになる。
「たけし,,お前は,,本当に,,救いのない,,馬鹿だな。」
九条様の声は,,それまでのどの言葉よりも,,低く,,深く響いた。
「本物が無事であれば,,お前の罪が軽くなるとでも,,思ったか。」
「逆だよ。」
「本物が,,まだこの世にあるということは,,佐藤家及び,,九条家への,,侵犯を,,した,,お前たちに対して,,私が,,手加減をする,,理由が,,完全に消えた,,ということだ。」
九条様は,,私の手にある,,お守り袋を,,優しく見つめ,,そしてたけしに,,霊鉄な宣告を下した。
「お前たちが犯したのは,,火災ではない,,九条家が,,数百年に渡って,,守り抜いてきた,,信仰への,,冒涜だ。」
「その代償が,,どれほどのものか,,地獄の底で,,じっくりと,,味わうがいい。」
その時,,取調室の扉が,,勢いよく,,開いた。
現れたのは,,息を切らした,,一人の,,若手刑事だった。
「報告します,,たけし被告の,,自宅マンションから,,大量の,」
その報告の内容が,,たけしとえみさんの運命を,,単なる放火犯から,,さらに恐ろしい結末へと,,導いていくことになる。
「海外口座の送金記録と,,闇ルートの美術品バイヤーとの,,通信履歴が,,発見されました。」
若い刑事の声が取調室に響き渡った瞬間,,それまで,,目の前を忙しなく動いていた,,たけしの動作が,,まるで見えない鎖で縛られたかのように,,ぴたりと,,止まった。
顔面は,,土気色を通り越し,,まるで死人のような,,白さへと,,変わっていく。
「送金記録,,バイヤー,,」私は耳を疑った。息子が,,海外のバイヤーと,,繋がっていた。
九条様は,,眉動かさず,,ただ深く,,深く沈み込むような,,霊鉄な視線を,,たけしに向けた。
「ほう,,子供の日遊びだと,,抜かしていたが,,裏では,,随分と,,組織的な動きをしていたようだな。」
刑事は,,押収された資料の束を,,テーブルに,,広げた。そこには,,スマートフォンのメッセージ画面を,,拡大した写真や,,何枚もの,,不審な,,契約書が,,並んでいた。
「たけし被告,,あなたは,,三ヶ月前から,,ダークウェブを通じて,,海外の窃盗グループと,,接触していますね。」
「”実家の地下には,,九条財閥が隠した,,数百億の,,国宝がある,,家を,,放火させれば,,混乱に乗じて,,運び出せる”,,そう言って,,彼らから,,高額の前受金を,,受け取っている。」
「違いますか? 」
「ああ,,,」たけしの口から,,言葉にならない,,かれた音だけが,,漏れる。
「さらに驚くべきことに,,あなたは,,自宅のクローゼットの奥に,,焼け残った,,実家の設計図,,それも,,亡くなった健一さんが書いた原本ではなく,,どこからか入手した,,地下空洞の,,詳細図を,,隠し持っていた。」
「これ,,どこで手に入れました? 」
刑事の追及に,,たけしは,,ガタガタと震えながら,,隣で呆然としている,,えみさんを,,指差した。
「あ,,あいつだ,,エミだよ,,実家の近くにある,,蔵を壊した時に,,見つけてきたんだ,,これがあれば,,小母さんを追い出して,,お宝を,,一人占めできるって,,こいつが言ったんだ。」
「ちょっと,,たけし,,何を言ってるのよ。」
えみさんが,,発狂したように,,叫んだ。「それを売って,,海外に逃げよう,,って言い出したのは,,あんたじゃない。」
「中卒のババアなんて,,家さえ燃やしちゃえば,,何も言えなくなる,,壊れたことにして,,施設にぶち込めばいい,,って,,笑いながら計画を立ててたのは,,あんたでしょう。」
二人の,,見苦しい,,暴露戦。
私は,,足元が崩れ落ちるような,,感覚に襲われた。息子夫婦は,,ただ単に,,強欲だったわけではなかった。彼らは,,最初から,,私を,,人として,,見ていなかった。私を騙し,,夫が守り抜いた誇りを,,金に変え,,私を,,社会的に,,抹殺しようと,,綿密な計画を,,立てていたのだ。
