私は北原恵、54歳。食品メーカーの経理課長をしている。夫の浩司は56歳で、顕在症の営業課長だ。結婚して27年になるが、子供は授からなかった。話は20年前の夏から始まる。
義父の五郎が亡くなった。64歳だった。金属加工の町工場を58歳で畳んだ人だ。厚生年金には一度も入らず、国民年金しか掛けてこなかった。年金が出るのは65歳からだから、畳んだ時に手元に残った金を崩しながらの6年だった。亡くなった時にはそれも尽きていた。義母の芳江の自分の年金が出るまでにはまだ6年あった。
49日が済んだ夜、浩司が今の畳に手をついた。
「恵、頼みがある。母さんを助けたいんだ。毎月20万送らせてほしい。」
私たちのマンションはまだローンが10年残っていた。頭金の300万円は独身時代に私が貯めた金から出した。それなのに名義は浩司になった。その時も私は何も言わなかった。浩司の給料はローンと管理費と車と付き合いで消えていた。
「じゃあ私の給料から出すわ。」
そう言ったのは私だ。誰にも強いられていない。当時の私は34歳で係長になったばかりだった。手取りは月34万円。そこから20万円を送れば残りは14万円になる。その14万円で家計をやりくりし、食費を削り、服も買わず、美容院にも行かず、20年間働き続けた。
しかし20年後の今年のお盆、私は初めて気づいた。私の存在は、この家では最初からいらないものだったのだと。
お盆の夜、座敷には義母の芳江、義妹の真理子、その夫の大輔、そして夫の浩司が座っていた。食卓には私が台所で並べた寿司、刺身、天ぷらが美しく盛られていた。しかし私の席には何もない。箸も湯のみもない。
「あら、恵さんの分はないのね。」
真理子が大トロをつまみながら言った。
私は夫を見た。浩司は寿司をつまんだまま目を上げない。
「義姉さん、運び終わったなら他人は帰れば。」
真理子の言葉に、私は凍りついた。
「そうよ、他人は帰ってちょうだい。」
義母の芳江が畳を叩いた。
私は箸置きを置き、畳に手をついた。
「わかりました。では帰りますね。」
「え、本当に帰るの?」
浩司がようやくこちらを見る。
私は頭を下げた。
「いたら邪魔でしょ。」
玄関の引き戸を閉めた。締め切った後で座敷の笑い声がまた大きくなった。8月の日差しが目を刺した。
その日から私は家を出て、アパートを借りた。浩司からの連絡はなかった。一週間後、浩司がアパートに来て言った。
「恵、帰ってきてくれ。母さんが悪かった。謝るから。」
「ごめん、浩司。私はもう他人だから。」
私はそう言ってドアを閉めた。翌日、離婚届を出した。慰謝料も養育費もいらない。ただ、私の20年が無駄にならないように、私は新しい人生を始めた。
今、私は54歳。経理課長として働き続け、趣味の陶芸に没頭している。あの家のことはもう思い出さない。私を「他人」と呼んだ人たちの顔も、もう思い出せない。



