私は離婚届を突きつけられた。一人息子の小一郎が余命宣告を受けたその日に。
夫の信彦は、私がまだ現実を受け入れられずにいる横で、まるで待っていたかのように言い放った。
「お前と離婚して若い彼女と再婚する。後継になれないお荷物の息子が死ぬんだ。役立たずの嫁もいらねえよ」
小一郎はまだ生きている。私は必死に反論したが、信彦は冷たく笑った。
「時間の問題だろ。ちなみに小一郎にかけてる1000万の保険金は俺がちゃんと使っといてやるから心配するな」
愛人のあけみと再婚すると宣言し、息子の生命保険まで独り占めするという。義母に至っては、まだ結婚もしていないあけみの妊娠を望んでいた。
「小一郎のことが心配ではないんですか?」
「心配? あんなくず、本当最後までゴミだったわ」
その言葉で、私は信彦と義母に完全に愛想が尽きた。このまま結婚生活を続けても、小一郎は不幸になるばかりだ。
「わかりました。離婚します」
私は離婚を受け入れ、荷物をまとめて実家を出ていった。
私は46歳。専業主婦として夫と息子、義両親の5人で暮らしてきた。今となっては、この結婚が間違いだったと痛感している。
信彦と出会ったのは28年前。父が経営する小さな印刷工場が経営不振に陥り、家計を支えるため高校を卒業してすぐに就職した。採用されたのが義父の会社だった。父と義父は学生時代からの友人で、安心だと言われて決めた就職先だった。
就職から5年が経った頃、実家の印刷会社が倒産の危機に直面した。銀行からの融資を打ち切られ、父は毎日のように資金繰りに奔走していた。どうにもならず、父は義父に相談を持ちかけた。すると義父は、当時30歳になっても遊び歩いていた信彦の将来を心配していたこともあり、父の会社に出資する交換条件として、私と信彦の結婚を持ちかけてきたのだ。
私には選択肢がなかった。父の会社を救うためには信彦と結婚するしかない。父は「無理をする必要はない」と言ってくれたが、それでも断ることなどできなかった。
結婚後の生活は地獄だった。信彦は気が向いた時以外は私に興味を示さず、義母は事あるごとに私をこき下ろした。食事を作っても「不味い」「親戚の恥」と罵られ、掃除をしても小さな誇りを見つけては叱責された。私は家族として受け入れられず、夕飯を食べるのも義両親と信彦が食べ終わった後だった。
「お情けで拾ってもらったくせに」
義母にそう言われる度、私の心は疲弊していった。義実家に私の味方はいなかった。
しかし1年後、天気が訪れた。長男の小一郎が生まれたのだ。義母は後継の誕生を大いに喜び、この時ばかりは私を褒めてくれた。息子の存在が義母との関係をよくしてくれるかもしれない。そう期待したが、私への扱いは大きくは変わらなかった。
義母は小一郎がまだ3歳にもならない頃から厳しく躾け、私の口出しを一切認めなかった。信彦は子育てに全く興味を持たず、義母の過剰な指導にも口を出さない。小一郎は次第に義母のそばに行くことさえ嫌がるようになったが、その度に「教育がなってない」と私が罵倒された。
小一郎が5歳になる頃には、小学校受験のための厳しい学習指導が始まった。同じ頃、義父が隠居し社長に就任した信彦は、さらに傲慢な態度を取るようになった。自分が一家の大黒柱だと好き勝手に振る舞い、「俺の言うことには絶対に従え」と威圧するのだ。
信彦の傲慢さは会社でも同様で、社員の不満はピークに達していた。信彦は社員を「使い捨ての駒」と言い放ち、怪我をしても病気になっても見舞いの一つもかけない。社員から意見されると首にしてしまい、会社は一気に人材不足に陥った。
ある日、社員の一人が自宅に直談判に訪れた。信彦は仕事に出たきり家に帰っておらず、そのことを告げると社員は大きく肩を落とした。話を聞くと、会社の実情は深刻だった。私はなんとかしなければと思った。会社が経営できなくなってしまえば、社員の家族までもが路頭に迷うことになる。
私は信彦や義母にバレないように、社員の家族の入学や卒業を聞けば祝い金を送り、怪我や病気で休職するとなれば見舞金を送るなどして、社員をサポートすることにした。