「そう,,あなたたちは,,最初から,,私を捨てるつもりだったのね。」
私は,,絞り出すような声で,,言った。
「たけし,,あなたは,,私の学歴を,,いつも,,バカにしていたわね。」
「中卒だから,,世の中の仕組みが分からない,,教養がないから,,騙しやすい,,そう思っていたのでしょう。」
「でもね,,たけし,,本当の教養というのは,,どれだけ難しい言葉を知っているか,,やどの大学を出たか,,ではないのよ。」
「人の痛みを知り,,自分に与えられた使命を,,全うすること。」
「夫は,,中卒の私に,,それを,,何よりも,,大切に,,教えてくれたわ。」
私は,,懐に忍ばせた,,お守り袋,,あの真鍮の鍵が入った袋を,,そっと握りしめた。
「あなたたちが,,設計図だと思って,,信じていたものは,,夫が,,わざと残した,,偽物よ。」
「強欲な人間が,,いつか現れることを,,見越して,,わざと,,罠を仕掛けたの。」
「あなたたちが燃やしたのは,,夫が用意した,,よく深い,,人間を,,炙り出すための,,罠装置だったのよ。」
「偽物を,,掴まされた,」たけしの目が,,絶望で,,見開かれた。
「そう,,本物の隠し場所は,,その図面には,,載っていない。」
「そして,,その場所を,,開けることができるのは,,夫から唯一,,信頼を託された,,この私だけなの。」
私は九条様に向かって,,深く,,頭を下げた。
「九条様,,もう,,全てを,,終わらせる時が,,来たようです。」
「夫が守り抜いたものを,,本来あるべき場所へ,,移設を,,開始いたします。」
九条様は,,優しく,,私の手を,,取った。「分かりました,,義子子さん,,健一さんも,,きっと,,それを望んでいることでしょう。」
「警察官の方,,彼らには,,放火と,,重要文化財損壊に加え,,組織犯罪処罰法違反,,及び,,詐欺罪の疑いで,,徹底的な,,追及を,,お願いします。」
「承知いたしました。」
刑事たちが,,たけしとえみさんの腕を,,力強く,,掴んだ。
「待ってくれ,,母さん,,義子子さん,,本当の場所を,,教えてくれよ,,それを,,バイヤーに,,渡さないと,,俺,,殺されるんだ,,前受金を,,使っちゃったんだよ,,あいつら,,容赦ないんだ,,助けてくれ。」
たけしの情けない悲鳴。彼は自分の罪を悔いるのではなく,,最後まで,,自分の身の安全だけを,,心配していた。
「たけし,,自業自得という言葉を,,知っているかしら。」
私は,,生まれて初めて,,息子に対して,,霊鉄な笑みを,,浮かべた。
「中卒の私が,,教えられる,,最後の言葉よ。」
「あなたが,,蒔いた種は,,あなた自身で,,刈り取りなさい。」
「うわあ,,」たけしとえみさんは,,そのまま,,取調室から,,引きずり出されていった。扉が閉まる間際には,,えみさんが,,「小母さんのバカ」と叫ぶ声が聞こえたが,,それは,,もう,,私の心に,,届くことはなかった。
しかし,,物語は,,ここで完結したわけでは,,なかった。
これから私は,,夫が残した,,真の地下室へと,,向かうことになる。そこには,,九条様すらも,,驚愕する,,佐藤家が,,代々守り続けてきた,,もう一つの,,あまりにも美しく,,残酷な,,真実が,,眠っていたのだ。
警察署を出た後,,私と九条様を乗せた,,黒塗りの高級車は,,再び,,あの,,焼け跡へと,,向かった。
辺りは,,すっかり,,暗くなっていたが,,現場には,,依然として,,警察の規制線が,,貼られ,,強力な,,照明が,,焼けこげた,,土台を,,じらと,,照らし出している。
「義子子さん,,無理をさせて,,申し訳ない,,だが,,君の夫,,健一さんが,,命をかけて,,守り抜いた,,真実を,,この目で,,確かめておかなければ,,ならないんだ。」
