「その子、もういらないからあんたにあげるわ」――兄の婚約者・夢さんにそう言われたのは、両親の葬儀の翌日のこと。子供を授かれない私に「だからあげる」と、自分の息子・リクを押し付けるように置いていった。夏なのに長袖長ズボンで、ガリガリに痩せた8歳の少年。夫と悩みながらも家族として迎え入れ、リクはピアノの才能を開花させてテレビ出演するまでに。なのに数年後、彼らがまた現れて「リクを返してもらいに来た…

「その子、もういらないからあんたにあげるわ」――兄の婚約者・夢さんにそう言われたのは、両親の葬儀の翌日のこと。子供を授かれない私に「だからあげる」と、自分の息子・リクを押し付けるように置いていった。夏なのに長袖長ズボンで、ガリガリに痩せた8歳の少年。夫と悩みながらも家族として迎え入れ、リクはピアノの才能を開花させてテレビ出演するまでに。なのに数年後、彼らがまた現れて「リクを返してもらいに来た...

「その子、もういらないからあんたにあげるわ」

兄嫁・夢さんに突然そう言われた時、私は何が起こったのか一瞬理解できなかった。私の名前はあゆみ、33歳。2歳年上の夫カイトと二人で暮らしている。私は過去の大病が原因で子供を授かれない体だ。それでも夫は気にしないと言ってくれた。私たちは結婚して2年、不妊検査でその事実を知ったのだった。

子供ができないと分かった時、私は一時期落ち込んだが、すぐに気持ちを切り替えて夫にある提案をした。音楽大学を卒業して有名音楽教室で講師をしていた経験を活かし、自宅で子供向けのピアノ教室を開きたいと。夫は「いいんじゃない?このマンションはペット禁止だし、一軒家に引っ越したら犬も飼おうよ」とノリノリで賛成してくれた。引っ越し費用はかかったが、近所に住む両親が頭金を出してくれた。実家は地主で、父は会社を経営している。兄はその会社で専務として働いていた。

両親が譲ってくれた土地に完全フルオーダーの一軒家を建て、玄関を二つに分けて家の中から教室に通えるようにした。そして白いトイプードルも迎えた。名前はもこ。口コミで教室は広がり、3年目の今では週に30人ほどの生徒が通っている。もこは生徒たちに可愛がられ、人懐っこい犬に育ってくれた。

教室が軌道に乗ってきた時、不幸が訪れた。両親が宿泊先のホテル火災に巻き込まれて亡くなってしまったのだ。両親の葬儀に、兄が婚約者を連れてきた。親族誰も見たことのない女性と、小学生くらいの男の子がその場に現れたのだ。

式が終わり会場の隅で、その女性が誰かを探している。兄を見つけるやいなや、女性は男の子を置いて兄に駆け寄った。

「今日は私をご家族に紹介してくれるのよね」

その場にふさわしくない言葉に、私は夫と顔を見合わせた。すでに数人の親族しか残っていなかったが、この言葉を聞いたのは私たち夫婦だけだった。

「この人は俺の婚約者の夢さんだ」
兄が突然紹介してきた。

「は?え、どういうこと?」
思わず声を荒げてしまう。

「本当は来月両親も揃って紹介しようと思ってたんだけど、今回こんなことがあっただろう。だからこの機会に紹介しようと思ってさ」

平然と言う兄に呆れた。自己紹介された夢さんも、葬儀ではありえない喋り方で「初めまして。あなたのお兄さんと結婚する夢です」と言った。

「じゃあまた明日来るわね」
そう言って息子の手を引き、嵐のように帰って行った。

「お兄ちゃん、こんな時に何なのあの人?明日はあの人たち呼ばないよね」

私は両親との最後のお別れの場に夢さんには来て欲しくなかった。兄はしぶしぶ連絡をし、翌日は来ないでくれと伝えていた。兄は昔から自分の意見を持たない人だ。人に言われるがままに動く。私はそんな兄のことが昔から嫌いで、仲も良くなかった。

