あの日、配達先で若い女性社員に言われた言葉が、今でも耳に残っている。「あなたの店の弁当って、ダサいところとか、味の薄いところとか、見た目が年寄りの弁当みたいで嫌なんですよね。」父と母が心血を注いで作ってきた弁当を、まるでゴミのように扱われた。悔しさと怒りで、私は得意先を失うことを承知で「それで結構です」と言い放ってしまった。その場は去ったものの、帰りの車の中では、両親の顔が浮かんで仕方なかっ…

あの日、配達先で若い女性社員に言われた言葉が、今でも耳に残っている。「あなたの店の弁当って、ダサいところとか、味の薄いところとか、見た目が年寄りの弁当みたいで嫌なんですよね。」父と母が心血を注いで作ってきた弁当を、まるでゴミのように扱われた。悔しさと怒りで、私は得意先を失うことを承知で「それで結構です」と言い放ってしまった。その場は去ったものの、帰りの車の中では、両親の顔が浮かんで仕方なかっ...

同窓会の賑やかな店内に、同級生の井上の鋭い声が響き渡った。
「俺とお前じゃ人間の核が違うんだよ。核が。負けねえ。」
周囲の同級生たちが困惑した表情で顔を見合わせる中、彼はさらに声を張り上げた。
「今日だって、ただ飯にありつけると思って、のこのこ顔を出したんだろう。ああ、お前みたいな寂しい人間にだけはなりたくねえわ。」
賑やかだった給事が、彼のわざとらしい声にだんだんと静まり返っていく。そして、一人だけ得意げな様子の井上は、俺にこう言い放った。
「底辺の負け犬が、よく来れたもんだな。俺みたいなエリートになってから来いよ。ほら、負け犬君のお帰りだぞ。」
上機嫌でそう言うと、彼は俺の腕を無理やり引っ張り、帰らせようとする。幼稚極まりない言動に、俺は心の底からため息をついた。そのまま帰っても良かったのだが、さすがにここまでのことを言われては、気の長い俺でも頭に来る。なので、俺は2個と3個と、お土産を残してやることにした。

俺の名前は佐々木勝。幼い頃から父と二人で暮らしてきた俺は、父の負担になるのを嫌って高校進学を諦め、中卒で就職した。その当時は、中卒で働くことを周囲から色々と言われたり、馬鹿にされたりしたが、下向きな努力の甲斐もあって、今はまともに生活できている。
そんなある日、俺は中学の友人から電話を受けた。今度同窓会があるから、俺も来ないかとのこと。
「へえ、そうなんだ。にしても突然だな。誰が幹事やってるんだ? 」
何気なく聞いた俺に、電話口の友人は少し言いにくそうにして答える。
「ああ。うん。ほら、井上たけしっていただろう。あいつが幹事なんだと。俺もあいつとつるんでたから、誘われて。連れてこられる相手がいるんだったら、連れてこいよって言われて。」
竜人の口から飛び出したその名前に、俺は思わず砂を噛みしめたような心地になった。井上たけし。それは、俺が中卒で就職することをことの他笑い物にしてきた元クラスメイトの名前だ。
「お前中卒で就職するってマジか。うわあ、そういうのフィクションだけの話だと思ってたわ。家が貧乏な上に、本人も大して頭が良くないと、苦労するんだな。」
そう言って勝ち誇ったように俺を見下してきた、あの日の彼の笑顔が、俺の脳裏をよぎっていく。電話口の友人も、俺が井上にどういう扱いを受けていたか知っているだけに、気を遣って戸惑っていたのだろう。
「うーん。あいつがいるんだったら、俺は行きたくないな。」
だが、独り言のようにそう呟いた俺に、友人はすがるような声をあげる。
「え、そんなこと言わずにさ。実はさ、その同窓会に、お前と同じクラスだったゆきちゃんも参加するって聞いて。れ、俺、ゆきちゃんのこと好きだったの。お前も知ってるだろう。」
「ああ、そういやそうだったな。」
俺と同じく未だ独身の友人は、どうやら同窓会での再会を機に、彼女がフリーだった場合はお近づきになりたいのだという。
「それに、あれから20年以上も経ってるだろう。井上だっていい加減、大人になったさ。なあ、頼む。なるべく人を連れてきてくれって言われてるんだよ。ここは、俺を助けると思って。」
へえ、と俺が我慢ばかりの勢いでそう言われ、やがてしぶしぶながらも同窓会への参加を了承した俺に、友人は喜びの声をあげる。
「ありがとう。やっぱ、持つべきものは心優しい友達だな。じゃ、詳しい時間と場所は後でメールするから。」
こうして、その電話から半月後、俺は久しぶりの同窓会に参加するべく、地元へと帰ったのだった。

さて、友人と連れ立ってやってきたのは、地元駅前の、小綺麗な居酒屋。今日はここを貸し切っての同窓会らしい。
