「あの日、父に家を追い出された時、人生は終わったと思った。でも、この小さな食堂で、人の温かさを知った。」 「そして今、再会した父の一言が、すべてを変えたんだ。」 「『あの時家を出たのは、お前たちを守るためだったんだ』って…」 「その真実を知った時、長年抱えてきた怒りが、涙に変わった。」 「そして、この店を救うために、もう一度立ち上がることを決めたんだ。」…

「あの日、父に家を追い出された時、人生は終わったと思った。でも、この小さな食堂で、人の温かさを知った。」 「そして今、再会した父の一言が、すべてを変えたんだ。」 「『あの時家を出たのは、お前たちを守るためだったんだ』って…」 「その真実を知った時、長年抱えてきた怒りが、涙に変わった。」 「そして、この店を救うために、もう一度立ち上がることを決めたんだ。」...

「部長、この店を売却する話、一体何ですか?」

俺の問いかけに、部長は顔を赤くして怒鳴り返した。

「何を言っているんだ、お前みたいな無能に口出しする資格があると思っているのか?!」

だが、今回は黙って引き下がるわけにはいかなかった。この店、高橋食堂は、かつてどん底に落ちた俺を受け入れ、再び立ち上がる力をくれた場所なのだ。

「この土地の持ち主である白雪さんご本人が、売却の契約なんてした覚えがないと言っています。一体どういうことですか?」

部長は一瞬たじろいだように見えたが、すぐに強気な態度を取り戻した。

「ふん、お前みたいな半端な奴が何を知っている。契約書だってあるんだぞ。ほら、見せてやる!」

そう言って差し出された書類には、確かに白雪さんの祖母の名前と押印があった。しかし、日付を見て俺は違和感を覚えた。

「部長、この契約日、白雪さんのおばあさんが入院されていた時期と重なっていませんか?」

「えっ?」

白雪さんがそっと口を開いた。

「はい、その通りです。祖母はその頃、体調を崩して入院していました。歩くこともままならない状態で、自分で契約書にサインすることなんてできなかったはずです。それに……」

彼女は俺の言葉を肯定するように強く頷いた。部長の顔がどんどん青ざめていく。

「部長、取引の際の写真を見せてくださいませんか?会社の規定で、大きな取引の際には写真を撮ることになっていますよね。特に高齢の方との契約では、後々のトラブル防止のために」

「あ、ああ、そうだな。これを見ろ。これで納得するだろう」

部長は汗を拭いながら震える手でスマートフォンを取り出し、画面を俺たちに向けた。そこには笑顔で握手をする年配の女性と部長の姿があった。だが、白雪さんはその写真をじっと見つめ、きっぱりと言った。

「これは祖母ではありません」

「何を言っている?!」

「確かに年齢は近いですが、祖母には左頬に小さなほくろがありました。それに髪の分け方も違います」

白雪さんが自分のスマホの画面を見せると、そこには彼女と一緒に笑顔を浮かべるおばあさんの姿があった。部長の写真に写っている人物とは明らかに別人だった。

部長の顔から血の気が引いていく。彼は言葉を失い、その場に立ち尽くすしかなかった。俺は深く息を吐き、部長に向き直った。

「部長、あなたは騙されたんですよ。おそらく誰かがおばあさんになりすましてこの土地を売却したんでしょう。つまり、あなたは詐欺に遭ったんです。最近、話題になっている手口ですよ」

「まさか……」

部長の目が大きく見開かれた。俺は部長をじっと見つめ、冷静だが厳しい口調で言葉を続けた。

「でも、部長。これはあなたの日頃の行いが招いた結果でもあるんじゃないですか。どうせちゃんと確認せずに、部下の手柄を横取りしようとしたんでしょう。いつものやり方ですよね」

部長の顔がさらに青ざめる。

「あなたはいつも自分の手柄を誇示したがる。でも実際は、部下たちの努力の上に胡座をかいているだけだ。今回もきちんと調査もせずに、さも自分が交渉したかのように振る舞おうとした。それだけじゃない。部下たちをいじめ、高圧的な態度で接し、やる気を削いでいる。会社の雰囲気を悪くしているのは、間違いなくあなたです。そして、弱い立場の人間を脅し、不当な要求をする。それが今回の件に繋がったんです」

部長は言葉を失い、その場にへたり込んだ。

「今回の件で、あなたの日頃の行いが全て露呈しました。会社に戻ったら、全てを正直に報告し、自分の過ちを認めるべきです。そして、これまでの態度を改め、真摯に仕事に向き合うべきです」

