「調子に乗ってるとバチが当たるんだよなあ」
課長の大輔は、見下したような笑みを浮かべてそう言った。あの日、契約先を横取りされた俺は、言葉を失うしかなかった。
俺の名前は直樹。40歳。有名な大手食品メーカーに勤めている。だが今は、仕事を与えられず干されている。いわゆる窓際族だ。
最初からこうだったわけじゃない。大学を卒業してすぐに入社し、営業販売部門に配属された。仕事は俺に向いていた。次々と営業先を増やし、販売先を開拓していく。仕事が楽しくて仕方なかった。結果も残し続け、会社に大きな利益をもたらし、上司からの評価も高かった。絵に描いたような順風満帆な社会人生活だった。
だが、入社して5年ほど経った頃、様子がおかしくなり始めた。
自分が新規に契約を結んだ先の担当者欄に、自分の上司である大輔の名前が書いてあったのだ。大輔は俺より5歳年上で、課長の地位にいた。
その販売先は競合他社とすでに契約を結んでいて、なかなか首を縦に振ってもらえなかった。だが、そこと契約できれば会社に大きな利益をもたらすことが見込めた。何度も通って、ようやく口説き落とした。俺の肝入りの仕事だった。
課長より上の上司に事情を聞くと、「あそこと契約を結んだのは大輔だろう」と言う。信じられなかった。慌てて契約先に話を聞きに行くと、「課長から、自分が上司だから今後は自分とやり取りするように言われた」と返ってきた。
大輔は上司と契約先をうまく丸め込み、事実を作り上げて、俺から手柄を奪ったのだ。
「人間、調子に乗ってるとバチが当たるんだよなあ」
あの見下した態度で言われた一言が忘れられない。大輔は、入社してからずっと成績のいい俺を妬んでいたらしい。いつか俺に恥をかかせたいと思っていたのだ。
俺は負けるわけにはいかないと、その後も必死に働いた。だが、大輔の妨害は続いた。
俺が話を進めていた契約先に、いつの間にか入り込んで邪魔をされるようになった。契約まであと一歩のところで、わざとデメリットを相手先に伝えられ、契約を反故にされたり。自分の手柄を横取りされたり。大輔のせいで失った契約先が、ちゃっかり大輔と契約を結んでいたりもした。
とどめになったのは、ある大きな営業先との契約の時だった。
そこは海外とも取引のある会社で、俺自身も何度も海外まで足を運んだ。5年かけて信頼関係を築き、ようやく契約してもらった大事な取引先だった。
契約を結んでから1週間ほど経ったある日、部長に呼び出された。
「あの契約先は大輔から盗んだんだってな」
信じられない言葉だった。眩暈がして、頭がクラクラしたのを覚えている。
それ以来、俺は力が抜けて、仕事に対する熱意も失ってしまった。どうせ頑張っても横取りされる。そう思うと、仕事に身が入らなかった。
大輔は得意な人当たりの良さで上司をうまく丸め込み、今や課長の地位にいる。俺は地味な仕事を淡々とこなすようになり、窓際族になる日々が続いていた。
そんなある日、会社で小さな事件が起きた。大輔が販売元に送る商品の配送先を間違えて登録したらしい。A社に送る商品をB社に、B社に送る商品をC社に、という具合にぐちゃぐちゃに間違えたため、現場は大混乱だったそうだ。
まあ、窓際族の俺には関係のない話だと思っていた。
「おい、直樹」
突然、大輔に怒鳴るように呼ばれた。俺が気のない返事をして振り向くと、驚いた。大輔の隣に部長も立っている。慌てて姿勢を正した。
「お前、あんなミスしておいて、何を呑気にぼーっとしてんだ」
は? 何の話だ?