「そういえば、今日の会費っていくらだっけ? 」
入り口で財布を取り出した俺に、友人が首を振った。
「今日のはなんと、幹事の井上が全て持つんだと。」
「え、そうなのか。そりゃまた豪気なことで。」
内心、しまいながら、そういえば井上は昔から見えっぱりの傾向にあったなと、ふと記憶が蘇る。
そして入店して早々、友人は通路の向こうにゆきちゃんを発見したらしく、速攻で声をかけに行ってしまった。その後ろ姿に苦笑し、俺は適当なテーブルに腰を下ろし、届いたビールをちびちび飲み始める。店内はそこそこに混んでいて、あちこちで賑やかな笑い声が上がっている。ここにいる同級生たちよりは一足先に社会人となった身だが、華やかな店内の雰囲気は、どこか過ぎ去りし青春時代を彷彿とさせて、俺はその雰囲気を楽しんでいた。
だが、その時、何の断りもなく俺の横に、どっかりと腰を下ろしてくる人物が現れた。
「よお、相変わらず、しけた面してんな。」
こんな物騒な言葉を挨拶代わりに投げかけてきたのは、案の定、俺の中学時代のクラスメートにして、この同窓会の主催者、井上であった。
あれから20年以上経ち、互いにいい歳の外見になったとはいえ、彼のその目の奥に見え隠れする意地の悪さは、あの頃のままで、それを見て取った俺は、早くもうんざりしてしまう。
だが、そんなこちらの心中など知るかとばかりに、井上は、獲物を見つけた猛獣のごとく、俺に狙いを定めたようだった。
「お前、全然変わってないのな。ああ、もちろん悪い意味でだぞ。」
その鼻持ちならない軽薄な物言いに、俺は内心で深くため息をつく。
「ほら、俺なんて、どこにいても目立っちゃってさ。」
そう言って、わざとらしく肩をすくめる井上。確かに彼は、中学時代、イケメンで通っていた。頭も良く、背も高く、また家も裕福だったため、女性にもよくモテていたように思う。彼はそのまま進学校へと進み、有名大学を卒業後、この地元では名の通った企業に就職したと、ここに来る前に友人が話していた。
だが、俺の目の前で、あんなに自分の容姿の良さを鼻にかけた発言をする彼は、正直なところ、かっこよくは見えない。背の高さこそ顕在ではあるが、その若作りな外見から滲み出す、何とも言えないいやらしさが、せっかくの素材を完全に台無しにしてしまっているからだ。
内面が外見に現れるって、本当だなと、しみじみと関心している俺を知ってか知らずか、井上はなおも、自分の身の上話という名の明らかな自慢を、一方的にベラベラと喋っている。
「俺さ、職場で昇進が決まったんだよ。あ、今は俺、課長なんだけど、手掛けた案件が高評価だったらしくて。で、それの手柄で、なんと部長に抜擢されてな。いや、上がどうしてもって言うからさ。」
酒臭い息を吐きながら、ニヤニヤとそう口にする彼は、言葉とは裏腹に、内心、自分の昇進が嬉しくて仕方がないらしい。全く隠せていない優越感で顔をピカピカと光らせながら、井上は続ける。

「同期の中じゃ、俺が一番の出世頭なのは事実なんだけどな。で、同窓会も最初は開くつもりなんてなかったのに、あいつらが、折角だし、仲良かった奴らも呼ぼうぜって、盛り上がっちゃってさ。結局、俺が幹事やらされてまったよ。」
まあ、と上辺だけの困ったふりで、井上が視線をやったのは、中学時代に彼とよくつるんでいた数人のグループ、いわゆる彼の取り巻きたちだった。
そうは言うが、真実は、自身の出世をただただ自慢したい井上が、取り巻きたちに声をかけ、費用は自分が払うからと言って、人を呼ばせたのだろうと、俺は推察する。そうじゃないと、井上とは直接関わりのない、別のクラスだった俺の友人にまで話が来るのはおかしいし、仕切りに人数を集めることにこだわっていたことへの説明もつかない。
俺は、果敢にゆきちゃんへとアタックし続けている友人の背中を、ちらっと見やった。
「あれから20年以上経っても、どうやら相手は大人になれてないらしいぞ。」
けれど、内心ため息をつきながらも、無難な愛想笑いのみを繰り返す俺に、やがて彼は面白くなさそうな表情を浮かべ、話の方向性を変えたようだった。井上は、自身の自慢を引っ込める代わりに、俺への直接攻撃を始めたのである。
「お前さ、今はこっちにいないみたいだけど、何の仕事してるわけ? 中卒の低能なガキを拾ってくれるところなんて、所詮しょぼい零細企業だろうけど。」
そして彼は、酌をしていた俺の左手にふと目をやり、それから小馬鹿にしたようにして鼻を鳴らした。
「お前さ、もしかして独身?

