あの日、息子が言った一言です。間違っても忘れられません。私、清水と申します。65歳で、夫を亡くしてから20年間、ずっと一人で暮らしてきました。静かな朝に紅茶を飲みながら新聞を読んでいる時、息子の淳から電話がかかってきました。「母さん、大事な話があるんだ。」その声はどこか緊張していました。何かあったのかと聞くと、淳はこう言いました。「実は、義理の両親と同居することになったんだ。それで、母さんとは一緒に暮らせなくなった。でも、月8万円の仕送りは今まで通り続けてもらえるよね。」私は一瞬、言葉を失いました。私との同居は断るのに、お金だけは要求する。その理不尽さに、何も言えませんでした。
夫を亡くした後、私は女手一つで息子を育て上げました。図書館司書の給料は高くはありませんでしたが、息子のためなら何でもしようと思っていました。教育費だけで1200万円。大学に行かせるために、自分の服も買わず、旅行も我慢してきました。就職後、マイホームを買う時には頭金として600万円を援助しました。それは夫が残してくれた保険金と、私がコツコツ貯めた退職金の一部でした。孫が生まれてからは、さらに献身的になりました。「お母さん、今日もお願いできますか?」嫁のゆき子さんからの電話は、いつも朝の6時半。週に1日、朝7時から夜8時まで、3年間孫の面倒を見続けました。そして、今も月8万円の仕送りを5年間続けています。総額で480万円。決して少ない金額ではありません。でも、息子家族の幸せが私の幸せだと、そう自分に言い聞かせてきました。
しかし、その電話で何かが変わりました。私の献身は、息子にとって「当たり前」のことだったのでしょうか? 電話から3日後、私は息子の家を訪ねました。義理の両親との同居について、詳しく話を聞きたかったのです。玄関のチャイムを鳴らすと、ゆき子さんが出てきました。「あら、お母さん。今日は約束してましたっけ?」いつもの、そっけない態度でした。リビングに入ると、そこには豪華な料理が並び、中央に品の良い老夫婦が座っていました。義理の両親です。「お父様、お母様、これからよろしくお願いします。」淳が満面の笑顔で頭を下げていました。私が何年も見たことがないような、心からの笑顔でした。「母さん、来てたの?」私を見つけた淳の表情が、一瞬で変わりました。「ちょっと、今は忙しいんだ。義理の両親の歓迎会だから。」
「義父は以前、会社を経営していたんですよ。」淳が誇らしげに説明しました。「それに比べて、うちの母は図書館で働いていただけですから。」私は耳を疑いました。「図書館で働いていただけ」ですって。38年間、地域の人々のために働いてきた仕事を、そう言われたのです。「淳、私も一生懸命働いてきたのよ。」「分かってるよ。でも、幸子の両親は違うんだ。人脈も広いし、孫の教育にもプラスになる。」私は黙ってその場の雰囲気を観察していました。義理の両親には丁寧な言葉遣いなのに、私には乱暴な口調。この差は何なのでしょうか。すると、淳が話題を変えました。「ところで仕送りの件だけど、来月から10万円に増やしてもらえない? 義理の両親の生活費もかかるから。」10万円。私一人暮らしだし、そんなにお金を使わないだろう、とでも言いたいのでしょう。その無神経さに、言葉を失いました。
食事が終わり、私が台所で片付けをしていると、リビングからゆき子さんの声が聞こえてきました。「お父様もお母様も本当に素敵です。それに比べてあちらのお母さんは…。正直、あまり一緒にいても楽しくないんです。話も面白くないし、趣味もないし。」手を止めて、聞き耳を立ててしまいました。「ゆき子、そんなこと言うなよ。」淳の声は、注意というより軽い冗談のような口調でした。「でも本当のことでしょ。お金だけ出してくれればいいのよ。どうせ他に使い道もないでしょうから。」その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れました。「そうだな。母さんは貯金が趣味みたいなもんだから。」息子の同意する声に、私は震える手で食器を置きました。そして、静かに台所を出てリビングに戻りました。「そろそろ帰るわね。」「え、もう帰るの?」淳は驚いた顔をしましたが、引き止める様子はありませんでした。玄関で靴を履いていると、淳が追いかけてきて言いました。「母さん、仕送りの件、よろしくね。」「考えておくわ。」「考えるって…何を? 当然でしょう?」その「当然」という言葉が、私の心に深く突き刺さりました。
