息子の嫁・ゆかさんが「無料の定食屋みたいで便利よ」と放った言葉に、私は手に持っていた湯のみを置く手を止めた。またか、と思った。毎週土曜日、昼の十二時きっかりにチャイムが鳴る。今日もまた、長い一日が始まるのだ。
「おばあちゃん、お腹空いた!」
ドアを開けると同時に、孫たちの元気な声が響く。息子のエジ、嫁のゆかさん、そして三人の孫たちが、まるで自分の家のように靴を脱ぎ散らかして上がり込んでくる。
「今日は何?天ぷらがいいな」
「私はハンバーグ!」
「僕はオムライス!」
飛び交う注文に、私は苦笑いするしかなかった。そうして冒頭のゆかさんの言葉、「無料の定食屋みたいで便利よ」。その表現が、胸に刺さるように残った。確かに、毎週五人分の昼食と夕食を用意し、時にはお弁当まで作る。まるで定食屋のようかもしれない。でも私は母親であり、姑なのだ。定食屋ではない。
私の名前は俊子、六十六歳。三十五年間、私立病院で看護師長として働き、定年退職してから六年が経った。夫は十年前に病気で他界し、今は一人暮らしだ。エジは一人息子で、私たち夫婦の宝物だった。私立大学の医学部を諦めて工学部に進学した時も、学費の七百万円を工面した。就職して結婚する時には、結婚資金として三百万円を援助した。これで幸せになってくれれば、そう思っていた。孫が生まれてからは、可愛くて仕方がなかった。
しかし、いつからだろうか。毎週土曜日の訪問が習慣となり、朝から晩まで五人分の食事を作ることが当たり前になってしまった。材料費は月に四万円以上。もちろん息子たちからは一円ももらっていない。「母さんの手料理が一番だから」――最初はその言葉が嬉しかった。でも今では、朝八時から買い物に出かけ、十時から調理を始め、片付けが終わるのは夜八時過ぎ。六十六歳の体には、正直きつい。
それでも家族のためなら、と思って黙って続けてきた。しかし、要求は少しずつ、でも確実にエスカレートしていった。
「母さん、今日は天ぷらも作ってよ。子供たちが食べたがってるから」
エジの何気ない一言から始まった。メインの料理に加えて天ぷら。油の温度を保ちながら五人分を揚げ続けるのは重労働だ。
「お母さん、デザートはないんですか?子供たちがアイスクリームを楽しみにしてたんですけど」
ゆかさんの要求も加わる。手作りのプリンやケーキ、材料を買い揃えて前日から仕込むことも増えた。
「あとお弁当も三つ持たせてもらえる?明日ピクニックに行くから」
当然のような口調で、注文が入る。私の土曜日は、まさに戦場と化していった。
朝八時、スーパーへ向かう。カートいっぱいに食材を詰め込み、両手に重い袋を下げて帰宅し、すぐに下ごしらえを始める。野菜を切り、肉を下味に漬け込み、出汁を取り、煮物を仕込む。十時になると本格的な調理が始まる。コンロは四つとも稼働し、オーブンも電子レンジもフル回転。換気扇の音と共に、私の体力も削られていく。
「おばあちゃん、これ嫌い。違うの作って」
孫の一言で、作り直しを要求されることもしばしば。せっかく作った料理が無駄になる悔しさを押し殺し、笑顔で新し料理を作る。
昼食が終わっても、休む暇はない。食器を洗い、片付けをし、すぐに夕食の準備だ。ゆかさんは「私、荒い物は苦手なんで」と言ってソファでスまホをいじり、エジは「仕放で疲れてるから」とテレビを見ている。
「お母さん、この煮物、味が薄くないですか?もう少し品数も増やしてもらえませんか?私の実家では、最抵でも十品はありましたよ」
比較され、否定される日々。でも反論できない。息子の夢に角を立てたくない、という思いが強かった。
「プ口じゃないから仕方ないか」
その何気ない一言が、突き刺さった。三十五年間、プ口として働いてきた私。その全てを否定されたような気がした。
午後三時過ぎにやっく昼食の片付けが終わると、もう夕食の準備だ。「今夜は華がいいな」「和食にしてよ」と好き勝手なリクエスト。結局、全員の要望を聞き入れ、和洋折衷の料理を作る。キッチンに立ち続けて、腰が悲鳴を上げている。膝も痛み、足はパンパンに腫れ上がっている。