俺の言葉を聞き終わると、部長は一瞬俯いた。しかし、すぐに顔を上げた。その目には、恨めしげな光が宿っていた。

「ふん。うちの会社を首になった無能のくせに、一丁前に説教か。覚えていろよ。こんなことで俺が諦めると思うなよ。必ずこの土地は手に入れて見せるぞ」

部長は立ち上がり、俺たちを睨みつけながら出て行った。白雪さんが一歩前に出ようとしたが、俺は腕を伸ばして彼女を止めた。部長は鼻で笑うと踵を返した。車に向かって歩き出すその背中は、いつもの傲慢な雰囲気を漂わせていた。

エンジンの音と共に、車は煙を上げて走り去っていった。俺と白雪さんはそれを無言で見送った。

「キリア君……」

「大丈夫です。あの人が何を企んでも、必ずこの店を守ってみせます」

俺たちは見つめ合うと、無言で頷き合った。

それから一週間後、俺と白雪さんは店内の最後の準備を進めていた。明日から再開すると、常連だったお客さんや新たに設けたSNSやホームページで宣伝も済ませていた。明日への期待と緊張が入り混じる空気が、店内に漂っていた。

「よし、これで大体片付きましたね」

俺が満足して頷いた時、白雪さんの携帯が鳴った。電話に出た彼女は、徐々に表情を曇らせていった。

「え、そんな…どうして…?違います!それは嘘です!…はい…わかりました」

不安そうに電話を切る白雪さんに、俺は尋ねた。

「どうしたんですか?」

「仕入れ業者さんが、明日の配達をキャンセルするって…」

「え?急に?理由は?」

「あの人…犬堂さんから圧力をかけられたみたいなの。うちと取引を続けると、困った店と取引しているって噂を流すって匂わされたって…」

俺は驚きで言葉を失った。その時、白雪さんの携帯電話が再び鳴った。彼女は画面を見て、声を潜めながら電話に出た。

「はい、高橋です。え?…でも…そうですか…わかりました。ありがとうございます」

白雪さんは肩を落として電話を切った。今度は店の固定電話が鳴り出した。

「はい、高橋食堂です。そうですか…はい、わかりました。お世話になりました」

表情を曇らせた白雪さんが受話器を置くと同時に、またも携帯電話が鳴り出した。次々と入る電話。その度に、白雪さんの表情が暗くなっていく。

八百屋さん、魚屋さん、豆腐屋さん、調味料屋さん。まるで打ち合わせたかのように、立て続けに断りの連絡が入ってくる。白雪さんはついにはその場にしゃがみ込んでしまった。

「もう、どうすればいいの…。みんな犬堂さんのせいみたいなの。この地域の再開発計画があるって話を出して、協力的な業者には優先的に犬堂さんの会社との新しい取引の機会を与えるって匂わせてるの。うちの経営状態が悪化してるって嘘の情報まで流してるみたい」

「なんて卑劣な…」

俺は拳を握りしめた。

「業者さんたちも、彼の言うことが間違っているとはうっすら思っているみたい。だけど、彼の会社に目をつけられたら、他の会社との大型契約の機会も失うかもしれないって怖いみたいなの。みんな、リスクを取りたくないのよ」

白雪さんの言葉に、俺は無力感を感じていた。そんな中、突然店の前に車が止まる音がした。白雪さんが窓の外を覗き込む。

「あら、来光さんの車だわ」

俺たちは驚いて玄関に駆け寄った。来光といえば、白雪さんがどんな時でも配達してくれると信頼していた会社だ。ドアを開けると、確かに来光の制服を着た男性が大きな段ボールを抱えて立っていた。