翌日の葬儀には夢さんは来なかった。両親をきちんと見送れたことに安心した。

全てが終わった後、両親の49日法要まで位牌の管理を私たちが任されることになった。兄が家に来て準備を手伝うと言う。自分の意思で動くことは珍しいなと不思議に思った。その答えは、家に着いた瞬間に分かった。玄関前に夢さんとその息子が座っていたのだ。

「遅かったのね。待ちくたびれたわよ」
夢さんが苛立った様子で言う。私は睨みながら聞いた。
「なんであなたがここにいるんですか?」

「だってあなたたちに来るなって言われたから、葬儀会場に行けなかったんじゃない」

そして夢さんはとんでもないことを言い出した。

「そうだ。その子、もういらないからあんたにあげるわ」

この言葉に私の思考が一瞬止まった。
「ええ?どういうことですか?」

「あんた、子供できないって聞いたわよ。だからあげる」

兄から私の不妊について聞いていたようだ。困惑する私に、夢さんは耳元で囁いた。

「リクは前の旦那との子なのよ。実は今、お腹の中にあなたのお兄さんの子供がいるんだから、この子もういらないの」

そう言って必要事項を記入した幼児園の書類を手渡された。自分の子供でしょ、と言ってやりたかった。だが、リクという男の子をよく見ると、今は夏なのに長袖長ズボン姿。何かがおかしいと思って黙っていると、「じゃあよろしくね」といつの間にか兄と車に乗り込み、まだ何も答えていない私たちに押し付けるように置いていってしまった。

リクは何も言わず俯いたままだ。夫はリクの頭を撫でて「大丈夫だよ」と言っている。私は何度も兄に電話をかけたが出ない。仕方なく私はリクに向き直って話しかけた。

「リク君、今日はおばちゃんの家にお泊まりしていってくれるかな?」

リクはこちらを見て、うん、と頷いてくれた。

「これからお風呂に行って、わんこを迎えに行くんだけど、リク君一緒に行こう。着替えのお洋服ある?」

お風呂というのは私と夫がよく行くスーパー銭湯だ。ペットホテルにもこを迎えに行く前に、疲れを取りたくて元々行く予定だったのだ。リクは子供用リュックから荷物を取り出した。洋服はボロボロのTシャツ3枚とズボン1枚だけだった。

驚いた私たちは、まずリクの洋服を買いに行くところから始めた。何着か購入し、そのままお風呂に行き、夫とリクは男湯へ。その後、ペットホテルにもこを迎えに行った。リクはもこを見て目をキラキラ輝かせた。それまで笑顔を見せなかったリクの初めての笑顔だった。家に帰るまで車の中でずっともこを抱いていたリク。

「リク君、わんこ好き?」
家に到着してから私が話しかけると、
「あ、うん。僕、犬大好き。この子をもこって言うんだね。もこは何歳なの?」
リクは楽しそうに質問してくれた。リクからの質問はこれが初めてだ。教えてあげると、「そうなんだ。可愛いね」とずっと撫でていた。もこも気持ち良さそうな顔をしている。

その日、リクはもこと一緒に寝た。幸せそうな寝顔を見ていると、昼間の兄と夢さんの態度に怒りが込み上げてきた。リクが寝た後、再度兄に電話をかけたが、着信拒否をされていた。一応メッセージは送ったが、きっとこれも見ないだろう。

夫がお風呂でリクの体を見た時、あざなどはなかったが、体がガリガリで頭もふけがすごかったようだ。話を聞く限り、年中同じ洋服を着せられていたらしい。持っている服は全て長袖長ズボンだったせいで、リクは小学校で同級生に避けられ、友人はいなかったらしい。夢さんは自分のみを優先して、子供に対しては何もしていなかったことがよくわかる。そんな女と結婚する兄も気の毒だと思ったが、選んだのは兄本人だ。

