「おじいちゃんとおばあちゃんに会えなくなるのは寂しいけど、たくさんお金がもらえるんだって」…

「おじいちゃんとおばあちゃんに会えなくなるのは寂しいけど、たくさんお金がもらえるんだって」...

足音が近づいてきた。私は慌てて自室に戻り、ドアを閉めてベッドに腰を下ろした。堰を切ったように涙が溢れ出た。

「お母さんは勘が鋭いからね。薬に気づいてるかもしれない」
「大丈夫さ。母さんは人を疑うことを知らない。まさか息子に殺されるなんて夢にも思ってないよ」

息子夫婦の会話が頭から離れない。彼らは私と夫を殺して保険金を得る計画を立てていたのだ。

「今夜も薬を入れる。でも同じ薬ばかりだと耐性ができるかもしれないから、種類を変えよう」

42年前、直樹が生まれた日。小さな手を握った時の感動を今でも覚えている。保育士として働きながら、必死に育ててきた。運動会で一等賞を取った時の誇らしげな顔。高校合格の時の笑顔。卒業式で「母さん、今まで育ててくれてありがとう」と言ってくれたこと。結婚式では「母さんみたいな温かい家庭を作りたい」と言っていたのに。

この子たちはどこで道を間違えたのだろう。それとも、私の育て方が間違っていたのだろうか。

リオの名前が出た瞬間、何かが私の中で切れた。

「リオにもいい教育を受けさせられるわ」
「親父も長くないだろうし、どうせなら俺たちのために役立ってもらわないと」
「そうね。いつまでも生きてられても介護とか面倒だし、老人ホームだって金がかかる。それなら保険金もらった方がずっといい」

私たち夫婦は、彼らにとって”もの”の処分と変わらない存在だった。涙が頬を伝ったが、声を出すわけにはいかない。私は決意した。もう息子を庇うことはしない。たとえ実の子でも、人の命を奪おうとする者は許せない。それが35年間子供たちを守ってきた保育士としての信念だ。

夕方、息子夫婦がリビングにやってきた。

「母さん、今日は体調どう?」
直樹が心配そうな顔で聞いてくる。もうその優しい仮面に騙されることはない。

「ええ、大丈夫よ」
私は努めて普通に答えた。

「お母さん、今夜も温かいミルクを用意しますね」
美紀が微笑みながら言った。その笑顔の裏に恐ろしい企みが隠されていると思うと、吐き気を覚えた。

「ありがとう。でも今日は遠慮しておくわ」
「どうして?体にいいのに」
「ちょっと胃の調子が悪くて」

美紀は不満そうだったが、それ以上は追及してこなかった。今夜、私は行動を起こす。夫を守るため、そして正義のために。

その夜、私は一睡もできなかった。早朝4時、息子夫婦がまだ眠っている時間に静かに動き始めた。まず、昨日撮影した証拠写真を複数の場所に保存した。スマートフォンだけでなく、クラウドサービスにも。信頼できる友人にもメールで送っておいた。もし私に何かあったら、これを警察に届けてほしいと伝えて。

次に夫の修を起こした。

「あなた、起きてください。大事な話があります」

夫は眠そうに目をこすりながら起き上がった。

「どうしたんだ、こんな朝早くに」
「聞いてください。昨日、息子たちの会話を録音しました」

私は震える声で、発見した全てを話した。最初、夫は信じられないという顔をしていた。

「まさか直樹がそんなことを」
「証拠があります。見てください」

スマートフォンの画面を見せると、夫の顔から血の気が引いていった。

「これは本当に…」
「最近、異常に眠かったでしょう。それは薬のせいだったんです」
「どうして…なぜだ?」
「借金があるようです。それを返すために私たちの命を…」

二人で泣いた。息子への失望と恐怖で。

「よしえ、どうする?警察に行くか」
「その前に、私たちは一度この家を離れましょう。証拠は十分あります。でもまだ実害が出ていない。今すぐに動いてもらえるか分かりません」
「しかし、このままここにいたら本当に殺されてしまいます」

夫も頷いた。命の危険が迫っている以上、躊躇している場合ではない。私たちは最小限の荷物をまとめ始めた。通帳、免許証、保険証、そして大切な思い出の品を少しだけ。家族写真を見つめる夫の背中が悲しみに震えていた。

「置いていきましょう。もうあの子は私たちの息子ではありません」

冷たい言葉かもしれない。でも私たちを殺そうとしている人間を、もはや息子とは呼べない。

荷造りを終えると、私は机に向かって置き手紙を書いた。

「美紀さんへ。急な用事ができたため、しばらく旅行に出かけます。心配しないでください。連絡は取れませんが元気にしています。探さないでください。母より」

余計なことは書かなかった。彼らに真実を知られたくない。もし気づかれれば、証拠隠滅を図るかもしれないから。

午前5時、まだ暗い中、私たちは家を出た。玄関で一度だけ振り返った。この家で直樹を育てた。たくさんの思い出が詰まっている。でももう戻ることはないだろう。

「行きましょう」

夫の手を握り、歩き始めた。まず向かったのは市内のビジネスホテル。カードを使わず、現金で支払った。息子夫婦にはすぐに見つからない場所を選んだ。

チェックインを済ませ、部屋に入るとようやく一息つけた。

「よしえ、本当にこれで良かったのか?」
「私は35年間保育士をしてきました。子供たちの小さな変化も見逃さないように注意深く観察してきたんです。その私が言うのです。直樹たちは本気です。本気で私たちを殺そうとしています」