「それが,,九条家としての,,私の,,責務だ。」
九条様の声は,,穏やかだったが,,その奥には,,計り知れない,,覚悟が,,感じられた。
私は,,お守り袋の中で,,ひっそりと,,熱を帯びているような,,あの,,真鍮の鍵を,,そっと,,握りしめた。
車を降りると,,焦げ臭い風が,,鼻を,,突いた。
つい昨日まで,,そこには,,私の,,人生そのものが,,あった場所。しかし今,,目の前にあるのは,,欲に狂った,,息子夫婦が残した,,無惨な,,瓦礫の山だった。
「義子子さん,,こちらへ。」
案内されたのは,,母屋から,,少し離れた,,かつて,,夫が,,盆栽を並べていた,,中庭だった。手入れが行き届かなくなった庭,,しかし,,その片隅にある,,古い井戸の枠だけは,,不思議と,,煤で汚れる程度で,,無傷のまま,,残っていた。
「ここ,,なのね,,健一さん。」
私は,,井戸の側に,,膝を,,ついた。
この井戸は,,私が嫁いで来た時から,,水が枯れているから危ないと,,言われ,,重い石蓋で,,閉じられていた場所だった。夫は,,生前,,この井戸の周りだけは,,自分で,,念入りに掃除をし,,決して,,私に,,触れさせようとは,,しなかった。
私は,,震える手で,,井戸の枠にある,,小さな,,窪みを,,探した。
苔に覆われ,,一見すると,,ただの石の模様にしか見えない場所に,,小さな,,鍵穴が,,隠されていた。
真鍮の鍵を,,差し込み,,ゆっくりと,,回すと,,地底から響くような,,ごと,,という,,低い音が,,鳴り響いた。
開いた石蓋が,,わずかに,,ずれ,,そこから,,ひんやりとした,,しかし,,清らかな,,空気が,,吹き抜けてきた。それは,,地上を漂う,,煤の匂いとは,,無縁の,,何百年もの,,時を超えて,,守られてきた,,歴史の香りだった。
九条様と,,警察の専門チームが,,息を,,呑む中,,井戸の内部に,,仕込まれた,,照明が,,点灯した。
そこには,,地下へと続く,,石作りの階段と,,その先に,,広がる,,広大な,,石室が,,見えた。
「これは,,素晴らしい,,健一さんは,,宮大工の技術を,,駆使して,,井戸,,カモフラージュにした,,地下要塞を,,築いていたのか。」
九条様が,,感嘆を,,洩らす。
私たちは,,慎重に,,階段を,,降りた。
地下十メートルほどにある,,その空間は,,湿気一つなく,,完璧な温度管理が,,なされているようだった。
石室の正面には,,九条家の家紋が,,刻まれた,,重厚な,,扉があり,,その前には,,一枚の,,古びた,,木の板が,,置かれていた。
そこには,,夫の,,直筆で,,力強い文字が,,刻まれていた。
「この扉を,,開くものへ,,もし,,信頼と,,敬意を,,忘れた,,者が,,この場所を,,暴こうとするならば,,この石室は,,永遠の,,墓場となるだろう,,だが,,守護の心を,,持つ,,者が,,鍵を回す時,,ここにあるのは,,家族の絆と,,国の,,遺産である。」
その文字を見た瞬間,,堪えていた,,涙が,,溢れ出した。夫は,,いつか訪れるかもしれない,,,その日のために,,私を,,守り,,そして,,侵入者を,,拒むための,,最後の,,警告を,,残していたのだ。
扉が,,開く,,と,,そこには,,九条様が,,探していた,,本物の,,ミイラが,,かつてのままの,,高貴な姿で,,鎮座していた。
そして,,その周囲を,,埋め尽くしていたのは,,金塊や宝石などでは,,なかった。
それは,,九条家が,,代々,,継承してきた,,日本の歴史を,,覆しかねない,,膨大な,,古文書の山として,,その,,古文書を,,保護するように,,並べられていたのは,,,,
「ああ,,これは,,」九条様が,,絶句した。
