「お母さん、もう家族じゃないんでしょ?」 息子の言葉に、私は静かに微笑んだ。30年間、家族のために尽くしてきた。でも、彼らは私を「邪魔者」と呼んだ。だったら、お望み通り、消えましょう。来月、この家は売却します。契約はもう済んでいます。あなたたちは、どうやって生きていくの?

「お母さん、もう家族じゃないんでしょ?」 息子の言葉に、私は静かに微笑んだ。30年間、家族のために尽くしてきた。でも、彼らは私を「邪魔者」と呼んだ。だったら、お望み通り、消えましょう。来月、この家は売却します。契約はもう済んでいます。あなたたちは、どうやって生きていくの?

「大事なお話があります」
私がそう切り出すと、食卓の空気が一瞬で凍りついた。息子の深夜も嫁のとみも、面倒臭そうな顔で私を見ていた。
「来月の15日に、この家を売却することにしました」

一瞬の静寂の後、とみが最初に声を上げた。
「は? 何を言ってるんですか?」
「聞こえませんでしたか? この家を売却します。もう契約も済んでいます」

深夜が箸を落とした。カチンという音が静かに響く。
「母さん、何をバカなことを?」
「バカなこと? あなたたちが望んだことでしょう。私に出ていけと言ったのは、とみさんだったわよね?」

とみの顔色が変わった。
「そんなつもりじゃ…施設に入れて言っただけで…」
「あら、『邪魔者は出ていけ』って言ったのはとみさんでしょう? お望み通り、私はこの家から出ていきます」

深夜が慌てて言った。
「母さん、落ち着いて。この家は俺たちも住んでるんだ」
「そうですね。でも、この家の名義は私です。売却にあなたたちの許可は必要ありません」

私は売買契約書を取り出し、テーブルに置いた。
「これが契約書です。来月の15日に引き渡しです。それまでに荷物をまとめて出て行ってください」

とみが震える手で契約書を確認する。
「こ、これ、本物…?」
「もちろんです。山田不動産の山田社長に、適正価格で売却しました」

深夜が青ざめた顔で叫んだ。
「母さん、俺たちはどこに住めばいいんだ?」
「それは私の知ったことではありません。自分たちの生活があるとおっしゃったでしょう? どうぞご自分たちで何とかしてください」

とみが突然態度を変えた。
「お、お母さん、ごめんなさい。私が悪かったです。撤回してください」
「撤回? もう契約は成立しています。今さら撤回はできません」

とみは膝から崩れ落ちた。
「お願いします。子供もいるんです。優太の学校もあるし…」
「優太の教育に私は悪影響なのでしょう? これで良かったじゃないですか」

深夜も必死になった。
「母さん、頼む。考え直してくれ。俺が悪かった」
「何が悪かったんですか?」
「全部だ。母さんを邪魔者扱いしたことも、とみの肩を持ったことも…」

私は冷たく微笑んだ。
「今さらですね。あなたはもう私が限界だと言いました。なら、もう私に頼らないでください」

とみが土下座した。
「お母さん、本当にごめんなさい。私が間違っていました」
「『邪魔者』にお願いすることなんて、ないでしょう? それに、『金がないなら出ていけ』とおっしゃいましたよね。あなたたちこそ、この家を買うお金はあるんですか?」

二人は言葉を失った。

翌日から、息子夫婦の態度は一変した。
「母さん、朝ご飯作りました」
「お母さん、肩でも揉みましょうか?」

必死の手のひら返しだったが、私の決意は変わらない。
「もう遅いです。新しい住まいも決まっていますから」

日に日に引き渡し日は近づいてきた。深夜は不動産屋を回り始めたが、この辺りの家賃の高さに絶望していた。
「母さん、お願いだ。せめて頭金だけでも援助してくれないか?」
「お金? 私は『お荷物』でしたよね。お荷物に、お金なんてありません」

とみも必死だった。
「お母さん、一緒に住みましょう。私たちがアパートを借りて、お母さんも…」
「私を『邪魔者』扱いする人たちと、また一緒に住むなんて考えられません」

ある日、とみの両親が現れた。
「さ子さん、娘が大変失礼なことをしたと聞きました。どうか許してやってください」
「申し訳ありませんが、もう決めたことです。とみさんがおっしゃった通り、私は邪魔者ですから、消えることにしました」
「でも、子供のことを考えて…」
「とみさんは私が孫の教育に悪影響だと言いました。これでいいんです」

引き渡しの3日前、深夜が最後の説得に来た。
「母さん、俺は母さんの息子だろ? 血のつながった家族だろ?」
「あら、もう家族じゃないという態度だったじゃないですか」
「違う。俺は…」
「深夜、あなたは私に何と言いましたか? 私を邪魔者扱いしたのは、あなたたちです」

