「利益を出せないゴミは本社に不要だ」
牧原部長はそう吐き捨てた。18年間、機械と向き合ってきた俺の仕事を、たった一言で否定した。
俺は福永、40歳。自動車部品メーカーの本社で生産技術部のエンジニアをしている。製造ラインの安定稼働を維持し、老朽化した設備の更新を段取りするのが仕事だ。売上を生むわけでも製品を設計するわけでもない。設備の購入、修繕、交換はすべて支出として計上される。だから経営層の目には、金を使うだけの部門と映りやすい。ラインが止まらない限り、その仕事は見えない。
それでも18年、この道一筋でやってきた。機械のことなら任せろという自負があった。
机の上には、2ヶ月前に牧原部長に提出したレポートの控えが置いてある。今期から本格稼働が予定されている新規設備の導入計画に、技術的な問題があることを指摘した文書だ。設計上の欠陥を具体的な数値で示し、本来なら複数の業者から見積もりを取って比較検討すべきところ、発注先が最初から一社に決まっている事実も記した。調達担当者には、発注先の選定経緯を詳しく調べてほしいと伝えてある。
しかし2ヶ月経っても、牧原からの返答はない。
そのレポートの控えを見直している時だった。
「福永さん、第3ラインのプレス機が止まっています」
後輩が息を切らして駆け込んできた。制御盤に警告が点灯していて、マニュアルを調べても処置が分からないという。業者を呼べば復旧は翌日以降になる。その間、ラインは止まり、損失は時間単位で膨らむ。
俺は工具袋を手に取り、現場へ向かった。
プレス機の前に立ち、制御盤の表示を確かめた。油圧系統に警告が出ているが、稼働音に異常はない。圧力そのものではなく、センサー側の問題だ。導入から10年以上経つ旧型の油圧プレスは、振動の蓄積で配管の接続部が緩み、センサーが誤作動を起こすことがある。カバーを外して接続部に触れると、案の定、わずかな緩みがあった。工具で締め直し、稼働を指示すると、機械は正常に動き始めた。
「すごい。業者を呼ばなくていいんですか?」
後輩は呆けた顔で俺を見た。
「そうだな。もう治ったよ」
この時はまだ知らなかった。この経験が、数日後に思わぬ形で生きることになるとは。
翌朝、牧原部長から呼び出しがかかった。牧原は現場に出ることはほとんどなく、事務室と役員フロアを往復しながら数字と投資資料で仕事をする人間だ。俺とは仕事のやり方が根本から違う。
事務室に入ると、牧原は不敵な笑みを浮かべていた。
「福永、お前の処遇について話がある。まずこれを見ろ」
差し出された資料は、修繕費の推移を示す表だった。3年連続で予算を超過していることが赤字で書き込まれている。数字は確かにその通りだが、それには理由があった。
「担当の設備は更新時期を3年以上過ぎています。そのため修繕費が予想を超えてしまいました。設備更新の申請を繰り返してきましたが、承認されないんです」
牧原は資料から目を上げずに言った。
「言い訳はいい。数字として赤字が計上されているのは事実だ」
「言い訳なく予算超過の原因を説明しているんです。それと、2ヶ月前に提出した新規設備の技術的問題点のレポートについて、部長からまだ返答をいただいていませんが」
牧原の手が一瞬だけ止まった。
「その話は別だ。今日呼んだのはお前の移動の件だ」
移動という言葉に一瞬戸惑ったが、俺は冷静に返した。
「別ではありません。今期稼働予定の新規設備は、私が管理するラインへの導入が前提のはずです。既存設備との接続部分に互換性の問題があれば、切り替えた瞬間にラインが止まります。あのレポートはその具体的な根拠を示したものです。それだけではなく、発注先の選定についても」
牧原は俺を遮り、口元を歪めながら言った。
「福永、はっきり言わせてもらう。お前が管理する部門のような、利益を出せないゴミは本社に不要だ」
言葉の意味がすぐには頭に入ってこなかった。18年間の仕事が、その一言で否定されたのだ。牧原は辞令書を取り出し、テーブルに置いた。
「移動先は郊外の第2工場。社内では廃業寸前のレッテルが貼られた、赤字続きの小さな工場だ。辞令は明日付けだ。今日中に引き継ぎを終わらせろ」
