「無職なんかと結婚するわけないでしょ。あんたならちょうどいいじゃない。」
一つ違いの姉が、私の部屋の入り口に寄りかかって、スマートフォンから目も上げずにそう言った。
「ちょうどいいって、どういう意味?」
「そのままの意味。死野は地味だし、贅沢もしないし、相手が働いてなくたって困らないでしょ。」
その縁談は、元々姉に来た話だった。相手は34歳の男性で、仕事はしていないと聞かされていた。姉は見合い写真を一枚も見なかった。そして、結納の3日前、姉は家からいなくなった。
残されたのは、石鹸だけを気にする両親と、断ることを覚えないまま大きくなった私だった。
「し野、あんたが代わりに行きなさい。」
母は私の顔を見ずにそう言った。私も何も言い返さなかった。子供の頃からずっとそうだった。姉がこぼしたものを私が拾って歩く。それがこの家の決まり事のようになっていた。
けれど、あの家を出た日が私の人生を丸ごとひっくり返すことになるなんて、その時の私はまだ知らなかった。
私の名前は塔の野し野、26歳。吉見美少司という中堅の照者で営業事務をしている。仕事は伝票と請求所の付き合わせが中心だ。数字が1円でも合わないと気持ちが悪くて、合うまで帰れない。そういう地味な仕事が私には合っていた。
派手なことは何一つしていない。それでも、自分の作った書類がどこも間違っていないという一点だけが、私にとっては小さな誇りだった。
家族は父の竜一と母のせ子。それに一つ上の姉の眉。
姉は昔から人目を引く人だった。私は人の後ろに立っている方が楽な子供だった。そして26年生きてきて、私は自分のために何かを選んだことが一度もなかった。それが当たり前だと思っていたし、そのことを不幸だとも思っていなかった。
父は小さな建設会社で営業している。母は私が生まれる前に仕事をやめて、それからずっと家にいた。
うちは裕福ではなかったけれど、姉のためのお金だけはいつもどこかから出てきた。姉が高校に入る時、母は制服とバッグとコートを新品で揃えた。私の時は近所の人から回してもらったお下がりだった。制服の胸のところに小さなシミがあって、私はそこをいつも手で隠して歩いていた。
姉がピアノを習いたいと言えば教室に通わせた。私が同じことを言った時は、母は笑って首を振った。「し野はそういうの向いてないでしょ。」向いてないと決めたのは母だった。私はそれを確かめる機会をもらえなかっただけだけれど、その頃の私は母の言う通りなのだろうと思っていた。
大学は奨学金を借りていった。姉の学費は両親が出した。私が入学手続きの書類を見せた時、父は少しだけ困った顔をした。「し野は頭がいいから自分で何とかできるだろう。」頭がいいからではない。頼れないと分かっていたから、頼らない方法を先に覚えただけだ。
姉は美容の専門学校を1年でやめた。その後働いたお店も長続きしなかった。それでも両親は姉を叱らなかった。「まゆは感受性が強い子だから。」私にはその言い方がずっと腑に落ちなかった。
小学校4年生の時、姉が母の兄弟の香水の瓶を割ったことがある。姉は泣きながら私を指さした。「し野が触ったの?」私は触っていなかった。それでも母は私を叱った。「し野、謝りなさい。」おかしいと思ったけれど、口に出しても何も変わらないことはその頃にはもう分かっていた。私は謝った。振り返ると、姉は安心した顔をしていた。
その夜、私の中に妙な考えが浮かんだのを覚えている。「この家では、私が引き受けた方が早く終わる。」子供が身につけるには早すぎる知恵だったのかもしれない。
そんな家の中で、たった一人だけ私を私として見てくれた人がいる。父方の祖母の初だ。
祖母は駅から歩いて20分ほどの古い平屋に一人で住んでいた。畑を少しやっていて、玄関の土間にはいつも土のついた長靴が置いてあった。
行くと必ず何か食べさせられた。ふかしたさまいだったり、煮すぎた大根だったり、その日の畑で取れたものばかりだった。味は正直あまり上手ではなかった。それでも祖母は私が食べ終わるまで向かいの席に座ってじっと見ていた。「し野はようで食べるね。」「うん。」「ようむ子は丈夫に育つよ。」根拠のない話だと思うけれど、私はその言葉を言われるのが好きだった。
小学生の頃、母はよく私だけに使いを頼んだ。祖母の家に届け物をして、そのまま帰ってくるという用事だ。バス代は姉の分しかもらえないことがよくあった。母は忘れているのではなくて、姉のお台の方を先に数えているのだと、子供の私にもなんとなく分かっていた。だから私は帰りをいつも歩いた。50分あれば帰れる。それだけの話だと自分に言い聞かせていた。
3年生の冬だったと思う。その日は雨で、私は傘を持たずに祖母の家を出た。祖母の家から少し行ったところにバスの停留所がある。それを通りすぎようとした時、後ろから声がした。「し野。」振り返ると、祖母が傘を差して立っていた。随分急いできたようで、肩で息をしていた。「あんた、いつもここを歩いて帰ってるんかい?」「近いから平気だよ。」「近くないよ。50分だろ。」祖母は私の手を取って、握らせるように何かを渡した。使い込んだ茶色いが口の小銭入れだ。止め金のところが少しすり減って、金色がはげていた。「この中にはね、歩いて帰らなくていいためのお金が入ってる。」「もらえないよ。こんなの。」「もらうんじゃない。持っとくんだ。」祖母は私の手をパチンと閉じさせた。「いいか、しの。うちのばあちゃんはね、あんたのことを姉ちゃんの妹だと思ったことは一度もないよ。あんたはあんただ。」雨の音の中で、その言葉だけがはっきり聞こえた。
私はその日、生まれて初めてバスに乗って家に帰った。窓の外を流れる景色が、歩いている時と全く違って見えたのを覚えている。
祖母は8年前に亡くなった。79歳だった。息を引き取る前の日まで畑に出ていたと、後で近所の人から聞いた。最後にあったのは亡くなる2週間ほど前だった。大学の帰りに寄ると、祖母は縁側で豆をむいていた。私が隣に座ると、ざるを半分こちらに寄せてよこした。「し野。大学は面白いかい?」「うん。まあ、まあまあ。奨学金のこと考えると、たまに怖くなる。」祖母は豆をむく手を止めなかった。「借りた金は返せばいい。返せる仕事につけばいい。」「そんなに簡単かな?」「簡単じゃないよ。でもね、しの。」祖母はそこで初めて私を見た。「自分の食いを自分で稼ぐ人間をみともないなんていうやがいたら、そいつの方がよっぽどみともない。」私はその時意味がよくわからないまま、うんと頷いた。その言葉の意味を私が本当に分かるのは、それから随分先のことになる。
葬儀の日、姉は来なかった。予定があるからと言っていたらしい。私の手元に残ったのは、小学生の時に握らされたあのが口だけだった。それが祖母の唯一の形見になった。今も私はそれをバッグに入れて持ち歩いている。中にはあの日に残った100円玉と10円玉がそのまま入っている。けれど、バスに乗った日から先、私はその小銭を一度も使わなかった。バス代を惜しんで歩いてしまう癖が、大人になっても抜けなかったからだ。
大学を出て、見事に入って4年になる。会社は事務機器とオフィス用品を扱っている。私のいる営業事務は、営業が取ってきた仕事の伝票を作って、請求所と支払いの数字を合わせるのが役目だ。朝一番に前の日の注文を入力して、午後は納品書と請求書を付き合わせる。月末が近づくと、取引先ごとの支払いの一覧を作る。誰が見て面白い書類ではない。それでも、数字がぴたりと合った瞬間だけは、いつも少しだけ息がしやすくなった。
入社して2年目の時、私は他の部署の伝票に20形状を見つけたことがある。金額にすれば8万円ほどの話だった。上に報告したらその場では褒められたけれど、その後その部署の人からしばらく口を聞いてもらえなかった。それ以来、私は数字の間違いに気づいても、まず小柳さんに相談するようになった。正しいことを正しいというのにも、この会社では順番がいるのだと学んだからだ。
会社での私は目立たなかった。誰かに嫌われてもいなかったし、嫌われてもいなかった。飲み会の席では端の方で人の話を聞いていた。同じ課の宇まりまりさんは私の一つ上で、いつも輪の真ん中にいる人だった。悪い人ではないけれど、人のことを話題にするのが好きな人だった。もう一人、小柳よりこさんという先輩がいる。38歳で、私が入社してからずっと同じ部署にいる。小柳さんは無駄口を聞かないけれど、私が残業していると何も言わずに自分の分と一緒にコーヒーを置いて行ってくれる人だった。一度だけ、小柳さんが私にこう言ったことがある。「し野さん、あなたは仕事が丁寧だけど、丁寧すぎて損をしてるよ。」「そうでしょうか。」「人に譲るのが上手すぎるの。」私はその時笑ってごまかした。譲っているつもりはなかった。ただ、争う体力がなかっただけだ。
給料は手取りで19万円ほど。そこから奨学金の返済が毎月1万4000円出ていく。家には3万円入れる。携帯代と保険で1万円ほど。そこに姉のために作った借金の返済が月3万円乗る。食費と日用品を引くと、自由に使えるのは5万円ほどだった。
だから私はよく歩いた。会社から最寄りの駅までバスで10分かかる。歩けば40分だ。元気のいい日は歩いて、雨の日だけバスに乗る。そういう決まりを自分の中で作っていた。バス代は片道230円、往復で460円。1ヶ月にすればおよそ1万円になる。その1万円が私にはどうしても惜しかった。同僚には言わなかった。健康のためだと言えば、それで話は終わったからだ。
それでもやっていけるはずだった。実際にはそうならなかったのは、姉が時々私の部屋に来るからだ。「しの、5万円貸して。今月だけだから。」その「今月だけ」を、私は何度聞いたかわからない。断ると母が出てくる。「姉妹なんだから助け合いなさい。」前の年の秋には、姉が作った32万円の借金を私が肩代わりした。分割で返している最中だった。姉は一度も返すとは言わなかった。ありがとうとも言わなかった。それでも私はそれをどこかで仕方のないことだと思っていた。
一度だけ、我慢の限界が来たことがある。その冬、姉が私のクレジットカードを勝手に使って4万円ほど買い物をした時だ。「勝手に使わないで。」「え、そんなに怒ること?」姉は本当に不思議そうな顔をしていた。悪いと思っていないのではなく、そもそも悪いことをしたと理解していない顔だった。母が間に入ってきてこう言った。「し野、あんたが騒ぐと家の中が暗くなるでしょう。」私はそれで黙った。黙ったというより、言う相手がいないことに気づいたのだ。
夜、布団に入って天井を見ながら、私は時々あのが口を思い出した。「歩いて帰らなくていいためのお金。」けれど、誰かが私を迎えに来てくれることなんて、この先の人生にはもうないのだろうと思っていた。
その縁談が家に持ち込まれたのは、前の年の暮れのことだった。話を持ってきたのは、父の会社が長く世話になっている大島県の大島会長だ。父より20歳ほど年上で、父にとっては頭の上がらない相手らしかった。大島県は父の会社にとって、仕事の半分以上を出してくれる元受けだった。そこの会長が持ってきた話を、父が断れるはずもなかった。後で知ったことだが、大島会長と倉本さんのお父さんは長い付き合いだったらしい。会長にとってこの縁談は、亡くなった友人の息子を気にかけての話だった。悪気があったわけではない。ただ、うちの家の事情までは知らなかっただけだ。
父はその日、珍しく機嫌が良かった。「大島会長がな、うちの娘にどうかという話をくださった。」「どういう方なの?」「倉本さんという人だ。34歳。会長の古い知り合いの息子さんだそうだ。」「お仕事は?」父はそこで少しだけ口ごもった。「今はしていないらしい。」台所が静かになった。「していないって。それは無職ということでしょう。」「会長が言うには、悪い人ではないと。」「悪くなくたって、お金がなければ話にならないじゃないの。」そう言いながらも、母は断るとは言わなかった。父にとってこの縁談は、大島会長の顔を立てるという意味を持っていたからだ。父が断れないことは、母も分かっていたのだと思う。
