「ねえ、そろそろじゃない?」
「ああ、あの件か。確かにな。」
愉快そうな表情の七美に、秋夫は苦笑しながら答える。二人の会話に心当たりがある私が同意しようとした時、スマホに電話がかかってきた。
「噂をすれば、ってやつね。」
彼らに通知画面を見せてから、スピーカー状態で電話に出る。
「はい。こんにちは。新婚生活はどうかしら?」
「お前、どこにいるんだ?」
こちらの質問に答えず、一方的に怒鳴る冬馬の声に、私は思わず笑みを浮かべた。どうやら随分と余裕がないらしい。
「なんで居場所を教えないといけないの?」
「せっかく俺が出たのになんでマンションにいないんだ?インターホン鳴らしたら知らないおばさんが出てきたぞ。」
「ちょっと他人に迷惑かけないでよ。」
「誰のせいだ?」
強いて言うなら冬馬のせいだろう。彼が好き勝手した結果、私はより安全な場所に移ろうと考えたのだから。
「とにかく新居の場所を教えろ。」
「なんで?」
「なんでって、俺に会いたくないのか?」
「会いたいはずないでしょ。あなたは他人なんだから。」
きっぱり告げれば、歯を噛みしめるような音が聞こえる。私に言い負かされて悔しいのかもしれない。
「で、何の用なの?」
「あいつとは離婚する。やり直そう。」
彼のセリフに、私は深くため息をつく。予想していたとはいえ、ここまで人を失望させるなんて、と心の底から呆れたのだ。
「ふざけてる。」
「こんなはずじゃなかった。あいつは、柚澄は疫病神だったんだ。」
冬馬は自分がどれだけ苦労したか、聞いてもいないのに語り始めた。
「あいつ、勝手に仕事をやめたんだよ。柚澄は今回の一件ですっかり立場を失っている。社長の正春は自分の娘が行ったことを包み隠さず社員に報告した。結果、会社中に知られ、白い目を向けられるように。まあ、あいつ仕事できなさすぎて有名だったし。私もそこまで知らなかったが、柚澄は『私、社長嬢だから』と仕事を周りに押し付け、秋夫の後ばかり追いかけていた。元々ヘイトを集めていた彼女は完全に周りからの信用を失い、自主退職したのだ。」
「ただでさえあいつ自身の借金があるのに、働こうとしない。」
秋夫のつぶやきに気づかないほど、冬馬は興奮している。一方私たちはすでに知っていたので、完全に白けた雰囲気だ。借金の原因は、婚約者や私に支払った浮気の慰謝料によるもの。正春は一切手伝わず、彼女自身でお金を払わせた。
「なのに俺の給料が安いってふざけんな。」
ちなみに冬馬の方も社会的にしっかりとバツを受けている。彼の働いている会社は例の婚約者と関わりがあった。結果、婚約者が彼の会社で浮気の件を話し、あっという間に針のむしろに。それだけでなく、重要な取引先を失うところだったため、冬馬は減給処分を受けた。
「まあ、仕方ないわよね。」
きっと二人は私と離婚して自分たちが結婚しても、大した生活は変わらないと考えていたのだろう。しかし浮気の代償は彼らが思うよりも重かった。社会的にも最低な行為と見なされており、一気に評価を下げるのだ。
「俺が間違ってた。小春と一緒にいた時は金に困ることなかったし。」
「当然でしょう。生活費は全て私が賄っていたんだから。」
冬馬は自分のことだけに給料を使い、生活に必要なお金は何も負担していない。その頃と比べる方がおかしい。そう思い、何と反論しようかと考えていた時だ。
「はあ?私のセリフよ。」
柚澄の高い声が割り込んできた。
「あんたのせいで金持ちに逃げられたのよ。何年も待ってやっと結婚できるようになったのに。」
「あんな男つまんない。本当はあなたと結婚したいって言ってたじゃねえか。」
口喧嘩を始める二人に、私たちは呆れた視線を交わす。もう切っていいだろうか、と三人のように思い始めた。
「最悪。男じゃなくて、せめて秋夫さんと一緒になりたかった。」
「あんなクズとは。は、趣味悪いな。お前みたいな性格の悪いやつこっちからごめんだよ。」
秋夫が先ほどよりも大きな声で言うと、ピタリと電話の向こうが黙る。
「あ、秋夫さんそこにいるの?お願い。私をここから連れ出して。あなたは私の王子様なの?」
「無理。俺は小春ちゃんが好きだから。」
急な告白に、私は吹き出しそうになった。なんとなくそうかもとは感じていたが、はっきりと言葉にされると恥ずかしいものがある。思わず目をそらす私を、七美がニコニコしながら見ていた。
「え?あんなおばさんのどこが?」
「知らないのか?小春ちゃんはうちの会社にはなくてはならない貴重なデザイナーだよ。」
一応私の仕事はデザイナーで、ゲームの背景デザインの担当だ。実は父の転職先がデザイナー業界で、絵の才能を見抜き、試しに背景を描くよう正春が頼んだのがきっかけである。現場仕事の経験も生かされた結果、父は唯一無二の背景デザイナーとなった。誰よりも間近でそれを見ていた私は、父の跡を継いだわけである。
「他にも小春ちゃんは誰よりも周りを見てる。だから今はデザイン部の部長をしてるよ。」