「俺はお前に配送先の登録を任せただろう」
また眩暈がした。だが、正直「そう来たか」という感じだった。この男が自分のミスの責任を取るはずがない。しかも、部長も同席させている。いい根回しだ。
「違います。あれは俺じゃ…」
「言い訳すんな。お前のせいで現場は大変なことになってるんだぞ」
弁解しようとしても、大輔に遮られて話をさせてもらえなかった。現場に立っていない俺が、大輔がミスをしたという証拠を持っているわけもない。弁解の余地はなかった。
「お前の処分はすぐに決定するからな。覚悟しとけよ」
そう吐き捨てて、大輔と部長はその場を立ち去った。同僚からの哀れんだ視線が忘れられない。
後日、俺に処分が下された。他部署への異動だった。
その部署は田舎にあり、会社で扱っている食品の材料の調達や製造を行う部署だった。誰の目から見ても明らかな左遷である。
「ここで働くのか…」
初日、会社の周りは見渡す限りの山、緑、そして田園風景。今まで見ていたオフィスの景色とは真逆の光景に、ものすごく戸惑った。
「もしかして直樹さんですか?」
会社に入ると、声をかけられた。
「あ、はい」
「今日からよろしくお願いします。香織と申します」
挨拶してくれたのは、年下だが俺の上司になる女性だった。香織さんは田舎の風景を自慢するように言った。
「見てください。いい景色でしょう。この自然の中で仕事をしたら、落ち込んだ気持ちなんてすぐに忘れちゃいますよ」
そう言って笑顔を見せる。この人は、俺が左遷されてきたことを考えて励まそうとしてくれているのだ。ありがたいような、悲しいような、複雑な気持ちになった。
しかし香織さんは、この田舎には似つかわしくないほどの美人で、明るい笑顔が素敵だった。その笑顔を見ていたら、なんだか本当に元気になっていく気がした。
「とにかく、頑張ります」
「はい、頑張りましょう。今日は私が会社を案内します」
香織さんの案内で、会社見学ツアーが始まった。
「へえ、こんな風に作られてるんですね」
今まで見ることのなかった自社製品の材料が作られていく様子を見るのは新鮮で、新しい面白みもあった。
「そこはとても環境がいいので、いい作物が育つんですよ」
そう香織さんが紹介してくれる。俺が農園にいたおじさん社員に「この作物はどれぐらいで収穫できるんですか?」と聞くと、「半年ぐらいかな」というそっけない返事が返ってきた。香織さんとのテンションの差に、少し戸惑った。
ここに来てずっと気になってはいたのだが、香織さん以外の社員はみんなこんな感じで覇気がない。仕事自体はちゃんとこなしているが、やる気も元気もない。ただこなしているだけ、という感じだった。
まあ、それも仕方のないことかもしれない。この部署は、この会社の左遷先として有名だ。きっとみんな何かのミスの責任を取らされる理由でここに送られたのだろう。そんな場所で元気に仕事をしろという方が無理な話だ。だから正直、ここで明るく笑顔でいる香織さんの方が、周りから少し浮いている印象だった。
しかし、俺はこの人をなんとか支えようという思いで、仕事に励むことにした。
ここに来て数日経ち、一緒に働いて分かってきたが、香織さんはかなり仕事ができる。外部の業者との連携も上手いし、仕事も早い。自分の仕事が終わったら周りを手伝う気遣いも忘れない。それでいて、目立ったミスはほとんどない。
正直、この人がなぜこんなところで働かされているのか疑問だった。少し砕けた会話もできるようになった頃、それとなく聞いてみた。
「いや、まあ、色々ですよ」
そう言ってはぐらかされてしまった。よっぽど言いたくないのだろうと思い、それ以上は聞くのをやめた。
そんな風に過ごして、ここでの仕事にも慣れてきた頃のことだった。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
いつもなら元気いっぱいな香織さんの挨拶に驚いて、俺が戸惑うぐらいなのに、今日はなんだか覇気がない。少し体調が悪いのかなと思い、初めはそっと様子を見ていたが、お昼を過ぎても香織さんは回復しなかった。思い切って聞いてみた。
「香織さん、何かありましたか?」
「いえ、別に」
香織さんは話したくなさそうだったが、今回は突っ込んで聞いてみることにした。
「もしかしたら何か力になれるかもしれません。力になれなくとも、話せば少しは楽になるかもしれませんよ。話してみてください」
そう言うと、香織さんは少しずつ話し始めてくれた。
「実は、本社から連絡があって…」