その夜、母は姉の部屋に入っていった。しばらくして、姉の笑い声が廊下まで聞こえてきた。「無職?冗談でしょう。」「一度会うだけでいいのよ。」「会わないよ。写真も見ない。」それから2週間ほど、家の中は妙な空気だった。姉は見合いの書類を封筒に入れたまま机の上に放っていた。母は毎日それを片付けては、また同じ場所に戻していた。
その間に一度だけ、姉が私の部屋に来た。入り口に寄りかかって、スマートフォンから目も上げずに「あんたが行けばちょうどいいじゃない」と言った。どういう意味かと聞くと、「し野は地味だし、贅沢もしないから」とだけ返して、姉は部屋を出ていった。その時は姉らしい冗談だと思っていた。
正月が開けて、結納の日だけが先に決まった。姉が承知したわけではない。父と大島会長の間で話が進んでいっただけだ。そして、結納の3日前の朝、姉の部屋のドアが開けっぱなしになっていた。クローゼットからいくつかの服がなくなっていて、机の上に髪が一枚置いてあった。「しばらく友達のところにいます。無理だから。」それだけだった。
母は泣いた。父は電話をかけ続けた。姉の電話は電源が切られていた。その日の夜、私が会社から帰ると、両親は今で待っていた。テーブルの上に、姉当ての見合いの書類が置いてあった。「し野、あんたが代わりに行きなさい。」「代わりって…大島会長にどんな顔をすればいいの?」「うちはあの会社に食べさせてもらってるのよ。」父は黙って湯のみを見ていた。ただ一度だけ顔を上げてこう言った。「しのなら分かってくれると思う。」分かってくれる?この家で私に向けられる言葉は、いつもその形をしていた。
私は自分の部屋に戻って、電気もつけずに座っていた。正直に言えば、腹が立たなかったわけではない。けれどそれ以上に私の頭に浮かんだのは別のことだった。「この家を出られる。」それは逃げだったのかもしれない。それでも、姉の借金の返済の電話が鳴るこの家から、私は一度離れてみたかった。
翌朝、私は母に一言だけ言った。「わかった。行くよ。」母はほっとした顔をして、それから急に忙しそうに動き始めた。
顔合わせは1月の終わりの日曜日だった。場所は駅前のホテルの喫茶室で、大島会長が席を取ってくれた。私は自分の大学の卒業式に買った紺のワンピースを着ていった。
倉本宗介さんは私たちより先に来て座っていた。濃いグレーのジャケットに白いシャツ。派手なところが一つもない人だった。腕時計はしていなかった。靴はよく磨いてあったけれど、新しいものではなかった。
「倉本のソ助君だ。親父さんの代からの長い付き合いでね。」倉本さんは立ち上がって深く頭を下げた。「倉本介です。34歳です。」「塔の野です。26歳です。」自分の声が小さいのが自分でも分かった。母が隣で何度もお辞儀をしていた。父は最初から最後までほとんど喋らなかった。
話は主に大島会長が進めた。倉本さんの受け答えは短くて、けれどぶっきらぼうではなかった。相手の言葉を最後まで聞いてから、少し考えて答える人だった。「君はね、若い頃から車が好きでね。し野さんは運転は?」「免許はありますけど、ほとんど乗っていません。」「じゃあペーパーですね。」「はい。恥ずかしながら。」「恥ずかしいことじゃないですよ。乗らない人が乗らないでいるのが一番安全です。」その言い方が少しおかしくて、私は思わず笑ってしまった。この日、自分が初めて笑ったことに後から気がついた。
「東野さんのところは、お姉さんもいらっしゃるんでしたね。」「え、まあ。」父の返事が急に短くなった。母が慌てて別の話に移した。そのやり取りを倉本さんは黙って見ていた。何も言わなかったけれど、この人は今の数秒で何かを察したのだろうと私は思った。
途中で、母が一番聞きたかったことを聞いた。「あの、失礼ですけれど、お仕事の方は。」倉本さんは表情を変えなかった。「今は会社に勤めてはいません。」「そうですか。」「暮らしていく分には困っていません。ご心配をおかけします。」母はそれ以上聞かなかった。聞いてどうなるものでもないと思ったのだろう。
帰り際、倉本さんは私だけを見てこう言った。「今日はありがとうございました。一つだけ言っておきます。嫌なら断ってください。断って困る人は、俺の方にはいません。」私はその時うまく返事ができなかった。断っていい。そんなことを言われたのは初めてだった。
結局、断らなかった。断ったところで、私の帰る場所はあの家しかなかったからだ。
結納は、姉がいなくなった時点で流れていた。そこはもういいと大島会長が言ってくださったのだと、後で父から聞いた。婚姻届けを出したのは2月の第1週だった。式はあげなかった。倉本さんが大げさなことはしなくていいと言い、両親もそれ以上望まなかった。ホテルの個室で両家の食事会をしただけだ。姉は最後まで戻ってこなかった。
食事会の席で、母は何度も「二人の娘ですが」と繰り返した。倉本さんの側の出席者は大島会長ただ一人だった。ご両親は亡くなっていて、兄弟もいないと聞いていたから、それは仕方のないことだった。料理が運ばれてくる間、大島会長がぽつりと言った。「宗介君のお父さんはな、わしの一番の飲み友達だった。」「そうでしたか。」「あの人はな、わしが会社を潰しかけた時に、ただ一人金の話をしなかった男だ。」倉本さんは黙って手元に目を落としていた。その時、私はこの人の家にも私の知らない長い時間があるのだと初めて思った。
新しい住まいは、電車で30分ほど行った町の3階建てのマンションだった。築20年くらいだろうか。エレベーターはあったけれど、動く時に小さく音がした。部屋は3つあって、その他に広めの今と台所が付いていた。それなのに家具は少なかった。テレビは古い型で、ソファーもない。台所の鍋は使い込まれていて、持ち手の塗装がはげていた。人の使う部屋はどこも掃除が行き届いていた。窓の桟に誇りがなかった。台所の流しには水滴一つ残っていなかった。
一つだけ、他と様子の違う部屋があった。北向きの6畳の部屋で、そこには古い本棚と机が置いてある。本棚には背表紙のない黒い表紙のノートが何十冊も並んでいた。「これ、何ですか?」「父のです。」「お父様の?」「12年前に亡くなりました。捨てられなくて、そのままにしてあります。」それ以上は聞かなかった。聞いてはいけない気がした。私は正直、拍子抜けした。無職の人の家がどんな風なのか勝手に想像していたけれど、ここは質素で片付いた家だった。
荷物を置いたその日の夜、私は台所で頭を下げた。「あの、すみませんでした。」「何がですか?」「本当は姉に来た話でした。姉が逃げて、それで私が代わりに来ました。ご迷惑だったと思います。」言いながら、自分で惨めになった。代わりの品物を渡しに来たみたいだと思った。倉本さんはしばらく黙っていた。それから湯のみを2つ出して、片方を私の前に置いた。「君が謝ることじゃない。」「え?」「逃げたのはお姉さんでしょ?頼んだのはご両親でしょ。君はどっちもやってない。」私は顔を上げられなかった。この家に来るまで、私は自分の身に起きたことをずっと自分のせいのように感じていた。姉が逃げたのも、両親が困っているのも、どこかで私が引き受けるべきものだと思い込んでいた。「お茶、暑いから気をつけて。」「はい。」湯のみは温かかった。私はそれを両手で持って、しばらくそのまま座っていた。
それから倉本さんは家の中のことを一通り説明してくれた。ゴミの出し方。給湯機の癖。エレベーターの音のこと。「部屋は好きな方を使ってください。俺は奥にいます。」「あの…はい。」「私たちは、その…」言いかけて、言葉に詰まった。「急がなくていいです。籍を入れたのは事実だけど、今はそれだけです。君が嫌なことは何もしません。」「はい。」「おやすみなさい。」その夜、私は暗い部屋の中でなかなか眠れなかった。心ついてから、私はいつも誰かの都合で動いてきた。それなのに、その日会ったばかりの人が私の都合を先に聞いた。布団の中で、私はバッグから出したが口を握っていた。
新しい暮らしは、思っていたより静かに始まった。倉本さんは朝が早い人だった。私が6時に起きると、台所にはもう明かりがついている。初めての朝、私が台所を覗くと、彼は味噌汁を作っていた。出汁を引く匂いがしていた。「あの、私がやります。」「もう作りました。座ってください。」「でも…」「先に起きた方が作る。それでいいでしょ。」食卓に並んだのは、味噌汁と焼き魚と漬け物と白いご飯だけだった。派手なものは何もない。それなのに、私は最初の一口で箸が止まった。出汁がきちんと引いてあった。魚は皮までパリッと焼けていた。私が誰かの作った朝ご飯を食べるのは、何年ぶりだろうと思った。「口に合いませんか?」「いえ、美味しいです。」「そうですか。」彼はそれだけ言って、自分のご飯を食べ始めた。褒められて喜ぶわけでもなく、当たり前のことのように受け流す人だった。
その日、私はいつもの時間に家を出た。玄関で靴を履いていると、後ろから声がかかった。「今日も会社ですか?」「はい。仕事は続けます。」「無理しなくていいですよ。」「大丈夫です。働かないと生活できませんから。」そう言って笑って見せた。私なりの気遣いのつもりだった。夫が働いていないのだから、せめて自分の食いは自分で稼ぐ。そうでなければ、この家にいる理由がない。倉本さんは何か言いかけて、それを飲み込んだように見えた。結局、こう言っただけだった。「行ってらっしゃい。」「行ってらっしゃい」と言われたのも久しぶりだった。実家では誰も私にそれを言わなかった。
会社までは電車を乗り継いで50分ほどかかるようになった。それまでより20分長い。それでも私は苦にならなかった。朝の電車の中で、私は自分が少しだけ身軽になったような気がしていた。
倉本さんが日中に何をしているのか、私はしばらく知らないままだった。家にいる日もあった。夕方から出かけて、夜の10時を回ってから帰ってくる日もあった。帰ってくると、彼はまず手を洗った。随分念入りに洗った。一度だけ、その手を近くで見たことがある。指の関節が太く、爪の際に黒いものが残っていた。かすかに油のような匂いがした。「無職だと聞いていた人の手ではないな」と私は思った。けれど聞かなかった。聞いてはいけない気がするのは、あの北向きの部屋の時と同じだった。
3日目の夜、彼は封筒を私の前に置いた。「今月の分です。」中には現金が入っていた。数えなくても厚みでわかった。私が働いて手にする1ヶ月分より、明らかに多かった。「こんなにいただけません。」「生活費です。もらってください。」「でも、お仕事は…」言ってしまってから、私は口を継ぐんだ。行ってはいけないことを言った気がした。倉本さんは怒らなかった。少しだけ黙って、それから静かに言った。「金の出所が気になるなら、使わないでいい。ただ置いておいてください。困った時に手元に何もないのはしんどいですから。」私はその封筒から2万円だけ抜き取って、残りは食器棚の引き出しにしまった。引き出しにしまった分には手をつけないまま、私は会社に通い続けた。
その週の土曜日、私は初めて台所に立った。作ったのは肉じゃがだ。祖母がよく作っていた味を思い出しながら作った。祖母のは煮すぎていて、いつも角が崩れていた。私のもやっぱり崩れた。「これ、崩れてますね。すみません。」「いや、うまいです。」彼は本当にご飯を3杯食べた。食べ方が丁寧な人だった。さらに何も残さなかった。「そんなに食べてくれる人、初めてです。」「作ってもらったものを残す理由がないので。」食べ終わってから、彼は自分で食器を洗った。私が「変わります」と言うと、こう返ってきた。「作った人が洗うのは割に合わないでしょう。」「そういうものですか?」「そういうものです。」この言い方に、私はまた驚かされた。この家では、当たり前が私の知っている当たり前と違っていた。
食後にお茶を飲みながら、彼は私の仕事のことを聞いた。「会社ではどんな仕事?」「営業事務です。伝票を作ったり、請求書と支払いの数字を合わせたり。」「数字を合わせる。」「はい。1円でも違うと気持ちが悪くて、合うまで帰れないんです。だから残業が多くて。」「それはいい仕事です。」「地味ですよ。」「地味じゃない。数字が合ってるかどうかを見る人がいるから、周りが安心して仕事できるんです。」私は湯のみを持つ手を止めた。自分の仕事を「いい仕事」だと言われたのは、社会に出て4年で初めてだった。上司はいつも「もっと早く、もっと数」としか言わなかった。
