結婚式の請求書が届いた。宛名は私、古川三重。62歳。一人暮らしの私の家に、なぜか結婚式の請求書。金額は800万円。同封されたメモには「お支払いお願いしますね」と雑な字で書かれ、携帯番号まで記されていた。電話をかけると、出たのは新一だった。
「もしもし。ああ、お母さんですか?俺からの郵便届きました?」
「届いたけど、この請求書は一体何?」
「あれ?日本語読めませんか?結婚式の請求書ですよ」
「それは分かるけど。なんでそれが私のところに?」
「全部言わないと分からないんですか?大人の対応をお願いしますよ」
一方的に電話を切られた。どうやら新一の言う「大人の対応」とは、私が結婚式の費用を払うことらしい。何馬鹿らしいことを言っているんだか。私は請求書とメモを破り捨て、新一の番号と電話の履歴を消去した。
その1週間後、さやかと新一から何度も着信があったが、一度も出なかった。あまりにもしつこいので、携帯を解約して電話番号を新しくした。
それから2年後のこと。私が庭の手入れをしていると、別人のように痩せたさやかが現れた。まだ40歳にもならないはずだが、見た目だけなら50歳ぐらいに見えるほど老け込んでいた。
「びっくりした。突然何?」
私の警戒そうな態度を見て、さやかは顔をくしゃくしゃにして膝から崩れ落ちた。
「こんな目で私を見ないでよ。お母さん」
今、私に向かって「お母さん」と言ったのか。今まで一度も言わなかったのに。
「えっと、人違いじゃない?」と私が答えると、
「なんでよ。私のお母さんでしょ」とさやかが叫んだ。
なんだか怪しいが、とりあえず要件を聞くことにした。
「で、何の用なの?」
そう言うと、さやかはぽつりぽつりと話し出した。結婚後すぐに子供ができたのだが、貯金も何も準備しない状態で妊娠し、新一はギャンブルにはまっていて、家にお金を入れないため、あっという間に資金難になったとのこと。さらに資金難になって少しした時、突然新一と連絡が取れなくなり、事実上の蒸発状態となったらしい。
そこまで話を聞いて、
「そう。それで私に何をしろと?」と冷たく言うと、
「このままじゃまともな生活を送れないの。この前お姉ちゃんに資金援助頼んだけど、子供が受験でお金が必要だからって断られちゃって。だからこうやってお母さんのところにも来たの」とぼそぼそ答えた。
「なんかお母さんは今小説を書いてて結構売れてるんでしょ?だからさ、1000万円ほどでいいから貸して欲しいの。いや、1000万円ちょうだい。親子なんだし。いいでしょう」とさらに言ってきた。
私はため息をついてさやかに言った。
「確かに私は今物書きをしていてそれなりにお金をもらえているわ。でもそのお金はあなたには使わないわ。だってあなたと私は他人なんでしょ」
するとさやかはすがるような目をして、
「そんなこと言わないでよ。私たち色々あったけど親子でしょ。昔きつく当たったことは謝るわ。これから残りの人生は親子になろうよ。お願いだよ、お母さん」
と言ってきた。
「その『お母さん』っていうのやめてくれない?あなたに言われるとなんか変な感じがするわ。私たち本当に親子じゃないんだってば。私はあなたの母親になりたかったけど、あなたがそれを拒否したんでしょ」
と言うと、さやかが、
「でも戸籍上は親子でしょ。お父さんとあなたは再婚したんだから。お父さんの娘だった私はあなたの子供になるはずでしょ。いくら気持ちが追いつかなくても法律上親子じゃない。いいの?娘の助けを無にしたって噂流れても物書きって人気商売なんでしょう」
と、この後に及んで脅しまでしてきた。いい大人が情けない。
「それがね、法律上でも気持ちの上でも私たちは親子じゃないの」と私が答えると、さやかは固まった。
「私言ったよね。母親になりたかったけど、あなたがそうさせてくれなかったって。私の特別養子縁組の申し出をあなたが拒否したんじゃない?覚えていないの?だから残念だけど、法律的にも私たちは親子じゃないの」
そうなのだ。私は結婚当初、夫の連れ子と養子縁組を結ぶつもりだった。夫とは年の差があったため、先々のことを考えてのことだった。さやかは当時13歳だったので、さやかと特別養子縁組を結ぼうとしたのだ。しかしそんな中、さやかは最初から私に牙を向いてきた。夫からは「思春期で難しい時期だから様子を見よう。少し待っててくれ」と言われ、さやかが心を開いてくれるのを待っていたが、ついに開くことはなかった。待っているうちにさやかは15歳になり、特別養子縁組の対象外になった。だから私とさやかは親子ではないのだ。
そう伝えると、さやかは怒り出した。
「何よそれ。でもいこのお姉ちゃんとは仲良くして、たまに援助もしているそうじゃない?お姉ちゃんだって他人でしょ?同じ他人なら平等に扱ってよ」
と言ってきた。
「そうね。そんな大きな金額ではないけど、お姉ちゃんには色々とお金を出したりしたわ。でもお姉ちゃんはずっと私のことを親族として受け入れてくれたから。それに比べあなたはどうかしら?お姉ちゃんの結婚式の時を思い出してみて。あとお父さんのお葬式の時はどうだった?あなたはたった一度でも私のことを母親どころか親族だって思わなかったでしょう。私を家族にしてくれなかったのはあなたよ。それなのに今更虫が良すぎない?」
と私に諭され、さやかは下を向いて何かを言い出した。
「それは思春期だったからで、ちょっと反発したって言うか。そんな子供の時の話を出さないでよ」
その言葉を聞いた私は、
「子供?思春期?お姉ちゃんの結婚式の時、あなたは20代で、誠さんのお葬式の時は30代だったでしょ。随分大きな思春期の子供ね」
そう言われ、さやかは黙り込んでしまった。
「さやか、もういい大人なんだから、どういう行動をしたら自分に返ってくるのか、しっかり自分の頭で考えてから行動しなさい。他人の私に何を言われても響かないだろうけど、とにかく他人のあなたに渡すお金はないわ」
「何の努力もしないで他人にまとわりつくなんて」って、あなたの旦那に言われたんだけど、そこからさやかは何も言えなくなり、おずおずと帰っていった。
その後、さやかは妊婦であるにも関わらずパートで働き始めたらしい。新一はずっと行方不明のままだったが、ある日新一の分だけ記入された離婚届が郵便受けに入っていたらしい。
今回のことに対して私が冷たすぎるという人もいるかもしれないが、一度はさやかを法律上では子供でなくても本当の子供のように育てようとし、私なりに何十年も努力してきた。しかし彼女は拒み続けるどころか攻撃をしてきたのだ。それほどのことを私はさやかにされてきたのだ。さやかは実母への愛が強いあまり、後戻りのできない状態までになってしまっていたのだろう。これからでもさやかが常識のある大人になることを願って、今回は完全に縁を切る決断をしたのだ。
お互いに傷つき苦しんだ何十年だったので、そろそろお互い楽になってもいいだろう。旦那が残してくれた遺産で購入した小さな家で静かに暮らしながら、そう思った。