香織さんが見せてくれたメールには、今度うちと交渉中のドイツとフランスの会社から、日本の食材を見に視察団が来ることが書かれていた。そして、そのドイツ人とフランス人を香織さんに案内しろという指示だった。
「視察団の人たち、ドイツ語とフランス語しか話せないみたいなんです。私、英語なら話せるんですけど、ドイツ語とフランス語なんて…どうしたらいいか」
香織さんの顔は不安でいっぱいだった。どうにかしてあげられないかと思い、指示のメールをもう一度見ると驚いた。そのメールの送信者は、大輔だった。
「大輔か…。知ってるんですか?」
香織さんの反応に、俺も驚く。
「ここに来る前の俺の上司です。香織さんこそ、知ってるんですか?」
「ここに来る前の私の上司だったんです」
その一言で、香織さんがここに左遷された理由が分かった。仕事のできる香織さんのことを、あの男が妬まないはずがない。俺にしたように、手柄を横取りしたり、仕事を邪魔したりしたのだろう。
「仕事のことはまだいいんです。自分が頑張ればいいんですから。でも…あの人、偶然っぽい感じで体を触ってきたりするようになって…」
その話を聞いて、怒りが込み上げてきた。
「ある時、耐えられなくなって『やめてください』って叫んだんです。それ以来、あの人は周りから白い目で見られるようになって、そのことで私を恨んでるんです。それで、私はここに飛ばされて…」
完全な逆恨みだ。なんて最低なやつだと思う。きっと大輔のことだ。そのことをまだ根に持っているのだろう。だからこういう無理難題を押し付けて、香織さんにミスをさせようという目論見が丸見えだった。
「私、どうしたらいいんでしょう?」
香織さんは、今にも泣き出しそうな顔をしている。もう一度メールを見る。視察に来るのはドイツ人とフランス人だ。そこであるアイデアを思いついた。そのアイデアを香織さんに耳打ちする。
「えっ…」
香織さんが驚いた目で俺を見る。
「なんでそんなことできるんですか?」
「まあ、任せてください」
そう言って胸を叩いた。
そして、視察団が来る日がやってきた。
「よろしくお願いします」
「はい、任せてください」
俺と香織さんは、二人で視察団を迎え、一日かけて自社の食品を案内していく。結果、視察団は大満足で帰っていった。今後、うちの会社とも重要な取引先として契約する約束もしてくれた。
この仕事は、大成功と言っていいと思う。
結論を言うと、視察団の主な案内は俺が引き受けた。俺は営業部時代に貿易実務も行っていたので、英語はもちろん、ドイツ語もフランス語も話すことができる。加えて、営業で海外に行くことも多かったので、その国の人の特性も理解していた。そして、営業で培った知識と話術を駆使して視察団をもてなした。
俺よりもこの場所に詳しい香織さんにも手伝ってもらうことで、より詳しく自社の食品をプレゼンすることができた。
「本当にありがとうございました」
「こちらこそ、手伝ってくれてありがとうございました」
香織さんはすっかり安心したようで、いつもの笑顔を取り戻している。
視察団が来てから数日後、本社の部長が俺たちの部署にやってきた。
「部長…」
正直、大輔がまた何か吹き込んだのかと緊張した。しかし、事態は逆だった。
俺たちがもてなした視察団の人たちが、俺と香織さんのことを絶賛し、褒めてくれたらしい。そのことが部長の知るところとなり、そんなに優秀な営業力を持った二人がなぜ田舎の調達部にいるのかと疑問に思い、わざわざ来てくれたのだ。
そこで、香織さんと二人、今まで大輔にやられたことを全て洗いざらい話した。
「俺は何度も結果を横取りされて、仕事を邪魔されました」
「私もずっと仕事の妨害ばかりされて、他の嫌がらせもたくさん…」
部長は初めは少し疑っていたが、二人で訴えていくうちに信じてくれたようで、最後には大輔に対して激怒しながら本社に戻っていった。
そして後日、俺と香織さんは本社への復帰を命じられた。
戻った本社に、大輔の姿はなかった。
その後、部長は他の社員や過去にあの男が横取りした取引先からも話を聞き、証拠を集めてくれたらしい。そして大輔を呼び出して尋問。証拠を突きつけられた大輔は言い逃れすることができず、その場で処分が下された。
降格処分となり、課長から平社員へ。田舎の部署へ左遷された。
俺と香織さんは本社に戻って、バリバリと仕事をこなした。左遷された先で食品の材料の知識も得たことで、前に本社にいた時よりも営業力に磨きがかかり、以前よりも結果を出し続けている。今では、二人で営業成績のトップ争いをするライバルになっていた。
ふと、今は空席になった大輔のデスクが目に入る。
「調子に乗ってると、バチが当たるんだよな」
前に大輔に言われた言葉を、俺はそっと呟いた。