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「え、まあ、うん、そうだけど。」
結婚していないことは事実なので、そう答えた俺に、井上はあざけりに満ちた嫌な笑みを浮かべる。
「マジで? その年で? ま、お前みたいな、顔も平凡な中卒の底辺じゃ、女にも相手にされないか。」
さも愉快な話を聞いたかのようにして、井上が大きな笑い声をあげた。
「お前さ、そうやってのほほんとしててるけど、もっと危機感持った方がいいぜ。」
「いや、でも、お前程度じゃ、それも無理か。」
「うんうんうん。変に焦って結婚詐欺に捕まるよりは、いいと思うぞ。」
言いながら、慰めているつもりなのか、馴れ馴れしく俺の肩を叩いてくる井上。そして、高そうな結婚指輪が光るその左手を、見せつけんばかりにするものだから、俺は仕方なく口を開いた。
「あ、井上は結婚してるんだね。」
すると、待ってましたとばかりに、彼は眉を跳ね上げて、得意げに頷く。
「ああ、5年ほど前にね。相手は名門のご令嬢で、現役CAなんだけど、もうあっちが俺に惚れちゃって、グイグイ来てさ。」
「ま、子供は可愛いけどな。」
頼んでもないのに見せられたスマートフォンの待ち受けには、確かに上品そうな美人と、彼女によく似た娘さんの親子の姿が映っていた。
「奥様も、可愛い娘さんだね。」
そうして俺が事実を述べると、まるで自分が褒められたかのように、さらに調子に乗った顔をした井上は、いかにもこちらを見下した目をして言ってくる。
「ま、お前もそのうち、いいことあるだろう。」
「さすがに、中卒の凡人君じゃ、俺レベルまで到達するのは、逆立ちしたって無理だろうけどな。」
「そもそも、俺とお前じゃ、人間の核が違うんだよ。核が。」
言いながら、彼が再び大声で笑う。下品とは言えないまでも、決して上品とは言えないその声に、店内の同級生たちが、何事かと振り返り始めた。
だが、それすらも自分が注目されていると意識したのか、井上はさらにいけ高な口調で、俺を攻め立ててくる。
「言うなれば、お前は負け犬なんだよ。」
「そうだって、ただ飯と酒にありつけると思って、のこのこ顔を出したんだろう。」
「ああ、お前みたいな、寂しい人間にだけはなりたくねえわ。」
そうやって彼がわざとらしく声を張り上げるせいで、賑やかだった同級生たちの輪が、だんだんと静まり返っていく。
そんな中、井上だけは一人、不敵な様子で俺にこう言い放った。
「底辺の負け犬が、酒だけ飲めたんだから、もう十分だろ。」
「はい。それ以上、人の金で飲み食いしたかったら、俺より偉くなってから、出直してきてください。」
「ほら、負け犬君のお帰りだぞ。」
顔を見合わせて戸惑う同級生たちに、井上は上機嫌でそう言って、俺の腕を無理やり引っ張り、帰らせようとする。
そんな幼稚な言動に、俺は心の底から呆れ果ててしまう。一瞬、そのまま帰っても良かったのだが、さすがにここまでのことを言われてしまえば、いくら気の長い俺でも頭に来る。
なので、俺は2個と3個と、お土産を残してやることにした。
そのままの体勢で、目の前の元クラスメートを見やると、俺は淡々と口を開く。

「そういえば、井上は、この店の近くにある会社に勤めてるんだっけ? 」
「は?

そうだけど。」
俺が問いかけると、俺の今更な問いかけに、井上は不審げな視線を向けてきた。
だが、そんな向こうの反応に、俺は不敵に満面の笑みを浮かべて、こう言った。
「そこ、俺が勤めてる企業の、子会社だからさ。」
「はあ。」
瞬間、井上が酒で上気したその顔を、ポカンと固まらせた。
しかし、そんな彼を尻目に、俺は内ポケットから自身の名刺を取り出すと、はい、と渡してやる。
「今度、部長になられる出世頭の井上なら、自身の務める会社の親会社ぐらい、さすがに知ってるだろ。」
「俺、今はそこ の事業戦略部門の長をしてるんだよ。」
井上の指に名刺を握らせ、俺は先ほどのお返しとばかり、彼の肩をポンポンと叩く。
そう、実は、俺が中卒で就職した職場は、井上が務める会社とはまた別の、同じ親会社を持つ子会社だったのだ。
そこで俺は、周囲との学歴の差を埋めるため、懸命に働いた。
すると、その頑張りと実績が本社の人間に認められ、10年ほど前に、子会社から本社へと転勤を命じられたのである。
また俺は、そこでも着実にキャリアアップに励み、今では本社の中枢を担う部署の部長代理を任せられるまでになった。
ちなみに役職こそ井上の方が上であるが、各子会社の実績を統括管理する部署にいたことのある俺は知っている。実は、井上の働く会社の業績は、他の子会社と比べても万年低水準であり、その基準で考えるならば、部長というのも、それこそ彼が得意げに言うほどには、見栄えの良い肩書きでもない。
