家に帰る車の中で、ママ友の吹香さんから電話がかかってきた。「ヤッホー、まどかさん。あなたの車が燃えちゃってるわよ」—笑いながらのその報告に、私は凍りついた。だって、その車は私の車じゃない。癌父から借りた高級車だ。「待って、それ、私の車じゃないのよ」と言った瞬間、電話の向こうの吹香さんの声が変わった。「え、これまどかさんの車じゃないの?」。車のそばで焚き火をしたのは、私の車だと思ったから笑って…

家に帰る車の中で、ママ友の吹香さんから電話がかかってきた。「ヤッホー、まどかさん。あなたの車が燃えちゃってるわよ」—笑いながらのその報告に、私は凍りついた。だって、その車は私の車じゃない。癌父から借りた高級車だ。「待って、それ、私の車じゃないのよ」と言った瞬間、電話の向こうの吹香さんの声が変わった。「え、これまどかさんの車じゃないの?」。車のそばで焚き火をしたのは、私の車だと思ったから笑って...

「まどかさん、今どこにいるの? あなたの車が燃えちゃってるわよ。」

電話口で、ママ友の吹香さんが笑いながら言った。ママ友会で企画されたバーベキュー。私は準備を全部押し付けられ、荷物を運ぶために車で会場へ来ていた。その車が燃えているらしい。吹香さんの口調から、私の車がわざと燃やされたことは明白だった。

「本当なの? 実はその車、私の車じゃなくて…… 」

「え、何ですって?」

その言葉をきっかけに、吹香さんの運命は大きく転落していくことになる。

私は松井まどか。夫と小学三年生の娘と暮らす普通の専業主婦だ。毎日大きな不満もなく平穏に過ごしていたが、一つだけストレスを感じることがあった。それがママ友の大沢吹香さんの存在だ。

「まどかさん、来週のバーベキュー、当然あなたも参加するわよね?」

「バーベキューって、吹香さんが企画したあのママ友会のこと?」

「ええ、そうよ。まどかさんは専業主婦なんだから、暇でしょ?」

「そんなことないわよ。その日は予定が…… 」

「予定なんてなくてもいいのよ。専業主婦なんて、家事が終わったら家でゴロゴロする時間がたっぷりあるでしょ。私はパートで忙しいから、バーベキューの準備をする時間も作れないのよね。だからまどかさん、今度のバーベキューのメンバーに入れておいたから、準備お願いね。」

吹香さんは一方的にそう言うと、必要な品のメモを私に押し付けて去っていった。

吹香さんは子供を娘と同じ小学校に通わせているママだが、私が専業主婦だと知ると「どうせ暇なんだ」と決めつけて、こうやって仕事を押し付けてくる。学校の行事の準備や地域の掃除なども、ほとんど私や他の専業主婦のママに押し付けている。そのせいで、私以外のママにも嫌われていた。

行く予定もなかったバーベキューに無理やり参加させられたのも腹が立ったが、吹香さんの性格を考えると、私がやらなければ当日まで何の準備もしないだろう。それでは当日楽しみに集まった他のママたちが気の毒だ。私は仕方なく、バーベキューの準備をすることにした。

グリルやコンロは会場にあるようだが、炭はこちらで準備しなければならない。人数分のお皿やコップ、調理用のまな板にトング、キッチンペーパーやラップ。準備していたら、かなりの大荷物になってしまった。

「うーん。思ったより荷物が多いわね。これに食材も加わると、車がなければ会場まで運べそうにないわ。」

バーベキューの日は平日で、車は夫が出勤に使う。夫に相談すると、こんな提案が返ってきた。

「うちの父さんに相談してみたらどうかな。父さんなら、これだけの荷物を詰める車も持ってるよ。」

「いいの? それなら早速お父さんに連絡するわね。」

私は義父に車を借りられないか連絡してみた。

「もしもし、お父さん。実はお願いしたいことがあって。」

「おや、まどかさんじゃないか。一体どうしたんだい?」

「今週ママ友会でバーベキューをすることになったんです。でもその日が平日で、うちで出せる車がなくて。もしよろしければ、お父さんの車を貸してくれませんか?」

「なんだ、そんなことかい? ああ、別に構わないよ。荷物も運ぶのなら大きな車を準備しよう。それに、他のママさんたちも送るんだろ? 急に必要なものが出るかもしれないし、アクシデントもあるといけないからね。心配せず自由に使いなさい。」

