お盆に帰省してきた息子夫婦。私は朝からビールを出し、料理を作り、孫の世話をしたのに、誰一人「ありがとう」と言ってくれなかった。それでも我慢してやり過ごそうと思っていたら、嫁が私の通帳と印鑑をバッグに仕舞い込み、息子は「この家を売って、老人ホームに入ってよ」と言い出した。38年間、教育費900万円、家の頭金、3年間の孫の世話。全て捧げてきた私への仕打ちがこれ?心が張り裂けそうだった。私はそっと…

お盆に帰省してきた息子夫婦。私は朝からビールを出し、料理を作り、孫の世話をしたのに、誰一人「ありがとう」と言ってくれなかった。それでも我慢してやり過ごそうと思っていたら、嫁が私の通帳と印鑑をバッグに仕舞い込み、息子は「この家を売って、老人ホームに入ってよ」と言い出した。38年間、教育費900万円、家の頭金、3年間の孫の世話。全て捧げてきた私への仕打ちがこれ?心が張り裂けそうだった。私はそっと...

「早くビール出してよ。」

台所で冷蔵庫を開けていた私に、居間から嫁のさよさんの苛立った声が飛んできた。続いて息子の携太まで声を荒げる。「母さん、何やってるの?ビールくらいすぐ出せるでしょ。」

私は石井さん、67歳。お盆で帰省してきた息子夫婦のために、朝からずっと働きづめだった。朝食の準備、掃除、洗濯。手が震えながらも、なんとかビールをお盆に載せて居間へ向かう。息子家族が楽しそうに談笑する中、私はただ黙々とビールを配っていった。誰一人として「ありがとう」の一言もない。まるで私が透明人間になったような、そんな気持ちだった。

台所に戻ると、流しには洗い物が山のように積まれている。これも全て私がやらなければならないのか。私は召使いじゃないのに。小さく呟いた言葉は、誰の耳にも届かなかった。でも、これはまだ始まりに過ぎなかった。

私は元中学校の英語教師として38年間、子供たちの教育に携わってきた。夫を10年前に病気で亡くしてからは、女手一つで息子の携太を支え続けてきたのだ。携太のために使った教育費は900万円。私立の学費も留学費用も、全て私の貯金から出した。結婚する時には新居の頭金として300万円を援助し、初孫が生まれてからはさよさんが仕事に復帰するまでの3年間、毎日のように孫の世話に通った。来るまでに2時間かかる道のりを、雨の日も雪の日も通い続けたのだ。あの頃のさよさんは「お母さん、本当に助かります」と涙を流して感謝してくれていた。

今年のお盆。久しぶりに息子家族が寄越すると聞いて、私は心から楽しみにしていた。「今年は賑やかになりそうね。」仏壇の夫の写真に向かって、そう話しかけたものだ。孫の太陽とひまわりも大きくなったことだろう。美味しいものをたくさん作って、みんなで楽しい時間を過ごせると思っていた。冷蔵庫には携太の好きな和牛や新鮮な魚、孫たちが喜ぶお菓子をいっぱい用意していた。

しかし、息子夫婦が到着してから状況は一変した。到着早々、玄関で大きなスーツケースを抱えたさよさんが言った。「お母さん、私たち3日間泊まるからね。部屋、ちゃんと掃除しておいて。」

私は一瞬、言葉を失った。しかし、それでも笑顔で「もちろんよ」と答えた。そう返すのが私の役目だと思っていたから。携太は何も言わず、スマホをいじりながらソファに座っていた。

初日から、私は朝5時に起きて朝食を作り、みんなが起きてくる前に洗濯を終わらせた。昼食には手作りの麺を茹で、夕食には家族が好きな煮物や揚げ物を何品も作った。孫たちは私が作ったお菓子を食べながら「おばあちゃん、美味しい」と言ってくれた。その言葉だけが、私の心の支えだった。

しかし、その晩のことだ。さよさんが台所に来て、冷蔵庫の中を見て言った。「ねえ、お母さん。携太がお酒好きなの、知ってるでしょ。ビールがないから、明日買ってきてくれる?」

「あら、冷蔵庫にまだビールがあるわよ。」

「あれ、もう飲み切っちゃったよ。だって、お母さんが全然出してくれないから。」

私は言葉を飲み込んだ。さよさんは軽く笑いながら、そのままリビングに戻っていった。携太はソファでテレビを見ていた。私がビールを出した時、彼は「サンキュー」とすら言わなかった。昔はあんなに優しかったのに。夫が亡くなった時だって、彼は「母さん、俺が支えるから」と抱きしめてくれた。その時の温もりは、今やどこにもない。

二日目、私はさらに疲れが溜まっていた。朝から足が痛くて、何度も立ち止まりながら食事を用意した。それでも、誰も気づかない。昼食の後、さよさんが孫たちを連れて買い物に出かけた。携太は家で昼寝を始めた。私は静かな家に一人取り残され、流しの洗い物をしながら、ふと心が冷えていくのを感じた。

