お盆の座敷で、義母のよしえが箸を持ったまま笑った。「家族の食卓に座らないでよ。」その言葉に、私は手に持った盆を置くことすらできなかった。座敷には、私が台所で並べた寿司と刺身と天ぷらが並んでいる。その中に、私の分の箸だけがない。皿も箸も湯飲みもない。私の席は、そう、最初からなかったのだ。
「あんた他人なんだから。運び終わったなら、他人は帰れば。」義姉のマリ子が大トロをつまみながら言った。私は夫を見た。浩司は寿司をつまんだまま、目を上げない。20年だ。この家に毎月20万円を送り続けてきた。その間ずっと台所で食べてきたが、膳に私の分がないのは初めてだ。
「他人は今すぐ出ていけ。」よしえが畳を叩いた。私は座布団を外し、畳に手をついた。「わかりました。では、帰りますね。」「え、本当に帰るの?」浩司がようやくこちらを見る。私は頭を下げた。「他人がいたら邪魔でしょう。」玄関の引き戸を閉めた。締め切った後で、座敷の笑い声がまた大きくなった。8月の日差しが目に刺さった。
私は北原エミ、54歳。食品メーカーの経理課長をしている。夫の浩司は56歳で、建設会社の営業課長だ。結婚して27年になる。子供は授からなかった。話は20年前の夏から始まる。
義父の浩が亡くなった。64歳だった。金属加工の町工場を58歳で畳んだ人だ。厚生年金には一度も入らず、国民年金しかかけてこなかった。年金が出るのは65歳からだから、畳んだ時に手元に残った金を崩しながらの6年だった。亡くなった時には、それも尽きていた。義母のよしえの自分の年金が出るまでには、まだ6年あった。
49日が済んだ夜、浩司が畳に手をついた。「エミ、頼みがある。母さんを助けたいんだ。毎月20万送らせてほしい。」私たちのマンションはまだローンが10年残っていた。頭金の300万円は独身時代に私が貯めた金から出した。それなのに名義は浩司になった。その時も私は何も言わなかった。浩司の給料はローンと管理費と車と付き合いで消えていた。「じゃあ、私の給料から出すわ。」そう言ったのは私だ。誰にも強(し)いられていない。当時の私は34歳で係長になったばかりだった。手取りは月34万円。そこから20万円を送れば、残りは14万円になる。その14万円と賞与で、二人の日々の暮らしと義実家の急な出費を賄うことになった。浩司は顔を上げて目の縁を赤くした。「恩に着る。この金はエミの金だ。それだけは忘れない。」私はペン先を1本出した。経理の人間の癖だ。口約束は、言った本人が一番先に忘れる。「じゃあ、書いておいて。」浩司は嫌な顔をしなかった。満足室で几帳面な字を並べた。「母への毎月20万円はエミの給与から支出する。開始、変更、終了はエミが決める。」日付と名前を書いて印を押した。私はそれを仕送り用のファイルの一番上に綴じた。
翌週、2人で信用金庫の窓口へ行き、毎月25日に20万円がよしえの口座へ渡る手続きをした。振込日は私の給料日と同じ25日にした。残高が足りずに送金が止まることのないよう、私は前の月のうちに残しておくようになった。用紙を書いていると、浩司が受付の女性に向かって言った。「振り込みの名義、俺の名義にできますか?母が気にするので。」私はその時も深く考えなかった。夫の実家に夫の名前で届く、それだけのことだと思った。以来20年、240回、一度も欠かしたことはない。途中で止めなかった理由は3つある。一つ目は、浩司が畳に手をついてまで頼んできた約束だったこと。二つ目は、私が止めれば悪者になると分かっていたこと。そして三つ目は、一度訪ねて二度と聞けなくなったことだ。
18年前、私は一度だけ何に使われているのかを聞いた。「母さんを疑うのか?」浩司はそれだけで顔色を変えた。よしえに電話で聞いた時はもっと早かった。「大人気ないこと言わないでちょうだい。」そう言って切られた。それからは聞けなくなった。
北原の家で私が受けてきたことは3つに集約できる。名前を呼ばれないこと、行事の写真の輪に入れられないこと、料理を並べ終えたら台所に立たされること。写真のことはいつも同じだった。法事でも正月でも、座敷にカメラを据えると、よしえが手を振る。「あんたは撮る側でいいから。」そう言って私にシャッターを押させる。北原の家のアルバムに私が映っている1枚はない。27年で1枚もないというのは、偶然ではありえない。正月のことも覚えている。座敷にいたのは身内だけだった。よしえとマリ子と浩司。私が品目の盆を運び終えると、よしえで台所を指した。「あんた、あそこで食べてちょうだい。」私は流しの前に立ったまま里芋を1つつまんだ。座敷からマリ子の声が飛んでくる。「立ってる方が片付けも早いでしょ。」浩司は笑っていた。母と姉が笑うから、一緒に笑っていた。後で玄関で私が黙っていると、上着を着ながらこう言った。「怒るなよ。あの人たち悪気はないんだから。」悪気がない。その言葉をこの27年で何度聞いただろう。悪気がないなら、なぜ私の分の箸だけが出てこないのか。浩司はその答えを一度もくれなかった。
一度だけ、マリ子に言われたことがある。「あんた、うちの弟に拾ってもらったんだから、それくらい我慢しなさいよ。」拾ってもらった。27年前、私は自分の足で北原の家の敷居をまたいだつもりでいた。そう思っていたのはどうやら私だけだったらしい。「あんた、ちょっとよその人。」27年、この家で私はそう呼ばれてきた。ファイルの一番上の一枚は20年で少し黄ばんだだけだった。浩司の字はまだはっきり読めた。
20年目の夏だった。8月7日、お盆の1週間前によしえから電話が来た。「今年もよろしくね。」そう言った後、要件が続いた。寿司は特上を3人前とジを2人前、刺身の盛り合わせを1つ。天ぷらは私があげること。人数は5人。それから手土産の指定があった。「去年のあれ、安いのが分かるからやめてちょうだいね。」デパートの地下で1箱4000円の菓子を選んだつもりだった。私は返事だけして手帳に書いた。「お母さん、寿司は何時にお届けにしましょうか?」「そんなのあんたが決めてちょうだい。私は忙しいんだから。」よしえが一日をどう過ごすかなら知っている。朝の連続ドラマを見て庭に水をやって昼寝をする。この人は「忙しい」という言葉の中身を一度も説明しない。30分後、マリ子から電話が来た。「私は準備できないから、あんた前の日に来て。」マリ子はスーパーのレジで週3日だけ働いている。前の日も後ろの日も休みだと知っていた。「前の日は仕事なんです。当日の朝早く出ますから。」「まあ、他人には他人の都合があるんでしょうけどね。」電話は先に切られた。
お盆と正月の食事代と手土産は20年、毎回私が包んできた。1回で4万円、年に2回で8万円、20年で160万円。マリ子が包んだところは一度も見ていない。こういう数字が頭に残るのは職業のせいだ。3年前のことも数字として残っている。よしえから電話があった。声の調子がいつもと違った。低くて早口だった。「あんた、まとまったお金がいるの。浩司に言っておいてちょうだい。事情は聞かないで。」「いくらでしょうか?」「280万。」私は受話器を握ったまま黙った。私の手取りの7ヶ月分に近い。何に使うのかと聞こうとした時、横から浩司が受話器を取った。「母さん、わかった。用意する。」そして、受話器を手で覆って私に言った。「母さんは事情は言えないって言ってるんだから、黙って出してやれよ。」私は翌日よしえの口座へ振り込んだ。この時も浩司は名義は自分にしてくれと言った。私は窓口で依頼人の欄に夫の名前を書いた。次に訪れた時、風呂と台所が新しくなっていた。新しい蛇口が銀色に光って、床のタイルが張り替えられていた。誰も何も言わなかった。よしえもマリ子も浩司も、そこが新しくなったことに触れなかった。私も聞かなかった。聞けばまた同じことを言われるからだ。「他人が、あの家で私の質問はいつもその一言で終わる。金を出すことに理由は要らないのに、理由を聞くことだけには資格が要った。
振り込む前の週に、工務店から書類が一通うちに届いていた。宛名は私だった。差出人に心当たりがなく、封も切らずに置いたままにしていた。思い出して開けたのは振り込んだ後だ。合計欄だけを見た。280万円。振り込んだ額と1円も違わない。数字があったので、そのままファイルに閉じた。伝票は会っていれば中まで読まない。それが32年の癖だ。
よしえには口癖がある。「あの子は苦労してるんだから。」あの子というのはマリ子のことだ。浩司の2つ上の姉で58歳になる。12年前に離婚して息子の信吾を連れて実家へ戻ってきた。話がその言葉に着地すると、その後は必ず金の話になる。信吾の学費、車の税金、屋根の雨。5年前の春も電話はマリ子からだった。「信吾の入学金、ちょっと足りないのよ。いくらか出してもらえない?」いくらかというのが240万円だった。祝いではない、納付金の不足分だ。私立の薬科大は6年制で初年度に収める額が大きい。私は振り込んだ。信吾は悪い子ではない。合格を知らせる電話をくれたのも、あの子だけだった。「おばさん、ありがとう。」それから5年、その口からその話は一度も出ない。誰かが出させないようにしているのだと思っていた。
8月10日の夜、私は家計簿の予定欄にペンを走らせた。20年で私の給料は上がった。係長から課長になって手取りは月42万円になった。それなのに私の名前の預金は20年でほとんど増えていない。上がった分はその都度、義実家の急な出費に先回りされていた。賞与も同じだ。二人の暮らしと車の維持と義実家の臨時で、毎回綺麗に亡くなった。よしえの入院と手術で180万円。信吾の大学入学の時の不足分で240万円。お盆と正月の食事代と手土産で160万円。そして風呂と台所で280万円。老後の積み立ての欄には、54歳の女が書くにはあまりに少ない数字が並んでいた。旅行は20年行っていない。車は14年乗っている。定年まで6年。同い年くらいの人たちは昼休みになると退職後の資金の話を笑いながらしていた。私はその輪に入らなかった。話せる数字を持っていなかったからだ。あの家の水回りは新しくなっていった。私の老後の欄だけが20年、開いたままだった。