帰り道、私は涙をこらえながら歩きました。必死に尽くしてきた息子に、こんな風に思われていたなんて。お金を出すだけの存在。一緒にいても楽しくない母親。でも、一番ショックだったのは、息子が私の気持ちを全く考えていないことでした。月10万円という金額が、年金暮らしの私にとってどれほど大きな負担か。そんなことは、息子にとってはどうでもいいことなのでしょう。その夜、私は一人で食事をしながら、これまでの人生を振り返っていました。息子のために必死で働き、貯金し、生きてきた。でも、その息子にとって私は、ただのお金を出す人でしかなかった。「もう、十分じゃないかしら。」私は小さくつぶやきました。答えは、もう心の中で決まっていたのかもしれません。
1週間後、淳から再び電話がありました。私は、仕送りを続けることへの返事を保留にしていました。「母さん、前の件だけど、まだ決めてくれないの?」「まだ、考えているところよ。」「考えるって、もう1週間も経ってるじゃないか。義両親も来月から同居なんだから、早く決めてよ。」青息のように苛立つ息子に、私は静かに尋ねました。「淳、私の老後のことは考えてくれているの?」「老後? 母さんはまだ65歳でしょ。それに一人暮らしなんだから、そんなにお金もかからないでしょう。」「私が病気になったら、面倒を見てくれるの?」「それは…その時考えるよ。今は義両親の世話で手一杯になるし。でも、私も親だからね。」沈黙が流れました。そして、淳の口から出た言葉は、私の想像を超えるものでした。「正直、母さんといても楽しくないんだ。義両親は元気で話も面白いし、一緒にいて刺激になる。でも、母さんはいつも同じ話ばかりで退屈なんだ。それに、共養もないし、世界も狭い。孫の教育にも良くないと、雪子も言ってるんだ。」共養がない…。私は38年間、図書館で本を貸していただけですからね。「だから、お金だけ出してくれればいいんだ。それが母さんにできる唯一の貢献でしょう。」「唯一の貢献」…。私は呆然として、その言葉を繰り返しました。「そう、正直に言うけど、母さんには他に価値がないんだよ。」その瞬間、私の中で何かがプツッと切れる音がしました。
「分かったわ。淳、じゃあ、10万円でいいのよ。仕送りは、もう止めたわ。今日、銀行で手続きを済ませたの。」「え? 仕送りのことよ。言ったでしょ、止めたって。」「何言ってるの? 冗談でしょう!」淳の声に焦りが混じりました。「冗談じゃないわ。価値のない母親からの援助なんて、必要ないでしょう?」「ちょっと待ってよ。そんなつもりで言ったんじゃ…。」「どんなつもりだったの? 私にはお金を出すしか価値がないって、はっきり言ったじゃない。」「それは…でも親なんだから、子供を助けるのは当然でしょう。」「当然? あなたは私を、親として扱ってくれましたか?」淳は答えられませんでした。義理の両親は大切にするのに、実の母親には価値がない。一緒にいても楽しくない。そんな息子に、どうして援助を続けなければいけないのでしょうか。その後も淳とゆき子さんは謝罪し、仕送りの継続を求めましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。そして、最後にこう言いました。「もういいわ、淳。あなたの本心がよく分かったから。」そう言って、私は静かに電話を切りました。不思議なことに、もう涙は出ませんでした。きっと、心のどこかで限界を感じていたのでしょう。私は、42年間の母親としての役割に、自ら幕を下ろすことにしたのです。
