「お嬢様、あの裕福な家への縁談はお断りください。代わりに、あの貧しい家へ嫁がれてください」…

「お嬢様、あの裕福な家への縁談はお断りください。代わりに、あの貧しい家へ嫁がれてください」...

下女が主の娘の前に立ちはだかり、こう申し上げました。

「お嬢様、あの家にだけは決して嫁いではなりませぬ」

円談が持ち上がったその日のことでした。相手は村一番の金持ちとして知られる家柄で、誰もが羨む良縁でありました。娘の父はその家の主人と長年の付き合いでございました。それゆえ断ることなど誰も考えなかったのでございます。

結局その円談は娘ではなく、義理の妹の元へと流れていきました。それから間もなく、今度は貧しい老人の家から円談が舞い込みました。誰も良縁とは思わぬ貧しい家柄でございました。ところが下女は娘の手をしっかりと握り、こう申しました。

「お嬢様、こちらこそ必ずこの家へお越し入れなさいませ」

何故裕福な家を止め、貧しき家を進めたのか、この時誰一人知るよしもございませんでした。下女の一言が二人の娘の運命を、まるで異なる道へ分けることになろうとは。

はるか昔、桜の里から少し離れたある村に屋敷がございました。裏手には梨畑が広がり、春には白い花が一面に咲き誇りました。その屋敷には情け深い人柄で知られる主の軽三郎と、一人娘のおりんが暮らしておりました。軽三郎は困った者が訪ねてくれば、蔵の米を分け与えるほど心の熱い人物でありました。ある年、不作の年がございましたが、軽三郎は蔵の米を惜しみなく分け与え、飢える者を一人も出さなかったと申します。

おりんの母が亡くなったのは、おりんが十になる年の春のことでした。梨の花が咲き乱れた日のことです。それよりあと、おりんは白い花を長く見つめることができなくなりました。花を見れば母が思い出され、胸が締めつけられたのです。

軽三郎は幼い娘をいつも気にかけておりました。朝ごとに髪を梳いてやりましたが、慣れぬ手つきでしばしば引っかかりました。祭りの日にはおもちゃを買い求めては、おりんの手に握らせました。おりんも父の前では悲しい顔を見せぬよう、笑顔を心がけました。しかし夜が更けると、母の残した鏡台を取り出し、しばらくの間じっと見つめるのが常でした。その姿を偶然目にした軽三郎は、胸が重くなりました。どれほど心を尽くしても、自分一人では亡き妻の代わりを務められぬと思ったのでございます。

おりんは幼い頃、母から機織りの手ほどきを受けておりました。母は機織り台の前でおりんを膝に乗せ、糸のかけ方を一から教えてくれたのでございます。「焦らずとも良い。糸は正直なものじゃ。心を込めれば、その通りに答えてくれる」おりんは母のその言葉を長く胸に止めておりました。

その頃、志野という女が軽三郎の前に現れました。志野は連れ合いをなくし、娘のお恵と暮らしておりました。近隣の村から越してきて日も浅いのでございましたが、容姿が整い、話しぶりも柔らかで、たちまち人々の心を掴みました。志野はことに、おりんへ心を配りました。初めて屋敷を尋ねた日、色とりどりの糸の束と小さな針入れを差し出し、「おりん様は針仕事がお好きだと伺いました」と申しました。おりんは父の顔を伺い、頷くのを見て両手で受け取りました。

志野はおりんの向かいに座り、亡き母の話を尋ねました。おりんは初め言葉少なでございましたが、志野がせかさず待つうちに、少しずつ心を開いていったのでございます。お恵もおりんになつき、「姉様」と呼んで、よく一緒に遊びました。手をつないで梨畑を歩く二人の姿に、軽三郎の顔にも自然と笑みが浮かびました。母をなくしてより、滅多に笑わなくなった娘が、お恵と一緒にいる時ばかりは寂しさを忘れるように見えたのでございます。

やがて軽三郎は志野を妻に迎えました。婚礼は質素に取り行われましたが、屋敷には久々に笑い声が戻りました。志野は初めのうち、おりんを丁寧に世話しておりました。朝には顔色を伺い、夕餉には好物をそっと膳に加え、肌寒くなれば湯を熱く入れた湯呑みまでこしらえてくれました。「お母様」おりんが初めてそう呼んだ時、志野は優しげに笑ったのでございます。

しかし、誰も見ておらぬところでは、志野はまるで異なる顔を見せておりました。家事に慣れると、少しずつ頻繁に、納戸へ入り、蔵の鍵のありかをより注意深く見て回っておりました。ある日、お恵が帳面を改める志野を見つけました。