8月12日の夜、電話が鳴った。戸田かず子さんだった。かず子さんは義父の妹で72歳になる。義父が亡くなってから、この方、北原の親戚で私を名前で呼ぶ人はこの人だけになった。「エミさん、お盆、うちにも寄ってちょうだいね。」私の名前を呼ぶ声が耳の中でゆっくりと溶けていった。20年、私はこの声を頼りに帰省していたのかもしれない。「兄さんはね」かず子さんが続けた。「亡くなる前に私に言ったのよ。エミさんが困ったら相談に乗ってやってくれって。」電話の向こうで、かず子さんの夫の三郎さんが低い声で相槌を打った。「そうだ。」その一言だけだった。三郎さんは75歳で、昔から口数の少ない人だ。「どうして今まで教えてくださらなかったんですか?」私が聞くと、かず子さんはしばらく黙った。息を吸う音が耳に入った。「何度も言おうとしたのよ。でもね、私が口を出すとあなたの立場が悪くなると思って。」かず子さんは知っていたのだ。私が座敷に座らせてもらえないことも、写真の輪から外されることも、20年見ていて黙っていた。「ごめんなさいね。黙ってる方があなたのためだと思っていたの。」「そんなことは。」「それでね、エミさん。本当は今年のお盆は、やめておきなさいって言いたくて電話したの。」「何かあったんですか?」「よしえさんがね、親戚の電話でこう言ってるのよ。うちの嫁は気が利かないの、って。」私は湯飲みに手を伸ばして、そのまま止めた。「それだけじゃないの。子供も産めないしね、って。私、そこで電話を切ったのよ。」耳が熱くなった。27年私が一度も口にしなかったことだ。それをあの人は電話口で親戚に配って歩いていた。「かず子さん、ありがとうございます。でも、行きます。どうして行かないと、それも私のせいになりますから。」かず子さんは何か言いかけてやめた。
翌日、会社の休憩室で総務課の桜井さんに給与の話をした。桜井さんは48歳で私より6つ下だ。仕送りの額を口にすると、彼女は茶碗を持つ手を止めた。「毎月20万って、エミさんのお給料から丸ごと20万ってことでしょ?」「丸ごとね。20年。」桜井さんはしばらく私の顔を見ていた。それから眉を寄せた。「エミさん、それご主人のお母さんですよね。ご主人は出してないんですか?」「うちの人は家のローンを」「うち、去年ローン控除が切れて手取りが減っちゃって。エミさんちはもうとっくに終わってますよね。」言われて私は黙った。うちのローンは10年前に終わっている。払い終えた時に、うちのマンションを借金の抵当に入れていた登記を消す書類は私が法務局へ持っていった。知らなかったはずがない。知っていて、私はその10年、うちにはローンがあるからと自分に言い聞かせてきた。仕送りを続ける理由がとうになくなっていたことに気づかないふりをしていたのだ。「エミさん、その20万、いつまで送るって決めてあるんですか?」「決めてないの。」「じゃあ、死ぬまでですね。」桜井さんは悪気なく言った。悪気がないというのは、こういう時にこそ怖い言葉だと思う。桜井さんは急に明るい声を出した。「来年、温泉行きましょうよ。エミさん旅行何年行ってないんですか?」即答できなかった。数えてみて、20年より前だと分かった。
その夜、弟の秀樹から短い連絡が来た。51歳になる弟は、昔から回りくどい言い方をしない。「姉ちゃん、それいつまで続けるの?」私は返事を書きかけて消した。20年前、秀樹は一度だけ止めようとしたことがある。「20万は多すぎる。姉ちゃんの給料だぞ。」あの時私は弟にこう言った。「浩司さんの立場もあるから、余計なことは言わないで。」あの時秀樹は電話口で黙って、それから一言だけ言った。「姉ちゃんがそう言うなら、もう言わない。」弟はそれから20年、本当に一度も言わなかった。私は20年ぶりのその一言を3度読み返した。弟を黙らせたのは弟ではない。私だ。かず子さんに名前を呼ばれるだけでこんなに息がしやすくなるのだと知った。その電話から2日後、私は名前どころか席まで失うことになる。
8月14日、お盆の真ん中の日だった。朝の7時に家を出て、電車を乗り継いで2時間。義実家の最寄り駅からはバスに乗る。両手には指定された菓子折りと仏壇に備える花とよしえの好きな桃の箱を下げていた。浩司は前の晩から実家に泊まっていた。バスは1時間に2本しかない。20年、私はこの路線の時刻表を暗記していた。窓の外では青いままの田んぼと色あせた看板が流れていった。私が降りるバス停の名前を運転手より先に言えるようになったのはいつからだっただろう。玄関を開けると、お座敷からよしえの声が飛んできた。「遅いわよ。早く並べて。」いらっしゃい、でもない。暑かったでしょう、でもない。27年、この家の玄関で私を迎えたのはいつも要件だった。私はまず仏間へ行って花を置いてから台所へ回った。この順番も20年変えたことがない。台所に入ると、寿司桶が3つ流しの横に積まれていた。刺身の盛り合わせは冷蔵庫。天ぷらの材料は買い物袋のまま置かれている。マリ子が座敷から顔を出した。「来たんだ。天ぷら揚げといて。」「はい。」エビの背を取って、ナスを切って、かぼちゃを薄く切る。衣は氷水で解く。よしえは衣が暑いと機嫌が悪くなるので、粉は少なめにする。20年で覚えたことは、大抵この家の誰かの機嫌の取り方だった。夏の台所は火を使うと10分で汗になる。エアコンは座敷にしかない。窓を開けても風は入ってこなかった。座敷からは笑い声が聞こえていた。よしえとマリ子と浩司。それから大学6年生になった信吾の低い声。その座敷にいるのは私を入れて5人になるはずだった。笑っているのは4人だった。
揚げ物の音の合間に、座敷の話が途切れ途切れに届いた。「屋根屋さん、見積もりだけ取っておいたわよ。」マリ子の声だった。「秋になったら頼めばいいでしょ。どうせ振り込みは続くんだから。」「そうね。浩司がいるから。」よしえの声がそれに重なった。私はかぼちゃを油に落とした。じゅっという音が二人の声を消してくれた。「どうせ振り込みは続くんだから。」台所で聞いたその一言は、帰りの電車でも耳の奥に残っていた。天ぷらを揚げ終えて、寿司を桶から皿に移し替え、刺身に大根のつまを添えて座敷へ運んだ。塗りの座敷に料理が隙間なく並んでいく。仏壇には花を生け替えて桃を備えた。線香を一本立てて、義父の位牌に手を合わせた。「お父さん、今年も来ましたよ。」小声で告げた。この家で私が名前で呼ばれたのは、この人が生きていた頃までだ。「エミさん、暑いのに悪いね。」義父はいつもそう言って、台所まで麦茶を持ってきてくれた。
「もういいでしょ。座って、座って。」マリ子が手を叩いた。よしえが床の間を背にして座り、その隣にマリ子、向かいに浩司と信吾。4つの膳が綺麗に並んでいる。私は玄関脇から古い座布団を一枚取って、座敷の端に敷いて座った。それから膳の数を数えた。2度、数えた。皿も箸も湯飲みも4人分しかない。寿司は5人前ある。人数は5人だと言ったのはよしえで、注文したのも代金を包んだのも私だ。5人分を私に買わせて、膳は4つ。数が合わない時は、必ず誰かがそう合わせている。「あら、私の席は。」よしえが箸を持ったまま笑った。「家族の食卓に座らないでよ。」一瞬、意味が取れなかった。私は座敷を見て、それからよしえの顔を見た。よしえは笑っていた。冗談を言った人の笑い方ではない。当たり前のことを言った人の笑い方だった。「そうそう。あんた他人なんだから。」マリ子が大トロをつまみ上げる。醤油の小皿を引き寄せながら、こちらは見ない。27年、この人が私の目を見て話したことは数えるほどしかない。「運び終わったなら、他人は帰れば。」私は浩司を見た。夫だ。27年一緒に暮らしてきた人だ。20年前、この家の畳に手をついて、母さんを助けたいと言った人だ。浩司は寿司をつまんだまま目を上げなかった。「浩司さん。」呼ぶと、ようやくこちらを見た。そして、面倒くさそうに息を吐いた。「お母さんも姉貴も悪気ないんだからさ。」「浩司さん、私の分の箸がないんだけど。」「お前も盆くらい空気読めよ。」その時、私の中で何かが動いた。怒りではなかった。怒りはもっと前に、何度も来ては帰っていった。お盆の度に、正月の度に来て、帰りの電車で消えていった。それはもっと静かな音だった。長い間回っていた機械の電源が落ちるような音だ。マリ子が追い打ちをかけた。「嫁って結局他人だからね。親子水入らずの邪魔しないでよ。」私は膝の上で指を組んだ。声を荒げてはいけない。27年、この家で声を荒げたことは一度もない。荒げた瞬間に、悪いのはこちらになると知っていたからだ。信吾が顔を上げて何か言いかけた。「おばさん、俺の膳。」マリ子が息子を横目で睨んだ。信吾は口を閉じて視線を落とした。23歳の子に、この座敷でできることは何もない。「他人は今すぐ出ていけ。」よしえが畳を叩いた。湯飲みが小さく跳ねた。
私は座布団を外した。この20年、あの家で私が使ったのはいつも玄関脇に積んである古い座布団だった。縁の色が褪せて、綿の薄くなったものだ。座敷の周りには揃いの座布団が4枚並んでいる。数が足りないのではない。私の分は最初から数に入っていなかった。畳に手をついて頭を下げた。「わかりました。では、帰りますね。」座敷が静かになった。「え、本当に帰るの?」浩司が箸を置いた。ようやく私の顔を見た。「今日のこと、後で謝るからな。」私は立ち上がった。「他人がいたら邪魔でしょう。」よしえが何か言いかけた。マリ子が「行くなら行けば」と笑った。私は台所へ戻り、揚げ物の油を落とし、火の元を確かめ、換気扇を止めた。他人の家に火の始末を出さずにはいられない。流しには私が使ったざるとボールだけが残っていた。4人分の食器はこれから誰が洗うのだろう。20年、それを洗ってきたのが誰なのか、あの人たちはきっと考えたこともない。仏壇の前をもう一度通った。桃の箱と、生け替えたばかりの花がある。位牌に向かって心の中で言った。「行ってきます」ではなく「失礼します」だった。鞄を持って玄関へ出た。振り返らなかった。引き戸を閉めると、蝉の声が降ってきた。20年分の何かがその声の中で音もなく切れた。
バス停まで5分、1本逃せば30分待つことになるので走った。間に合うはずの時刻を過ぎてもバスは来なかった。ベンチに座って20分待った。日陰のないベンチで、私は膝の上に鞄を置いたまま座っていた。汗が背中を伝っていく。喉が乾いていた。あの家で私が飲んだのは台所の水道の水だけだった。電車に乗ると、車内は空いていた。窓際に座って鞄からスマートフォンを出した。信用金庫のアプリを開く。毎月決まった日に決まった額が私の口座から出ていく自動送金の画面だ。毎月25日、20万円、受取人、北原よしえ。20年前の8月に組んだ手続きだ。7月の分で240回になった。20万円×240回で4800万円。数字はいつでも頭の中に置いてある。4800万円。家が1件買える。私と浩司が住んでいるマンションより少し広いのが買える。私は旅行に行かなかった。新婚旅行の後、一度も飛行機に乗っていない。旅行会社の広告は開く前に閉じる癖がついた。5年前、健康診断で引っかかって精密検査を受けた。待合室で考えたのは自分の体のことではなかった。私が働けなくなったら、あの20万円はどうなるのだろう。そう考えている自分に気づいて、笑いそうになった。
