義母の古希祝いに向かった実家の庭で、私はありえない光景を目にした。部屋着のまま倒れている義母。顔は真っ赤で、呼吸は荒い。家の中からは、夫と義姉の楽しげな笑い声が聞こえてくる。実の娘に締め出された義母を、私は震える手で救急車に運び込んだ。
病院のベッドで義母が目を覚まし、思わず「一緒に暮らしませんか」と提案した。しかし、義母は冷たい表情で言い放った。「何言ってるのかしら?あなたの家なんてもうないわよ」
話は遡る。私は専業主婦の半田直子。夫の大輔は大企業の役職付きエリート、息子のひやは有名私立大に現役合格した秀才。そんな家で、最終学歴が高校の私は肩身の狭い思いをしていた。かつて大輔は「学歴も仕事も関係ない」と言ってくれたのに、結婚してからは毎朝のように「靴下がない」「朝飯はパン以外食べる気がしない」と怒鳴り散らす。息子も同じ調子で、私をこき使うばかりだ。大輔は外面だけはいいが、家の中では子供のようにわがまま放題。私は20年以上、耐え忍んできた。
そんなある日、義母の古希祝いに行くため、夫と息子を誘ったが「老人にかまっている暇はない」と一蹴された。一人で実家に向かい、チャイムを鳴らしても誰も出てこない。不審に思って庭に回ると、義母が倒れていた。慌てて救急車を呼び、病院で診てもらうと、発熱と捻挫。高齢のため、一日入院することになった。
義母が目を覚まし、事情を尋ねると、義母は涙ながらに打ち明けた。「役立たずは外がお似合いって言われて、娘に締め出されてしまったの」。義理の姉・よみは、義父が亡くなってから義母への当たりが強くなり、毎日皮肉を言い、金を抜き取り、ついに熱を出した義母を庭に放り出したのだという。怒りで拳が震えたが、私は何もできなかった。
家に帰って大輔に相談したが、彼はスマホを見ながら「高が熱だろ。ほっておけよ」と吐き捨てた。私が「せめて私くらいは」と言い返すと、大輔は離婚届を机に叩きつけた。「火政府のくせに何もできないくせに。1時間で支度して出て行け」と。私は家を出る決意をし、病院とカプセルホテルを往復する生活を始めた。大輔からの連絡はすべて無視し、着信拒否にした。
義母の入院は長引き、私は毎日見舞いに通った。ある日、義母がぽつりと言った。「私、あなたと一緒に住みたい」。義母は、私たちが住んでいた家がもともと義父の持ち家で、義母が相続していたと明かした。私が追い出されたと聞くと、義母はその家を売り払ったという。大輔から連絡が来ていたのは、そのせいだったのか。試しにメールを開くと「母さんの入院先はどこだ?話をさせろ」とだけ書いてあった。
病院の待合室でテレビを見ると、よみが警察に連行される映像が流れていた。ご近所が通報したらしく、よみは大暴れして逮捕されたようだ。その後、義母は退院し、私は一時的に義母の家に身を寄せたが、マスコミが押しかけて騒がしい日々が続いた。そんな中、大輔が会社を左遷されたとの噂を耳にした。義父のコネで入った会社だったが、義母とよみの騒動が社長の耳に入り、平社員に降格。年収も下がり、息子のひやは学費を払えず大学を退学したらしい。
ある日、義母が真剣な表情で言った。「ねえ、あなたさえよければ、一緒に住まない?引居用に買った家があるの」。私は遠慮したが、義母は柔らかい手で私の手を包み込んだ。「まだ離婚届は出していないのよね。一緒に役所へ行きましょう」。義母の無償の愛に、私は涙をこらえて手を握り返した。
そうして、私は大輔との離婚を決意し、義母との新生活を始めることになった。あの結婚は、まさに地獄だった。地位も名誉もある大輔との結婚は、私にとって決して幸せなものではなかった。今は、義母と二人で静かに暮らしている。ようやく、本当の安らぎを見つけた気がする。



