母が病院のベッドで息を引き取った時、俺は8歳だった。それまで必死に働いてくれていた母は、風邪だと言い続けて病院に行かず、気づいた時にはもう手遅れだった。葬式の後、施設に連れて行かれる車の中で、俺は姉の顔だけを思い浮かべていた。4歳の時に離婚で引き離された、泣きながら俺の名前を叫んで手を伸ばしていた姉の姿を。
施設での生活は決して楽ではなかったが、同じ境遇の仲間たちと支え合ってどうにか生きてきた。高校3年生になった時、18歳で施設を出なければならない決まりを知り、必死で進路を考えた。なんとか大学に進学し、奨学金とバイトで食いつなぎ、周りの誰よりも努力した。そして29歳になった今、俺は一流企業で働いている。誰も想像しなかっただろう。施設育ちの子供が、ここまで来るなんて。
入社して3年目の春、新しいプロジェクトのチームが発表された。会議室に集められた面々を見渡した時、俺の目は一瞬で一人の女性に釘付けになった。静香。姉の名前と同じだ。それだけなら偶然だろう。しかし、彼女の顔を見た時、俺の心臓は止まるかと思った。母のアルバムの中で見た、幼い頃の姉の面影がそのまま大人になったような顔だった。まさか。そんなはずはない。俺は自分に言い聞かせた。しかし、彼女が名乗った名前を聞いて、確信に変わった。彼女は「カンタ?」と、俺の名前を呼んだのだ。それは、ただの同姓同名では済まされない、何かの運命を感じさせる瞬間だった。再会した姉は、俺が誰か気づいていたのだろうか。それとも、偶然同じ名前だっただけなのだろうか。だが、彼女の目に浮かんだ驚きと、その後に続く言葉は、俺の人生を大きく変えることになる。
「カンタ…本当に、カンタなの?」
その声は、24年前に聞いた姉の声と、どこか重なっていた。俺はただ、立ち尽くすことしかできなかった。