4800万円という数字は私にとっては絵ではない、伝票の束だ。240枚の伝票が頭の中の棚に積んである。1枚ずつにその月の私の暮らしが張り付いている。エビの入っていない天ぷらそばを食べた月がある。靴の底を張り替えて3年履いた年がある。実家の母の葬儀に、弟の秀樹に立て替えてもらった年もある。8年前、私は思い切って口に出したことがある。「ねえ、そろそろ額を見直せないかしら?お母さん、年金も出てるでしょう?」浩司はテレビを見たまま答えた。「母さんがかわいそうだろ?」それで終わりだった。かわいそう。その言葉の前では、こちらの言い分は全部がわがままになる。電車が鉄橋を渡った。川がキラキラと光って、すぐに後ろへ流れていった。私は画面を見つめた。私は他人なんだものね。6年前、窓口に並ぶのが面倒でネットバンキングも使えるようにした。その時、窓口で自動送金の解約も画面からできることを確かめてあった。終わらせ方を先に調べておくのは私の職業病だ。20年、私は一度もその画面を開かなかった。「解除」と書かれた文字に指を置いた。確認の画面が出る。もう一度確認の画面が出る。「手続きが完了しました。」それだけだった。20年を終わらせるのに必要だったのは10秒だった。完了の画面は驚くほど素っ気なくて、私は思わず2度見た。240回。毎月25日にあの家へ渡っていた20万円は、これで8月から1円も出ない。画面を閉じて鞄に入れた。それからもう一度出して確かめた。確かに消えていた。窓の外を見た。泣くだろうと思っていた。涙は出なかった。代わりに腹の底が温かくなった。20年、私が私の給料をどうするか。私は一度も決めていなかったのだと気がついた。決めていたのはいつも誰かだった。
家に着いたのは夕方だった。シャワーを浴びてそうめんを茹でて、1人で食べた。テレビはつけなかった。静かな部屋で食器を洗うのが、久しぶりに気持ちよかった。洗い終えて食卓に座った。ふと、あの座敷の音を思い出した。「どうせ振り込みは続くんだから。」マリ子の声だ。屋根の見積もりは、私に一言もないまま取られていた。私は手帳を開いて、8月14日の欄に書いた。屋根見積もり済み、マリ子。日付を入れて線を引いた。書き終えて、自分でおかしくなった。私はもう送らないと決めた家の屋根の話をまだ記録している。27年。そうやって生きてきた癖は1日では抜けない。
浩司が帰ってきたのはその日の夜の10時過ぎだった。玄関で靴を脱ぐ音が乱暴だった。「お前、何考えてんだよ。」上着も脱がずに居間に立ったまま言った。「明日、菓子折り持って謝りに行け。」「何を謝るの?」「嫁が席を立つとか、俺の立場どうなるんだよ。」立場。この人が守るものの順番が、そこではっきりした。「私の箸がなかったのよ。」「だから悪気はないって言ってるだろ。母さんはもう年なんだ。姉貴も苦労してるんだよ。」「私は苦労してないの?」浩司が黙った。それからネクタイを緩めながら言った。「そういうこと言うから、母さんに嫌われるんだ。」私は返事をしなかった。返事をしないという返事もあるのだと、54歳で覚えた。
翌日の昼、よしえから電話が来た。私は仕事中だったので、休憩室で取った。「あんた、昨日のことだけどね。」よしえの声は思ったより落ち着いていた。「お盆の失礼を詫びにきなさい。親戚に知られたら私が困るのよ。」「失礼をしたのは、どちらでしょうか?」「口答えするようになったのね。」よしえは鼻で笑って、それから話を変えた。ここからが本題だと、声の高さで分かった。「それでね、あんた。そろそろこっちに越してきて、私の面倒を見てちょうだい。浩司も一緒にね。会社はやめればいいでしょ。」台所に立たせて座敷には上げないと言った翌日に、この人は同居の話をしている。「お母さん、私は他人ですよね。」「他人をまだ根に持ってるの?」「他人が家にいたら邪魔じゃありませんか?」よしえが息を吸う音がした。何か言い返す言葉を探している間があった。「あんた、変わったわね。」「はい、変わりました。」私はそう言って電話を切った。休憩室の窓から8月の白い空が見えた。20年、私はこの人の電話を切ったことが一度もなかった。
8月25日、よしえは毎月この日の午後、必ず銀行に行く。20年、それだけは欠かさなかった人だ。その日、私は定時で上がった。夕食の支度をしていると、浩司の携帯が鳴った。よしえだった。浩司はスリッパを引きずって台所の外の廊下へ出た。声はそこからよく聞こえた。「うん。え、入ってない?ああ、いや、大丈夫だよ、母さん。あいつが手続きしてるだけだから。金は俺の金なんだから、心配すんな。」私はざるを置いた。金は俺の金。20年、あの家に届いていた20万円は、この人の名前で届いていた。私が振り込んだ金が、この人の親になっていた。それは頭のどこかでは分かっていたことだ。分かっていたつもりで、耳で聞くとまるで違った。台所の換気扇の下で、私はしばらく動けなかった。鍋の中で味噌汁が煮立って、慌てて火を止めた。私は手を洗って手帳を出した。8月25日、午後6時40分。そして、浩司がよしえに言った言葉をそのまま書き写した。その場では何も言わなかった。言えば、この人は言い方を変えるだけだ。言い方を変えられる前に書いておく。それが私の仕事のやり方だった。
夕食の後、浩司が食卓に座り直した。「なあ、母さんへの振り込み、忘れてるぞ。」「忘れてないわよ。」私は湯飲みを置いた。「止めたのよ。」浩司の顔から表情が抜けた。「止めたって、何を?」「仕送りを。8月の分から。」「なんでだよ。」「私は他人なんでしょう。」浩司が息を吸った。私は構わず続けた。「他人の口座へ毎月20万円送る理由はないもの。」「そんな子供みたいなこと言うなよ。」浩司が食卓を叩いた。茶碗が跳ねた。「母さんの一言だろ。一言でこんなことするか。」「普通、一言じゃないわ。240回よ。」「うちの母さんが困るだろうが。年金だけで暮らせると思ってんのか?」「お母さんの年金がいくらか、あなたは知ってるの?」浩司が黙った。「私も知らないのよ。20年送っていて、一度も教えてもらったことがないの。」「20年だぞ。それだけ続けてきていきなり止めるやつがあるか?」「20年続けたのは私よ。」「同じことだろ?夫婦なんだから。」「じゃあ、あなたが送ればいいでしょ。」浩司の口が半分開いた。「あなたのお母さんなんだから。」夫は何も言わなかった。言い返す言葉を探している顔だった。私は椅子を引いて立ち、食器を流しへ運んだ。背中の後ろで浩司がまだ何か言っていたけれど、水の音で聞こえなかった。浩司は風呂にも入らずに寝室へ行った。廊下の電気を消して、私は居間に残った。
その夜、私は何度かダンボールを出した。20年分の仕送りのファイルが、4年ずつで5冊ある。表紙に年号を書いて、整理番号を振ってある。ダンボールはほこりをかぶっていた。振り込みの控え、よしえの入院の領収書、信吾の入学の時の振り込み表、帰省の度に買った菓子の領収書まで、私は捨てずに取ってあった。捨てたら、私がこの20年やってきたことがどこにも残らなくなる気がした。1冊目の初めの方のページには、若い頃の私の字が並んでいる。振り込みの日付と金額が、1件ずつ手書きで書き写してある。まだアプリもない頃だ。25日の帰りに信用金庫に寄って、通帳に1行増えたのを確かめてから帰る。そういう年月が長く続いた。そして、数字の下に私はよく短い言葉を添えていた。「今月も無事。」「お母さん、風邪を引きませんように。」読み返して、自分の若さに驚いた。1冊目の一番上に、あの一筆箋がある。20年で少し黄ばんだ紙に、浩司の几帳面な字が並んでいる。その次のページには、あの日に信用金庫で書いた自動送金の申し込み書の控えが挟んである。「母への毎月20万円はエミの給与から支出する。開始、変更、終了はエミが決める。」私は紙を戻して3年前のファイルを開いた。3年前の秋、あの時合計欄だけを見て閉じた控えがそこに綴じてある。その夜、初めて裏を返した。裏には見積書の写しがついていて、リフォームの打ち合わせが記載されていた。浴室の全面改修、給湯器の交換、台所の設備一式。合計280万円。工務店の方にも、「北原エミ様」と書いてあった。そして、発注者の欄に別の名前が入っていた。北原マリ子。私は紙を裏返して、もう一度表を見た。間違いではなかった。金を出したのは私で、注文したのはマリ子だ。私は相談されていない。見積もりを見せられてもいない。何者に頼んだのかも知らない。何に使われたのかは、風呂と台所を見た時から薄々分かっていた。分からなかったのは、誰が決めて、誰の手柄になっていたかだ。
家はよしえのものだ。だから直すお金をよしえが用意するのが本来の形だと思う。それでも頼まれれば、私は出したと思う。20年出してきたのだから、あと280万円でも出しただろう。腹が立つのは、頼まれなかったことだ。私は注文した人でも家の持ち主でもなく、ただお金を出すだけの人だった。だから理由を説明する必要もないし、相談する相手にもならない。座敷の会話も思い出した。「屋根屋さんの見積もりだけ取っておいたわよ。」「どうせ振り込みが続くんだから。」あれは初めてのことではなかったのだ。3年前も同じ順番だったに違いない。先に頼んで、後から私に回す。控えの欄外に鉛筆の走り書きがあった。工務店の担当者の字だ。「請求書の宛先は、弟さんの奥様へお送りするようにと、北原マリ子様よりご指示。」私はその一文を読み返した。弟さんの奥様。この家の外にいる人にまで、私は名前ではなくその呼び方で伝わっていた。ファイルを閉じて台所の時計を見た。夜中の1時を回っていた。寝室からは浩司のいびきが聞こえてくる。この人はその晩もぐっすり眠るのだろう。20年、そうやって眠ってきたのだから。私は5冊のファイルを積み直して、一番上に手を置いた。紙は冷たかった。
