「部長、英語でのプレゼンなら俺に任せてください」
その言葉に、部長は鼻で笑った。
「はあ? お前が英語なんてできるわけがないだろう」
「やってみないと分かりませんよ」
俺、赤木誠は、日本でも大手の車部品サプライヤーに勤めている。つい最近まで地方の支社で働いていたが、今回、本社の花形である営業一部に配属された。
営業一部に配属されたのは俺を含めて5人。その中には、美人で有名な幸村愛さんもいた。
配属初日の挨拶で、営業一部の福田部長がこう言った。
「新人諸君。この営業一部は会社の核となる精鋭部隊だ。契約1つで数億から数十億の金が動く。ミスは命取りになることを肝に銘じて動くように。1に売上、2に売上、3から10まで全て売上だ。とにかく売上を増やせ。いいな」
福田部長は威圧的にそう言うと、新人たちの顔をゆっくりと見回した。そして、俺の顔を見た途端、見下したような笑みを浮かべた。
「おやおや、またお前と一緒になるとは思わなかったな。地方の営業所からよく本社に戻れたものだ。まあ、すぐにまた左遷されるかもしれんが、その間はくれぐれも迷惑をかけないでくれよ」
部長は俺に対して個人攻撃を仕掛けてくる。周囲の新人たちは、俺が以前何かミスをしたのだと認識したようだ。
以前、俺と福田部長は本社の広報部にいた。入社当時はやる気に満ちていて、少しでも多く契約を取ろうと人一倍仕事を頑張っていた。部長はそんな俺が目障りだったらしく、ことあるごとにきつく当たり、無理な課題をいくつも押し付けてきた。
部長は自分の気に入らない社員を見つけると、徹底的に嫌がらせをしてくる。俺が本社から地方へ左遷されたのも、部長の嫌がらせが原因だ。おそらく今回もその延長なのだろう。
福田部長は、ことあるごとに俺と他の新人たちを比較し、チクチクと嫌みを言ってきた。特に美人の幸村さんと俺を比較しては、彼女の業績を褒めちぎった。
「いや、幸村君はさすがだね。東大卒で仕事もできる。その上美人だ。縁は二物を与えずとは言うが、君の場合は二物も三物も与えられたようだ。私も鼻が高いよ。この調子でバンバンやってくれ」
「とんでもないです。全ては部長や先輩方のご指導のおかげです」
「はあ。それに比べて赤木は何をやってるんだ? 少しは幸村君を見習ったらどうだ? まあ、地方では売上成績が良かったかもしれないが、ただの運だろう。最初からお前には期待してないが、俺の足だけは引っ張らないでくれよ。もしまたヘマしたら、今度はもっと遠くまで飛ばしてやるからな」
「はい。肝に銘じます」
「肝に銘じただ? 適当な返事してるんじゃないぞ。ちゃんと理解してたら、売上がこの場合になるだろう。お前、本気でやってるのか? いい加減にしろよ」
実は、俺の業績が悪いと言われてはいるが、すでにノルマは超えている。部長はあえてそれには触れない。他の新人たちは、自分よりも成績の良い俺が嫌味を言われていることに、若干違和感を覚え始めているようだった。
「赤木さん、業績もちゃんとあるのに、なんで部長あんな言い方するんだろう」
「部長は気に入らない部下を徹底的に叩く。そういうやつなんだ」
一方、期待の新人である幸村さんは、その美貌で契約件数を伸ばしていた。取引先の上司は軒並み男ばかりなので、いきなり飛び切りの美人が営業に現れたら、それは気分がいいに決まっている。俺は取引先のオヤジどもの本性をよく知っているので、この先彼女がトラブルに巻き込まれなければいいなと心配していた。
「幸村さんはさすがだよね。美人な上に仕事もできて」
「赤木さん、容姿のことを言うのはやめてください。美人だからって私が何の努力もしていないと思ってます。私は今まで、顔だけの人間だって言われないように、人一倍努力してるつもりです」
「ごめん、俺が少し無神経だった」
俺の無意識な言葉が彼女の心に触れたのか、彼女の言葉は止まらない。