実は、私には淳に内緒にしていることがありました。3ヶ月前、私は密かに都心の高級マンションを購入していたのです。夫が残してくれた株式と38年間の退職金、そして切り詰めた生活の中でコツコツ貯めた預金。それらを運用した結果、私の資産は2億円を超えていました。なぜマンションを購入していたのか。心のどこかで、いつかこんな日が来ることを予感していたからかもしれません。銀行での手続きを終え、私は引っ越しの準備を始めました。持っていくものは最小限。思い出の品もほとんど処分しました。新しい生活に、過去の思い出は必要ありません。夕方になって、淳から電話がありました。今度はゆき子さんも電話口にいるようでした。「母さん、昨日は本当にごめん。言いすぎたよ。」「そう。」私のそっけない返事に、淳は慌てたように続けます。「雪子も謝りたいって。お母さん、私たちが悪かったです。」「反省? 何を反省しているの? 言い方がひどかったって? 言い方の問題じゃないでしょう。本心でしょう?」沈黙が流れました。「とにかく、仕送りは続けてください。お願いします。」「もう手続きは済ませたわ。自動振り込みを止めたの。今日、銀行で。」「ちょっと待って。そんな急に…。」「急? あなたたちも急に義理の両親との同居を決めたじゃない。」「それとこれとは違うでしょう。」「何が違うの? 私には価値がないんでしょう? 一緒にいても楽しくないんでしょう?」「だから、それは…もういいよ。あの、明日は何かあるの?」「ちょっとね。じゃあ、おやすみなさい。」私は電話を切りました。その夜、荷造りを終えてガランとした部屋を見回しました。この小さなアパートで、ずっと一人で暮らしてきたのです。息子のため、将来のためと思って、自分の楽しみは後回しにしてきました。でも、もうそれも終わり。明日から始まる新しい生活を思うと、胸が高鳴りました。
引っ越しの日は、爽やかな晴れでした。初めて訪れるその高級マンションは、想像以上の素晴らしさでした。コンシェルジュの方が笑顔で出迎えてくれ、最上階の部屋へ案内してくれました。大きな窓から見える景色は、まるで映画のワンシーンのようです。「今まで節約ばかりの生活だったけれど、これからは自分のために生きていこう。」そう心に誓いました。荷物の整理をしていると、スマートフォンがなりました。淳からです。今日だけで、もう20回目の着信でした。ため息をつきながら、電話に出ました。「もしもし。」「母さん、やっと出てくれた。仕送りが振り込まれてないんだけど。」息子の声は、明らかに焦っていました。「昨日も言ったでしょう。もう手続きを済ませたって。」「でも、来月から義両親も来るんだよ。生活、どうすればいいの?」私は窓の外を眺めながら、静かに答えました。「それは、あなたたちで考えることね。」「母さん、お願いだから。本当に困ってるんだ。」「困る? あんなに素晴らしい義理の両親がいるんでしょう? きっと助けてくださるわ。」「義理の両親は年金暮らしだから、援助なんてできないよ。」「あら、そうなの? でも、人脈は広いんでしょう。」私の言葉に、淳は詰まってしまいました。そして、こう言いました。「母さん、どこにいるの? アパートに行っても、誰も出ないんだけど。」「ああ、引っ越ししたのよ。」「引っ越し? どこに?」「都心のマンションよ。」「都心? そんなお金、どこにあったの?」私は小さく笑いました。いよいよ、真実を話す時が来たようです。「淳、あなたは私のことを何も知らなかったのね。」「どういう意味?」「実はね、お父さんが亡くなった時に残してくれた株式があったの。それが今、かなりの価値になっているのよ。」「株式? 聞いたことない。」「当然よ。あなたに言う必要がなかったから。」電話の向こうで、淳が何か説明している声が聞こえました。「母さん、その株式、どのくらいの価値があるの?」「さあ、どのくらいかしら?」「教えてよ。」「どうして? 私には価値がないんでしょう?」淳は一瞬黙り込み、そして取りつくろったように言いました。「あれは言いすぎた。本当に反省してる。」「そう。でも、もう遅いわ。」「遅いって、どういうこと?」私は深呼吸をしてから、はっきりと告げました。「退職金と合わせて、私の資産は2億円ほどあるの。」