なあ、今度の母さんの誕生日旅行にでも連れて行ってやろうと思うんだけどさ、行ってきてもいいかな。
仕事から帰ると夫が私に相談をしてきた。夫は両親と仲がいい。義両親は穏やかな人で私にも良くしてくれる。
だけど私が昇進して以来仕事が忙しくなってしまい、なかなか義両親に会う機会がない。それは構わないけど、私行かなくて大丈夫?今はどうしても仕事が忙しくて連休を取るのが難しい。旅行となると一緒には行けない。
でも夫もそれを許してくれる。
「大丈夫。えり子が忙しいのは両親も知ってるし、えり子がいると結構気を使うみたいなんだよね。旅行となると俺だけの方が気が楽だと思うし、今度実家に顔出す時に一緒に来てくれよ」
確かに、いくら義理の両親との中が良好だと言っても、一緒に泊まりに行くとなると話は別だろう。私は義両親に素直に楽しんで欲しくて、お母さんへのプレゼントを用意し、夫に渡してくれるよう頼んだ。
しかし、これが全ての間違いだった。
私の名前はえり子。32歳の会社員だ。夫の達也とは3年前に知り合って結婚。そろそろ子供が欲しいと思っているけど、私の仕事が忙しくなり、なかなか前に進んでいない状態だ。
ただ結婚しても別々の時間が欲しいと思っていたし、お互い干渉しすぎない生活にはそれなりに満足している。
夫が義両親と旅行に行く日、私は先に仕事に出かける。職場に着くとしばらくして夫から連絡が入った。これから義実家に行って、明日の朝に旅館に向かうとのこと。
夫も残業や休日出勤が続いていたから、久しぶりにゆっくりできるだろうし、楽しんできてと返事を送る。
すると、その日の午後から空模様が怪しくなってきた。夜には大雨が降るという予報に変わり、仕事を切り上げて帰宅するようにと指示が出たので、私は夕方に帰ることになった。
外に出るとすでに雨が降り始めて、空も暗くなっている。折りたたみ傘しか持っていなかったから心配だったけど、なんとか本降りになる前に自宅に着いた。
義実家は隣の県。心配になった私は夫に電話をすると、「今実家にいるけど、そんなでもないよ。まあ大丈夫だろう」と楽観的な言葉が返ってきた。
確かにまだそんなに降っているわけでもないし、天気予報が大げさで、実際にはそう振らないことだってある。高齢の義両親だけだと心配だけど、夫もいるし、何かあれば連絡が来るだろうと私も少し安心した。
しかし夜になるにつれて雨足はどんどん強まる。外を見るとかなり荒れていて、外出は控えた方がいいくらい。
気になってテレビをつけると、義実家の方はかなり降っているみたいだ。大変だなとテレビを見ているうちに、中継画面に切り替わる。そこは義実家のある市だ。
私は慌てて夫に電話をした。それなのに、何度かけても繋がらない。メールを送ったけど返信もない。心配になってお母さんに電話をした。
すると、とんでもない事実が発覚する。
数回のコールでお母さんが電話に出た。
「お母さん、テレビで見たんですけど、大丈夫ですか?」
「えり子さん、ありがとう。それがね、こっちはかなり大変で、避難所に行こうかどうか悩んでいる間に取り残されちゃって」
どうやら家の前までかなり雨水が溢れ出てしまい、避難所まで歩いていけないという。義実家には車もないし、念のため家の2階に避難しているそうだ。
「え、でも達也が車で……」
「達也? 達也なら昨日のうちに迎えに来てもらって、私と義父さんはこの家に残ったのよ。達也は旅行に行ったんじゃないの?」
一瞬、頭が真っ白になった。
「え? どういうことですか? 達也は今日、お母さんたちと旅行に行くって言ってましたよ」
「そんなはずないでしょう。昨日の夜に達也が来て、明日は友達と旅行に行くからって。私たちは今回は行かないって言ったのよ。この雨じゃ無理だしね」
お母さんの言葉に、私はその場に立ち尽くした。
夫は私に義両親との誕生日旅行に行くと言っていた。なのに、実際は友達と旅行に行っている。
しかも、そんな大雨の中、義両親は避難もできずに2階に取り残されている。夫はそれを知っていて、何の連絡もしてこない。
私は怒りと不安で混乱しながらも、まず義両親の安否を確認するために、自宅の2階から何とか状況を見ようとした。
翌日、雨が落ち着いてから、私は義実家に向かった。義両親は無事だった。しかし、家の中は泥だらけで、家具もいくつかダメになっていた。
「達也には連絡したの?」
「何度もしたけど、電話に出ないんだよ」
お母さんが疲れた顔で言う。私はその時、初めて夫のスマホの位置情報を確認できるアプリが入っていることを思い出した。急いでアプリを開くと、夫の位置情報が表示された。
そこは、なんと私の職場の近くにあるホテルだった。
しかも、そのホテルは有名なラブホテル街の中にある。
私は何も考えられず、そのホテルへ向かった。受付で夫の名前を聞くと、確かに泊まっているという。名前を伝えて部屋へ向かうと、ドアの前で女性の笑い声が聞こえた。
私はノックをせずに、カードキーを貸してもらって、そのままドアを開けた。
そこには、夫と、私の同僚の女性が抱き合っている姿があった。
「え、えり子!?」
夫は慌てて飛び跳ねた。同僚の女性も、顔を真っ青にして固まっている。
「何してるの?」
私の声は、思ったより静かだった。
夫は何も言えずにうつむいている。同僚の女性は「ご、ごめん」とだけ言って、その場から逃げ出した。
私は夫を見つめたまま、一言だけ言った。
「さようなら」
そして、その場を後にした。
夫は何度も電話をかけてきたけど、私は全て無視した。義両親に夫のことを話すと、お母さんは涙を流して謝ってきた。
「えり子さん、うちの息子がごめんね」
「お母さんは悪くないですよ」
私はそう言って、離婚の手続きを進めることにした。
夫は最初は泣きながら謝ってきたけど、私が離婚の意思を固めていると知ると、態度を変えた。
「離婚するなら、慰謝料は払えないよ。お前が仕事ばかりしていて、家庭を顧みなかったのが原因だろ」
私は、その言葉に呆れた。
「浮気をしたのはあなたでしょ。それに、義両親を見捨てて、友達と遊びに行ったのもあなたでしょ」
「友達じゃない、同僚だ」
「どっちだって同じよ。あなたはお母さんたちを置き去りにして、大雨の中、ホテルで遊んでいたんでしょ」
夫は何も言い返せなかった。
最終的に、私たちは協議離婚をした。私は慰謝料はもらわなかった。その代わり、義両親との関係は続けさせてもらうことにした。
今でも月に一度は義両親の家に顔を出している。お母さんはいつも、私のために手作りの料理を振る舞ってくれる。
私がいるから、夫との離婚を後悔することはない。むしろ、あんな人と一緒にいなくて良かったと心から思っている。
現在、私は仕事に打ち込みながら、新しい人生を歩み始めている。
結婚している時よりも、毎日が充実している。



