卒業式の日、俺は遠藤明子に振られた。待ち合わせの門で、彼女は「別れよっか」とだけ言った。理由を問うと、彼女は「もっと頭も良くてお金がある人を見つけたから」と答え、俺がプレゼントしたものではないブランドのネックレスに触れた。俺が何でも言うことを聞いてくれて便利だったけど、もういい、そう言い残して彼女は校舎へ走っていった。あの日、俺の卒業式は最低な思い出になった。
俺はその悔しさをバネにした。頭も良くてお金があれば振られなかったのに、と単純に考えた。大学で勉強に励み、成績を上げ、ゼミやサークル活動に打ち込んだ。その努力が実って一流企業に就職できた。部署問わず周囲を巻き込んで仕事に打ち込む姿勢が評価され、子会社の立ち上げという大きなプロジェクトに参加することになった。若くして重大な責任を任された。4年かけて立ち上げから運用まで関わり、成功させた。その実績を認められ、さらに次の子会社の立ち上げにも参加し、合計3つの子会社の立ち上げを経験した。本社でそれだけの経験を積んだのは俺だけで、10年ぶりに本社へ呼び戻された。
本社は随分と変わっていた。エントランスはおしゃれになり、リフレッシュルームまで設置されていた。受付で要件を伝えると、車内を見て回るように言われ、ゲスト用のセキュリティカードを借りた。リフレッシュルームにはソファーやコーヒーマシン、自販機、雑誌コーナーがあり、俺がいた頃にはなかった施設が充実していた。
そろそろ戻ろうと廊下を歩いていると、若い社員の男女がイチャついているのが目に入った。勤務中にこれは目に余る。会社の雰囲気にも悪影響だと思い、注意しようと近づいた。すると、女性が俺を見て口を開いた。
「西野君?」
あき子だった。高校時代の元カノだ。卒業式の記憶が蘇るが、恋愛感情はもうない。彼女は茶色に染めた髪に濃いめの化粧で、隣の男性に俺を紹介した。
「あ、この人、高校時代にパシリに使ってた先輩。何でもしてくれたけど、あんまりお金持ってなかったからデートはつまんなかったのよね。」
隣の男が笑う。「確かにそんな感じの雰囲気してるよな。お前よく付き合ってたな。」
「そうなのよ。必死に頼むからちょっとだけ付き合ってあげただけ。彼氏らしく振る舞ってさ。いいところパシリなのにね。」
俺が「あき子って呼ばないでもらえる?」と言うと、彼女は「昔の知り合いでもちゃんと遠藤さんって呼んで欲しいわ」と冷たく返した。そして隣の男の腕に抱きついた。「この人は今の彼氏、松岡竜介さん。あんたと違ってエリートなのよね。なんてったって次期社長だもんね。」
男は「まあね。選ばれた人間ってやつよ」とにやついた。彼女はさらに続ける。「あの合コンが運命の出会いだったよね。ずっと一緒にいられるようにって、こんな一流の会社に入社させてくれるなんて、私、幸せ。」
俺が大きなため息をつくと、彼女は急に真顔になった。
「あんたとは別れて大正解だったわ。そういえば、あんたこそどうしてこんなところにいるのよ。部外者はエントランスで待ってないと。」
「いや、実は俺もここの社員なんだけど。」
「え?嘘でしょ?あんたみたいなのがこんな一流企業に入れるわけないじゃん。もう意地張らなくてもいいわよ。そのよれよれのスーツ、いかにも三流会社に勤めてる人って感じ。」
「まあいいわ。あんたの方が新顔なんだから、ちょっとあそこのリフレッシュルームでお茶買ってきてよ。私と彼の分。それぐらいのお金はあるでしょ。」
「え?」
「あんたは使われてなんぼの人間なのよ。ほら、早く行きなさいよ。」
彼女はヒステリックに叫んだ。周りの人がチラチラとこちらを見ている。これ以上騒ぎを大きくしてもない。俺は「分かったよ。お茶が2本でいいんだね」と応じ、自販機に向かった。彼女は「そうそう。さっさと行ってきて」と言い、さらに「ああ、また付き合ってあげてもいいかな。荷物持ちにアッシーに、超便利じゃん」とふざけた口調で付け加えた。
自販機でお茶を2本買って取り出していると、後ろから声をかけられた。
「西野さん、探しましたよ。」
振り返ると秘書の女性が立っていた。黒のショートヘアに整った顔立ち、控えめなメイクで、仕事ができそうな雰囲気だ。一度しか会ったことのない俺を覚えていてくれたらしい。腕時計を見ると、いつの間にかかなり時間が経っていた。俺は「このお茶をとりあえず渡してから」と説明し、2人のところへ戻った。
2人はさっきの場所でまだイチャついている。秘書を連れてきた俺を見て、彼女は笑った。
「あらあら。ちょっと遅いなと思ってたら迷子になってたの?人に道案内を頼むなんて。」
すると秘書が驚いたように俺に尋ねた。「さっきお茶を渡すと仰ってらしたのは、このお二人ですか?」
「ああ、そうだよ。頼まれたんだ。喉が乾いたって。」
彼女が満足そうに頷く。「そうそう。私と次期社長の彼のためにお使いをお願いしたんだけど、まさか迷っちゃうとは思わなくて。あんまり遅いから、もう2人でどこかに行っちゃおうかって話してたのよ。」
秘書が「次期社長の彼のため?」と聞き返す。彼女は「そうそう。秘書さんなら常識でしょ。次期社長は社長の息子の竜介さんよ。そしたら私は社長夫人だわ」と胸を張った。
秘書は静かに腕を組み、彼女を見据えて一言放った。
「次期社長は西野さんなんですけど。」