俺の名刺を、穴が開くほど凝視して、次第に顔を青くさせていく井上の様子に、周囲の同級生たちも、どうやら俺の言っていることは真実だと分かり始めたようである。
「上新、部長さん。万年赤字の御社ですが、今年こそは、業績アップ期待してますからね。」
そして、わざとらしく俺がそう声をあげれば、同級生たちの間では、ひそひそと何事かを囁き合う声が広がっていく。
そこで俺は、ダメを押すとばかりに、そんな周囲を見回すと、一つ小さなため息をついた。
言葉を切った俺を、井上がぼんやりと見てくる。
相手が聞き取りやすいように、俺はゆっくりと続けた。
「でも、関心はしないね。」
「こうやって、お金で釣るようにして昔馴染みだけを集めて、さも自分が王様であるかのように振る舞うのは。」
「こういうの、なんて言うか知ってる? 」
「胃の中の川ずって言うんだよ。」
だが、その瞬間、しばらく呆然としていた井上の両眼が、カッと見開かれた。そして彼は、先ほどの余裕ではなく怒りで顔を真っ赤にさせると、不意に俺の胸倉を掴みかかってきた。
「この野郎。言わせておけばいい気になりやがって。」
彼の勢いに押されて、周囲の椅子が耳障りな音を立てて倒れる。
「黙れ。俺は、お前なんかより、よっぽどできる男なんだぞ。」
「ぐっ。」
俺はそのまま力任せに、近くのテーブルの上へと引き倒された。グラスや皿が割れる音、そこに女性たちの悲鳴が重なる。
「おい、落ち着け。」
そこでようやく、同級生たちが井上を止めに入った。
「夏弘、大丈夫か? 」
離れた場所にいた友人が、顔色を変えてこちらへ近寄り、その隙に俺を助け起こしてくれる。
「うん、大丈夫。ありがとう。」
「くそ、お前なんか、お前なんか、負け犬のくせに。」
だが、同級生たちによって一旦は離された井上が、立ち上がった俺を睨みつけて、再び暴れ出そうとするものだから、友人が俺の手を引き、とりあえず店を出るよう促してきた。その場の何人かも、目顔で、早く行けと訴えるものだから、俺もその判断に従って、大ごとにならないうちに店を出る。
その後しばらくして、井上も俺の姿が見えなくなったことで、ひとまずは落ち着いたと、友人から連絡が入った。服こそ汚れたものの、双方とも怪我はなく、また壊したグラスなどは、井上とその取り巻きたちで弁償したという。
友人からも、無理やり参加させた上に、あんなことになって悪かったと謝られたが、そもそもは一方的に絡んできた井上が悪いのだ。
俺はこの件を警察に通報するべきか悩んだが、結局それは思いとまった。
だが、その代わり、俺は「地方の子会社の人間に暴力を振るわれた」と、本社へ報告したのである。
そして後日、井上に対し、事実確認の聞き取り調査が行われた。
しかし、そこで井上は、そのような事実はないと、白を切ったらしい。
それも、言うに事欠いて、俺が井上のことを一方的に僻み恨みし、あることないこと言いふらしているのではないかと、まで付け加えたとのこと。
その報告を聞き、俺は今度こそ呆れ果ててしまった。
自身が他人に対して暴力を振るったことを言い逃れようとするばかりか、反対に、俺のことを加害者に仕立て上げるなど、開いた口が塞がらないとはこのことだ。
そして俺は、即、同窓会の会場であった居酒屋に問い合わせをした。
店の防犯カメラの映像に、同窓会での一部始終が映っていないか、確認するためである。
基本的にはプライバシーの侵害になり得るため、外部の人間はおいそれと映像を見られないのだが、井上は今回の件で、店側にも態度が悪く接していたそうで、そのことで店側にも思うことがあったらしい。
「自分たちにできることがあるなら、是非協力する。」
という心強い返答があり、俺は早速、その件を本社へと上げた。
そして、俺や井上と言った当事者には直接映像を見せないことを条件に、第三者である聞き取り調査チームがカメラをチェックしたところ、俺の胸倉を掴んで引き倒す井上の姿が、しっかり映っていたということだった。
結果、井上は後日、俺へ謝罪する運びとなった。
ところが、第三者を招き、本社の会議室で行われた彼からの謝罪は、明らかに本心からのものではないと分かるほどに、いい加減なもので、また、謝るだけ謝った後も、井上は不機嫌な態度を隠そうともしていなかった。
それでも会社側は、騒ぎをこれ以上大きくはしたくないとして、謝罪と合わせて、彼の昇進の取り消しを決め、今回の件は手打ちということになったのである。
なんともモヤモヤが残る結果とはなってしまったが、それでも俺とて一人の会社員だ。会社側の決定には従う他ない。
それに、あの一件以来、井上は中学の同級生たちからは、ソッポを向かれていると、俺は友人から聞いていた।
