私は夫に捨てられるのではなく、私が夫を捨ててやる。そう心に決めたあの日から、私は計算高い妻を演じることにした。
あの日、友人が勤める会社で夫の浮気を知った。夫が同じ会社の若い女性と親しげにしているところを、友人が写真に収めて送ってくれたのだ。証拠はない、ただの親しい同僚かもしれない。でも、長年連れ添った夫の仕草に、私は直感で悟った。
「帰ったら問い詰めてやる」
そう思っていたのに、夫は帰ってくるなり、私より先に口を開いた。
「美奈子、離婚してくれないか」
あまりにあっさりとした言葉に、頭が真っ白になった。理由を問うと、彼は項垂れたまま「他に好きな人ができた」と呟いた。相手は会社の同僚、24歳だという。私たち夫婦には10歳の娘がいる。娘のためにも、私は簡単に頷くわけにはいかなかった。
それからの私は、ひたすら夫に尽くした。彼の好きな料理を作り、好みの服を用意し、些細なことで怒らず、優しく微笑んだ。そうすれば、彼の心がこちらに戻ってくると信じたかった。いや、信じようと必死だった。心は張り裂けそうなのに、私は笑顔を作り続けた。
しかし、ある日、夫のスマホが目に入った。画面には「早く奥さんに話してよね」というメッセージ。どうやら相手の女性は妊娠したらしい。私はようやく、これは現実だと悟った。そして、この結婚は終わるのだと。
それでも私は、まだ諦めていなかった。夫に尽くすことで、彼の気持ちが戻れば、それでいいと思っていたのだ。だが、夫は夜遅くに帰ってきて、こう言った。
「俺、この人と結婚するから。娘はお前が育ててくれ」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがぷつりと切れた。そして、私の復讐が始まった。
私は夫に、慰謝料として500万円を要求した。夫は驚いた顔をしたが、私は構わず続けた。
「それと、浮気相手の女性にも慰謝料を請求するわ。妊娠してるんだから、その子供の認知もするべきじゃない?」
夫は私の剣幕に気圧されたように、しぶしぶ頷いた。私はすぐに弁護士に相談し、手続きを進めた。夫は私の要求をのむ代わり、娘との面会を求めてきたが、私は拒否した。娘は私が育てる。
離婚が成立したのは、それから半年後のことだった。夫は女性と再婚したが、私の要求した慰謝料を支払うため、肩を落としていた。私は新しい仕事を見つけ、娘と二人で新しい生活を始めた。
ある日、スーパーで買い物をしていると、偶然、元夫と再婚相手の女性に会った。女性はベビーカーを押していた。私たちは目が合ったが、お互いに何も言わなかった。ただ、元夫の顔が驚くほど老け込んでいたことだけが印象的だった。
私は何も言わずにその場を離れた。心は案外と静かだった。この選択が正しかったのかどうか、今でも分からない。でも、あの時、夫の言葉に従っていたら、私は今ごろ後悔していただろう。
娘は今、新しい学校で楽しそうにしている。私は仕事に生き甲斐を見つけ、少しずつだが笑えるようになってきた。夫婦の形は壊れてしまったけれど、私たち親子の人生はまだ続いていく。



