義母は、身内にはとことん甘く、よそ者である私にはとことん厳しい女だった。息子の浩太が生まれ、義実家での同居が始まってからは、小さなことにもいちいち口を挟まれ、嫌味を言われる毎日だった。掃除の仕方ひとつとっても、「そんな掃除の仕方じゃだめよ。れいじは一度だって叱られたことないわ」と、自分の育て方を自慢しながら私を否定してくる。義父はもともと無関心だし、夫に義母への注意を頼んでも、「家のことはお前の仕事だろ」と冷たい返事が返ってくるだけ。さらに追い打ちをかけるように、「例子に余計なこと言うんじゃないわよ。あの子は外でのお仕事で大変なんだから」と義母に嫌味を言われ、私は屈辱感を味わっていた。
義母の口出しは、育児のやり方にも及んだ。浩太に何かあればすぐに「私の教育が悪いからだ」と、根本から否定してくる始末。孫の良いところは「夫に似た」と褒め、悪いところは「私に似た」と貶すのが、いつものやり口だった。「あら、浩太ちゃん、また風邪引いたの?れいじは風邪なんて一度も引いたことなかったのに。教育の差かしらね」こう言われれば、「私の育て方が悪いって言うんですか?」と聞き返すのだが、義母は「あら、嫌だ。そんなこと言ってないわよ。何でも悪いように取るの。ほのかさんの悪い癖ね」と、結局また私を悪者扱いだ。孫のことを何でも思い通りに従わせるのも、たちが悪い。浩太が小学校に上がり、テストがあったことを知ると、強引に答案を提出させた。「れいじは一度だってこんな点数取らなかったわよ」と私を呼びつけては、一時間も説教された。私は義母の仕打ちには慣れていたが、息子は自分のせいで私が怒鳴られたと思い込み、「ごめんなさい」と泣いてしまったこともある。息子の涙を見て、はっきりと分かった。義母はただ、孫を理由に私を攻撃したいだけなのだ。本当に孫を大切に思うなら、目の前で母親を叱りつけ、こんな風に泣かせたりしないはずだと思ったからだ。
義母の本心を見抜いてからは、できるだけ義母が息子に近づかないように奮闘した。私の努力が実ったのか、息子は大学卒業後に就職し、半年ほど前に職場の同僚と結婚した。嫁の奈津美ちゃんは、笑顔が可愛く、素直そうな子だった。息子の成長を感じ、あっという間の26年間を思い返す。ママ友と話すたびに、「その状況でよくもまあ離婚せずにいたわね」なんて冗談めかして言われたものだが、客観的に見れば自分でもそう思う。でも、もう守るべき息子もいないし、あとはもう義母の嫁いりを我慢するだけ。小事の一つや二つ、ソースルーで乗り越えていけばいいなんて思っていたのだが――義父が亡くなったのは、そんなことを考えている矢先のことだった。急な心筋梗塞。朝、義母が起こしに行くと、すでに冷たくなっていた。
義母にとっては、心の寄り所だったのだろう。以前はご近所に私の悪口を言い回っていたくせに、外出もほとんどしなくなった。相変わらず私のご飯をまずそうに食べているが、その量も減り、運動量も落ちたため、体はだんだん弱っていく。足が思うように動かなくなり、小さな段差でもつまづき、手が震えて箸を落とす回数も増えた。
イライラが募ったのだろう。その矛先は私に向けられ、「早くご飯を持ってきなさい」「お腹が空いたのよ」「シーツはまだ買えないの?いつまで待たせるの?」「なんてグズなの?本当に使えない嫁だわ」「私がこうなったのも、全部あなたのせいよ」と、ヒステリックに私を呼びつけては文句ばかりまき散らす義母。たまに息子に電話をして愚痴を聞いてもらっていなければ、先に私がおかしくなっていただろう。パートの時間を短くしてやりくりしていたものの、私だけ外出できるのが気にくわないのか、ある日、とうとう義母がこんなことを口にした。「あなたがうちに来てから、散々だわ。今すぐパートをやめなさい。今までうちに迷惑ばかりかけてきたんだから、これからはあなたが私を世話する番よ。