無責任な二人にリクを任せることはしたくない。夫と相談して施設に連れて行こうかとも考えたが、もこといる時の幸せそうな顔を見るとそんなことはできなかった。兄にメールでリクを引き取るので手続きをしたいと伝えると、すぐに連絡が来て、なんとかリクの学校に関する手続きなどを終えることができた。

リクをこちらで保護することを決めたのはいいが、本人に何て言おうかだけ悩んでいた。リクの夏休みということもあり、しばらくリクはお泊まりという形でずっと家にいた。私がピアノ教室で生徒さんを教えている間は、もこと一緒に家で留守番をしてくれている。私たちも一緒に暮らすうちに、リクのことを大切な家族だと思うようになっていった。そんな気持ちが強くなるほど、リクにとって何が一番幸せなんだろうと思い始めた。本当は兄のところで実の母と一緒に暮らす方がいいのではと悩んだが、リクを置いていった兄嫁の態度を思い出し、返すのは良くないと決心した。

夏休みも残り1週間ほどとなった頃、覚悟を決めてリクに話をすることにした。

「リク、大事な話があるの。お母さんのことなんだけど」

切り出すと、リクは下を向きながら話し出した。

「僕、知ってるよ。ママ、僕を置いていなくなったんだよね。僕はもう8歳だよ。理解できる年だよ、おばちゃん」

「え、そ、そうだよね。もう8歳なんだもんね。おばちゃん、子供いないからそこら辺ちゃんと分かってなかった。ごめんね」

私がそう言うと、リクは首を横に振った。

「リク君さえよければ、このままここで一緒に暮らして欲しいんだけど、どうかな」

私が続けて聞くと、下を向いていたリクがこちらを見た。

「僕、ここに居てもいいの?おじちゃんもおばちゃんも優しいから好き。本当の子供じゃないから追い出されるかと思ってた。それに、もこもいるから楽しいよ。僕、ここにいたい」

懇願するように言うリクを、私と夫は抱きしめた。

「あなたはもう私たちの家族よ。もう大丈夫だよ。何も心配することはない」

そう言いながら、三人で泣いた。その後、リクの養子縁組の手続きを進め、こちらの学校に通い始めた。そしてピアノにも興味を持ち始めたので、リクにも教えてみるとみるみる上達し、ピアノコンクールに出るまでになった。

リクが我が家に来てから7年後、ピアノコンクールでの成績も良く、メディアに天才ピアニストとして取材されることになった。その頃にはYouTubeでも配信しており、かなりの再生回数で、今注目のユーチューバーとしてテレビ出演が決まったのだ。

放送されてから1週間ほど経った頃、突然家に兄と夢さんがやってきた。

「やっぱりリクを返してもらいに来たわ」

夢さんが言い出した。それを聞いた私は吹き出してしまった。

「何笑ってるのよ。いいから早くリクを出しなさい。テレビ見たわよ。YouTubeもやってるんだってね。あんたたちだけリクのおこぼれをもらってるなんて許さないわ」

ヒステリック気味に怒鳴り散らす夢さんに、私は笑いながら言った。

「残念ながら1日遅かったですね」

「は?どういうこと?いいから出しなさいよ」

「無理なものは無理なので、私もはっきり断ります。リクは昨日、あなたの元旦那さんに引き取られていったのよ」

「何それ?なんであんな男に渡すのよ?」

夢さんが取り乱していると、その言葉を聞いた兄が突然怒り出した。

「なんでアイツに渡したんだよ。あいつの金がないと俺はこの先どうしたらいいんだ」

私は怒りをあらわにした。

「兄さん、ちょっといい加減にしなさいよ。あんたね、今までリクと関わったことないでしょ。それが何?自分の会社が危ないからって、あの子のお金を当てにするのはやめて」

私が兄にここまで切れたことがなかったので、兄も少し驚いていたが続ける。

「まあ兄貴に向かって『あんた』とは何なんだ?それよりも、金も少しはそうだけど、前の旦那は外で女作って、家でもリクにひどいことしてたんだぞ。そんな奴に引き渡したら、この先どうなるかわからないじゃないか」

