母の治療費のために、私は毎月欠かさず10万円を振り込んでいた。専用の通帳まで作って、それを母に渡した。それが、私の人生で最大の裏切りに気づくまでの、つかの間の安心だった。
「送った治療費、どうしてるの?」
そう尋ねた私に、母は意外な言葉を返した。
「お金、もらってないわよ」
その言葉に、私は凍りついた。毎月確実に振り込んでいたはずなのに。通帳を確認すると、そこからは毎月全額が引き出されている。そして、その通帳の口座番号は、私が持っているカードのものとは違っていた。母は言った。「ヤス子が新しいのに取り替えてきてくれたのよ。コーヒーをこぼしてダメにしたって謝ってたけど」
怒りで手が震えた。ヤス子は、私の実の妹だ。3歳年下で、明るくて愛嬌がある、家族のムードメーカーだった。離婚してからは実家に戻り、母と暮らしている。私は都会で一人暮らしをしながら、会社員として働いている。母を支えられるのは自分しかいないと思い、給料の一部を実家に送り続けていた。母はいつも遠慮していたけれど、「育ててもらった感謝の気持ちだから」と伝えて、ようやく受け取ってくれるようになった。
そんな妹が、まさか母の命に関わるお金に手をつけるなんて。
かつて、ヤス子は元夫の誠一という男性に、生活が苦しいと嘘をついてお金を借りていたことがある。合計30万円以上。私が立て替えて返済し、借用書まで書かせた。あの時は、反省してくれると思った。実際、しばらくは落ち着いていたように見えた。
しかし、それは始まりに過ぎなかった。今回のこと発覚後、私は妹を問い詰めたが、彼女は悪びれる様子もなく、「お母さんに何かあったら私が銀行に行かなきゃならないから、暗証番号を教えてほしいの」と前から言っていた。今思えば、あの時点で金銭を目的にしていたのだろう。
「あんた、お母さんの治療費を盗ったんでしょ!」
「違う!ちょっと借りただけじゃん!」
借金返済のために友人から更にお金を借り、それが膨らんで50万円になっていたと白状した。彼女は私からの送金が止まったと知ると、友人に泣きついて金を無心していたのだ。友人の夫に詰め寄られ、逃げ場を失った末の行動だった。
私は弁護士を通じて、返済計画を作成した。それでもヤス子は反省せず、開き直る態度を取った。そして、ついに私は決断した。
母と二人で新しいマンションに引っ越し、実家を処分することにした。
母は最初、ためらっていた。「あの子が帰る場所がなくなってしまう」と。しかし、私が「あの子は自分の行動で全てを失ったのよ。私たちはもう、守ってあげる必要はない。私がお母さんの面倒をみるから」と伝えると、母は深く頷いた。
引っ越しの準備を進める中、ヤス子から母の携帯に着信が殺到した。無視を続けていると、留守番電話に彼女の金切り声が録音されていた。
「お母さん!私の荷物はどこなの!? 家にいないし、鍵も開かないんだけど!」
私は母に代わって電話に出た。
「もしもし。サチコだけど」
「は? なんで姉さんがいるわけ?」
「お母さんと同居することに決めたからよ。実家はもうないわ。あなたは一人で生きていきなさい」
「は? じゃあ、実家は私がもらえるよね?」
彼女はまだ理解していなかった。私たちは実家を解体することを決めたのだ。電話を切った後、母と私は急いで実家に向かった。そこには、目の前で家が壊されていく様子を、呆然と見つめるヤス子の姿があった。
近くのファミリーレストランで、私はヤス子に別れを告げた。
「もう、誰もあなたを助けないわ。誠一さんは連絡拒否したって聞いた。あなたの友達も、みんな離れていったわ。全部、自分で蒔いた種よ」
「だって辛いんだよ、私!かわいそうだと思わないの!?」
「ブランドの服を買って、高いランチに行って、パチンコに課金してたんでしょ。あなたはお金がないんじゃない。使いすぎなのよ。今の生活は、突然始まった不幸じゃない。自分で積み重ねた結果よ」
その後もヤス子は消費者金融に手を出し、自己破産した。体を壊し、生活習慣病になったらしい。治療費を貸してほしいと電話がかかってきたが、私は断った。
「無理よ。お金を使い込まれて病院に行けなかった母さんの気持ちを知りなさい」
今の彼女には、笑い声の絶えた狭い部屋で、借金返済のために働き続けることしか残されていない。
一方、私と母の二人暮らしは快適だ。実家を売却したお金で、老後も安心して暮らせるバリアフリーのマンションを購入したのだ。懐かしい母の手料理を毎日食べられる喜び。70歳を過ぎても元気な母と、なるべく長く一緒にいようと思う。
時々、母は言う。「ヤス子はね、育て方が悪かったのかしら」
そのたびに私は首を横に振り、優しく肩を抱く。「お母さんのせいじゃないわ」
今、私は幸せだ。仕事も充実し、頼れる友人もいる。母との何気ない日常が、何よりも尊い。