辞令は人事部を通じてすでに処理されている。簡単に覆せる話ではない。
部屋の出口に向かいながら、俺の頭には牧原が発注先の話題を出した瞬間に手を止めたことが引っかかっていた。
自分のデスクで引き継ぎ資料をまとめ、後輩に渡す。あまりに急な展開に驚く後輩を尻目に、牧原に提出したレポートの控えを鞄の底に滑り込ませ、俺は席を立った。
翌朝、俺は赴任先の門前にたどり着いた。第2工場は本社から電車で1時間ほど離れた工業地帯の一角にある。前日に社内名簿で工場長の堀田という男について調べておいた。高卒で現場に入り、30年以上製造ラインと向き合ってきた叩き上げだ。
工場の敷地に入ると、俺は思わず立ち止まった。外壁の塗装が剥がれ、建屋のあちこちに錆が目立つ。入口で待っていた男が俺の顔を見て頭を下げた。堀田だった。互いに無表情のまま名乗り合う。
工場内を案内しながら、堀田が現状を語った。稼働しているのは3本のラインのうち1本だけで、残りは止まったままだという。従業員たちにも覇気がない。
「今日は赤字で修理できず、ライン停止だ」
堀田の声には諦めが滲んでいた。
俺は止まった2本のラインを歩いて見て回った。設備の年式はどれも古い。制御ユニットの蓋に小さなメーカーロゴが貼ってある。俺は足を止めた。
「ん? この機械」
メーカーの名前には見覚えがあった。本社での18年で、このメーカーの設備を何台も扱ってきた。このメーカーは、機械を動かすための指示を1箇所に集中させ、各部に振り分ける制御構造を採用している。組み立てコストを抑えやすい設計だが、中枢部分に熱が溜まりやすい。年数が経つにつれ、そこに使われている部品が劣化し、機械全体が断続的に誤作動を起こす。
本社で今期から稼働予定の新規設備は、この機械の後継モデルにあたる。俺がレポートで指摘したのはまさにその点だった。後継モデルも同じ集中制御の構造を引き継いでいる。同じ構造である以上、本社の主力ラインでもこの工場と同じことが起きる。
俺は堀田に頼み、過去の故障記録を見せてもらった。制御系統の誤作動が繰り返し記録されており、症状の出方が牧原に提出したレポートで想定した内容と一致する。本社の新規設備が本格稼働した後に何が起きるか、この記録を見れば予想がつく。
修理に必要なのは、劣化した中枢部品の交換だ。汎用品で代替できるため、業者を呼ぶ必要はない。俺は制御ユニットのカバーを外し、修理作業を始めた。3時間後、止まっていたラインが動き出した。堀田が隣に立ち、その様子を黙って見ている。
「治りました」
俺がそう言うと、工場内が沈黙していく。従業員たちが呆然としている。堀田がぽつりと聞いた。
「修理費用は?」
「部品代の数千円で収まります」
「まさか、そんな小額で修理が可能だと思わなかった。本体の入れ替えが必要だとばかり」
驚く堀田に、俺は続けた。
「実は、この機械についてもう少し話があります」
俺は故障記録と、鞄から出したレポートの控えを並べて堀田に説明した。この機械のメーカーと本社が今期稼働予定の新規設備のメーカーが同じであり、制御の構造が後継モデルに引き継がれていること。その問題を指摘したレポートを2ヶ月前に牧原へ提出したが、返答は一度もなかったこと。
堀田は腕を組んだまま最後まで聞いた。
「本社の新しいラインが、この機械と同じことになるということか」
「はい、なります。問題は時期で、今期の稼働開始直後の今なら、設計の見直しや部品の先手対応がまだできる。本格稼働に入ってから止まれば、ラインが丸ごと止まります。このレポートを2ヶ月前に出したのはそのためです」
「そのレポートを出した相手は、生産技術部長の牧原だったな」
そう言って堀田は目を細め、ため息混じりに言った。
「この工場の修繕予算の申請も、ずっと生産技術部で止まったままだ。毎回『優先度が低い』の一言だ。本体の入れ替えだったら莫大な費用がかかるから、仕方ないと思っていたんだが」
堀田が静かに続ける。
「君のレポートも握りつぶしているとなると、裏がありそうだな」
俺は無言で頷いた。堀田は何かを決意したように言った。