「母様、何をご覧になっておいでですか?」

志野は帳面を閉じ、お恵を呼びました。

「この屋敷で見聞きしたことを、決して口にしてはならぬ。特におりんの前ではな。この屋敷は本来自分たち母娘のものになるのだ」お恵はわけがわからぬまま頷きましたが、姉として慕う気持ちと、その言葉への戸惑いが、お恵の中で日に日に絡み合うようになったのです。

その年の晩秋、軽三郎は胸を病み、伏せるようになりました。元より若い頃から胸が弱く、季節の変わり目には度々咳込む質でございました。しかしその年の咳はいつになく長引き、日も経たぬうちに一人で身を起こすことすら難しくなったのでございます。おりんはほとんど父の部屋を離れず、夜が明けぬうちから額に冷たい手拭いを乗せ、昼は薬を煎じる火の番を見張っておりました。志野も見舞い客には夫を案じる妻のごとく振る舞い、「眠れずにおります」と語り、その心の深さに近隣の者たちは感じ入っておりました。

しかし、人が帰り戸が閉じると、志野の顔つきはたちまち変わりました。軽三郎の病状が重くなるにつれ、志野は密かに事の次第を考え巡らせておりました。志野は軽三郎が眠る隙を見計らい、書見の間から田畑の帳面と証文を持ち出しました。証文を手のひらに乗せ、しばし眺めた後、あらかじめ用意していた別の紙の証文に似せて筆を走らせ、迷いなく印をしたのでございます。指先はいささかも震えておりませんでした。

その冬、軽三郎はとうとう息を引き取りました。最後の息までおりんの手をしっかりと握っておりました。何の言葉も残すことはできませんでしたが、娘を残していく思いは、その指先を通して確かに伝わってきたのでございます。

葬儀を終えて三日目、志野はおりんの部屋にあった針仕事の道具をことごとく運び出させ、その後にはお恵の荷物と箪笥を運び込みました。

「これよりこの部屋はお恵が使う。そなたは裏手の機織り小屋へ参れ」

おりんは何も言えぬまま、古びた機織り小屋へと移りました。長らく使われておらなかったせいで、埃が積もり、破れた障子の隙間からは冷たい風が忍び込んでおりました。それでもおりんは心まで折れることはございませんでした。翌朝から志野はおりんに家事の全てを言いつけました。川汲みや掃除、井戸の水汲み、洗濯、機織り。日が登る前から動き回り、霜の降りた井戸端で水を汲み、手がかじかんで桶の縄を取り落とすこともございました。指先は荒れ、手のひらには硬い豆ができましたが、休む間はございませんでした。お恵もいつしかおりんを下働きのように扱うようになり、友を招く日にはおりんを呼びつけて茶を運ばせました。

「うちの家の下働きでございます」

お恵がそう紹介しても、おりんは何一つ言い返すことができませんでした。志野はおりんが織った布を町で売り、その金でお恵には着物や帯を買い求めたのでございます。

それから六年の月日が流れ、おりんが十六になった頃のことでした。おりんは幼き日に母から教わった糸のかけ方を頼りに腕を磨き、布の目を細かく詰める技も身につけ、おりんの織る布はいつでも評判となっておりました。志野はその布を持ち出しては売り払い、金の大方をお恵の衣装や自らの贅沢に費やしておりました。

ある日、おりんは志野の言いつけで布を町へ運びました。呉服問屋に布を渡し、受け取った金を懐に納め、急ぎ屋敷へ戻ろうとしたのでございます。すると町外れの細道に、年若い娘が一人倒れておりました。まだ十二か十三ほどに見えましたが、髪は乱れ、疲れで骨が浮くほど痩せ、息も細く絶え絶えでございました。行き交う人々はその娘をちらりと見ては、「手を出せば面倒なことになりかねぬ」とつぶやき、そのまま通り過ぎていきました。おりんはしばし足を止めました。屋敷へ戻るのが遅くなれば志野が黙っておらぬことは分かっておりました。それでも、倒れた娘を見捨てて立ち去ることはできなかったのでございます。おりんは娘を背負い、機織り小屋へ連れ帰りました。手元に残っておった湯で唇を潤ませ、自らの夕餉にとっておいた麦飯を少しずつほぐして与えると、娘はようやく目を開けたのでございます。

「名は何と申す?」

「お瀬と申します」

お瀬は両親を早くになくし、あちこちの商家で使い走りをしながら食いつないでおりましたが、いくら仕事にありつけず倒れたのでございます。志野はお瀬を見て眉を潜めましたが、「この子の食い扶持は自ら働いて稼がせよう」と条件をつけ、渋々置くことを許しました。

お瀬は三日ほどでようやく起き上がれるようになり、まだ足に力が戻らぬうちから、おりんが桶を運べば小さな薪を抱え、機台に座れば傍らで糸を紡ぎました。

「まだ治っておらぬのだから、休むが良い」

おりんが申しても、お瀬は「命を助けていただいたのに、どうして寝てばかりおられましょうか」と首を横に振りました。賢いながらも目端が効き、商家で培った勘の良さもあって、お瀬は次第に大きな助けとなっていったのでございます。

