朝の八時過ぎ、玄関で姉がヒールを吐きながら言った。「私行かないから。」
二階には着付け用の振り袖がかかっている。なのに姉は自分のワンピースに着替え、足元には旅行用のカバンが置いてあった。母が階段を駆け下りてきた。「あお、何を言ってるの?あと二時間で仲人が来るのよ。」母の声は裏返っていた。姉は振り返りもしなかった。「あんな写真の男の前に私が座るの、無理に決まってるでしょ。」
玄関のドアが閉まった。家の中は静かになった。父が奥の部屋から出てきて、母と顔を見合わせた。「会場は常南で一番古い料亭の座敷だ。中ほどは父の会社の取引先の役員だ。今から断れば霧原の家の顔は潰れる。」その時、母が振り返った。まっすぐに私を見た。台所で朝食の皿を洗っていた私を。「はるか、あんたが行きなさい。」
私は手を止めた。水の流れる音だけが続いていた。「聞こえたでしょ?あんたがまおの代わりに座るの。」
その朝、私は姉の身代わりとしてお見合いの席に座った。相手は写真の中で色の焦げた作業着を着て、軽トラックの前に立っていた人だった。この日から始まった半年が、私の人生を根っこからひっくり返すことになるなんて、この時の私はまだ思ってもいなかった。
私の名前は霧原はるか。二十五歳。常南市で業務用の食品を卸している霧原フードサービスという会社の社長の娘だ。娘と言っても会社に席はない。朝五時に起きて家族四人分の朝食を作り、事務所へ行って伝票を仕分ける。電話がなれば取る。誰かが休めば穴を埋める。夕方に戻って夕飯を作る。それが高校を出てからの七年間だった。給料はもらっていない。「家の仕事に給料が出るわけがない」というのが母の言い分だった。
姉のまおは三つ上で、私とはまるで違った。背が高くて顔立ちが整っていて、話し始めると場の中心になる。大学を出て父の会社の営業部にいる。両親は姉のことを話す時、いつも少し声が高くなった。母がよく言っていた言葉がある。「あんたはまおの引き立て役なんだから。」小学生の頃から数えきれないほど聞いた。だから私はそういうものだと思って育った。前に出ない。口答えしない。呼ばれたら行く。それが霧原の家での役目だった。
霧原フードサービスはホテルや旅館やレストランに食材を卸す会社だ。従業員は五十人ほど。父が三十年前に一台で起こした。私が事務所に出入りするようになったのは高校三年の秋からだ。大学へ行きたいと言うと、父は書類から目を上げずにこう言った。「女に金がかかる。お前は家におればいい。」それで話は終わった。就職の相談も同じだ。母が三者面談に来なかったので、担任の先生が困った顔をしていたのを覚えている。
事務所の仕事は雑用だった。伝票の仕分け、請求書の封入、電話の取り次ぎ。誰かがやめるたびに私の机の仕事は増えた。それでも文句は言わなかった。言えば面倒になると知っていたからだ。
ただ、雑用にも雑用なりの覚え方がある。伝票を七年も仕分けていると、どの店がどの食材をいつ頼むかが頭に入る。あそこのホテルは金曜に大きい注文が入る。あの旅館は十二月に入ると魚の量が三倍になる。枚数を見ただけで、その月に何があったのかが分かるようになった。ただ、仕入れの伝票は私の机には来なかった。仕入れの伝票は営業部が別に持っていて、私が触るのは売り先の分だけだった。電話も同じだ。名前を名乗らない相手でも、何年も取っていれば声と癖で分かる。母は私のそういうところを一度も褒めなかった。褒めるどころか、気づいてもいなかったと思う。
一度だけ、こういうことがあった。得意先の旅館から注文の行き違いで大きなクレームが入ったことがある。事務所は朝から大騒ぎで、営業部の人たちが机の上をひっくり返していた。私は自分の机でその旅館の三ヶ月分の伝票をめくって、五分で見つけた。先方の担当者が電話で数を言い間違えていたのだ。前の月にも同じ間違いがあって、その時訂正の電話を受けたのが私だったから、余白に鉛筆で日付を書いてあった。私がその二枚を持っていくと、うちのミスではないと分かって事務所の空気が緩んだ。父は「そうか」とだけ言って自分の部屋へ戻った。
その後、姉が私の机に来て伝票を取り上げてこう言った。「これ、私が見つけたことにしていい?だって、あの旅館私の担当だもん。はるかが見つけたって言っても誰も分かんないよ。」私は頷いた。断る理由が思いつかなかったからだ。その週の会議で姉は父に褒められたそうだ。私はその会議に呼ばれていない。家に帰ってから母がこう言った。「まおがね、旅館の件で助かったって、お父さんが言ってたわよ。ああいう機転が効くのは、やっぱりあの子だわ。」私は「そう」とだけ言って夕飯の支度を続けた。
悔しくなかったかと言うと嘘になるけれど、悔しがったところで私の暮らしは一ミリも動かない。動かないと分かっていることに気持ちを使うのは、私にはもう贅沢だった。
もう一つ、私には家の台所で身についたものがあった。母は料理をしない人だった。私が中学に上がった頃から夕飯を作るのは私の仕事だった。父の会社は食材の卸しだから、売れ残りや傷の入った野菜がダンボールごと家に回ってくる。曲がったキュウリ、割れた大根、線の入ったニンジン。そういう野菜は市場では値がつかない。父は「はね出し」と呼んでいた。規格から外れた、はね出されたものという意味だ。
はね出しの野菜を毎日切っているうちに、私は妙なことに気がついた。形の悪い野菜の方が味が濃いことがあるのだ。まっすぐ揃った人参より、途中で二股に割れた人参の方が甘い日がある。綺麗に巻いたキャベツより、外の葉が破れたキャベツの方が芯が締まっている日がある。いつもではないけれど、確かにそういう日がある。
一度だけ母に言ってみたことがある。中学二年の時だ。その日の煮物に使った人参が驚くほど甘かった。二股に割れた、一番形の悪いやつだった。私は夕飯の時に「これ甘いよ」と言った。母は皿も見ないでこう言った。「そんなの気のせいでしょう。はね出しなんだから。」はね出しなんだから。その一言で終わった。味の話をしていたのに、帰ってきたのは値段の話だった。それ以来、私はそれを誰にも言わなかった。言ったところで「あんたに何が分かるの」と返されるのが目に見えていたからだ。