「倉本さんは、そういうお仕事をされていたんですか?」「昔、近いことをやっていた人を知っています。」彼はそこで話を切った。彼は自分のことになると、いつも半歩下がるような答え方をした。「ご家族は?」「父は12年前に、母はその2年後です。」「すみません。」「謝ることじゃないです。もう随分経ちました。」「ご兄弟は?」「いません。だからこの家は長いこと一人でした。」言い方は淡々としていた。それでも、私はその一言の中に長い時間があることを感じた。
次の日は日曜だった。私たちは近くのスーパーへ買い物に行った。歩いて10分ほどの古い商店街の中にある店だ。倉本さんは牛乳の値段を棚の端から端まで見比べていた。10円の差で別の銘柄を取った。「そういうところを見るんですね。」「見ますよ。金はあるかないかより、使い方だと父に言われました。」「お父様、厳しい方だったんですか?」「厳しくはなかったです。ただ、言うことがいちいち重かった。」彼は少し笑った。この人が笑うのを、私はこの時初めて見た気がする。帰り道、荷物は全部彼が持った。私が半分持とうとすると、彼は袋を持ち帰ってこう言った。「俺は荷物を持つのが仕事みたいなものなので。」その時は冗談だと思った。
昼を過ぎてから、私たちは自転車を直した。マンションの駐輪場に、前の住人が置いていった古い自転車があったのだ。倉本さんはそれを管理人さんに断った上で引き取って、工具を出してきた。「これ、まだ乗れます。錆だらけですけど。」「錆は表だけです。中が生きていれば治る。」彼は日の当たる場所に座って、チェーンを外して洗い、ブレーキのワイヤーを張り替えた。手の動きに迷いがなかった。私は隣でしゃがんで、それをずっと見ていた。「上手ですね。」「昔、整備の人にみっちり教わりました。運ぶ道具の面倒を見られない人間は、人を運んじゃいけないと言われて。」「人を運ぶ?」「まあ、物の例えです。」彼は少し慌てたように言い直した。この人は嘘が下手だなと私は思った。夕方には自転車は走るようになった。私が試しに乗ってみると、思ったよりずっと軽かった。駐輪場を一周して戻ってくると、彼が笑っていた。「乗れるじゃないですか。」「自転車は乗れます。」「じゃあ、雨の日以外はそれで駅まで行けますね。」「ええ。」その一言が私は嬉しかった。彼は私に車を買い与えたわけでも、タクシーを使えと言ったわけでもない。ただ、私が歩いている時間を少し短くしようとしてくれた。
その夜、彼はもう一度あの言葉を言った。「仕事、無理しなくていいですからね。」「大丈夫です。」「大丈夫という人が一番危ないんです。」「そうでしょうか。」「そうです。父がそうでした。」「お父様は何かあったんですか?」「働きすぎて心臓をやりました。58歳でした。」「そうだったんですか。」「本人はずっと大丈夫だと言っていました。倒れる3日前も、いつも通り車を出していた。」彼は湯のみの縁を指でなぞっていた。「だから俺は、大丈夫という言葉を信用しないことにしています。」私はその時、自分がこの何日かで何度その言葉を使ったかを数えていた。彼はそう言って湯のみを片付けた。その背中を見ながら、私は自分の中で何かが動いているのを感じていた。
週が開けた月曜の夕方だった。私が自転車で駅からマンションに戻ると、建物の前で倉本さんが誰かと立ち話をしていた。相手は初老の男の人だった。白いシャツにネクタイをきちんと締めて、その上に紺のジャケットを着ている。背筋がまっすぐで、姿勢のいい人だった。私が近づくと、その人はこちらを見て深く頭を下げた。頭の下げ方が普通ではなかった。腰から折るような、綺麗なお辞儀だった。「こんばんは。」「こんばんは。失礼いたします。」そう言って、その人は歩いて行ってしまった。「近所の方ですか?」「昔からの知り合いです。」「随分丁寧な方ですね。」「あの人はどこでもああです。」世の中には礼儀の正しい人がいる。それだけのことだと思った。
会社で噂が回り始めたのは、結婚して1週間ほど経った頃だった。出所は多分、母だ。母は親戚に電話をかけまくって、姉が逃げたことを弁解して回っていた。その親戚の一人が、うちの会社の別の部署の人と知り合いだったらしい。火曜日の昼休み、給湯室で麦茶を入れていると、後ろから声がした。「し野さん、結婚したんだって。おめでとう。」「ありがとうございます。」「旦那さん、何してる人なの?」手が止まった。嘘をつくのが下手なのは自分でも分かっている。「今は勤めてはいません。」「勤めてないって、無職ってこと?」「そういう言い方もできると思います。」宇みさんは一瞬だけ目を丸くして、それからすぐに笑った。「へえ、すごいね。し野の。」「すごいね」という言葉が褒め言葉ではないことくらい、私にも分かった。
午後には、話は課の全員に広がっていた。私が席を立つと、後ろで小さな笑い声が起きる。戻ると声が止む。そういうことが3回あった。夕方、営業から戻ってきた男性社員が私の机の前で足を止めた。「し野さん、旦那さん、昼間何してんの?」「家にいることが多いです。」「いいなあ。俺も養われてえわ。」周りが笑った。私は笑えなかった。笑えないことが、また笑いを呼んだ。
その日の夜、実家から電話がかかってきた。母だった。「しの、元気にしてる?」「うん。」「あのね、まゆが帰ってきたのよ。」私は返事をしなかった。「あの子も反省してるみたいでね。これでね、家計がちょっと苦しくて…いくら?」「10万でいいの?すぐ返すから。」その言い方も、私は何度聞いたかわからない。「今は無理だよ。」「無理って、あんた結婚したんでしょ?」「相手の人は働いてないの、知ってるでしょ?」「じゃあ、余計にあんたが稼がなきゃいけないじゃない。」その理屈が、私にはどうしても通らなかった。私が稼いだお金は、なぜ私のものにならないのだろうと思った。「ねえ、し野。冷たくなったよ。」冷たい。そう言われて、私は少しだけ息が楽になった。冷たいと言われるほどの拒み方を、私は初めてしたのだ。
翌日の朝礼の後、戸田課長が私を呼び止めた。戸田課長は総務と経理を兼ねている40代の人で、いつも髪をきっちり固めて、革靴の音を立てて歩く。社内では出世頭ということになっていた。「し野さん、結婚したんだって。」「はい。」「まあ、うちは共働き歓迎だから、むしろ助かるよ。旦那さんが稼がない分、あんたがやめないでくれるってことだからな。」そう言って、彼は自分の冗談に自分で笑った。「はい。」「あ、そう、そう。姉さんが逃げた話も聞いたよ。大変だったね。」そこまで伝わっているのかと思った。顔が熱くなった。「まあ、こういう言い方は悪いけどさ、姉に逃げられた男と結婚とか、罰ゲームみたいなもんだよな。」私は何も言えなかった。
その日、私は昼ご飯を食べなかった。屋上に上がって、コンクリートの縁に座って、昼休みの間ずっとそうしていた。自分のことを笑われるのは、正直に言えば慣れていた。子供の頃から姉と比べられて、大人になってからも目立たない人間として扱われてきた。悔しくないと言えば嘘になる。それでも、そこは私がずっと立っていた場所だった。けれど、あの人のことを言われるのは違った。「罰ゲーム。」その言葉が耳から離れなかった。あの人は私に一度も声を荒げていない。朝ご飯を作って、「行ってらっしゃい」と言って、私が作った崩れた肉じゃがを「うまい」と言って残さず食べた。それでいて、何一つ押し付けてこない。まだ10日も一緒にいない。それでも、私にはあの人が優しい人だということが分かり始めていた。
その後、私が何をしたかと言うと、何もしなかった。言い返せばよかったのだと思う。「あの人を悪く言わないでください。」その一言が、どうしても出てこなかった。その日、私は自分の弱さをはっきり見た気がした。
屋上から降りて席に戻ろうとした時、コピー機の前に人が集まっているのが見えた。「だからさ、昼間何してるのって誰かが聞いたらさ、家にいますって。」「え、ずっと?ご飯とか作ってもらってるのかな?主婦ってこと?それならまだいいけどさ。」「どうだろうね。し野さん、そういうの話さないから。」私が近づくと、話し声がぴたりと止んだ。宇みさんが振り返って、明るい声を出した。「あ、し野さん、ごめんね。今ちょうど噂してた。」「そうですか。」「悪気はないの。本当にただ心配でさ。」心配?その言葉を使う時、人は自分が悪いことをしていないと思える。私は黙ってそれを聞いていた。そこで一言、「あの人はそんな人じゃありません」と言えばよかったのだけれど、私にはそれが言えなかった。私自身、夫が何者なのか説明できなかったからだ。自分の夫のことを何一つ説明できない。その事実の方が、笑われたことよりも重かった。
その日の夕方、私はコピー室で宇みさんと二人になった。「し野さん、さっきのこと気にしてる?」「いえ。」「ならいいんだけど、悪気はないから。」「はい。」「うちの旦那もね、去年ちょっと仕事変えててさ。だから、他人事じゃないなって思ってて。」私は少し驚いて彼女を見た。宇みさんは笑っていたけれど、その笑い方はいつも輪の真ん中でしているものとは違っていた。「まあ、なんていうか…うん。頑張ってね。」その日、私は初めて、この人も何かを抱えているのかもしれないと思った。それでも、言われたことが消えるわけではない。私は「はい」とだけ答えて、コピーの束を持って部屋を出た。
席に戻ると、机の上に缶コーヒーが置いてあった。小柳さんが自分の書類を見たまま言った。「し野さんの言うことは、半分聞いて半分捨てなさい。」「分かりました。」「あの人はね、自分より下だと思った相手にしか冗談を言わないの。だから、し野さん、あなたは笑わなくていい。」「小柳さんは、言い返したことがあるんですか?」「あるわよ、一回だけ。その後3年、給料上がらなかったけどね。」小柳さんはそう言って、初めて少しだけ笑った。その缶コーヒーを、私はその日最後まで飲まなかった。両手で包むと、まだ温かかった。温かいものを机の上に置いておきたかったのだと思う。
その日から、私は昼を人のいるところで食べるのをやめた。元々節約はしていた。それでも、私は同じ課の休憩室にも行かなくなった。誰かが何かを言っているところに入っていく気にはなれなかったからだ。代わりに、私は非常階段の踊り場に座って、持ってきたお茶を飲んで昼休みを過ごした。そこは寒かったけれど、誰も来なかった。
それから、私は弁当を持っていくようになった。倉本さんが作った味噌汁の残りを水筒に入れて、ご飯と卵焼きを詰める。休憩室に行かなくていい理由が欲しかったのと、単純に節約になったからだ。「弁当持っていくんですね。」「はい。その方が体にいいので。」「そうですか。」その嘘を、彼は疑わなかった。少なくとも、その時の私はそう思っていた。
戸田課長にあの言葉を言われた日の夜、家に帰ると倉本さんが台所にいた。「お帰りなさい。遅かったですね。」「はい。ちょっと…」「何かありましたか?」「何もないです。」私は笑って見せた。随分下手な笑い方だったと思う。彼はそれ以上聞かなかった。ただ、いつもより長く私の顔を見ていた。
布団に入ってから、私はが口を握った。中の小銭を指で数えた。何度数えても、同じ枚数だった。
この何日かの間、私には一つだけ気になっていることがあった。夜中に一度目が覚めたことがある。廊下に細く明かりが漏れていた。そっと見ると、彼は机に向かって黒いノートを開いていた。ページを一枚ずつめくって、時々何かを書き込んでいた。背中が丸まっていて、その姿はどこか亡くなった人の写真を見ている人に似ていた。私は声をかけずに部屋に戻った。
結婚して9日目の木曜は、朝から雨だった。自転車は使えない。私は駅までバスに乗るつもりで家を出た。けれど、バス停の前で足が止まった。財布の中の小銭を見て、結局そのまま歩き出したのだ。この年になっても、私は高がバス代の前で立ち止まる人間だった。会社に着いた時、パンプスの中はぐっしょり濡れていた。一日中、足の指が冷たかった。
