「お前は母さんに洗脳されてるんだよ。」…

「お前は母さんに洗脳されてるんだよ。」...

「最近、母さんの様子がおかしいんだ。」
そう夫の秋人が切り出したとき、私は嫌な予感がしていた。数日前、母が同じ話を三度も繰り返していたからだ。物を置いた場所を忘れ、約束も記憶から消えていく。私は心配でたまらなかったが、秋人は冷たく言い放った。
「ついにボケたか。まあ、それなら施設に入れればいいだろう。素人が関わる問題じゃない。あれだけ働いてたんだから金はあるはずだ。」
私は怒りで震えた。
「自分のお母さんでしょ。もっと考えてあげてよ!」
しかし秋人は鼻で笑った。
「お前は母さんに洗脳されてるんだよ。」
彼は昔から厳しい母を嫌っていた。長男なのに優遇されないと根に持ち続け、母が誰に対しても平等に接することを恨んでいた。私には母の態度が正しいと思えるのに、秋人にはそれが許せないらしい。
私は姉のゆき子さんに連絡した。ゆき子さんはすぐに「一緒に病院へ連れて行こう」と言ってくれた。検査の結果、母は認知症と診断された。退職と父の死が引き金になったのだろうと言われた。
「私が同居して面倒を見るよ。」
秋人が意外にもそう言い出した。姉の家は子供たちの学校があるから、私たち夫婦が実家へ移るのが合理的だと。私は介護を覚悟した。それから私たちは母と一緒に暮らし始めた。
だが、同居が始まってから、秋人の態度は少しずつ変わっていった。最初は協力的だったのに、次第にイライラした口調が増え、ある日、私にこう言ったのだ。
「家事も介護もお前がやれよ。俺は働いてやってるんだから。」
私は言葉を失った。それでも耐えた。しかし、本当の試練はそこからだった。母の認知症が進み、夜中に徘徊するようになった頃、秋人は突然、私に向かって言った。
「もう無理だ。俺は実家に戻る。」
離婚を匂わせるその言葉。私は目の前が真っ暗になった。
「私、何か悪いことした?」
「いや、お前は何も悪くないよ。でも、俺にはもう耐えられない。」
その日の夜、私は母の部屋の前で立ち尽くした。母がそっと私の手を握り、こう言った。
「さやか、ごめんね。お母さんのせいで…」
涙が止まらなかった。私は決意した。この家に残るか、それとも…。秋人が私を置いていくなら、私は母を連れてどこかへ行く。そう考えたとき、秋人が机の上に置いていた書類が目に入った。それは離婚届だった。
翌朝、私はその離婚届を手に取り、秋人に言った。
「これ、出すの?」
「ああ、出してくれ。」
私は深く息を吸った。
「わかった。でも、一つだけ約束して。母さんを施設に入れるなら、私も一緒に行くから。」
秋人は驚いた顔をした。しかし、彼は何も言わず、ただうつむいた。その姿を見て、私は確信した。この結婚はもう終わったのだと。だが、私は後悔していなかった。むしろ解放された気分だった。
そして今、私は母と二人、新しい生活を始めようとしている。介護は大変だけど、母の笑顔を見られる幸せは何にも代えがたい。秋人には申し訳ないけど、私は自分の選んだ道を歩むだけだ。

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