「俺はこの会社に高卒で入った。内藤社長とは同期なんだ。向こうは大卒で順調に上に行き、俺は現場に残ったが、内藤社長とは今も年に1度顔を合わせる程度の付き合いはある。同期というだけで大した仲じゃないが、直接話せる間柄ではある。その話、俺から社長に掛け合ってみようか」
堀田の決意に背中を押されるように、俺はたった一言答えた。
「お願いします」
堀田は無言で立ち上がり、故障記録の写しを手渡した。
「君が持っていてくれ」
とだけ言った。
1週間後、堀田から呼び出しがあった。
「社長に直接話してきた。『あいつを連れ戻せ』と社長は私に言ったよ」
俺は少し間を置いた。
「社長が直接そう言ったんですか?」
「君が出したレポートの話をしたら、『牧原から報告は受けていない』と社長は言っていた。君の名前を出したら、『現場で何度か話したことがある』と言っていたな。牧原には直接事情を聞くとも言っていたな」
それを聞いて俺は決めた。
「分かりました。社長に時間をもらえるよう取り継いでもらえますか?」
堀田はその日のうちに連絡を取り、夕方には折り返しが来た。
「明日の午後3時に時間を取ってもらえたぞ」
ところが翌朝、予期せぬ男が工場に訪れる。堀田と2人で本社に向かう準備を済ませ、出発まであと少しというところで、堀田が入口の方へ目で合図してきた。振り返ると、仕立ての良い高級スーツを身にまとった男が工場の中へ入ってくる。牧原だ。
「福永、少し話がある」
牧原は俺の前で立ち止まり、周囲を見回した。従業員たちの視線が牧原に集中する。
「福永、ここじゃ話しづらい。場所を変えよう」
「いいえ、ここで構いません」
牧原は諦めたように小声で話し始めた。
「社長がお前のことを気にしている。本社に戻すことを考えているそうだ」
「社長から直接そういう言葉があったんですか?」
「俺が社長の意向を受けてここに来た」
おかしい。社長が俺に何か伝えたいのなら、今日の面談でそれができる。わざわざ牧原が工場に来る理由がない。俺は牧原を正面から見据えていった。
「部長、俺が出したレポートは社長に届いていますか?」
牧原の目に動揺が走る。
「その件は俺が社長に説明する。だからお前は黙って本社に戻れ」
「黙って戻れば、何が変わるんですか?」
「お前の移動を取り消してやる。その件も含め、今回のことは全部俺が処理する。悪いようにはしない」
レポートについて俺が口を開けば、牧原は社長への説明の際、技術的な問題を御都合よく済ませ、逃げを測ろうとするだろう。
「部長、それは受けられません」
俺は毅然と拒否したが、牧原は押し返してくる。
「なぜだ? お前にとって悪い話じゃないだろう」
「部長が社長に説明する内容に、私のレポートが正確に含まれる保証がありません」
「俺の言葉が信じられないということか」
「私が提出したレポートに対し、部長からは2ヶ月間返答がありませんでした。その事実があります」
牧原の目が細くなった。
「話をこじらせるな」
「私から直接社長に説明させてください」
沈黙が流れた。堀田は俺の背後で腕を組んだまま動かない。俺は言った。
「今日の午後3時、堀田工場長を通じて社長との面談の時間を頂いています」
牧原の顔が初めて崩れた。一瞬だったが、確かに崩れた。
「そ、それは聞いていない」
社長は牧原に知らせず、俺との面談を設定したのだ。おそらく意図的に。
「では、面談の場に部長も同席していただければ話が早い」
牧原は目を見開いたまま何も答えない。
「では、そういうことで」
俺はそれだけ言った。牧原はしばらく立っていたが、やがて踵を返し、足早に工場を出ていく。
堀田が言った。
「社長にレポートの中身を全部話される前に、口を封じに来た。そういうことか」
俺は頷いた。
牧原が去って間もなく、スマートフォンに通知が入った。本社の調達担当者から、俺の社内アドレスへのメールだ。添付されていたのは経費精算の写しで、牧原が発注先の業者の代表者と業務時間外に複数回会食していた記録だった。一般的な接待の金額よりかなり高額なものだ。
午後1時を過ぎた頃、俺は鞄を手に取り、本社に向かった。本社ビルに着き、受付で用件を告げると、俺は会議室に案内される。ドアを開けると、窓を背にして内藤社長が座っていた。斜め向かいには牧原がいる。腕を胸の前で組み、視線をテーブルに落としている。