夕食時、テーブルに並んだ料理を見て、家族は当然のように箸を伸ばす。「いただきます」の言葉はあっても、作ってくれた人への感謝の言葉はない。「この魚、骨が多い」「野菜が大きすぎ」「味付けがいつもと違う」――文句を言いながら食べる姿を見て、私は何のためにこんなに頑張っているのだろう、と虚しさが込み上げてくる。
夜八時過ぎ、やっく全ての片付けを始める。シンクには山のような食器、コン口には飛び散った油、床には食べこぼし。これらを一りで片付けながいら、涙がこぼれそうになる。
「じゃあ、また来週ね」
満腹になった家族は、満足げに帰っていく。私へのねぎらいの言葉もなく、まるで無料の定食屋から帰るように。
一り残されたキッチンで、私は疲れ果ててカウンターに身を沈める。手は赤切れだらけ、腰は曲がったまんま、満身が悲鳴を上げている。これが私の毎週の土曜日。いえ、もはや牢獄と呼ぶべきかもしない。六十六歳、定年退職してやっく手に入れた自由な時間のはずが、息子家族の無料定食屋として費やされているのだ。
ある月曜日の朝、私は起き上がることができなかった。腰に激痛が走り、体を起こすことすらままらない状態。やっくの思いで電話に手を伸ばし、かかり付けの整形外料に予約を入れた。タクシーでなんとく病院へたどり着き、診察を受けると、医者の表情が曇む。
「俊子さん、これは相当ひどい状態ですよ。腰椎に炎症が起きています。過労が原因でしょう。このまんまでは歩行困難になる可能性もあります」
レントゲンを示され、愕然とした。椎骨と骨の間が狭くなり、神経を圧迫している状態。毎週の労働が、確実に私の体を蝕んでいたのだ。
「最抵で二週間は安静にしてくださし。家事も控えめに。特し重い物を持ったらり長時間立ち続けるのは禁物です」
帰宅後、勇気を出してエジに電話をした。
「母さン、ど考したの?」
「実はね、腰を痛めてしまって、医者に安静にするように言われたの。それで相談なんだけど、土曜日の食事会を減らせないかしら。せめて月に二回くらいに」
電話の向こウで、エジが大ぎなため息をつく音が聞こえた。
「何言ってるの?母さンにとっ孫たちと過ごす時間が生きがいじゃないか。それをなくすつもり?」
「そういうわけじゃないけど、体が…」
「子供たちも母さンの手料理を楽しみにしてるんだ。それに母さンだっ寂しでしょ。一人暮らしなんだから」
私の体の心配よりも、自分たちの都合を優先する息子の言葉に、胸が締めつけられた。
「医者なんか大げだよ。母さンはいつも心配症だかんら、ちょっと疲れただけでしょう。今週は簡単な料理でいいかんら、ちゃンと作ってよ。子供たちががっかリするかんら」
一方的に電話を切られ、私は呆然と受話器を見つめた。息子は私の体のことなど、こっぽぼっちも心配していない。ただ無料で食事を提供してくれる便利な存物としか見ていないのだ。
金曜日の夕方、私は痛み止めを飲みながいら翌日の買い物リスとを作っていだ。その時、玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に誰だろうと思いながいらドアを開けると、近所の吉岡さんが立っていた。
「俊子さん、これ、奥さんちに届いてたみたで。郵便受けから取い出していたら、エジさンのクレジッとカーど明細書でした。転送されてきたものらしく、開封済みでした」
一人になってかんら何気なくその明細を見て、私は目を疑った。高級レスとランのでの食事代が月に何度も。一回の会計が二万円を超えることもざらだった。
「外食はお金がかかるかんら、実家で食べる方がいい」
いつもエジが言っていた言葉が、虚しく響く。お金がないわせではない。ただ実家なら無料だかんら、それだけの理由だったのだ。
翌日の土曜日、いつものように息子家族がやっきだ。私は腰にコルセっトを巻き、痛み止めを飲んで台所に立った。
