黒沢信吾は死ぬほど働いてきた。それは比喩ではない。文字通り死に向かって働いてきた。腰から下がじんじんとしびれ、まぶたは鉛のように重い。それでも彼はハンドルを握り続けた。夜中の高速道路で真っ暗な車窓の向こうに流れ続ける白線を見つめながら、自分が今どこにいるのか一瞬分からなくなる瞬間が何度もあった。それでも彼は目を細め、下唇を噛み、エナジードリンクの缶を口に傾けた。それが黒沢信吾という男の五十六年の生き方だった。
その朝は三夜連続で走り続けた帰りだった。神奈川の倉庫から青森の工場まで往復するロングラン便を終え、東京北部の営業所に戻ってきたのは夜明けの四時過ぎだった。エンジンを切った瞬間、静寂が耳に痛いほど響いた。キャブから降りる時、靴が地面に触れる感触がどこか遠くに感じられた。それほど彼の体は限界に近かった。
ロッカールームのシャワーを浴びた。お湯の温度を確かめる余裕もなく、シャワーヘッドから出る水を頭からただ浴びた。タオルで顔を拭きながら鏡を見ると、そこには見慣れた、しかし今日は特別に老けて見える男の顔があった。血走った目、目の下の皮膚が青く腫れている。頬の肉が落ちて顎の線がより鋭くなっていた。信吾は自分の顔を二秒ほど見つめ、それからタオルを折りたたんで棚に置いた。
着替えている間に、携帯電話のバイブが鳴った。画面には名前が映し出されていた。大翔。それが息子の名前だった。
メッセージの内容は短かった。「父さん、今月のゼミの合宿費、早急に振り込んでくれない。二十万。みんな行くし。俺だけ行かないのは無理だから。」
信吾は画面をじっと見た。二十万円。彼の口座の残高は今朝の時点で十二万七千円だった。先週、消費者金融から借りた三十万円の元金がまだ残っている。利息が毎日上がっている。それでも彼は親指を動かした。「分かった。振り込む。」と打って送信ボタンを押した。
その後、信吾は営業所の自動販売機で缶コーヒーを一本買い、駐車場の橋にあるコンクリートブロックに腰掛けてタバコに火をつけた。メビウスの安いやつだった。一箱百四十円。一日に一箱半。月にすると計算したくなかった。それでもこれだけはやめられなかった。体に染みついた習慣というものは、年を取るほど手放しにくくなる。
タバコの煙を大きく吐き出すと、白い霞が朝の冷気の中でゆっくりと散っていった。信吾は目を細めて、どこでもない一点を見つめた。息子に二十万円を送る。そのためにどうするか。消費者金融にまた電話する。追加融資の枠はまだある。今月の家賃は送らせてもらう。大家の田村に頭を下げれば、数日くらいは待ってくれるだろう。食費はまた削る。昼はカパン一個で我慢する。
計算が頭の中で自動的に走り始めた。それは反射のようなもので、彼は特に苦しいとは感じなかった。苦しさを感じる余裕があるとすれば、それはまだ心に余白があるということだ。信吾の心にはもう随分前から余白がなかった。
その日の午後、信吾は姉の星野千鶴と会うことになっていた。場所は駅前にあるファストフードの牛丼チェーンだった。千鶴が指定してきた。姉は信吾より七歳年上で、夫を早くに亡くし、今は一人で小さな食堂を経営していた。彼女が信吾に会おうと言ってくるのは、いつも決まって金の話だった。
信吾が店内に入ると、千鶴は隅の席にいた。テーブルにはコーヒーと、ほとんど手を付けていないシナモンのシナボンが乗っていた。彼女は若い頃は色白で美しかったが、今はその面影がかすんでいた。経営の疲れが顔に出ていた。
「待たせたな。」信吾は向かいに座った。
千鶴は何も言わずに、テーブルの下から書類を取り出した。それは銀行の明細書だった。信吾の母の口座の明細だった。信吾は動揺せず、ただコーヒーを一口飲んだ。
「満期の定期預金が解約されているわよ。」千鶴が言った。声は低く、抑えられていた。「五百万円よ。母が死ぬ時に残したやつ。満期まで待てば利息で増えるって、母は言ってた。」
「知らないな。」信吾は言った。
「知らないって、あんた、解約手続きをした人物の印鑑は、母が残した通帳と印鑑よ。それが今、誰の手にあるの?」
信吾は何も答えなかった。
千鶴は呼吸を整えた。そして言った。「信吾、あんたの息子の大翔君の学費を払っているのは、あんたじゃないわ。あんたが払っているのは、大翔君の遊び代よ。そしてその遊び代のために、母の遺産を食いつぶしてるんでしょ。違う?」
信吾はカップを持ったまま動かなかった。やがて「母さんの遺産は、俺のものだ。どう使おうと俺の自由だ。」と言った。
その瞬間、千鶴の目に涙が浮かんだ。しかし彼女はそれを拭わなかった。ただじっと信吾を見つめ、低い声で言った。「あんた、気づいてないの?自分が何をしてるのか?」
信吾は眉をひそめた。「何が言いたいんだ。」
「大翔君、大学行ってるか?」