「そういう赤木さんは、なんで営業一部に配属されたんですか? ここはセールスに関する精鋭の集まりですよ。田舎の支社では売上を倍にしたって聞いてますけど、それって本当ですか? 正直、あなたの勤務態度を見ていると、全然頑張りを感じません。この部に配属されようと頑張っている社員はたくさんいるんです。やる気もないのに、その貴重な一枠を占領しないでください」
「あ、ごめん」
「こうやって、いつもヘラヘラしてやる気がないなら、異動願いでも出してください」
おそらく彼女は、美人だというだけで、今まで他人から顔だけの人間だと思われてきたのだろう。だが彼女はそれを知りながら、負けずに努力を続けている。そんな彼女が営業一部で業績1位になることは当然のことだった。
部長は幸村さんをさらに可愛がった。
「幸村君、この後、取引先の部長と会食があるから一緒に行くぞ」
「はい。喜んでご一緒させていただきます」
こうやって、彼女が取引先との会食に借り出されることが多くなった。彼女は自分が美人接待要因として部長にいいように使われていることを理解していない。
「ねえ、幸村さん、時間外での会食は会社からも推奨されていないよ。いくら福田部長と一緒だからって、あまりお勧めできるものじゃない。正直、部長とは少し距離を置くべきだと思うんだが」
「それは私に対する嫉妬ですか? ねえ、赤木さん、ノミニケーションって言葉知ってます? 私、今が頑張り時なんです。私はもっと上に行く。やる気のないあなたと一緒にしないでくれます?」
俺の助言は全く彼女に聞き入れてもらえない。
そんなある日、幸村さんは部長に、大きなプロジェクトのプレゼンテーションを任せたいとの指名を受けた。
「幸村君なら大丈夫だろう。このぐらいは朝飯前さ。社運をかけたビッグプロジェクトだ。新人で抜擢されるなんて名誉なことだぞ」
「はい、頑張ります」
このプロジェクトは、会社が新しく開発したEV用の制御基盤を国内外に売り出すためのものだ。営業部のみならず、広報部や開発部も加わって、大々的なプロモーションを行うことになっている。だが正直に言って、この大きなプロジェクトのプレゼンを新人に任せるというのは、かなり無謀だと俺は思う。部内からは反対の声も上がっていた。だが、プレゼンの大変さを知らない他の社員から見れば、有名大学出身のエリート美人社員を広告にしたようにも見て取れる。一部の社員には、部長と彼女の関係を色眼鏡で見て噂するものもいた。
ともかく、話題性は抜群だろう。だが、新開発の商品ということで、以前の制御基盤との費用対効果を含めたデータの比較や、他社製品との比較、そこからの乗り換えをアピールする点においても、資料の量は膨大だった。到底1人で処理できる量ではない。もちろん開発部門や製造部門も色々と協力してくれているが、それでも彼女1人の手には終えるはずもない。
資料作りだけでも大変なのに、彼女の場合、ほぼ連日部長から飲みに誘われているのも知っていた。毎日残業に明け暮れ、ろくに寝ていないのか、顔色も悪くなっている。目の下にくっきりとクマができ、美人が台無しだ。
「なあ、幸村さん、俺にも何かできることはあるはずだから、手伝おうか」
会議室で懸命に資料をまとめる彼女に俺が声をかけると、今まで見下していた相手に情けをかけられたとでも思ったのか、彼女が俺を睨みつける。
「大丈夫です。赤木さんに助けてもらう必要はありません。私だけでもちゃんとできます」
しかし、このままではまずいと思った俺は、彼女に食い下がった。
「そうやって無理して倒れたら、大事なプレゼンができなくなっちゃうよ。資料整理とか裏方ぐらいなら、俺にもなんとかできると思うんだけど」
真剣にそう言うと、彼女は少し考えた結果、折れたようだった。
「じゃあ、本当に少しだけ、他社製品との比較表をまとめてもらってもいいですか?」
「ああ、もちろん」