そんな私に縁談が来たわけではない。縁談は姉に来た。三月の終わり。父が帰ってくるなり、上着も脱がずに母を呼んだ。「まおに見合いの話が来た。」母が台所から飛んできた。私は流しの前でその話を聞いていた。相手は北野町というところで農業をやっている三十四歳の男性だという。仲人は父の会社の取引先の役員で、その人が是非と思ってきた話だ。母は顔を曇らせた。「農業って、農家ってこと?北の町って、あの山の方?」父は椅子に座って上着を脱いだ。「向こうさんも家柄は悪くないらしい。とにかく先方はうちの会社にも縁がある。無にはできん。」
父は封筒も持ち帰っていた。中には写真と釣り書き。釣り書きというのは、相手の生まれや仕事や家族のことを書いた紙のことだ。母が封筒から中身を出して写真を見た瞬間に、短く声をあげた。「ちょっと、これ。」写真の中の男の人は色の焦げた作業着を着ていた。膝の辺りに泥が跳ねている。背景には軽トラックが止まっていて、その荷台には箱のコンテナが積んであった。日に焼けた顔でこちらを見て、少しだけ笑っている。それだけの写真だった。「これをお見合い写真で送ってくるの?普通スーツくらい着るでしょう。」母は写真をテーブルに放った。私が拾って戻すと、母はそれをまた指で押しのけた。父は釣り書きの方を手に取った。折り目を開いて目を通し始めたけれど、最初の職業を読んだところで父の指が止まった。「まあ、農家か。」そう言って父は釣り書きを封筒に戻してしまった。父は釣り書きを最後まで読まなかった。母は写真しか見なかった。
その夜、姉が帰ってきた。母が写真を見せると、姉は三秒も見なかった。「無理。」「ちょっとは考えなさいよ。お父さんの立場もあるんだから。」「こんな貧乏そうな男の人、絶対に嫌。泥だらけじゃない。」姉は写真を裏返してテーブルに伏せた。「私、そういうのと結婚して一生軽トラに乗る人生とか考えられないから。」母は困った顔をしたが、本気ではなかった。母も同じ気持ちだったのだと思う。
それからの一週間、家の中はずっとその話だった。断ろうか。でも仲人の顔がある。一度だけ座って、後で断ればいい。結局そうなった。姉は最後まで嫌がっていたが、当日の朝までは支度をする気配があった。だから母も油断していたのだと思う。そして当日の朝八時過ぎ、姉は旅行かばんを持って玄関を出ていった。残されたのは二時間後に始まる見合いと、二階にかけたままの振り袖だった。そして母は台所にいた私を見た。
何を言われたのか、私にはすぐには分からなかった。「私が?」「そうよ。相手はまおの顔なんて知らないんだから。」「でも、先方は姉さんと見合いをするつもりで…」「霧原の娘には違いないでしょう。」母はもう二階へ上がろうとしていた。振り袖を取りに行ったのだ。私は父を見た。父はテーブルの新聞を畳んで、こちらを見ずに言った。「行ってこい。」「お父さん…」「顔だけ出せばいい。あとはこっちで断る。」母が階段の途中で振り返った。そしてこう言った。「どうせあんたには贅沢な相手よ。」その言葉は不思議とあまり刺さらなかった。似たようなことをそれまでに何百回も言われていたからだと思う。刺さったのは、その後に続いた一言の方だった。「家族のためでしょう。」
私は返す言葉を持っていなかった。二十五年間、私はその言葉で動かされてきた。家族のため、霧原の家のためだから、今日も台所に立ち、伝票を仕分け、電話を取ってきた。私は手を拭いて二階へ上がった。姉のために用意された振り袖は、袖が少し長かった。着付けの人は「あら」と言いかけて、それから何も言わずに帯を締めてくれた。鏡の中の私は、他人の服を着せられた人形に見えた。
料亭の門をくぐったのは十時二十分だった。座敷は中庭に面していて、桜がもう散りかけていた。仲人の役員が先に来ていて、私を見て一瞬だけ動きを止めた。私は畳に手をついた。「霧原の娘、はると申します。姉のまおがどうしても来られなくなり、代わりに参りました。」嘘をつくつもりはなかった。というより、つき方を知らなかった。仲人の役員は困った顔で父を見た。父は咳払いをし、母は畳に目を落としていた。
その時、廊下から足音がして襖が開いた。入ってきたのは背が高くて肩の広い人だった。写真より少し痩せて見えた。着ていたのは紺のジャケットで、生地が薄くなっているのが遠目にも分かる。袖口が擦れて白い。何年も着ているのだろうと思った。その人は畳に座って深く頭を下げた。「小泉新一です。今日はありがとうございます。」低くて押し付けがましいところのない声だった。顔を上げた時、私はその人の手を見た。節が太くて甲が日に焼けていた。人差し指の付け根に古い傷があり、爪は短く切り揃えてある。爪の際に、洗っても落ちない土の色が残っていた。私も自分の手を膝の上で握った。七年分の洗い物で赤切れの治らない手だった。
仲人が形式に沿って両家を紹介した。父が会社の話をした。取引先の名前を並べて、少し声が大きくなっていた。母は途中から小泉さんの服装をチラチラと見ていた。父の話は長かった。霧原フードサービスは創業三十年で、県内のホテルと旅館の何割かに食材を入れている。近頃は産地との直接の取引に力を入れていて、いい生産者を探している。父はその話を十分続けた。「まあ、うちのような会社が言うのもなんですが、これからは産地と直に組む時代です。私はね、いいものを作る人にはちゃんと値をつけてやりたいんですよ。」
小泉さんは黙って聞いていた。相槌は打っていたが、顔はほとんど動かなかった。私はその時、変だなと思った。七年伝票と電話で人を見てきたせいだと思う。人は自分の商売に近い話が出ると、目の辺りが少し動く。小泉さんは全く動かなかった。聞いていないのではない。聞いていてなお動かさないでいるように見えた。けれど私は自分の感を信じたことがない。気のせいだろうと思って、膝の上に目を戻した。
父の話が途切れたところで、小泉さんは一度だけこう言った。「北の町で農業をしています。畑と、あとは出荷の仕事を少し。」それだけで、それ以上は自分の話をしなかった。母が身を乗り出した。「あの、失礼ですけど、農業というのはどのくらいの…?」「土地はまあ、それなりにあります。」「それなり?」母は口の端を上げた。私にはその笑い方の意味が分かった。「ああ、やっぱりね」という笑い方だ。「大変ね。人手も足りないんじゃないの?」「足りない年もあります。」母は「そうよね」と言って湯呑みを取った。その受け答えを私は横で聞いていた。小泉さんは一度も嘘をついていなかった。「人手が足りない年もある」「土地はそれなりにある」。全部本当のことだ。ただ、大きく言うということは、この人は一切していなかった。母は言葉の少なさを中身の少なさだと受け取っていた。そして、そう受け取られても構わないという顔を小泉さんはしていた。