精一杯、誠心誠意、私の介護をしなさいね」と言ってやったと、義母は満足げな表情を浮かべていたが、どういう思考回路を持てばそんな図々しい言葉が出てくるのだろうと、私は不思議で仕方がなかった。「無理です」と思わず、素直な気持ちを口にした。義母はポカンとしたが、すぐに我に返り、怒鳴り返してきた。「無理ですって?なんてふざけた物言いなの?あなたがうちに来てから、全部おかしくなったのに。本当に疫病神だわ。お父さんが亡くなったのも、浩太ちゃんがどこの馬の骨か知らない女と結婚するはめになったのも、全部あんたのせいじゃない」浩太のお嫁さんは私の大学の後輩だったから、それを聞いてから義母は彼女を嫌いになったらしい。「それはこっちのセリフですよ。この疫病神。今まで散々いびってきたくせに、誠心誠意介護しろ?よくもまあ、そんなセリフが言えますね」「な、なんですって?今すぐ謝りなさい」義母はごちゃごちゃ叫んでいたが、もう相手にする気など1ミリも起きなかった。さっさと義母の部屋を出て、自室にこもった。
夫が帰宅後、リビングにいた私を怒鳴りつけたのは、予想の範囲内だった。「おい、母さんの介護を断ったんだってな。本人の前で、どうしてそんなひどいことが言えるんだよ」「なんで私がお母さんを介護しないといけないの?」冷静に尋ねると、夫はバカにしたように鼻で笑った。「マジで言ってるのか?お前は嫁だろ?嫁にとって夫の親は実の親だろ。実の親が大変な時は、文句も言わず世話するのが当然だろう」夫の怒鳴り声を聞きつけたのか、義母が自室から出てきて、生き生きとした表情で便乗する。「夫の言う通りよ。血の繋がらない赤の他人のあなたを、嫁として教育してあげたっていうのに、いつまでたっても嫁の自覚がなくて困るわね」私は夕飯作りの手を止め、盛大なため息をついた。「お母さんが私にしたこと、それは嫌味か、嫁いびりだけ。感謝することなんて一つもないのに、どうして世話してあげたいなんて思えますか?」「ほのか、お前、母さんになんてこと言うんだよ」あくまで義母の肩を持つ夫に、「じゃあ、あなたは自分が同じ目に会っても、黙って素直に介護するの?」と聞けば、「う、そ、それは、また別の話だろ」とごにょごにょ言って、視線をそらした。「ともかく、今日はもう下がらせて。ここのところお母さんの世話で気が滅入そうだったから、冷静になりたいの」「そうだな。自分の状況も踏まえて考えろよ」夫は私が折れるだろうと予想したようだが、私にはそんな気持ちは微塵もなかった。義母の言葉に、抑えていた気持ちが一気に溢れて、私が我慢すればと保ってきた糸が、ピンと弾け飛んだのだろう。自室に戻り、部屋の荷物を片付け始める。もう心は決まっていた。その週の土曜日が、結婚記念日だった。もう昼前だというのに、昼食の準備に取りかからない私が気になったのか、夫が自室にいた私に声をかけてくる。「おい、昼飯まだかよ」「母さんも腹減ったって言ってるぞ」私がしぶしぶ出たところで、ちょうど玄関のチャイムが鳴った。」誰だと顔を見合わせる夫と義母をリビングに残し、玄関へ向かう。ドアの向こうにいたのは、数ヶ月ぶりの息子だった。「ただいま」「母さん、荷物はもう用意してあるわよ」意外と少なかった。穏やかな親子の会話だったが、夫と義母の顔色は、みるみる曇って、あっけなく終了した。「浩太ちゃん」「あらあら、どうしたの?急に」「帰って来るなら、連絡くら入れろよな」嬉しそうな義母と、そっけない夫の態度は対照的だったが、「母さんの荷物を取りに来たんだ」という息子の言葉に、どちらも面食らったようだった。「あれ?もう2人に話してないの?母さん、今日この家を出るんだよ」息子のわざとらしいセリフに、笑いを噛み殺す。義母に介護しろと言われたあの日、私は息子に連絡していたんだから。以前から散々口を聞いてもらっていたため、うちの事情はよく知っているせいか、「ようやく家を出る気になったんだね」とため息を吐かれたのは切なかったが……」家を出る?