私は立ち上がり、窓の外を見た。
「この家での32年間、私は家族のために生きてきました。でも、もう終わりです」

とみが泣きながら言った。
「優太のために、お願いします」
「優太さんのことは心配していません。あなたたちが自分たちの生活の中で、しっかり育ててください」

深夜が最後の手段に出た。
「母さん、親不孝者の息子を許してくれ。これからは母さんを大切にする」
「信じられませんね。あなたはとみさんの味方でしょう? 私の話も聞かずに…」
「本当に反省しているんだ」
「反省は、新しいアパートでゆっくりなさってください」

ついに引き渡し当日がやってきた。引っ越し業者のトラックが到着し、息子夫婦の荷物が運び出されていく。
「母さん、本当にこれでいいのか?」深夜の目には涙が浮かんでいた。
「今さら親子の情に訴えても、遅いのです。ええ、これでいいんです。お互い、新しい生活を始めましょう」

最後に、とみが言った。
「お母さん、私たち、これからどうすればいいんですか?」
「とみさん、あなたは賢い方でしょう。きっと素敵なお住まいが見つかりますよ」

私は鍵を新しい持ち主に渡し、この家を後にした。振り返ると、小さなレンタカーに荷物を詰め込む息子夫婦の姿が見えた。あんなに偉そうだった二人が、今は途方に暮れている。

これが私の、完璧で、そして合法的な復讐だった。

売却から3ヶ月が経った。私は今、湘南の海が一望できる高層マンションの最上階で、朝のコーヒーを楽しんでいる。今日もいい天気だ。大きな窓から差し込む朝日が、リビング全体を優しく照らしている。あの家での窮屈な生活が、まるで悪い夢だったかのようだ。

家の売却金は予想以上の金額だった。山田社長の助力もあり、相場より2割も高い値段で売れたのだ。そのお金でこの素敵なマンションを購入し、残りは老後の生活資金として大切に管理している。

「さ子さん、今日も絵画教室に行かれるの?」
同じマンションに住む友人の佐藤さんが、エレベーターで声をかけてくれた。
「ええ、今日は水彩画の日なの。海の絵を描こうと思って」
「素敵ね。さ子さんの絵、本当に上達したわ」

新しい生活を始めてから、私は長年の夢だった絵画を習い始めた。若い頃は家族のために諦めていた趣味を、今になってようやく楽しめるようになったのだ。

「実は、来月、個展を開くことになったの」
「まあ! おめでとうございます!」

午後は近所のカフェで読書会に参加した。同年代の女性たちと文学について語り合う時間は、知的な刺激に満ちている。
「さ子さんの感想、いつも的確で関心するわ」
「ありがとう。教師をしていた経験が生きているのかもしれないわね」
「そういえば、さ子さんが引っ越してきてから、この読書会も活気づいたわよね」

仲間たちの温かい言葉に、心が満たされる。誰にも邪魔されない、自分だけの時間。これほど贅沢なことはない。

夕方、海辺を散歩していると、携帯電話が鳴った。画面を見ると、深夜からだった。この3ヶ月でもう50回は着信があっただろうか。でも、私は一度も出ていない。

留守番電話にメッセージが残された。
『母さん、深夜です。お願いだから連絡をください。とみも反省しています。優太もおばあちゃんに会いたがっています。俺たち、本当に困っています。アパートは狭くて、優太の勉強部屋もありません。お金がなくて、優太の塾もやめさせました。母さん、助けてください。助けて…』

優太のことを思うと、少し心が痛む。でも、私の決意は変わらない。あの子の両親が私を邪魔者扱いしたのだから。

「金がないなら出ていけ」と言ったのは、あなたたちではありませんか?

後日、山田社長から連絡があった。
「さ子さん、実は息子さんが私のところに来ましてね」
「そうですか」
「新しい家を探しているようですが、なかなか条件に合う物件が見つからないようで。今は郊外の古いアパートに住んでいるそうです」
「それは大変ですね」

私のそっけない返事に、山田社長は察したようだった。
「さ子さんのお気持ち、よくわかります。私も詳しい事情を聞いて驚きました。息子さん夫婦は、相当困っているようです」
「困るのは自由です。でも、もう遅いんです」

山田社長によると、息子夫婦は郊外の古い2DKのアパートに引っ越したそうだ。家賃を払うのがやっとで、優太の塾もやめざるを得なかったとか。とみも仕事を増やし、朝から晩まで働いているらしい。