古文書の隣には,,私が,,かつて,,夫に,,編んだ,,毛糸の手袋や,,たけしが,,赤ん坊の頃に,,使っていた,,産着,,そして,,私たちが,,家族三人で,,撮った,,唯一の,,擦り切れた,,写真が,,最高級の,,保存箱に,,納められていたのだ。
「健一さん,,あなたにとっての,,遺産は,,九条様から,,預かったものだけじゃ,,なかったのね。」
「夫にとって,,国宝を守る使命と,,私たち家族との,,思いでは,,同じ重さで,,同じ価値を持つ,,ものだった。」
「だからこそ,,彼は,,命をかけて,,この場所を,,隠し通した。」
「たけしが,,いくら,,学歴を,,馬鹿にしようと,,夫は,,息子としての,,たけしの,,思い出までも,,この,,地下聖域で,,大切に,,守り続けていたのだ。」
その時,,石室に,,同行していた,,刑事の,,無線機が,,騒がしくなった。
「報告します,,たけし被告に,,異変です。」
「海外の,,バイヤーから,,送られてきた,,報復の,,脅迫メッセージを,,突きつけられた瞬間,,錯乱状態に,,陥りました。」
無線の声は,,地下の,,静寂を,,切り裂くように,,響いた。
「”被告は,,俺は悪くない,,あのババアが,,中卒のバカな,,母親が,,本当の場所を,,隠したんだ,,あいつを殺してでも,,宝を取り出せ”,,と叫びながら,,壁に,,頭を,,打ち付けています。」
「精神状態が,,極めて,,不安定なため,,医療刑務所への,,移送を,,検討中です。」
私は,,その報告を,,聞いて,,もう,,心が,,揺らぐことは,,なかった。
たけしは,,夫が,,自分への,,愛までも,,ここに,,封印して,,守っていたことを,,知らず,,最後まで,,金と,,自己保身のために,,私を,,呪い続けている。
「そう,,か,,」ぽつりと,,漏れた私の言葉,,それは,,かつての,,息子に対する,,最大限の,,そして,,最後の,,お別れの言葉だった。
九条様は,,私の方を,,優しく,,見つめた。
「義子子さん,,彼らが,,何を,,叫ぼうとも,,ここにある,,真実は,,揺るがない。」
「健一さんが,,守りたかったのは,,物だけでは,,ない,,君という,,女性の,,気高き,,魂だ。」
「さあ,,地上へ,,戻りましょう,,ここにあるものは,,私が,,責任を持って,,引き取る。」
「そして,,君には,,これからの人生を,,何の,,憂いもなく,,過ごせる,,場所を,,用意する,,それが,,健一さんとの,,約束だ。」
地下から,,這い出し,,再び,,夜の,,空気に,,触れた時,,私は,,空に,,輝く,,満月を,,見上げた。
家は,,燃えて,,なくなってしまったけれど,,私の,,心の中には,,夫が,,残してくれた,,温かな,,灯りが,,いつまでも,,灯り続けている,,ような気がした。
しかし,,事件は,,まだ,,終わっていなかった。
発狂した,,たけしと,,実家の,,破産で,,追い詰められた,,えみさん,彼らには,,法的な,,処罰よりも,,さらに,,残酷な,,自らが,,作り出した,,底なしの,,地獄が,,待ち受けていたのだ。
警察の,,捜査が,,進むにつれ,,えみさんが,,隠していた,,もう一つの,,恐ろしい,,事実が,,浮上することになる。
数日後,,たけしとえみさんの,,身柄が,,本格的な,,取調べと,,裁判を,,待つため,,より,,警備の,,厳重な,,拘置所へと,,移送されることになった。
私は,,九条様の,,計らいで,,彼らとの,,最後,,本当の意味で,,最後となる,,面会の,,場を,,設けられた。
冷たい,,コンクリートの,,壁に,,囲まれた,,分厚い,,アクリル板越の,,面会室。
先に,,現れたのは,,たけしだった。
かつての,,小綺麗な,,スーツ姿の,,面影は,,なく,,灰色の,,スエットを,,着た,,彼は,,背中を,,丸め,,虚空を,,見つめていた。