その夜、家に帰って玄関で靴を脱ぐと、倉本さんが廊下に立っていた。「お帰りなさい。」「ただいま。」彼は私の足元を見た。濡れて色の変わった靴と、張り付いたストッキングが目に入ったはずだ。「雨、ひどかったですね。」「はい。でも平気です。」「風呂は開いてます。先に入ってください。」「ありがとうございます。」彼はその時、バスのことも傘のことも何も言わなかった。私は湯舟に浸かりながら、少しだけ情けなくなった。あの人の家にいながら、私はまだ230円のために雨の中を歩いている。それは意地なのか癖なのか、自分でも分からなかった。
風呂から上がって廊下を歩いていると、彼が誰かと電話をしている声が聞こえた。「その条件は受けなくていい。深夜の待機を無償でというのは通らない話です。人が壊れます。うちの人間に何かあってからでは遅い。断ってください。責任は俺が持ちます。」短い電話ではなかった。どこか遠くの営業所の話のようだった。彼は奥の部屋に入ったまま、続けて別の相手に電話し直したようだった。「うちの人間。」その言い方が耳に残った。働いていないと聞かされた人の口から出るには、あまりにも重い言葉だった。
その頃の私にとって、あの人はただ味噌汁を作って、静かに人の話を聞く人だった。彼の電話はまだ続いていた。手持ちぶさたで、私は北向きの部屋の掃除をした。断りもなく人の部屋に入るのは良くないと分かっていた。それでも、あの部屋だけが家の中で埃をかぶっているのが気になっていたのだ。床を拭き、本棚のガラス戸を開けて、板に布を当てた。正面には触らないようにしていたのだけれど、拭いているうちに一冊が棚から滑り落ちた。開いたまま床に落ちたそれを拾い上げる時、私は見てしまった。日付、時刻、行き先、名前。それが細かい字でびっしり並んでいた。昭和の年号が書いてある。その後に、こんな走り書きがあった。「3丁目の花屋のご主人。奥様の見舞い。帰りはいつも黙っておられる。声はかけないこと。」私は手が止まった。次のページにはこうあった。「北町の坂本さん。息子さんの受験。息だけ窓を少し開ける。緊張されてるとのこと。」これは業務の記録のように見えたけれど、書いてあるのはどれも人のことだった。私はノートを閉じて棚に戻した。見てはいけないものを見た気がして、その日は落ち着かなかった。
電話を終えた倉本さんが、部屋の入り口に立っていた。「あの、すみません。北の部屋を掃除しました。」「ああ、ありがとうございます。」「一冊落としてしまって、少しだけ中を見ました。」彼は入り口の柱に手をついたまま、少しの間黙っていた。それから、怒るでもなく、笑うでもなく、こう言った。「見てもらってよかったです。あれは隠すようなものじゃない。」「あれは、お父様の日報です。父は車を運転する仕事をしていました。乗せた人のことを、毎日ああやって書いていた。」「運転手さんですか?」「そうです。最初は1台だけでした。」最初は1台だけ。その言い方が胸に引っかかった。「じゃあ、その後は?」倉本さんはそこで少し黙った。「その後の話は、いつかします。今はまだしません。」「どうしてですか?」「今の君に、俺のことを知っていて欲しくないからです。」その言葉の意味が、私にはまるで分からなかった。責められているようにも聞こえたけれど、彼の目はそうではなかった。むしろ、何かをこらえているような目だった。
遅い晩ご飯の時、彼はぽつりとこう言った。「父はね、一度だけ無職と呼ばれたことがあるんです。」「え?」「俺が中学生の頃です。父の車が事故に巻き込まれました。父のせいじゃなかった。それでも、取引先が一斉に離れました。半年ほど、父は仕事をしていませんでした。近所の人が母に言ったそうです。『ご主人、今は無職なんですってね』って。」彼は箸を置いた。「母は何も言い返さなかった。父も何も言わなかった。ただ、あの半年の間、父は毎朝いつもの時間に起きて、いつもの服を着ていました。仕事がないのに。母が理由を聞いたら、父はこう言ったそうです。『呼ばれた時にすぐ行ける格好でいたい』と。」私は何も言えなかった。「だから俺は、人が何をしていないかで人を図る言い方が、どうしても好きになれない。」その時、私は会社で言われた言葉を思い出した。「旦那さん、昼間何してるの?」「罰ゲームみたいなもんだよな。」顔に出たのだろう。彼が私を見た。「会社で何か言われましたか?」「いえ。」「そうですか。」彼はそれ以上追求しなかった。
私はその時、初めてはっきりと思った。この人を悪く言われるのは嫌だ。私自身が笑われるより、そちらの方がずっと嫌だ。洗い物をしながら、私は台所の窓に映る自分の顔を見ていた。情けない顔をしていた。会社で何を言われても、私は一度も「あの人はそんな人じゃありません」と言えていない。守られてばかりで、何も返していない。
倉本さんが後ろを通りかかって、ふと足を止めた。「し野さん。」「はい。」「無理に何かを返そうとしなくていいですよ。」「何のことですか?」「顔に書いてあります。」私は思わず手を止めた。「もらったら返さなきゃいけない。そう思って生きてきた人の顔です。」「そうかもしれません。」「うちでは、その決まりはなしにしましょう。」
洗い物を終えて、洗濯物を畳んでいると、倉本さんが玄関の方を見ていた。そこには、その日の雨で濡れた通勤用の靴が置いてある。もう3年履いている黒いパンプスだ。かかとのゴムがすり減って、外側だけ斜めになっていた。「その靴、だいぶ履いてますね。」「まだ履けます。」「そうですか。」彼はそれだけ言った。その目が何を見ていたのか、その時の私には分からなかった。
靴のことを言われたからかもしれない。寝る前に、私はが口を出して彼に見せた。「これは、祖母の形見です。小学生の時、私がいつも歩いて帰っているのを見てくれました。」私は金を開けて、中の小銭を見せた。「『この中には、歩いて帰らなくていいためのお金が入ってる』って、そう言われました。」彼はしばらくそれを見ていた。「使っていないんですね。」「はい。結局、いつも歩いてしまうので。」「そうですか。」彼はそれきり何も言わなかったけれど、その時彼が黙って窓の方へ目をやった顔を、私はずっと覚えている。
姉の代わりに来た家だった。逃げるようにして入った家だった。それなのに、私はこの人と過ごす夜を、いつの間にか嫌ではないと思っていた。
結婚して10日目の金曜日だった。その朝、玄関で靴を履こうとして手が止まった。前の日の雨で濡れたパンプスの中に、丸めた新聞紙がぎっしり詰めてあった。私が入れたのではない。乾かしておいてくれたのだ。中はすっかり乾いていて、履くと少しだけ温かかった。
その日は月末の前で、私は7時半まで会社に残っていた。請求書と納品書の付き合わせを最後まで終えて、数字が合ったのを確認してから伝票を戻した。コートを取りに行くと、宇みさんたちが帰り支度をしているところだった。「し野さん、今日も遅くまでご苦労様。」「お疲れ様です。」「駅まで一緒に行く?バス乗るでしょ。」「私、歩くので。」宇みさんが一瞬止まって、それから声を上げた。「歩くの?40分あるよ。」「歩くの好きなんです。」「え、この寒いのに?」「あ、もしかしてバス代?」その言葉に、周りの何人かが笑った。「偉いなあ。無職の旦那さんのために節約か。」「奥さんが稼いで、旦那さんが家にいて、すごいよね。」「本当にすごい。すごい。私には無理。」「あ、そういえばさ、うちの送迎の運転手さんたち、いつも下でずっと待ってるよね。座ってるだけでお金もらえていいな。」「あれこそ楽な仕事だよね。私も運転手さんがいい。」私は黙って鞄を持った。戸田課長がエレベーターの前から声をかけてきた。「し野さん、旦那によろしくな。たまには外に出ろって言っといて。」その一言でまた笑いが起きた。私は会釈をして、階段の方へ歩いた。
外に出ると、風が冷たかった。2月の夜の空気が首筋に入ってきた。私はコートの前をかき合わせて、鞄の中のが口を探した。指先で止め金の形を確かめた。「歩いて帰らなくていいためのお金。」祖母の声が、なぜかその日はやけにはっきり聞こえた。それでも、私は停留所を通りすぎた。歩き出したのは、多分意地だった。節約のためだけではなかったと思う。あそこで私がバスに乗ってしまったら、さっきの笑い声を認めることになる気がしたのだ。
そこから少し行ったところで、鞄の中で携帯が鳴った。画面には倉本さんの名前が出ていた。彼から電話がかかってきたのは、これが初めてだった。「はい。」「今、会社を出ましたか?」「はい、ちょうど出たところです。」「迎えを向かわせました。」私は足を止めた。「迎え?誰をですか?」短い間があった。それから、彼は一言だけ言った。「君を。」その短い返事が、うまく頭に入ってこなかった。「あの、私、歩いて帰れますから。」「知っています。君が歩いて帰れることは、俺が知っています。だから今日は乗ってください。」電話はそこで切れた。私は携帯を握ったまま、歩道に立っていた。次の一歩が、どうしても出なかった。
その時、後ろから音のしない車が近づいてきて、私の半歩先で静かに止まった。会社の正面玄関の明かりが、まだすぐそこにあった。見たことのない車だった。車体が長くて、塗装が夜の光を吸い込むように黒かった。エンジンの音がほとんど聞こえなかった。ちょうどその時、玄関から宇みさんたちが出てきた。戸田課長もいた。みんなが足を止めた。「何?役員の車じゃないよね。うちにあんなのない。」運転席のドアが開いて、人が降りてきた。制服に白い手袋。帽子を取って、脇にきちんと抱えた。私はその顔を見て、息が止まりそうになった。マンションの前で会った、あの初老の男の人だった。その人は歩道の縁で立ち止まると、私の方へまっすぐ向き直った。そして、帽子を胸に当てて、深く腰を折った。「奥様、お迎えに上がりました。」周りの声が一斉に消えた。「奥様?」「はい。」「あの、私ですか?」運転手は顔を上げて、当たり前のことを言うように頷いた。「はい。旦那様より、奥様をお迎えするよう申し付かっております。」彼は後部座席のドアを開けて、片手を屋根の下に添えた。「奥様、お乗りください。」私は動けなかった。背中の方で、誰かが小さく息を飲む音がした。戸田課長が口を開けたまま突っ立っているのが、目の端に見えた。「し野さん、それ…」私は返事ができなかった。「奥様、お寒いです。」その一言で、私の足が動いた。私は言われるままに車へ歩いて、会釈をしてから座席に座った。ドアが静かに閉まった瞬間、外の音が全部消えた。
車の中は暖かかった。革と、かすかに石鹸のような匂いがした。座席は柔らかいのに、体が沈み込まなかった。車が動き出した。動き出した瞬間が分からないくらい滑らかだった。窓の外の人たちが、立ったまま見送っていた。誰も笑っていなかった。私は膝の上で手を組んだまま、しばらく何も言えなかった。
やがて、運転席の人が前を向いたまま静かに口を開いた。「申し遅れました。私、岸本と申します。旦那様のところで運転手をしております。」「塔の野です。あ、いえ、倉本です。」「存じております。」「あの、岸本さん。一つ聞いてもいいですか?」「なんなりと。」「主人は…夫は、何者なんですか?」岸本さんはすぐには答えなかった。信号で止まった時、ハンドルに軽く手を添えたまま、前だけを見ていた。「旦那様は、肩書きで人をご覧になる方をお嫌いです。」「え?」「ですから、ご自分のことを簡単にはお話になりません。私の口から申し上げるのも、本当はないのだと思います。」「そうですか。」「ただ、これだけは申し上げます。」彼はそこで少しだけ声を落とした。「旦那様は、奥様のことを毎日ご心配になっておられました。」私は顔を上げた。「心配ですか?」「はい。奥様が会社から駅まで毎日歩いておられることを、ご存知でした。」「どうして?私、言っていません。」「靴でございます。」「靴?」「旦那様は、玄関の靴をご覧になる方です。かかとの減り方で、その人がどれだけ歩いているかが分かるとおっしゃいます。あれは、旦那様のお父上に教わったことだそうです。」私は膝の上の鞄を握った。「昨日は、玄関の靴が濡れていたと、随分気にしておられました。」「どうして?」「それは、私の口から申し上げて良いことではございません。ただ、旦那様は毎朝、玄関で少しの間立ち止まっておられます。胸の奥が詰まったけれど、今日は我慢が効かなかったのだと思います。」「今日?」「今日は、風が冷たすぎます。」私は窓の方へ顔を向けた。目の縁が熱かった。
