「あなた、生活保護もらってるんですってね。」
その言葉を聞いても、俺は何も感じなかった。ただ黙ってゴミ箱の中のゴミを集め続けた。
「まあ、否定はしないし、肯定もしないよ。誰かと勘違いしてるかもしれないけどな」
俺はそうだけ伝えて、その場を離れようとした。目の前にいた派手な女性は、俺の今の姿を見てとても満足そうに笑いながら去っていった。元妻の恵子だった。
俺は大抜き渡る、35歳の会社員だった。いや、今はもう会社員じゃない。職を辞めて、単発の仕事を転々としながら暮らしている。恵子には、俺が完全に落ちぶれたと思われているようだった。
昔はよく「ケチ抜き」と呼ばれていた。職場の自販機でペットボトルのジュースを買う同僚たちを横目に、俺は水筒に入れた麦茶を飲んでいた。昼休みには、自分で作った弁当を広げる。派手な出前や外食を楽しむ連中を尻目に、俺はいつも質素だった。
誰も知らないが、これには理由があった。ちりも積もれば山となる。俺はゆっくりと、着実に金を貯めていた。将来のために。そして何より、恵子のために。
恵子と出会ったのは、合コンだった。一人足りないと懇願されて、渋々参加しただけだったのに、そこで一目惚れしてしまった。すぐに付き合い始め、26歳の時に結婚した。恵子が周りに自慢したがる性格だったから、大きなホテルの結婚式場を借りて、俺にしては超派手な結婚式を挙げた。
結婚後、恵子は家計の管理を俺に任せてくれた。節約料理なのに美味しいと喜んで食べてくれた。その姿を見て、俺はこの人のために頑張ろうと思った。恵子の誕生日には圧力鍋やオーブンを駆使して、フレンチ料理店にも負けないほどの料理を作ってご馳走した。プレゼントにはブランドのバッグを買ったこともある。メリハリをつけた金の使い方で、節約の鬱憤を解放することも忘れなかった。
恵子には何不自由なく暮らしてもらいたい。そう思っていた。
しかし、それが恵子にとっては窮屈だったらしい。
「離婚してほしいの」
「どうしてだよ。何が不満なんだい?」
「あなたのそのケチさよ。ネームバリューの高い建設会社に務めてて、営業部のエースでインセンティブがもらえて、それなりに収入があるのに、なんで月5万円の賃貸アパート暮らしなのよ」
「だって、まだ子供もいないし、部屋数は必要ないだろ。水回りがあって、リビングと寝室さえあれば十分に生活できるはずだよ」
「それに、妻にお小遣い制って月5万。やってらんないわよ」
「5万あれば十分じゃないか。俺は3万円でもやりくりできるぞ」
「美容にエステに服。綺麗にしたいじゃない」
「古着はリサイクルショップに売って、そのお金で買えばいい。俺はそうしてるぞ」
「とにかく窮屈なのよ。厳しすぎるの」
そう言って、恵子は離婚届を突き出してきた。
「恵子、俺がこうやって節約に励んでいる理由を話したことなかったな」
「だって、聞いても話してくれなかったじゃない」
「これは恵子のためでもあるんだよ。10年後、いや、20年後かな。互いが困らないようにしたいんだ」
「はぁ?10年後とか20年後って、私にそれだけ我慢しろって言うの?私は今の話をしてるのよ。今、窮屈な生活をしてるのが嫌だって言ってるの」
恵子は離婚届にサインをするように促し、俺が判を押したところを見届けて、そのまま家を出て行ってしまった。4年弱の結婚生活は、あっけなく終わりを迎えた。
後日、恵子の親友から連絡が来て知った。恵子には心変わりをしていたらしい。離婚が成立して、気が覚めたら再婚すると話していたそうだ。彼女の心変わりに気づかなかったのは、俺の落ち度だった。しかし、食費が減る。水道高熱費もさらに節約できる。そう考え直すことにした。
実際、そう気持ちを切り替えても、割り切れるものではなかった。しかし、恵子が戻ってくることはない。節約生活が険約な結婚生活を招いてしまったことに反省すべきだった。だが、俺は自分の夢を叶えるために、ワンルームの賃貸に引っ越した。
