「フリーのエンジニアなんて得体の知れない奴によく8年も任せてきたものだ。」
工場の部長、中西のその言葉に、8年間この会社を支えてきた俺は笑われた。俺の名は井上。35歳のエンジニアだ。特許を取った後、独立してフリーで働いている。
高校からの親友・追い川が、俺の特許を工場に導入したいと上司に掛け合ってくれたのがきっかけだった。あれから8年。俺の特許は、機械が製品を作る瞬間のミクロン単位のずれをリアルタイムで検知し、自動修正して不良品を出さないようにするシステムだ。
追い川は俺の腕を誰よりも認めてくれている。
「お前が特許を取るなんてな。俺は足がない工場勤務だから、本当に尊敬するよ。」
こいつは技術では右に出る者はいない。まさに職人だ。だが、この工場には追い川の技術を活かす場所が少なく、もったいないと感じていた。とはいえ、転職は大きな決断だ。俺たちの世代には、なかなか踏み込めないものだ。
中西部長の言葉から、俺はこの男に怒りを感じ始めた。
「いつか必ず見返してやる。」
そう心に誓った。
ある日、業界の大手企業が俺の特許に興味を持った。何件かの交渉の末、独占契約を結ぶことになった。工場へは、これまでの通り使わせるつもりだったが、俺の特許を独占契約の条件に含めることになった。工場には、俺の特許を使った機械が導入されていたが、契約を更新しない限り、新たに使うことはできない。
中西部長は慌てて電話してきた。
「おい、どうして止まらないんだ?」
「特許使用料についても見直します。売上高の15%でも20%でも構いません。」
俺は冷静に答えた。
「中西部長、すでに報道の記事をご覧になったかと思いますが、他企業と独占契約を締結しました。御社に提供することはできません。」
「お願いします。何でもしますから。」
中西の声は必死だ。しかし、俺の決意は揺がなかった。
「中西部長、昨日あなたは私の技術を軽視し、『フリーのエンジニアなんて得体の知れない奴によく8年も任せてきたものだ』とおっしゃいました。その判断の結果が今の状況です。」
電話の向こうで中西は何か言いかけたが、俺は受話器を置いた。
後日、追い川から連絡があった。
「井上、部長がなんとかならないかって言ってるんだが。」
「追い川、お前は知っているだろう。あの男が俺の技術をどう扱ってきたか。」
追い川は沈黙した。彼もまた、中西部長の言葉を聞いていたのだ。
「それに、この特許はうちの工場にとってなくてはならないものです。」と中西が口を挟む。
追い川はそれを聞いて不機嫌になった。
「君たちは親友なんだって。親友ね。そんなのはいつか裏切られるに決まってるんだよ。」
中西の言葉に、追い川は怒りをあらわにした。
「部長、あなたは井上の技術を何だと思っているんですか。8年間、この工場を支えてきたのは彼の技術のおかげです。それを『得体の知れない』と一言で片付けるとは。」
中西は顔を真っ赤にして反論したが、追い川は引かなかった。
「俺は井上の技術を信じている。あなたの言葉は間違っている。」
その場の空気は凍りついた。中西は何も言えず、やがて悔しそうにその場を立ち去った。
追い川はため息をついて、俺を見た。
「さすがに怒らせたな。だが、あの言葉は許せなかった。」
「ありがとう、追い川。お前がいてくれてよかった。」
だが、事態はまだ終わっていなかった。独占契約を結んだ大手企業は、俺にさらなる提案をしてきた。俺の特許を使った製品を、あの工場で製造させたいというのだ。つまり、中西部長の思惑とは逆に、俺の特許は工場に戻ってくることになる。
工場は、俺の特許を使うために、俺と新たに契約を結ばざるを得なくなった。中西部長は、かつて俺を嘲笑った男が、今度は俺に頭を下げることになる。
「井上さん、どうか契約を元に戻していただけないでしょうか。特許使用料についても見直します。」
俺は中西の言葉を静かに聞きながら、あの日の嘲笑を思い出していた。
「中西部長、あなたは私の技術を軽視し、『得体の知れない』と言いました。その言葉が今、自分の首を絞めています。」
中西は青ざめた。だが、俺は許すつもりはなかった。
「新しい条件を提示します。特許使用料は売上高の30%とし、私の指示なしにシステムを変更しないこと。これ以外の条件では、契約は結びません。」
中西は何かを言おうとしたが、言葉にならなかった。
「承知しました。」
ようやく中西は絞り出すように言った。
俺は追い川と顔を合わせて、微笑んだ。
「これで一区切りだな。」
追い川も笑って答えた。
「ああ、よくやったよ、井上。」
俺は工場を去ることにした。追い川も、俺の誘いに乗って転職することになった。彼の技術は、もっと評価される場所で活かすべきだと思ったのだ。
その後、俺の特許は業界のスタンダードとなり、多くの工場で導入された。俺の技術は、誰に頼まれたわけでもなく、自然と広まっていった。中西部長は、退職することになった。彼の評価は、俺の特許によって覆されたのだ。
追い川は、新しい職場で職人としての腕を認められ、大きなやりがいを見つけた。俺たちは、互いの技術を高め合いながら、それぞれの道を歩んでいった。
時々、追い川と酒を飲みながら、あの日のことを話す。
「まさか、あんなことになるとはな。」
「俺も大した奴だと思われたかったんだよ。」
「お前は十分、大したもんだよ。」
俺たちは、あの嘲笑を忘れない。だが、それ以上に、互いを信じることを忘れなかった。それが、俺たちの成功の秘訣だったのかもしれない。