それから俺は、彼女のプレゼン用の資料作りを手伝うようになった。実際に手伝って改めて感じたが、この作業量は尋常ではない。これは福田部長の思惑が絡んでいるような、嫌な予感がした。
「はい、幸村さん、これでいいかな?」
俺はまとめた資料を幸村さんに手渡した。
「え、も、もうできたんですか? この資料、すごい分かりやすくまとまってるわ。こんなに手際よく整理できるなんて。赤木さん、あなた一体何者ですか?」
「俺、ただの平社員だよ。喜んでもらえてよかった。でも、この仕事量は異常だよ。このまま1人でやってたら、絶対に体を壊すよ。俺が手伝ったことは内緒で構わないから、これからも少し手伝わせてくれないか?」
「え、いいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます。本当は膨大な量だったので、どうしようかと思ってたんです」
これだけ頑張っている彼女の努力を無駄にするわけにはいかない。あの部長の思惑通りにさせるわけにはいかない。俺は少しでも彼女の負担が減るように力を尽くした。その甲斐あって、プレゼンの資料は会議前日には準備が終わった。
「赤木さん、ありがとうございます。赤木さんに手伝ってもらわなきゃ、とてもここまでできませんでした」
「いやいや、幸村さんの頑張りがあったからだよ。とにかく、あとはプレゼンを成功させるだけだ。頑張ろう」
こうして俺たちは、社運をかけた新商品のプレゼンテーションに臨んだ。今日のプレゼンには、大手自動車メーカーの重役たちが勢揃いしている。海外の役員たちもネットを通じて参加している。
資料を1から読み解き、様々な観点から利点をうまくまとめただけあって、彼女の用意周到なプレゼンテーションは淀みなく進んだ。飛び切りの美人が笑顔で説明をするので、相手側も終始機嫌よく話を聞いてくれた。かなりの好印象である。
彼女がプレゼンを終えると、部長が彼女の隣で言った。
「いや、さすが幸村君だね。見事だったよ。君に任せた甲斐があった」
「ありがとうございます。これも部長が推薦してくださったおかげです」
これから質疑応答に移ろうとした瞬間、部長がとんでもないことを幸村さんに言った。
「ただ、今日は海外のクライアントも多いから、あと、できれば完璧なんだがなあ」
「それは、どういう……」
「例えば、ここで君がかっこよく英語でのプレゼンを決めるとかね」
「え?」
「何、君は有能なんだ。それぐらい簡単にできるだろう」
「そんな、無理です。何の準備もなく、いきなりなんて」
「いきなりとは、前もって英語でのプレゼンの可能性も伝えていただろう」
「いいえ、プレゼンは日本語だけでいいって、英語では聞いてなかったです」
「はあ。ここでできない言い訳か。君、今日は海外の役員も参加することは伝えてあっただろう。だったら、それに備えるのが常識じゃないか」
「そ、そんな……」
最初にプレゼンの資料を準備する際、彼女は確かに日本語の説明だけで構わないと言われていた。普段、英語での日常会話ぐらいならできるが、専門用語を含めたプレゼンテーションの実施となると、さすがに難しい。
そんな無理もない状況にも関わらず、部長はさらに彼女を追い詰める。
「なんだ? できないのか? 君、東大卒だろ? 言われたこともまともにできないんじゃ、このプレゼンは失敗決定だな」
「で、でも、中途半端な英語でプレゼンするのは、もっと……」
「口ごたえするな。やれって言われたらやるんだよ」
「うう……」
俺は、どんどん顔色が悪くなり、青ざめていく幸村さんを見ていられなくなった。
「部長、英語でのプレゼンなら俺に任せてください」
「はあ? お前が英語なんて、お前には無理だろうが」
「やってみないと分かりませんよ」
「お前、またあの時の二の舞になるつもりか。次はもっと遠くに飛ぶことになるぞ」
「覚悟の上です」