ある日、お瀬はおりんに訪ねました。

「お嬢様は、誠にこの屋敷のご実子でございますか?」

おりんは手を止め、「父が亡くなってより、全てが変わってしもうた。それでも私が身を置ける場所は、ここより他にない」と静かに答えました。お瀬はその言葉に胸を痛めたのでございます。実の娘であるおりんが機織り小屋で働き布を織り、志野がその布を売った金で贅沢をしておることを、お瀬は日ごとにはっきりと悟っていったのでございました。

軽三郎と桐屋の主人は、若い頃からの付き合いでございました。共に村の寄り合いに出ては米の値段について語り合い、時には酒を酌み交わす間柄でもございました。軽三郎が亡くなった後も、桐屋の主人はその縁を忘れず、「いつか娘を我が家の嫁に」と心に留めておったのでございます。

そうしたある朝、門の外から訪いの音が聞こえたかと思うと、身なりの整った中年の男が屋敷へ入ってまいりました。志野はいつになく自ら縁側まで出て客を出迎えたのでございます。

「軽三郎様がご存命のおり、桐屋が五郎と交わされたお約束を、当家は今もお忘れではございません。軽三郎様のご実子を、ぜひ当家の嫁に望んでおいでです」

志野の目つきが変わりました。桐屋は苗字帯刀を許された豪商の家柄で、高い瓦屋根の奥にはいくつもの蔵を連ね、畑もまた広大でございました。村で桐屋に逆らおうとする者はほとんどおりませんでした。志野は喜びを隠しつつ、「後日返事をすると」告げました。最も桐屋の者は幼い頃のおりんを一度見たきりで、その顔をはっきりとは覚えておりませんでした。縁談のやり取りも全て志野を通しており、おりんが顔を合わせる機会はこれまで一度もなかったのでございます。

お瀬はこの縁談が気にかかり、翌日町へ出て桐屋の噂を探ってまいりました。すると、若様は学問よりも酒と博打を好み、怒れば家中の者に物を投げつけ、長く勤め上げる奉公人は珍しいという話でありました。志野もまた、同じ噂を町で聞いておりました。しかし志野は、「桐屋の縁を逃してなるものか」と、その噂など取るに足らぬものと切り捨てておりました。

お瀬はおりんに「桐屋にはあまり良くない噂がございます」と一度だけ伝えました。しかしおりんは、「父上と桐屋様の縁でございます。一度はこの目で確かめとうございます」と答えました。お瀬はそれ以上、無理に止めることができなかったのでございます。

遠方への挨拶の日が近づき、おりんは古びた箪笥から母の鏡台を取り出し、自ら織った布で仕立てた小袖の襟と袖を整え直しました。お瀬はその様子を眺めるうち、胸騒ぎを抑えられなくなりました。桐屋の番頭の傲慢な顔つきと、町で耳にした噂が頭から離れなかったのでございます。おりんが顔を洗う水を汲みに井戸へ出た隙に、お瀬は部屋の中へ入り込み、小袖と鏡台の包みを水瓶の裏の奥深くに隠してしまいました。ちょうどその時、廊下の向こうから志野の足音が近づいてまいりました。お瀬はとっさに囲炉裏の前へ駆け寄り、灰を掻き起こすふりをいたしました。

しばらくしておりんが戻ると、お瀬は努めて何気ない顔で「奥様が水車小屋へ行けと仰せです」と伝えました。おりんは方々を探しましたが、包みは見当たりませんでした。とうとうおりんは仕方なく、普段の絹の小袖のまま、穀物の袋を背負って水車小屋へ向かったのでございます。おりんがお恵は志野に申しました。

「桐屋様との約束の日が迫っております。姉様が戻れねば、無礼になりましょう」

しばしの沈黙の後、志野の口元に薄い笑みが浮かびました。

「それならば、お恵が代わりに行かせよう」

お恵は初め戸惑いましたが、桐屋の華やかな暮らしを思い描くと、それ以上は問い返さなくなりました。お恵は志野に教えられた通り、おりんの年齢やおりんの母の名などを暗記し、より上等な絹の小袖をまとって桐屋へ向かいました。桐屋では若様が、道を譲らなかった下男に逆上して物を投げつける様子を、お恵は目の当たりにいたしました。それでも縁はその場で決まり、桐屋の家族はお恵を軽三郎の実の娘と信じ込んだまま、祝言の日取りを定めたのでございます。