「岸本さんは、いつからあの人のところに?」「30年になります。」「30年?」「はい。ですから、旦那様のことは大抵のことは存じております。」「大抵のこと。」「はい。ただ、一番大事なことは、旦那様ご本人からお聞きになった方がよろしいかと。」その言い方に、私はもう一度、この人はよくできた人だと思った。町の明かりが後ろへ流れていく。私はそれをしばらく目で追っていた。その日、私は生まれて初めて、誰かが自分のために出してくれた車に乗っていた。
車は駅の方へは向かわなかった。「あの、家は反対では…」「旦那様より、先によるところがあると伺っております。」15分ほど走ると、車は大きな道から折れて、広い敷地の門をくぐった。そこで私は目を疑った。夜だというのに、敷地の中は明るかった。黒い車が何十台も、寸分の狂いもなく並んでいた。同じ方向を向いて、同じ間隔で。奥には大きなガレージがあって、そこにも車が入っていた。洗車をしている人がいた。ボンネットを開けて何かを見ている人がいた。制服を着た運転手が何人も歩いていた。車が止まると、その人たちが手を止めて一斉にこちらを向いた。そして、頭を下げた。一人ではない。10人でもない。その場にいた全員が、同じ角度で腰を折っていた。私はドアが開いても、すぐには降りられなかった。「奥様、どうぞ。」私は震える足で外に出た。足の裏に砂利の感覚があった。冷たい風が頬に当たった。それでも、そのどれもが現実のことだと思えなかった。
車の列の向こうに、白い建物が立っていた。壁に大きく社名が入っている。「倉本」と読めた。正面のガレージの前に、一人の男の人が立っていた。紺色の作業着だった。袖をまくって、手にウエスを持っていた。倉本さんだった。彼は私を建物の2階の小さな部屋へ通した。古い応接室のような部屋だった。ソファーは革が少し避けていて、テーブルには湯のみの輪の跡がついていた。壁には白黒の写真が一枚だけ、額に入ってかかっていた。写真には、一台の黒い車と、その横に立つ若い男の人が映っていた。「父です。この写真を撮った時、まだ23歳でした。この車が最初の1台です。」彼は私の向かいに座って、湯のみを2つ置いた。中身は麦茶だった。真冬に冷たい麦茶を出す人なんだと、私はぼんやりと思っていた。「順番に話します。長くなります。」「はい。」「まず、俺は無職ではありません。」分かっていた。それでも、そう言葉にされると胸の辺りが冷たくなった。「ただ、嘘もついていません。」「どういうことですか?」「俺はどこの会社にも雇われていません。給料をもらっていません。会社員ではない。だから、無職と言われても間違いではないと思っていました。」「屁理屈です。」「そうですね。屁理屈です。」彼は否定しなかった。「じゃあ、ここは?」「倉本モビリティと言います。父が1台の車から始めた会社です。今はハイヤーの会社と、車両を預かって管理する会社を合わせて、全国に27社。俺はその全部を束ねる立場にいます。」数字が頭の中を素通りしていった。27という数を聞いても、それが何を意味するのか、私には見当がつかなかった。「社長さんということですか?」「代表です。まあ、同じことです。」「どうして?」私はそこで、声が震えたのが自分でも分かった。「どうして黙っていたんですか?」彼は湯のみを見たまま答えた。「29の時、父の代からの会社をまとめる立場になりました。それからです。周りにいる人間の顔つきが、はっきり変わりました。」「お父様が亡くなってから、ずっとあなたが?」「いえ、父が死んだ後の7年は、番頭格の人が守ってくれていました。俺はその間、洗車と整備と運転をやっていました。運転も。はい。今も月に何度かは自分で出ます。だから、手がこうなんです。」彼はそう言って、自分の手のひらを見せた。節の太い、傷の目立つ手だった。家で一度だけ近くで見た、あの手だった。「俺の話を聞く人が急に増えました。俺の言うことは急に面白くなりました。俺の周りに集まる人は、みんな親切でした。」彼は少し笑った。冷たい笑い方ではなかった。むしろ、疲れた人の笑い方だった。「縁談も何十件と来ました。会う前から、向こうは俺の会社の規模を調べていました。何を話しても、最後は同じところに戻る。年収はいくらですか?家はどちらですか?車は何台お持ちですか?」私は何と言えばいいのか分からなかった。「だから、ある時からこう伝えるようにしたんです。『今は勤めていない』と。それで、9割は消えました。」「試していたんですか?」「試していたつもりはありません。ただ、結果としてそうなっていました。それは認めます。」彼は初めて顔を上げて、私をまっすぐ見た。「すみませんでした。」私は何も言えなかった。腹が立っているのか、悲しいのか、自分でも整理がつかなかった。だんだん真ん中が冷えていくような感じがあった。私が思い出したのは、この10日間のことだった。味噌汁を作ってくれた朝。生活費の封筒。崩れた肉じゃがでご飯を3杯食べてくれたこと。新聞紙を詰めて乾かしてあった靴。あれは全部、本当のことだったのだろうか。それとも、私を図るための時間だったのだろうか。「一つだけ教えてください。」「はい。」「私は、合格したんですか?」言ってから、自分の声の冷たさに驚いた。彼の顔が、はっきり歪んだ。「そういう言い方をさせたのは、俺です。」「答えてください。」「合格も不合格もありません。君を採点した覚えはない。」「じゃあ、どうして今日迎えを出したんですか?」その質問に、彼はすぐには答えなかった。長い沈黙の後、彼はこう言った。「それは、今日は言いません。」「またそれですか?」「はい、またそれです。」私は立ち上がった。「少し考えさせてください。」「分かりました。」「家まで送らせます。」「歩いて帰ります。」言ってしまってから、自分でも子供じみていると思った。ここから家までどれだけあるのかも知らないのに。彼は止めなかった。「分かった」だけだった。「岸本に送らせます。あの人は、それがないと今夜眠れない人なので。」結局、私は車で帰った。岸本さんと同じ座席に座って、同じ景色を逆に見た。岸本さんは何も聞かなかった。私も何も言わなかった。家に着いて降りる時、岸本さんが帽子を取ってこう言った。「奥様、差し出がましいことを申しますが。」「はい。」「旦那様は、ご自分のことを話すのが本当に苦手な方です。それは、話して得をしたことが一度もないからだと思います。」「はい、分かりました。」「おやすみなさいませ。」
その夜、私は自分の部屋で天井を見ていた。眠れなかった。腹立たしさと惨めさと、それからどうしても消えない別の感情が混ざっていた。あの人は、私が歩いていることを靴で知っていた。黙って、濡れた靴に新聞紙を詰めていた。バスに乗れとは言わなかった。そういう人が、私を試すためだけに10日間をやり過ごしていたとは、どうしても思えなかった。
月曜の朝、私は普通に起きて、普通に会社へ行った。行かない理由が思いつかなかったのと、行かなければ何かを認めてしまう気がしたからだ。会社について、驚いた。空気が丸きり変わっていた。「し野さん、おはよう。あのさ、金曜のあの車…」「おはようございます。」「あれ、旦那さんの会社の?」「ねえ、旦那さん、何やってる人なの?もしかして、すごい人なんじゃないの?」先週まで笑っていた人たちが、私の机の周りに立っていた。戸田課長までやってきた。「し野さん、ちょっといいかな?」「はい。」「いや、大したことじゃないんだが。あの車のナンバーを見た社員がいてね、うちの車両を頼んでる会社と同じ系列じゃないかって話が出てるんだ。」「そうなんですか。」「旦那さん、そちらの関係の方?」私は答えられなかった。答えたくなかったという言い方の方が正しい。「詳しいことは、私も分かりません。」「そうか。まあ、いいんだ。うん。」彼は笑いながら言ってしまった。その笑い方が、金曜の夕方の笑い方と全く違っていた。私は自分の席に座って、しばらく手が動かなかった。先週まで、私は無職の夫を持つ気の毒な女だった。その日は、何か大きなものを後ろに持っているらしい女になっていた。私自身は、何一つ変わっていない。変わったのは、人が私に貼る札の方だけだった。
小柳さんが通りかかって、机に書類を置きながら小さく言った。「し野さん、急に優しくなった人には気をつけなさい。」「はい。」「あと、あなた顔色が悪い。ちゃんと寝てる?」「あんまり。」「じゃあ、今日は早く帰りなさい。」「これは先輩命令。」「小柳さん、何?」「いえ、ありがとうございます。」私が言いかけたことを、彼女は聞かずに去った。それがありがたかった。私は頷いた。頷いた拍子に、涙が滲んだ。
その日の午後、私は月の支払い一覧を作っていた。月末が近づくと、営業の伝票だけでなく、社内で使う経費の支払いも私のところへ回ってくる。送迎者と役員送迎の委託費の欄に、いつもと違う数字が並んでいた。「深夜増し待機量。」先月まではほとんど計上されていなかった項目が、今月は毎週のように載っていた。金額にすれば、月で40万円ほど増えていた。私は伝票の束をめくった。送迎を受け負っている会社の名前を見て、指が止まった。「株式会社倉本ハイヤー。」金曜の夜に私が乗った車の会社だった。私はしばらく、その伝票を持ったまま動けなかった。偶然にしてはできすぎている。けれど、それ以上に気になったのは数字の方だった。うちの役員が急に深夜まで働くようになったという話は聞かない。休日に車両を出すような案件も、この時期には入っていないはずだった。私は伝票の裏の承認欄を見た。判子は一つだけ押されていた。「戸田安行。」その時の私はまだ何も分かっていなかった。ただ、数字が合っていないという感覚だけが、いつものように背中の辺りを冷たくしていた。
その夜、私は家に帰ってからも伝票の数字のことを考えていた。倉本さんの顔を見るたびに、聞いてしまいたくなった。それでも、私はそれから数日、どうしても口に出せずにいた。その週の日曜日、私は自分から言った。「もう一度、あの会社を見せてもらえませんか?」倉本さんは少し驚いた顔をした。「見て、どうしますか?」「分かりません。ただ、見ないまで考えるのは多分間違うと思うので。」彼は少し笑って頷いた。
その日、私は初めて倉本の車庫に立った。夜に見た時は、ただ黒い車がずらりと並んでいるだけの場所だった。昼間はまるで違った。人が動いていた。声があった。水の音と、金属を叩く音がしていた。一番手前で、若い男の子がホースを持ってしゃがんでいた。まだ二十歳そこそこに見えた。「三宅、ちょっと来い。」「はい。」彼は駆けてきて、私を見て慌てて帽子を取った。「あ、えっと、おはようございます。」「妻のし野だ。」「奥様!三宅洋太です。22歳です。」声が大きすぎて、私は思わず笑ってしまった。「三宅は整備の見習いです。去年からうちにいます。」「はい。まだ全然使い物にならないんですけど。」「使い物にならない奴は、うちは置かない。」「はい。」彼は真っ赤になって俯いた。後で聞いたところによると、三宅君は高校を2年で辞めていた。父親がいなくて、母親が体を壊して働かないといけなくなったからだ。面接に来たのは、うちが12社目だったらしい。11社は、履歴書を見た時点で断られたという。「三宅は手がいいんです。ホイールの汚れの落とし方を教えたら、次の日には俺よりうまくなっていました。」「そんなことないです。」「ある。俺は嘘は言わない。」三宅君は下を向いた。耳まで赤かった。私はしゃがんで、彼が磨いていたホイールを見た。内側の細かい溝まで、汚れが一つも残っていなかった。「これ、全部手でやったんですか?」「はい。ブラシで。奥の方は指に布巻いて…時間かかりますよね。」「1分30分くらいっす。でも、お客さんが乗る時、最初に目に入るのって足元だから。」「下?」「社長がそう言ってました。人は、自分が乗るものの下の方を見てるって。」私はその言葉に、なぜか胸を突かれた。下の方。靴のかかとの減り方を見る人の言いそうなことだった。