料理が運ばれてきた。春の献立で、筍と菜の花、鯛の刺身、それから炊き合わせ。緊張していたので味などしないだろうと思っていた。炊き合わせの器に、花の形に抜いたニンジンが入っていた。一口食べて、私は思わず箸を止めた。甘かったのだ。砂糖の甘さではない。噛んだ後に、後ろの方からゆっくり上がってくる甘さだった。私は毎日はね出しの人参を切ってきた。何百本もだ。だから分かった。これはあの二股の人参と同じ味だ。急がせて太らせたものではなく、寒さにあたって時間をかけて育ったものの味だ。気がついたら、私は声に出していた。「この人参、甘いですね。」
座敷が静かになった。母が私を睨んだ。お見合いの席で料理の感想を言う人がいるか、という顔だった。私は慌てて口を閉じようとしたが、もう一言だけ出てしまった。「土がいいんだと思います。」自分でもなぜそう言ったのか分からなかった。父が咳払いをした。母が「すみません。この子は」と言いかけた。その時、小泉さんが顔を上げた。私を見ていた。まっすぐに。その目がそれまでとは違っていた。「そうですか。」それだけ言って、小泉さんは自分の器の人参を口に入れた。ゆっくり噛んで飲み込んで、それから小さく頷いた。「はい。土です。」
すると仲人が思い出したように口を挟んだ。「そういえば、こちらのお店、小泉さんのところの野菜を使っておられるんでしたね。」「ええ。父の代からです。」母は「あら、そう」と言っただけだった。母にとっては、農家が料亭に野菜を売っているというだけの話だったのだと思う。そのやり取りの後、座敷はまた当たり障りのない話に戻ったけれど、私には一つ気になることがあった。小泉さんが私の言ったことに一度も理由を聞かなかったことだ。普通なら聞くと思う。「なぜ土がいいと思ったんですか」と。若い女が料亭の煮物を食べて土の話をしたら、大抵の人は不思議がる。聞かないということは、こちらの言ったことが分かっているということだ。私はその時、この人は何を作っている人なんだろうと初めて思った。「畑と、あとは出荷の仕事を少し」そう言っていたけれど、あの人参の意味が一口で分かる人が、少しだけ出荷をしている人であるはずがなかった。
その考えは、けれど母の声にかき消された。「うちの主人も申しますけれど、これからの時代、若い方は資格でも取っておかないとね。」母は小泉さんに向かって話しているようで、本当は隣の仲人に聞かせていた。私は膝の上に目を戻して、それきり何も言わなかった。
見合いは一時間ほどで終わった。帰り際、仲人が父と母を先に玄関へ連れて行き、廊下に私と小泉さんだけが残った。小泉さんは中庭の方を見たまま、こちらを向かずに言った。「無理をして来られたんですよね。」私は息を止めた。「お姉さんが来られるはずだったんでしょう。」「はい。」「振り袖の袖の長さが合っていない。誰か別の方に合わせたものを、今朝慌てて着せられたんだと思いました。」私は自分の袖を見た。確かに指先が半分隠れている。小泉さんが振り返った。怒っている顔でも責めている顔でもなかった。「嫌なら、この場で断ってくださって大丈夫です。断りの理由はこちらで作ります。霧原さんのお家に迷惑がかからないようにします。」
私は言葉が出なかった。その日まで、「嫌なら断っていい」と言ってくれた人は一人もいなかったからだ。「家族のためでしょう」「お前は家におればいい」「あんたはまおの引き立て役なんだから」。私が聞いてきたのはそういう言葉ばかりだった。気がつくと、私は首を横に振っていた。「いえ…断りません。」自分の声だとは思えなかった。小泉さんが少しだけ目を見開いて、それから初めて笑った。目じりにしわの寄る笑い方だった。「そうですか。」
廊下の向こうから母の呼ぶ声がした。私は一礼して歩き出した。数歩進んだところで、私は足を止めた。小泉さんのジャケットの肩に、乾いた土がついていたのだ。少しだった。私は戻って手でそれを払った。自分でもなぜそんなことをしたのか分からなかった。七年、誰かの服の埃を払うのが仕事のような暮らしをしていたから、手が勝手に動いたのだと思う。「あ、すみません。ついていたので。」私はもう一度だけ小さく礼をして、今度こそ廊下を歩いた。背中に小泉さんの視線を感じていた。
帰りの車で、母はずっと機嫌が悪かった。「あの人、ジャケットの袖が擦り切れてたわ。見た?」「まあ、農家だからな。」「それに、うちの会社の話をしても全然食いついてこないの。ああいう人はダメよ。商売気がないんだから。」私は後部座席で黙っていた。
家に着くと、姉が帰っていた。ソファーでテレビを見ながら私を見て笑った。「あ、身代わり花嫁のお帰りだ。」母が荷物を置きながら言った。「まお、あんたね。」「だってお母さん、私が正解だったでしょ。どうだった?泥だらけの人。はるかにはちょうど良かったんじゃない?」私は振り袖を脱ぎに二階へ上がった。階段の途中で姉の笑い声が聞こえた。
その夜、家の中が静かになってから、私は封筒を出した。先月の終わりに父が持ち帰って、そのまま机に置きっぱなしにしていたあの封筒だ。誰も片付けないので、私が写真も一緒に戻して引き出しに入れておいた。中には写真と、それから釣り書きが入っていた。私はその釣り書きを、多分霧原の家で初めて最後まで読んだ。
小泉新一、三十四歳、北の町。そこから先に細かい字でこう書いてあった。「株式会社小泉農産、代表取締役。」私は指を止めた。代表取締役、社長ということだろうか。農家の社長というのがどういうものなのか、私には分からなかった。続きにはこうあった。「栽培面積およそ八十ヘクタール。契約生産者約百二十戸。従業員数およそ百四十名。」数字だけが並んでいて、そこから先はまた住所と家族構成に戻っていた。「両親はどちらも他界。兄弟なし。」私はもう一度その数字を読んだ。八十ヘクタールがどのくらいの広さなのか、その時の私には見当もつかなかった。ただ、伝票を七年見てきた勘でこう思った。契約生産者が百二十戸ある会社が、小さいわけがない。
