「まいちゃん、お父さんが搬送されてきたよ」
同僚の看護師にそう告げられた瞬間、私は手に持っていたカルテを落としそうになった。意識ははっきりしていると言われ、勤務が終わるのを待って父の病室へ駆けつけた。
「迷惑かけるなあ」
私の顔を見た父は、元気そうな笑顔で出迎えてくれた。しかし、検査の結果は大腸癌。末期で、余命は半年と宣告された。
私が十四歳の頃、父はみな子さんと再婚した。私の実の母は、私が小学二年生の頃に男を作って家を出ていった。それから父は男手一つで私を育ててくれていた。みな子さんは父より十歳若く、私とは十三歳しか離れていなかった。新しい母親というより、年の離れたお姉さんのような存在ですぐに仲良くなれた。
みな子さんは再婚してすぐに妊娠が発覚した。ずっと兄弟に憧れていた私は飛び跳ねて喜んだ。しかし、優しかったみな子さんは、妊娠が分かった途端に態度が一変した。つわりがひどいからと家事を全て私にやらせたのだ。つわりが終わっても、体調が悪いと家事もせずに頻繁に友達と遊びに行き、時にはタバコの匂いをさせて帰ってくることもあった。
弟の海が生まれてからも状況は変わらなかった。みな子さんは「こっちは三人の子育てで大変なのよ。時間があるあんたがやりなさいよ」と、一切家事をしてくれなかった。受験生で勉強の時間を削って家事をするのが辛いと涙ながらに訴えると、みな子さんは「ごめんなさい。私も初めての育児でイライラしてて」と抱きしめて謝る。しかし、その謝罪が口先だけのものだと私は分かっていた。何度も同じことを繰り返されるうちに、みな子さんの嘘が見抜けるようになっていた。
それでも私はなんとか受験に合格し、高校に進学した。ある日、父と買い物に行った時、父が突然「最近、家事やらされたりしてないか」と聞いてきた。実は父は全て気づいていた。みな子さんが帰ってきてから料理の味が変わったことで、何かおかしいと思っていたらしい。しかし、みな子さんに「ストレスを与えないで」と言われ、何も言えなかったのだという。
私は我慢の限界だった。みな子さんに「連れ子だから私の家政婦だ」とか「お父さんに悪口を言ったら追い出すように仕向ける」と口止めされていたことを全て父に話した。父は「そうか、ごめんな」と私の頭を撫でてくれた。
それから私は父と話し合い、大学に合格したら一人暮らしをさせてもらえることになった。みな子さんは大反対したが、父がなだめてくれた。しかし、みな子さんは無料の家政婦がいなくなるのが困ると思ったのか、まだ三歳の海を使って毎日私の勉強の邪魔をしてきた。それでも私は父の協力もあり、県外の大学に見事合格。新天地へ引っ越した。
その後、私は幼い頃からの夢だった看護師になり、結婚、出産を経て復職し、充実した日々を送っていた。そんな中、父が搬送されてきたのだ。みな子さんと海がお見舞いに来るのは週に一度。二人は十九年も会っていない私のことなど覚えてもいないようで、私の前で堂々と父の悪口を言っていた。
父は最後は安らかに眠るように旅立った。私は葬儀の準備のため実家へ向かった。家は父が入院してからフルリフォームされ、私の部屋は跡形もなくなっていた。玄関に出迎えてくれたみな子さんは、私の顔を見ても「元気だった?今まで何してたの?」と気づいていない様子だった。
葬儀が滞りなく終わり、私は一人で父の遺品整理をしていた。父の部屋で幼い頃にあげたプレゼントを見つけ、思い出に浸っていると、みな子さんがノックもせずに部屋に入ってきた。
「ちょっと何物色してるの?金目のものは一切触らないで」
「突然何ですか?」
「知らないの?連れ子は私のものなのよ。もうあなたとは無関係なの。ガラクタだけ処分してくれればいいわ。赤の他人はさっさと出ていけ」
私は「分かりました。でも色々と後悔すると思いますよ」と言い残し、父との思い出だけを持って家を出た。
父が旅立ってから一ヶ月後、みな子さんから連絡が来た。「お父さんの遺言書を開けるのにあなたもいないとダメらしいから、四十九日法要の時に必ず家に来なさい」
当日、私は夫と共に実家へ向かった。するとみな子さんは「なんで旦那さんが来てるのよ。あなただけでいいのよ」と追い返そうとした。私はある事実を告げた。
「いいんですか?この人いないと遺言の発表ができませんけど」
「は?何言ってるの?」
みな子さんは夫の胸元に光るバッジを見て、まさかという顔になった。
「まさかこの人が弁護士とか言わないわよね」
「そのまさかよ。あなたに遺言書の連絡をしたのもこの人だから。早く入れてくれない?」