事務所の中では、40代半ばくらいの女の人が電話をしていた。受話器を肩と耳に挟んで、片手で表に書き込みながら、もう片方の手で別の電話を取っていた。見ているだけで目が回りそうだった。「こちらが、経理の西野さんです。うちで一番忙しい人です。」「一番うるさい人の間違いでしょ。」彼女は電話を切ってから、振り返って私に頭を下げた。「西野く子です。奥様、初めまして。」「倉本し野です。よろしくお願いします。」「あら、噂通りお若い。」「噂って何だ?」「社長が急に結婚したって噂です。うち、そういうの回るの早いので。」彼女はからからと笑った。西野さんは、中学生の男の子を一人で育てていると、後で岸本さんから聞いた。前の職場では、子供の熱で休むたびに嫌な顔をされたそうだ。「大変じゃないですか?夜のお仕事もあるでしょう。」「うちは、夜勤に入った分、ちゃんと代わりの休みが来るから。それが当たり前だと思ってたら、よその会社の子に驚かれてね。」そう言って、彼女は少し声を落とした。「うちの社長はね、そこだけは絶対に譲らないの。人を安く使ったら、必ずどこかで人が壊れるって。」「そういうものですか?」「そういうものよ。運転手なんてね、待たされてもお金にならない仕事だと思われがちなの。待ってる時間はただの時間だって。でも、待っているのも仕事ですよね。」西野さんが手を止めて、私を見た。「奥様、今の、社長の前で言ってあげて。」「え?」「あの人、それを何年も言い続けて、煙たがられてる人だから。」「人が壊れる。」その言い方を、私は前にも聞いていた。あの夜、電話で聞いた声だ。
車庫の奥に、岸本さんがいた。黒い車のボンネットを開けて、中を覗き込んでいた。私に気づくと、帽子を取って頭を下げた。「岸本さん、こんにちは。」「奥様、ようこそおいでくださいました。」「あの、前はありがとうございました。」「とんでもございません。」近くで見て、私は少し気になった。目の下が黒かった。顔の色も良くなかった。「岸本さん、お疲れですか?」「いいえ。年ですから。」彼は笑ってごまかした。その笑い方が、あの人にどこか似ていると思った。「岸本さんは、父の代から?」「もう30年になります。」「そんなに前から。」「はい。旦那様のお父上に拾っていただきました。」「拾って、というのは?」岸本さんは少しためらってから、静かに話し始めた。「私は昔、長距離の運転手をしておりました。28の時、事故を起こしました。幸い、人は亡くなりませんでしたが、それきり、どこも雇ってくれなくなりまして。」私は口を挟めなかった。「面接を受けても、事故歴を見た瞬間に話が終わります。当たり前のことです。私は人の命を預かる仕事で、それをやったのですから。」彼はボンネットを閉じた。「その時に、旦那様のお父上、多物さんだけがこうおっしゃいました。『事故をやった人間ほど慎重になる。うちに来い。ただし、二度とやるな。』」岸本さんは布で手を拭いた。「あれから30年。私は無事故です。あの一言のために、私はハンドルを握っております。」岸本さんは布を畳み直して、少しの間黙った。「旦那様のお父上が、仕事を失っておられた半年も、私は一緒に草を抜いておりました。あの半年のことは、私も忘れません。」私は言葉が出なかった。
その日、私は事務所の隅で1時間ほど、倉本さんが家から持ってきた古い日報を読ませてもらった。北向きの部屋にあった、あの黒い表紙のノートだ。あの夜に読んだ花屋のご主人のことも、北町の坂本さんのことも、同じ字でそのまま書いてあった。同じような書き込みが、何百件も続いていた。その中に、こんな一文があった。「雨。8丁目の橋のところで、学生さんが濡れて歩いていた。乗せてやりたかったが、空ではなかった。次から、タオルを積んでおくこと。」私はそのページから目が離せなくなった。「あの、これ…」「父は、乗せられなかった人のことも書いていました。」「どうしてですか?」「聞いたことがあります。子供の頃に。そうしたら、父はこう言いました。」彼はノートを閉じた。「『乗せた人のことは仕事の記録だ。乗せられなかった人のことは、俺の宿題だ。』」私はその言葉を、しばらく口の中で繰り返していた。ノートをめくっていくと、最後の方に字が随分乱れているページがあった。「そこは、父の体が悪くなってからです。字が…握力が落ちていました。それでも、書いていました。」私はそのページの一行を読んだ。「雨。傘のない人が2人。1人は乗せられた。もう1人は間に合わなかった。」「間に合わなかった。そう書いてあります。」「お父様は、どんな方だったんですか?」「損ばかりしている人でした。」彼は笑ってそう言ったけれど、その笑い方は誇らしそうだった。
帰りの車の中で、家に着く少し前に、私は口を開いた。「倉本さん。」「はい。」「会社のことで、一つ気になっていることがあります。」「何でしょう?」「うちの会社が、そちらに払っている委託費のことです。今月に入ってから、深夜増しと待機量が急に増えています。」彼の表情が変わった。「増えている?」「はい。月で40万円ほど。理由が分かりません。」彼は前を見たまま、しばらく黙っていた。それから、静かにこう言った。「調べます。」その返事の声が、それまで聞いたどの声よりも低かった。「あの、私が勝手に見た数字なので、間違っているかもしれません。」「間違っていたなら、それでいい。ただ、君が気づいたなら、多分間違っていません。」「どうしてそう思うんですか?」「数字が1円合わないと帰れない人が言っているからです。」私はその時、初めて自分の仕事が誰かの役に立つかもしれないと思った。車が家の前で止まった。私が降りようとすると、彼が言った。「し野さん、今日は来てくれてありがとうございました。」「私が言い出したことなので。」「そうじゃなくて、うちの人間を人として見てくれたことです。」
その次の火曜日の朝、私が家を出ようとした時、倉本さんの携帯が鳴った。彼は一言二言話して、すぐに切った。顔から色が消えていた。「し野さん、今日、会社を休めますか?」「何かあったんですか?」「岸本さんが倒れました。」私の手から鞄が落ちた。
病院に着いたのは9時前だった。処置室の前の長椅子に、西野さんと三宅君が座っていた。三宅君は作業着のまま来ていて、肩が小さく震えていた。「社長、…は、真金高速だそうです。カテーテルの処置をして、今は落ち着いてるって。」「命は?」「大丈夫だと、先生が…」彼はそこで初めて、大きく息を吐いた。「社長、俺、昨日、岸本さんに夜の洗車だけでも変わろうかって言ったんです。」倉本さんは何も言わなかった。「でも、岸本さんが『お前はまだ夜は無理だ』って。俺が食い下がればよかった。」「はい。」「それは、お前の責任じゃない。」三宅君は両手で顔を覆った。私は西野さんに聞いた。「昨日、岸本さんは何時までお仕事だったんですか?」「朝の2時過ぎです。」「2時?」「役員さんの送りで、10時に着いて、そこからずっと待機で。」「待機って、車の中でですか?」「はい。車の中で、4時間近く。」背中が冷たくなった。「その先方って、どこですか?」西野さんが言いにくそうに私を見た。答えは聞かなくても分かっていた。吉見商事だった。
昼前に、岸本さんの意識が戻ったと看護師さんが知らせに来た。面会は一人ずつ、短い時間だけ許された。倉本さんの後、私も少しだけ病室に入れてもらった。岸本さんはベッドの上で天井を見ていた。私に気づくと、体を起こそうとした。「そのままで、お願いします。」「奥様、申し訳ございません。」「謝らないでください。」「明日の朝、旦那様をお送りする予定でした。それが、できなくなりました。」私は言葉に詰まった。この人は、倒れて運ばれたその日に、翌日の送迎のことを気にしていた。「岸本さん、昨日は何時までお仕事だったんですか?」岸本さんは目を閉じた。「お客様のことは、申しません。」「そうですか。」「ただ、車の中は温かくしておりましたから、ご心配には及びません。」その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙がこぼれた。岸本さんは、自分が寒くなかったかと聞かれたのだと思ったらしい。この人には、自分が4時間近く待たされた側なのだという意識が、まるでなかった。
廊下に出ると、倉本さんが窓のところに立っていた。「倉本さん。」「はい。」「岸本さんは、待たされたことを一言も言いません。」「その人は、言わない人です。」「言わない人が損をするのは、おかしいです。」彼は私を見た。何か言いかけて、結局小さく頷いただけだった。
その日の午後、私は会社に出た。休んでもよかったのだと思う。それでも、私は行った。行かなければ確かめられないものがあったからだ。私は過去1年分の委託費の伝票を全部出した。請求書と、社内の支払い記録と、月の一覧を並べた。夕方までかかって、私はそれを見つけた。先月から、倉本ハイヤーへの支払いが直接ではなくなっていた。間に一社、挟まっていた。「東亜サポート株式会社。」東亜サポートが吉見商事に請求し、受け取ったお金の中から倉本へ支払う形になっていた。私は両方の金額を並べた。東亜サポートがうちに請求している額と、先々月まで倉本に直接払っていた額が違った。差額は、ちょうど深夜割り増しと待機量の分だった。つまり、うちの会社は深夜料金を払っていたけれど、そのお金は運転手さんのところへ行っていなかった。日付を並べてみて、私は指先が冷たくなった。受け皿の会社ができたのが先で、深夜増しと待機量が立ち始めたのがその後だ。先に器を用意しておいて、それから抜き始めたのだ。深夜の送りや待機そのものは、きっと前からあったのだ。ただ、これまでは誰もそれをお金にしていなかっただけだ。私は手が震えるのを抑えながら、東亜サポートという会社を調べた。取引先の会社概要は、総務のファイルにあった。代表の氏名が、戸田だった。私は席を立って、小柳さんを非常階段に呼んだ。「どうしたの?顔が真っ青。」「小柳さん、これ、見てもらえますか?」小柳さんは、私が持ってきたコピーを黙って読んだ。読み終わるのに、5分もかからなかった。「これ、あなた一人で気づいたの?」「はい。」「社内の誰かに話した?」「まだです。」「そう。」彼女は階段の手すりに寄りかかって、少し天井を見た。「し野さん、これを出したら、どうなるか分かってる?」「戸田課長が…」「戸田さんだけじゃないの。この規模の話が表に出たら、うちの会社は取引先の信用をなくす。何人か、仕事を失うと思う。」「はい。」「そのうちの何人かは、あなたを笑ってた人よ。」私は黙った。「あなたが黙っていても、誰もあなたを責めない。それだけは覚えておきなさい。」
