「この口の聞けぬ大所帯の目が、若様を毒殺しようと企んでおりました!」
古兵の声が中庭に響き渡った。だが、地面に膝をついて泣いていたのは、罪人の方ではなかった。若様がこの男のために頭を下げていたのだ。
なぜ、死にかけている若様が、自分の命を狙ったとされる男のために頭を下げたのか。物語はあの奇妙な雨の日へと遡る。
昔々、江戸時代のある賑わう町に、王将という不遇ながらも格式高い家の大きな屋敷がありました。大役を務めてきた家柄で、表門は高くそびえ、中庭は見事な庭園を誇っていました。蔵には米がぎっしりと積まれ、長屋には多くの奉公人が暮らしていました。
しかし、この大きな屋敷には、一つの暗い影が差し込んでいました。本家の後継ぎである若様は、二十一歳の聡明な若者で、遠方までその名が知られるほどでした。ところがある時期から、原因も分からず体調を崩し始め、今では床から体を起こすことすらできなくなってしまったのです。
奇妙なことに、薬を用いれば用いるほど、若様の容態はどんどん悪化していくばかりでした。人々は声を潜めて噂し合いました。三人もの名医が診察に来ましたが、誰一人として原因を突き止められませんでした。その言葉の端々には、口には出せない恐ろしい疑念が漂っていました。
この本家には、叔父が一人おりました。名は古兵、四十五歳で、若様の亡き父の弟に当たる男でした。繊細な絹の着物をまとい、表向きはこれ以上ないほど慈悲深い顔つきをしていました。しかし、その仮面の裏には、冷酷な本性が隠されていたのです。
古兵は、ずっと前からこの本家を乗っ取ろうと企んでいました。そのため、若様を少しずつ毒で衰弱させ、最終的には命を奪おうとしていたのです。その汚れた役目を担ったのが、手下の男でした。がっしりとした体に、深い刀傷の跡がある男で、年齢は三十八歳。古兵の影のように従い、夜な夜な薬に毒を仕込むのが、その男の役目でした。
古兵は、誰よりも若様のことを心配しているかのような振る舞いをしていました。病に伏せる若様を、涙ながらに見舞う情の熱い叔父。それこそが古兵の仮面でした。人々はそんな古兵を称賛しました。しかし、その腹の底には、どんな黒い企みが隠されていたのでしょうか。
ある雨の夜のことでした。若様の部屋に、一人の影が忍び寄りました。それは、古兵の手下の男でした。彼は静かに薬の入った小瓶を取り出し、若様の枕元に置かれた湯呑みに何かを注ぎました。
その瞬間、若様は目を覚ましました。
「何をしている?」
男は驚き、小瓶を落としました。若様は、男の手元に目をやり、毒が入っていることを悟りました。
「私を殺そうとしているのか?」
男は何も答えず、ただうつむきました。若様は、静かに言いました。
「お前は、叔父の命令で動いているのだろう。だが、お前は本当にそれを望んでいるのか?」
男は顔を上げ、何かを言いかけて、しかし言葉を飲み込みました。若様は続けました。
「私が死ねば、叔父がこの家を乗っ取る。そうすれば、お前はどうなる?彼はお前を信用し続けると思うか?お前は、ただの捨て駒に過ぎないのだ。」
男の目に、わずかな揺らぎが走りました。若様は、その男に言いました。
「もしお前が真実を話すなら、私はお前を許そう。この場にいる誰にも、お前が毒を仕込んだことを話さない。ただ、真実を話してほしい。」
男は、長い沈黙の末、ついに真実を語り始めました。それは、古兵が若様を毒殺する計画を立てていたという事実でした。
翌朝、若様は古兵を呼び寄せました。古兵は、いつもの慈悲深い顔で現れました。
「若様、ご気分はいかがですか?」
若様は、冷たい目で古兵を見つめました。
「叔父上、あなたの企みはすべて知っています。あなたが私を毒殺しようとしていたことを、この男が証言しました。」
古兵の顔色が、一瞬で変わりました。しかし、すぐに怒りに染まり、手下の男を指差して叫びました。
「この男が若様を独殺しようと企んでいたのです!私がずっと見張っていたのです!」
これが、あの中庭での古兵の叫びの真相でした。古兵は、手下の男を犠牲にして、自分の罪を隠そうとしたのです。
しかし、若様は古兵の言葉を信じませんでした。彼はゆっくりと立ち上がり、古兵の前に歩み寄りました。
「叔父上、あなたの本性は、この男の証言だけでなく、あなたの手にある傷で十分です。あなたの指には、毒を調合した際の跡があります。」
古兵は、自分の手を見つめ、青ざめました。若様は続けました。
「私は、この男に代わって頭を下げます。彼は本心では私を殺すつもりはなかった。あなたに脅されていただけです。」
若様は、地面に膝をつき、手下の男に頭を下げました。人々は、その光景に驚き、息を呑みました。
「若様、なぜですか?」
若様は、顔を上げて言いました。
「彼は罪を犯したが、真実を話した。私は、その勇気を称えたい。そして、あなたがたには、この男を許してほしい。」
古兵は、自分の計画が完全に崩れ去ったことを悟り、その場に崩れ落ちました。
こうして、若様は一命を取り留めました。古兵は捕らえられ、罰せられました。そして、若様は、この屋敷を正しい道に導いていくのでした。
あの頭を下げた姿は、人々の記憶に深く刻まれました。それは、真の強さが、他人を許す心にあることを教えてくれたのです。