「因果応報ですね」
私がそう言うと、山田社長も頷いた。
「人を大切にしない者は、いずれ自分に返ってくる。さ子さんの選択は正しかったと思います」

ある日、絵画教室の先生から提案があった。
「さ子さん、今度の市民文化祭に作品を出品してみませんか?」
「私なんかの絵が…」
「とても味わいがあって素敵ですよ。特に『解放の海』という作品は傑作です」

生まれて初めての作品展示。胸が高まる。自由な時間があるからこそ、できることだ。

文化祭当日、私の絵の前で足を止める人が大勢いた。
「この海の絵、心が現れるようね」
「描いた方の優しさが伝わってくるわ」
「でも、どこか強い意志も感じるわね」

嬉しい言葉をたくさんいただいた。その中に、見覚えのある顔があった。

「お母さん…」

とみだった。疲れた顔で、私の前に立っていた。以前の派手な服装とは違い、質素な格好をしている。
「どうしてここに?」
「山田社長から聞いて…お母さんの絵を見に来ました」

とみの隣には、深夜と優太もいた。三人とも、3ヶ月前とは別人のようにやつれている。

「おばあちゃん!」
優太が駆け寄ってきたが、とみが止めた。
「優太、勝手なことしちゃだめ」

その光景を見て、私は静かに言った。
「もう他人でしょう? 知らない人に話しかけられても、困ります」

深夜が一歩前に出た。目に涙が浮かんでいる。
「母さん、3ヶ月考えた。俺たちが完全に間違っていた」
「そうですか」
「本当に後悔している。どうか、もう一度だけチャンスをください」
「チャンス? あなたたちは、私にチャンスをくれましたか?」

とみが膝をついて、土下座した。
「お母さん、本当にごめんなさい。私が愚かでした。お母さんの大切さ、いなくなってからわかりました」
「とみさん、あなたは『お母さんの顔も見たくない』と言いましたね。お望み通り、もう会う必要はないでしょう」
「違います。あの時の私は、本当にバカでした」

優太が泣き始めた。
「おばあちゃん、僕、おばあちゃんに会いたかった…」

胸が締めつけられる。でも、私は顔を背けた。
「優太君、おばあちゃんは君の教育に悪影響なのでしょう? お母さんがそう言っていましたよ」

とみが顔を覆った。
「私が間違っていました…」
「優太は毎日、おばあちゃんの話をします。優しかったおばあちゃんが大好きだって」

深夜が必死に訴える。
「母さん、俺たちのアパートは本当に狭いんだ。でも、それでも一緒に住んでくれないか」
「今さら、ですね。私にはもう快適な住まいがあります」
「金の問題じゃないんだ。家族として、もう一度やり直したい」

私は冷たく微笑んだ。
「家族? あなたは私を『家族じゃない』と言いましたね。『外の人』だと」

深夜は何も言い返せなかった。その時、優太が小さな絵を差し出した。
「おばあちゃん、これ、僕が書いたの」

それは、私と優太が一緒に遊んでいる絵だった。拙い絵だったが、愛情が込められているのがわかった。
「上手ね。でも、もう受け取れません」

私は絵を返し、会場を後にした。振り返ることはしなかった。背後から、とみの鳴き声が聞こえた。

その夜、マンションのバルコニーで夜景を眺めながら、私は亡き夫に語りかけた。
「健一さん、私は冷たい人間になってしまったでしょうか?」

でも、心の中で夫の声が聞こえたような気がした。
『さ子、よく頑張ったね。もう自分のために生きていいんだよ。君は十分に尽くした』

涙が頬を伝った。でも、それは悲しみの涙ではない。解放の涙だった。

翌朝、いつものように海を眺めていると、新しい一日が始まったことを実感した。今日は絵画教室の日だ。来週は温泉旅行も計画している。

今、私には素晴らしい友人たちがいる。趣味の絵画がある。読書会がある。何より、誰にも邪魔されない自由がある。

人生の70年を過ぎて、ようやく本当の幸せを見つけた。私は微笑みながら、そうつぶやいた。

さ子さんの選択は、理不尽な扱いに屈しない意志の象徴だった。家族だからと言って、何をされても我慢しなければならないわけではない。自分の尊厳を守り、正当な権利を行使することは、決して悪いことではないのだ。

時に大切なのは、血のつながりではなく、互いを尊重し合える関係性なのかもしれない。さ子さんは自分を否定する人々から離れ、自分を大切にしてくれる新しい仲間たちと出会った。

邪魔者扱いした報いは、必ず返ってくるものだ。さ子さんの息子夫婦は、今、身をもってそれを実感しているだろう。

物語の中に何か感じるものがあったなら、チャンネル登録と高評価で、そっと応援していただけたら嬉しいです。あなたやご家族のこれからについての思いも、是非コメントで語り合いましょう。

Thumbnail