「あっ、届きましたよ」

その声に、俺は一瞬立ち止まった。どこかで聞いたことのある声だ。でも、すぐには思い出せない。

「ありがとうございます。でも、大丈夫なんですか?不動産会社から圧力があったとか…」

「あんなもの、怖くありませんよ。昔から嵐は乗り越えてきましたからね。それに、昔からのお付き合いじゃありませんか」

男性が笑う。その言葉に、俺は思わず関心してしまった。こんな状況でも、長年の信頼関係を大切にする姿勢。そんな会社がまだあるんだ。

「本当にありがとうございます」

白雪さんが深々と頭を下げる。男性が段ボールを置き、身を起こした瞬間、俺は彼の横顔をはっきりと見た。その時、記憶が一気に蘇った。

「父さん…」

男性がゆっくりと振り向く。その顔を見て、俺の胸の中で何かが大きく揺れた。

「キリア…なぜ、ここに…。お前は不動産会社で働いていたんじゃなかったのか?」

父さんの言葉に、俺は驚いて目を見開いた。

「なんで知ってるんだよ?」

思わず口から出た言葉に、父さんは少し困ったような表情を浮かべた。

「ああ、それは…イホから聞いていたんだ。母さんからな」

「母さんと連絡を取ってたのか…」

「ああ、たまにな。お前の様子を知りたくてね。直接会う勇気はなかったけど、せめてどうしているか知りたかったんだ」

俺は言葉を失った。母さんが父さんと連絡を取っていたなんて。そして、俺のことを父さんに伝えていたなんて。父さんは俺の驚きを察したのか、ゆっくりと続けた。

「それだけじゃないんだ、キリア。この店のことも母さんから聞いたんだ。お前が家出した時、この店で働かせてもらったこと。そして、ここでどれだけ助けられたかってことをな」

俺は息を飲んだ。あの時のことも、母さんは父さんに話していたのか。

「母さんは言ってたよ。あの店には本当に感謝している。キリアを救ってくれたってな。それを聞いて、俺は恩返しがしたいと思ったんだ。直接は関われなくても、何かできることはないかって」

父は少し照れ臭そうに頭を掻いた。

「それで、昔のエンジニアとしての技術を使って、仕入れ業の会社を立ち上げたんだ。効率的な仕入れと配送のシステムを開発して、この店をサポートしようってね」

俺は驚きで言葉を失った。父さんが俺のために。いや、この店のためにそこまでしていたなんて。父さんは俺の驚きを見て、深くため息をついた。その目には、長年抱えてきた後悔の色が浮かんでいた。

「キリア、本当に申し訳なかった。あの時家を出て行ったのは、お前たちを守るためだったんだ」

父さんの言葉に、俺は思わず目を見開いた。

「会社が倒産して、再就職もうまくいかず、酒に溺れて…そのせいで莫大な借金を抱えてしまった。そして、借金取りが家に押し寄せてくるようになって、お前たちに危害が及ぶのが怖かったんだ」

父さんは苦しそうに続けた。俺は息を飲んだ。あの頃の不安な雰囲気を思い出す。

「俺が家を出て、お前たちと縁を切ったように見せかければ、借金もお前たちには近づかないだろうと思ったんだ。でも、それが逆に、もっとお前に大きな傷をつけてしまった。…すまなかった」

父さんは俺の目をまっすぐ見た。

「キリア、お前とイホにこんな思いをさせて本当にごめん。説明もせずに出ていって…でも、それが当時の俺にできる精一杯の保護だと思ったんだ。許してくれとは言わない。でも、俺の気持ちだけは分かってほしい。お前たちのことは、一日たりとも忘れたことはなかったんだ」

父さんの目に涙が光っているのが見えた。俺は、長年抱えていた父への怒りや不審感が少しずつ溶けていくのを感じた。まだ全てを許せるわけではないが、父の苦悩と決断を理解できた気がした。

沈黙が流れる中、俺は思わず口を開いた。

「父さんも…辛かったんだな。だけど、どうして言ってくれなかったんだよ。ちゃんと説明してくれたら、俺だって父さんを恨むようなことしなかったのに。それに、もっと早く立ち直ったことを伝えに来てくれたって…」

「キリア…本当にごめん」

父さんは涙を流しながら、俺を強く抱きしめた。その瞬間、俺の方にも涙がぼろぼろと伝い落ちる。父さんの肩に顔を埋めながら、俺は長年抑えてきた感情を吐き出した。

「父さん…もう二度と、俺たちを置いて行かないでくれ」

「ああ。約束する。もう二度と、お前たちのそばを離れない」

父さんは俺の背中をさすりながら、声を震わせて答えた。白雪さんは黙って俺たちを見守っていた。彼女の目にも、涙が光っているのが見えた。

「…さて、泣いている場合じゃないな。あちこちから仕入れを断られているのなら、品が足りないだろう。俺が持ってくるから、欲しいものをリストアップしてくれ」

父の言葉に、俺と白雪さんは強く頷いた。そうしてなんとか、明日からの営業準備を完璧に終えられたのだった。

高橋食堂が営業を再開してから、数ヶ月が経った。お店は地域の人気店として定着していた。今日も店内は活気に満ちている。

「いらっしゃいませ!」

俺は笑顔で入ってきたお客さんを迎える。ランチタイムのピーク時で、店内はほぼ満席だ。

「キリア君、テーブル3番のオーダー!」

白雪さんの声が厨房から聞こえる。彼女の料理の評判は日に日に高まり、今では遠方からわざわざ食べに来るお客さんもいるほどだ。

「はい、承知しました!」

俺は手際よくオーダーを取り、厨房に向かう。白雪さんは几帳面に盛り付けられた定食を俺に手渡した。店内を見渡すと、常連のお客さんたちが楽しそうに食事をしている姿が目に入る。