俺はすっと彼女の前に出て、流暢な英語でのプレゼンテーションを始めた。まずは丁寧な挨拶から。取引先の重役たちに、新商品の紹介をさせてもらえる感謝を伝えた。加えて、当社の新製品が開発された経緯や、新製品の良さを余すところなく紹介する。最後は、この商品を使うメリットと、取引後の会社の利益について、具体的な金額を交えてのアピールだ。
ペラペラと淀みなくプレゼンテーションをすると、海外の取引先の重役たちから「エクセレント」「アメイジング」と小さな声が飛ぶ。だが、俺はそれだけにとどまらない。インドや中国の役員たちに向けて、ヒンディ語や中国語でもプレゼンを行った。部長は驚きのあまり、ポカンと口を開けたままこちらを眺めている。
先ほど同様、拍手喝采が巻き起こる中、俺は無事に多国語でのプレゼンテーションを終えた。
もちろんプレゼンはうまくいき、俺たちは数社の大手企業と契約を結ぶことに成功した。その際、取引窓口を是非俺にして欲しいとご指名が入るほどだった。
数時間後、社長室に呼ばれ、社長から褒められる俺たちがいた。その中にはもちろん福田部長もいる。まだ何も知らない社長は、君の指導がいいからだと部長のことも褒めている。部長はさも当然だというように、自慢げに自分の手柄をひけらかしていた。
社長室を出た部長は満足げに、「ふう。これで俺の昇進は決まったも同然だな」と独り言を言った。そして俺たちに、「今回たまたまうまくいったからって図に乗るんじゃないぞ。俺から見たら、今日のプレゼンなんて、ただの子供騙しに過ぎん。この程度で社長に褒めてもらえるなど、俺が上司でなきゃありえない話なんだ。いいか? これからは、いつどんな要求をされても、ちゃんと答えられるようにしとけよ」
そう言って去っていった。
やれやれ。俺が呆れていると、幸村さんが俺に向かって頭を下げてきた。
「赤木さん、本当にありがとうございます。赤木さんがあの時前に出てくれなかったら、失敗をして契約が取れていなかったかもしれません。そう思うと、未だに震えが止まりません。でも、英語だけじゃなく、ヒンディ語に中国語まで流暢に話せるなんて。赤木さんって、やっぱり何者なんですか?」
「ああ、実は俺も新人の頃、福田部長に同じことをされたんだ。初めてのプレゼンで、いきなり英語でスピーチをしろと言われてね。舞い上がった俺は、しどろもどろの英語になってしまって大失敗。契約は何とか取れたものの、準備不足の俺が悪いって部長に言われて、俺は地方へ飛ばされた」
当時の俺は、トップクラスの大学を出て、将来間違いなしと期待されていた。俺もその期待に答えようと懸命になって働いた。だが、それが部長から目をつけられる原因となった。
俺は部長に馬車馬のごとく働かされ、睡眠時間もろくに取れずに仕事に追われた。出した業績は部長のものとなり、最終的にたった1回のプレゼンミスで地方の支社へ飛ばされたのだ。後にそれが福田部長のやり方だと知り、どれほど悔しい思いをしただろう。
「地方に移って最初の頃は、何もやる気がなくて腐ってたんだけど、福田部長の舐め切った顔が頭から離れなくてね。このままじゃダメだと思って、語学の勉強を始めたんだ」
「そうだったの……」
俺が飛ばされた支社のある場所は、米軍基地や大手自動車製造工場があり、様々な人種が集まる人種のるつぼだった。英語は米軍基地の中に住んでいる家族が格安で教えてくれたし、ふらりと入った居酒屋に中国やインドから来た人たちが大勢いたので、彼らに何度もお願いして言葉を教えてもらった。
中でもインドから来たルドラさんは、地方に飛ばされたばかりでふてくされて落ち込む俺の話を、真剣な顔で聞いてくれた。酒を飲んでは愚痴を言い、体調を気遣う家族からの電話に寂しくなって泣いた。そんな情けない俺を見ても、ルドラさんは嫌な顔1つせず、いつもそばで励まし続けてくれた。
「赤木、人生色々あるさ。いい時もあればダメな時もある。今は飲め。愚痴ならいくらでも聞いてやる」