「いいんですか? 本当にありがとうございます、お父さん。」

こうして車の問題を解決した私は、前日に義父から車を借りて荷物を詰め込んだ。そして当日、義父の車でバーベキュー場へやってきた。私を見て、吹香さんは露骨に嫌な目を向けた。

「はあ。まどかさんって、すごくいい車に乗ってるじゃないの。専業主婦なのに、ご立派なものね。」

「そんなことないわよ。この車はお父さんに借りたもので…… 」

「まあいいわ。ほら、バーベキューを楽しみにしているママたちがたくさんいるんだから、さっさと準備しなさい。もたもたしないの。」

吹香さんは缶ビールを片手に椅子の上でふんぞり返り、「あれをしろ、これをしろ」と指示を出すだけで、自分は何もしないでお酒を飲み続けた。私はグリルの準備から炭に火を起こすまで、様々な仕事を押し付けられ、目が回りそうなほど忙しく働いていた。

「もう、専業主婦をしているくせに手際が悪いわね。まどかさんはいつも家事をサボってゴロゴロしてるからでしょ。情けないものね。」

私が少しでも遅くなると、吹香さんはわざわざ大声で嫌味を言う。それなのに当人は椅子から立とうとせず、他のママにビールを持ってこさせては、ご満悦で肉とビールを楽しんでいた。

私はヘトヘトになるまでこき使われたが、バーベキューもだんだんと終わりを迎える。汚れたお皿を片付け、グリルを洗っていると、ママ友の道恵さんが話しかけてきた。

「まどかさん、手伝うわよ。まどかさんにばかり面倒な仕事をやらせて、本当にごめんなさいね。」

「道恵さん、ありがとう。道恵さんだって、ずっと料理をしていたじゃない。こっちこそ手伝いなくて悪かったわ。」

「それにしても吹香さんったら、いつもひどい性格だけど、今日は特にひどいわね。まどかさんばかりにきつい仕事を押し付けて、自分は何もやらないで見ているだけじゃない。今日来てる人はみんな何かしら手伝ってくれているわ。吹香さんみたいにふんぞり返って何もしない人なんて、一人もいないわよ。一体何様のつもりかしら。」

「そうね。でも吹香さんっていつもそうじゃない?」

「確かにそうだけど、今日はいくらなんでもひどすぎよ。特にまどかさんに対するあの態度はひどいわ。私、途中で吹香さんにビールかけて帰ろうかって、何度も思っちゃったもの。」

「そうだ。まどかさん、もう帰っちゃわない?」

「え? 帰るって?」

「実は私、子供が習い事をしてて、そろそろ送りに行かないといけないの。だから早めに帰る予定だったんだけど、まどかさんも一緒に帰っちゃいましょうよ。今日のまどかさんは十分働いたもの。今帰っても、他のママさんは怒ったりしないわよ。」

「そうかしら。」

「そうよ。他のママさんも、吹香さんはまどかさんばかりに仕事を押し付けてひどいって話をしていたもの。絶対に許してくれるわよ。」

道よ。」

道恵さんに勧められ、私は今日はもう帰ることに決めた。実際、疲れてヘトヘトで、これ以上動ける自信もなかった。信頼できる道恵さんに片付けと車のことを任せて鍵を渡すと、道恵さんの車に乗り込んだ。