おりんが水車小屋から戻ると、志野は用が済んだと素っ気なく告げました。おりんが台所へ向かうと、水瓶の裏で傷一つない包みを見つけました。お瀬の目が伏せられるのを見て、おりんにはおよそのことが分かったのでございます。それでも、お恵が自ら口を開くまでは問うまいと、おりんは心に決めました。

お恵が桐屋へ嫁ぐ門前には見物の人が群れました。絹の帳を巡らせた駕籠の前後には下女が列をなし、花の飾りが風に揺れておりました。志野は手拭いで目元を拭いながら、「良き縁組に嫁がせる故、思い残すことはございません」と娘を見送りました。周囲の者たちは、娘を送り出す母の情の深さに口々に感じ入っておりました。おりんはその場に姿を見せませんでした。駕籠が門を出る音と人々の祝いの声が庭中に満ちておりましたが、おりんは機織り小屋で布を織り続け、その手を止めることはなかったのでございます。

お恵が去った後も、おりんの境遇は変わりませんでした。むしろ志野は桐屋と縁続きになったことを盾に、いよいよ勢いを増していったのでございます。その秋のある朝、門の外に人の気配がしたかと思うと、年老いた女が一人、縁側先へ入ってまいりました。古びた小袖をまとってはおりましたが、身なりは清潔に整えられ、腰は行く分曲がっておりましたが、足取りは確かでございました。

「まず郎党の家より参りました。こちらのご実子に申し上げたく参った」

志野は貧しき家と聞いて渋い顔をしました。

「うちは桐屋とも縁を結んだ家じゃ。尋ねる先を間違えておるのではないか」

女は静かに「軽三郎様のご息女がもう一人おいでと伺いました」と申しました。志野はおりんを厄介払いする気になり、渋々女を奥の間に通しました。おりんは台所へ入り、客へ出せるものを探しましたが、これといったものはございませんでした。ちょうど鍋の上に温めてあった麦湯を茶碗に注ぎ、女の前へ差し出しました。

「お出しできるものがこれのみで、申し訳ございませぬ」

女は両手で茶碗を受け取り、「遠い道を歩いてまいりましたゆえ、麦湯の一杯が何よりありがたく存じます」と、急ぐ風もなくゆっくりとすすりました。女はおりんに尋ねました。

「もし貧しき家に嫁いでも、飢えるようなことがあれば、そなたはいかがなさる?」

おりんはしばし考えてから、「手業がございます。布を織り、針を持てば何とかなりましょう。家の者どもが互いに敬い合わぬ限り、辛い仕事も耐えられるものでございます」と落ち着いて答えました。女はさらに、「夫が長らく望みを遂げられず、気を落とすようなことがあれば?」と尋ねました。

おりんは「心の志を捨てぬ限り、傍らに寄り添い続けます。正しい道だけが待つとは限りませぬ。私にできることをしながら、共に支え続ける所存でございます」と答えました。女はしばしおりんを見つめてから、「良きお話を伺いました。家に戻り相談の上、改めて参りましょう」と言い残して帰ったのでございます。

その夜、お瀬はおりんに「こ度は私もこの縁談をお受けなさるのが良いと存じます。貧しさと心の凄みは別のものでございます。今日のお方は私たちを見下しませんでした。そのようなお方が身を置く家であれば、少なくとも人を粗末には扱いましょうまい」と言い添えました。おりんも同じ思いを抱いており、幾日かして縁談を受け入れることにしたのでございます。

輿入れの道は遠くありませんでした。低い山を越え、小川を渡ると、古びた茅葺き屋根の屋敷が見えてまいりました。塀は所々崩れかけておりましたが、庭は掃き清められ、蔵の脇には柿の木が一本立ち、色づいた実が枝いっぱいに実っておりました。おりんとお瀬が庭先へ入りますと、部屋の戸が開き、出てきたのはあの縁談を伝えに来た女でございました。

「遠路はるばる、ようこそ。私は婿の実の母、冬と申す」

おりんはあまりのことに、しばし言葉を失いました。

「手がれの妻となるものを、他人の噂だけで決めるわけにはいかぬ故、自ら参ったのじゃ。麦湯を差し出してくれたのがありがたかったのではない。持てるものが少なくとも、客人を手厚くもてなそうとした。その心がありがたかったのじゃ」

冬はおりんの手をそっと握りました。ほどなく奥から、夫となる名の真も姿を現し、「遠路、お疲れでございましたろう」と丁寧に礼を尽くし、続いてお瀬にも同じように礼を尽くしたのでございます。その夜の膳の前には味噌汁と山菜の煮物ばかりが並びましたが、冬はおりんとお瀬を同じ席に招きました。おりんは温かい飯を口にしながら、機織り小屋で冷えた飯を食べ、周りの目を気にしながら箸を取っておった日々を思い出し、久方ぶりに安らいだ心持ちになったのでございます。

