「おい、中卒の負け犬君。過去の失敗は酒で流してあげるわよ」
そう言って、同級生の女は俺の頭からジョッキのビールをぶっかけてきた。
顔も髪もスーツも、ビールまみれだ。
周りにいた連中は大爆笑。俺はただ黙って立ち尽くすしかなかった。
これはつい先日、中学の同窓会での出来事だ。俺の名前は川崎政治。あの日から状況は一変し、この女を見返すことになるとは、その時は想像もしていなかった。
俺は元々同窓会に行く気などなかった。行きたくない理由があるわけではないが、なんとなく気が進まなかったのだ。だが、親友の両太に誘われて、しぶしぶ出席した。
それが運の尽きだった。
帰ろうとしたところで、あの女が近づいてきた。小学生の頃から学年で一番の美人と言われていた酒井ミキ子。金持ちの令嬢で、ブランド物の服を着て、いつも鳥巻きたちと一緒に笑っている。性格は最低だった。
「政治じゃん。よく来たわね。あんたの友達は弁護士で、あんたはまだ建築現場で働いてるんでしょ?中卒だもんね」
高校時代のことを思い出した。当時、俺はミキ子と同じ私立高校に通っていた。成績はいつも学年のトップを争う間柄で、俺が1位を取ると、ミキ子は俺の前でテストの答案を破り捨てた。
「何よ、団地の貧乏人のくせに。ああ、貧乏だから勉強しかすることがないのね」
そんな言葉に、俺はいつも無視を決め込んでいた。
「その後、高校もやめてしまってさ。貧乏人ってとことんかわいそうなものね。中卒の負け犬君。私があんたの過去の失敗、全部酒で流してあげるわよ」
そう言って、ミキ子はビールをぶっかけたのだ。
「ちょっと、何をするんだ!」
俺がそう叫ぶと、ミキ子の取り巻きたちがまた笑った。両太がすぐにタオルを持ってきてくれて、女将さんも床を雑巾で拭いてくれた。男の同級生たちは俺を心配してくれたが、ミキ子たちはまだ笑っている。
「お前、本当に小学生の頃から性格悪いよな。何をしたか自分で分かってんのか?」
両太が怒りで顔を真っ赤にして言った。ミキ子はケロッとしていた。
「だって、普段は建築現場で泥だらけのくせに、今日はスーツなんか着ちゃってさ。ヘラヘラしててむかつくっていうか。まあ、すっきりしたけどね」
俺はその場を離れ、タクシーで両太と一緒に帰った。車の中で、俺は静かに言った。
「両太、俺は絶対にミキ子を許さない」
「もちろんだ。ビールをぶっかけるなんて、立派な犯罪だよ。俺、スマホに証拠を録画してあるからな。警察へ行こう」
両太は敏腕弁護士だ。彼は俺に、その時の録画を送ってくれた。そして翌日、二人で交番に行き、被害届を提出した。
「明日は面白いことになりそうだな」
俺はそう呟いた。
家に帰ると、妻と娘はすやすやと眠っていた。俺はシャワーを浴びて、翌日に備えた。
翌朝10時、俺はミキ子の父の会社に大きな契約のために向かっていた。ミキ子の父は不動産関係の会社を経営していて、俺の会社「川崎建設」は合意していたのだ。今まで俺は営業に出ていたが、ミキ子がいるためわざわざ会わないように営業担当を派遣していた。しかし今回は相手方からの依頼で、大きな取引だった。しかも担当がミキ子だと俺は知っていた。
受付を済ませ、会議室ではなく「社長秘書」と書かれた部屋に案内された。ドアを2回ノックすると、中から「どうぞ」という声がした。
部屋に入ると、ミキ子は目をまん丸にしていた。
「は?なんであんたがここにいるのよ。今日は大事な商談の日じゃないの」
ミキ子は目を泳がせながらも、俺をソファーに招いた。俺は名刺を差し出した。
「は?あんたが川崎建設の代表取締役?」
「はい、今の社長です。契約書を持ってまいりましたが」
ミキ子の顔色が変わった。
「え、社長?」
「はい。その前に、見てもらいたいものがあります」
俺はスマホを取り出し、昨日の同窓会でのミキ子の姿を流した。録画には、俺の頭からビールをぶっかける瞬間がはっきりと映っていた。
「せ、政治、こ、これはつい酔っ払っていて…」