「母さン、今日かんら揚げ多めにお願い。あとポテとさラだも」
リビンで寝転がりながいら、エジの声。私が苦痛に顔を歪めながいら調理している間、家族は楽しそウにテレビを見て笑っている。
そして決定的な瞬間は、夕食後に訪れた。エジとゆかさんが、そばなしをしている声がキッチンまで聞こえてきたのだ。
「来月の連休、ハワイ旅行の予約取れたよ」
「やった。でも、お金大丈夫?」
「大丈夫さ。実家の食事が無料だかんら、外食費がかんり浮いてる。外で五人で食事したら、一回で一万円は超えるかんらな」
「本当、お母さンって便利よね。文句も言わなしし」
「まあ、あれが生がいみたなもんかんらな。ウンウンンってやつさ」
私の手かんら洗っていた皿が、滑り落ちた。ガシャンという音に、リビンが一瞬静まリ帰る。「便利」「無料」「生がい」。息子たちの本音を聞いてしまった私は、割れた皿の破片を見つめながいら、心の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。
その夜、私は一睡もできなかった。割れた皿の破片を片付けながいら、息子の言葉が頭の中で繰り返される。「実家の食事が無料だかんら」「母さンって便利よね」。三十五年間、必死に働いて育てた息子に、こんな風に思われていたなんて。
翌朝、私は日記帳を開いた。長年つけている日記に、震える手で書ぎ込む。
「もう、無料の定食屋は廃業します」
その文字を見つめながいら、私は静かに決意を固めた。もう我慢する必用はない。私にも人としての尊厳があり、労働には正当な対価を求める権利があるのだ。
まず、信頼できる弁護士の友じん・片山さんに連絡を取った。同じ病院で長年働いていた彼女は、今は独りで事所を構えている。
「俊子さん、久しぶり。ど考したの?」
事情を説明すると、片山さんは深いた明をついた。
「それはひどいわね。家族間でも、これは度が過ぎる作よ。ちょっと整りして見ましょう」
片山さんの助言で、私はこれまでの援助をクアリスト化することにした。古い通帳や領収書を引っ張り出し、一つ一つ確認していく。エジの大学時代の学費七百万円。結婚資今三百万円。マイホーム購入時の援助に百万円。孫の出産祝い三人分百五十万円。毎週の食材費、年間約三百万円。合わせるとなんと千六百五十万円。これに加えて私の労働時間を計算してみた。毎週土曜日、十二時間労働を六年間。時給千円として計算しても、約三百七十万円相当。総額で二千万円を超える援助をしていたことになる。
「これだけのお金があれば、世界一周旅行だって何回もできたのに」
苦笑いが漏れる。でも過ぎ去を悔んでも仕方ない。大切なのは、これかんらだ。次に、私は自分の資産状況を改めて確認した。退職金の残りと年全、そして亡くなった夫が残してくれた生明保検金。さらに金庫の奥から、重要な書類を取い出だす。夫の遺産三千万円の定期預金の証書。これは夫が「俊子の老後のために」と言って、私名義で残してくれたものだ。エジには一才話していない。
そしてもう一つの書類、私の実家の土地の権利書。両親が亡くなった時、兄弟で話し合い、長女の私が相続することになった土地。最近、不動物屋かんら五千万円で買い取りたい、という申し出でがありました。駅前の一等地で、開発計画があるそうだ。
「エジは、これらの存物を知らないのよね」
私は静かに微笑んだ。息子は私を、無一文の年金暮らしの老人だと思っているだろう。だかんらこそ、舐けてきたのだ。
片山さんかんらのアドバいスを受けて、私は計画を練り始めた。
「俊子さん、急に態どを変えると揉める可能性があるわ。段階的に進めましょウ。まず有料化の提案かんら始めて、相手の反応を見る。それでも理解してもらえない場合は、最後の切り札を使えばいい」
私はエクセルに「林土曜食堂、料金表」を作成した。大人一人千五百円、子供一人八百円、お弁当一個百円。特別料理の追加ベっト料金。
「定食屋と言われたのだかんら、定食屋らしくしましょウ」
