「あの子は何か裏があると思っていたけど、やっぱりそうか。」
夫がそう言ったのは、はなさんが帰った後だった。私はリビングのソファに座ったまま、その言葉を何度も反芻していた。息子の嫁、はなさん。あの笑顔の裏に隠れた本性を、夫は最初から見抜いていたらしい。
私は65歳。スーパーでパートとして働き続けている。夫と2人暮らし。32歳の息子が昨年結婚し、家を出てから、静かな日々が戻ってきたと思っていた。息子が初めて連れてきた結婚相手は、3つ年下のはなさん。地元の企業の社長令嬢だ。
最初は良かった。息子が幸せそうで、私も安心した。はなさんもにこやかで、いい子が来てくれたと思った。
しかし、それは表面的なものだった。
「お母さん、これ、安物ですものね。」
家に来るなり、息子と夫がリビングで話し始めた隙に、はなさんは私だけに聞こえるようにそう言った。私が作った料理を見て、小声で笑ったのだ。
私は何も言えなかった。言ったところで、息子には見えない彼女の顔を、どう説明すればいいのか分からなかったからだ。
ぬか漬けの話になった時もそうだった。
「ぬか漬けって、自分で作るものなんですか?貧乏くさい。」
でも、息子の前ではこう言う。
「お母さんの作る漬け物、愛情が感じられて素敵ですね。」
毎朝の散歩の話も、夫の前では「仲良し夫婦で羨ましい」と言うくせに、私だけの前では「私だったらジムに行くけどね。貧乏ってかわいそう」と言い放った。
はなさんは、私と2人きりの時だけ、仮面を外す。息子や夫の前では、完璧な嫁を演じる。その二面性が、私を追い詰めていった。
私は職場の人間関係で悩んでいた時、はなさんに相談したことがあった。すると彼女は言った。
「男を手玉に取るなんて簡単ですよ。私が今までそうやって生きてきたんですから。」
女友達はほとんどいない。頼るのはいつも男友達だと言う。息子はそれを「友達と出かけている」と思っているようだが、真相は分からない。
ある日、私はパートに行こうと家を出た時、携帯が鳴った。着信ははなさんから。珍しいことだった。
「お母さん、今日暇ですよね。ちょっと宅配便の受け取りしてもらえません?」
私は驚いた。いや、驚きよりも先に、腹が立った。
「え、私、これからパートなんだけど。」
すると、はなさんは笑いながら言った。
「何言ってるんですか?ここがパートですよね。ちょっと私の要件くらい聞いてくださいよ。」
その言葉に、私はカチンと来た。
「パートとあなたの用事、どちらが大事かなんて、明白でしょ。」
そう言って、私は電話を切った。そして、パートへ向かった。しかし、その日の仕事中も、はなさんの言葉が頭から離れなかった。彼女は私を「パート主婦」と見下している。私の仕事も、私の人生も、彼女にとっては価値がないものなのだ。
数日後、私が庭の手入れをしていると、はなさんが突然訪ねてきた。息子は仕事でいないらしい。
「お母さん、この前は失礼しました。ちょっとお茶でもどうですか?」
にこやかな笑顔。まるで何もなかったかのような態度。私は警戒しながらも、家に上げた。
お茶を入れていると、はなさんが話し始めた。
「実はね、お母さん。私、こっちに引っ越してきてから、友達がいなくて。お母さんとお友達になりたいなと思って。」
私は手を止めた。何を言っているのか。彼女は私を何だと思っているのか。
「はなさん、あなた、私の前で色々言ってきたじゃない。ぬか漬けが貧乏くさいとか、私の仕事がパートだとか。」
はなさんは、くすっと笑った。
「ああ、あれですか。悪気はなかったんですよ。私、思ったことをすぐ言っちゃうタイプで。」
悪気がない。その言葉が、私の何かが切れる音だった。
「あなたが息子の前と私の前で、態度が違うことは知ってるのよ。」
はなさんの表情が、一瞬で凍りついた。そして、すぐにまた笑顔を作る。
「何言ってるんですか?お母さん、疲れてるんじゃないですか?年ですし。」
その一言で、すべてが決まった。
私は立ち上がり、はなさんに言った。
「あなたの本性が、息子にいつかバレることを願ってる。私は、あなたの仮面を剥がすために、何だってするわ。」
はなさんは、笑顔のまま、しかし目が笑っていなかった。
「面白いですね。じゃあ、私も楽しませてもらいますよ。」
そう言って、彼女は帰っていった。
それから私は、はなさんのことを調べ始めた。SNSも、友達関係も、彼女が過去に何をしてきたのかも。私は知りたくなかったのかもしれない。しかし、知らなければならないと思った。
そして、1週間後。私は息子に電話をした。
「もしもし。ちょっと話があるんだけど。」
「母さん?どうしたんだよ、突然。」
「はなさんについて、話したいことがあるの。」
息子は黙った。そして、少し間を置いて言った。
「母さん、俺も話したいことがあるんだ。今から行っていいか?」
その声のトーンに、私は嫌な予感がした。息子は何を知っているのか。はなさんが、息子に何を言ったのか。
私は家の窓から、玄関に向かって歩いてくる息子の姿を見た。その手には、何かの書類が握られていた。
「待っていた。」
私はそう呟いた。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
手に握られた書類が、この家庭をどう変えるのか。私にはまだ分からない。しかし、もう戻れないことだけは、確かだった。
さあ、扉を開ける時が来た。