9月に入って最初の土曜日の朝、家の電話が鳴った。浩司は釣りに出ていて、家には私しかいなかった。受話器を取るといきなり声が飛び込んできた。「ちょっと、エミさん、先月のお金どうなってるの?」私は受話器を持ったまま、しばらく黙っていた。よしえだった。あの人はまだ、あれは浩司の金で、私はそれを動かすだけの係わりだと思っている。だから係わりの私に連絡してきたのだ。エミさん。27年で初めて、あの人が私の名前を呼んだ。20万円が届かなかった。その12日後に。「聞いてるの?エミさん?」2度目も名前だった。27年。「あんた、ちょっとよその人」と呼び続けた口から、こんなに滑らかに出てくるものなのか。「仕送りは終了しました。」「終了?何を言ってるの?」「8月の分から止めました。もう送りません。」よしえの声が裏返った。「嫁なのに、姑を見捨てる気?」私はゆっくり息を吐いた。「私、家族じゃないんですよね。お盆にそうおっしゃいましたよね。家族の食卓に座らないでって。他人は今すぐ出ていけって。」「あ、あれは、あれは。」よしえが言葉を探している間に、電話が誰かの手に渡った。ガサガサという音。マリ子の声になった。「あんた、いい加減にしなさいよ。」「マリ子さん、盆の冗談くらいで何むきになってんのよ。」「冗談。」私はその言葉を手帳に書いた。「20万くらい、早く振り込みなさい。母さんが困ってるでしょ。」「20万くらいですか?」「そうよ。母さんがかわいそうだと思わないの?」「マリ子さんは毎月入れてらっしゃるんですか?家に住んでらっしゃるんですよね。」「生活費よ。あんたに関係ないでしょ。」横からよしえの声が割り込んだ。「そうよ。あんたのとこ、共働きでしょ。子供もいないんだから、余ってるでしょうが。」私はもう一度手帳に書いた。「余ってる。」「マリ子さん。」「何よ。」「他人から毎月20万円もらうなんて、気持ち悪くないですか?」沈黙があった。しばらくしてマリ子が何か叫んだけれど、私は受話器を置いた。置いてから、手が震えていることに気がついた。私は台所へ行って水を1杯飲んだ。それからノートを出した。表紙に何も書いていない大学ノートだ。8月の終わりに買って、それまで手帳に控えていた文は最初のページに書き写してある。「9月6日、午前10時20分、よしえから着信。マリ子に交代。」発言の要旨。1行ずつ、日付を先に書いてから中身を書く。20年、私は伝票をそうやって綴じてきた。日付のない紙は証拠にならない。手の震えが止まるまで、私は流しの縁を掴んでいた。27年、私はこの家族に言い返したことがなかった。言い返すというのは、思っていたよりずっと体力を使うことだった。
その日から、電話は毎日のようになった。朝の7時になることもあれば、夜の11時になることもあった。私は出る時は出て、出ない時は着信の時刻だけ書いた。留守番電話にはよしえの声が残った。「エミさん、私が悪かったから。」「エミさん、もう年寄りをいじめないでちょうだい。」「エミさん。エミさん。」一度も呼ばれなかった名前が、留守番電話が入るたびに繰り返された。浩司は最初のうち「出てやれよ」と言っていたが、そのうち何も言わなくなった。会社から帰る時間が遅くなり、日曜も家にいない日が増えた。一回言っているのだと分かっていた。一体何をしているのかは聞かなかった。聞いても本当のことは帰ってこない。留守番電話の最後の方は声が変わった。「エミさん、あんた、私が死んだら化けて出るからね。」私はその一言だけ、日付を付けてノートに書き写した。
9月の半ばから、私は月に1度、病院を取るようになった。「エミさん、病院ですか?」桜井さんが心配そうに聞いてきた。「そんなところよ。」そう言って笑った。会社の誰にも本当のことは言わなかった。浩司にも言っていない有給の残りを数えた。必要な分は足りていた。病院の日はいつもより荷物が重かった。鞄には、その月に必要な分のファイルの写しを入れていく。何をしていたのかは、まだ誰にも言っていない。家は必ず先回りされる。20年、私は先回りされ続けてきた。今度は私が先に立つ番だった。
9月19日の夜、かず子さんから電話が来た。「エミさん、あのね、言いにくいんだけど。」「何でしょう?」「よしえさんがね、親戚に電話をかけて回ってるのよ。嫁がお金を止めた。私は見捨てられた、って。」「そうですか。」「それとね、3年前のお風呂の話、あれ浩司が直してくれたって、みんなに言ってるのよ。」私は受話器を握り直した。「浩司は親孝行だからって。深沢さんのところでもそう言ってたって。」深沢という苗字を聞いて、私は座り直した。深沢達夫さんは義父の従弟に当たる人だ。73歳になる。集まりではいつもまとめ役をしている。「かず子さん、それ、私が出したお金です。」「え?280万?」「宛名は私でした。」電話の向こうが静かになった。「エミさん、あなた、そうやって。」かず子さんはそこで言葉を切って、それから低い声で続けた。「私、何も知らないで生きてきたのね。」「かず子さんのせいではありません。」「でもね、エミさん、私は兄さんに頼まれてたのよ。相談に乗ってやってくれ、って。20年、私は何もしなかった。」受話器の向こうで鼻をすする音がした。「今からでも遅くないかしら?」「遅くありません。」私はそう答えた。答えながら、自分の声が思ったより落ち着いていることに驚いていた。電話を切ってから、私は自分の家の居間で義父の顔を思い出していた。うちには仏壇がない。「エミさん、暑いのに悪いね。」20年前のあの夏、浩司が畳に手をついた時、あの人はもう亡くなっていた。もし生きていたら、浩司はあんな風に頼めただろうか。そういえば、と思った。あの夜の浩司は妙に急いでいた。49日の膳が下げられて、まだ1時間も経っていなかった。なぜあんなに急いでいたのだろう。
9月25日が過ぎた。2度目の25日だ。8月に続いて、20万円は義実家の口座に入らなかった。同じ週に、信吾の大学から後期の授業料の納付書が届いた。私立の薬科大は6年制で、1年に納める額は200万円ほど。そのうち120万円は毎月の20万円が払ってきた。残りは信吾の奨学金とマリ子が出す分だったらしい。前期の分は春までに納めてある。用意できなくなったのは、後期のうち仕送りが受け持っていた60万円だ。そこから先の話は、後でかず子さんから聞いた。よしえが毎日のように電話で愚痴をこぼしていたからだという。よしえがマリ子に言った。「あんた、今月から自分の食費くらい入れなさい。」マリ子が言い返した。「なんで私が。」よしえの声が高くなった。「なんでって、あんた。」「母さん、私パートで8万しかないのよ。信吾の分だってあるのに。」よしえが言い返した。「その信吾の授業料が払えないって言ってるの。」マリ子が声を張った。「じゃあ屋根はどうするのよ?見積もりも取ってあるのよ。」「マリ子、屋根どころじゃないでしょ。」親子の言い合いは、その日から毎日続いた。外食が消えた。月に1度行っていた温泉が消えた。よしえが毎年頼んでいたおせちも、その年は取らないことになった。マリ子のカードの引き落としは、口座の残高が足りずに一度戻った。引き落としが戻った日、マリ子は台所でよしえに食ってかかったという。「母さん、なんとかしてよ。私、恥ずかしくて店に行けないじゃない。」よしえも声を荒げたという。「なんとかって、どうしろって言うの?浩司に電話しなさいよ。息子でしょ。」マリ子は信吾にこう言ったという。「おばさんが意地悪してお金を止めたのよ。」「意地悪って、何かあったの?」「あの人、最初からうちを見下してたのよ。自分だけいい会社に務めてるからって。」信吾はそれ以上何も言わなかったそうだ。私はその話を聞いて、お盆の座敷を思い出した。「おばさん、俺の膳。」あの子はそう言いかけて、マリ子に睨まれて口を閉じた。あの子はきっと、あの時止められたことを覚えている。
9月が終わる頃、浩司が一度だけ自分で送ろうとした。火曜の夜、電卓を叩いている背中を見た。管理費と修繕積立金。家を持っているだけで毎年かかる固定資産税の積み立て。車の保険と駐車場代、生命保険、付き合いの飲み代、ゴルフの会費、それから小遣い。小遣いの欄には15万と書いてあった。20年、この人の小遣いだけは一度も減らなかった。浩司の手取りは月に38万円ある。そこから住まいにかかる分と車と付き合いを引いて、小遣いの15万を別にすると、残りは10万円を切った。「なあ。」浩司がこちらを見ずに言った。「10万でいいか?母さんに。」「私に聞かないで。」「20万は無理なんだよ、俺の給料じゃ。」そこで浩司は口をつぐんだ。自分が何を言ったのか、遅れて分かったらしい。20年、この人はよしえの前であれは自分の金だという顔をし続けてきた。その20万円という限度も、自分の給料からは出せなかったのだ。私は洗い物を続けた。背中で電卓を叩く音がした。その10万円が振り込まれることは、結局なかった。翌朝、浩司は何事もなかったような顔で会社へ出ていった。玄関で靴べらを使いながら、こちらを見ずに言った。「今度の休みに母さんのとこ行くから、お前も来いよ。」「行きません。」「なんでだよ。」「他人ですから。」扉が閉まる音が、いつもより大きかった。
10月に入って最初の日曜日、私は電車に乗った。戸田の家は、うちから2駅の距離にある。かず子さんと三郎さんが2人で住んでいる古い平屋だ。私は5冊のファイルを紙袋に入れて持っていった。「エミさん、そんな重い物を。」「見ていただきたいんです。」座敷の上に5冊を並べた。4年ずつ、古いものから順に。どの冊も、仕送りの控えとその4年の臨時の支出が綴じてある。よしえの入院と手術の領収書、信吾の入学の時の振り込み表、帰省の度の領収書。そして3年前の工務店の控え。一番上には20年前の一筆箋を置いた。紙の縁だけが茶色く焼けている。字はまだはっきり読めた。かず子さんは老眼鏡をかけて、1枚ずつ見ていった。三郎さんも隣で覗き込んでいる。途中でかず子さんの手が止まった。「280万だけじゃないのね。これ、20年分丸ごと、あなたのお金だったの。」「はい。浩司じゃなくて、私の給料からは1円も出ていません。」かず子さんは老眼鏡を外した。目の縁が赤くなっていた。「私、あなたが台所に立たされているのは知ってたのよ。写真のことも知ってた。ひどいなと思って見てた。でもね。」指がファイルの背をなぞった。「お風呂のお金は、この間あなたから聞いたわ。でも、毎月の分までとは思わなかった。20年よ。額も長さも、私、何も見ていなかったのね。」「言いませんでしたから。」「よしえさんはみんなの前で言ってたのよ。浩司がちゃんと送ってくれてる、って。20年ずっと、そう言ってた。」三郎さんが低い声を出した。「20年か。」それだけだった。それから三郎さんは湯飲みに茶を継ぎ足してくれた。
かず子さんが教えてくれたことは、他にもあった。よしえは親戚の集まりの度に、新しい話をしていたそうだ。「盆と正月の手土産を持ってくるのも浩司。入院の時に付き添ってくれたのも浩司。信吾の入学祝を包んでくれたのも浩司。」入院の時、朝と晩に病室へ通ったのは私だ。有給を3日潰した。入学の時の240万円も、祝いではなく納付金の不足分で、私の口座から出ている。「深沢さんなんか、浩司はいい息子だって、去年の法事でみんなの前で褒めてたわよ。」私は湯飲みを両手で包んだ。茶はもうぬるくなっていた。私が出した金が浩司の親に変わっていたことは、8月、廊下で聞いて知った。風呂の話が配られていることも、9月にかず子さんから聞いた。知らなかったのは、配られていたのがそれだけではなかったことだ。付き添いも入学の金も手土産も、全部あの人の手柄になっていた。北原の家のアルバムに私が一枚も映っていないのと。これは同じことなのだと思った。私はこの家の記録から丁寧に消されていたのだ。「かず子さん。お母さんは、本当に知らないんでしょうか?」かず子さんはファイルではなく、私の顔をじっと見た。「エミさん。よしえさんの方は、息子が送っていると本気で思い込んでいるのかもしれないわよ。」