あれだけ持て囃されていた人間からしたら、自身の取り巻きだと思っていた相手から無視されるのは、身に応えるものもあるだろう。
せめて今回の一件で、己の振る舞いを反省してくれればいいと、そう思いながら、俺は日々の仕事に打ち込んでいた。
だが、それから数ヶ月して、井上が務める子会社から、一件の匿名での告発が本社へ届いたのだった。
「君の同級生だが、何やら問題を起こしているようだな。」
「え、一体何をしたんですか? 」
上司に見せられた告発の内容は、職場における井上の勤務態度についてだった。
どうやら、あの一件以降、職場でも同僚や部下に対して、理不尽な行いを繰り返しているらしい。
俺への愚痴も言っているようなので、その原因は、十中八九、見下していた俺に謝罪することになり、昇格も取り消されたことだ。
井上の高すぎるプライドが、傷つけられたのだろう。
その後、本社は改めて、本格的な社内調査を取り行うこととなったのだが、当の本人がどうにも非協力的な上、蓋を開けてみれば、告発の件以外にも、彼の様々な問題行動が明らかになったのだという。
結果、井上は、あっさり解雇処分となってしまった。
だが、驚くべきことに、その処分が不服として、井上は社内で暴れ、ついには警察を呼ぶ事態にまで発展したらしく、井上は器物破損、暴行未遂、その諸々で現行犯逮捕となった。
ちなみに、井上の務める子会社は、その後、「経営見直し」という名目の元、隣の子会社の一部門として吸収されることが決まり、事実上閉鎖という形で幕が引かれた。
それから一ヶ月後、同窓会の話を持ちかけてきた友人から着信があり、俺はその後の井上のことを聞いた。
「井上基礎は免れなかったらしいけど、結局執行猶予がついて、実刑にはならなかったって。」
「でも、散々自慢してきた、美人で金持ちの奥さんとは離婚になって、娘も奥さんに引き取られたんだと。」
「そうか。」
「あいつさ、昇進の話がなくなって以降、家でも奥さんと娘に当たり散らしてたらしくって。」
「それもあって、離婚時の慰謝料が、相当高くなってるらしい。」
「ま、自業自得ではあるんだけどな。」
そう言いながらも、友人も、それから俺も、「すっきり解決」といった心持ちには到底なれなかった。
驕り高ぶった人間の末路と言ってしまえばそうなのだが、多分、一歩間違えれば、誰だって井上と同じようなことになってしまう危険は孕んでいると、思う。
だからこそ、俺たちは日々、慎んで己を律して過ごしていかなければならないのだ。
それでも、今回の一件で、一ついいこともあった。
なんと、友人の努力が実り、この度めでたく彼は、九段のゆきちゃんと交際することとなったのである。
「どうよ?

交際は順調か? 」
俺の軽口な問いかけに、友人が電話口で照れたように笑った。
「ま、おかげ様でね。」
「今度さ、ゆきちゃんと俺、それからお互いの友達数人で、遊びに行くことになってんだけど、お前も来いよ。」
「いい出会いがあるかもよ。」
「そうだな。楽しそうだし、俺もお邪魔しようかな。」
そういえば、ここ数年は仕事にかまけて、プライベートの充実まで気が回らなかった。の幸せそうな様子を聞くに、俺もそろそろ、本格的に将来を見据えた付き合いのできる相手と出会いたいという思いも湧いてくる。
それに、多分、この誘いは、未だ同窓会での件を気にしている友人の、俺に対する気遣いも含んでいるのだと察した。
もうそんなこと、気にしなくていいのに。
何とも義理堅い男である。
「お、じゃあ決まりな。」
「また詳しいこと決まったら電話する。」
「うん。気にかけてくれてありがとな。」
良い友人を持ったなと、俺は改めてそう思いながら、これからの日々も、真面目に誠実に過ごしていこうと、今一度心に誓ったのだった。

片山美ゆ、30歳。実家暮らしの独身。私は、5年前、両親が開業したことをきっかけに、実家に戻った。
それまでは都内の金融機関に勤めていて、私はそのまま東京で生きていくつもりだった。
その考えを変えたのは、両親の仕事に可能性を感じたから、かつて地元の有名旅館で板長を務めていた父が、定年を前に早期退職した。
「少しでも若いうちに始めておきたいと思ってなあ。」
父には、働けるうちは働き続けたいという希望があった。勤め先にも再雇用制度はあったが、可能な限り、バリバリと現役の感覚で仕事をしたいという願望も強かった。
「お弁当屋さんを始めることにしたんだけど、場所はおじさんが都合してくれることになったから。」
父は、長年保健士をしていた母と二人で、地元で弁当屋の開業を決めた。
料理人としてのスキルと、働きたい気持ちを満たせる場所を、自分で作り上げることにしたのだ。
父の能力は、私もよく知っていた。