その頃、小一郎は義母の過度な厳しさに拒否反応を示すようになり、学習机に向かうだけで冷汗が浮き出たり、蕁麻疹が出るようになった。義母はそんな小一郎を「情けない」「後継としてふさわしくない」と愛想を尽かした。それでも後継として教育させたい義母は家庭教師を雇い、毎日小一郎を勉強漬けにした。
唯一の救いは、雇われた家庭教師が優しかったことだ。小一郎の症状は次第に落ち着きを見せ、中学に上がる頃にはすっかり治っていた。
やがて小一郎は進路を考える時期になった。義母は有名私立大学の付属高校の受験を勧めてきたが、私は小一郎自身が選ぶべきだと思った。
「小一郎の将来は彼自身が選択するべきで、周りに押し付けられるものではない」とアドバイスをすると、小一郎は小さな声で言った。
「僕は料理人になりたいんだ」
小一郎は小さい頃から私が料理を作っているのを見るのが好きだった。いつか自分でも料理を作ってみたいと思いながらも、義母の厳しい監視のもとでは言えなかったのだ。
「素敵な夢だわ。小一郎が立派な料理人になれるよう、お母さんも応援する」
「でも、おばあちゃんに叱られるよ」
「おばあちゃんのことなら気にしなくて大丈夫よ。叱られるくらい平気だから」
私の言葉に小一郎は顔を明るくさせた。
「僕、世界一の料理人になるよ」
小一郎は公立高校への進学を決め、卒業後は調理の専門学校に通いたいと目標を立てた。しかしそれを聞いた信彦と義母は「男が料理だなんて恥ずかしい」と呆れた顔を見せた。
「でも世界で活躍する有名シェフには男性がたくさんいます。小一郎が料理人を目指しても何も恥ずかしいことなんてありません」
「小一郎はこの家の後継だよ。それなのに料理人だなんて情けないったらありゃしないわ」
「全くだ。俺の息子だと言いたくない」
信彦と義母は小一郎の気持ちを理解しようともせず、身勝手な言い分ばかり押し付けてきた。
「お情けで養ってやってるっていうのに勝手なことばっか言うんじゃない。この家は信彦の言うことが絶対なの。聞けないっていうなら自分たちだけで生活しなさい」
義母は私と小一郎に出ていけと言っているようだった。
「それは一体どういう意味ですか?」
「小一郎はうちの後継としてふさわしくないわ。信彦もこの人と別れて、もっと若い女性と一緒になった方がいいんじゃないの?」
義母は思い通りにならない小一郎に見切りをつけたのか、信彦に再婚を勧めたのだ。
「それもありだな。こんな役立たずと一緒にい続ける意味もない」
信彦もまんざらではない様子を見せた。
正直なところ、信彦と離婚すればどれほど気が楽になるだろうと考えたことはある。しかし小一郎の将来を思うと、まだ離婚するわけにはいかない。
その時、私のスマホが鳴った。画面には実家の母の名前が表示されている。普段は電話などかけてこない母が、一体どうしたのかと不審に思いながら電話に出た。
「お父さんが……」
母は言葉を詰まらせながら父の危篤を知らせてきた。前々から体の不調を訴えてはいたが、まさか重篤な状態だとは知らなかった。私は急いで病院に駆けつけようとした。
「行く必要はないわ」
「え? 父が危篤なんですよ」
「お前はこの家に来たんだ。今更あんな実家と関わるなんて、貧乏神が映る」
「そうよ。行くことは許しません」
父の命が危ないというのに、信彦と義母は見舞いすら行かせてくれなかったのだ。
その翌日、母から父の訃報が伝えられた。私は父の最後を見取ることもできず、無念さばかりが湧き上がった。
ようやく葬儀に参列することだけは許してもらい、私は小一郎を連れて実家へと戻った。実家に帰るのは結婚して以来だった。母は憔悴しきっており、葬儀の間も呆然としている。
通夜が終わり、出棺の時間となった時、信彦から電話がかかってきた。私が電話に出ないでいると、立て続けに何度もかかってくる。
「信彦さんからでしょ? 出た方がいいわ」
「いいのよ。今はお父さんを見送る方が優先だから」
母には結婚してからのことを何も話していない。それでも何かを感じ取っているのだろう。母は私が信彦に叱られるのではないかと心配してくれたが、父の葬儀が終わるまでは電話に出るつもりはなかった。
ようやく葬儀が終わり、参列者たちを見送った後、スマホを開くと信彦からの着信が20件以上も入っていた。電話をかけると、信彦は怒り狂った声で怒鳴りつけた。