「酔っていようが、やって良いことと悪いことがあります。ですので、今回の50億円の契約は白紙で」
「そ、そんな!困るわ!私、パパに叱られる!」
「そうですか。しっかり叱ってもらってください。後ほど警察も来ると思いますので」
俺はそう言い切って、ソファーから立ち上がった。部屋を出て玄関へ向かうと、刑事のような人とすれ違った。しばらく車の中で様子を見ていると、ミキ子がその刑事に車へ連れて行かれるのが見えた。
車に戻ると、両太が走ってきた。
「政治、どうだった?」
「ああ、契約は白紙にしたよ。それから刑事らしき人が来て、あの女が連れて行かれた」
「そっか。じゃあ俺にも連絡があるかもしれないな。慰謝料はどうする?」
「自由だぞ」
「そっか。じゃあ100万で決めるか。内容証明をあいつの父のところへ送り付けてやるよ」
両太はそう言って笑った。
その後、警察から事情聴取の電話があった。ミキ子は暴言とビールをぶっかけた傷害事件として、被害届が受理されたのだ。ミキ子の父が現場に現れ、改めて謝罪すると言ってきた。
そして、数日後、ミキ子の父が俺の会社にやってきた。玄関で土下座した。
「どうか、契約を。それと被害届の取り下げをお願いします」
「社長、どうか頭をお上げください。しかし、今回はあなたの会社との取引はお断りいたします。何しろ、娘さんが犯罪者ですから」
「そこをなんとか…」
「あなたの娘さんには、昔から貧乏だの何だのと見下されてきました。これで縁が切れるなら、何よりです。どうかお引き取りください」
ミキ子の父は項垂れて帰っていった。
その数日後、両太がまた騒ぎ出した。
「政治!大変だ!昨日の同窓会の現場、他の誰かも録画してたみたいで、ミキ子のSNSがとんでもないことになってるぞ!」
俺はスマホを見た。ミキ子のアカウントは化粧品販売のもので、彼女の顔はぼかしが入っていなかった。動画には、俺の頭からビールをぶっかける場面と、「中卒の負け犬君」という暴言がはっきりと映っていた。コメント欄は炎上していた。
「これでミキ子の商売もアウトだな」
同じ動画を見た同級生から、両太のスマホに着信が鳴りまくる。ミキ子の取り巻きたちも俺に謝りたいと言って、会社に電話がかかってきた。酒の席とはいえ、取り巻きたちからも「ごめんなさい」と謝罪があった。
家に帰ると、警察に出向いた俺を心配した妻が「何があったの?」と聞いてきた。俺が全てを説明すると、妻はぽつりと呟いた。
「あのミキ子さんなら、やりそうなことね」
その後、ミキ子は両親に勘当され、この町から姿を消した。どこかへ行ったらしい。美人でも、あの性格が治らない限り、どこへ行ってもうまくいかないだろう。慰謝料は父親が立て替え、俺の口座に振り込まれた。
しばらく経って、俺は接客で夜の繁華街を歩いていた時のこと。
ミキ子らしき人物を見かけた。
髪はボサボサで、痩せていた。路地裏の小さなアパートに入っていった。夜の仕事でもしているのだろう。
俺は少し悲しくなったが、昔のことを思い出すと、仕方ないと思った。
その後、俺と両太はミキ子からの慰謝料で家族ぐるみで高級焼肉店に行き、美味しい焼肉を堪能した。
会社は順調に成長している。今は地方の開拓の仕事で忙しくしている。川崎建設は徐々に大企業へと育っていく。両太の息子もすくすく育ち、うちの娘も元気だ。俺たちは家族ぐるみで夏は海へ、秋は山へバーベキューに行ったりしながら、仕事もプライベートも充実した日々を送っている。
中卒だからと引け目を感じたこともあったが、今は学歴なんて関係ない時代になりつつある。母は元気で、まだうちの会社で経理を頑張ってくれている。父が亡くなった時は悲しみに沈んだが、今はきっと遠い空からあの優しい笑顔で俺たちを見守ってくれているだろう。
俺は祖父が創設したこの会社を、今後も精一杯守っていくことを誓った。あの日ビールをかけられた悔しさが、今の俺を作ったのだ。



