インターホンが鳴ったのは、休日の昼下がりだった。私は着替えの途中で、夫の一に「出てきてくれる?」と声をかけた。でも、彼は玄関へ向かう気配を見せなかった。着替えを終えてリビングへ戻ると、夫はどこか落ち着かない様子で「間違い電話だよ」と言った。オートロックのマンションだから、部屋番号を押し間違えたのだろう、と思った。けれど、その直後、モニターのランプが静かに光っているのが目に入った。
私は疑問を抱えたまま通話ボタンを押した。すると、若い女性の声が響いてきた。
「けー、いるんでしょ?」
その激しい口調に驚いていると、玄関へ出ようとしていた夫が慌てて戻り、通話を切った。インターホンは、音を消されたまま何度も光り続けている。私は夫に問いただした。
「誰なの? 知り合いなら、どうして出ないの? 何があったの?」
夫は視線を泳がせ、言葉を濁した。苛立ちを感じた私は、直接インターホンに出ることにした。
「どちら様ですか?」
画面越しに、若い女が言い放った。
「けーの彼女です。けー、いますよね?」
その瞬間、夫の浮気が確信に変わった。この女性の勢いから、別れ話のもつれか、お金の貸し借りか、何かしらのトラブルがあることだけは分かった。私は何も言わない夫を横目に、オートロックを解除し、彼女を家の中へ入れざるを得なかった。外で騒がれるよりは、まだ家の中の方がましだと思ったからだ。
女はズカズカと上がり込んできた。
「さき、お前、どうしてここに?」
夫はどもりながらも、女の勢いは止まらない。
「会社の書類で住所を控えてきたんだよ。こうでもしないと、話もできないでしょ?」
随分と若い女だ。複雑な心境で二人のやり取りを見ていると、彼女がとんでもない言葉を口にした。
「奥さんとは別れるって言ったじゃない。妊娠したって言ったじゃない。責任取ってよ。」
私は言葉を失った。別れ話なんて一度も出たことはなかった。子供が欲しいと言っていたのは、私との子供のはずだった。不妊治療の話を切り出すと、夫はいつも「焦らなくていい」と流していた。まさか、私が悩んでいる間に、他の女を妊娠させていたなんて。
夫は「さっさと帰れよ」と怒鳴ったが、女は動こうとしない。すると、彼女は持っていた荷物から一枚の紙を取り出して、夫に差し出した。
「今すぐ、書いてくれる?」
その紙を見た瞬間、夫の顔が驚愕に歪んだ。何が書かれているのか、私には見えなかった。ただ、夫が震える手でそれを拒否するのを見て、これは決定的な何かだと直感した。
私は目の前に広がる光景を、ただ呆然と見つめるしかなかった。夫は財布を取り出し、中に指を突っ込んで、何かを支払おうとしている。女はそれを冷静に見つめている。私はもう、どの顔を見ればいいのか分からなかった。
気づけば、私はスマホも財布も持たず、サンダル履きのまま家を飛び出していた。徒歩で近くの公園まで来て、ベンチに座り込む。頭の中は真っ白だった。すると、どこからか声がかかった。
「あめさん、こんなところでどうしたんだい?」
その声の主を見上げたとき、私はまだ、自分がこれからどうするのか決めていなかった。