「俺の電話にも出ないで何をしてるんだ?」
「今日は父の葬儀です。電話なんて出られるわけないでしょ」
「俺の電話を無視するなんていい根性してるな。お前は誰に食わせてもらってると思ってるんだ」
信彦は私の意見など聞くつもりもなく、一方的に攻め立ててきた。
「とにかく早く帰って飯を作れ」
信彦は私に命令し、電話を切った。
母を一人残して帰るのは心苦しかったが、信彦をこれ以上放置するわけにもいかず、私は後ろ髪を引かれる思いで義実家に帰った。
帰宅すると、信彦と義母は私を睨みつけていた。
「全く、死体を放って葬儀だなんて、なんて白々しい嫁なんだい。俺の電話を無視したバツだ。これから1週間外出することを禁止する」
「ちょっと待って。母の様子は見に行きたいの」
「許さん。お前はこの家の人間だ。どうでもいい母親のことなど放っておけばいい」
信彦には人の心がないのだろうか。父が亡くなったばかりだというのに、痛むこともせず、残された母の様子さえも見に行くなと言う信彦に、私は呆然としてしまった。
それからは母とメッセージを交わすものの、実家に近寄ることさえできなかった。
月日は過ぎ、小一郎は高校を卒業し、調理の専門学校に進学した。信彦と義母は小一郎に全く興味を示さなくなり、一緒にいても目を合わせようともしない。それでも小一郎は自分の夢に向かって必死に勉強した。調理の経験を積みたいとアルバイトも始め、近くのイタリアンレストランで働くようになってからは一層目を輝かせるようになった。
しかしそれとは正反対に、信彦は私への当たりを強くしていった。顔を合わせるたびに「ババア」と罵り、私をあからさまに避けるようになった。仕事だと言って家に帰ってこない日もある。私は信彦が浮気しているのだと思っていた。
そんな中、小一郎が体調不良を訴えるようになった。ある日突然頭が痛いと苦しみ出したのだ。夏の暑い日だったこともあり、熱中症かと思ってベッドで休ませると頭痛は収まったようだった。
しかしそれから度々頭痛を訴えるようになり、心配になった私は病院への受診を勧めた。
「大丈夫だよ。少し休めば治るし、ひどくなるようならちゃんと病院に行くから」
この時小一郎は、一日も早く就職先を決めようと就職活動に必死な時期だった。今思えば無理にでも病院に連れて行くべきだったのだろうが、この時の私は小一郎の頭痛を軽く考えていた。
それから1年ほどが経ったある日、朝食を食べていた小一郎が突然頭を押さえて苦しみ出した。
「小一郎、大丈夫?」
「頭が割れるみたいに痛い」
またいつもの頭痛が起こっているのかと心配していると、小一郎は手で口を押さえ始めた。
「気持ち悪い」
よく見ると、その手が細かく震えている。
「母さん、なんか変だよ。視界がぼやける」
小一郎はそのまま意識を失ってしまった。
私は急いで救急車を要請し、小一郎を病院へと連れて行った。検査の結果を待つ間、私は生きた心地がしなかった。
3時間ほど経っただろうか。ようやく全ての検査が終了したと医師が現れた。
「小一郎は大丈夫なんでしょうか?」
「詳しくご説明しますので、こちらへ」
医師に案内され、カンファレンスルームに入る。小一郎はまず落ち着きを取り戻し、今は眠っているという。しかしほっとしたのも束の間、医師は私に残酷な告知をした。
「小一郎さんの脳に腫瘍が発見されました。大きさや特徴から見て、おそらく悪性かと思われます」
「あんな小一郎はまだ19歳ですよ」
「詳しくは生体検査をしてみないと分かりませんが、万が一悪性だった場合、命の危険もあると思ってください」
医師の言葉が信じられなかった。ようやく夢への第一歩を踏み出せるという矢先に、どうして。
その後は医師の説明も聞き取れず、私は言われるまま手術の同意書にサインをした。それからすぐに小一郎の手術が始まった。信彦と義母にも連絡をしたものの、2人とも病院には現れず、私は一人で小一郎の無事を祈っていた。
何時間過ぎただろうか、ようやく手術室の明かりが消え、小一郎が病室へと運ばれていく。手術は無事に成功したのかと思っていたが、医師の表情は硬いままだった。
「手術で可能な限り腫瘍を切除しました。今後は放射線治療と化学療法を組み合わせて治療を行います」