私は封筒を持って階段を降りた。リビングで父がテレビを見ていた。「お父さん、この釣り書き読んだ?」「あ、読んださ。最後まで。」父はテレビから目を離さずに手を振った。「農家だろ。それ以上何がある?」私はそれ以上聞かなかった。同じ答えが返ってくると分かっていたからだ。
次の日の朝、私は仲人を引き受けてくれた役員さんの会社に電話をかけた。「霧原の娘のはると申します」と名乗った。「八十ヘクタールというのは本当ですか」と聞いた。桁を一つ書き間違えているのではないかと思ったからだ。電話を取り次いだ人が少し黙ってから「確かめてまいります」と言い、しばらくして「間違いありません」と答えた。私は礼を言って電話を切った。それだけのことだった。
その三日後、仲人から父に電話が入った。先方が是非話を進めたいと言っていると。父がその話をした時、母は本気で驚いていた。「進めたいって、まおじゃなくてはるかの方を?」「そうらしい。」「向こうは、そのはるかが身代わりだって分かってるんでしょ?」「分かってて言ってきてるんだ。」母と姉は顔を見合わせた。それから二人とも同時に笑い出した。「うわ、物好き。」「まあ、お互い似たもの同士ってことなんじゃないの?」
その夜の夕飯の間、私は一言も口を聞かなかったけれど、父は乗り気だった。父にとっては、霧原の家の顔が立って、しかも厄介払いができる話だったからだ。「先方は急ぎたいそうだ。五月には席を入れて、式は落ち着いてからでいいと言っている。」「早いわね。」「農家は季節で動くんだろう。春の忙しい時期に入る前に決めたいんじゃないか。」
話はそこから私のいないところで進み、私が呼ばれたのは結納が決まった後だった。母は私にこう言った。「あんた、運が良かったわね。二十五で行き遅れる前に片付いて。」姉は隣でスマートフォンを見ながら笑っていた。「農家の嫁なんてさ、売れ残りにはちょうどいいよ。畑で一生終わるってやつ。まあ、はるかにはお似合いじゃん。」母はそれを聞いてふふふっと笑った。それから私の顔を見てこう言った。「あんたの人生、終わったわね。」
その言葉を、母はほとんど何気なく言った。笑いながら言った。だからこそ、私はしばらく動けなかった。母は本気で私を傷つけようとしていたわけではないのだと思う。ただ、二十五年分の物差しがそう言わせたのだ。この子は下だ。この子の行き先はその程度だと。
その晩、私は声を出さないように枕に顔を押し付けて泣いた。泣き終わってから、私は引き出しを開けてあの封筒をもう一度出した。写真を抜いてしばらく見ていた。色の焦げた作業着、膝の泥、荷台のコンテナ、少しだけ笑っている人。姉が三秒で裏返した写真だ。「終わったわね」と母は言ったけれど、私にはこの人が私の人生を終わらせる人には見えなかった。なぜそう思ったのか、その時は説明ができなかった。
五月の連休が明けて、私は席を入れた。式はあげなかった。「繁忙期に入るので、落ち着いてからにしましょう」と小泉さんが言ったからだ。家を出る朝、母は玄関まで見送りに来た。姉はまだ寝ていて出てこなかった。母は私の鞄を見て言った。「それだけ?」「うん。」「まあ、向こうで買えばいいわね。」それから母は思い出したように付け加えた。「泥だらけの生活には慣れなさいよ。」
私は「行ってきます」と言って家を出た。駅までの道を歩きながら、私は不思議なほど何も感じていなかった。ただ、荷物が軽いなと思った。二十五年住んだ家から持ち出したものは、着替えと陰間と包丁が一本だけだった。包丁は自分で買ったものだ。中学生の頃、はね出しの野菜を毎日切るのに家の包丁が重すぎて、お年玉で買った。それだけが私のものだった。
北の町までは電車を二回乗り換えてバスに乗り、全部で二時間かかった。バスを降りると、目の前に畑が広がっていた。私は立ち止まった。畑というものをテレビでしか見たことがなかったのだ。平らな土地がどこまでも続いていて、その真ん中を細い道が伸びている。手前は耕したばかりの黒い土で、その向こうは緑だった。低くて濃い緑、背の高い薄い緑、白っぽく粉を吹いたような緑。それが畝ごとに島になっている。風が吹くと、白っぽい帯だけが順番に揺れてまた立った。この町は平地より標高が高い。夏でも日が落ちるとひんやりとする。だから、よそが暑さで作れない七月八月に、ここではブロッコリーやキャベツが取れるのだと後になって教わった。
「こっちです。」声の方を見るとトラックが止まっていた。小泉さんが運転席から降りてきた。作業着だった。写真と同じ色の焦げた作業着だ。小泉さんは私の鞄を見て、それから私の顔を見た。「荷物、それだけですか?」「はい。」「そうですか。」それ以上は何も聞かなかった。鞄を荷台に積んで、助手席のドアを開けてくれた。
軽トラックの助手席は思ったより高く、座ると畑がよく見えた。「今、何の畑か分かりますか?」「いえ。」「あの濃いのがブロッコリーです。その隣がキャベツ。奥の白っぽいのがネギです。」「あんなにたくさん。」「あれで全体の一割もありません。」私は思わず横顔を見た。小泉さんは前を向いたまま、自慢する風でもなく事実を言っただけという顔だった。
家に着いた。思っていたより古くて大きい家だった。木造の平屋で、瓦が黒く、玄関の引き戸がガラガラと音を立てた。中に入ると廊下がひやりと冷たかった。掃除は行き届いていたが、人の暮らしの匂いが薄い。「十年一人で住んでいたので、余っている部屋が多いです。好きな部屋を使ってください。母の使っていた部屋が一番日当たりがいいと思います。」「お母様は…」「十二年前に。父は十年前です。」小泉さんはそれ以上言わなかった。私も聞かなかった。
その日の夕飯は私が作った。「台所を借りていいですか」と聞くと、小泉さんは驚いた顔をした。「今日は疲れているでしょう。」「作らせてください。私にはそれしかできなかった。」七年、そうやって自分の居場所を作ってきた。冷蔵庫にはあまり何も入っていなかった。代わりに、手口の外の木の箱に野菜が山になっていた。ネギとほうれん草と大根と、それからニンジンが入っていた。大根を一本取り上げて、私は動きを止めた。重かったのだ。同じ太さの大根でも、水っぽいものと締まったものでは手に来る重さが違う。私はそれをはね出しの大根で覚えた。この大根は重かった。持ち上げた瞬間に「ああ」と思う重さだった。