「行ってる。都内の私立。」
「じゃあ、何であんたの使い走りをしてるんだ?今日も見かけたよ。大翔君がコンビニでバイトしてるのを。」
信吾は笑った。「ちょっとした小遣い稼ぎだろ。大学の空き時間に。」
千鶴は首を振った。「あんた、大翔君のインスタ見たことあるか?」
「そんなもの見る必要があるか。息子の生活は俺が一番知ってる。」
千鶴はポケットからスマホを取り出し、一枚の写真を画面に映して信吾の前に差し出した。信吾はそれを一瞥した。写真には大翔が写っていた。外国のビーチで、友達数人とパーティーをしているようだった。場所がどこかは分からなかったが、日本の大学のゼミの合宿ではあり得ない背景だった。プールサイドにチェアが並び、グラスにはトロピカルカクテルのようなものが入っていた。
「これは海外よ。」千鶴が言った。「バリだったか、プーケットだったか。先月の写真よ。あんたから月に二十万、三十万、時には五十万も送ってもらってる大翔君が、行ったんだろ。」
信吾は写真をじっと見た。彼はその意味を理解しようとしたが、頭がうまく働かなかった。長距離運転で蓄積した疲労が思考を鈍らせて いた。
「あんた、大翔君に学費名目で金を送ってる。でも大学の学費は実際、貸与型の奨学金でまかなわれてるんだよ。あんたが知らないだけで。」
信吾の指がわずかに震えた。「何でお前にそんなことが分かるんだ。」
「大翔君と話したんだよ。」千鶴の声は揺れた。「あんたが夜中に走ってるのを彼は知ってる。でも気にしてないんだよ。彼は言ったんだ。『父は俺のために働くのが生きがいなんだ。働かせてあげるのが親孝行だ』って。」
信吾は立ち上がった。椅子がガタッと鳴った。店内の客が数人、視線を向けたが、信吾には関係なかった。
「もう帰る。」彼は言った。
「信吾!」千鶴が後ろから声を掛けた。「あんた、体、大丈夫か?あんたの顔、真っ青よ。」
信吾は何も答えず、ドアを押し開けて外に出た。午後の陽射しが目に染みた。彼は駐車場に停めたトラックに乗り込み、エンジンをかけた。ハンドルに手を置いたまま、彼はしばらく前を見つめた。息子の言葉が頭の中で反響した。「父は俺のために働くのが生きがいなんだ。働かせてあげるのが親孝行だ。」
信吾は笑った。乾いた笑いだった。それが息子の本心なら、自分は立派な親孝行の道具だということだ。金融機関から金を借りて、利子を払いながら、ただ息子の遊びを支えてきた。それが自分の人生だったのか。
彼はエンジンを切らず、そのまま運転席で動けなかった。しばらくして、ポケットのスマホが鳴った。また大翔からだった。今度は通話だった。信吾は出るかどうか迷ったが、結局出た。
「父さん、さっきの振り込み、まだ確認できてないんだけど。いつ振り込んでくれるの?」
信吾は唇を開いた。声が出るまでに数秒かかった。「今、時間が……少し待ってくれ。」
「いつ?今日中には振り込んでくれるよね?ゼミの幹事が締切厳しいって言っててさ。明日までに振り込まないと、キャンセル扱いになるんだって。」
信吾は目を閉じた。「分かった。今日中に。」
「ありがとう。じゃあ、また連絡する。」
通話が切れた。信吾はスマホを落とすようにシートに置いた。そして彼は、今日何度目かの計算を頭の中で始めた。消費者金融の残高、利息、今月の支払い、そして息子の追加の要求。数字が頭の中で絡まり合い、答えが出なかった。いや、答えが怖くて、出そうとしなかった。
千鶴の言った言葉がまた浮かんだ。「母の遺産を食いつぶしてるんでしょ。」彼は否定した。だが本当のところ、彼は母の遺産の通帳を開けたことはなかった。どれだけ残っているのかも分かっていなかった。ただ、息子が数字を要求してくるたび、彼は現金を作る手段を探した。それが預金の解約であれ、消費者金融であれ、関係なかった。
信吾はタバコに手を伸ばした。箱は空だった。彼はそれを丸めてダッシュボードの上に置いた。そして視線を落としたまま、何も考えないように努めた。
その夜、信吾は家に帰らず、営業所の仮眠室で横になった。暗闇の中で天井を見つめた。明日はまた、長距離便が待っている。横浜から広島。往復で十五時間。出発は明け方。
彼は目を閉じた。しかし眠れなかった。頭の中では、息子の顔と、姉の言葉と、銀行の明細書がぐるぐると回っていた。やがて、彼は一つの決断をしようとしていることに気づいた。それがどのような決断か、彼自身まだ正確には分かっていなかった。ただ、このままでは何かが壊れるという感覚だけがあった。
次の朝、信吾はいつも通り出発した。トラックのエンジンを始動し、ゲートをくぐった。しかし、今日は何かが違った。ハンドルを握る手の力が、いつもより強かった。彼はまず銀行に向かった。母の遺産の通帳を確認するために。それは彼にとって、初めて向き合う数字だった。