「あら、私が聞いた話とは真逆のようだけど、どっちが正しいのかしらね。夢さん」

兄の言葉を聞いた私は、夢さんの方に向かい問いかけた。すると夢さんの顔がみるみる青くなっていった。

「夢さん、どうしたんですか?顔色悪いですけど」

私が問いかけると、夢さんは話をそらしてきた。

「そ、それより、どうしてあの人がリクを引き取るなんてなるのよ。あの人も金目当てでリクを引き取っていったってこと?」

「そんなわけないじゃない。夢さん、元旦那さんの仕事を知らないんですか?作曲家の和彦さんって知らない?」

「え、嘘。あの人、私と一緒にいた時全然売れてなかったのよ」

「それなのに今はアイドルとかの曲を作ってるあの和彦。そうよ。その和彦さんがリクのことを知って、会いに来てくれたのよ。そしてリクが自分の意思で和彦さんの元に行ったのよ」

実はYouTubeにリクの動画を配信するきっかけとなったのが、リクの父親を探すためだった。リクは私たちと暮らすようになってから、父の話をよくするようになった。リクは父と暮らしたいんだなと考えた私は、リクに「お父さんに会いたい?」と聞くと、笑顔で頷いていたのだ。だからリクの父の名前を聞いてSNSなどで探し、同じ名前の人にYouTubeを見てもらえないかコンタクトを取り、和彦さんがそのYouTubeを見て返信をくれた。和彦さんもリクを探していたようで、リクが大事にしているペンダントが映った動画を見て確信したらしい。

何はともあれ、夢さんたちが来る前にリクのことを和彦さんに引き渡せてよかったと思う。夢さんはその場で泣き崩れていた。それと同時に、兄が私に土下座をしてきた。

「金貸してくれ」

やっぱり会社はそこまでやばくなってるんだ。さっきは笑ったけど、まさかそんなに危ないとは。情けない。

「お父さんたちから引き継いだ遺産はどうしたのよ」

兄は両親がいなくなるまで実家で暮らしており、いい年をして親のすねをかじっていた。就職も親の会社にコネで入社していたのだ。その後、父の会社を引き継ぎ社長になったが、経営は杜撰で、この7年で会社を追い込まれていると聞いた。金は高級車やマンションの購入費に消えたらしい。その後も会社のためにと危ない投資話に乗り、資金を全て巻き上げられてしまったという。そんな時にリクのテレビ出演を偶然見て、夢さんと共に取り戻しに来たということだ。

「人のお金を当てにしないで、自分で何とかしなさいよ」

私はそう告げ、玄関から二人を追い出した。その後も玄関の前で夢さんと兄が騒いでいて、近所迷惑になると夫が警察に電話してくれた。到着した警察に二人は連行されていった。その後、二人の間に生まれていた子供へのネグレクトも発覚したようで、子供は児童養護施設へ引き取られ、刑務所の中へ二人仲良く入ったそうだ。

一方リクは、父の元で作曲を勉強し、高校生とピアニストの二足のわらじで頑張っている。リクと離れると決めた時は悲しかったが、毎月欠かさずに手紙で近況を教えてくれる。たまにもこにも会いに来てくれるので、ちっとも寂しくない。

リクが家を出る時には、
「僕はおじちゃんとおばちゃんのことをずっと本当の親だと思ってたよ。僕のことを引き取ってくれてありがとう」
と泣きながら言われた。そんな言葉をもらった私たちもしばらく涙が止まらなかった。

今はリクが演奏する曲を子供たちからもリクエストされ、私もリクの曲を勉強中だ。これからもたくさんの子供たちの成長を見届けていきたいと思う。

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