暮らしは楽ではありませんでしたが、誰も仕事を押し付け合うことはございませんでした。朝になれば冬がまず台所へ入って火を起こし、おりんは綺麗に部屋を整えました。冬はおりんに野菜の見分け方や、町での値段のつけ方を事細かに教えてくれました。

「遠慮せずともよい。家のうちのことは、皆で分かち合うてこそ回るものじゃ」

冬はそう言っておりました。名の真は昼には田畑を耕やし、日が暮れれば燈明の元で書を開きました。学問を志して久しかったが、機会に恵まれず、これまで科挙の東洋試験を受ける場に赴くことすらできぬままでおったのでございます。それでも名の真は志を捨てようとはいたしませんでした。おりんは油を惜しみながら燈明を絶やさず、名の真が学ぶには欠かさず火を絶やしませんでした。おりんは夜更けに書見を続ける名の真の姿を、機織り台の影からそっと見やることがございました。貧しさに負けず学びを重ねる背中に、いつしか敬う心が芽生えておったのでございます。

名の真もまた、疲れも見せずに機を織り続けるおりんの姿を、感謝の眼差しで見つめておりました。多くを語らずとも、互いを思いやる心は日々の暮らしの中で静かに深まっていったのでございます。お瀬は町で品を求め、冬は家事を切り盛りしながら、三人で名の真を支えたのでございます。長らく機織り台の前で磨いた腕前ゆえ、おりんの織る布は町でも評判がよろしゅうございました。目の細かさと丈夫さで、絹の布より先に売れていったのでございます。

科挙の試験は名の真にとって、数年ぶりに巡ってきた大切な機会でございました。及第すれば官職として召し抱えられ、貧しい暮らしにも光が差します。しかしこれを逃がせば、再び道を志すまで幾年も待たねばならぬかわかりません。おりんも冬も、そのことをよく承知しており、支度をして送り出そうと心を尽くしたのでございます。

試験を十日ほど控えた夜、天の底が抜けたかのごとく激しい雨が降りしきりました。翌朝、町へ出ていたお瀬が息を切らして駆け込み、「川にかかる橋が流された」と告げました。橋がなくば山道を大きく回らねばならず、歩きでは日に間に合いません。馬を借りねばなりませんでしたが、家にはそれだけの金がございませんでした。名の真はしばらく黙り込んだ後、「今回の試験は諦めねばなるまい。また次の機会を待とう」と低い声で申しました。座敷はしんと静まりました。

その時、おりんが立ち上がり、古びた包みから母の鏡台を取り出しました。

「大切な品なればこそ、用いる時を逃してはなりませぬ。これがあなた様の行く道を開くことができるならば、それこそ私の役目を果たしたことになりましょう」

名の真はしばし言葉を失いましたが、冬もおりんの申す通り、「この機を逃せば障害が残ろう」と申しました。お瀬は夜明け前より町へ駆け出し、塩売りたちから崩れた橋を避ける道筋を聞き出しました。冬は名の真の羽織りを仕立て直し、おりんは鏡台を質に預けて路銀を整えたのでございます。出立の朝、冬は仕立て直したばかりの羽織りを名の真の方へ掛け、帯を一つ結びに整えました。お瀬は道筋を描いた紙を名の真の懐にしっかりと納め、おりんは何も言わず、ただ名の真の手を一時強く握ってから、静かに離しました。名の真は三人に深く頭を下げると、「必ず良き知らせを持ち帰ります」と告げ、皆に見守られながら馬にまたがって出立したのでございます。

道中、塩売りの教えた渡しに差しかかると、昨夜までの雨で川の水かさは増しており、濁った水が岩肌を叩き、白い泡が立っておりました。馬は水音に驚いて足を止めようといたしましたが、名の真は手綱を強く握り、一歩ずつ川へ踏み入れました。半ばまで進んだところで馬の足が滑り、体が大きく傾きました。名の真は綱を手放さず、冷たい水が腰まで浸み込む中、なんとか持ちこたえて対岸へ渡り切ったのでございます。濡れた羽織りのまま、名の真は改めて気を引き締め、桜の里を目指して山道を急ぎました。

名の真が立ってからというもの、屋敷は再び静けさに包まれました。冬は井戸端で湯を沸かし、おりんは気を紛らわすように機織り台の前で布を織り続けました。お瀬も日々出ては、里から便りが届いておらぬか訪ねて回りました。やがて名の真が立ってから二十日ほどが過ぎたある朝、村から来た使いが「名の真様が見事に及第なされた」と知らせました。それを聞いたお瀬は息を切らして屋敷へ駆け戻りました。