私は自分の包丁を出して大根を切った。半分入ったところで音が変わった。中がぎっしり詰まっている音だ。その夜の献立は、大根とネギの味噌汁とほうれん草のおひたしとご飯だけだった。おかずと呼べるものは何もなかった。それでも小泉さんは味噌汁を一口飲んで、椀を持ったまましばらく止まっていた。「うまいです。大根がいいんです。」「そうですか。うちの大根です。」私は顔を上げた。小泉さんは椀の中を見ていた。「この箱の大根とニンジンは、秋に取って畑の隅の土に埋けてあったものです。ここは冬に凍るので、外に置くと腐る。土の中なら春まで持つんです。ネギとほうれん草は下の畑です。ただ、どれも店には出せないやつです。」「出せない?」「曲がっていたり、傷が入っていたり、大きさが揃っていなかったり。味は同じなんですが、規格に合わないので値がつきません。」私の手が止まった。「はね出し。」小泉さんが顔を上げた。「その言葉、どこで?」「実家の会社でそう呼んでいました。売れない野菜のことを。うちに回ってきていたのはいつもそれでした。私はそれを毎日切っていました。」しばらく誰も何も言わなかった。外で風が窓を鳴らしていた。やがて小泉さんが箸を置いてこう言った。「俺はその呼び方があまり好きじゃないんです。はね出すというのは、こっちの都合ですから。」
結婚した次の日から、私は畑に出た。出ろと言われたわけではない。むしろ小泉さんは「無理に手伝わなくていい」と言ったけれど、私は家にいてもすることがなかった。家の掃除は二時間で終わってしまう。何もしないで座っているという時間の使い方を、私は知らなかった。朝は四時半に起きた。小泉さんは五時前に家を出る。その前に朝食を作って、握り飯を持たせた。
五月の畑は忙しかった。畝を立てる。マルチという黒いビニールを貼る。苗を植える。草を取る。そのすべてが私には初めてのことだった。広い畑は、トラクターの後ろに人が乗る機械で一気に植えていく。私が任されたのは、機械が入れない畝の列と、抜けてしまったところを一本ずつ植え直す仕事だった。最初の日、私はその一本も植えられなかった。やり方は教わった。穴を開けて苗を入れて、根の周りの土を寄せて軽く抑える。それだけだけれど、私が抑えると苗が倒れた。強く抑えると根が切れ、弱いと風で抜けた。「力じゃないんです。」小泉さんが隣に来てしゃがんだ。「土に入れてやるんじゃなくて、土に返してやる感じで。」そう言って小泉さんは一本植えた。三秒だった。私はもう一度やってみた。今度は倒れなかったが、隣の苗より二センチ深く入ってしまった。「それでいいです。」「でも、深いです。」「気づいたなら大丈夫です。慣れればいい。急がなくていいですから。」その言葉を私はその後何度も思い出した。
けれど本当に辛かったのは苗ではなかった。体だった。三日目の朝、私は布団から起き上がれなかった。腰から下が動かないのだ。膝を曲げると太ももの裏が引きつって声が出た。指は握ったまま開かなくなっていた。しゃがんだ姿勢を一日続けるということが、こんなに体を壊すとは思っていなかった。台所も立ち仕事だから慣れているつもりだった。まるで違った。私は這うようにして台所へ行って湯を沸かした。手が震えて夜具を落としそうになった。小泉さんが起きてきて私を見て言った。「今日は休んでください。」「大丈夫です。」「顔が白いです。」「大丈夫です。」私は笑おうとした。うまく笑えなかったと思う。その日、私は畑に出た。出て、昼前に畝の間で座り込んだ。立ち上がろうとして立ち上がれなかった。手を土についたら、その手も震えていた。情けなかった。私にできることは、動くことしかなかった。それができないなら、私はこの家に何をしに来たのだろうと思った。
その時、頭の上から声がした。「あんた、水飲んでないだろう。」顔を上げると、小さいおばあさんが立っていた。日除けの帽子をかぶって、腰にカバンを下げている。腰が少し曲がっていて、背は私の肩くらいまでしかなかった。その人は水筒を差し出した。「飲みな。塩入れてあるから。」私は受け取って飲んだ。ぬるかったが、しょっぱくて体に染みた。「あんたが嫁さんかい?」「はい、はると申します。」「和田だ。この畑には、あんたの旦那が生まれる前からいる。」その人は私の隣にしゃがんだ。しゃがみ方が全然違った。膝が完全に折りたたまれていて、背中がまっすぐだった。「あんた、若いのに腰の使い方が下手だね。」「すみません。」「謝ることじゃない。教わってないだけだ。畑ってのは腰で持つんじゃない。腰で降りるんだ。腰を折ると三日でダメになる。」そう言って和田さんは目の前の草を一つ引き抜いた。しゃがんだまま横に動いて、また抜いた。腰はまっすぐのままだった。私は真似をした。膝は辛かったが、腰は楽だった。「そう。一日目で無理する子はね、大抵一週間でやめる。あんた、やめる?」私は和田さんを見た。「やめません。」「なんでだい?」私は答えられなかった。帰るところがないから、というのが正直なところだったけれど、それだけではない気もした。しばらく黙ってから、私はこう言った。「昨日、大根を切ったんです。すごく重い大根でした。あれを作った人がここにいるので。」和田さんは私の顔をじっと見た。それから、しわだらけの顔をくしゃっとさせて笑った。「変な子だね、あんた。」
その夜、風呂から上がると、座敷の上に湿布の箱が置いてあった。買ってきた人は何も言わなかった。二十五年間、私が体を壊しても、家で誰かが薬を買ってきたことはない。熱を出しても、母は「じゃあ夕飯はどうするの」と言った。
次の朝も四時半に起きた。体はまだ痛かった。それでも起きられたのは、湿布のおかげではなかったと思う。
その日から、和田さんは毎朝私の畝の隣に来るようになった。和田さんは七十八歳で、この畑に来て五十年以上になるそうだ。「あんたの旦那の、その親父さんの代からいるんだ。あの人は偉い人でね。だけど、畑にだけは嘘をつかなかった。」和田さんは町の外れの家に一人で住んでいた。息子さん夫婦は市内にいて、月に一度様子を見に来る。
ある朝、和田さんが黙っていた。手だけがいつもより早く動いていた。隣で草を抜いていると、しばらくして和田さんが言った。「息子がな、もう畑に来るなと。」「どうして?」「腰も膝も限界だろって。転んで骨でも折ったら、誰が面倒見るんだって。まあ、あの子の言うことは正しいんだ。」和田さんは手を止めなかった。「だけどね、私はここに来る用がなくなったら、明日から何をすればいいんだろうね。」私は何も言い返せなかった。用がなくなるということがどういうことか。それだけは私にも心当たりがあった。