離婚しても、周りは何も言わなかった。ただ「ケチ抜きのケチさが炸裂して、奥さんが逃げていった」と笑いのネタにされるだけだった。俺は何も反論しなかった。言いたいやつには、とことん言わせておいた。
それから少し時間が経って、恵子からはがきが届いた。ハワイからのエアメールで、なんかチャラい男と再婚したという報告だった。
「ふーん」
俺の感想はそれだけだった。これで彼女の期待通りの結婚生活ができれば、それでいいじゃないか。そう思えるまで、メンタルも回復していた。もう恵子のことは過去のことだった。というのも、そろそろ俺の夢が叶いそうだったからだ。
話を進めるべく、コンサルタントにも入ってもらっていた。相談した結果、より良いアドバイスをもらえて、少々方向転換することになったが、俺の夢は叶う。俺はもう、自分の気持ちの中のワクワクを抑えることができなかった。
それから2年の月日が経った。俺はデパートの中で、作業服を着てゴミ拾いを黙々としていた。その時だった。
「やっぱり、大抜きさんよね?」
目の前にいる派手な女性が、一見誰だか分からなかったが、元妻の恵子だと分かった。
「ああ、恵子さんか。お久しぶりね」
恵子は指輪をちらつかせたり、ペアスに手をやったりと、何かをアピールしているようだった。
「元気にしてましたか?」
「そうね。子供もいるし、毎日が幸せよ」
これほど赤い口紅が似合っていることを初めて知ったが、俺は知らない女に声をかけられたかのような感覚でしかなかった。
「仕事が残ってるから、また後でな」
「そのみすぼらしい格好、やっぱり本当だったのね。何が?あなた、生活保護もらってるんですってね」
「まあ、否定はしないし、肯定もしないよ。誰かと勘違いしてるかもしれないけど。俺を誰かと比べて、君自身は幸せなんだろうから、そう思ってればいい」
俺はそうだけ伝えて、ゴミ箱の中のゴミを集めた。恵子は俺の今の姿を見て、とても満足そうにその場を去っていった。
俺は大学卒業後からずっと働いてきた建設会社をやめていた。今は定職についていない。仕事と言ったら、今日みたいにゴミを集めたり、イベント会場の後片付けなど、単発で引き受けるくらいだ。その辺りから昼がついて、俺は生活保護受給者だという噂になったのだろう。元々自分が1番でマウントを取るのが好きだった恵子は、元夫の落ちぶれた姿を見て、満足度120%だろう。ずっと節約を続けてきた俺が仕事をやめたってこと自体、恵子にとっては「ざまあみろ、離婚して正解」ということだ。
何を言われようが、俺は気にしなかった。
それから1年近くの月日が流れたが、俺の状況が変わることはない。いつものように単発で仕事をしていた時、ある男性に呼び止められた。名刺をもらい、相手から話を聞く。だが、俺が今そんな話をされても、俺にはどうすることもできないので、引き取ってもらうことにした。
「でも、情報程度に受け止めておきますよ」
男性との会話は、俺の事情徴収といったような感じだったが、それだけではなく、今後の生活で警戒すべきといった警告の意味合いが強かったように思う。俺が何らかの警告を受けたところで、何の進展もないだろう。俺自身にも危険が及ぶことはない。そう高をくくっていた。
しかし、その半年後に、俺の想像の斜め上を行く出来事が待ち構えていたのだ。
何年か前に、「落ちぶれた姿の俺を見て鼻で笑い、満足して帰ったあの恵子」が、今、俺の前に現れている。真っ赤な口紅が似合っていたあの時の恵子と比べて、老けている。結婚していた頃の恵子と比べたら、かなりやつれて見えた。
俺はオーダースーツを着込み、ドレスシューズを履いていた。
「おや、どなたかと思ったら、恵子さんですか?お久しぶりですね」