「奥様、お嬢様、名の真様が見事に及第なされました!」

おりんは藁苞を包んでいた空の包みを両手で抱きしめ、声も出せぬまま涙を流しました。冬も井戸端に崩れ折れ、手で口を覆い、長らくこらえていた涙を流したのでございます。村の者たちも「名の真様のご出世は、日頃の心がけの賜物じゃ」と口に語り合いました。かつておりんを哀れんでおった者たちも、今ではその強さを称えるようになったのでございます。

名の真は官職として召し抱えられ、新たな羽織りが届き、以前よりも広い屋敷へ移り住むこととなりました。訪れる客が門前で駕籠を降りる日も、次第に増えてまいりました。しかしおりんは奢ることなく、良い着物をまとうようになった後も機織り台を手放さず、困った隣人がおれば、自ら織った布を分け与えました。お瀬も文字と算術を学び、商家で鍛えた目利きも相まって、家の帳面と品の売り買いを任されるようになりましたが、胸のうちには未だあの日の嘘を打ち明けられぬ重さが残っていたのでございます。

一方、桐屋へ嫁いだお恵の暮らしは、幾年も立たぬうちに傾きました。夫はほどなく酒と博打にのめり込み、幾晩も家を開けるようになりました。借財が積み重なるにつれ、桐屋の奥方の怒りはお恵へ向けられ、「親の財産が豊かだと聞いておったに、これしきしか持って来ぬのか」と攻め立てられる日が続きました。お恵は朝の挨拶から客の膳の支度までを任され、御膳は下女たちの膳へ先に回され、自らは残り物で食を済ませました。ある日、義姉の一人から絽の小袖の縫い直しを翌朝までに言いつけられ、お恵は指先にいくつもの傷をこしらえながら針を動かしました。傷だらけの手を見つめた時、かつて自らがおりんに小袖を投げつけ、黙って縫い直させた日のことが胸に蘇り、お恵は声を押し殺して涙を流したのでございます。とうとう桐屋の田畑は一つまた一つと他人の手に渡り、奉公人たちも給金を受け取れぬまま屋敷を去っていきました。お恵は夫の借金を埋めるという名目で、婚礼の日に送られた飾りまで取り上げられ、粗末な衣服を渡されて実家へ戻されることとなったのでございます。

一方の志野は、桐屋との縁を盾に毎日威張りちらし、村人にも横柄に振る舞っておりました。しかし志野の屋敷もまた、桐屋との縁に胡座をかいて小作料を上げすぎたために、百姓が次々に村を去り、手入れの行き届かぬ畑は荒れ地へと変わり、穀物もめっきりと減っておりました。そこへ帰ってきたお恵を、志野は受け入れる余裕もなく、「この家とそなた一人を養う余裕はない」と突き放したのでございます。行く当てを失ったお恵は、幾日も親類や知り合いの家を尋ねました。しかし桐屋が没落したという噂はすでに広まっており、かつて笑顔で迎えてくれた者たちも、こぞって門前で顔を背けたのでございます。

頼れる先は、もはやおりんの屋敷より他にございませんでした。それでもお恵は幾度も足を止め、引き返そうといたしました。合わせる顔などない。そう思うたびに胸が締めつけられたのでございます。雨の降る日、お恵は濡れた着物の裾を絞り、おりんの屋敷の門前に立ちました。手を上げて門を叩こうとしましたが、たやすく動きませんでした。すると門が開き、町より戻ったお瀬がお恵を見つけ、おりんを呼びました。

「姉様」

お恵はその一言を発した途端、膝から力が抜け、泥の上に膝をつこうといたしましたが、膝がつくより先に、おりんが前へ出てその腕を支え、家の中へ導いたのでございます。お恵は温かな部屋へ通されても、しばらく顔を上げることができませんでした。震える声で、

「姉様、私が間違うておりました。姉様の部屋を奪い、下働きのごとくこき使うたことも、姉様の名を借りて桐屋へ入ったことも、全ては私の罪でございます。母が命じたことじゃと言い訳するつもりはございませぬ」

おりんはしばし目を閉じてから、「過ぎたことをなかったことにはできぬ。しかし詫びを自ら認めて戻ってきたならば、改めて始める道はあろう。まずは飯を食べるが良い」と申しました。お恵は両手で箸を取り、熱い飯を一口含むと、こらえておった涙が改めて溢れ出したのでございます。

その席でお恵は、ふと幼い日に母が密かに帳面を改めており、「この屋敷で見聞きしたことを口にしてはならぬ」と口止めされたことを語りました。さらに、父の証文と印鑑が書見の間の奥の箱に納められていたこと、父が病いに臥してから志野が度々その部屋へ出入りしていたことも、覚えている限り打ち明けたのでございます。おりんがその話を名の真へ伝えると、名の真は静かに耳を傾け、「これは私一人の家のことではない。正しき道筋を通して訴えるべきじゃ」と申しました。二人は幾晩もかけて訴状を認め、お恵の証言も添えた上で、その訴えを大番所へ差し出し、後の調べを役人の手に委ねたのでございます。