俺もそう思っていたが、どうやら彼女たちは何も知らないらしい。彼女は「え?どういうこと?次期社長は彼よ。だって社長の息子じゃない?」と混乱する。
「いいえ、社長一存で、私は西野さんが次期社長と伺っております。」
秘書と彼女は対立し、静かに視線で火花を散らした。俺は慌てて仲裁に入った。
「まあまあ、何かの行き違いでしょう。俺から説明しますから。」
俺は2人に経緯を丁寧に説明した。もともと俺が担当していた子会社の立ち上げプロジェクトは、社長の息子の竜介君が担当するはずだった。この会社の社長になるには必ず必要な経験だからだ。ところが、竜介君は「地方の子会社の立ち上げなんて行けるかよ」と断った。社長は説得を試みたがダメで、息子は遊び回るばかりだった。2回目の立ち上げにも参加せず、社長は俺に「本社に戻りたいだろうが、経験もあることだし、主導を取って立ち上げ業務に当たってくれ」と頼んだ。俺が息子の代わりに大変な子会社の立ち上げを3回も成功させた。そして、社長は「息子が次期社長の器ではなかった時に、君に打診するかもしれん」と告げ、俺が正式に次期社長として本社勤務の辞令を受け取ったのだ。
丁寧に説明するも、竜介君は納得していない様子で、まるで俺が悪者であるかのように睨みつけた。
「子会社を立ち上げたぐらいで次期社長なんて誰も認めないだろうが。俺は正式に社長の血を受け継いでるんだ。よそ者がちょっと頑張ったぐらいでいい気になってんじゃねえよ。」
「ちょっと頑張ったぐらい。あんなに大変な思いを3回もして、それがちょっと頑張ったぐらい?自分でしたこともないくせに。」
俺は頭に来て問い詰めた。
「じゃあ君は、会社のために、お父さんから社長を継ぐために、何か努力したのか?」
「そんなことどうだっていい。社長の息子である俺が次期社長だ。」
呆れた秘書が俺に耳打ちした。「西野さん、もう行きましょう。」
「それもそうだ。こんなアホらしい茶番に付き合っていられない。じゃ、俺はまだ用事があるから。」
そう言って立ち去ろうとすると、竜介君が俺の腕を掴んだ。
「待てよ。まだ話は終わってない。お前が社長なんておかしいだろ。」
「いや、これ以上の話は君のお父さんにしてくれ。俺たちはもう行かなきゃ。」
「お茶のお使いも済んだし。」
「なんだと?」
息子が腕を振り上げる。俺は廊下を顎で指し示した。怒鳴り声を聞いて人が集まっている。中には携帯をこちらに向けている者もいた。そんな中で俺を殴りかける勇気もなかったのか、竜介君は悔しそうに腕を下ろした。
立ち尽くす竜介君を置いて、人だかりを抜けた頃、遠藤さんが走ってきて俺を呼び止めた。
「待って、西野君。」
振り返ると、走ってきた勢いのままに距離を詰められる。
「西野君がそんなにかっこいい人だったなんて。ねえ、またよりを戻そう。いいでしょ。もうこんなところで出会えるなんて、運命って本当にあるのね。」
「よりを戻すって、何年前の話だ。」
彼女の上目遣いに呆れながら、俺はそっと彼女を引き離した。
「ごめんね。確かに最初は好きだったよ。でも、見た目じゃなくて、心の綺麗な人とお付き合いしたいから。」
それだけ言うと、俺は背を向けて社長室に向かった。2人のせいで随分と遅れてしまった。
後日、社長の息子は自主退職となった。会社のお金を横領して遊びまくっていたのがはっきりと分かったからだ。本来なら懲戒解雇もあり得る内容だったが、父親の最後の情けだったらしい。それも不服だと父親に食い下がるも、「犯罪者になりたいのか」と社長に凄まれ、泣きながら退職願いを出したそうだ。
遠藤さんはと言うと、彼を追って彼女も会社を辞めた。仕事もできない中途入社で散々みんなから煙たがられていたからだ。誰からの別れの言葉もなく、淡々と会社を追い出される形になった。風の噂によると、遠藤さんは社長の息子にも別れを告げられ、今では一人寂しく安いアパートに暮らしているとか。自分の力で努力してこなかったツケが回ってきたんだろうな。
あれから数年後、まだ次期社長として研鑽を積んでいる頃、衝撃的な出会いを果たした。久しぶりに子会社へ出向くと、廊下でいきなり声をかけられた。
「西野さん。」
振り向くと、社長の息子の竜介君だった。少し気まずいなと思っていると、彼は人目を気にしているようで、開いている会議室に俺を連れてきた。
「よかった。誰にも見られてなくて。」
何かよからぬことをするつもりなのか。そう思っていると、彼は頭を下げた。
「あの時はすみませんでした。」
あまりにも意外だった。聞けば、社長の息子ということを隠して別の会社に就職したらしい。他の会社に転職して自分の無力さを思い知ったそうだ。そして、何の努力もしていない自分が恥ずかしくなったと言う。別の会社に転職したのは、彼なりの覚悟があってのことだろう。
人生には何があるか分からないものだ。それでも過去の自分が望んだ未来になるように、今日も頑張って生きていかないとな。近道であること、それは未来を良くするためには必要不可欠だ。惑わされたり、堕落したり、つまずいたり、自分の未来を見失ってしまった時、そこからいかに立ち直るか。立ち直らせてくれるのは、過去の自分だ。だから俺は、今起こっている全てのことに感謝している。過去の自分の経験が、明日の自分の活力となると信じて。