とにかく器用で、綺麗好き。作り出す料理の味は、身内びいき目があっても絶品だ。
「私も手伝っていいかな? 」
会社での自分に不満があったというのもない。先々、自分がどのぐらいまで登っていけるのかも分かっていた。
それでも、新しいビジネスの方が面白そうだった。
私は一人っ子で、親の将来を気にかけてもいた。
元気でも、これから確実に年を重ねる両親のそばにいられるのならば、それもそれでいいとも思った。
「経理とか帳簿とかも、任せてもらえたら、一応、金融機関にいたんだからね。」
「じゃあ、そこは安心だな。」
私は両親と合流し、開店準備の時間から一緒に過ごした。
店の場所は、叔父がかつて雑貨屋をやっていた商店街の中。店を閉めてそのままにしていたことを悔いていた叔父は、私たち一家の挑戦を歓迎して、応援してくれた。
そうして開店までを慌ただしく過ごし、無事に店を開けた。
「ありきたりだが、地産地消をテーマにするぞ。」
「地元のものを使う。」
「高い人には物足りないかもしれないけど、体に優しい味と量を目指してね。」
父は弁当屋では、かつてとは違う味と料理を追求しようとしていた。
健康志向でヘルシー、野菜をふんだんに使い、ベースは和食。は父の専門だったが、「豪華で上品ではないもの」というのは、これまでとは違っていた。
それから、地元食材を中心にというのも、新たな取り組み。
旅館時代は、全国から寄りすぐりの食材を集めて使っていた。
それを大きく変え、地元の農家さんたちにも声をかけ、一から始める。
材料費全体のコストは重んじてしまうが、取り組みとしては悪くない。
ヘルシーでシンプルになる料理の味付けに関しては、保健士として活躍していた母が、栄養学の知識を元にアドバイスした。
「片山さんのお弁当、食べ応えがあって好評ですよ。」
「私たちも、普通のお弁当屋さんだと脂っこかったりで食べきれないから、助かるんです。」
「ありがとうございます。父にも伝えますね。」
そういう言葉を励みにしているので、私は弁当屋を開業してから、配達業務を主に担当している。
お昼時に、契約先の会社や、一部の個人宅を回る。
その他にも、特別な日のお祝いを注文してくれる介護施設など。
配達先も地道に増やして、ここまで来た。
両親の弁当は、いろんな世代に受けていた。
「若い人も、時には体にいいものを食べたいのよ。」
「ジャンクフードの箸休めに喜ぶ。」
「若い人にも受けるんだなあ。」
「何もねりはしないと思ってたもんだけどな。」
「世の中はそういうものじゃなかったんだよ。」
「そうよ。健康志向の時代なんだから、若い頃から気をつけたいのよ。」
父の取り組みは、しっかりとお客さんに伝わっている。
マイペースに続けているSNSや店のホームページにも、問い合わせは多い。
家族でやっているので、全ての人を相手にできないことが心苦しいが、確実に誠実に答えることを大事にして、目の前の人たちに向き合っていた。

ある日、私は顧客の中でも付き合いの長い地元企業への配達に出た。
両親が弁当屋を開業するや否や、最初に弁当の契約をしたいと申し出てくれた会社だ。
昼時を前に、100食近い数の弁当を持っていく。
会社の担当者とは顔馴染みになり、他愛のない世間話もする。
だが、つい最近、担当者が変わったと聞いた。
前任者は引っ越しを機に退職し、新しい人が入ったと連絡をもらっていた。
新担当者との対面を前に、私は少し構えていた。
「どうも、お世話になります。片山のものです。」
「これからよろしくお願いします。」
弁当を届け、新担当者だという女性に挨拶する。
牧野と名乗った若い女性は、「どうも」と軽く言った。
「よろしくお願いします。」
「あの、支払いとかそういうのがどうなのか、後で確認させてください。」
実に事務的なやり取り。
申し訳ないが、牧野さんからは仕事熱心さは感じられない。
彼女はどこか、地元ではあまり見かけない雰囲気を放っていた。
綺麗で颯爽としても、複雑そうな色味の髪。メイクも今時の若い女性で、ネイルも完璧。
素朴さとは程遠い。
私が東京で見ていた女性が、目の前にいる。
そんな雰囲気の人だった。
「新しい人、どうだった? 」
店に戻り、母に尋ねられた。一番のお得意様の変化だけに、母も気になったのだろう。
「ああ、すごく若い人って感じかな。」
「さっぱりといえばそうなんだけど、ちょっとさっぱりすぎる、みたいな。」
牧野さんへの感想を、母に正直に伝える。
毎日のように向き合うのは私だから、包み隠す必要はないと思った。
数日間、牧野さんとは当たり障りのない対面が続いた。
しかし、しばらくして、牧野さんから話しかけられた。
「あの、あなたの店の弁当って、なんとかならないんですか?