どういうことだ?」「お母さんの嫁いびりに疲れたの。もう我慢できないから、家を出るわ」「な、なんですって?私の介護はどうするのよ?」夫も義母も状況が把握できないのか、困惑して私に詰め寄ってくる。「ばあちゃんって、頭が悪いんだね。一度でわかんないの?そういえば昔から、同じこと言って母さんいびってたっけ?」冷やかな声をかけたのは、息子だった。「浩太ちゃん!子供の頃から思ってたけど、ばあちゃんって何様なの?いつも上から目線でさ、母さんをいじめるために俺を口実にしただろ。俺の教育だなんだって言って、口出すふりしてさ。マジで陰湿な意地悪ババアだって、子供心に思ったよ」愛する孫からの暴言に、義母は信じられないと言わんばかりに目を見開いて、青ざめている。「母さんに向かって、なんて口の聞き方だ」と夫が吠えるが、息子はまるで気にも留めない。「じゃあ俺も言うけど、俺の母さんに向かって、あんたはいつもどんな口の聞き方してたわけ?家のことも俺のことも無関心で、母さんがどんなに辛く当たられても放っておいたくせに、ばあちゃんのことになると怒鳴り返すなんて、マザコンも大概にしてよね。マジでキモすぎ」淡々と言う息子の口調は、異様な癒しがあった。「グッ」と黙り込む夫に興味を失ったのか、私に荷物を運び出させる息子。「お、おい、家を出ていくって言うけど、お前にそんな金あるのかよ。家賃や生活費、そんなの払っていけるのか」そんな夫の疑問は私にも懸念事項だったけれど、全て解決済みだ。「住むところなら、もう決めてあるの。家賃も私の稼ぎで払えるわ」実は前から息子夫婦に同居を誘われていたのだが、義母に散々いじめられたため、同居には敏感になっていた私。「いつどんな形で奈津美ちゃんに嫌な思いをさせるか、不安だったからずっと遠慮していたのだ」しかし奈津美ちゃんの叔父が貸しアパートを経営しているらしく、私の事情を聞き、身内価格でアパートを安く貸すと申し出てくれて、別居になるなら是非にとお願いした次第。「保険は俺の扶養に入ればいいだけだしね」と息子が付け加えた。ようやく私が家を出ていくことが現実味を帯びてきたのだろう。「母さんの介護はどうするんだよ」「俺にはそんなことしている暇なんかないぞ」慌てる夫に、私は静かに言い返した。「お母さんを目の前にして、よくもまあそんなひどいことが言えたわね」「実の親が大変な時は、文句も言わず世話するのが当然なんですって」「自分の言ったセリフで言い返されて、夫はぐうの音も出ないようだ」ふと、呆然としている義母に目が止まり、「お母さん、それでは、厄介で疫病神の嫁は出ていきますので、あとは血のつながったご自分の優秀な息子さんに、よくよく世話してもらってくださいね」と最後の挨拶をし、夫には、用意しておいた離婚届けを突きつけた。夫は呆然として受け取るだけで、完全に打ちのめされた様子。「ほ、ほのか、お母さん、そんな意地悪言わないで」先ほど夫から拒否されたのを思い出したのか、私に行かれては困ると、腕にすがってくる義母。「ばあちゃん、図々しいのもいい加減にしろよ」と息子がその手を軽く払ってくれた。後の作業は、夫と義母をスルーして、荷物を運び出す簡単な仕事だった。息子が探りを入れると、私が家を出てから、夫と義母の中はあれ以後ギクシャクしているようだ」。義母の足の状態は悪化して、家事はおろか外出もままならず、夫の介護の手を必要とし、夜な夜な叫ぶらしい、「仕事しかしてこなかった夫には、わがままな義母の世話は、耐えられない苦行だろう」私は、自由な一人暮らしを楽しんでいる。夫とは無事離婚が成立し、息子が頼んでくれた弁護士のおかげで、財産分与も揉めずに片付いたそうだ」たまに奈津美ちゃんが遊びに来て、家事や仕事のことや、息子の愚痴を言ったりしてくれる。義母のことがあったから、実はお嫁さんとの交流にドキドキしている私だが、良好な関係を築けるよう、頑張りたいと思っている。