「何よ、その格好。あなた、騙したのね」
「騙したって、どういうことですか?」
「生活保護もらってるって言ったじゃない」
「それはあなたが勝手に思い込んでいただけじゃないですか?」
「まあいいわ。私、大事なことを忘れていたの」
「おや、何でしょう?」
「離婚した時、私、財産分与で、結婚後に築いた財産の半分がもらえるのよ。私、何ももらってないわ」
彼女がそう告げた時、俺は久しぶりに声を立てて大笑いした。
「何よ、何がおかしいのよ」
「離婚届を無理やり書かせて、勝手に家を出ていったのは恵子さん、あなたですよ。それに、その時にはすでに今の旦那さんと付き合っていたと聞いてますが」
俺は笑いが止まらず、腹を抱えてなお笑い続けた。
「なんで笑ってるのよ」
恵子は怒りに震えて、今にも泣きそうだ。
「財産分与なんて誰の入れですか?」
「弁護士よ。弁護士に言われたのよ」
「その弁護士さんは何を言ってるんでしょうね。財産分与の請求権は、離婚成立後2年間だけですよ。あなたは俺と離婚して、何年経過しましたか?」
離婚して初めて再会した時には、すでに2年が経過していた。それからもう1年半近くが経過している。恵子の顔が引きつっている。もう表情がなくなり、目の光すらも失っていた。
「そういえば、半年ほど前にあなたのご主人。いや、元ご主人だね。彼が依頼した弁護士が俺の元を尋ねてきたんです」
そう伝えたら、恵子はその場にへたり込んでしまった。
「ということは、まだ逃げ続けてるんですね。聞きましたよ。元旦那さんとそのご両親の資産を持ち逃げしたって。離婚が受理された後だったようなので、警察に被害届を出したって言ってました」
「ねえ、助けてよ。私を好きだったんでしょ?また前のように仲良く暮らしましょうよ」
「前のように?俺はあなたとの離婚は正解だったって思ってるんです。あの時、俺の姿を見て馬鹿にしたように笑ったじゃないですか。その時に、別れて良かったと思ったんですよ」
今ここで起こっているように、とっくに請求権が消滅している財産分与を請求しに来たり、元旦那さんの家族から金を奪って逃げる女と、よりを戻せるはずがない。俺は次の約束があるからと恵子を置いて、迎えの車に乗り込もうとした。
「ねえ、あなた今何をしてるの?」
「何をしてるって、何のことを言ってるんですか?」
「仕事のことよ」
「仕事。もうこのしばらくずっと定職を持っていませんよ」
「嘘つき。定職を持ってない人が、こんないい身なりしてるなんて信じられない」
「ああ、恵子さんにはずっと言っていませんでしたね。俺は夢を叶えたんですよ」
「夢?」
「そう。俺は結婚前からずっと節約に励んでいる理由を持っていた。それは、将来不労所得で暮らすことだ」
恵子と婚姻関係が続いていれば、今頃恵子と二人で国内を忙しく飛び回っていたことだろう。恵子と離婚した後の俺は、ワンルームの賃貸に引っ越し、恵子にかけてきた月々のお金も貯金や在宅などに回して、かなり貯めてきた。思ったよりも早く、夢を現実にする時がやってきたのだ。
夢は、不労所得のためにマンションを一棟買って、区分ごとに賃貸にするというものだった。しかし、コンサルタントに相談したら、マンションを購入するのは避けるべきという答えだった。賃貸マンションは入居率100%を保つのが難しい。それに20年か30年経過したら、マンションの修繕費用で莫大な費用がかかる。不労所得で修繕費を賄おうと考えるなら、マンション購入はやめておけという内容だった。そこで紹介されたのが、アパートを購入することだった。家賃収入は減るが、学生向けなどターゲットを決めれば、100%の入居率の維持が望める。それに大規模修繕と言っても、マンションほど費用がかかるものでもないので、ランニングコストを考えるとマンションより回収率が高くなる。というのだ。