私と,,目が,,合った,,瞬間,,彼は,,縋るような,,叫び声を,,上げた。
「母さん,,来てくれたんだな。」
「あ,,あの,,警察の,,人に,,聞いたよ,,俺たちが,,壊した家,,本当は,,九条さんの,,持ち物だったって,,でも,,俺は,,実家だと思ってたんだ,,勘違いしただけ,,なんだ。」
「だから,,今すぐ,,訴えを,,取り下げてよ,,そしたら,,俺,,また,,真面目に働くから,,母さんの,,介護だって,,死ぬ気で,,やるからさ。」
私は,,何も,,答えませんでした。ただ,,静かに,,彼の,,目を,,見つめ,,続けた。
その,,沈黙に,,耐えきれなくなったのか,,続いて,,連れて,,来られた,,えみさんが,,アクリル板を,,叩きながら,,絶叫した。
「何を,,その,,澄ました顔は,,中卒の,,ババアが,,九条家に,,取り入って,,いい気なもんね。」
「あんたが,,隠してるっていう,,あの,,真鍮の鍵,,それを,,よこしなさいよ,,あれさえ,,あれば,,私の,,借金なんて,,帳消しに,,できるんでしょう,,早くしなさいよ,,この,,役立たず。」
その言葉には,,もはや,,一かけらの,,人間性も,,残っていなかった。
絶望に,,追い詰められ,,自らの,,欲望を,,剥き出しにした,,その姿は,,かつての,,美しさは,,どこへやら,,見にくい,,鬼のようだった。
「たけし,,えみさん。」
私は,,ゆっくりと,,しかし,,部屋の,,隅々まで,,響くような,,澄んだ声で,,話し始めた。
「あなたたちは,,ずっと,,私のことを,,中卒の,,バカだと,,笑っていましたね。」
「学歴がないから,,教養がないから,,何を言っても,,いい,,何をしても,,騙せる,,そう思っていたのでしょう。」
「それは,,まあ,,実際,,そうじゃないか,,母さん,,ずっと,,家で,,掃除と,,洗濯しか,,なかっただろう。」
「俺みたいに,,大卒で,,バリバリ働いてる,,人間とは,,住む,,世界が,,違うんだよ。」
たけしは,,この,,状況に,,なっても,,まだ,,その,,プライドだけは,,捨てきれないようだった。
「ええ,,そうね。」
「私は,,あなたたちが,,言う通り,,中学を,,出て,,すぐに,,働き始めました。」
「でもね,,たけし,,私が,,なぜ,,進学しなかったのか,,その,,本当の,,理由を,,知っているかしら?


「いえ,,そりゃ,,家が,,貧乏だったからとか,,頭が,,悪かったから,,だろう。」
私は,,悲しげに,,微笑んだ。
「いいえ。」
「私が,,進学しなかったのは,,九条家の,,先代,,当家様から,,日本で,,唯一の,,古文書修復と,,特殊保存技術の,,継承者として,,指名されたからよ。」
「経緯,,,教養,,? 」
二人の,,顔が,,驚愕に,,歪んだ。
「私が,,学んだのは,,学校の,,教科書に,,あるような,,知識では,,ありません。」
「この国の,,歴史の,,闇に,,葬られそうになった,,真実を,,読み解き,,それを,,後世に,,残すための,,極めて,,高度で,,希少な,,技術。」
「その,,修復作業は,,若ければ,,若いほど,,感覚が,,鋭く,,雑念が,,ない時期から,,始めなければ,,ならなかった。」
「だから,,私は,,あえて,,表向きの,,学歴を,,捨て,,夫である,,健一さんと,,共に,,あの,,一見,,平凡な,,家で,,生涯をかけて,,修行と,,任務に,,身を,,捧げてきた,,の。」
私は,,九条様から,,預かった,,一通の,,証明書を,,アクリル板に,,押し当てた。そこには,,国家機関すらも,,敬う,,権威を,,持つ,,九条財閥の,,印と,,私の,,名前が,,最高位,,師として,,記されていた。
「中卒だから,,騙しやすい,,? ,,,いいえ,,逆よ。」