その話はそれきりになって、和田さんは次の朝も畝の隣に来た。けれど、畑の人がみんな和田さんのようだったわけではない。畑よりも、野菜を箱に詰める建物の方が私にはずっと難しかった。
小泉農産には、収穫した野菜を選別して箱に詰める建物がある。みんなは「選果場」と呼んでいた。パートの人が十五人ほど働いていて、そこを仕切っているのが中津みどりさんという四十代の人だった。私が初めて選果場に入った日、みどりさんは私を見ても手を止めなかった。「奥さん、ここは見学の場所じゃないので。」「手伝わせてください。」「今日は間に合ってます。」それだけ言って、みどりさんは背中を向けた。周りのパートさんたちも私を見なかった。見ないようにしているのが分かった。私は十分ほど突っ立って、それから「失礼します」と言って出た。
家に帰ってから、自分が何を間違えたのかを考えて思い当たった。私は「手伝わせてください」と言った。「手伝う」というのは外の人間が言う言葉だ。あそこの人たちは手伝っているのではない。あれで暮らしている。昨日まで畑を見たこともない人間が、社長の妻という肩書きだけで自分たちの場所に入ってくる。私だって嫌だと思う。
私は次の日、選果場の裏に回った。そこには、空になったダンボールの束と、洗った鉄のコンテナが積んであった。誰も片付ける人がいないので、山のようになっていた。私はダンボールを畳んで種類ごとに分け、コンテナは大きさを揃えて重ねて壁際に積んだ。朝の六時から九時まで、誰にも言わずにやった。三日目の朝、みどりさんが裏に出てきた。「あんた、何してるの?」「すみません。邪魔でしたか?」「邪魔じゃないけど。」みどりさんは積み上がったダンボールを見て、それから私を見た。「誰に言われたの?」「誰にも。」みどりさんはしばらく黙って、こう言った。「明日、七時に来て。長靴履いて。」
選果場での仕事は、私が想像していたのと全く違った。野菜を箱に入れる、それだけの話だと思っていた。違った。まずコンテナが来る。畑から上がったばかりの野菜だ。台に開けて、大きさと形と傷で分ける。大きいものはL、中くらいはM。規格から外れたものは別の箱へ。分けたら向きを揃えて数を数え、箱に詰めて伝票を書く。その伝票が大変だった。どの畑の、何日に取った、誰が作ったものか。畑ごとに番号をつけて紙に書いて、その番号の札を箱に貼っていく。書いた紙は控えを取って事務所に回す。
私が入って一週間目に、みどりさんが手を止めてため息をついた。また、伝票の束が机の上でぐちゃぐちゃになっていた。日付にもなっておらず、畑の番号が抜けているものもある。「うちはね、農場の認証っていうのを取ってるのよ。GAP、ギャップっていうやつ。」「認証。」「これがないと入れてくれない先があるの。うちの出したいところはみんなそう。どの畑のいつのやつか、全部記録しないといけない。一日でも抜けてたら、次の審査で引っかかる。みんな野菜を触るのは上手なのよ。でも、紙が苦手なの。」
私は伝票の束を見た。胸の奥で、何かがカチリと音を立てた気がした。「私、触ってもいいですか?」「触るって、並べ替えるだけです。中身は変えません。」みどりさんは機嫌の悪そうな顔をしつつ、机を開けてくれた。私は伝票を全部床に広げた。日付で分け、畑の番号で分け、抜けているところに付箋を。一時間半で、七つの山になった。「これ、七年やってたので。実家が食材の卸しをしていて、伝票の整理が私の仕事でした。」みどりさんは山を一つ取ってめくった。「畑の番号抜けてるやつ。これ、全部あんたが見つけたの?」「はい。十二枚あります。ただ、どこの畑かは私には分からないので。」「それは私が分かる。」みどりさんはその日初めて、私の顔をまっすぐ見た。「あんた、明日も来られる?」
その日から、選果場の紙は私の担当になった。朝は畑に出て、昼から選果場に入る。夕方に伝票をまとめて事務所へ持っていく。十日ほどで、私は畑に番号をつけて呼べるようになった。三番はブロッコリー、七番はキャベツ、十一番から十四番までがネギ。どの畑が誰の担当かも覚えた。覚えるのは苦ではなかった。七年、名前を覚えて伝票を仕分けることしかしてこなかった。その七年が、初めて誰かの役に立っていた。
六月に入ると日が長くなった。夕飯の後、小泉さんと縁側に座る時間ができた。その縁側で、小泉さんが私に給料を出すと言った。私は断った。「まだ何もできていませんから」と言った。小泉さんは少し考えてから、こう言った。「分かりました。できるようになったと自分で思ったら、その時受け取ってください。ただ、保険の分だけは今日出させてください。畑は怪我をする場所なので。」
小泉さんはあまり自分の話をしない人だったけれど、こちらが聞くとちゃんと答えてくれた。「小泉さんはいつからこの仕事を?」「生まれた時から畑にいましたから、いつからと言われると困りますね。継いだのは十年前です。父が急に倒れたので。」「大変でしたね。」「大変でした。」小泉さんは湯呑みを両手で持って、庭の方を見ていた。「うちの父は頑固でしたけど、いいものを作る人でした。口癖があってね。」「口癖?」「土は嘘をつかん、て。手をかけた分は必ず帰ってくる。手を抜けばそれも帰ってくる。父は正直だから、人よりよっぽど信用できると。」私は湯呑みを持ったまま、その言葉を頭の中で繰り返した。私は声に出さず、その言葉を口の形だけでなぞってみた。「いい言葉ですね。」「あの人は、その後にいつも余計なことを付け足すんです。」「余計なこと?」「人も同じだ、って。」小泉さんは少し笑った。「土と人を一緒にするなと、俺はよく言い返してました。あの人が言いたかったことは、正直今でもよく分かりません。」