「2億円?!」淳の声が裏返りました。「嘘でしょ? 冗談だよね。」「冗談じゃないわ。今住んでいるマンションも1億2000万円。現金一括で購入したのよ。」電話の向こうで、何かが落ちる音がしました。「そ、そんな…。そんなお金があるなら、なんで今まで…。」「なんで今まで質素な生活をしていたのかって? それはあなたのためよ。でも、もうその必要もなくなったから。」「母さん、そのお金、俺にも権利があるはずだ。」「権利?」私は思わず声をあげて笑ってしまいました。「私を価値がない、お金を出すだけの存在と言った息子に、どんな権利があるというの?」「あれは…。」「淳、いい加減にしなさい。あなたは私を家族として扱わなかった。だから、私もあなたを家族として扱う必要はないの。」すると、今度はゆき子さんの声が聞こえてきました。「お母さん、私たちが悪かったです。これからは、大切にしますから。」「大切に? 今更。同居もできます。」「いえ、是非、同居してください!」「その変わり身の速さに、呆れてしまいますね。いいえ、結構よ。私は一人で幸せに暮らすから。」「2億円もあるなら、少しくらい…。」「1円も上げるつもりはありません。」「ふざけるな!」淳の叫び声が響きました。「血も涙もないのか! 実の息子だぞ!」「血も涙もない? それは私を価値のない人間扱いした、あなたでしょう。」「違う!」「違わないわ。『お金だけ出してくれればいい』『どうせ他に使い道もない』…。これのどこが誤解なの?」淳は答えられませんでした。「それに、実の息子だからこそ、教えなければいけないことがあるの。」「何を?」「人を大切にしないものは、人からも大切にされないということよ。」私は窓の外に広がる景色を眺めながら、続けました。「あなたは義理の両親を選んだ。それはそれでいいわ。でも、その選択の結果は自分で引き受けなさい。」「母さん、本当にいいの? このままだと、俺たち…。」「大丈夫よ。あなたには仕事があるし、素晴らしい義理の両親もいる。私なんかいなくても、きっとうまくやっていけるわ。」皮肉を込めて言うと、淳はついに声を荒げました。「ふざけるな! こんなの、周知だ!」「周知? 私は何もしていないわ。ただ、あなたの望み通りに関係を絶っただけよ。」そして、私は最後の言葉を告げました。「さようなら、淳。元気でね。」「待って…母さん!」私は静かに電話を切りました。これで、本当に終わりです。息子との42年間の関係に、自ら幕を引いたのです。でも、不思議と悲しみはありませんでした。むしろ、重い荷物を下ろしたような、そんな解放感がありました。これからは、自分のために生きていく。誰に遠慮することなく、誰に尽くすこともなく、ただ自分の幸せだけを考えて生きていく。65歳からの、新しい人生の始まりです。
新しいマンションでの生活が始まって、3ヶ月が経ちました。朝は大きな窓から差し込む朝日で目覚め、お気に入りの紅茶を飲みながらゆっくりと一日を始める。こんな贅沢な時間を過ごせる日が来るなんて、想像もしていませんでした。今まで息子のために使っていた時間とお金を、全て自分のために使えるようになったのです。先月はずっと行きたかったイタリア旅行に行きました。フィレンツェの美術館で名画を鑑賞し、ローマの歴史に触れ、ベネチアでゴンドラに乗る。まるで夢のような10日間でした。「人生って、本当はこんなに素晴らしいものだったのね。」私は写真を眺めながら、心からそう思いました。ある日、読書会の帰りにカフェに寄ると、スマートフォンが鳴りました。淳からです。この3ヶ月で、もう50回は超えているでしょうか。少し迷いましたが、私は電話に出ることにしました。「もしもし。」「母さん…。」淳の声は、以前とは打って変わって弱々しいものでした。「どうしたの?」「実は、義母が体を壊して、介護が必要になったんだ。」「そうなの…。」「少し前から物忘れが増えてたんだけど、この前の検査で、認知症の兆候があるって言われて…。」「なるほど。そういうことでしたか。」思っていたよりもずっと早く、現実が彼らにのしかかってきたのです。