夕方、さよさんたちが戻ってきた。手には大きな買い物袋。

「ねえ、お母さん、これ持って。孫たちが食べたいって言ったから。」

袋の中には高級な惣菜やお菓子が入っていた。さよさんは私が作った料理に一度も手を付けず、その惣菜を机に並べ始めた。「今日はこれでいいわね。」私は何も言えなかった。自分の作った料理が、無言で無視された瞬間だった。

その夜、風呂上がりに居間で休んでいると、さよさんが私のスマホを手に取った。「ねえ、お母さん。この銀行のアプリ、ちょっと貸して。」

「どうして?」

「だって、私、お小遣いが足りないんだもの。携太がお母さんにお願いしなさいって言ってた。」

私は震える手でスマホを渡した。さよさんは慣れた手つきで操作し、私の貯金口座から自分の口座に10万円を移動させた。「ありがとう、お母さん。また明日ね。」そう言って、彼女は笑顔でスマホを返した。携太は何も言わなかった。ソファの上で、何食わぬ顔でテレビを見ていた。

その後も、さよさんは毎日のように私のお金を引き出した。最初は1万円、次は2万円。私は断る勇気がなく、ただ黙って見ているしかなかった。ある日、さよさんは私のタンスから私の通帳と印鑑を取り出した。「ちょっと借りるわね。また返すから。」そう言って、彼女はそれらをバッグの中に入れた。もう何もかもがおかしいと、私は思った。しかし、言い出せない。一度でも嫌な顔をすれば、もう会いに来てくれなくなるかもしれない。それが怖かった。

三日目、つまり帰る前日の夜のこと。家族みんなで囲んだ食卓で、携太が突然話し始めた。

「母さん、聞いて欲しいことがあるんだ。」

私は箸を持ったまま、息子の顔を見た。

「俺たち、タイに移住しようと思ってるんだ。」

「……え?」

携太は淡々と話した。仕事の都合でタイに転勤できること、向こうでの生活が安上がりなこと、孫たちも向こうの学校に入れること。私は呆然と聞いていた。

「それでだ、母さん。家のことなんだけどさ。今住んでいる家、売ってくれないかな。」

「家を……売る?」

「そう。売ったお金で新しい生活の足しにしたいんだ。母さんはこの家に一人で住んでわずらわしいだろ?孤老になったらどうするんだよ。老人ホームに入った方が安心だし。」

私は血の気が引く思いだった。この家は、夫と二人で何十年も暮らしてきた家。思い出が詰まった家だ。それを、息子は自分の生活のために売ろうとしている。

「嫌よ。この家を売るなんて、絶対に嫌よ。」

私が全力で否定すると、携太の表情が急に険しくなった。「母さん、わがまま言わないでよ。もう年なんだから、自分で決められないでしょ。俺が全部まとめるから、書類にサインして。」そう言って、彼は紙とペンを取り出した。

私は声を震わせた。「携太、あなた、私がどれだけあなたのためにしてきたか、忘れてしまったの?」

「またその話かよ。母さんは昔のことばっかり言うんだな。」

さよさんが横から口を挟んだ。「お母さん、私たちだって自分の生活があるんです。お母さんに頼んでもいないのに、こっちの生活のために頑張ってきたんですから。」

私は何も言えなかった。食卓の上の手紙には、家の売却に関する同意書が書かれていた。私はそれを読みもせず、ただ涙がこぼれ落ちていくのを感じていた。

翌朝、息子家族は帰りの準備を始めた。さよさんは私の通帳と印鑑を持ったまま帰ろうとしている。携太は「お母さん、後で連絡するから」と言いながら、玄関に向かった。私は現実を受け入れられず、ただ彼らの後ろ姿を見つめていた。

しかし、彼らが車に乗り込もうとした時、私は突然、声を出していた。

「待って。」

二人は振り返った。私は立っていた。震える足を踏ん張りながら、精一杯の冷静な声で言った。

「その通帳と印鑑、置いていきなさい。今日から、私がもうあなたたちのお金を出すことは絶対にありません。」

さよさんの顔色が変わり、携太も口を開いた。しかし、私はもう止まらなかった。

「私は自分の貯金でここまでやってきた。あなたたちのために、尽くしてきた。でも、もう十分よ。私はこの家で、一人で生きていく。」

二人は何か言おうとしたが、私の目を見て何も言えなかった。さよさんは渋々、通帳と印鑑をバッグから出して、玄関の棚に置いた。携太は無言で車に乗り込み、ドアを閉めた。

車が走り去る音が遠ざかっていく。私は玄関に立ったまま、しばらく動けなかった。しかし、膝に力が入らないのを感じて、その場に座り込んだ。涙が止まらなかった。寂しさと同時に、何かが胸から降りていったような、不思議な解放感があった。

あれから、私は一人でこの家で暮らしている。時々、携太から電話がかかってくるが、私は用事がなければ出ない。家を売る話は、それ以来、聞かなくなった。

今日も私は庭の草取りをしている。バルコニーからは、いつもの山の景色が見える。夫の写真に手を合わせ、私は言った。「あなた、私は、やっと自分の人生を生き始めたのかもしれない。」

その時、玄関のチャイムが鳴った。

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