皮肉を込めて、メニュー表も作った。「天ぷラ定食」「ハンバーグ定食」「オムラいスセっト」――全て今まで無料で提供してきた料理だ。
金曜日の夜、私は腰の痛みも忘れて準備を進めた。いつものようにテーブルをセっティングするが、今回ば違う。席に料金表とメニュー表を置いた。明日が新し始まりの日。鏡に映った自分の顔を見つめる。六十六歳。確かに年は感じる。でも目には、強い志が宿っていた。看護師長として時にわしにも意見し、患者のために戦ってきたあの自分が、蘇ってきたようだ。
無料の定食屋は、日を持って閉店。そして、私の本当の人生が始まる。
運命の土曜日がやっきだ。十二時きっかり、いつものようにチャイムが鳴り響く。私は深呼息をして、ゆっくリと玄関へ向かった。
「おばあちゃん、お腹空いた!」
いつもと変わらない孫たちの声。エジとゆかさんも、満面の笑でやっきる。
「今日は何かな、楽しみだね」
リビンに入った途端、家族の動きが止まった。いつもなら料理の匂いがして、テーブルに何か並んでいるはず。しかし今日は、テーブルの上には紙が置かれているだけ。キッチンかんらも、何の音もしない。
「母さン、ご飯は?」
エジが不思議そウに訪ねる。私は落ち着いた声で答えた。
「無料の定食屋は、日を持って閉店いたしました」
「は?なんそれ?冗談?」
ゆかさんが眉を潜める。私は静かに微見ながいら、テーブルの上の紙を指差した。
「ご覧ください。今後は有料営業となります。大人お一人様千五百円、お子様八百円。ご名様ですと、合計七千百円になります」
エジが料金表を手に取いり、信じらんないという表じょうで見つめる。
「母さン、本気で言ってるの?家族かんらお金を取るって」
「あら。定食屋でしょウ。ゆかさんがおっしゃったじゃないですか。『無料の定食屋みたいで便利』って。定食屋なら、有料が当せんじゃないですか」
ゆかさんの顔が真っ赤になった。自分の言葉を返されて、何も言えない。
「だっ母さンは家族でしょ。家族かんらお金を取るなんて」
「あら、エジ。あなた、先週なんて言ってたかしら?『実家の食事が無料だから外食費が浮いてる』って。つまい、私の労働にも本らいは価値がある、ということよね」
エジの顔かんら血の毛が引いた。まさかあの会話を聞かれていたとは、思わなかったのだろう。
「えっと、私も計算してみたのよ。毎週十二時間労働を六年間。材料費も含めると、約七百万円相当。ああ、そう言えば大学の学費と同じくらいね」
孫たちが、不安そウに親を見上げる。
「おばあちゃん、ご飯作ってくれないの?」
せっこの声に、私は優しく答えた。
「作るわよ。でも、お父さんとお母さんがお金を払ってくれたらね。だっておばあちゃんも、材料を買うお金が必要なの」
「母さん、お金の問題じゃないでしょう。孫たちとの時間が生きがいでしょ」
「私の生きがいは、私が決めます。勝手に決めないで」
沈黙が流れる。ゆかさんが小声でエジに囁いた。
「どうする?帰る?」
「でも子供たちが腹を空かせてる」
「じゃあ払えばいいじゃない」
「七千円だぞ。毎週となると…」
その会話を聞きながら、私は心の中でつぶやいた。そう。これが労働の価値なのよ。
「あの、お母さん」
ゆかさんが遠慮がちに口を開く。
「今日だけ特例で、無料にしていただけませんか?急なことで現金の持ち合わせが…」
「あら、ATMならコンビニにありますよ。行ってくるまで五分もかかりません」
私の断とした態度に、ゆかさんは言葉を失った。エジが、苛立ったように声を荒げる。
「母さん、いい加減にしてよ。僕たちは家族だろ。毎週楽しみにしてきてるのに」
「家族。そうね、家族よ。でもエジ、家族だからって一方的に要求していいの?私だって人間よ。六十六歳で腰も痛めて、それでも黙って働き続けなきゃいけないの?それは先週、私が腰を痛めて相談した時、あなたはなんて言った?『大げだ』『ちゃんと作って』って。私の体より、無料の食事の方が大事だったのね」