その夜、私は家に帰ってから、台所の椅子に座ったまま、長いこと動けなかった。倉本さんは何も聞かなかった。ただ、温かいお茶を一杯置いてくれた。しばらくして、私はぽつりと言った。「私、ずるいことを考えました。」「はい。」「これを出したら、私を笑った人たちが困る。それを、少しだけいい気味だと思ってしまいました。」倉本さんは黙って聞いていた。「そう思った自分が、一番嫌です。」彼はすぐには何も言わなかった。それから、席を立って北向きの部屋へ行き、あの黒いノートを一冊持って戻ってきた。「これは、父が仕事を失っていった年の日報です。」彼はページを開いて、私の前に置いた。そこには、短い一文だけが書いてあった。「12月14日。今日で半年。まだ呼ばれない。」「これは、父に仕事がなかった半年の間の記録です。乗せる人がいないのに、父は毎日このノートを開いていました。」私はノートから目を離せなかった。ページはほとんど白紙です。日付と天気と、その日に自分がしたことだけ書いてある。「庭の草を抜いた。母の買い物についていった。」それだけです。私は文字を目で追った。何もなかった日の記録が、何十ページも続いていた。「俺はこれを、二十歳を過ぎてから初めて読みました。読んで、しばらく息ができませんでした。」「どうしてですか?」「あの半年、父は俺の前では普通にしていました。飯を食って、笑って、テレビを見ていた。俺は、父が平気なんだと思っていました。」彼の声が、少しかれた。「平気なわけがなかった。」台所の時計の音だけがしていた。「だから、俺は自分のことを『無職』だと言うようになりました。」「え?」「意地みたいなものです。無職という言葉を向けられた人間に、人がどんな顔をするのか。俺はそれを、自分の目で引き受けておきたかった。格好つけていると思うでしょう。俺もそう思います。でも、そうしないと、父に顔向けできない気がしていました。」彼はノートを閉じた。「27社を任されるようになってから、俺は一度もうちの運転手を安く使わせたことはありません。それだけは、絶対にやらせない。」「はい。」「岸本さんが、4時間近く車の中で待っていた。それを、俺は知らなかった。俺が知らないところで、うちの人間が父と同じ目に会っていた。」彼はそこで、一度言葉を探すように黙った。「岸本さんは、今年58です。父が死んだ年と同じなんです。」彼は両手を膝の上で握った。指の関節が白くなっていた。「し野さん、君が気づいてくれなかったら、俺は次の誰かが倒れるまで気づかなかった。」私は顔を上げた。「私、まだ何も出していません。」「分かっています。出すか出さないかは、君が決めることです。」「私が決める?」「はい。これは君の会社の話で、君の仕事の話です。俺が代わりに決めることじゃない。」その言葉で、私の中の何かが決まった。いい気味だと思った気持ちは、確かに私の中にあった。それは消えないと思う。けれど、それとは別のところに、もっとはっきりした理由があった。車の中で4時間近く待たされた人がいる。その人は、30年前に「二度とやるな」と言われた一言を守り続けてきた人だ。私は立ち上がった。「明日、出します。」「分かりました。」「怖いです。すごく怖いです。」「怖くていいです。怖くない人がやることじゃない。」「もし、私のせいで会社の人が仕事を失ったら…」「それは、君のせいじゃありません。」「でも…」「金を抜いた人がいて、それを見つけた人がいる。仕事を失うのは、抜いた人です。」彼はきっぱりとそう言った。
その夜、私は久しぶりに深く眠った。目が覚めた時、体が軽かった。翌朝、私はいつもより1時間早く家を出た。会社について、小柳さんに一言だけ伝えた。「出します。」「分かった。私も一緒に行く。」「小柳さん、関係ないです。」「関係あるの?私はあなたの先輩だから。」私たちは総務部長のところへ行き、そこから経理担当の役員へ回り、その日の午後には社長室へ通された。社長は、私の作った資料を一枚ずつ、時間をかけて見た。最後まで見終わってから、こう言った。「これは、君が一人で見つけたのか?」「はい。」「なぜ、上に相談する前に全部揃えた?」「途中で誰かに止められたら、そこで終わってしまうと思ったからです。」社長は少し黙って、それから電話を取った。その日のうちに、社内調査が始まった。
2日後、私の会社の会議室に、倉本モビリティの人たちが来た。正式な申し入れがあったからだ。委託契約の内容と、現場での運用実態の食い違いについて説明を求めるという文面だった。会議室には、うちの社長と役員が並び、戸田課長もいた。私は資料を作った本人だからという理由で、一番端に座らされた。先方は3人だった。弁護士と、総務の責任者と、もう一人。そのもう一人が部屋に入ってきた時、うちの側の空気が変わった。黒いスーツだった。作業着でも、家で見る古いセーターでもなかった。倉本宗介だった。彼は私を一瞥も見なかった。席について、名刺を出して、静かに名乗った。「倉本モビリティ代表の倉本と申します。」戸田課長の顔から色が引いていくのが、はっきり見えた。
話は淡々と進んだ。先方の弁護士が、この1年の請求と支払いの流れを説明した。東亜サポート株式会社が中間に入っていること。深夜増しと待機量が、倉本に支払われていないこと。東亜サポートの代表が、戸田課長の親族であること。「いや、それは手配の便宜上にしただけで…」「では、深夜の待機について、現場にはどう指示されていましたか?」「特には…」「こちらの記録では、貴社のご担当者から『待機は契約に含まれているので、追加はいらない』と繰り返し伝えられています。日時と担当者名は、ここに。」戸田課長は、何も言えなくなった。うちの社長が頭を下げた。「弊社の管理不行き届きです。申し訳ありません。」最後に、お尋ねします。「貴社から開示いただいたこの資料は、どなたが作られたものでしょうか?」社長がこちらを見た。私は立ち上がった。「営業事務の塔のです。私が作りました。」そこで、私はもう一つだけ付け加えることにした。ここで口に出さなければ、誰も触れないまま終わると思ったからだ。「うちの伝票には、待機した時間そのものがどこにも残っていませんでした。金額だけが請求されて、誰が何時間待ったのかは、一行も書かれていません。何時間待っても、数字の上では誰も待っていないことになっていました。」思っていたより落ち着いた、低い声が出た。戸田課長は、机の一点だけを見ていた。そこで、倉本さんが初めて口を開いた。「金額のことは、どうにでもなります。返していただければ済む話です。」「はい。」「私が申し上げたいのは、そこではありません。」彼は一枚の紙をテーブルに置いた。「今週の火曜の朝、弊社の運転手が一人倒れました。58歳です。真金高速でした。命は取り止めました。」会議室が静かになった。「その前の晩、彼は貴社の役員をお送りした後、駐車場で3時間58分、待機しています。本人は『車の中は温かくしていた』と申します。ですが、運行記録では、エンジンは切られていました。暖房も入れずに待っていたんです。燃料代を気にしていたのだと思います。」私は資料の端を掴んだまま、動けなかった。「彼は、一度も『待たされた』と言いませんでした。私が聞いても、言わない。そういう人です。」戸田課長が俯いた。「貴社の中で、うちの運転手がどういう言葉で呼ばれていたか、それもこちらで聞き取りをしました。読み上げることはしません。ただ、私はその内容を知っています。」私はあの金曜日の夜を思い出していた。「運転手さんがいい」と笑った声。あの時、私も黙って鞄を持っただけだった。「申し訳ありません。」「契約は、来月末を持って終了させていただきます。」「お待ちください。改善は必ず…」「改善していただけるなら、いつでもまたお話をします。ただ、今は無理です。」彼はそこで一度だけ、まっすぐ社長を見た。「人を肩書きで見下す会社に、大切な従業員は任せられません。」その一言で、話は終わった。
帰り際、廊下ですれ違う時、倉本さんは私の前で足を止めた。そして、深く頭を下げた。「本日は、ありがとうございました。」周りに、何人も社員がいた。みんなが見ていた。「こちらこそ。」それだけしか言えなかった。彼が行ってしまってから、宇みさんが私の横に来た。「し野さん。」「はい。」「あの人が、旦那さん?」「はい。」「ごめん。」「え?」「私、あの時、旦那さんのことを笑ってた人たちと一緒になって笑ってた。」私は少し考えてから、答えた。「私も、言い返しませんでした。」「それは、し野さんが悪いんじゃないよ。」「はい。それは、私も最近そう思うようになりました。」
戸田課長は、それから一月と立たないうちに、懲戒処分を受けた。会社は、取引先に頭を下げて回ることになった。処分が出た日、戸田課長は荷物をまとめて出ていった。すれ違う時、彼は私を見なかった。私も声をかけなかった。かける言葉が思いつかなかったのだ。私はそのことで胸がすっとしたかと言うと、正直あまりしなかった。ただ、車の中で4時間近く待っていた人のことを、ちゃんと誰かが知ったというのが、私には大事なことだった。
あの会議室で、自分の口から数字のことを言えた時、縁側で聞いた祖母の言葉が、やっと私の中に落ちてきた。「自分の食いを自分で稼ぐ人間をみともないなんていうやがいたら、そいつの方がよっぽどみともない。」あの時、私は意味も分からないまま頷いただけだった。
家族が来たのは、あの会議のあった週の日曜日だった。インターホンが鳴って、私が出ると、画面に3人が映っていた。父と母と、姉だった。姉は美容室に行ったばかりのような髪をして、新しいコートを着ていた。「し野、開けて。」私は倉本さんを見た。彼は頷いた。「入ってもらってください。ここは、君の家でもあります。」今に通すと、姉が部屋を見回した。「へえ。思ったより普通ね。」「し野、あんた、連絡くらいしなさいよ。心配してたのよ。」「そう。」父は座ってから、ずっと下を向いていた。しばらく世間話のような時間があって、それから母が本題を出した。「あのね、しの。倉本さんのことなんだけど。」「うん。」「大島会長から聞いたのよ。すごい会社の社長さんなんですってね。」「そう。」「どうして黙ってたの?」「私も、知らなかったから。」姉が身を乗り出した。「ねえ、し野。あのさ、正直に言うけどさ。」「何?」「あの縁談、本当は私に来た話だったよね。」部屋の空気が止まった。「し野は、代わりに行っただけでしょう。」「うん。そうだよ。」「じゃあさ、ちゃんと元に戻した方が、みんなのためだと思うんだけど。」「そうよ。まゆもね、反省してるの。倉本さんにも、きちんと謝りたいって。」「筋というものがある。元々、姉に来た話なんだ。」私は父を見た。父は、目を合わせなかった。その時、台所から倉本さんが出てきた。お盆に湯のみを5つ乗せて、一人ずつの前に置いた。それから、私の隣に座った。「お話は、聞こえていました。」「あの、倉本さん。うちのまゆは…」「一つ、確認させてください。」彼は静かに姉を見た。「結納の3日前に、家を出られたのは、あなたですね。」「それは、その…色々あって。」「理由は聞きません。断るのは自由です。大島会長を通じて、『嫌なら断ってください』とお伝えしていたはずです。」「はい。」「逃げたのは、あなたです。そして、その後来たのが、し野さんでした。ですから、そこを元に戻せません。」「どうしてですか?」「し野さんは、俺が無職だと聞かされた状態で、この家に来ました。10日間、この人は俺を一度も見下しませんでした。」彼は湯のみを見たまま続けた。「会社で笑われても、この人は家で一度も仕事の愚痴を口にしませんでした。俺が後から知ったことです。」私は驚いて彼を見た。「今更、肩書きを知って戻ってこられる方を、妻にはできません。」「ちょっと待ってよ。」姉の声が高くなった。「し野はさ、私の代わりに来ただけなんだよ。そういう約束だったじゃない。大体、無職だって聞かされてたんだよ。誰だって逃げるでしょ。」「そんな人だと思うじゃない。」その時、私の口が勝手に動いた。「お姉ちゃん。」「何?」「あの人は、そんな人じゃありません。」会社で何を言われても、言えなかった言葉だった。言えないまま、自分を情けなく思い続けてきた。「私は、私として迎えに来てもらった人間です。」自分でも驚くくらい、はっきりした声が出た。姉が黙った。母が、口を開けたまま私を見た。「小学校の頃から、私はずっとお姉ちゃんの代わりだった。謝るのも、片付けるのも、お金を出すのも、全部私だった。」「しの、あんた、何よ?」「一度も『嫌だ』と言わなかったのは、私です。だから、お母さんたちを責めるつもりはないの。」私は膝の上で手を組んだ。手が震えていた。それでも、声は震えなかった。「だから、もう戻りません。私がいるのは、誰かの代わりの席じゃないから。」長い沈黙が流れた。初めて、父が顔を上げた。「しの。」「何?」「すまなかった。」「あなた、何を言ってるの?」「いいから。」父はそれだけ言って、立ち上がった。帰り際、玄関で靴を履きながら、父はぽつりと言った。「母さんはな、お前が大丈夫だと思ってたんだ。」「知ってる。」「俺もだ。」「うん。」「悪かった。」ドアが閉まった後、私はしばらく玄関に立っていた。泣くだろうと思っていたけれど、涙は出なかった。ただ、体の力が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。後ろから、倉本さんが黙って私の横に座った。何も言わなかった。ただ、そこにいてくれた。