私はパソコンを開き、刑事事件に強い弁護士を探し始めた。明日の朝一番で相談に行く。そして警察にも届け出る。

午前7時頃から電話がかかってきた。画面に直樹の名前が表示されるのを見て、胸が痛んだ。

「出ない方がいいですね」

電話は切り、すぐにメッセージが届いた。

「母さん、置き手紙見ました。急にどうしたの?心配してます。連絡ください」

心配?私たちを殺そうとしている人間が何を心配するというのだろう。続けて美紀からのメッセージ。

「お母さん、お父さん、大丈夫ですか?朝食も用意してあったのに」

朝食。きっとそこに睡眠薬が入っていたのだろう。私は全てのメッセージを無視した。

翌朝9時、私たちは予約していた弁護士事務所を訪れた。

「初めまして、弁護士の富田と申します。お電話で緊急の案件と伺いましたが」

50代の女性弁護士は落ち着いた雰囲気だった。私は震える手でスマートフォンの証拠写真を見せながら、ことの経緯を説明した。

「これは大変な事件ですね。殺人未遂、いえ殺人予備罪に該当する可能性が高いです」

富田弁護士の表情が厳しくなった。

「すぐに警察に届け出る必要があります。私も同行しましょう」
「本当に息子たちは逮捕されるのでしょうか?」

夫が不安に尋ねた。

「これだけの証拠があれば十分です。特に複数の病院から偽名で薬を入手していることは、明らかに計画的犯行です」

1時間後、私たちは警察署にいた。

「なるほど。これは看過できない事案です」

刑事課の丸山警部は証拠写真を丁寧に確認していた。

「睡眠薬の不正入手、生命保険の不自然な契約、そして検索履歴。これらを総合すると、明らかに殺人を計画していたと考えられます」

「でも、まだ実害は…」
「ご主人の体調不良はすでに薬物による被害と考えられます。すぐに病院で検査を受けてください。血液検査で薬物が検出されれば、それも重要な証拠になります」

その日の午後、夫は病院で精密検査を受けた。結果は私たちの予想通りだった。複数の睡眠導入剤と精神安定剤の成分が検出された。しかも通常では考えられない量だ。

「よく今まで無事だったな」

夫は青ざめた。あと少し続けていたら、本当に命が危なかったかもしれない。この診断書も重要な証拠として警察に提出された。

3日後の朝、ついにその時が来た。

「杉浦さん、準備が整いました。これから息子さんたちの逮捕に向かいます」

丸山警部から連絡が入った。私たちは複雑な心境だった。実の息子が逮捕される。でもこれは正義のためだ。そして、私たち自身の命を守るためでもある。

その日の夕方、ニュースで事件が報道された。

「高齢の両親を薬物で殺害しようとした疑いで、その息子夫婦が逮捕されました。2人は複数の医療機関から不正に睡眠薬を入手し、両親の食事に混入。生命保険金目当ての犯行と見られています」

画面には手錠をかけられた息子夫婦の姿が映っていた。

「お母さん、これは誤解です!」

直樹の叫び声が聞こえた。でも、もう遅いのだ。

翌日、面会の申し込みがあったが、私は断った。もうあの子たちと話すことは何もない。

1ヶ月後、事件の全容が明らかになってきた。息子夫婦はギャンブルと浪費で作った1000万円以上の借金を抱えていた。返済に行き詰まり、私たちの命を狙ったのだ。

さらに衝撃的だったのは、美紀の過去だった。

「実は美紀容疑者には前科があります」

富田弁護士が教えてくれた。

「前の結婚相手の佐藤さんも不審な死を遂げていたのです。当時は病死として処理されましたが、今回の事件を受けて再捜査が始まっています」

恐ろしい。息子はとんでもない相手と結婚していたのだ。

「でも、それを見抜けなかった私たちにも責任があります」

夫がうつむいた。

「いえ、ご自分を責める必要はありません。詐欺師は善良な人々の信頼を利用するのが得意なのですから」

3ヶ月後、裁判が始まった。法廷で私は証言台に立った。35年間子供たちの前で話してきたが、こんなに緊張したことはない。

「息子夫婦の行動に不審を抱いたきっかけを教えてください」

検察官の質問に、私はリオのことを思い出しながら答えた。

「孫の無邪気な一言でした。『パパとママ、宝物があるんだって』と。そして『おじいちゃんとおばあちゃんに会えなくなるのは寂しいけど、たくさんお金がもらえるんだって』と」