車に乗って三十分ほど経った頃だろうか。私のスマホに、吹香さんから電話がかかってきた。

「ヤッホー。まどかさん、もう今どこにいるの? あなたに報告があります。なんと今、あなたの車が燃えちゃってます。どう? びっくりした?」

「何言ってるの、吹香さん。車が燃えてるって、一体どういうこと?」

「だから、まどかさんの車が燃えちゃってるのよね。キャンプファイヤーみたいに燃えてるわよ。すごいわね。」

「ちょ、ちょっと待ってよ。吹香さん。その車、私の車じゃないの。義父から借りた車なのよ。」

「え、これまどかさんの車じゃないの? 私てっきり……

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「それで、怪我人はいないの? もう消化したの? 消防の手配は?」

「えっと、それはその…… うーん、どうだろう?」

吹香さんは車が私のものでなかったことに動揺したのか、私の質問に曖昧なことしかしない。これでは話にならないと思った私は、道恵さんに頼んで会場へ戻ることにした。

バーベキュー場に戻ると、車は燃えている。

「どういうこと? 吹香さん、どうして義父の車が燃えることになったの?」

「違うのよ、まどかさん。私てっきりまどかさんの車だと思って。あ、それに悪気があったわけじゃ…… 」

吹香さんは真っ青になっており、何を聞いてもまともな返事すら返ってこない。仕方なく、鍵を渡しておいた道恵さんに何があったのか聞くことにした。道恵さんの話によると、吹香さんは私の車のそばに薪を集めると、「キャンプファイヤーよ」と言いながら火をつけたのだという。そして焚き火の場所と車の場所が近すぎたため、車に火が燃え移ったのだそうだ。

「道恵さんから話は聞いたわ。車のすぐそばで焚き火をしたのは本当なの?」

「違うのよ。悪気があったわけじゃないわ。私、あの車はまどかさんのものだと思っていたし。」

「私の車だから、わざとそばで焚き火をしたんでしょ。吹香さん、火が燃え移っても笑っていたって、他のママさんが言っていたわよ。それに、私に電話した時も笑っていたわよね。吹香さん、わざと車を燃やしたんじゃないの?」

「もう怒らないでよ。わざとじゃないわ。本当に事故だったのよ。」

「どちらにしても、車の持ち主である義父には話をさせてもらうわね。一応言っておくけど、義父はヤクザの親分をしているの。車が好きな義父だから、修理代を支払ってもらうと思うわ。覚悟をしておいてね。」

「え、まどかさん、ヤクザと親戚だったの? そ、そんなの聞いてないわよ。」

私の言葉に、周囲のママたちも驚く。ヤクザの親分だと知られたくはなかったが、義父から車を借りているのだから真実を話さないわけにはいかないだろう。真っ青になって呆然と立ち尽くす吹香さんを横目に、私は警察と消防を呼んだ。やってきた消防車により火は無事に消し止められたが、車はすっかり焼けて、もう乗れないのは明らかだった。警察は私たちの話を聞き、事故として処理をした。

みんなが慌ただしく働いている中で、吹香さんだけは事故の処理がまだ終わっていないうちから姿を消していた。きっと、自分が思っていた以上に大事になってしまい、恐れて逃げ出したのだろう。

後始末を終えて家に帰った私は、すぐに義父へ連絡した。

「ごめんなさい、お父さん。」

バーベキュー会場での出来事を義父に伝えると、義父はひどく驚いた様子だったが、車が燃えてしまったこと以上に、吹香さんの態度に腹を立てている様子だった。

「そうか。それは大変だったなあ。まどかさん、他のママさんたちに怪我人はいなかったのかい?」

「幸い、誰も怪我はしませんでした。でもお父さんの車は、とても走れる状態じゃなくなってしまって。」

「それは気にしなくても大丈夫だ。他のママさんたちが乗った時にうっかり傷つけても心配がないように、もうすぐ処分する予定の車を貸したんだよ。それに、その吹香とかいう女は、少し行け好かないな。弁償の話もせずに逃げ帰ったのは筋が違うだろう。本来なら真っ先に俺へ詫びを入れるのが筋じゃないか。あの女はいつもそうなのか?」