彼とは気が合って、いろんな話をした。ヒンディ語を教えてもらいながら、2人で釣りやうまいもん巡りをしたりした。
「赤木、お前はいいやつだな。日本人は建前と本音が違うやつが多いが、お前はまっすぐで信用できるぞ」
「ルドラさんは優しくて、一緒にいて疲れないし、お金が大好きなところが面白いです」
「そう、インド人みんなお金大好きだよ。でも、面白いことはもっと好きだ。日本の釣り、最高」
彼は日本での釣りが大好きで、俺の趣味とも合う。俺がいつかはインドの海で大物を釣りたいと言うと、喜んで案内をすると言ってくれた。俺も時間が許す限り彼と行動を共にした。語学教室に通うよりも、生の言葉で学ぶのが1番効率が良いというのは本当だった。だから、日本人にとっては難しいと言われるヒンディ語も、俺はあっという間に不自由ないぐらいに話せるほどに上達した。
「おかげ様で、今は英語、ヒンディ語、中国語の3カ国語が話せるようになったよ。これからはフランス語とアラビア語も勉強してみたいな」
「すごい。こんなにできるのになんで隠してたんですか?」
「それは、福田部長がまた何か企んでいるみたいだったからさ。あの人は、自分の立場を揺るがしかねない有能な人を片っ端から潰すんだ。俺もあいつの被害者だったからね。俺が地方に飛ばされてからも、次々と新人が被害にあったって聞いている」
「じゃあ、私も1歩間違ってたら潰されてたってことですね」
「そうなるかな。だから、あいつが何か仕掛けてきたらいつでも対応できるようにしていたんだ。それには、実力を隠していた方がいいだろう」
「そうだったんですね。知らずに、私ったら生意気な態度ばかり取ってしまって。赤木さん、本当にすみませんでした。分かってなかったのは私の方でした」
彼女は今までの俺への態度を素直に謝罪してくれた。けど、福田部長のやり方は許せない。部下の頑張りを全て自分の手柄にした挙げ句、無理を押し付けて将来を奪うなんて。
「そうだな。実は俺がこの部署に来たのには理由があって」
「え、そ、そんなこと、私にできることなら何でも協力します」
俺は幸村さんにだけ、ある秘密を打ち明けた。
それから数日後、本社と取引先との定例会議の日。この日は珍しく来日している取引先の社長が会議に出席するという。この日、営業部より営業報告をするように言われた部長は、緊張した面持ちで重役人の前に立つ。
福田部長が報告をしようとした時、俺は意を決し、一歩前へと踏み出した。
「部長からの営業報告の前に、私から皆様に重要なご報告があります」
第一声を発すると共に、スクリーンにモニター画面を映し出す。会議室が一瞬ざわついたが、俺は英語、ヒンディ語、中国語を交え、福田部長の不正請求について暴露し始めた。
スクリーンには、下請け業者から金銭を受けていた架空口座と、そこから部長の口座へと金の流れがしっかりと記載されている。加えて、銀座のクラブ内で行われていた某所の裏取引シーンも映し出した。福田部長は下請けの部品工場の単価を無理に下げさせ、請求額はそのまま、差額分を自分の懐に入れていた。そして、今度はその金で過剰な接待や裏取引を繰り返した。中には、会社の品物を不正に横流ししていた形跡もある。
「いや、やめろ。おい、赤木。一体何の根拠があってこんな嘘をつく?」
「嘘ではありません。これらの証拠は全て本物です」
「実は、俺の本当の所属は社長直属の監査部だ。地方の支社で活躍した手腕と、以前福田部長の部下として働いていた経歴を買われた俺は、福田部長の周囲を調べて欲しいと社長から依頼を受けていた」
福田部長の怪しい行動が、社長の耳にも届いていたのだ。今回、福田部長の不正の裏取りがスムーズにいったのは、監査部の協力があったからだ。福田部長の顔は真っ青で、額からは冷や汗が流れている。