周囲に頼らないようにしていても、生きていく以上誰かに支えられるのは必然だ。その恩を少しでも周りに還元したいと考え、積極的に周囲に声をかけるように。次第に周りの人が困っていることや求めている状況が分かり、私は手を貸すようにしていた。すると気づいたら部長にまで昇格していたのだ。
「下手すればそこの愚かな浮気野郎より稼いでるかもな。」
笑いながら告げられた事実に、完全に電話の向こうが沈黙する。少しすると「嘘だ」とつぶやき始めたのが聞こえた。
「嘘じゃないわ。あなたたちは私を見くびりすぎなの。」
「本当、小春は優秀な人だよ。仕事も家事も両立してたんだから。随分とでかい魚を逃したな、元旦那さん。」
秋夫の煽りに、冬馬の歯ぎしりの音がする。今頃悔しさで顔を歪ませているのだろうと想像し、笑いが込み上げてきた。ただ秋夫の言葉は正論なので、言い返せないようだ。
「悪かった。心の底から反省してる。だから俺と…」
「残念だけど、小春ちゃんは今度こそ俺が幸せにする。」
もう一度私にすがろうとする冬馬を、秋夫が遮った。
「お前たちはお役御免だ。さっさと彼女の人生から消えてくれ。」
そう言ったところで、秋夫は手を伸ばして私のスマホを取り、電話を切る。そのまま着信拒否するのを見届けた。
「予想通り、復縁を求めてきたわね。」
「ええ、きっぱりと捨てられてすっきりしたわ。」
今頃二人は自分の行いを後悔しているに違いない。きっと彼らはこれから転落していくだけの人生を歩むだろう。
「それは良かった。あ、今日はお祝いってことで、お酒を飲まない?」
秋夫の提案に、私たちは笑顔で頷く。そして冬馬たちの存在を一切消し去るのだった。
その後、彼らは予想通りの展開を迎える。
「あのバカ兄貴、解雇されたって。」
何もかも自分の思い通りに行かず、焦り気味になった冬馬は仕事でミスを連発した。やがて取り返しのつかない大きな失敗をし、自宅謹慎を受ける。でも待っているのはヒステリックな柚澄だけ。
私だったら綺麗な部屋で迎え入れ、落ち込む彼のために料理をし、優しく話を聞いただろう。しかし柚澄は無職にも関わらず、家事も一切しない。ゴミだらけの空間で、彼女は冬馬を責めたそうだ。それに彼はぶち切れ、二人は大喧嘩をしたらしい。
「ただあいつらが今住んでるの、ボロボロの安アパートだからさ、近所さんに筒抜けなわけ。」
冬馬たちはほぼ勘当された状態で、それぞれの実家から追い出されている。借金持ちの柚澄と、給料のほとんどをカットされた彼らでは、生活を丸ごと賄えるようなアパートしか借りられなかった。そんな場所でドタンバタンされては、周りも迷惑というものだ。
「騒ぎを聞いた大家や、通報を受けてやってきた警察に手を出したんだって。」
衝動的に殴りかかり、アパートの備品も破壊した結果、器物損壊や傷害、公務執行妨害となって即逮捕されたとのこと。
「そんな人、会社はすぐに切るわね。」
「まあね。あと柚澄のやつ、やばいところから借金したみたい。刑務所にいる間に利息が相当膨らみそうだわ。しかも冬馬は連帯保証人になっている。彼らの借金から、二人とも逃げられないだろう。」
「仕方ないわね。自業自得だもの。」
慰謝料を半分にしたのは、量作だった可能性がある。減額された関係で一括で支払ってもらい、彼とは無事に縁を切れたのだ。
「と、秋夫君がいなければ、私はまだ我慢する日々を送ってたかも。」
「そんなことないわよ。小春は自分からあいつらを見返すって決めたもの。どのみち結末は変わらなかったわ。」
確かに病院に置いて行かれたことで私の気持ちが爆発し、自ら冬馬たちへの決別を決意した。とはいえ、元々冬馬に不満を抱えていたので、それがなくてもいずれ同じ道をたどった可能性は高い。
「まあ、秋夫を敵に回したのが最大の過ちね。なんであいつ、荷物持ちタイムでバカ兄貴よりよっぽど優秀だから。」
ケラケラ笑いながら言う七美に、心の中で同意した。
後に二人は借金取りに捕まり、海外の危ない職場に放り込まれそうだが、私たちには関係のないことである。
1年後、私は独立し、一応事業主という立場になった。正春さんには感謝しないとね。自分の娘のしでかしの責任を取ると言い、彼は独立資金を援助してくれたのだ。さらに彼は仕事を依頼してくれたため、あっという間に会社は安定した。ちなみに秋夫も一緒だ。彼と協力してゲームを作るのは楽しく、共に働けるのはありがたいと感じている。また七美も私と専属の契約をしてくれたため順調だ。
「ところでさ、返事っていつ聞かせてもらえる?」
少し頬を赤くしながら、秋夫が尋ねてきた。実は先日、彼に告白されたのだ。冬馬のせいで結婚にはあまりいいイメージがない。しかし影で私を助けようとしてくれた秋夫なら、その認識を変えることができるだろう。
「そうね。今度はじっくりと恋人期間を楽しみたいな。」
「ああ、喜んで。」
嬉しそうな彼を見ながら、幸せな未来を思い描くのだった。