その夜、私たちは台所で向かい合って座った。もう夜中の1時を回っていた。それでも、どちらも寝ようと言わなかった。「一つ、聞いてもいいですか?」「はい。」「どうして、あの日、迎えを出したんですか?」彼は湯のみを両手で包んだ。「あの日というのは…」「10日目です。会社の前に車を。」彼は頷いた。それから、少し長い間黙っていた。「靴です。」「岸本さんも、そう言っていました。」「でしょうね。結婚した日から、俺は毎朝、君の靴を見ていました。」声が出なかった。「あの木曜は、雨でした。夜、玄関に濡れた靴が置いてありました。バスに乗らなかったんだと、分かりました。」彼は一度そこで言葉を切った。「それでも、俺は何も言いませんでした。言えば、君から何かを取り上げることになる気がしたからです。」「取り上げる?」「君は、あの家で自分の力で暮らそうとしていました。俺が金を出して車を回して、それで楽になったとしても、それは君が自分で立っていることにはならない。」私は膝の上の手を見ていた。「でも、あの日は違いました。」「何が違ったんですか?」「その前の晩に、君が見せてくれたからです。」「見せた?」「が口です。」私は顔を上げた。「おばあ様が、『歩いて帰らなくていいために』と言って渡したものだと、君は言いました。そして、使っていないと言った。」「ええ。」「俺は、あれを聞いてからずっと考えていました。」彼は湯のみを置いた。「あれは、君が誰かに大事にされた証拠です。それを、君は使えないままずっと持ち歩いていた。」胸の奥が熱くなった。「君は、自分が迎えに来てもらってもいい人間だとは思っていない。ずっと、迎えに行く側で生きてきたんでしょう。」返す言葉が見つからなかった。図星だったからだ。「だから、あの日、俺は迎えを出しました。一回でいい。誰かが君のために車を回すということが、この世にあるんだと知って欲しかった。」「そんな理由で?」「そんな理由です。」窓の外で、車が一台通り過ぎる音がした。「もう一つ、聞いてもいいですか?」「どうぞ。」「北の部屋で言いましたよね。『今の君に、俺のことを知っていて欲しくない』って。あれは、どういう意味だったんですか?」彼は少し困った顔をした。「言葉が足りませんでした。あの時、君は会社で何か言われて帰ってきた顔をしていました。」「気づいていたんですか?」「気づきます。毎日、同じ食卓に座っていれば。」彼はもう一度湯のみに手を伸ばしたけれど、口はつけなかった。「あそこで、俺が正体を明かせば、君はきっと楽になった。次の日から、会社で言い返せたでしょう。」「はい。多分。」「でも、それは俺の名前で言い返すことになります。」私は俯いた。「君は、あの時、自分の言葉で立とうとしていた。それを、俺が先回りして取り上げるのが、どうしても嫌でした。」私は黙って頷くことしかできなかった。「結局、10日目には我慢できずに車を出したんですけどね。俺も、大したものじゃない。」「大したものじゃないです。」「はい。」そこで、二人とも少しだけ笑った。「私は、お姉ちゃんの代わりに来た人間です。」「はい。」「それは、変わりません。」「変わりません。」彼はそう言ってから、まっすぐ私を見た。「始まりは、お姉さんの代わりだったのかもしれない。」「はい。」「でも、あの日、俺が迎えに行かせたのは、君だからです。」26年生きてきて、そんな風に名指しされたのは初めてだった。祖母のあの言葉が、その時急に蘇った。「あんたは、あんただ。」私は両手で顔を覆った。声が出た。子供みたいな泣き方だった。彼は何も言わなかった。ただ、私が泣き止むまで、そこに座っていてくれた。
岸本さんが退院したのは、それから3週間後だった。その日は、私も一緒に迎えに行った。運転したのは、倉本さんだ。車は黒塗りのハイヤーではなく、彼が普段乗っている古い国産のワゴンだった。「社長、私が運転いたします。」「だめです。座っていてください。」「しかし…」「岸本さん、今日は乗る側です。」岸本さんは何か言いかけて、それから黙って会釈をした。助手席で、彼はずっと背筋を伸ばして座っていた。乗り慣れていないのだと、私にも分かった。途中の信号で止まった時、岸本さんが前を向いたまま言った。「奥様、一つ、お礼を申し上げてもよろしいでしょうか?」「お礼だなんて。」「先日のことを、旦那様から伺いました。奥様が、あの数字にお気づきくださったと。」「私は、仕事でやっただけです。」「その仕事に、私は救われました。」私は首を横に振った。「30年、待つのは仕事のうちだと思っておりました。待った時間を、誰かが数えてくださるとは、考えたこともございませんでした。」私は返事ができなかった。ただ、その言葉を忘れないでおこうと思った。
車庫に着くと、みんなが出てきた。三宅君が真っ先に走ってきて、途中で盛大に転んだ。西野さんが「もう、危ないでしょ」と笑いながら、目の縁を拭っていた。その日、私は車庫の隅にしばらく立って、人が働いているのを見ていた。洗車をする人。ボンネットを閉じる人。無線に向かって行き先を復唱する人。ホースを片付ける人。誰の名前も、外の世界には出ない仕事だ。「倉本さんは、あなたが『無職』だと思われても、怒らなかった理由が、少し分かった気がします。」「そうですか。」「あの人たちの仕事は、誰かが見ていないと、なかったことになるんですね。」彼は少しの間黙っていた。それから、珍しく大きく笑った。「君は、最初からそれを見てくれていました。」「私は、何も見ていません。ただ、朝ご飯が美味しかっただけです。」「それでいいんです。」
その日の帰り道、私は思い切って自分から言った。「これからは、ちゃんと迎えに来てください。」「いいんですか?」「はい。歩くのは、歩きたい日だけにします。」
あれから2年が過ぎた。私は吉見商事をやめた。嫌になってやめたのではない。むしろ、あの一件の後、会社は変わった。社長が全部の外注先を見直して、現場に人を出して話を聞いて回るようになった。小柳さんは、その担当の責任者になった。それでも、私はやめた。自分がやりたい仕事が、別のところにあると分かってしまったからだ。やめると決めた時、私は倉本さんに一度だけ相談した。彼の返事は、意外なものだった。「うちに来なくていいです。」「え?」「社長の妻が、社長の会社にいるのは、君のためになりません。何をやっても、君の手柄にならなくなる。」「じゃあ、私はどこへ行けばいいんですか?」「どこでも。君は、自分で決められる人です。」私はその夜、久しぶりに腹を立てた。翌週、私は倉本モビリティの中途採用の募集に、一般の応募者と同じ手順で応募した。履歴書を送って、書類選考を通って、面接を受けた。面接官は、その営業所の採用も見ている西野さんだった。「奥様、これ、私が落としてもいいんですよね?」「はい、落としてください。実力がなければ。」「じゃあ、遠慮なく聞きます。」彼女は1時間、全く容赦しなかった。合格の連絡が来た日、家で倉本さんにそれを伝えると、彼はしばらく黙ってから、こう言った。「西野さんに、後で礼を言っときます。」「何のお礼ですか?」「妻だからと通さないでくれた、お礼です。」
今、私は倉本モビリティの運行管理部というところで働いている。私が最初に作った書類は、運転手さんの待機時間の一覧表だった。どのお客様のところで、何時間の待ちが出ているのか。それを月ごとに数字にして、全部の営業所に配る。「待っている時間は、ただの時間ではなく、仕事の時間だ」とはっきり書いた。地味な書類だ。誰かが感動するようなものではない。それでも、去年、ある営業所の若い運転手さんが、私のところへわざわざ言いに来た。「あの表が出てから、待機の指示が減りました。ありがとうございます。」私はその日、家に帰ってから少し泣いた。嬉しかったからではない。恥ずかしかったからでもない。30年待ち続けた人の話を、私が聞いたのは退院の日のあの車の中だった。あの時、自分には何もできないと思ったことが、1年かけて一枚の紙になった。それだけのことに、こんなに時間がかかるのかと思ったのだ。その表には、名前を書く欄を一つ増やした。誰が待ったのか。それが数字だけの一覧にならないように、私は必ず運転手さんの名前を入れることにしている。倉本さんのお父さんの日報を読んで、思いついたことだった。あの人は、乗せた人の名前も、乗せられなかった人のことも、全部書いていた。書いてある名前は、いつか誰かが読む。私はそう思っている。
岸本さんは60歳になった。今は夜の仕事から外れて、昼の送迎と、若い運転手の指導をしている。指導の時の岸本さんは、若い頃の話をほとんどしない。ただ、必ずこれだけは言うそうだ。「事故をやった人間ほど慎重になる。だから、慎重な奴を笑うな。」三宅君は、その言葉を自分の工具箱の裏に書き写していた。その三宅君は、整備士の資格を取った。合格発表の日、彼は車庫で飛び跳ねて、また転んだ。西野さんは、今も経理の主任だ。中学生だった息子さんは、高校に上がった。
私の実家のことも、少しだけ書いておく。姉は、あれから半年ほどして、近くのドラッグストアで働き始めたと聞いた。長続きするかどうかは分からない。それでも、私に電話をかけてこなくなった。肩代わりした32万円は、結婚したその年の秋に払い終わった。最後の一回まで、私は自分の給料から出した。姉に「返して」とは、とうとう言わなかった。一度だけ、駅で偶然すれ違ったことがある。姉は制服のエプロンを腕にかけていた。私に気づいて、一瞬だけ立ち止まった。「あ。」「お疲れ様。」「うん。」それだけだった。姉はそのまま改札を抜けていった。昔なら、私はその後何日も引きずっていたと思う。けれど、その日は電車に乗ったら、もう別のことを考えていた。
父からは、年に2度ほど短い手紙が来る。字が下手で、いつも同じことしか書いていない。「体に気をつけろ」と。大島会長は、あれからも父の会社との取引を変えなかった。倉本さんが何かを言ったわけではないと、後で会長本人から聞いた。母とは、まだうまく話せない。それでいいと思っている。急がなくていいと、倉本さんが言ってくれたからだ。去年の暮れ、私は久しぶりに実家で年越しをした。台所に立っていると、母が横に来て、何も言わずに大根を切り始めた。「し野。」「何?」「あんた、痩せた?」「変わってないよ。」「そう。」それだけの会話だった。それでも、私はその年の年越しそばの味を、この先ずっと覚えていると思う。帰り際、母が玄関まで出てきて、私の靴を揃えた。母がそんなことをするのを、私は初めて見た。
先月、私は祖母の墓に行った。倉本さんも一緒だった。彼は墓の前で、随分長いこと手を合わせていた。「何をお願いしていたんですか?」「お願いはしていません。報告です。」「なんて?」「『し野さんを、歩かせないようにしています』と。」私はその場でまた泣きそうになって、慌てて上を向いた。帰り道、私は鞄からあのが口を出して、彼に見せた。止め金の金色は、もうほとんどはげている。中には、今も100円玉と10円玉が入っている。「これ、あの日の帰りに一度使った切りなんです。」「使わなくていいですよ。」「はい。使いません。」その足で、私たちは祖母の家のあった場所に寄った。平屋はもうない。数年前に取り壊されて、今は小さな駐車場になっていた。それでも、あの停留所はまだそこにあった。同じ場所に、同じ形の標識が立っていた。「ここで、祖母に呼び止められたんです。」「そうですか。」「その時、生まれて初めてバスに乗って帰りました。」私はその停留所のベンチに座ってみた。祖母が立っていたのは、多分この辺りだ。倉本さんは何も言わずに、私の隣に座った。バスが一台通り過ぎた。私たちは乗らなかった。乗る必要がなかったからだ。しばらくして、私は言った。「おばあちゃんに、合わせたかったな。」「俺もです。」
私は今も、天気のいい日はよく歩く。今の会社から駅までも、歩けば30分ほどある。急ぐ朝は、家から駅まで、倉本さんが直してくれたあの自転車で行く。年に一度、彼が油をさしてくれる。歩きながら、私は昔よりずっと色々なものを見るようになった。信号待ちで止まっている白い車。荷物を運ぶ人の背中。停留所で時刻表を見上げている人。その一人一人に、誰も知らない事情があるのだと、今は思う。倉本さんのお父さんがノートに書き残していたのは、多分そういうことだったのだと思う。雨の日は、バスに乗る。寒い日も、乗る。迎えが来ると言われた日は、素直に待つようになった。
姉の代わりにとがされたのだと、私はずっと思っていた。でも、あの日、会社の前に止まった黒塗りの車は、私を誰かの代わりではなく、私自身として迎えに来てくれたのだった。