大番所は訴えを受け、軽三郎が生前に残した他の証文を蔵より取り寄せました。いずれの証文も印はまっすぐに押されておりましたが、志野の差し出した一枚だけは、左へ大きく傾いておりました。さらに日付を改めると、軽三郎がすでに床から起き上がれぬ頃に記されており、筆跡も本人のものとは細かに異なっておりました。役人は当時の医者と奉行人を呼び出し、ことの次第を確かめました。医者は「軽三郎がその頃、手を動かすどころか言葉すら満足に発することができなかった」と証言いたしました。長らく屋敷に使えておった下女も呼ばれ、「あの晩、志野様が書見の間へ一人で入って行かれるのを見た覚えがございます」と震える声で申し立てたのでございます。志野は初め「夫が自らを譲ってくれたのだ」と言い張りましたが、日付と印の食い違い、筆跡の相違、医者と下女の証言が次々と挙げられるにつれ、もはや言い逃れできなくなりました。とうとう志野は、軽三郎の印を密かに持ち出し、証文を偽り作ったことを認めたのでございます。

おりんは裁きの知らせを受けても、心のうちに勝ち誇る思いはございませんでした。ただ、父の残したものが正しき形に戻ったことに、静かな安堵を覚えたのでございます。大番所は偽の証文を無効とし、志野が奪った畑と屋敷をおりんへ返すよう命じました。志野には罪名を科し、後勝手に村を離れてはならぬとの沙汰が申し渡されました。おりんは、「これより先、他人のものを奪うて生きることは叶いませぬ」と志野に告げた上で、住まいの場所として裏手の小さな離れを与え、日々の食い扶持だけは絶やさぬよう、大番所へ願い出たのでございます。お恵もまた、おりんの元で詫びを償う機会を得られたことを心よりありがたく思っておりました。おりんはお恵に機織りと針仕事を一から学ばせました。おりん自ら機織り台の前に座り、糸のかけ方から教え始めると、お恵はいっそう身の縮む思いを味わったのでございます。

「初めから上手にできずとも良い。日々の労を軽んじてはならぬ」

おりんの言葉は、どのような叱責よりも重く、お恵の胸に残ったのでございました。志野は離れに移ってより、かつての奢った様子を見せることはございませんでした。日々与えられた分の中で静かに暮らし、時折おりんの姿を見かけても、声をかけることさえできぬまま、深く頭を下げるばかりでございました。お恵はそれから幾月も、朝から晩まで機織り台に向かい、指先を傷めながらも決して手を止めませんでした。やがてお恵は、「いつまでも姉の情けにすがってはならぬ」と自ら願い出て、取り戻された屋敷の一角へ移りました。戻ってきた百姓たちを手伝いながら機を織り続け、己の働きで暮らしを立てる道を歩み始めたのでございます。

大番所の裁きが村に知れ渡ると、長らく志野の元で重い小作料に苦しんでおった百姓たちは胸を撫で下ろしたのでございます。おりんが小作料を引き下げ、実りの少なき年には余分に取り立てぬと約束すると、他国へ逃げて村を去っておった者たちも少しずつ戻ってまいりました。屋敷には再び耕す人々の声が響くようになったのでございます。

なお名の真とおりんは、富や身分を得た後も、故郷の立つかつての家を暮らしの場としておりました。取り戻した屋敷と田畑には時折足を運び、百姓や戻ってきた者たちと共に、その立て直しを見守っておったのでございます。

季節は巡り、屋敷の暮らしにもすっかり落ち着きが戻りました。しかしお瀬の胸には、あの日の小袖と鏡台を隠し、偽りを告げたことだけが消えぬ咎として残っておりました。おりんが変わらぬ信頼を寄せてくれるほど、打ち明けねばならぬという思いは強くなりましたが、今更真実を告げれば、ようやく得た穏やかな日々を壊してしまうのではないかという恐れが、どうしても口を閉ざさせていたのでございます。

全てが落ち着いたある晩、お瀬はおりんの部屋の前に長らく立っておりました。あの日から一年もの間、胸の奥に沈めておった重みが、日ごとに増していくばかりでございました。

「いかがいたしました?」

おりんが呼びかけると、お瀬は部屋のうちへ入り、そのまま膝をついたのでございます。

「お嬢様。久しく隠しておったことがございます」

おりんはお瀬の強ばった顔を見つめました。

「申してみよう」

お瀬は深く息を吸い込みました。

「桐屋様よりの縁談が持ち込まれたあの日、お嬢様の小袖と鏡台を隠したのは、この私でございました。水車小屋へ行けと申したという嘘も、私が仕組んだものでございます。桐屋がよろしからぬ噂を耳にしておりましたが、確かな証拠はございませんでした。お嬢様を説き伏せる自信がなく、代わりに私が決めてしまいました」