「私は,,あなたたちが,,どれだけ,,巧妙に,,嘘を,,つき,,隠れて,,借金を,,作り,,私を,,落とし入れようと,,していたか,,その,,全てを,,古文書を,,読み解くような,,観察眼で,,一から,,十まで,,把握して,,いました。」
「それでも,,黙って,,いたのは,,親として,,あなたたちが,,いつか,,自ら,,過ちに,,気づき,,戻ってきて,,くれることを,,信じたかったから。」
「そんな,,嘘だ,,じゃあ,,母さんは,,俺より,,ずっと,,,」
「ええ,,あなたの,,年収の,,何十倍もの,,報酬が,,私の,,個人の,,口座には,,ずっと,,振り込まれて,,いました,,九条家からの,,信頼の,,証として。」
「でも,,私は,,それを使う,,必要が,,なかった,,健一さんが,,大工として,,稼いで,,きた,,お金で,,三人で,,質素に,,暮らすことが,,何より,,幸せだったから。」
私は,,二人に,,とどめを,,刺すような,,一言を,,放った。
「たけし,,あなたが,,火を,,つけた,,あの日,,本当は,,夫の,,三回忌が,,終わったら,,あなたたち,,夫婦を,,あの,,家に,,連れて,,行く,,つもりだったのよ。」
「そして,,私の,,引退と,,共に,,九条家から,,与えられる,,巨額の,,守護,,年金を,,あなたたちに,,生前,,贈与する,,手続きを,,始める,,はずだった。」
「その,,額は,,二十億円。」
「二十億,? 」たけしの,,目から,,血が,,滲むような,,涙が,,溢れ出した。えみさんは,,ショックの,,あまり,,アクリル板に,,額を,,ぶつけ,,そのまま,,ずるずると,,床に,,崩れ落ちた。
「そう,,あなたたちが,,私を,,殺してでも,,手に入れようと,,した,,お宝なんか,,比じゃない,,ほどの,,正当な,,財産が,,あなたたちの,,手に,,入る,,はずだった。」
「もし,,あなたたちが,,私を,,バカだと,,侮辱せず,,親への,,感謝を,,忘れず,,ただ,,普通に,,誠実に,,生きて,,くれて,,さえ,,したら,,ね。」
「ああ,,母さん,,ごめん,,俺が,,悪かった,,今からでも,,やり直せる,,だろう,,ねえ,,二十億なんて,,いらないから,,その,,半分で,,いいから,,いいや,,借金を,,返す,,だけで,,いいから,,助けてくれ。」
たけしが,,狂ったように,,叫んだ。
しかし,,私は,,静かに,,首を,,振った。
「もう,,遅いわ。」
「あなたが,,燃やしたのは,,二十億の,,現金だけじゃ,,ない。」
「夫が,,命をかけて,,守り,,私に,,託した,,家族の,,愛の,,遺産だったのよ。」
「それは,,どんな,,大金でも,,二度と,,買い戻す,,ことは,,できないの。」
私は,,九条様の,,秘書に,,合図を,,送った。
「たけし,,えみさん,,これが,,最後です。」
「あなたたちは,,これから,,自分たちが,,犯した,,罪の,,重さを,,一生をかけて,,贖いなさい。」
「学歴や,,教養,,といった,,表面的な,,ものに,,囚われ,,本物の,,価値を,,見失った,,あなたたちには,,何も,,ない。,,真っ暗な,,独房が,,一番の,,教育になる,,でしょう。」
「あっ,,行かないで,,よし子さ,,,」
えみさんの,,泣き叫ぶ声,,たけしが,,アクリル板を,,叩き,,壊そうとする,,音。
私は,,一度も,,振り返る,,ことなく,,面会室を,,後にした。
廊下に,,出ると,,そこには,,九条様が,,待って,,おられた。
「義子子さん,,よく,,言った,,君の,,魂は,,やはり,,誰よりも,,美しい。」
「ありがとう,,ございます,,九条様,,これで,,私の,,守護者としての,,任務も,,終わりました。」