エジは反論できない。事実を突きつけられて、ただ黙っているしかなかった。
「お母さん、本当にお金を取るんですか?」
ゆかさんが食い下がる。私は料金表を指差した。
「ええ、これが私の労働の対価です。払えないなら、申し訳ありませんがお引き取りください」
重い沈黙の中、孫たちの「お腹空いた」という声が響く。エジとゆかさんは顔を見合わせ、ついに財布を取り出した。
「分かったよ。払えばいいんでしょう」
エジが不機嫌そうに一万円を差し出す。私は丁寧にお釣りを返した。
「二千九百円のお返しです。ありがとうございます」
まるで本当の定食屋のように、私は注文を取り始めた。
「さて、何になさいますか?本日のおすすめはハンバーグ定食です」
家族は戸惑いながらも、それぞれ注文をする。私は注文を復唱し、キッチンへ向かった。
不思議なもので、対価をもらうと分かると料理を作る気持ちも変わる。プロとして、お客様に美味しい料理を提供する。そんな気持ちで、丁寧に調理を始めた。
一時間後、料理が並んだ。いつもと同じように見えて、でも何かが違う。それは私の心の持ちようだった。
「いただきます」
家族が食べ始める。いつもなら文句ばかりなのに、今日は違った。
「美味しい」
せっこが笑顔で言う。お金を払った以上、文句を言いにくいのだろう。それに、私も心を込めて作った。プロの仕事として。
食事が終わり、エジが恐る恐る尋ねる。
「母さん、来週もこの値段なの?」
「ええ、もちろん。定食屋ですから」
「でも毎週七千円は…」
「あら、外食したら一万円は超えるって、自分で言ってたじゃない。それに比べたらお得でしょう」
趾も出ないエジ。ゆかさんが口を挟む。
「お母さん、せめて月に二回くらいに…」
「それはお客様のご自由です。営業は毎週土曜日ですが、来店されるかどうかはお決めください」
帰り際、私は最後の爆弾を投下した。
「あ、そうそう。言い忘れていましたが、私の遺産についてお知らせします」
エジが振り返る。目が期待に輝いているのが分かった。
「遺産?」
「ええ。実は夫が三千万円、私の実家の土地が五千万円相当あるのよ。でもね、これらは全額、福祉施設に寄付することにしました」
「は?」
「だって、無料のものに価値を感じない人には、何も残す必要ないでしょう」
エジとゆかさんの顔が青ざめた。まさかそんな財産があったとは。そして、それが自分たちの手に入らないとは。
「母さん、それは極端すぎるよ」
「極端?私を無料の定食屋扱いする方が、極端じゃないかしら。さあ、今日はもうお帰りください。後片付けがありますから」
呆然とする家族を見送り、私は静かにドアを閉めた。
あの日かんら、私の生活は一変した。土曜日の朝、目覚まし時計に追われることなく、ゆっくリとコーヒーを飲む。この当たりの幸せを、何年ぶりに味わったことだろう。
最初の一ヶ月、息子家族は一度も来なかった。意地を張っているのか、本当にお金を払たくないのか。でも私は全く寂しくなかった。むしろ自由を満喫していた。退職後ずっとやりたかった料理教室に通い始めた。シ二アのための健康料理というクらスで、同年代の仲間たちと楽しく学んでいる。
「俊子さんの作る料理は、レスとラん並ね」
クらスメいとの言葉に、私は素直に喜んだ。そうだ、私の料理には価値がある。それを認めてもらえることが、こんなにも嬉しいなんて。
看護師時代の友人たちとも積極的に会うようになった。ランチを楽しみ、温泉旅行にも行った。
「俊子さん、なんだか若返ったみたい。本当、生き生きしてる」
友人たちの言葉通り、鏡に映る私の顔は確かに明るくなっていた。
二ヶ月目、ついにエジから連絡があった。
「母さん、話があるんだ」
久しぶりに訪ねてきた息子は、少し痩せて見えた。
「実は、ゆかと子供たちが母さんの料理を食べたがってて」
「あら、それは嬉しいわね」
「それで、月に一回お金を払うかんら、また作ってもらえないかな」
私は微笑んだ。
「もちろんいいわよ。料金表の通いよ」