俺は新築アパート5棟建て、60部屋のオーナーとなった。大学が集中する学生街の土地を買い、アパートを建てたのですぐに満室になった。女性が楽器を気軽に使える防音ルーム完備の部屋を1棟分作った。こちらは家賃が2割ほど高くても人気の部屋となった。結果的に月収300万円を超えることになったのだ。修繕費や納税などの準備金を除いても、十分な収入だ。アパートを5棟新築で建てることで少々借金をすることになったが、3年間で返せるくらいの費用だと考え切ったのだ。
俺は建設会社を辞めて、働くことを忘れないために、派遣などで清掃の仕事を受け負っていたのだ。それに、このアパート5棟新築ストーリーが新聞社の耳に入り、新聞に取り上げられた。その結果、「ありのように働いた俺がアパート5棟のオーナーになったわけ。ケチと呼ばれても気にするな。資産数億を持つ男の教え。主婦なら今から実践できる節約道の進め方」などの書籍を出すことになったのだ。今では書籍の印税もわずかながら入ってくる。そして今日これから行われる貯蓄セミナーの講師としても呼ばれるようになったのだ。
「今では資産5億円ですよ。恵子さんとこの生活を分かち合えなくて残念だったなあ。今からセミナーがあるので、失礼しますね」
俺はにっこりと笑って言った。恵子は絶叫しながら涙を流した。
「助けて欲しいなら、俺ではなく警察に行って楽になってください」
俺は車に乗って、会場へ向かった。ケチと言われるほどコツコツと金を貯めてきたことを、今では誇りに思っている。それに笑ってしまうことに、俺が会社を辞めた後に、会社の建築部が設計した建物に強度不足が指摘された。選定した資材とは異なるものを使用したことと、明らかな設計ミスが重なったようだ。それが複数の建物に及んだことから、勤務先の信頼性や評価はガタ落ちだ。もちろん営業部にも飛び火して、契約を白紙に戻したいという声が集まり、決算を下方修正したとかしないとか。営業の人間は、契約を取って初めて給料に反映されるような世界だから、信頼を失う設計ミスがあれば、営業社員もお手上げだ。「欠陥住宅を売った」と表に立たされるのは、いつも営業社員だからだ。会社をやめていてよかったと、この報道を見て初めて思った。今回建てた5棟のアパートは別の建設会社に依頼したものだ。耐震性や耐久性に優れており、暮らしやすいと好評だった。こういった運の良さも、資産形成には必要なんじゃないかと思えてならない。もちろん、離婚も含めてのことだ。
少し前に、恵子の元旦那が雇った弁護士の話によると、再婚後の恵子は金遣いが荒く、元旦那が小遣いを渡すのをやめたらしい。働くことを勧めたが、「専業主婦になって優雅に暮らしたい」と拒んだらしい。恵子の友達は生活のために共稼ぎをしているので、自慢をしたかったのだろう。そして最終的に、遊ぶ金欲しさに元旦那の時計や元旦那の両親の家で金目のものを盗み、元旦那の両親にお金を用意させて逃げたようだ。もちろん、そんな生活も長く続くことはない。実家にも帰れず、生活保護を受けている俺と元に戻れば、しばらくはかまってもらえるだろうと思ったようだ。結果はご覧の通りで、恵子は元に戻るどころか追い出される羽目になった。その後、彼女がどうなったのか分からない。恵子が逮捕されるのも時間の問題だろう。
俺はふと息をついて、講演会の会場へ入った。今日の講演からは、離婚と節約についても解説しようと、レジュメに手書きで付け加えた。



![CBS🔴[8/8/2026] Young and the Restless FULL Episode Saturdays: Matt Threaten Kill Nick](https://i.ytimg.com/vi/aHyK8YTpZkg/maxresdefault.jpg)