私の名前はゆりえ。もうすぐ42歳になるパート主婦です。ついこの間まで3年間、義母の介護をしていて専業主婦でした。義母というのは、私より3歳年上の夫・京太の母親のこと。京都で結婚してから一緒に暮らしていたのですが、5年前に義父が亡くなり、一人暮らしが寂しいという義母の願いで同居を始めたのです。義母とは嫁姑問題もなく、とてもいい関係を築けていました。働き者の義母は当時、パートに出ている私の代わりに家事や子どもの世話をしてくれ、美味しい夕食を作って待っていてくれました。もちろん、私と夫の京太との関係も良好でした。綺麗な部屋、ふんわり仕上がった洗濯物、そして美味しい料理は、私たち夫婦の幸せを彩るどころか、それらがあったからこそ私たちはうまくいっていたのだと思います。
それが崩れたのは同居して2年後、義母が倒れてからです。元々心臓が弱かった義母は、義父が亡くなってから私たちの世話をすることで心を保っていたのでしょうが、それが体に大きな負担をかけていたのだと思います。大いに反省した私ですが、それを見て夫の態度が変わりました。それまでは「母さんが全部やってくれるって言ってくれてるんだから、言葉に甘えようぜ」なんて言っていたのに、急に「お前が家のことを全部母さんに押し付けたせいだろ。お前の責任なんだから、お前が世話しろよ」と浴びせてくるようになったのです。実家を立て替えようと2馬力で働くことを提案したのは京太の方だったのに。
もちろん、私が義母に甘えすぎていたのは事実でしたから、義母が倒れてすぐ私は仕事をやめました。家事全般を私がすることにし、義母が入院中は毎日病院に行って見舞いました。義母はその後も入院を繰り返すことになりましたが、私はできる限りのお世話をしました。しかしその間、京太がしたことといえば、義母が退院する時に車を出したくらい。見舞いには一度も行かなかったし、火事も全くしませんでした。服は脱ぎ散らかすし、好き嫌いが激しくて残すし、家事を増やすことばかりする。正直、あの人の本性が見えた気がしました。
3年間、私は義母の介護に明け暮れました。義母は去年の冬、静かに息を引き取りました。最期は私の手を握りながら、「ゆりえちゃん、ありがとう」と言ってくれました。その言葉だけで、3年間の苦労が報われた気がしました。しかし、義母が亡くなってから私の状況は一変します。私は介護のために仕事を辞めていたので、再就職先を探さなければなりませんでした。しかし、ブランクがありすぎて、なかなか仕事が見つからない。そんな中、夫の京太は私に冷たく当たるようになりました。「お前は何もできないくせに」と言わんばかりの態度です。
ある日、私は京太のスマホが目に入りました。画面には、若い女性とのメッセージのやり取りが表示されていました。「もうすぐ遺産が入るから、そしたら一緒になろう」という文言が目に飛び込んできました。私は血が逆流する思いでした。どうやら京太は、私に内緒で浮気をしていて、義母の遺産をあてにしていたのです。義母の遺産は、実家の土地と家、そして預金でおよそ4200万円。京太はそれを独り占めするつもりで、浮気相手との再婚を画策していたのです。
私は怒りで震えましたが、冷静になることにしました。そして、ある日京太を呼び出して言いました。「ねえ、遺産の件だけど、残念ながらあなたには半分しか入らないわよ」京太は驚いて「はあ?何言ってるんだ?」と聞き返しました。私は微笑みながら言いました。「だって私、お母さんの娘だから。遺産の半分はもらう権利があるのよ」京太は理解が追いつかない様子で、「何言ってんの?お前は嫁だろ。義理の娘だろ」と叫びました。
そこで私は、義母が遺言書を残していたことを告げました。義母は生前、私に宛てて「ゆりえちゃんへ。あなたは本当の娘のように私を大切にしてくれた。だから私の財産の半分をあなたに遺します」と書いてくれていたのです。義母は京太の本性を見抜いていたのでしょう。京太は悔しそうに顔を歪めましたが、もう遅いのです。私は弁護士を立てて、きちんと手続きを進めました。結局、私は遺産の半分、約2100万円を受け取ることができました。
私はそのお金で、小さなカフェを開きました。長年介護で培った料理の腕を活かせる、居心地のいいお店です。京太とは別居し、そのまま離婚しました。京太が浮気相手とどうなったのかは、私には関係ありません。今は自分の人生を歩んでいます。義母がくれた言葉、『ありがとう』。あの一言が私を支えてくれています。私はこれから、義母の分まで幸せに生きていこうと思っています。