みな子さんはしぶしぶ私たちを通してくれた。夫がパソコンを準備し、一通の遺言書と一枚のDVDを取り出した。再生された内容は、遺産は全て私に譲るという父本人の言葉だった。
「遺産は全て、実の娘であるまいに譲る」
その内容にみな子さんは「偽装した遺言じゃないだろうな。無理やり書かせたんでしょう」と騒いだ。すると、タイミングを見計らっていたかのように父の言葉が続いた。
「みな子は俺が入院する前に睡眠薬入りの食事をさせてから入浴させていたんだよな。そんな奴に遺産を残す言われはない。それに海は俺の子じゃない。親子関係のない人物に遺産は渡さないよ。よって、まいに全て相続する」
それを見ていたみな子さんは「嘘よ。私そんなことしてないわ」と泣き喚いた。私はそんなみな子さんに、病院で録音した証拠を突きつけた。
「ああ、なんであのおじさんこんなにもしぶいんだろう。お金持ちだからと思って結婚したのに何しても生きてるんだから。普通あれだけ睡眠薬飲んだらお風呂で沈むでしょ。あの人何でできてるのかしら?」
「俺の本当のパパだってお金のためにママとこんな関係で我慢してるんじゃないか。あなたが生まれて三ヶ月間、本当のパパと三人で暮らしてて、その後も三人で会ってたことなんて、おじさんも娘も知らなかったわよ」
ボイスレコーダーから流れた会話に、二人は慌てて言い訳を始めた。
「これは劇の練習よ」
「何の劇ですか?親子劇でもやられてました?」
「ど、どこでこんなの取ってたのよ。盗聴よ。犯罪よ」
「私の前で堂々と言ってたじゃない。病院の食堂で」
「病院の食堂って周りに見舞客なんていなかったわよ」
「ええ、だって私、あの病院の看護師よ。全く気づいてないみたいで、自分から犯罪行為を暴露してくれるなんてね」
それを聞いたみな子さんは茫然としていた。一方、海は自分に多額の遺産が舞い込むと思い込み、大学の先輩から借金をして高級車を購入していたらしい。「俺の車、誰が払うんだ」と呟いていた。
実は、私が病院で二人の会話を録音した時、父にも聞いてもらっていた。父は「やっぱりな」と悲しげな顔をしていた。私が家を出てからのみな子さんは、全く家事をしない上に父を邪険に扱うようになっていた。しかし、海のために我慢していたのだとか。海も小学四年生くらいになると「父さんうざい。話しかけないで」と父を避けるようになっていた。
そんな生活にも限界が来て、海が十八歳になった時、父は意を決してみな子さんに離婚を突きつけた。するとみな子さんは「誰が離婚するもんですか。あんたみたいなおじさんとここまでいたんだから」と言っていたそうだ。父はそんな二人に遺産を残したくないと思い、何か手はないかと探っていた。そんな時、海が輸血を必要とする大怪我を負い、父の血液を輸血しようとしたところ血液型が違ったのだ。不審に思った父はDNA鑑定を行い、親子関係がないことを突き止めた。さらに、みな子さんに離婚届を突きつけた後から、食事後に急激に眠くなることが多々あったという。
唖然としている二人に、さらに追い打ちをかけることにした。
「あ、そうそう。この家はお父さんとみな子さんの共同名義になってるのよね。この家は私にはもう関係ないから、支払い頑張ってね」
その言葉を聞いたみな子さんは「そうよ。この家のローンだけでもお金分けてくれないと」と私にすがりついてきた。
「嫌に決まってるでしょ。あなたをいいお姉さんと思っていたあの頃の私が恥ずかしいわ」
「え、じゃ、じゃあお金貸して」
「もちろん無理です」
それを聞いた海も便乗して「あ、俺にも、俺にも金貸してくれ姉ちゃん」と土下座してきた。
海に姉ちゃんと呼ばれたのは初めてだった。弟ができて嬉しかったけど、まあ兄弟なんかじゃない人と、自分のことしか考えなくて受験生の私に家事を押し付けてきた女に貸せるお金は一切ない。
「それじゃあ私たちは帰らせていただきます。他人なので今後一切関わらないと思いますけど、さようなら」
そう言い捨て、私は夫の腕を掴んで家を出た。
その後、二人は家のローンを払えず売り払って、親子二人で六畳一間のアパートで暮らしていると親戚から聞いた。海も借金を返すため、あと半年で卒業という大学を辞めて朝から晩まで働き詰めになっているそうだ。一方、父は投資で設けていた分をお金に変えていたようで、予想以上の遺産を残してくれていた。私は父から引き継いだこのお金を、娘が大きくなるにつれてかかる費用の足しにしようと考えている。
私はこれからも妻として、母として、看護師として、責任のある仕事を楽しみながら精一杯頑張る毎日を過ごしていこうと思う。