「福永です。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「現場で顔を合わせたことがあるね。覚えているよ」
俺は鞄からレポートを取り出し、社長の前に置いた。
「2ヶ月前に生産技術部長当てに提出した文書です。内容をご存知ですか?」
内藤社長がレポートに目を落とす。ページをめくりながら、黙って読んでいく。
「初めて見る」
社長がそう言った瞬間、牧原が口を開いた。
「社長、その件については私が内容を精査した上で」
「部長、精査した結果を社長に報告しましたか?」
牧原は言葉に詰まる。俺はレポートで示した問題点を説明した。新規設備の構造上の問題と、それによってラインに起こる断続的な誤作動についてだ。
内藤社長が顔を上げた。
「実際に起きているのか?」
「はい。私が赴任した第2工場の機械が、同じメーカーの旧型モデルです。同じ構造的な問題で2本のラインが止まっていました。修理した際の故障記録がこちらです」
俺は堀田にもらった故障記録の写しを示した。日付と症状が並ぶ資料だ。
「症状の出方が、レポートで想定した内容と正確に一致しています」
内藤社長がページを確かめながら言った。
「本社の新しいラインでも同じことが起きると」
「はい。本格稼働から数年が経てば、必ず起きます」
「待ってくれ」
牧原が割り込んでくる。
「その旧型機と新設備は世代が違う。同列に扱うのは乱暴だ」
俺は即座に答える。
「制御の基本構造は同じです。メーカーに確認すれば分かります」
「憶測で話すな」
「いえ、これは決して憶測ではありません。第2工場で俺が直した機械が証拠です」
牧原の口が止まった。俺は社長に向き直り、説明を続けた。
「このレポートには、発注先の選定についても書いてあります。今回の新規設備は、入札なしで特定の一社と直接契約する随意契約になっています。社内調達規定に定められた競争入札の手順を踏んでおらず、他社への見積もり依頼の記録が一切存在しません」
内藤社長の目が牧原へ向いた。
「牧原、これはどういうことだ?」
「発注先の選定については、技術的な要件を満たす業者が限られており」
俺は牧原を遮り、強引に続けた。
「社長、もう1点資料があります」
俺は別の書類を卓上に置いた。
「そこには、発注先業者の代表者と部長が複数回にわたって業務時間外に会食したと記録されています。調達担当者から入手した経費精算の記録です」
内藤社長がページをめくる。牧原がそちらに目を向けた瞬間、視線が落ちた。喉仏が小さく動く。
社長が重い声で言った。
「牧原、これはどういうことだ?」
声のトーンがさっきとは違う。
「このレポートを受け取った後、なぜ私に報告しなかった?」
「技術的な精査に時間がかかっており」
「2ヶ月間も精査していたということか」
「社長、これはまだ検討中の段階であって」
牧原が何か言おうとしたが、言葉が続かなかった。言い訳を重ねるほど、矛盾が積み上がっていく。俺はそれを黙って見ていた。
しばらくして、内藤社長が俺に向き直った。
「福永君、本社に戻ってもらえるか?」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「条件が1つあります。技術判断に関して、現場エンジニアの意見が数字より先に検討される仕組みを作ること。それだけです」
内藤社長は少し間を置いてから頷いた。
「分かった」
牧原はもう何も言わない。
あの面談から3ヶ月が経った。後から聞いた話では、牧原は面談の翌日、役員会へ呼び出され、業者との癒着について詳細な説明を求められたという。調査の結果、複数年にわたる便宜供与の事実が明らかになり、間もなく会社を去っている。
俺は本社の生産技術部に戻り、新設された技術審議委員会の初代委員長を任された。
堀田からは先月、短い連絡が来た。
「廃業の話は完全になくなった」
技術の仕事は、やった瞬間には形が残らない。機械が動いている間は、誰も気にしない。だから俺はこれからも書き続ける。数字に変換されない仕事を言葉に変える作業を、誰に頼まれなくても続ける。それが今回、唯一俺を守ったものだから。