「え、なんとかって。」
「あの、ダサいところとか、味の薄いところとか、見た目が年寄りの弁当みたいで、嫌なんですよね。」
自分でも食べてみての実感を込めた感想。牧野さんの言うことはそういうことだったが、表情には笑みが浮かんでいた。
「ダサいというか、素朴さって言えばいいでしょうか。」
「うちはそれをアピールポイントにしているんです。」
「素朴って、それがダサいってことなんですけど。」
「かもしれないですけど、和食中心だし、詫び寂びの意識もあるんですよ。」
「ふうん。」
「あ、知らないですけど。」
「素材も、地元さんを特色にしています。」
「手間も思いが、素材にも料理にも込められてのお弁当なんです。」
「おしゃれな若い女性には、何もかもが物足りないのかもしれない。」
率直な感想に、いい気分にはなれなかったが、気を取り直して、なぜうちの弁当がそっけなく地味かを説明する。
「たまにはいいかなって、若い方にもヘルシーさに注目してもらえてはいるんです。」
「よかったら、じっくり食べてみてください。」
丁寧に売り込みを測ってみたが、逆効果だった。
牧野さんは小さく吹き出しながら、ズバズバと所見を吐き出した。
「あなた、私より年上ですよね。」
「だったら、やっぱり若者の言うこと分からないんじゃないですか。」
「おばさんだから。」
「え、あの、ちょっと、行ったことあります? もっと綺麗で、いわゆる映える弁当なんて、いくらでもあるんです。」
「せっかくお金出すんだから、そういう映えるものが食べたいんですよね。」
牧野さんは、いなしながら、弁当の値段についてもけちをつけた。
「あまりにも高すぎる。」
「上品でダサい弁当に、言われるような価値はない。」
とばっさり切る。
個人的にけなされた悔しさと、作る側の試行錯誤と大変さも知らずに、上から物を言う姿勢に、私も切れかかってしまった。
「ですから、さっき言った通りなんです。」
「地元さんの野菜や、調理工程にも手間がかかっているんです。」
「それを、申し訳ないですが、価格に載せさせてもらってます。」
「はい。」
「はい。」
「その代わり、皆様にご満足いただけるものはお出ししています。」
「ああ、はいはいはい。」
「もういいです。」
私の反論も、牧野さんは歯牙にもかけなかった。
手を振り、愛想のない顔で言う。
「うちは、お金払って弁当は買ってるんです。」
「っていうことは、買う買わないは自由に決めていいわけですよね。」
「え、はい。」
「だから、こんな弁当なら、お金使いたくないんです。」
「いいんですよ。」
「契約を打ち切っても、でも困るでしょう。」
得意げに、自分の立場を振りかざし、牧野さんは私を試していた。
「まずいのに持ってくるから、仕方なく食べてるだけなので。」
ふと鼻を鳴らして、余裕の笑み。
それに、私も我慢ならなくなり、売り言葉に買い言葉で、帰ることになってしまった。
「でしたら、それで結構です。」
私はそれ以上何も言わず、振り返りもせずに車に向かった。
「お店、潰れちゃうかもだけど、いいんですか? 」
背後から牧野さんの声が聞こえたが、その時には車のドアに手をかけていた。
当然、引き返すつもりもなく。
店に戻ってからは、母を相手に全てをぶちまけた。
「大事なお客さんを振ったのは申し訳ない。ごめんなさい。」
「でもね、あそこまで言われて、商売する気になれない。」
全てを打ち明ける私に、母は時々頷いた。
「何も知らない人に、うちの弁当がどうこう言われる筋合いはない。」
「そうよね。」
「同じ業界の人に言われるのは勉強。」
「でも、お客さんでも、そもそも弁当が気に食わない人に、ああしろこうしろ言われるのは、クレームと同じだわ。」
「若い人には響かないかもしれないけどね。」
「うちの弁当にも、ポリシーはあるからね。」
「そう、そこなの。」
「どういう思いがあってっていうのも、ちゃんと説明したけどさ、自分の考えるおしゃれが大事なの、あの人には。」
「ま、先々を考えて、少し若者向けも用意していきたいところだけど。」
「分かるんだけどね。」
「でも、もっと地道に考えてさ。」
「そうね。」
「ただ、あの、本当にごめんね。」
「大事なお得意様だったんだけど、あんな感じで飛び出てきちゃって。」
「もういいのいいの。」
「切り替えましょうね。」
少なからず後悔しない自分を、不甲斐なく思う私に、母は明るく答えた。
仕事はあって、お客さんはまだまだいる。
一つ一つのつまづきに囚われるよりも、次の仕事に向かうのが先。
週末の飛び込みの依頼や、観光客の目当ての店頭も忙しく、次第に嫌な気持ちも薄れていく。
リセットには、ある意味でいい時間を過ごしている中、思わぬ訪問者が現れた。
「失礼します。」
「お忙しいところ申し訳ない。」
見覚えのある気がする中年男性が店先に顔を見せ、私は会釈する。
「ああ、こんにちは。」
「いらっしゃいませ。」
この人は誰だろうかと、男性の顔を見て記憶を探る。
すると、男性の後ろから、牧野さんが姿を見せた。
牧野さん。