「分かった。それと、母さん」
エジが頭を下げた。
「今まで本当にごめん。母さんの苦労を、全く分かってなかった」
「何があったの?」
「ゆかの実家にも同じことを頼んだんだ。でも『冗談じゃない』って断られて。それで初めて、母さんがどれだけ大変なことをしてくれてたか分かったんだ」
私は静かに頷いた。
「それに、外食ばかりしてたら月の食費が大変なことになって。母さんの料理の価値が、やっと分かったよ」
涙ぐむエジを見て、私の心も少し柔らぎだ。
「エジ、私は別に意地悪をしたかったわけじゃないの。ただ、労働には価値があることを分かって欲しかっただけ」
「分かったよ。本当に」
それかんらは、月に一回息子家族が訪れるようになった。きちンとお金を払い、作ってくれた料理に感謝の言葉を述べる。当たりのことだが、それがどれほど大切か、お互いに学んだのだ。
「お母さん、このハンバーグ本当に美味しいです」
ゆかさんが心かんら言う。以前なら信じらんない光景だ。
「おばあちゃん、ありがとう」
孫たちもきちんとお礼を言うようになった。お金を払うことで価値を理解する。皮肉なものだが、これも大切な教育だと思う。
料理教室で知り合った友人の一人、斎藤さんが面白いことを言った。
「俊子さんの話、うちの娘にも聞かせたいわ。実はうちも似たような状況でね」
どうやら私のような悩みを抱えている人は、少なくないようだ。家族だから、母親だから、姑だから。そんな理由で無償労働を強いられている人々。
「でも俊子さんみたいに、はっきり言える勇気がなくて」
「勇気なんて大げさよ。ただ、自分を大切にしたいと思っただけ」
ある日、エジが興味深い提案をしてきた。
「母さん、実は会社の同僚にも母さんの料理を自慢したんだ。それで、よかったらケータリングみたいなことをやってみない?もちろん有料で」
思わぬ展開に驚いたが、悪い話ではない。自分のペースで、好きな時に、正当な対価をもらって料理を作る。
「考えてみるわ」
今、私は週に一回、小規模なケータリングサービスを始めている。看護師時代の経験を生かし、健康的で美味しい料理を提供。口コミで評判が広がり、予約も入るようになった。
「俊子さんのお弁当、本当に美味しいです。また来週もお願いします」
お客様の言葉が、私に生きる力を与えてくれる。
遺産の寄付については、まだ最終決定していない。エジの態度が本当に変わったのか、もう少し見極めたいと思っている。でも一つだけはっきりしているのは、私の財産は私のもの。どう使うかは私が決める、ということだ。
時々、あの頃を思い出す。毎週土曜日、朝から晩まで立ちっぱなしで料理を作り続けた日々。体はボロボロ、心も疲れ果てていた。でも今は違う。自分の意思で、自分のペースで、自分の人生を生きている。
六十六歳。まだまだこれからだ。
先日、孫が可愛いことを言った。
「おばあちゃん、お店の料理より美味しいよ。だって愛情が入ってるもん」
「あら、愛情も有料よ」
冗談めかして言うと、孫は真剣な顔で答えた。
「うん。分かってる。大切なものにはお金を払うんでしょウ。パパが言ってた」
エジが、きちんと教育してくれているようだ。これも大きな変化の一つ。私の勇気ある決断は、家族に大切なことを教えた。労働の価値、感謝の気持ち、そして互いを尊厁すること。
無料の定食屋を閉店したことで、本当の家族の絆が生まれたのかもしれない。人生は面白いものだ。六十六歳にして、新しい生き方を見つけた。もしあの時勇気を出して「ノ」と言わなかったら、今頃まだ苦しんでいただろう。
今日も私は自分のキッチンで、自分のために料理を作る。時には友人のために、時にはお客様のために、そして月に一度はきちんとお金を払ってくれる息子家族のために。全ての料理に込めるのは、自分を大切にする心、そして相手を尊厁する気持ち。それが本当の愛情なのだと、六十六歳にして学んだ。
無料の定食屋は閉店した。でも私の人生は、今まさに新しく回転したのだ。