「それは大変ね。」「母さん、お願いだ。助けてほしい。」「助ける? どうやって?」「お金…。介護費用が…。」私は静かにため息をつきました。「淳、義理の両親を選んだのは、あなたでしょう?」「でも、こんなことになるなんて…。」「人生には、予想できないことが起きるものよ。でも、それも含めて引き受けるのが家族でしょう?」「母さんだって、家族じゃないか。」「私のことは、『外の人』だって言ったのは誰?」淳は黙り込みました。「それに、私みたいに価値のない、一緒にいても楽しくない人間に頼るなんて、プライドが許さないんじゃない?」「母さん、もういいよ。分かった。」電話の向こうから、ゆき子さんの怒鳴り声が聞こえてきました。「なんで諦めるの? もっと粘りなさいよ!」「無理だよ。母さんは本気だ。」「だったら、私が話す!」受話器を奪い取る音がして、ゆき子さんの声に変わりました。「お母さん、私たちの生活がどんなに大変か分かってますか?」「さあ、どうでしょう?」「義母の介護に、月に10万かかるんです。淳の給料だけじゃ…。」「それは、あなたたちの問題ですね。」「血も涙もないんですか!」ゆき子さんの絶叫に、私は冷静に答えました。「血も涙もない? それは、私を『お金だけ出してくれればいい』と言った人のセリフですか? ゆき子さん、覚えていますか? 『どうせ他に使い道もない』って言いましたよね。残念ながら、私には使い道がたくさんあるんです。旅行に、趣味に、友人との食事に。とても忙しくて、あなたたちのことまで考える暇はありません。」そう言って、私は電話を切りました。正直なところ、息子たちへの情はまだ少し残っています。でも、ここで助けてしまったら、また元の関係に戻ってしまう。お金を出すだけの、都合のいい母親に。それだけは、もう絶対に嫌でした。
その夜、同じマンションに住む友人とディナーをしていると、彼女が心配そうに聞いてきました。「その子さん、息子さんとの関係、本当にそれでいいの?」私は微笑みながら答えました。「ええ、これでいいんです。息子には息子の人生があり、私には私の人生がある。それぞれが自分の選択に責任を持つべきなんです。」「でも、寂しくない?」「寂しさより、自由の喜びの方が大きいですね。こんなに生き生きとした毎日を送れるなんて、思ってもみませんでした。」友人も、納得したように頷きました。その夜、自宅でゆったりとワインを飲みながら、私はこの数ヶ月を振り返っていました。息子に「価値がない」と言われた時は、本当にショックでした。でも、そのおかげで目が覚めたのです。私の価値は、息子に認めてもらう必要なんてない。私は私として、十分に価値のある人間だということに。そして、今私は心から幸せです。朝起きるのが楽しみで、新しい一日に何が待っているのかワクワクする。友人たちとの時間を心から楽しみ、趣味に没頭し、行きたい場所へ自由に行く。これが本当の人生なのだと、65歳にして初めて知ったのです。私の物語は、決して特別なものではありません。きっと同じような思いをしている方も多いはずです。家族のため、子供のためと言いながら、自分を犠牲にし続けている方々へ。どうか思い出してください。あなたの人生は、あなたのものです。理不尽な扱いを受けたら、はっきりとノーと言う勇気を持ってください。自分を大切にしない人のために、自分を犠牲にする必要はありません。我慢には限界があります。そして、その限界を超えた時、人は変われるのです。年齢なんて、関係ありません。今この瞬間から、新しい人生を始めることができるのです。窓の外には、美しい夜景が広がっています。キラキラと輝く町の明かりを見ていると、まだまだこれから先の人生が楽しみでなりません。これが私の選んだ生き方。誰に遠慮することもなく、誰に尽くすこともなく、ただ自分の幸せだけを追求する道。私はこの選択を、一片たりとも後悔していません。むしろ、もっと早くこうすれば良かったと思うくらいです。皆さんも、どうか自分を大切にしてください。そして、あなたの人生を、あなた自身の手で切り開いていってください。