そう言ってから、小泉さんは湯呑みを置いた。その横顔を見ながら、私は聞きたいことがあった。「なぜ私だったんですか」という質問だ。身代わりで座った女に、なぜ話を進めたのか。私はそれを五月に席を入れてから一度も聞けずにいた。聞けば答えが返ってくる。その答えが「まあ、誰でも良かった」だったら、私はきっと立ち直れない。だから聞かなかった。聞けないまま、私は湯呑みの中を見ていた。その時、小泉さんの方から聞かれた。「あの人参の話は、何でしたんですか?」私は湯呑みを持つ手を止めた。「あの時のはい。座敷で。」私は少し考えてから、正直に答えた。「実家に、はね出しの野菜が回ってきていました。毎日それを切っていたので、味の違いが分かるようになったんです。それだけです。」「毎日というのは、どのくらい?」「中学生の頃から、家を出るまでです。」小泉さんは湯呑みを置いた。「十三年ですか?」「そうなりますね。」「畑に何年も出ている人間でも、そこまで分かる人はそう多くありません。」私は思わず笑ってしまった。「そんなわけないです。私は切っていただけです。」「切って味を覚えて、形と結びつけていたんでしょう。それを人は経験と言うんです。」私は返す言葉が見つからなかった。経験。私のしてきたことに、これまでそんな名前がついたことはなかった。雑用と呼ばれ、手伝いと呼ばれ、家のことと呼ばれてきただけだ。
しばらく黙ってから、私は話を変えた。「あの写真、なんで作業着だったんですか?」小泉さんの手が止まった。数秒、止まっていた。それから、こう言った。「あれは俺が自分で選びました。」「自分で?」「理由は、いつか話します。」それ以上は言わなかった。私も聞かなかった。
六月の半ばに、こういうことがあった。昼過ぎに黒い車が家の前に止まった。降りてきたのはスーツを着た五十代くらいの男の人と、若い人の二人だった。私は畑から戻ったところで、長靴のまま玄関に出た。年上の方が名刺を出した。地元の信用金庫の支店長で、森岡という人だった。「奥様でいらっしゃいますか?ご挨拶が遅れまして。」その人は深く頭を下げた。腰から折る、綺麗な下げ方だった。私は面食らって、慌てて頭を下げ返した。銀行の人が挨拶に来る場面は実家で何度も見たが、あそこまで丁寧な人はいなかった。森岡さんは玄関先で二十分ほど話して帰った。中身は世間話ばかりだった。
その夜、私は小泉さんに聞いた。「森岡さんという支店長さんが、ご挨拶に来られました。」「ああ。」「ああやって来られるんですか?」「まあ、たまに。畑をやるには機械がいるので、その分借りるものは借りています。」そう言って、それきり話は終わった。私はその時、それ以上聞かなかった。詮索すれば何かが崩れるような気がして、私は湯呑みに目を落とした。
七月になって、私にはもう一人、名前を覚えた人ができた。佐藤拓君という二十六歳の人だ。トラックで野菜を運ぶのが仕事で、いつも帽子を目深にかぶって、あまり人と目を合わせない。私が伝票を渡すと、必ず両手で受け取って頭を下げる。それが妙に丁寧なので、私は最初、拓君が私を怖がっているのだと思っていた。ある日、雨で仕事が早く終わった。軒下で雨宿りをしていたら、拓君が隣に来た。しばらく二人で雨を見ていた。やがて拓君がぼそりと言った。「奥さん、伝票の字、綺麗っすね。」「そうかな?」「読みやすいです。前のは読めなかったんで。俺、字を読むのあんまり早くないんで。」私は横を見た。拓君は雨の方を向いたままだった。「前の会社。それでやめたんです。同じ名前で番地だけ違うやつを間違えて、一年で三回やってもういいって言われてさ。社長はそれ知ってて雇ってくれたんです。だから、俺ここやめたくないんです。」雨が屋根を叩いていた。私はしばらく考えてから、こう言った。「拓君、明日から伝票の色を変えていい?」「色?」「行き先ごとに紙の色を変えるの。ホテルは青、市場は黄色、加工場は緑。字を読まなくても色で分かるように。」拓君が初めてこっちを向いた。「そんなの、いいんですか?」「神様なんて高が知れてるでしょ。」拓君は何か言おうとして、言えないまま帽子を深く被り直した。
次の日、私は町の文具屋で色のついた紙を買ってきた。自分の財布から出した。八百円だった。それを伝票の大きさに切って束にした。渡した時、拓君はそれをしばらく見ていた。そして、こう言った。「あの、俺、これ家に持って帰っていいですか?」「一枚くらいなら。」「ありがとうございます。」色付きの紙を使うようになってから、拓君が行き先を間違えたことは一度もない。
夏になった。朝の四時半に起きて、五時に畑に出て、昼から選果場に入って、夜に伝票をまとめる。その繰り返しだった。体はもう痛くなかった。赤切れの上に豆ができて、それが潰れて硬くなった。爪の際に土の色が入って、洗っても落ちなくなった。初めて自分の手を見て、小泉さんの手に似てきたと思った時、私は変な気持ちになった。嬉しかったのだ。二十五年間、私は自分の手を好きだと思ったことがなかった。
八月の終わりに台風が来た。私はその朝、選果場で伝票を並べていた。ラジオが天気の話をしていて、みどりさんが手を止めて聞いていた。「これ、まっすぐ来るね。」「まっすぐ?」「上陸するのは明日の夜だって。この辺を通る。」みどりさんはラジオを消して私を見た。「奥さん、今日は伝票後回しでいい。人手がいる。」
私はその時、台風が畑にとって何を意味するのかを知らなかった。分かったのはその日の昼前だ。小泉さんが軽トラックで戻ってきて、選果場の前にみんなを集めた。日に焼けた顔が、いつもより硬かった。「明日の夜、風が来ます。明日の朝までにやることを言います。」
そこから小泉さんが言ったことは、想像よりずっと多かった。まず、契約している農家に連絡を回して同じことをしてもらう。畑に来ているものは先に取る。排水路の泥を上げる。育苗のハウスは締め直す。車と機械を高いところへ動かす。それから発電機の燃料を確かめる。「取ったものを冷やせ。冷やす機械が止まったら、取ったものが全部ダメになります。それと、ホテルの分です。」その一言で、選果場の空気が変わった。
小泉農産は県内と隣県のホテル、それから東京の店に野菜を直接入れている。一番大きい取引が常南グランドホテルだった。市内の本館の他に系列の宿が一つと宴会場が四つあって、うちの野菜はその全部の厨房に入っている。そこには週に三回、決まった量を決まった時間に入れる契約になっている。「明後日の分、どうするんですか?」「明後日は道路が通れないと思います。だから、明日のうちに二回分を出します。もうグランドホテルの総料理長、高さんに電話しました。向こうの冷蔵庫が開くように、仕込みを一日前へ倒してもらいます。」「社長、それ、先に言ってくださいよ。」「言ったら断られたかもしれないので、先に約束してきました。」選果場の人たちが騒いだ。「二回分って、社長、分かってます?」「無茶です。」「でも、切らすわけにはいかない。切らしたら、次から向こうは別の産地を持ちます。」私は伝票の束を持ったまま立っていた。