「ああ,,これからは,,誰に,,気兼ねする,,こともなく,,君自身の,,人生を,,歩みなさい,,健一さんも,,空の,,上で,,きっと,,笑っている。」
警察署の,,外に,,出ると,,そこには,,抜けるような,,青空が,,広がっていた。
私は,,あの,,真鍮の鍵を,,九条様に,,返却した。それは,,重責からの,,解放であり,,新しい,,人生への,,第一歩でも,,あった。
しかし,,物語には,,まだ,,私ですら,,想像して,,いなかった,,心温まる,,本当の,,結末が,,用意されて,,いた。
あの,,一連の,,出来事から,,半年が,,過ぎた。
私は,,今,,九条様が,,用意して,,くださった,,京都の,,静かな,,職人の,,離れで,,暮らしている。そこは,,かつて,,夫が,,修復を,,手がけたという,,歴史ある,,建物だった。
窓を,,開ければ,,手入れの,,行き届いた,,庭園が,,広がり,,季節の,,移ろいを,,肌で,,感じることが,,できる。
たけしと,,えみさんの,,裁判は,,すでに,,決着した。
重過失失火,,重要文化財損壊,,そして,,海外組織との,,共謀による,,詐欺未遂,,余罪が,,次々と,,明らかになった,,二人に,,下されたのは,,執行猶予,,なしの,,厳しい,,実刑判決だった。
さらに,,彼らには,,一生かかっても,,返しきれない,,巨額の,,賠償金が,,課せられている。
彼らは,,今,,人里,,離れた,,厳重な,,監視,,下にある,,施設で,,毎日,,泥に,,まみれて,,働いている,,と,,聞いた。
かつて,,あれほど,,馬鹿に,,していた,,汗水垂らして,,働く,,という,,日常が,,今の,,彼らに,,与えられた,,唯一の,,生きる,,術なのだ。
えみさんは,,今でも,,「私は,,中卒の,,ババアに,,嵌められた」と,,吠えている,,そうだが,,その,,声に,,耳を,,貸す,,者は,,誰も,,いない。
そんな,,ある日の,,午後,,私の,,元へ,,一人の,,意外な,,来客が,,あった。
「お,,訪ね,,いたします,,佐藤,,義子子,,様で,,いらっしゃいます,,か。」
離れの,,玄関に,,立って,,いたのは,,二十歳,,前後と,,思われる,,清楚な,,雰囲気の,,若い,,女性だった。
彼女は,,深く,,頭を,,下げ,,私に,,一通の,,古びた,,封筒を,,差し出した。
「花と,,申します,,亡くなった,,健一さんに,,ずっと,,お世話に,,なって,,おりました。」
「健一さんに,,?

」私は,,驚いて,,彼女を,,部屋に,,招き入れた。
彼女の,,話に,,よれば,,花さんは,,たけしが,,若い頃に,,一方的に,,婚約を,,破棄し,,捨てた,,女性の,,娘だという,,のだった。
たけしは,,えみさんの,,実家の,,財力に,,目が,,くらみ,,当時,,妊娠して,,いた,,彼女を,,無慈悲に,,切り捨てた,,のでした。
「母は,,数年前に,,病で,,亡くなりました,,が,,健一さんは,,ずっと,,私たち,,親子を,,支えて,,くださいました。」
「”学費も,,生活費も,,たけしが,,犯した,,罪は,,親である,,私が,,償わなければ,,ならない,,だが,,義子子には,,余計な,,心配を,,かけたくないんだ”,,と,,おっしゃって,,」
私は,,絶句した。夫は,,実の,,息子では,,ない,,たけしの,,不始末までも,,誰にも,,言わずに,,背負い,,続けて,,いたのだ。
「花さんは,,今,,何を,,されて,,いるの? 」
私が,,尋ねると,,彼女は,,少し,,照れ,,臭そうに,,笑った。
「大学で,,歴史学を,,学んで,,います。」
「健一さんが,,守って,,きた,,この国の,,文化や,,義子子様が,,続けて,,こられた,,修復の,,仕事に,,憧れて,,私,,いつか,,義子子様の,,ような,,真の,,教養ある,,女性に,,なりたいんです。」
