内定式の会場で、人事課長の佐々木が名簿を見ながら名前を呼んでいた。「おお、君はS大学卒か。私もそこの卒業生だ。後輩だな。期待しているぞ」
しかし、次の名前を呼んだ瞬間、課長の顔から笑みが消えた。「ふん。地方の田舎大学か。いくら大卒でも、そんな大学なら誰でも卒業できるだろう」
呼ばれた新入社員は困惑した表情で愛想笑いを浮かべるしかなかった。その後も課長は地方大卒や専門卒の社員を見下すような発言を繰り返し、大卒の社員には笑顔で話しかけ続けた。
俺はその様子をただ黙って見ていた。中卒の俺が呼ばれたら、どんな嫌味を言われるのか。覚悟はしていたつもりだったが、それでも憂鬱な気分になった。
やがて課長が名簿から顔を上げて言った。「さて、これで全員呼ばれたな。呼ばれていない人はいるか?」
俺は手を挙げて声をかけた。「あの、すみません。まだ呼ばれていないんですが」
課長はちらりと俺を見て、名簿に目を落とした。しかし、何も言わずに視線を上げると、何事もなかったかのように話を続けた。「ではこれから部署を回って業務説明を行う」
俺は再び声をかけた。「あの、すみません。中途採用の木月と言いますが、名前が呼ばれなかったのですが」
課長はまた俺を無視して、他の社員に向かって言った。「では、あそこのドアから出る。全員私の後についてこい」
俺は仕方なく課長の近くまで行って声をかけた。「課長、すみません」
「なんだ、お前は?うるさいぞ」ようやく振り向いた課長は、明らかに迷惑そうな顔をしていた。
「すみません。でも、今名前が呼ばれなかったので」
「お前みたいな中卒は、この会社に必要ないと思って呼ばなかったんだ。それくらい察しろ」
「でも、ちゃんと合格通知はもらいましたし」
「社長や採用担当者が決めたことだ。俺は納得していない。中卒を中途採用するなんて、この会社の恥でしかない」
俺は何も言い返せずに固まってしまった。課長はため息をついて続けた。「俺は中卒なんかを案内する気はない。だからお前は勝手に後ろからついてこい。これ以上手間をかけさせるな」
さすがに我慢できずに反論した。「いくら中卒だからって、無視はやりすぎじゃないですか」
課長はニヤリと嫌な笑みを浮かべて言い放った。「中卒のくせに生意気だな。いつでも内定取り消しできるぞ」
周りの新入社員たちはひそひそと何かを話し合っていた。課長は満足そうに鼻で笑うと、列の前の方へ歩いていった。
俺は悔しさと屈辱で胸が張り裂けそうだったが、言われた通り列の一番後ろで案内について回るしかなかった。それでも頭の中は課長の言葉でいっぱいだった。
「あそこまで露骨に嫌がらせを受けて、この先この会社でやっていけるのだろうか」
同じ部署にならない可能性は高いが、同じ会社にいる限り顔を合わせることはある。それに、内定取り消しだと脅すような人がいる会社で働きたいとは思えなかった。
案内が終わり解散になった瞬間、俺は人事部へと向かい、内定を辞退する旨を申し出た。
「みさには申し訳ないけど、ストレスを感じながらじゃ良い仕事はできない。帰ったら謝って、今後のことを相談しよう」
落ち込んだ気持ちで家に帰った俺は、みさに話をした。みさは驚いていたが、俺の決断を理解してくれた。
「あなたなら大丈夫よ。一緒に何とかしましょう」
数日後、俺は前の会社の社長に相談し、自分で会社を興すことを決めた。前の会社で開発したシステムを自ら売り出すことにしたのだ。
前の会社の社長の紹介で、そのシステムを導入した会社から高い評価を受けることができた。やがて、中卒で起業して成功したプログラマーとして、テレビのインタビューを受けることになった。
その頃、俺の内定辞退を知った新しい会社の社長は、人事課長の佐々木を呼び出していた。
「佐々木君、先日の内定式で木月君の態度が悪かったせいで、内定を辞退されたそうじゃないか」
「き、木月ですか?ああ、あの中卒の中途採用のやつですか」
「近くに内定辞退を申し入れに来た時、彼は学歴を理由に無視されたり、ひどい言葉を言われたりしたと言っていた。本当なのか?」
「まあ、でも良かったじゃないですか。中卒なんかがこの会社に入っても、周りの足を引っ張るだけですし」
「じゃあ、君は会社のことを思ってやったことだと言うんだな」
「もちろんです。我が社に中卒なんて必要ありません」
社長は静かに課長を睨むと、テレビの電源を入れた。画面には、俺がインタビューに答えているニュースが映し出されていた。
課長はポカンとした顔で固まり、画面に釘付けになった。自分が大きな過ちを犯したことに気づいたのだ。
その日の午後、俺が家で家族と過ごしていると、携帯が鳴った。画面には、内定を辞退した会社の番号が表示されている。
「もしもし」
「木月君か。私だ。人事課長の佐々木だ」
「あ、どうも。どうしたんですか?内定は辞退したはずですが」
「じ、実はな、その件なんだが、君をまた雇ってあげようと思い直してな」
「え?」
「君、かなり有能な人材らしいじゃないか。ニュースを見たぞ」
ああ、あのインタビューの放送か。俺は納得した。
「すみませんが、課長のいる会社には入りたくないので、雇い直してもらわなくて結構です」
「ま、まあまあ、そう言わずに。我が社なら君のシステムをもっと広めることができるんだぞ」
「中卒の俺にできる仕事くらい、大卒の社員がたくさんいるそちらの会社なら朝飯前でしょう」
「そ、それがなかなかそうもいかなくてな」
「別に駄々をこねているわけじゃないんです。なぜそんなに食い下がってくるんですか。中卒なんて会社の恥ですよね」
課長は口ごもりながら事情を説明し始めた。どうやら、俺が内定を辞退したことが課長の責任だと知った社長が、俺に戻ってくるよう説得しろと命じたらしい。説得できなければ、責任を取らせると言われているようだ。
つまり、課長は自分の保身のために必死になっているだけだ。自分の態度を反省しているわけではない。
「残念ですが、俺はもう起業して仕事を受注しています。そちらの会社に入社することはできません」
「そ、そんな。まだ起業して数日だろ。仕事なんてないはずだ」
「口コミで広がったみたいで、かなり忙しくなっていますよ」
「それなら、うちの会社に来てから今の会社の対応をすればいいじゃないか」
「そもそも、課長の態度に腹が立って辞退したんです。戻る気はありません」
「お、お前、俺が下手に出てるからって調子に乗りやがって」
急に怒鳴り始めた課長に嫌気がさした俺は、言い放った。「そういうことですから、これ以上電話しないでください。迷惑ですから。失礼します」
そう言って電話を切り、着信拒否した。後日、新しい会社の社長に謝罪の連絡を入れ、課長から謝罪はなかったことも伝えておいた。
それから数日後、新しい会社の社長から電話があった。「佐々木は責任を取らされて平社員に降格となり、地方の支店に左遷されたよ」
どうやら、左遷先でも今回の降格理由が広まっており、元課長はかなり辛い思いをしているらしい。家庭でも妻から離婚を迫られていると聞いた。
社長は俺のシステムを導入したいと言ってくれたので、俺は喜んで納品を約束した。
こうして俺は、忙しくも充実した日々を送っている。在宅での仕事が増えたため、家族と過ごす時間も増えた。これからは家族との時間や人との縁を大切にしながら、一生懸命働いていきたいと思っている。