「皆さん、こんな平社員の話など聞くことはありません。これらは全てこの男のはったりです。信じてください。俺は何も悪いことはしていない」
今更どんな言い訳をしたところで、もうどうにもならないのに、部長はどうやら理解できていないようだ。すると、今度は部屋の中央に鎮座していた取引会社の社長が声を発した。
「赤木が嘘をつくはずはない。私は赤木の証言を信じる。悪いのはその部長だな」
「え、あなたは……」
取引先の社長の席に堂々と座っているのは、俺のよく知っている人物。ヒンディ語を教えてくれたあのルドラだった。
「その部長の悪評は効いている。新人を罠にはめ、地方に飛ばしたりするのが得意な人物らしいな。私はその部長が信用できないよ。我が社はその部長とは取引できないが、そちらの社長はどうするのかな?」
「はい。もちろん当社も厳重な調査をし、営業第1部の部長にはそれ相応の処罰を行いますので、ご安心ください」
「そうか。なら、今後はそれ相応の担当者を希望するよ」
「はい。承知いたしました」
社長の返事に、福田部長はぐったりとうなだれ、この世の終わりのような顔で会議室を後にした。
俺はルドラが大手自動車メーカーの社長だとは知らなかったが、今思えば、向こうはこちらの事情を把握していたのかもしれない。酒の席で俺が福田部長のことを愚痴っていたら、普通なら聞きたがらない愚痴を、ルドラはねほりはほり聞いてきたことがある。
ルドラは会議が終わって帰る際、俺に向かってかっこよく親指を立てて見せた。俺もこっそりとルドラに向かって親指を立てて見せる。互いに笑顔でその場を後にした。
その後、俺が監査部に証拠書類を提出し、本部が不正請求に関して詳しい調査をした結果、福田部長の罪が明らかになった。部長は工場長に受注量を減らすと脅し、減らされたくなければ単価を下げろと脅したらしい。結果的に工場長は彼の言いなりになり、不正請求に加担した。
社長はその全貌を知り、福田部長を解雇し、懲戒処分とした。
福田部長曰く、自分の立場を脅かす存在が這い上がってくるのが怖かったと。だから、芽を摘む前にその芽を積んでいたという。
「部長。なんでこんなことを」
「お前らみたいな将来有望な奴らには、俺の不安なんて理解できないさ。部長の座を維持するには実績が必要だった。そのためにあの工場で金を工面しようと思っただけだ」
「そんなことをして、虚しくないですか? 俺はあなたに飛ばされた後、懸命に努力してまたここに戻ってきました。でも、あなたはどうです? 何の努力もせずに、有能な新人を潰してばかり。あなた自身に残ったものは何ですか? 俺はもっと上に行きます。でも、それは自分の力で掴み取ります。あなたのようにずるをしたって、自分に何も残らない。あなたも気づいているんでしょう」
福田部長は悔しげに唇を噛みしめながら、会社を去っていった。
その後、ルドラの会社からは担当者を俺にして欲しいと指名があった。もちろん、ルドラと俺は今でも良い釣り仲間だ。
部長の不正を暴いた功績を評価され、俺は晴れて営業一部の部長に任命された。
「赤木部長、昇進おめでとうございます。私は赤木部長の頑張りに感激しました。これから色々とご指導してください。どこまでもついていきます」
幸村さんは熱心に俺を崇拝し始め、語学の勉強に励みながら営業成績を上げていった。俺の営業姿勢を学びたいと後をついて回る。そのうち、自分の部屋に帰る時間が惜しいと言い出し、俺の家にまで居ついた。
結果的に俺たちは付き合うようになり、今、彼女は俺の良き妻となってくれている。
俺は左遷されて遠回りをしたと思ったが、それは違う。左遷は俺が成功するために必要なことだった。自分に降りかかることは、成功するためのステップなのだ。成功するための近道はない。毎日コツコツとひたすらに努力していくことが、成功への近道なのだ。
ゆっくりでいい。俺は自分の気持ちに正直に、一歩一歩踏みしめながら人生を歩んでいこうと思う。