花さんの,,瞳は,,まっすぐに,,私を,,見つめて,,いた。
中卒の,,私に,,「教養ある,,女性に,,なりたい」と,,言って,,くれる。
その,,純粋な,,言葉に,,私の,,胸の,,奥に,,溜まって,,いた,,最後の,,淀みが,,すーっと,,消えて,,いくのを,,感じた。
「よし子様,,これ,,健一さんから,,預かって,,おりました,,よし子が,,全ての,,任務を,,終え,,一人に,,なった時に,,渡して,,くれ,,と言われて,,いました。」
彼女から,,手渡されたのは,,夫の,,筆跡で,,「義子子」と,,書かれた,,最後の,,手紙だった。
「義子子,,この,,手紙を,,読んで,,いるという,,ことは,,全てが,,終わったという,,ことだろう。」
「たけしの,,ことは,,本当に,,申し訳,,なかった,,あいつを,,善良な,,人間に,,育てられ,,なかったのは,,私の,,不徳の,,致す,,ところだ。」
「だが,,義子子,,お前には,,知って,,おいて,,ほしい。」
「学歴も,,称号も,,金も,,そんなものは,,魂の,,飾りで,,しか,,ない。」
「お前が,,毎日,,心を,,込めて,,古文書を,,修復し,,家族の,,ために,,美味しい,,飯を,,作り,,誰に,,対しても,,誠実に,,接して,,きた,,その,,姿こそが,,私にとっての,,最高の,,教養だった。」
「お前は,,私の,,誇りだ。」
「これからは,,自分の,,ためだけに,,生きて,,くれ。」
「花という,,娘は,,私たちの,,真の,,孫のような,,存在だ,,もし,,よければ,,あの,,子の,,行末を,,私と,,一緒に,,見守って,,やって,,くれないか。」
手紙を,,読み,,終えた,,時,,私は,,声を,,上げて,,泣いた。
夫は,,全てを,,知って,,いた。私の,,苦労も,,孤独も,,そして,,私が,,どれほど,,彼を,,愛して,,いたか,,も。
私は,,一人では,,ありませんでした。夫が,,残して,,くれたのは,,思い出,,だけでは,,なく,,花さんという,,新しい,,家族との,,縁だったのだ。
「花さん,,よければ,,私と,,一緒に,,ここで,,暮らさ,,ない。」
「私,,教えられる,,ことは,,たくさん,,あるわ,,学校では,,教えて,,くれない,,本当の,,歴史の,,守り方を。」
花さんは,,パッと,,顔を,,輝かせた。
「はい,,喜んで,,おばあちゃん。」
その,,呼び声に,,私は,,心の,,底から,,救われた,,気が,,した。
夕暮れ,,私は,,花さんと,,共に,,遠くの,,向こうに,,沈む,,夕日を,,眺めて,,いた。
かつて,,実家を,,焼き,,尽くした,,あの,,炎は,,私の,,過去の,,未練も,,息子,,夫婦への,,葛藤も,,全てを,,焼き,,払って,,くれた。
そして,,今,,私の,,手元に,,残ったのは,,夫が,,命をかけて,,守り,,抜いた,,誇りと,,未来へと,,続く,,希望だけ。
「いい,,天気だ,,ね,,健一さん。」
空に,,向かって,,呟くと,,優しい,,風が,,頬を,,撫でた。まるで,,夫が,,「よく,,頑張った,,な,,義子子。」と,,笑って,,くれているかの,,ように。
私は,,中卒の,,どこにでも,,いる,,平凡な,,一人の,,女性です。
でも,,今の,,私には,,分かります。
本当の,,豊かさとは,,誰かを,,打ち,,負かす,,ことでは,,なく,,自分自身が,,恥じる,,ことの,,ない,,生き方を,,貫き,,最後に,,大切な,,人と,,笑い,,合える,,ことなのだと。
私は,,花さんの,,手を,,優しく,,握り,,明日という,,新しい,,一歩を,,踏み,,出した。
私の,,人生の,,本当の,,物語は,,ここから,,始まって,,いくのです。