「いやあ、この店の定食は本当に美味しいね」

「そうそう。野菜の新鮮さが違うよね」

「接客も丁寧だし、ついつい長居しちゃうわ」

お客さんたちの会話が耳に入ってくる。俺は胸が熱くなるのを感じた。父さんは仕入れを通じて、最高品質の食材を安定供給してくれている。おかげで、白雪さんの腕がさらに生きている。

「キリア君、ちょっと手伝って!」

白雪さんの声に、俺は我に返った。まだまだ忙しい。でも、この忙しさが幸せだった。

ランチタイムのピークが過ぎ、店内が少し落ち着いた頃、ドアが開いた。

「いらっしゃいませ!」

振り返ると、そこには父さんの姿があった。

「いやあ、キリア、今日も忙しそうだな」

父さんは笑顔で席に着いた。俺はコーヒーを持って近づいた。

「父さん、いつもありがとう。来光のおかげで、最高の食材が手に入るよ」

「お前たちの頑張りあってこそだ。それより、起業した不動産会社の方はどうだ?」

そう。父さんの言うように、俺は高橋食堂を手伝う傍ら、新しく不動産会社を起業したのだ。

「ああ、順調だよ。父さんのアドバイスのおかげで、スムーズに起業できたし」

俺は少し照れ臭そうに答えた。あの日を思い出す。俺が独立を決意した時、父さんは真剣な顔で言った。

「キリア、不動産業は人との繋がりが全てだ。信頼関係を築くことが何より大切だぞ」

その言葉を胸に、俺は準備を進めた。父さんは自身の経験を元に、起業時の注意点や必要な手続きについて細かくアドバイスをくれた。会社設立の日。小さなオフィスに立った時の興奮は、今でも鮮明に覚えている。絆コーポレーション。この名前には、失われかけた家族の絆を取り戻した経験と、人と人との繋がりを大切にしたいという思いを込めた。

最初は不安だらけだったが、高橋食堂での経験が生きた。お客様一人一人の要望に丁寧に耳を傾け、最適な物件を見つける。その姿勢が少しずつ評判を呼び、今では地域に根差した不動産会社として認知されつつある。

「本当に父さんには感謝してるよ。起業の時も色々助けてもらって」

「お前なりの道を歩んでいるんだな。ここがいいんだよ、キリア」

父さんは優しく微笑んだ。その言葉に、胸が熱くなる。

「キリア君の会社、評判いいわよ。お客さんたちも、絆コーのことをよく話してるわ」

白雪さんが話に加わった。俺は嬉しさと照れ臭さで、頬が熱くなるのを感じた。

「まだまだこれからだけどね。でも、このお店を手伝いながら、自分の会社も大切に育てていきたいんだ」

父さんと白雪さんは、温かく微笑んだ。俺は心から幸せだと感じた。

その時、俺のスマートフォンが鳴った。ニュース速報だ。画面を見た瞬間、俺は息を飲んだ。

「まさか…」

ニュースは、かつて俺が働いていた不動産会社の大規模な不正が発覚したことを伝えていた。詳細を読むと、会社が組織的に違法な圧力をかけ、土地の強制収用を進めていたことが明らかになったという。内部告発をきっかけに、警察と国税庁が合同で捜査を開始。恐喝や脅迫、文書偽造など、多岐にわたる違法行為が次々と明るみに出たらしい。会社はつぶれた。もちろん、この辺り一体の再開発計画も白紙に戻ったとのことだ。

俺が険しい顔をしているのが気になったのか、白雪さんと父さんが近寄ってきた。

「どうしたんだ、キリア?」

俺は二人に状況を説明した。彼らの表情も、驚きと安堵が入り混じったものに変わっていく。

その日の夜。絆コーポレーションの事務所にいた俺の元に、突然電話が鳴った。見知らぬ番号だ。

「はい」

「おお、ようやく繋がった」

聞き覚えのある声に、俺は思わず眉を潜めた。犬堂部長だ。

「ちょっと聞いてくれ。俺、今ピンチなんだよ。あの会社が潰れてさ。あ、でも、お前なら分かるだろ?俺がどれだけ有能か」

部長の声には、かつての高圧的な調子はなく、むしろ甘えるような調子が混じっていた。

「お前が起業したっていう話は聞いている。俺をお前の会社で働かせてくれないか。俺の経験と人脈を生かせば、お前の会社はすぐに大手に成長できるぞ。どうだ?魅力的だろ?」