「それで小一郎は治るんですか?」
「全力は尽くしますが、まだ何とも言えません」
医師の説明によると、小一郎の腫瘍は悪性度が高く、再発のリスクが高いらしい。仮に再発した場合、さらに状況が悪化する可能性もあると言われ、私の頭の中は真っ白になった。それでも小一郎を救いたい一心で、医師に治療を委ねるしかなかった。
その後、小一郎は入院して治療に臨んだ。私は毎日病院に通い、小一郎を励まし続けた。しかし信彦と義母は、そんな状態でも「金食い虫だ」と小一郎を罵り、見舞いの一つも来なかった。
半年ほど治療を続け、小一郎は退院した。まだ完全に安心できる状態ではないが、定期的に通院しながら様子を見ようということになった。この時には小一郎の頭痛は見られなくなり、一見元気になったかのように見えた。小一郎は勉強の遅れを取り戻そうと必死に勉強に励み、アルバイトも再開させた。
退院から半年が経ち、小一郎は20歳の誕生日を迎えることになった。その日はアルバイト先の同僚たちが祝ってくれるというので、小一郎は嬉しそうに出かけていった。しかし数時間後、小一郎が倒れたと連絡が入った。痙攣を起こし、意識がないという。
慌てて駆けつけると、救急隊が小一郎を運んでいる最中だった。病院に到着し、検査を受けると、小一郎の脳には新たな腫瘍ができていたのだ。
「再発した腫瘍が急激に成長し、脳に複数の腫瘍が確認されました。手術は困難と思われます」
私は混乱して、医師の言葉をしっかりと理解することができなかった。
「他の治療をするってことですか?」
「申し上げにくいのですが、落ち着いて聞いてください。小一郎さんの余命は半年ほどかと思われます」
その瞬間、頭の上からとても大きな石が落ちてきたようだった。激しい嗚咽に襲われ、視界が歪んだ。嘘だと思いたい。小一郎に残された時間が半年だとは、どうしても信じたくなかった。
小一郎はそのまま入院することになり、今後は緩和ケアに切り替えるという。
「もう治療はできないのでしょうか?」
「放射線治療で腫瘍が小さくなれば、手術も可能になります。ただ、小さくなると断言できるものではありません」
「それでも可能性があるなら治療をしてください。小一郎を助けてください」
私は最後まで小一郎の命を諦めたくなかった。たとえ0. 1%の可能性しかなくとも、それにかけたかった。
その日家に帰った私は、信彦と義母に小一郎のことを話した。
「それは本当か?」
「間違いないわ。だからこれからまた治療していく」
「よし」
信彦は嬉しそうにガッツポーズを作って見せた。私は意味が分からず、信彦の顔を見上げた。
「小一郎が余命半年じゃ、この家の後継にはなれないな」
「今そんなことどうでもいいでしょ」
「いや、どうでも良くない。いい機会だ。お前と離婚して若い彼女と再婚することにしよう」
信彦は用意済みの離婚届を突きつけてきた。
「小一郎が明日生きられるかわからない時に、離婚だなんて」
「だからいいんじゃないか。お荷物の息子が死ぬんだ。役立たずの嫁もいらねえよ」
信彦のあまりの言いように、私の頭には「死」の二文字ばかりが浮かんだ。
「これであけみと一緒になれるんだ。ちなみに小一郎にかけてる1000万は、俺がちゃんと使っといてやるから心配するな」
信彦は社長秘書をしているあけみと再婚すると宣言し、小一郎の生命保険も独り占めするというのだ。
「小一郎はまだ生きてるわ」
「時間の問題だろ。離婚するからって財産分与なんて言うなよな。これまで養ってやったんだ。それだけで十分だろう」
「信彦が若いあけみさんと再婚したら、後継もきっとすぐに生まれるわ」
義母は、まだ結婚もしていないあけみの妊娠を望んでいた。
「小一郎のことが心配ではないんですか?」
「あんなくず、本当最後までゴミだったわ」
信彦と義母に、私はほとほと愛想が尽きた。このまま結婚生活を続けても、小一郎は不幸になるばかりだ。
「わかりました。離婚します」
私は離婚を受け入れ、荷物をまとめて義実家を出ていった。
実家に戻った私を母は温かく迎え入れてくれた。小一郎のことを話すと、母は父が残した印刷工場の売却を申し出てくれた。私は母に感謝しつつ、自身でも仕事を得るため友人に頼み、事務職をすることにした。