「そうですね。吹香さんはいつも人に仕事を押し付けておいて、責任を取る必要がある時は真っ先に逃げ出すような性格なんです。」

「うん。なるほどな。よし、決めたぞ。まどかさん、この件、俺に預からせてもらえないか?」

「お父さんにですか?」

「ああ、俺からしたら大事な車を燃やした女だ。その件でも、応急を吸えてやりたいところだからな。」

「わかりました。車の弁償の件もありますし、お父さんにお任せしますね。」

こうして私は、吹香さんの件を義父へ任せることにした。

それから一週間後。私が道恵さんたちと話しているところに、急に吹香さんが割り込んできた。

「ちょっと、いい加減にしてよ。全部まどかさんの仕業なんでしょ?」

「え? 急に何の話? 何かあったの、吹香さん?」

「とぼけるのもいい加減にしてよ。うちに何度もいたずら電話をしているのは、あなたなんじゃないかって言ってるの。」

「本当に全然心当たりがないんだけど。一体何のことを言ってるの?」

「知らばくれるつもりなら、もういいわ。でもこれ以上うちにちょっかいをかけたら、ただじゃ置かないから覚悟しなさい。」

吹香さんは一方的にそう告げると、私の前から去っていく。理由も分からずぽかんとする私に、道恵さんがこっそりと教えてくれた。

「私は吹香さんの近所に住んでるから噂で聞いているんだけど、吹香さんの家、最近ワン切り電話がよくかかってくるんだって。」

「え、そうだったの? 全然知らなかったわ。」

「その電話なんだけど、吹香さんが出るとすぐに切れるんだけど、吹香さんの旦那さんが出たりかけ直した時は、吹香さんの色々な悪事を吹き込んでくるらしいの。」

「悪事? 吹香さんのしてきたことを、旦那さんに誰かが告げ口しているってこと?」

「ええ、そうみたい。吹香さんは根も葉もない悪口だって言い張ってるけど、旦那さんの話を聞く限り、今まで吹香さんのやってきた悪事そのものを教えているみたいなのよ。吹香さんが他のママにしてきた嫌がらせとか、仲間はずれにしたとか、そういう話が多いんだって。しかも日に日に、その内容が詳細でひどい内容になっていくみたいよ。」

「そんなことがあったのね。全然知らなかったわ。」

「もう、うちの近所では結構有名よ。旦那さんも吹香さんの行動を怪しく思っていたから、その電話をいたずらだと切り捨てることができずに、ついつい話を聞いちゃうんだって。」

道恵さんからそんな話を聞いてから、さらに一週間ほど経った後。買い物をしてきた私を、吹香さんが呼び止めた。

「まどかさん、いい加減にしてって言ったでしょ。こそこそと裏で私の周りを嗅ぎ回るなんて、卑怯よ。」

吹香さんはそう言いながら、封筒を投げつけてきた。封筒の中からは、担任教師と共にホテルへ入っていく吹香さんの写真が何枚も出てきた。

「な、何この写真? 全然知らないわよ。それより吹香さん、この写真どういうこと? これ、うちの学校の先生よね。」

「知らばくれないでよ。私を付け回して変な写真を撮ったのは、まどかさんなんでしょ? こんな写真をポストに入れておくなんて。」

「待って。落ち着いて、吹香さん。こんなところで大きな声を出したら、ご近所さんがびっくりするわよ。」

吹香さんの声を聞きつけた道恵さんが、すぐに私たちの間に割って入る。そして吹香さんの投げつけた写真を手に取ると、驚いたように目を見開いた。

「ちょっと吹香さん、この写真、あなた教師と不倫なんかしてたの?」

「違うわよ。その写真はまどかさんが合成でもしたんでしょう。私をはめようとして作った偽物よ。」

「でも、この写真の撮影時間が昨日のお昼頃になってるわよね。この時間、私やまどかさんはPTAの打ち合わせがあったの。他のママたちも参加してるから、まどかさんにこの写真を撮ることなんてできないわよ。」