牧野さんは私の顔を見ると、目をそらした。
不機嫌そうに下を向き、同行しているのであろう男性からも、微妙な距離を取っている。
「ああ、どうも、ご無沙汰しております。」
「ああ、いえ、こちらこそ。」
「この度は、手前どもの社員が、大変な失礼を。」
私が牧野さんに視線を送っている間に、母が男性と言葉を交わす。
「すみません。」
「こちらも、わざわざご連絡するほどでもないかと思ったんですけどね。」
「いいや、とんでもない。」
「あんなことを見過ごしてしまっていたとしたら、私は会社を束ねるものとして、不徳以外の何者でもありませんから。」
話を聞いているうちに、中年男性が牧野さんの勤め先、つまりはお得意様の会社の社長だと分かった。
母は、私がお得意様相手に何があったか聞いて、電話を入れていたらしい。
気にしていないようでも、母なりに、胸の内に怒りを覚えたのだろう。
「私は、弁当を用意するのであれば、健康的であればと思いまして。」
「弁当となると、どうしても揚げ物や茶色いものが多くなりますからね。」
得意先の社長は、社員の健康を考えて、うちの弁当を選んでいた。
社員を抱え管理する身としては、健康診断に引っかからない社員が多い方がありがたい。
私には、そんな気持ちが手に取るように分かった。
「そうしたら、長年お世話になっていた片山さんが、お店を始めると、ご相談させてもらったら、私が考える理想の弁当を作っていらした。」
そういえば、と私はここで思い出した。
得意先の社長と、うちの母は、高校の同期生で、社会人になってからは、地域のイベントや、健康関連の取り組みで一緒に仕事をしていたのだ。
長年の知り合いのよしみで、うちの超お得意様になってくれた。
社長の会社との経緯は、そんなところだったが、初耳だったらしい牧野さんは、社長の話に目を丸くしていた。
牧野さんの発言は、彼女が思っていたこと、自分には昼の注文先を選ぶ権限があると勘違いしていたことに起因する。
「え、社長、」
「いいかね。」
「昼の注文先は、私や総務が取り決めている。」
「君は、責任持って片山さんに接して、届けられた弁当を管理して、容器をお返しするのが仕事。」
「そんなはず。」
「何が言いたい? 君が注文先を変えて、契約まで結ぶつもりなのか?


「そのぐらいだったら、そのぐらいと、勝手なことを言うな。」
「どのお店と契約するにも、しっかりと念を尽くさなければ、長いお付き合いになるんだからな。」
社長は、牧野さんの権限を、本人に言い聞かせた。
「前任者は、ベテランで総務の経験者だから、全てを任せた部分もあった。」
「しかし、若手で入社間もない君には、一つずつ小さな仕事を覚えてもらいたい。」
「それだから、弁当の受け取りと管理を含めた窓口業務を任せた。」
「その意味を、君は分からないんだな。」
「そんなこと言われても。」
「もう少し、態度というものを考えなさい。」
「自分たちのために何かをしてくれる人がいる意味、そして、会社同士の付き合いがどういうものか。」
「だから、どうすればいいんですか? 」
「まずは、自分の言動を謝罪しようとは思わないのか。」
社長の声が荒くなり、牧野さんの顔から血の気が引く。
今の今まで、自分は悪くないという素振りさえ見せていた牧野さんも、何かを悟ったらしい。
どう考えても、社長がうちに出向くと言った時点で、何かに気づくべきだと思ったが、私は何も言わずにこらえた。
「あの、申し訳ありませんでした。」
「何も考えずに、言いたいことを言ってしまいました。」
「そうでしょうね。」
「でも、さすがに、何か分かったんですね。」
最後に、牧野さんに皮肉をぶつけた。
彼女は、唇を噛みしめながら、身を縮めて頭を下げた。
「私たちも、これ以上は何も言いません。」
「今後、どうするかも、社長にお任せします。」
母は牧野さんにそう告げて、全ての判断を、長年の知人である社長に託した。
「会社の皆様の言葉ではないというのは分かりましたので、私たちはこれからも、店を続けていくだけです。」
「是非、これまで通りお願いできますでしょうか? 私が社員のためにいいものをというのは、変わりませんので。」
社長は、最後に牧野さんよりも深く頭を下げた。
それを見て、牧野さんの頭も下がっていったが、私は、その後の彼女の姿に、何とも言えなくなった。
彼女は、つくづく、自分のしたことが分かっていないのだろう。
社長の登場で、弁当の配達は再開となった。
後ほど、容器の回収にも伺いますので、新しい担当者は、にこやかに対応して、世間話もしてくれる。
この反面、前任者となった牧野さんは、社内でも最も仕事量が多い部署に回されているそうだ。
一度その姿を見かけたが、以前の華やかな雰囲気が消え去っていた。
厳しい上司に、事あるごとに教育されながら働いているようだが、表情は疲れ切って、無然としていた。
私は、これからも変わらずに仕事をしていく。
を待ってくれている人たちは、ありがたいことにたくさんいる。
両親を支えながら、これからも頑張っていきたい。