5歳の子供の純粋な言葉が、恐ろしい犯罪を暴いたのだ。

息子は終始うつむいていた。時々私の方を見ようとしては、すぐに視線を落としていた。美紀は最後まで無実を主張していたが、証拠の前には無力だった。

判決の日。

「主文。被告人直樹を懲役15年に処する。被告人美紀を懲役18年に処する」

裁判長の声が法廷に響いた。

「本件は金銭欲から実の両親の命を狙うという、極めて悪質な犯行である。計画性も高く、酌量の余地はない」

傍聴席から親族と思われる人々の泣き声が聞こえた。でも私たちは泣かなかった。もう涙は枯れていたのだ。

判決後、直樹が振り返った。

「母さん、ごめんなさい」

その言葉を聞いても、私の心は動かなかった。

「もう、あなたは私の息子ではありません」

冷たい言葉かもしれない。でも、これが私の本心だった。

事件から半年後、私たちは新しい家で暮らし始めた。以前より小さな家だが、二人には十分だ。あの家は売却した。思い出が詰まっていたが、もう過去のことだ。

「よしえ、今日は天気がいいな」
「そうですね。散歩にでも行きましょうか」

穏やかな日常が戻ってきた。いや、以前よりも平和かもしれない。息子夫婦からの脅威がなくなった。今、私たちは本当の意味で自由になったのだ。

ある日、富田弁護士から連絡があった。

「杉浦さん、実は美紀の前夫のご両親の件で新たな展開がありました」
「まさか」
「再捜査の結果、薬物による殺人の可能性が高いと判断されました。美紀には追起訴される見込みです」

恐ろしいことだった。もし私がリオの言葉に気づかなければ、私たちも同じ運命を辿っていたかもしれない。

「杉浦さんの勇気ある行動が、他の被害者の真実も明らかにしたのです」

リオは今どうしているだろうか。ふと孫のことが気になった。

「美紀の妹さんのところで元気に暮らしているそうです。学校にも通い始めたと聞いています」

少し安心した。あの子には何の罪もない。いつか成長したリオに会える日が来るかもしれない。その時は、真実を伝えたい。悪いことをした人は必ず報いを受けるということを。

私は再び保育園でボランティアを始めた。

「よしえ先生、お帰りなさい!」
「ただいま。みんな、元気にしてた?」

子供たちと一緒にいると、元気をもらえる。事件のことは園には伝えていない。ただ体調を崩していたとだけ説明した。子供たちの純粋な笑顔を見ていると、人間の本質は善良なのだと信じることができる。

「先生、これあげる」

5歳の女の子が折り紙で作った花をくれた。リオと同じ年頃だ。

「まあ、綺麗。ありがとう」

その子の無邪気な笑顔に胸が熱くなった。

私は今、この経験を多くの人に伝える活動も始めている。高齢者の集まりで体験談を話すのだ。

「家族だからといって、無条件に信じてはいけません。おかしいと思ったら、必ず誰かに相談してください。違和感を見逃さないでください」

「でも、息子さんを告発するなんて、辛かったでしょう」

ある女性が涙ぐみながら言った。

「ええ、辛かったです。でも命には代えられません。そして、悪いことをした人を見逃すことは、その人のためにもならないのです」

実際、直樹からは拘置所から何度も手紙が来ている。謝罪の言葉が並んでいるが、私は返事を書いていない。許すことはできない。でも恨んでもいない。ただ、もう関わりたくないのだ。

「よしえさんのお話を聞いて、私も勇気をもらいました」

別の女性が手を挙げた。

「実は私の娘夫婦も最近やけに優しくて、保険の話もよくするんです」

会場がざわついた。

「すぐに信頼できる人に相談してください。取り越し苦労かもしれませんが、用心に越したことはありません」

こうして私の経験が誰かの命を救うことにつながれば、それは素晴らしいことだ。

夕方、家に帰ると修が夕食の準備をしていた。事件後、家事を分担するようになったのだ。

「今日はどうだった?」
「ええ、皆さん真剣に聞いてくださいました」
「そうか。君の話が誰かを救うかもしれないな」

二人で静かに夕食を取りながら、これからの人生について話した。

「私たち、まだまだやれることがありそうですね」
「そうだな。命を狙われて、逆に生きる意味を見つけた気がする」

皮肉なものだ。息子夫婦の裏切りという最悪の出来事が、私たちに新しい使命を与えてくれたのだから。

窓の外では夕焼けが空を染めていた。美しい光景だ。

「あなた、私たちは本当に幸運でしたね」
「ああ。生きていられることが、これほどありがたいとは」

35年間の保育士経験、そして孫の無邪気な一言。全てが繋がって、私たちの命を救ってくれた。正義は必ず勝つ。悪いことをした人には必ず報いが来る。私はこれからもこの信念を持って生きていく。そして、同じような危険にさらされている人々に、勇気を与え続けたいと思う。

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