おりんはしばらくの間、何も申しませんでした。座敷はしんと静まり、表からは乾いた木の葉が風に流れる音だけが聞こえてまいりました。お瀬は顔を上げられぬまま、おりんに何を言われても受け入れる覚悟で待ち続けたのでございます。しばらくして、おりんは立ち上がり、お瀬の前に座りました。

「顔を上げよう」

お瀬がおずおずと顔を上げますと、おりんの目には涙が満ちておりました。おりんはお瀬の手を取りました。

「あの日、包みを見つけ、そなたが目を伏せた時から、その仕業であろうことは察しておった。それでもそなたが自ら口を開くまでは問うまいと決めていたのじゃ。私を守ろうとした心は、よう分かっておる。その心には礼を申す」

お瀬の目から涙がこぼれ落ちました。しかし、おりんの声には揺るがぬ響きがございました。

「されど、誰かのためを思うたとしても、その者の生き方を代わりに決めてはならぬ。その選び方が良き結果をもたらしたとて、謝った手立てまでが正しかったことにはならぬ」

お瀬は深く頭を下げました。おりんは手を離さぬまま、言葉を続けたのでございます。

「真に傍らに寄り添うということは、相手の選ぶ権利を奪うことではない。知り得たことを包み隠さず、相手が自ら決めるまで、そばに寄り添い続けることじゃ。これより先、その違いを忘れてはならぬぞ」

「はい。お嬢様、決して忘れませぬ」

お瀬は涙をこらえながら答えました。おりんは頷き、「お恵が詫びを隠さず打ち明けてくれた故、私もこれ以上心に止めてはおかぬ。ただし、二度と同じ過ちは犯してはならぬぞ」と付け加えました。お瀬は畳に両手をつき、深く頭を下げました。長く胸を塞いでおった思いが、幾ぶんか軽くなったように思われたのでございます。

それよりあと、お瀬はあちこちの商家を点々とする子供や、貧しさに学ぶ機会を得られなかった女の子らを集め、文字と算術を教えるようになりました。ある日、一人の女の子が「文字を覚えたとて、何の役に立ちましょうか」と尋ねました。お瀬は静かに答えました。

「文字を知っておれば、欺かれることも少なくなる。算術を知っておれば、己の持ち分を守ることもできる」

お瀬は子供らにいつもそう語り聞かせておりました。自らが苦労して身につけたものが、いずれ誰かの行手を明るく照らすことを願っておったのでございます。

おりんもまた、長い間良い着物をまとうようになった後も、困った隣人があれば自ら織った布を分け与え、飢えた子供が門前に立てば温かい飯を食べさせておりました。持てるものが増えたとて、人を蔑むことはなかったのでございます。村の者たちは、「あの機織り小屋で育った娘は、今も変わらず情の深いお方じゃ」と口に語り合ったのでございました。

家の暮らしが落ち着いた頃、おりんはお瀬を伴い、かつて訪れた質屋を尋ねました。長らく預けたままにしておった母の鏡台を受け出すためでございます。番頭が差し出した木箱の中には、埃をかぶってはおりましたが、傷一つなく、あの日のままの姿の鏡台がございました。おりんはそれを両手で受け取り、しばらくの間じっと見つめておったのでございます。

また幾日か経ったある夕べ、柿の木の下に膳が並べられました。名の真、冬、おりん、お瀬が一つの席に集まりました。すると門の外に人の気配がいたしました。お瀬が出てみると、お恵が一疋の反物を抱えて立っておりました。自ら織った布の故か、折り目こそいくらか崩れておりましたが、真心を尽くした跡が確かに見て取れたのでございます。

「姉様のお力を借りず、糸を整えるところから初めて、一人で仕上げた布でございます。どうしても姉様にお見せしたくて、持ってまいりました」

お瀬が門を大きく開き、お恵が柿の木の下へ近づくと、おりんは黙って傍らの席を開け、温かい飯茶碗を差し出したのでございます。お恵はうつむいたまま、両手で茶碗を受け取りました。おりんは箪笥の上に飾った母の鏡台にそっと手を触れました。ふと庭の隅には、この春に植えたばかりの若い梨の木が、細い枝を伸ばしておりました。かつては白い花を見るたび胸が締めつけられ、長く見つめることさえ躊躇われたものでございます。しかし今、傍らに名の真、冬、お瀬、そしてお恵までが揃っておる中で梨の木を眺めると、おりんの心にはもはや痛みではなく、静かな温もりばかりが広がっておりました。

「来る春には、この木にも白い花が咲きましょう」

おりんは小さくそうつぶやき、久方ぶりに心の底から安らいだ笑みを浮かべたのでございます。

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