「嘘よ。絶対まどかさんが私に嫌がらせをしてるのよ。」

「吹香さん、何故にまどかさんにこだわるけど、あなたまどかさんに復讐されるような心当たりでもあるの? それに、この写真も合成には見えないわ。まさか本当に教師と不倫してるんじゃないでしょうね。」

「そ、そんなわけないでしょ。もういいわよ。」

吹香さんは私たちの手から封筒を奪うと、不機嫌そうに足音を立てて去っていった。

「道恵さん、ありがとう。おかげで変な疑いをかけられずに済んだわ。PTAに出ていたのは本当のことだしね。」

「それにしても、あんなに怒るなんて。吹香さん、本当に教師と不倫していたのかしら。そうだとしたら大変ね。一体どうなっちゃうのかしら。」

吹香さんは不倫はしていない、写真は偽物だと言い張っていたようだが、不倫していたという噂は瞬く間に近所に広まっていた。証拠の写真は吹香さんの夫にも届き、激しい追求を受け、吹香さんは不倫を認めたのだ。それから吹香さんの家では夫婦喧嘩が絶えず、吹香さんはすっかり落ち込んでいた。

だが、それからさらに一週間後。私が家にいると、吹香さんが突然訪ねてきた。

「やっぱり、今までの嫌がらせ電話はまどかさんの差し金だったのね。」

「ちょっと、いきなり何のこと? 落ち着いてよ。吹香さんの家に届いている悪口の話なら、私は本当に覚えがないのよ。」

「嘘ばっかり。この録音を聞いても、そう言えるの?」

吹香さんはそう言うと、スマホで録音した音声を聞かせる。録音されていたのは、私の義父の声だった。

「おい、吹香とかやら。いい加減、まどかさんに迷惑をかけるのはやめるんだな。不倫だって良くない。きちんと夫に謝罪するんだ。それと、俺の車を燃やした弁償代、早く支払うように言いな。」

「この声は…… お父さんの声だわ。」

「ほら、やっぱりまどかさんがヤクザの身内に頼んで、私を脅すために嫌がらせの電話をしてたんでしょ。この卑怯者。」

「ちょっと待って、吹香さん。確かに義父は吹香さんの周囲を探っていたのかもしれないわ。車が燃やされた時、義父が吹香さんのことは任せて欲しいと言ったから、義父に任せることにしたの。だから義父は吹香さんの周辺を探ったんだと思うわ。」

「だから、なんだって言うのよ。」

「だから、義父が調べた上で証拠が出たら、吹香さんが不倫をしていたのは本当のことなのよね。それなら義父の言う通り、ちゃんと旦那さんと話し合った方がいいと思うわよ。それに、吹香さんが義父の車を壊したのも本当のことなんだから、弁償するのも当然だと思う。私に迷惑をかけないようにと義父は言ってるけど、私は普通に接してくれるだけで十分なの。全部、当たり前のことしか義父は言ってないはずよ。それなのに、吹香さんは何ひとつできてないじゃない。」

「へりくつを抜かさないで。まどかさんがヤクザの身内を囮かけて、私の家族にあることないことを吹き込んだんでしょ。これ以上我が家に突きまとうなら、私も弁護士に相談して、まどかさんを訴えてやるから。」

吹香さんが玄関でまくし立てる。その時、吹香さんの背後から大きな人影が現れた。

「おいおい、随分と騒がしいな。一体何事だ?」

「ああ、お父さん。」

「え? まどかさんのお父さんって、ヤクザの親分をしているっていう……

吹香さんは義父の姿を見ると、すぐに怖気づいた。義父は大柄な上、見るからに恐ろしい風貌をしているから、怯えるのも無理はないだろう。義父は小さくなる吹香さんをじろりと睨みつけた。