10月の2度目の木曜日だった。昼休みが終わって経理課の自席に戻ったところで、内線が鳴った。総務課の桜井さんだった。「エミさん、受付にお客様です。北原マリ子さんという方。」椅子から立ち上がるまでに2秒かかった。「すぐ行きます。」エレベーターで1階に降りると、マリ子はロビーの真ん中に立っていた。夏に見た時と同じ、派手な柄のブラウスを着ている。周りの受付の女性たちがチラチラとこちらを見ていた。「マリ子さん、ここは会社です。」「あんたが電話に出ないからでしょ。」マリ子の声はロビーによく響いた。「家族を」「私はマリ子の前まで歩いて、正面に立った。「誰の家族ですか?」「は?何言ってるの?」「どなたの家族のことかと、伺っています。」マリ子の顔が赤くなった。「私たちに決まってるでしょ。母さんも浩司も私も。」「私は他人なんですよね。お盆にマリ子さんがおっしゃいました。嫁って結局他人だからね、って。運び終わったなら、他人は帰れば、とも。」「あ、あれは、言葉のあやよ。言葉のあや。」私はその言葉を繰り返した。「27年、私はその言葉のあやで台所に立ってきました。言葉のあやで写真の輪から外されて、言葉のあやで名前を呼ばれませんでした。」マリ子の目が泳いだ。「そんな昔のこと、いちいち。」「昔ではありません。今年のお盆です。」マリ子が一歩前に出た。私は下がらなかった。「都合のいい時だけ家族に戻さないでください。」そこで桜井さんが割って入った。「お客様、こちらでのお話はご遠慮いただけますか?会議室にご案内しますが。」「会議室?そんなの結構よ。」マリ子は声を張った。「皆さん、聞いてください。この人、79歳の姑の生活費を止めたんですよ。血も涙もないでしょ。」私はマリ子の目を見たまま動かなかった。桜井さんが受付の内線に手を伸ばすのが視界の端に入った。マリ子は会議室には入らなかった。捨て台詞を2つ残して、自動ドアの外へ出ていった。「恥かせて、それで気が済むの?」「あんた、それで人間として恥ずかしくないの?」自動ドアが閉まって、ロビーが静かになった。桜井さんが私の腕をそっと抑えた。「大丈夫ですか?」「大丈夫。」私は息を整えた。膝の裏に力が入っていたことに、その時初めて気づいた。27年、この人たちの前で足に力を入れたことはなかった。「あの、エミさん。私、さっきのやり取り全部聞いてました。何かあったら、証人になりますから。」私は桜井さんの顔を見た。48歳の、いつも仕事の早い人だ。「ありがとう。」言葉が短くなった。長く話すと、こらえているものが出てしまいそうだった。窓の外を見た。マリ子は駅とは反対の方向へ歩いていく。私は目でその背中を追った。その先には、歩いて15分ほどの浩司の会社があった。
同じ頃、よしえの方も動いていた。親戚中に電話をかけて回っていたと、後でかず子さんから聞いた。9月に聞いた時と同じ相手に、同じ話をもっと大きくして配っていた。嫁に捨てられた。20年尽くしてきたのに、恩を仇で返された。浩司がかわいそうで見ていられない。私が20年出してきた金の話は、一度も出てこない。金の出所は浩司のままで、被害者だけが入れ替わっていた。かず子さんは電話口で怒っていた。「エミさん、私、言ってやろうかしら。あれは全部あなたのお金だ、って。」「まだ言わないでください。」「どうしてよ。」「言えば、お母さんは話を作り替えます。作り替えられない場所で、言いたいんです。」かず子さんはしばらく黙って、それから「分かったわ」と言った。
10月の中旬、深沢達夫さんからうちの固定電話に一度だけかかってきた。「奥さん、親戚の手前もあるでな。お母さんの顔を立ててやってはくれんかね。」73歳のゆっくりした話し方だった。「深沢さん、私は何を我慢すればいいんでしょうか?」「まあ、そう言わんで。金の話は身内でやるもんだから。」身内。私はその言葉を手帳に書いた。「深沢さん、私は身内ですか?」電話の向こうで深沢さんが黙り込んだ。「そりゃあ、あんた嫁だろ。」「では、その嫁が20年でいくら出したか、お母さんから聞いていらっしゃいますか?」深沢さんは答えなかった。話をそらして、電話を切った。
浩司が家で怒鳴るようになったのは、その頃からだ。マリ子が会社に来た日の夜、浩司はいつもより早く帰ってきた。玄関から居間まで足音が大きかった。「お前、姉貴に何を言った?」「本当のことを。」「本当のことって何だよ。会社の受付で騒がれて、俺がどんな顔したと思ってんだ。」「私も受付で騒がれました。」浩司は上着を椅子に投げた。「母さんが泣いてたぞ。毎日電話してくる。俺の顔、潰すな。」顔を潰すな。私は湯飲みを置いて夫の顔を見た。8月に「立場」と言い、10月に「顔」と言う。この人が守るものには、いつも私が入っていない。「浩司さん。」「なんだよ。」「私が傷つけられたことより、自分の顔の方が大事なのね。」浩司の口が動いて止まった。反論の言葉が出てこない時、この人はいつも同じ顔をする。27年で覚えた顔だ。「そんな言い方するなよ。」それだけ言って寝室へ行った。私は居間に残って、ノートを開いた。「10月9日、午後8時15分、浩司の発言。」それから、マリ子が会社に来た日の時刻と、桜井さんが立ち合ったことも書き出した。書きながら、20年前の一筆箋のことを考えていた。34歳の私に先が見えていたわけではない。ただ、日付のない紙は証拠にならないと知っていただけだ。34歳の私が、54歳の私を助けようとしていた。そんな気がした。書き終えて、ペンを置いた。ノートはもう半分まで埋まっている。
会社を出る時、桜井さんが言った言葉を思い出した。「エミさん、あの人たち、あなたが本気だって、まだ思ってないですよ。」その通りだった。あの人たちはまだ、私が折れるのを待っている。20年折れ続けた女が、21年目に折れないはずがないと思っている。その思い込みは、あと1ヶ月ほど続くことになる。
10月の25日にも、よしえには何も入らなかった。マリ子が浩司の会社へ行ったことは、その週のうちに分かった。受付で名乗って、姉だと言って応接に通されたらしい。そこでマリ子は座らずに言ったそうだ。「あんたの嫁を連れ戻しなさい。母さんが入院するわよ、と。」声が廊下まで漏れて、通りかかった部長が足を止めた。浩司は営業課長だ。上司の前で、姉に説教された。その話を私にしたのは、浩司自身だった。その週の終わり、夕食の後に湯飲みを両手で回しながら話した。「母も泣いてたよ。姉貴のやつ。」私は返事をしなかった。「あのさ、エミ。もう十分だろ。来月から戻せよ。」「戻しません。」「じゃあ、10万でいい。」「10万でいいから、ご自分で送られたら、いかがですか?」浩司は湯飲みを置いてテレビをつけた。音量が普段より大きかった。
10月19日、80のお祝いの打ち合わせがあった。よしえは79歳。数えで言えば80だから、80のお祝いをやろうと深沢さんが言い出したらしい。座敷に親戚を呼んで、祝いを取って写真を撮る。北原の家の恒例の行事だ。私のところにもよしえから電話が来た。「あんたも顔出しなさい。親戚に何と言われるか分からないんだから。」台所に立たせて座敷には上げないと言った人が、対面のために私を呼んでいる。私は行くと答えた。行かなければ、それも私のせいになる。その日、座敷にいたのは7人だった。一番奥の席によしえ、その隣にマリ子、向かいに浩司、仏壇のそばに戸田かず子さんと三郎さん。縁側を背にして深沢達夫さん。そして末席に私。信吾は卒業研究の追い込みで研究室に泊まり込んでいると聞いた。私は6人前しか取っていなかった。足りないのは私の分だけだった。義父の妹のかず子さんが、自分の折り詰めを私の前に押し出した。「エミさん、半分こしましょう。」「かず子さん、そんないいのよ。」「私、そんなに食べないから。」
深沢さんが咳払いをして進行を始めた。祝いは11月16日。出し物の数。写真屋を呼ぶかどうか。よしえは上の着物で着ていく着物の話を始めた。「せっかくの80のお祝い、着物をちゃんとしたいのよ。写真も撮ってもらってね。」写真と聞いて、私は膝の上の手を見た。11月のその日も、きっと私はカメラの後ろに立つのだろう。マリ子が横から言った。「母さん、そのお金どうするの?」「なんとかするでしょう。」マリ子が箸を置いた。「なんとかって、今月の食費も足りないのに。」深沢さんが2人を見比べた。「そんなに苦しいのかね。」よしえが眉を寄せて大きなため息をついた。それから、はっきりした声で言った。「浩司が毎月きちんと送ってくれてたのに、それを止められちゃったのよ。」座敷の話し声が止まった。そのしんとした空気に、かず子さんの声が落ちた。「よしえさん、それ、エミさんのお金でしょ?」誰も箸を動かさなかった。畳の目まで見えるような間だった。よしえがかず子さんを見た。何を言っているのか分からない、という顔だった。「よしえさん、あの20万はね、エミさんが20年、自分のお給料から出してたのよ。浩司の給料からは1円も出てないの。」「何を言ってるの、かず子さん。」「私、この目で見たの。全部の控えを。」深沢さんが身を乗り出した。「待ちなさい。じゃあ、3年前の風呂も、かず子さんが即座に答えた。「あれもエミさんのお金よ。」深沢さんがマリ子を見た。マリ子の箸が止まっていた。「マリ子ちゃん、あんた、あのリフォームは誰に頼んだんだ?」マリ子の口が動いた。そして、余計なことを言った。「浩司が払うって言うから、頼んだのよ。」かず子さんが浩司の方へ顔を向けた。「浩司がそう言ったのか。」浩司より先にマリ子が答えた。「そうよ。だって、家のことは長男が見るもんでしょ。」開き直った人は、大抵一言多い。「大体、私の買い物だって母さんが払ってくれてたんだから、文句ないでしょ。」そしてもう一言だけ足した。「それに、どのみちこの家は私のものになるんだから。誰が払ったって、同じでしょう。」
