「おい、お前、しょぼくれたマキノじゃねえか。二十年ぶりだな。まだあのしょぼい店で働いてるのか? つーか、お前がなんでこんな場所にいるんだよ」
パーティー会場の華やかな照明の下で、中学時代の同級生・美松健二が、満面の笑みを浮かべて俺を見下していた。俺がしかめ面をすると、健二はさらに得意げに自慢話を始める。
「俺は超難関国立大を卒業してから、ベビー本舗に入社したんだよ。あの大手ベビー用品店のベビー本舗だぞ。すげえだろ?」
俺はわざと驚いたふりをして見せた。心の中では、まったく別の感情が渦巻いていた。
「中卒ニートのまんまで、いまだに坂野ストアのアルバイトなんかが、こんなパーティー会場に来るわけないもんな。中卒ニートは帰れよ」
俺は無言のまま、深いため息をついた。健二は隣に立つ派手な服装の女性——妻の歌子らしい——とともに、さらに続ける。
「俺も嫁も、超有名企業ベビー本舗の部長職だぞ。お前みたいな万年アルバイトとは格が違うんだよ。中卒ニートめ。羨ましいだろう?」
その言葉を聞いて、俺はようやく口を開いた。
「ベビー本舗では、そんな応募な社員を部長職に据えているのか。取引先がどんどん撤退しているとは聞いていたが、業績が悪化し続けている理由が分かったよ」
俺は牧野香、四十二歳だ。この話を語る前に、ここまでの道のりを知ってもらいたい。
話は俺の出生に遡る。
俺はいわゆる非摘出子で、戸籍には父親の名前がなかった。母親は日本でも有数の繁華街の高級クラブのママをしていて、そのお客との間に生まれた子供だと、幼い頃に母が酔った勢いで話してくれた。母は時折顔を見せてくれるが、「商売上、私に子供がいるってバレるのはあまりいいことじゃないのよ」と言って、俺が生まれてから二ヶ月後には職場復帰していた。
そこからずっと、俺は祖父母に育てられた。生まれてくるべき子供ではなかったのかもしれないと考えたこともあった。しかし祖父母はとても俺を可愛がってくれた。祖父は建設会社の社長をしていて、祖母も日本舞踊や生花の師範をしており、それなりに稼ぎがあった。俺は勉強も習い事も、様々な学びを得ることができた。特に生花は俺のライフワークになりつつあり、生徒に教えられる資格も取得した。
しかし、俺は進学の方向へは進まなかった。中学を卒業してからは、色々な考えがあって高校へ進学しないと祖父母へ伝えていた。中学校生活は俺にとって暗黒の三年間だった。父親がいない、母親と一緒に暮らしていないというだけで、いじめの対象だったからだ。閉鎖的な地域柄、三年間もよく我慢できたと思っている。
俺は、社会に出れば早く金を稼いで誰にも頼らずに生活したいと思っていた。両親がいないだけで、家庭環境が複雑な人というフィルターがかからなくなるだろう。どんな人ともフラットに付き合えるようになると思ったのだ。
しかし祖父母は、社会に出るのは十八歳になってからだと許してくれなかった。でも、俺がどうして高校へ行きたくないのか、その理由だけは理解を示してくれた。塾の講師とも相談して行き着いたのが、通信制高等学校への進学だった。
そして祖父が探してきてくれた坂野ストアのレジのアルバイトをしながら、高校生として勉強することになった。
まだ十六歳の誕生日が来ない俺は、坂野ストアでは最年少バイトだった。きびきびした印象の洋子さんという店のマネージャーが指導係としてついてくれた。洋子さんは俺の家庭の事情などを理解した上で、普通の社員と同じように接してくれた。お辞儀の仕方から掃除、レジの打ち方、接客など、三ヶ月でマスターするように言われたので必死に頑張った。
坂野ストアはこの地域を中心に全国主要都市に展開する二十四時間営業のスーパーマーケットだ。系列のコンビニエンスストアもあり、これから大きくなっていくと思われる企業だった。社員育成制度も充実しており、俺は洋子さんにしっかり教育された。
そのおかげで、俺は通信制高校を無事に卒業し、社員として採用されてからスーパーの主任に抜擢された。
そろそろ二十歳の誕生日が来る、ある日の夜のことだった。
俺は夜勤シフトのリーダーとして働いており、レジに立っていた。あの頃はまだ有人レジしかない時代だ。少し柄の悪い大学生が六人、缶やらビールやらのアルコール類を買い物かごにどっさり詰めて会計にやってきた。
俺はいつも通りにレジを通す。