「おやおや、あなたは確か吹香さんですな。私の車をボロボロにして、未だ弁償金も支払ってくれてないようですが。いつ車を弁償してくれるんでしょうか?」

「い、いえ、その…… あ、あの…… お金が今ないので、もう少しお待ちいただければ…… 」

「ああ、そうですか。それと、吹香さんに伝えたいことがあったんですよ。」

「ええ、私にですか? 一体何でしょう?」

「実は、大事な息子の嫁であるまどかさんを散々こき使った挙句、私の車をぶち壊したという話をうちの組員にしたところ、組の連中もすっかり激怒いたしましてね。吹香さんの周辺を調べるのを徹底的にやりたいと言うから、任せたんです。そりゃあ出るわ出るわ、悪事の数々。今、まどかさんと話しているのが聞こえてしまったんですが、あなた、まどかさんや私たちを訴えるとか言ってましたよね。」

「そ、それはその……

私にも生活があります。ヤクザに脅されたら、市民として通報の義務もありますから。」

「なるほど。それはごもっとも。これなら私としても、悪事を働く犯罪者は通報しなければいけませんな。」

「な、何を言ってるんでしょうか? 私は別に悪いことなんて何も…… 」

「吹香さん、あなたは旦那さんの会社に侵入して、会社のお金を横領してますよね。」

その言葉で、吹香さんの表情が凍りついた。

「な、何を言っているのかしら? 全然身に覚えはありませんけど。」

「そうですか。こちらとしては、しっかり証拠は押さえてあるんですけどね。さて、もしあなたが警察に通報するというのなら、私も善意の一市民として、会社の金を横領している犯人を通報しなければいけませんな。」

「そ、それは脅しのつもりですか?」

「はは、まさか。ただ事実を申し上げただけです。さて、それでもあなたはまどかさんを訴えますか?」

義父の言葉に、吹香さんは黙り込んだ。その様子から、横領しているというのは本当のことのようだ。

「通報されたくなければ、この町から出ていくことです。それなら我々はこの件を多言しませんが、どうしますか?」

「分かったわよ。出ていくわよ。出ていけばいいんでしょう。」

吹香さんはそう告げると、私たちの前から逃げるように去っていった。

「お父さん、わざわざ来てくれたんですね。本当にありがとうございます。でも、まさか吹香さんがそんなに悪いことをしているなんて。」

「ああ、周辺を調べていた組員も驚いたよ。怠け者には始末に負えないと思ったら、不倫に盗みまでするなんて。ヤクザもびっくりの相手だったな。」

私たちは逃げていく吹香さんの背中を眺め、そんなことをつぶやくのだった。

その後、吹香さんは夫から離婚を突きつけられたようだ。子供は旦那さんが育てるということで、吹香さんは家から追い出された。不倫相手に散々貢いできた吹香さんは無一文になり、文字通り路頭に迷うことになったという。

その上、吹香さんの夫が務める会社側が横領に気づき、吹香さんは逮捕されることとなる。会社の金庫にある金額と帳簿の金額が合わず調査した結果、吹香さんがお金を盗んでいるところが監視カメラに映っていたのが決め手となったようだ。不倫相手の教師も、不倫が明るみに出て退職となり、無一文になった。吹香さんは不倫相手に頼ることもできず、刑務所に入ることになる。

そして一年後。吹香さんは釈放されたが、慰謝料も支払えない状態だった。当然、義父の車の弁償として請求された八百万円も払当てがなく、義父の組員に捕まり、無理やり仕事を押し付けられることになる。それは稼ぎこそいいが、海外で働かされるというきつい仕事だった。ヤクザたちに捕まった吹香さんは、すぐに海外に飛ばされる。義父の話だと、一生戻ってくることはないだろうということだった。

「吹香さんがいなくなって、この地域も以前よりずっと暮らしやすくなった気がするわ。」

「そうね。でも小学校の校長先生が辞任したのは驚いちゃったわね。」

「教師が生徒の親と不倫していたら、仕方ないわよ。やっぱり不倫ってダメね。自分だけじゃなく、家庭も壊すもの。」

「私たちみたいな小市民は、真面目に暮らしていくのが一番ってことよね。」

「ええ。派手さがなくても、平和な毎日を過ごせるって、本当に幸せなことなのね。」

私は道恵さんと話をしながら、平和に過ごせる日々に改めて幸せを噛みしめるのだった。