浩司が姉を見た。何を言っているんだ、という顔だった。「姉貴?何の話だよ、それ?」「知らないなら、いいのよ。」マリ子はそこから先を言わなかった。よしえが顔色を変えた。「マリ子、何よ。本当のことじゃない?」よしえの視線が浩司に移った。「浩司、まさか、あんたのお金じゃないでしょうね。」浩司が湯飲みを置いた。畳に置く音が大きかった。「夫婦なんだから、同じ金だろ。」その一言で、座敷の空気が変わった。深沢さんが箸を置いた。三郎さんが低く息を吐いた。私は膝の上で手を重ねたまま言った。「浩司さん、同じお金だとおっしゃるなら、どうして今、お母さんは驚いていらっしゃるんですか?」浩司が私を見た。口が半分開いて、そのまま止まった。よしえも何も言わなかった。ただ、それは分かったという顔ではなかった。信じたくない、という顔だった。20年、この人は息子が送っていると思い込んできたのだ。それを崩すには、かず子さんの言葉だけでは足りない。よしえはその日、最後まで「そうなのね」とは言わなかった。マリ子が急に青くなった。「じゃあ、私、20年この人にご飯食べさせてもらってたってこと?」誰も答えなかった。深沢さんが湯飲みから手を離して、長いこと黙っていた。それからぽつりと言った。「わしは去年の法事で、みんなの前で浩司を褒めたんだ。親孝行な息子だと。」誰も返事をしなかった。三郎さんが一度だけ深く頷いた。それがこの人がその日に見せた唯一の賛意だった。私は最後まで鞄から紙を一枚も出さなかった。ここではない。全員が揃う場所はあと一度ある。その時まで待つと決めた。
帰りの駅で、私は病院の日に会っている人へ電話をかけた。弁護士の西脇先生だ。「さっき座敷でマリ子が言ったことを、そのまま伝えた。義姉が言った。この家は自分のものになると。」その夜、浩司が八つ当たりに来た。「お前、姉貴を焚きつけたのか?」「私は何も言っていません。」「言わなくても同じだろうが。」私は答えなかった。答える価値のない問いというものがある。浩司が部屋を出る時、マリ子の言葉がもう一度耳の奥で鳴った。「どのみちこの家は私のものになるんだから。」マリ子はなぜ、あんなに落ち着いた声で言えたのだろう。
11月に入って2度目の日曜日。浩司が朝から居間に座っていた。テレビもつけずに、腕を組んでいる。何か言うつもりなのだと分かった。「エミ、もう意地を張るのやめろ。」「意地ではありません。」「意地だろ。母さんは80だぞ。あと何年生きると思ってんだ。」私は台所から出て、向かいに座った。「嫁なんだから、母さんの面倒くらい見るのが普通だろう。」普通。その言葉が出た時、私は立ち上がって納戸へ行った。ダンボールから5冊のファイルを出して、食卓に積んだ。背表紙の年代が下から上へ順に並んでいる。浩司がファイルを見て、それから私を見た。「なんだよ、これ?」「20年分です。」私は一番上のファイルを開いた。「毎月20万円、240回、4800万円です。」「知ってるよ。」「15年前からの、お母さんの入院と手術で180万円。信吾さんの大学入学の時の不足分が240万円。お盆と正月の食事代と手土産が、年2回で20年、160万円。風呂と台所の改修が280万円。」私は電卓を叩かなかった。数字はもう頭に入っている。20年、伝票を綴じてきた人間の頭の中には、金額が住み着いている。「仕送り以外で860万円。4800万円と足して、5660万円です。」浩司は何も言わなかった。「この20年分について、1円も請求するつもりはありません。」夫が顔を上げた。「ただ、何をしてきたかは数えました。数えるのが私の仕事なので。」浩司の顎が小さく動いた。音にはならなかった。私は鞄から封筒を出して、食卓に置いた。中身を出すと、薄桃色の用紙が広がった。離婚届だった。浩司の目が紙の右下で止まった。証人の欄には、もう2人の名前と住所と印鑑が書き込まれている。会社の桜井さんと、私の弟だ。桜井さんに印鑑まで書かせた日のことは、一生忘れないと思う。「なんだ、これ?」「そのままの意味です。」「お前、本気で言ってんのか?」「はい。」「お母さんの一言くらいで、27年を捨てるのか?」私は首を振った。「一言ではありません。27年、あなたが一度も私の味方にならなかったからです。」「味方って何だよ。俺は家族を守ってきただろう。」「守っていただいた覚えがありません。」私は座ったまま、夫の目を見た。「お盆の日、私の箸がないと分かった時、あなたは寿司をつまんでいらっしゃいましたね。あの時、箸を置いて、母さん何やってるんだ、と一言おっしゃっていれば、この紙はここにありません。」浩司の顔が赤くなった。それから白くなった。母と姉に責め立てられ続けた2ヶ月あまりが、この人の中で溜まっていたのだと思う。浩司はペンを取った。乱暴に、けれど字だけは几帳面に、名前を書いた。「書けばいいんだろ。どうせ出せやしないくせに。」11月9日のことだった。
3日後の昼休み、私は市役所へ行った。窓口の職員が用紙を確かめて、「届けを確かに受理した」という証明書を一枚出してくれた。受理証明書というそうだ。350円だった。「不備はありません。受理しました。」それだけだった。27年を終わらせるのにかかったのは、15分だった。受理証明書を鞄の内ポケットに入れて、私は会社へ戻った。午後は10月分の締めがあった。数字は合った。私は自分の手が震えていないことに驚いた。
その日の夜、西脇千絵先生に電話をした。西脇先生は49歳の弁護士だ。9月から月に1度病院を取って会いに行っていたのは、この人だ。その時鞄に入れていたのは、先生に見せるための書類の写しだった。「北原さん、10月にお電話でお聞きしたお姉さんのお話ですが。」「はい。この家は自分のものになる、と。」「お姉さんはそうおっしゃったんですね。」「そう聞こえました。」先生は少し眉を寄めた。「20年分を取り返せますとは申し上げません。そこは正直に申し上げておきます。ただ、記録がこれだけ揃っているのは大きいですよ。それより、伺いたいことがあります。ご主人は、お母さんから何か約束をされていませんか?」私は受話器を持ち直した。「約束ですか?」「20年、北原さんのお金だと分かっていながら、自分の名前で送らせたわけです。理由があるはずですよ。人は理由のないことを20年も続けません。」心当たりはなかった。ただ、20年前の夏の浩司の急ぎ方が、また頭に浮かんだ。49日の膳が下げられて、まだ1時間も経っていない夜だった。
数日後、よしえから電話が来た。「11月16日、忘れてないでしょうね。」「80のお祝いですね。」「嫁として来なさい。お盆の時みたいに、世話をしてちょうだい。」私は受話器を耳に当てたまま頷いた。よしえには見えないと分かっていて、頷いた。「はい、伺います。」電話を切ってから、なぜ呼ばれたのかを考えた。答えはすぐに出た。20万円を再開させるには、親戚の前で私を嫁の座に戻しておく必要があるのだ。あの人にとって、私は嫁でなければ財布にならない。私は行くと決めた。全員が揃う場所は、その日しかないからだ。座敷にはよしえもマリ子も浩司もいる。かず子さんも三郎さんも、深沢さんもいる。20年、金の出所は作り替えられ続けてきた。作り替えられない場所で、その話を終わらせたかった。
その夜、かず子さんに電話をかけた。「かず子さん、16日、唇だけ切っていただけませんか?」「あの一番上に置いてあった一筆箋を出すのね。」「はい。あれを出せば、話は終わりますから。」かず子さんは何も聞かなかった。「分かった。じゃあ、私、唇を切るわね。」離婚届が受理されたことは言わなかった。あの夜、離婚届に名前を書いていく浩司の手を思い出した。20年前、同じ手が同じ几帳面な字であの一筆箋を書いたのだ。同じ字なのに、まるで違って見えた。
11月16日、北原の家の座敷は朝から人が入っていた。祝いの折りが並び、花の間に花がある。よしえは紫の無地の着物に白い羽織を重ね、先月、袖を通して直したのだと深沢さんに話していた。袖の直しは、安く見ても5万はする。出し物の費用は親戚の会費で賄うと聞いたが、着物の金がどこから出たのかは誰も聞かなかった。一番奥の席によしえ、その隣にマリ子、マリ子の隣に信吾が窮屈に座っている。向かいに浩司、仏壇のそばに戸田かず子さんと三郎さん。縁側を背にして深沢達夫さん。その後ろには、近くに住む北原の親戚が10人ほど2列に並んでいた。そして末席に私。3度目の座敷でも、私の膳だけがなかった。4日前の11月12日に離婚届が受理されたことは、この座敷の誰も知らない。夫婦で築いた財産をどう分けるか。財産分与の話がまとまるまで、私と浩司は同じ家で寝室だけを分けて暮らしていた。マリ子には前の日から手伝いに来いと言われたが、断った。当日の朝、台所には前の晩の食器が積んであった。私はそれを洗ってから、座敷に上がった。「あんた、酌して回ってちょうだい。」よしえが徳利を顎で指した。「嫁なんだから、酌くらいはできるでしょう。」27年「他人」と呼んだ口が、その日は「嫁」と言った。何人かが目を伏せた。私は徳利を持って、立ち上がった。「お母さん、すみません。私は日本酒の銘柄に詳しくないので、どれを注げばよろしいでしょうか。」座敷が一瞬止まった。よしえの顔が不機嫌に歪む。すると、かず子さんが立ち上がった。「よしえさん、今日はね、私は酌取りでいいわ。エミさんは、今日、話があるって言ってたから。」私はかず子さんを見た。頷いた。私は座敷の端に座り直して、鞄からノートを出した。「お母さん、8月25日のことは、覚えていらっしゃいますか?」「何の話よ?」「20万円が振り込まれなかった日です。あの日、お母さんは浩司さんに電話をなさいました。」私はノートを開いて、日付を読み上げた。「8月25日、午後6時40分。浩司さんはこうおっしゃいました。『あいつが手続きしてるだけだから。金は俺の金なんだから、心配すんな。』」浩司の顔が動いた。「なんでお前がそれを」「廊下で話していらっしゃいましたから。」私はノートを閉じ、鞄の封筒から一枚の一筆箋を取り出した。黄ばんだ紙だ。それを座敷に置いた。「これは20年前にご主人が書いたものです。」よしえが老眼鏡をかけた。目が紙の上を2度往復した。「母への毎月20万円はエミの給与から支出する。開始、変更、終了はエミが決める。」日付と署名と印鑑がしてある。座敷が静まり返った。深沢さんが身を乗り出した。「これは、浩司の字か。」「俺の字だ。」浩司が短く答えた。よしえの手が震え始めた。老眼鏡を外し、またかけて、もう一度紙を見た。「先月からずっと、そんなはずはないと思ってきたのよ。」その声に、20年分の重さがあった。「20年?私は嫁の金で暮らしていたっていうの。」浩司が畳を叩いた。「だから、同じ金だって言ってるだろ。夫婦なんだから、俺の金でもあるんだよ。」私は封筒からもう一枚出した。信用金庫の申し込み書の控えだった。20年前の日付が入っている。毎月決まった日に決まった額を送る手続きの用紙だ。受け取る人の欄には、よしえの名前がある。そして、相手の通帳に記載される振込依頼人の欄には、こう書いてあった。浩司の字ではない、窓口の人が代筆した字だった。北原浩司。私はそのを指で示した。「浩司さん、同じお金なら、どうして20年、依頼人だけはあなたの名前だったんですか?」浩司が口を開いた。何も出てこなかった。「私は27年、この家で名前を呼ばれませんでした。この20年は、通帳の上からも消されていたんです。」よしえが浩司を見た。息子を見る目ではなかった。「浩司。先月、あんた夫婦の金だって言い張ったわね。この紙は何なの?」「嘘じゃない。俺は」「私、あんたに感謝してきたの。親戚みんなに、うちの息子はできた子だって言って回ったのよ。あんた、先月も今日も、違うとは言わなかった。母さんが喜ぶから、私に恥をかかせたってことじゃないの。」よしえの声が高くなった。息子を責める声だった。この人の怒りが、逃げ場のない形で私以外に向いたのは、それが初めてだった。深沢さんが目を閉じた。