同時に、小一郎の病気を治せる医師がいないかと様々な情報を集めた。その中で免疫療法やワクチン療法といった治療があることを知った。すぐに病院の医師に伝え、大学病院で治療を受けることにしたのだ。治療費は高額になるものの、小一郎が元気になってくれるのであれば、可能な限り用意するつもりだった。
そして3ヶ月ほど治療を続けた時、小一郎の脳の腫瘍が小さくなり始め、回復の兆候を見せたのだ。小一郎は病気に打ち勝つ強い意志を持つようになり、それからも前向きに治療に挑んだ。
ある日、病院の売店で何気なく手にした週刊誌の記事を見て、私は驚いた。信彦の会社の社員が一斉退職し、内部告発によって経営危機に陥っていると書かれていたのだ。
私が出ていった後も信彦の横暴は止まらず、社員の不満は極限まで達したのだとか。記事によると、社長秘書であるあけみが内部告発を行い、信彦の不正の証拠を警察に提出したそうだ。信彦は帳簿を改ざんし、脱税を行っていた。その裏帳簿をあけみに預けていたそうだ。
数日後、小一郎の病室にあけみが現れた。あけみは最初から信彦と結婚する意思がなかったという。聞けば、あけみも私と同じく経済的な事情から愛人関係を強要された被害者だったのだ。あけみは私に深々と頭を下げて帰っていった。
その後、小一郎は劇的に回復していき、半年後には退院できるまでになった。しかし長期にわたる治療により、小一郎は料理人への夢を諦めかけていた。
「何かを始めるのに遅いことなんてない。夢は諦めない限り必ず叶うのよ」
私は小一郎を励まし続け、知り合いの店で働けるように頼んだ。通院しながらの修行ではあるが、小一郎は日に日にやる気を取り戻していき、家に帰ってからも楽しそうに料理を作ってくれる。
「いつか自分の店を持ちたい」
そんな夢を語れるようにもなっていた。
しばらくして、信彦から電話がかかってきた。
「やり直したいんだ」
警察の捜査を受けている最中の信彦は、末期の肺がんで余命3ヶ月と宣告されたのだとか。
「お断りよ。今更虫のいいこと言わないで」
あけみに捨てられたからと言って私に泣きついてくるなど、到底受け入れられるものではない。私は一方的に電話を切った。
翌日、今度は義母が家にやってきた。義母は家の外で拡声器を使って「人でなし」と罵倒を繰り返している。私はすぐに警察に通報し、駆けつけた警察官によって義母は連行されていった。その数時間後、SNSでは義母の住所が投稿され、炎上していた。
しかし義母はさらに逆上したようで、翌朝仕事に出かけるため家を出た私に、包丁を突きつけてきたのだ。
「あんたのせいだよ」
義母はなりふり構わず包丁を振り回し、私を襲ってくる。只ならぬ私の声を聞きつけた近所の人が義母を取り押さえ、その後駆けつけた警察官によって義母は逮捕された。
殺人未遂の現行犯で起訴されることになった義母は、入院中の信彦に会うことも叶わなくなった。
それから3ヶ月後、信彦は誰にも看取られることなく、孤独な最期を迎えた。
信彦の遺産が小一郎に入ることになり、最初は相続を放棄することも考えたが、父親としての最低限の責任を果たしたのだと思うようにして、相続させた。
退院して1年が過ぎる頃には、小一郎はすっかり元気になっていた。今では一流ホテルに席を置き、料理の腕を磨いている。このまま再発なく夢を叶えてほしい。そう願いながら、母と3人で穏やかに暮らしている。
ある日、私の元に出版社から電話がかかってきた。小一郎の闘病をしながらその様子をブログにあげていたのだが、その記事が大きな反響を呼び、同じ病気で苦しんでいる人や同じ境遇の人たちの共感を呼んでいる。それを機に、ブログを書籍化しないかという提案だった。
小一郎に相談すると、同じ病気で苦しむ人たちの力になるならと賛成してくれた。
3ヶ月後、本が出版されると瞬く間にSNSで拡散され、重版されるまでになった。そして来春、映画化されることにもなっているのだ。私と小一郎の闘病記録がこれほどまでに注目されるとは思っていなかった。戸惑いが隠せないままではあるが、誰かの勇気につながるのであれば、これほど喜ばしいことはない。
今は小一郎と一緒に、映画の公開を心待ちにしている。