「マイバッグはお持ちですか?」
「何もあんわけねえだろうが」
俺はレジ袋を取り出し、袋に詰めながら会計を進める。酔っ払って罵声を浴びせる学生だろうが、高齢者だろうが、同じように接客するのが坂野ストアのマニュアルだ。
「あれ? お前、マキノか?」
俺は軽く顔を上げて客を見た。酔っ払い学生の一人が、中学時代の同級生だった美松健二だった。人を見下す表情を見せて指さして笑う。
「お前、中卒でスーパーで働いてんのかよ。何それ? やばすぎ。俺なんて超難関国立大入ったんだぜ。学生生活エンジョイな。イエーイ」
俺はシラっとして、レジ袋に商品を詰める。
「二千四百五十六円です」
「こいつ、親いなくてさ。じじばばに育てられてたんだぜ。すっげえしみったれてさ。中卒だぜ。中卒」
健二は仲間に面白おかしく俺の紹介をしてくれているようだが、同級生たちは誰一人として笑っていなかった。俺の真後ろに、レジ客の滞在時間が長いことを心配した男性社員が立っていたからだ。
みんなが行こうぜと健二を促すが、酔っ払って饒舌になっている健二はお構いなしだった。
「こいつさ、ぼっちだったし、中学の旅行なんてお情けでグループに入れてやったのに、当日になってドタキャンだぜ。金ないって噂だったし、寂しいやつだよな」
「二千四百五十六円、頂戴します」
俺はもう一度、強い意思を持って金額を読み上げる。それに、俺の後ろに立っている男性の威圧感。それに空気を読まずに一人で俺をディスっている健二。やばいと思ったのか、顔を青くした一人の学生が財布を出してお金を支払い、健二を引き連れて店を出て行ってしまった。
「よく我慢したね」
「あ、あの……お、お疲れ様です」
俺の後ろに立っていた男性は、坂野ストアの社長だった。
「君がマキノか君だね。そろそろ休憩の時間だよね。君にちょっと話があるんだ」
社長は背が高く細身の男性だ。年齢的にも俺の母親とそんなに変わらないだろう。バックヤードに促され、坂野社長は俺にコーヒーを出してくれた。
「あの……お話というのは?」
「君は本店でアルバイトから始めて正社員登用された子だね。主任に抜擢されて頑張っていると思う。それでどうだろう? 本社フロントで働かないか? もっと高いところから、坂野ストア他の会社をまとめていける人材に育てたいんだ」
「え? お、俺では到底勤まりませんよ」
坂野ストア本店という小さな世界の中なら、二十四時間の流れや社員とパートの動かし方など、ストアマネージャーの洋子さんに叩き込まれたから一人でもできる。しかしアルバイトから数えても五年。正社員二年目だというのに、他のパートさんや大卒入社の社員の手前、イエスとは言えない。
「ストアマネージャーの洋子さんからも推薦されたんだよ。それに君のおじいさんにも恩がある。ここからは恩返しをしたいんだ」
中学校を卒業後、坂野ストアでのアルバイトの話を持ってきたのは俺の祖父だ。祖父と坂野社長とは何か関係があるのだろうか?
「あの……お二人はどういうご関係ですか?」
「ああ、そのことか。そうだね。ちょっとここでは話しにくいことなんだ。明日本社に来てくれるかな?」
そうして俺は翌日、出張扱いで本社ビルへ出向くことになった。
本社ビルへ出向いたその日、応接室には滅多に顔を見せない俺の母親と坂野社長がいた。
「あの……どういうことでしょうか?」
ここで俺は自分の出生を知ることとなる。坂野社長が俺の父親で、俺を実子として認知したいというのだ。母の顔を見たら「そういうことなのよ」と言い、本当の話だと認めた。
妊娠が分かった時点で、坂野社長は入籍や認知を申し出ていたそうだ。しかし母は「ちっぽけな会社の社長なんて私の仕事と釣り合わない」と言い、それを突っぱねたという。
坂野社長はそれから二十年、坂野グループを立ち上げ、企業買収や合併を試みて会社を大きくし、俺を迎えに来たという。本来ならば俺のことは大学を卒業してから坂野グループへ入社させるという考えだったらしい。しかし中学卒業後、働きながら勉強すると決心した俺を見て、祖父が坂野ストアで社会勉強をさせて欲しいと申し出ていたのだった。
俺は二十歳の誕生日に坂野社長の認知を受け入れ、相続権を手に入れた。母は賢い女で、会社が成長したタイミングを見計らって坂野社長と入籍した。二十歳にして両親が揃い、母の入籍によって俺は坂野薫を名乗ることになった。
