あそこに捨てて行け。夜が明けるまで誰にも見つかりはすまい。大晦の吹雪の夜のことでした。虫の息の女が一人、峠の地蔵に投げ捨てられました。その女がなぜそのような目にあったのか、その理由を知る者はまだ誰もおりませんでした。
その夜、小声で死ぬ思いとともに転がり込んだのは、身寄り一つない物乞いの男でございました。その手が男の裾をぎゅっと掴みます。「助けて。助けてくれたら、江戸一の無言者にしてやる」。その一夜の選択一つが、後に江戸中を揺るがす物語の始まりとなるとは、この時誰も知る由もございませんでした。
さあ、こよいの物語を始めましょう。昔々、江戸からそう遠くないある町に、安介という男が住んでおりました。住む家もなく、人々は彼をただの物乞いと呼んでおりました。幼き頃、父が身に覚えのない罪で亡くなり、彼はその日のことを片時も忘れたことがございませんでした。それ故に、安介には一つの性分がついておりました。無実の者が裁かれるのを見ると、どうしても見過ごせないのでございます。理屈ではなく、体の奥から湧き上がる想いでございました。
江戸でも指折りの豪商でございました。川を登り下りする船が、数日諸国の米と端物がその店を通っておりました。去年の冬、父が急な病で亡くなりました。私は一人、店は当然私が継ぐはずでございました。父が眠るように旅立ったあの朝、まだこれから店を盛り立てねばと思っておりました矢先のことでございました。
ところが父の傍らで二十年帳を扱ってきた番頭が、店の全てが己に譲られるという証文を携えてきたのでございます。父の花押が押されておりました。私が見たことも聞いたこともない証文でございました。
「二十年、私はこの店のために尽くしてきました。この証文はお父上からのものです」
番頭はそう言って、証文を私の前に突きつけました。私は震える手でそれを受け取り、父の花押を見つめました。確かに父のものでした。しかし、どうして父がこのような証文を残したのか、私には理解できませんでした。
「父はそんなことをするはずがありません」
「お前は何も知らない。お前の父は私にこう言ったのです。『お前が二十年でここまで来られたのは、ゆかりを飲んだからだ。あの娘が生きておれば、いつか大副長を探しに来よう。これ一つで死が二十年気づいた全てが一兆にして崩れる』」
番頭は父を撫でるように言いました。私にはそれが何を意味するのか分かりませんでしたが、何かが大きく崩れていくのを感じました。
番頭は、私を悪人だとは思っておりませんでした。私はただ、奪われたものから取り返しただけよと、そう自分に言い聞かせておりました。
「行って、改めて確かめて参れ。私をこの目で見るまでは、暗に眠ろうなどと思うでないぞ」
番頭が手下を下がらせると、私は再び筆を取りました。その顔には、満足げな意味が浮かんでおりました。
私は店を追い出され、一銭も持たずに夜の町へ放り出されました。雪がちらつき始めておりました。私は何もかも失った。父の店も、父の名誉も、そして父が最後に残した言葉の意味も。
しかし、私はこのまま黙って引き下がるつもりはありませんでした。番頭が言った「大副長」という言葉が、ずっと頭の中に残っておりました。あれは何を意味するのか。父は何を知っていたのか。私は真実を確かめるために、行動を起こす決意を固めました。
私は町を出て、江戸へ向かいました。途中、凍えるような夜を何度も越えましたが、私は決して諦めませんでした。そして、ある夜のこと、私は一人の男と出会いました。
その男は、雪の中で倒れている女を助けようとしているように見えました。私は近づいて声をかけました。
「お前、何をしているんだ」
「この女が助けを求めている。放っておけなかった」
その男こそ、後に私の運命を変えることになる人物でした。私たちは共に女を助け、その夜を共に過ごしました。
その女は、意識を取り戻すと、こう言いました。
「あなたたち、私を助けてくれたのね。私は、ある秘密を知っている。それが原因で命を狙われているの」
私は胸がざわつきました。そして、その女が語った秘密は、私の父の死にも繋がっているものでした。
「あなたの父は、私の父を陥れた者に殺されたのよ。その証拠が、ここにあります」
女は一枚の紙を取り出しました。そこには、番頭の名前が書かれておりました。私は全てを理解しました。
あの番頭は、父を陥れて店を乗っ取っただけでなく、父の死にも関与していたのです。私は怒りに震えました。しかし、力づくで挑んでも勝てません。私は、証拠を集め、正義を明らかにするために動き始めました。
しかし、私の行動は番頭に知られるところとなり、私は捕まってしまいました。番頭は私にこう言いました。
「お前の父は愚かだった。私はただ、自分のために動いていただけだ。お前も大人しくしていれば、命だけは助けてやる」
私は歯を食いしばって耐えました。しかし、その時、あの物乞いの男が現れました。彼は私を助けるために、自らの命を懸けて戦ってくれました。
その男は、実はかつて私の父に命を救われたことがあると言いました。彼は恩を返すために、私を守ろうとしてくれたのです。
私たちは二人で江戸を駆け回り、証拠を集めました。そして、ついに番頭の悪事を暴くことに成功しました。番頭は捕らえられ、店は私の手に戻りました。
しかし、私はもう昔の私ではありませんでした。私は苦しみを通して学びました。正義とは、単に敵を倒すことではない。真実を明らかにし、無実の人を救うことだということを。
私は店を立て直し、人々の助けとなるように生きることにしました。父の無念を晴らすことができたことは、私にとって大きな意味を持つものでした。
そして、あの物乞いの男は、私の最も信頼できる友となりました。私たちは共に、江戸の平和のために働きました。
物語はここで一区切りです。しかし、真実の探求は決して終わらないのです。