その時、マリ子が笑った。間の抜けた高い笑い声だった。座敷の全員がマリ子を見た。「何よ、みんな。そんな大げさな顔しちゃって。」マリ子は箸を置いて胸を張った。誇るものが自分にはある、という顔だ。「お金を出したのが誰だって、関係ないでしょ。だから何よ。」そして言った。「この家は私がもらうって、5年前に母さんが決めたじゃない。役所じゃなくて、公証人役場ってところでね、正式な遺言書にしてもらったのよ。専門の人に作ってもらう遺言だから、後から誰も文句のつけようがないの。」座敷が凍った。よしえが真っ青になって、娘の腕を掴んだ。「マリ子、何よ。」「だって、本当のことでしょう。」浩司の顔から血の気が引いていくのが分かった。上から下へ水が引くように、色が抜けた。「母さん。」浩司の声は掠れていた。「今の、どういうことだよ。先月、姉貴が同じことを言った時、俺は聞き流したんだ。母さん、まさか、本当なのか?」よしえは答えなかった。「母さん、俺は長男なんだぞ。」「浩司、あのね。」「5年前って、いつだよ。俺は聞いてないぞ。」よしえは目をそらした。マリ子が代わりに答えた。「5年前の秋よ。私、車で送っていったもの。中には入れてもらえなかったけど、外で1時間待ったわ。」浩司が畳に手をついた。20年前と同じ姿勢だった。あの時は頭を下げるためで、その日は体を支えるためだった。かず子さんが小さく息を吐いた。三郎さんは腕を組んだまま天井の一点を見ている。深沢さんは湯飲みに手を伸ばして、はたと気づいて戻した。「俺は。」浩司の声が震えていた。「俺は、この家を継ぐつもりで20年やってきたんだぞ。」浩司は顔を上げなかった。「母さんに、長男は俺だって思ってて欲しかったんだよ。それだけなんだよ。」私はその背中を見ていた。20年前の夏、49日の膳が下げられて1時間も経たないうちに、この人はなぜあんなに急いでいたのか。答えはそこにあった。急いでいたのは、姉に先を越されないためだ。親の財布が姉の方を向いているのは、この人が一番近くで見ていた。「浩司さん。」私は低い声で呼んだ。「そのお金は、あなたのものじゃなかったですけどね。」浩司は答えなかった。20年かけて買っていたつもりのものは、よしえの気持ち一つでいつでも消せるものだった。
その時、マリ子の隣で信吾が膝を立てた。そのまま立ち上がる。23歳の若い体が、座ったままよしえを見下ろす形になった。「おばあちゃん、俺の授業料も、その20万から出てたってこと?」マリ子が息子の袖を引いた。信吾はその手を振り払った。よしえは湯飲みに目を落としたままだった。信吾は立ったまま、居場所をなくした。誰も身じろぎしなかった。浩司はようやく畳から手を離して、膝の上に戻した。マリ子は口を尖らせて、信吾は立ったままでいる。よしえは一番奥の席で着物の膝をきゅっと握っていた。私はよしえの方へ体を向けた。「お母さん、1つだけ伺ってもいいですか?」「何なの?」「私に名前で呼ばれたくなかったんですね。」よしえの肩が跳ねた。「何を言い出すの?」「27年です。お母さんが私を名前で呼ぶようになったのは、8月に20万円が届かなかった。その12日後からでした。」「そんなの、たまたまよ。」よしえが湯飲みに手を伸ばして、そのまま止めた。「その前は、27年一度もありません。お母さんは、私の名前をご存知でしたよね。」「知ってるに決まってるでしょう。」「たまたま、27年ですか?」よしえの顔が赤くなった。よしえの怒りは、火がつくまでに時間がかかった分、一度溢れると止まらなかった。「そうよ。」よしえが声を張り上げた。「あんたに家族扱いされるのが、嫌だったのよ。」誰も口を開かなかった。「子供も産めない嫁が、いつまでも息子にくっついているからいけないのよ。」私は膝の上で手を重ねたまま動かなかった。27年、待っていた言葉だ。「よしえさん。」かず子さんが低い声を出した。よしえは止まらなかった。「浩司はね、いずれこの家に帰ってくるのよ。私はずっとそう思ってきたの。あんたが愛想をつかせば、あの子は帰ってくるんだから。」深沢さんが眉を上げた。「よしえさん。」「それじゃあ、あんた。」「そうよ。だから家族にしなかったのよ。あんたにこの家に居場所があると思わせたくなかったの。名前を呼ばなかったのも、写真の輪から外したのも、食卓に座らせなかったのも、そのためだった。」私がこの家に根を張らないようにしていたのだ。「でも、お金はいるのよ。」よしえが開き直った。「嫁の勤めでしょう。勤めなんだから、感謝する必要もないの。」他人だと言いながら、勤めだと言って縛る。私はよしえの目を見た。「お母さん、その、帰って来るはずの息子さんの家は、なぜ5年前に娘さんへ渡すと書き残したんですか?」よしえが黙った。答えは帰ってこなかった。めちゃくちゃな理屈だ。それでも、私は20年それに従ってきた。「お母さん、その20万円は、何に使われていたんですか?」よしえは湯飲みの縁を指でなぞっていた。マリ子が「もういいでしょう」と言った。「言ってください。20年です。」よしえが息を吐いて、諦めたように話し始めた。「最初の8年。義父が亡くなってからマリ子が実家へ戻るまでの8年だ。96回は、指を折りながら言った。私の暮らしに10万。残りの10万はマリ子に。」「マリ子さんに。」私はその名前を繰り返した。よしえは畳に目を落としたまま、先を続けた。「あの子ね、結婚した先でカードを何枚も作って、買い物を重ねてたのよ。借りたお金そのものは、最初は400万くらいだったの。でも、返しているそばからまたカードを使って、別のところからも借りて。結局、8年近く毎月10万円を渡し続けたのよ。」マリ子が顔を伏せた。信吾が母親の方を向いた。「母さん、そのカードって、どういうこと?」マリ子が横を向いた。「うるさいわね。昔の話でしょ。」よしえが話を引き取った。「主人が生きてるうちは、工場を畳んだ時に残ったわずかな金で埋めてたの。それがあの人、亡くなる前の年に尽きたのよ。」義父が亡くなった年に、仕送りが必要になった理由はそれだった。よしえの暮らしだけではなかったのだ。20年前のあの夜、浩司は「母さんを助けたい」と言った。助けたい相手の中に、姉の借金が入っていたことは、一言も言わなかった。「次の7年は」私が促すと、よしえは続けた。「マリ子と信吾が転がり込んでからの7年、84回。3人の暮らしに13万。信吾の中学受験の塾代から、私立の6年大学に入る時の初費用まで、7万。」信吾が顔を上げた。「そして、この5年は」私が促した。「この5年で60回だ。」よしえの声が小さくなった。「マリ子に10万、信吾の大学の授業料20万よ。年に120万。学費に回す分、食費と光熱費を3万削ったの。」信吾がマリ子の方へ体を向けた。「母さん、俺、聞きたいことがある。」マリ子は答えなかった。「母さんは、おばさんが意地悪で止めたって言ってたよね。入学した後の授業料は、ずっとばあちゃんが出してくれたって聞いてたんだけど。」「入学の時の240万円は、あの子も知っている。」よしえが言った。「それっきり、口に出さなかったのは、口止めされていたからだと、私は思い込んでいた。ただ、言いにくかっただけなのかもしれない。」「信吾、あんたは黙って。」マリ子が箸を置き、俯いていた。
深沢さんが、湯飲みを置いて、思い出したように言った。「かず子さん、あんた、祝い事の度に、いつも一番多く包んでくれてたよな。うちの孫の入学の時も。」かず子さんが横から言った。「深沢さん、あれはね、よしえさんの年金からよ。」深沢さんがかず子さんを見た。「年金?」「お盆の後、80のお祝いの相談で、私はよしえさんの通帳を見せてもらったのよ。年金は月に6万8000円。それが暮らしに回ってたってことは、一度もないの。祝い事の時に包む分と、マリ子ちゃんの買い物の引き落としで、毎月綺麗になくなるのよ。」よしえが何か言いかけて、やめた。「だから、深沢さん。暮らしの方は丸ごと、エミさんの20万が埋めてたのよ。」深沢さんは何も言えなくなった。北原の家の対面は、20年、私の給料で買われていた。三郎さんが、その日初めて口を開いた。祝いの席で、いい話を聞かせてもらった。嫌味に聞こえたけれど、この人は昔からこういう言い方しかしない。それだけに、座敷の誰も笑わなかった。
「お母さん。」私は姿勢を正した。この人が最後に何を選ぶのか、親戚の前で見ておきたかった。「遺言のお話でしたら、以前、弁護士から聞いたことがあります。遺言というものは、書いた本人が生きている間は、いつでも書き換えられるそうです。ですから、5年前に決めたというお話も、確定したものではありません。お子さんには、遺言があっても必ずもらえる分が法律で決まっているそうです。遺留分というそうですが。」浩司が顔を上げた。溺れかけた人が水面を見る顔だった。よしえも、その顔を見た。遺言は書き換えられる。書き換えるかどうかを決めるのは、自分だ。息子を縛る鎖が戻ってきた。ああ、財布さえ戻ればいい。そう計算した顔だった。そこから先の変わり方は、見事なものだった。「エミさん、さっきまで怒鳴っていた人が、猫撫で声になった。あなたも、大切な家族よ。あの日はね、私、虫の居所が悪かっただけなの。」よしえは膝を進めて、祝いの引き出物の紙袋を私の前に押し出した。「ほら、これ、持って帰って。今日は、あなたの分もあるのよ。」私はその紙袋を見た。「ねえ、エミさん。だから、今月からまた20万円。お願いね。」座敷の空気が止まった。私は笑ってしまった。声は出さなかったけれど、口の端が動いた。「お母さん。」「なあに?」「やっぱり、必要なのは私じゃなくて、20万円なんですね。」私は紙袋を持ち上げて、よしえの膝の前に戻した。引き出物の重さは、27年分の呼ばれなかった名前よりずっと軽かった。