俺は黙って聞いていた。

「実はな、あの時お前を首にしたのも、お前の才能を見込んでのことだったんだ。お前なら必ず這い上がれると思ってな。だから今度は、俺が…」

「犬堂さん」

俺は深く息を吐き、口を開いた。

「あなたの申し出は、お断りします」

「何を言っている?俺とお前がタッグを組めば…」

「いえ。私の会社には、あなたの入る余地はありません」

「俺を雇えば、絶対に後悔しないぞ。昔のことは水に流そう」

「犬堂さん」

俺は冷静に、しかし強い意志を込めて言った。

「覚えていますか?あなたが私を首にした時、『お前は終わったな』と言いましたよね」

電話の向こうで、部長が息を飲む音が聞こえた。

「終わったのは、あなたの方でしたね。さようなら」

俺は躊躇することなく、電話を切った。窓の外を見ると、夜空に星がまたたいていた。この瞬間、胸の奥で何かが軽くなった。

白雪さんの顔が浮かぶ。俺は突然、彼女に会いたくなった。思わず立ち上がり、高橋食堂に向かって走り出した。閉店時間はとっくに過ぎている。でも、もしかしたら。

息を切らせて店の前に着くと、厨房に明かりが点いているのが見えた。ほっとして、そっとドアをノックした。

「はい」

白雪さんが顔を出す。彼女の目が大きく見開かれた。

「キリア君、どうしたの?こんな遅くに」

「すみません。急に会いたくなって」

白雪さんは少し驚いた表情をしたが、すぐに優しく微笑んだ。

「入って。夜食を作ってあげる」

カウンター席に座り、料理を始めた白雪さんの後ろ姿をそっと眺める。甘酸っぱい気持ちが胸に広がっていく。不意に、懐かしい匂いが漂ってきた。

「これは…」

「覚えてる?キリア君が初めて来た日に作った肉じゃがよ」

そう言って、白雪さんは肉じゃがの入った器を机に置いた。俺は思わず目頭が熱くなった。あの日のことを、白雪さんはちゃんと覚えていてくれたんだ。白雪さんに見守られながら、じゃがを食べる。味は、あの時と全く同じだった。懐かしさを感じる味。

「ご馳走様」

手を合わせた俺を見て、白雪さんがにっこり笑う。俺の心は、すっかり満たされていた。もっと白雪さんとこの時間を共有したい。もっと、彼女と共に時間を過ごしたい。そんな気持ちが膨れ上がって、もう抑えきれない。

「白雪さん」

「何?」

「俺、あなたのことが好きです。あの日、家出して無力だった俺を助けてくれた時から、ずっと」

白雪さんの目が大きく見開かれた。その目が、次第に潤んでいく。

「私も…キリア君のこと、好きよ」

その言葉に、俺は驚いて声を失った。

「あなたが初めてこの店に来た時、あなたを守りたいって思った。そんなあなたが、成長して帰ってきて、このお店のために一生懸命になってくれて…。あなたが来てくれなかったら、私、きっとこのお店を手放していた。おばあちゃんが大事にしていたこのお店を。このお店を守ろうっていう気持ちに再びさせてくれたのは、キリア君のおかげだから。あなたには、本当に感謝してる」

白雪さんの頬が赤く染まっていく。

「それが、いつの間にか感謝以上の気持ちを持つようになってて…。でも、私なんかじゃキリア君の足手まいになると思って。私の方か年上だし、年上のくせにキリア君ほど立派じゃないし…」

俺は思わず、白雪さんの手を取った。

「とんでもない。白雪さんは、俺の折れた心を何度も直してくれました。あなたがいなかったら、俺はここまで来れませんでした」

視線が絡み合う。白雪さんの頬に、涙が一筋伝う。俺は白雪さんを抱きしめた。彼女は、俺の胸に顔を埋める。

「これからも一緒に、もっと多くの人を笑顔にしていきましょう」

俺がそう言うと、白雪さんは顔を上げて、目に涙を溜めながらも嬉しそうに頷いた。

絶望の淵に立たされても、そこから這い上がるチャンスは必ずある。大切なのは、諦めないこと。そして、周りの人への感謝を忘れないこと。白雪さんや父さん、そして多くの人々に支えられて、今の俺がある。過去の経験は、たとえ辛いものでも必ず未来の糧になる。俺の場合は、あの挫折が今の成功に繋がった。

白雪さんのために。そして、俺たちを支えてくれる全ての人のために。これからも前を向いて歩んでいこうと思う。

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