俺が坂野ストアの本社フロントで仕事をするようになり、坂野グループはどんどんと成長していった。そして二十年余りが経過した今、坂野グループを改め、六十社を束ねる坂野ホールディングスが誕生したのだ。
健二が働くベビー本舗の他、コンビニ、鮮魚ストアなどへ商品を運ぶ物流部門や通販サイトなど、坂野ホールディングスが運営する会社は多岐に渡る。父となった坂野社長は坂野ストアの社長をそのまま引き受け、坂野ホールディングスの会長職を俺に譲ると発表した。
そのタイミングで決算内容を確認していると、ベビー本舗の会計に使途不明金が発生していることが分かった。監査法人などに依頼して内部監査を進めていくと、不正に流用されている事実を掴んだ。
だから俺は警察に被害届を提出し、その実行犯である美松健二、妻の歌子と井上社長を告発することにした。
パーティー当日に警察を動かす必要はなかった。でも捜査官が今日、ベビー本舗の本社へ強制的な家宅捜索に入ると通達してきたので、結果的には良かったのだろう。グループ会社の一つに警察が介入していると知った時点でパーティーは中止としていた。だが逃げられては困ると思い、井上社長などベビー本舗のフロントを会場へ呼び寄せていたのだった。
今、会場に戻る。
「ベビー本舗の社長は到着しているか? 今すぐここにベビー本舗の社長を呼びなさい」
ここで何かあったと察したベビー本舗の社員が健二と歌子の元へ飛んできて、二人を制する。その社員の顔がいつになく怖い顔をしているので、健二は少々ひるんだようだ。
「松さんとその奥さんの役職は?」
「健二は営業部長、妻が経理部長です」
「ほう、そうか」
「なんだよ。しょぼくれた中卒ニートがそんな偉そうな口を聞きやがって」
健二を止めに入った社員が思わず健二の口を塞いだ。
「偉そうじゃなくて、偉いんだよ」
他の参加者に呼ばれてやってきたベビー本舗の社長が健二夫婦の行動を遮る。米つきバッタのように頭を何度も下げながら、ベビー本舗の井上社長が俺に挨拶をしてくる。
「なんだよ、みなして寄ってたかって。このしょぼくれたやつのどこが偉いんだよ」
「お前、今日の集まりがどんな会合なのか分かって物事言っているのか?」
「坂野ホールディングスの会長就任パーティーだろ」
「分かっててそんなことを言っているのか?」
井上社長は体中の毛穴から汗が吹き出て止まらない様子だ。
「こんなめでたい席にしょぼくれた奴がいること自体が間違いだ。二度と来るな」
健二が吐き捨てるように叫んだ瞬間、周りが急に静まり返った。そして健二と嫁の歌子以外の誰もが皆、視線を俺に向ける。
「あの、こんな時になんだが、俺のホールディングスの新しい会長に就任した坂野薫だよ」
健二は俺の自己紹介にまったく反応できないでいる。同じしょぼくれ顔をさらに歪め、何か言おうとしている。
「いくら内輪の集まりといえど、その発言はありえない。松さん、一旦この場所から出てきてください」
「ああ、出ていく必要はないですよ。今に警察がこの夫婦を迎えに来ますからね。井上社長もその対象ですよ」
健二と歌子、それに井上社長の周りを、ホールディングス側で働く社員が取り囲んだ。
「使途不明金、四億六千万円を知らないとは言わせません」
もちろん俺のセリフを健二は聞いていない。しかし妻の歌子は心当たりがあるらしく、顔から血の気が引く瞬間が俺にも分かった。井上社長はとぼけているが、逃げ切れないことを悟ったようだった。
ブランド価値が高く、子供服からベビー用品、女性向けのフォーマルラインまで扱う大きな会社が警察の介入を受けたことは、連日マスコミを賑わせた。ベビー本舗は社長を解任し、父がその社長職を引き受けることとなった。
美松健二は最後まで俺を坂野ホールディングスの会長と認めず、「中卒のしみったれた牧野香」と笑っていたが、これで立場は逆転した。こいつとはもう会うこともないだろう。彼の世界の中で存分にしみったれた牧野香を生かし続けて欲しいとさえ願ったくらいだ。
「会長、次のスケジュールが入っておりますよ」
「分かりました」
秘書室長には当時の指導役だった洋子さんを据えて、俺の右腕になってもらっている。これからも坂野をもう少し大きくするために、俺は前を向いて仕事をしようと誓った。