私は座敷に手を置いて、座敷を見渡した。誰も動かなかった。仏壇のそばと縁側から、三人の目だけがこちらを向いていた。「皆さんがいらっしゃる前で、3つご報告させていただきます。」よしえが眉を寄せた。「何よ、改まって。」「1つ目。仕送りは終了しました。」私は鞄の中のノートに触れた。数字はもう覚えている。「20年前の8月から今年の7月まで、毎月25日に20万円。240回、合計で4800万円です。一度も欠かしていません。それで、終わりにします。」よしえが湯飲みを置いた。「終わりって、あんた。」「弁護士に確認しました。嫁が夫の親を養う義務は、法律にはありません。よほど特別な事情がある時にだけ、家庭裁判所が決めることがあるそうです。ですが、それは私が勝手に背負うものではないと、言われました。」深沢さんが「そうなのか」と小さく言った。私は深沢さんの方へ頷いてから、続けた。「ただし、実のお子さんには義務があります。浩司さんとマリ子さんです。そこは、別の話です。」マリ子が顔を上げた。「私はパートよ。8万しかないのよ。」「マリ子さんの事情は、私が決めることではありません。」よしえの声が飛んできた。「20年も面倒見てやったのに、この恩知らず。」私は黙って見返した。「あんたなんか、うちに入れるんじゃなかったわ。」座敷の誰も、その言葉を止めなかった。止める必要がなかったのだと思う。この人が27年で一番正直だったのは、その日だった。よしえの声が急に落ちた。「私は、どうやって生きていけばいいのよ。」「実のお子さんが2人いらっしゃいます。」私はそう答えた。冷たいことを言っている自覚はあった。それでも、この人たちは私がしてきたことに一度も名前をつけなかった。名前のないものを続ける理由は、もうない。
「2つ目です。」私は鞄の内ポケットから、1枚の紙を出した。市役所が出した、あの受理証明書だった。それを座敷に置いた。「離婚届は、11月12日に受理されました。」座敷が水を打ったようになった。浩司が顔を上げた。「出したのか。」「はい。あなたが署名なさった通りに。」「なんで言わなかったんだよ。」「言えば、また泣かれるからです。」浩司が息を吸い込んで、そのまま吐いた。「私は北原エミに戻ります。旧姓です。離婚しましたので、皆さんとの親戚としての繋がりもこれで終わります。こちらから届けを出す必要もありません。離婚と同時に、自然に切れるそうです。」マリ子が声を上げた。「じゃあ、この人、もう完全に他人ってことじゃない。」「はい。」私はマリ子の顔を見た。「お盆にそうおっしゃいましたよね。他人は帰れ、と。おっしゃる通りになりました。」マリ子が黙った。私は続けた。「20年、私は嫁の務めだと言われてきました。務めなら断れません。他人だと言われながら、務めだけは背負わされる。その形がおかしいと気づくのに、20年かかりました。」よしえは何も言わなかった。「財産分与については、代理人を通して協議します。請求には2年の期限があるとも聞いています。ですから、慌てるつもりはありません。」「代理人って何よ?」よしえが眉を寄せた。「3つ目です。」私は名刺を1枚、受理証明書の隣に置いた。「今後のご連絡は、全てこちらへお願いします。西脇千絵法律事務所です。」よしえが名刺を見て、体を引いた。「私の勤務先や自宅へ来られること。事実と違う話を親戚やご近所に広めること。それが続くようでしたら、記録を残して、順を追って対応させていただきます。」「ほど好きなの?」「記録を残すのは脅しではありません。私の仕事です。」
私はそこで、浩司の方へ向き直った。「浩司さん、あなたには、最後に1つだけ。」夫だった人は、畳の上で手を握っていた。「27年、家の家計は私が見てきました。光熱費の契約も、火災保険の更新も、町内会への登録も、あなたの実家への手土産も、全部私です。ローンを払い終えた日に、法務局へ書類を出しに行ったのも私です。うちのマンションを借金の抵当から外す手続きです。」浩司が私を見た。「明日からは、ご自分の生活を、ご自分で回してください。」浩司は何も言わなかった。「町内会の名簿の名前も、火災保険の契約者の名義も、来月から書き換えてください。書き方が分からなければ、代理人にお尋ねください。」「そんなの、お前がやればいいだろう。」「私は他人ですから。」27年、あの家の人たちはその言葉で私を黙らせてきた。同じ言葉が、今度は私の側にあった。
その時、よしえが最後の望みを口ばった。「じゃあ、浩司。あんたが帰ってきなさい。」マリ子が即座に振り向いた。「何言ってるのよ。この家は私のものよ。あんたの部屋なんか、ないわよ。」「マリ子、あんた。母さんが決めたことでしょう。」母と娘が、座敷の真ん中で言い争いを始めた。互いの喉元に食らいつくような声だった。深沢さんが目をそらした。マリ子は最後に、私にも捨て台詞を投げた。「せいぜい、1人で寂しく老けていきなさいよ。」その時、三郎さんが立ち上がった。座敷をゆっくり見回して、それから言った。「今日という今日は、よう分かった。」三郎さんはそこで一度言葉を切った。「20年、世話になり続けた人を他人と呼んで。面倒を見てもらえんとなく、あんたらは縁を切られた。当たり前のことを、自分で全部やってきたんだ。」それが、この人が27年で言った一番長い言葉だった。よしえが「三郎さん」と呼びかけたが、三郎さんは振り返らなかった。かず子さんが立ち上がった。深沢さんも立ち上がった。後ろに並んでいた親戚が、1人、また1人と続いた。信吾はマリ子を見ないまま、出口の方へ足を向けた。誰も、よしえに声をかけなかった。かず子さんが私の前まで来て、黙って腰を折った。長い時間、そのままでいた。私はその肩に手を置かなかった。置いてしまえば、私がまた北原の家に縛られることになる。ただ、こちらも頭を下げた。「おばさん。」顔を上げないまま、信吾はそれだけ言った。「もう、おばさんではありませんよ。」信吾はそれでも動かなかった。私は座敷の上の一筆箋と、送金の申し込み書の控えを封筒に戻して、鞄にしまった。この2枚だけは、私の手元に置いておく。それから仏間へ行った。義父の位牌に線香を1本上げて、手を合わせた。「お父さん、ご挨拶が遅れました。『エミさん、暑いのに悪いね。』20年前の声が耳の奥で鳴った。あなたの息子さんと、今日でお別れします。27年、お世話をさせていただきました。」私は立ち上がって、座敷を振り返った。「私はこれからも、皆さんを他人として扱います。」よしえの口が半分開いて、そのまま止まっていた。「他人の生活は、自分たちで支えてくださいね。」玄関の脇に、写真屋の三脚が立てかけたままになっていた。写真は、とうとう1枚も撮られなかった。出入り口で靴を履いた。誰も見送りに来なかった。それでいい。27年、私を迎えた人もいなかったのだから、釣り合いが取れている。引き戸を開けると、11月の風が首筋を通り抜けた。入る時は嫁で、出る時は他人。それだけのことなのに、体はこんなに軽かった。
あれから、季節が3つ流れた。北原の家は、あの年の暮れには売りに出ていた。屋根と外壁は40年手つかずで、修繕の見積もりは400万を超えたという。固定資産税は、住んでいるだけで毎年出ていく。よしえの年金とマリ子のパートでは、どうにもならなかった。家は2300万円で売れた。仲介の手数料を引いて、マリ子がまた作っていたカードの残りをよしえが払った。そこから中古のマンションを買うと、手元にはほとんど残らなかったという。それ自体は不幸ではない。身の丈にあった暮らしに移っただけだ。嫁から毎月20万円もらうのが当たり前の暮らしは、そこで終わった。よしえは近所に「嫁に捨てられた」と話しているらしい。けれど、あの座敷にいた親戚がそれぞれの家で本当のことを話した。「家族じゃないって追い出したのは、あなたでしょう。」深沢さんにそう言われて、よしえは黙り込んだという。マリ子はよしえから「毎月8万円入れろ」と言われた。家を出れば家賃がかかるので、出られない。勤務は週3日から5日に増え、カードは解約したという。新しいマンションは2人で手いっぱいで、浩司が帰る部屋はない。よしえがこの20年、ずっと欲しがっていたのは息子ではなく、息子が運んでくると思っていた20万円だったのだと思う。信吾は大学に分割で納めさせて欲しいと願い出て、足りない分は大学の貸付制度とアルバイトで払い切った。春に薬剤師になり、実家とは距離を置いたままだという。その信吾から、私だけに手紙が届いた。一筆箋1枚に、短い文字が並んでいた。「中学の時から、ありがとうございました。返せる額ではないので、返すとは書きません。働き始めました。」私はその手紙を、あの一筆箋と同じファイルに綴じた。
浩司とは、財産分与の話し合いが代理人同士で片付いた。マンションはあの人が住み続けることになった。頭金の300万円を含めて、10年かけて毎月10万円ずつ受け取る取り決めにした。その予定表は私が作って、代理人に渡した。人の家の分割払いばかり数えてきた私が、自分の受け取り表を作ったのは初めてだった。浩司は毎月10万円を、よしえに入れることになった。20年「俺の金だ」と言い張ってきた額の半分だ。それでも足りないと言われ、書き換えられるかもしれない遺言のために、実家から遠いマンションへ通っているという。訪れるたびに、母と姉から同じことを言われる。「エミさんを連れ戻せ。」妻を守らずに母と姉にいい顔をし続けた人が、その母と姉に責められている。私はそれを聞いて、もう何も感じなくなった。私は駅の反対側に小さな部屋を借りた。新しい部屋で迎えた最初の給料日に、家計簿を新しくした。仕送りの欄はもうない。代わりに「旅行」と書いた欄を作った。20年ぶりに書く言葉だ。老後の積み立ては、初めて自分で計算した。退職金と、65まで働く分を足せば届く。会社では社員の退職金の備えを毎年きちんと積んできた。それなのに自分の分を弾いたのは、それが最初だった。少し良い米を買う。魚は丸ごと1匹で買う。4月に桜井さんと温泉へ行った。露天の湯に肩まで浸かって、何も考えずに山を見ていた時間が20年ぶりだった。弟の秀樹とも、月に1度は電話をするようになった。「姉ちゃん、痩せた?」「太ったのよ。ご飯が美味しくて。」
そして、次のお盆が来た。その日は私の部屋に3人が来た。秀樹と、桜井さんと、かず子さん。かず子さんは三郎さんの畑のナスを下げてきた。狭い台所で天ぷらを揚げた。エビの背を取って、ナスを切って、かぼちゃを薄く切る。手が勝手に動く。皿を運んで座ろうとしたら、秀樹が席を開けた。「エミ、こっち座りなよ。」一瞬、私は動けなかった。姉ちゃんではなく、名前だった。名前で呼ばれて席を勧められるのは、27年で初めてだった。去年のお盆の座敷が頭をよぎった。4つの膳と4つの箸。私は笑って、その席に座った。「いただきます。」4人で手を合わせた。私の前にも、ちゃんと箸がある。食べ終わって、かず子さんが部屋を見回した。棚に写真が1つある。義父が生きていた頃の北原の家の写真だ。私は映っていない。撮ったのが私だからだ。「エミさん、これ、飾ってるの?」「はい。あの家で、お父さんだけは私を名前で呼んでくれましたから。」来年の夏も、その次の夏も、私は自分で決めた席に座るつもりでいる。