その日の午後から、農場は戦場のようになった。畑では収穫が始まり、人手が足りないので選果場の人も出た。私も出た。ブロッコリーを取ってコンテナに入れ、軽トラとトラックが交互に選果場との間を往復した。取ったブロッコリーは日に当てないうちに選果場へ運んで、まず水で芯まで冷やす。冷え切ってから発泡の箱に詰めて、上から砕いた氷をかける。夏のブロッコリーは置いておくと一晩で色が抜ける。収穫してから氷を乗せて、冷えたまま車に積むのだと、その日に知った。
夕方になっても終わらなかった。日が暮れてからは投光機を立てて続けた。夜の八時を過ぎた頃、私は選果場に戻ってきた。契約農家への連絡は朝のうちに地区の世話役から一斉に回してもらっていた。それでも小泉さんは夕方から、川沿いの低いところに畑を持つ農家を自分で回っていた。「回した連絡と、一度目で見る畑は違う」のだそうだ。つまり、この建物の中に、畑と選果場の両方を見て全体の順番を決められる人が、その時いなかった。
そこで、ある光景を見た。コンテナが山のように積み上がっていた。畑からどんどん上がってくるけれど、選果場ではそれを分けて詰める人が足りていなかった。そして、伝票が止まっていた。机の上に書きかけの紙が散らばっていた。誰がどの畑の分を書いたのか、分からなくなっている。同じ畑の番号が二枚あって、片方は数が違った。みどりさんが電話に出ていた。声が荒れている。「だから、三番はもう上がってるって。誰が持ってったの?」
私は立ち尽くした。胸の奥が冷たくなった。怖いのではない。ここで自分に何ができるかが分かってしまったという冷たさだった。知っている光景だった。実家の事務所で、旅館のクレームが出た朝に伝票の束が机の上でひっくり返っていた。あの時と同じ光景だ。「みんな野菜を触るのは上手だけれど、紙が苦手だ」みどりさんはそう言っていた。
私は伝票の束を掴んだ。「みどりさん、今、忙しいの。十分ください。」みどりさんが振り返った。私は続けた。「十分で、誰が何をするか全部決めます。それまで、誰も動かないでください。」自分でも驚いた。そんな声が出るとは思っていなかった。みどりさんは受話器を持ったまま私を見て、それから「かけ直す」と言って電話を切った。「九分でやって。」
私は机の紙を全部床に落とした。まず、畑の番号ごとに分けた。次に、上がってきたコンテナの数を数えて、書いてある数と突き合わせた。三番の畑の分が二十に書かれていた。同じコンテナを二人が別々に数えていたのだ。十一番の畑の分は、書いた紙が別の束に紛れていた。その日出すものは全部で千二百箱あった。市場の分、百貨店の分、東京へ回す分。そのうちグランドホテルに入れるのは一回分で、ブロッコリーが八十箱、キャベツが六十箱、ネギが四十箱。それを明日は二回分出す。今手元にある分では、まるで足りない。
私はペンを取って、紙の裏に描いた。拓君のトラックがいつ出るか。そこから逆算して、何時までに何箱できていればいいか。詰める人は何人いるか。九分ではなく、七分で終わった。私はその紙をみどりさんに渡した。「今、選果場にいる十人を三つに分けてください。四人は詰める。詰めるのだけ。数えるのはやめてください。三人は台に開けて分ける。分けるのだけ。」私はポケットから色付きの紙を出した。拓君のために買ったあの紙だ。「残りの三人は、畑から上がってきたコンテナに、その場でこれを挟んでください。畑の番号と、上がってきた時刻だけを書いて。青い紙が挟まっている山は、もう数えた山です。挟まっていない山だけ数えてください。そうすれば、同じ山を二人が数えることがなくなります。」
みどりさんは紙を見て、それから私を見た。「本当に、十一番の畑の分がまだ取っていないと思います。誰も書いていないので。」「十一番って、ネギの。」「はい。ネギは一回分四十箱。明日はその二回分がいります。十一番が取れていないので、それが丸ごとありません。」みどりさんは走って出ていった。
そこからの二時間は、何も考えなかった。体だけが動いていた。詰めて、数えて、書いて、貼って、また詰める。指が動かなくなったら、手首から先を振ってまた握る。拓君は昼のうちに家へ返されていた。夜に走る人間を昼に使うわけにはいかないと、小泉さんが決めたのだそうだ。
夜中の十二時を回った頃、拓君の四トントラックが出た。市場へ回る二台がその後に続いた。私は選果場の外に立って、そのテールランプが見えなくなるまで見ていた。風がもう出ていた。まだ雨は降っていない。畑の向こうで木がざわざわと鳴っていた。
背中に足音がした。みどりさんだった。手にペットボトルを二本持っていた。一本を私に差し出した。私は受け取った。手が震えて蓋が開かない。みどりさんが黙って取って、開けて、また渡してくれた。しばらく二人で立っていた。やがてみどりさんが言った。「あんたが来た日ね、私、追い返したでしょ?」「はい。」「あれね、意地悪したんじゃないのよ。」みどりさんはトラックの去った方向を見ていた。「私、ここ十二年いるの。娘が五つの時に離婚して戻ってきて、拾ってもらった。ここで働けなかったら、娘を高校に行かせられなかった。だから、遊びで来られるのが嫌だった。社長が急に嫁さんもらってきたって聞いて、ああ、都会の子が来るんだ。三ヶ月で根を上げて帰るんだって。そう思ってた。」みどりさんはペットボトルの水を飲んだ。「ごめんね。」「いえ。」「あんた、なんであんなに紙が読めるの?」私は少し笑った。「七年、それしかさせてもらえなかったので。」「そう。」みどりさんは何か言おうとしてやめた。代わりに、こう言った。「明日から、選果場の紙は全部あんたが仕切って。私が言う文句は言わせない。」私は返事ができなかった。喉の奥が詰まって、声が出なかった。「奥さん。」みどりさんが私を呼んだ。それは私がここに来て初めて、馬鹿にする響きのない「奥さん」だった。
台風は予報通りその夜に来て、明け方には通り過ぎていた。育苗のハウスは無事だった。水も抜けるのが早かった。水路の泥を上げておいたからだ。けれど、無事では済まなかった。低いところにある畑が三枚。泥水を一度かぶった。小泉さんはその畑に立ってしばらく見てから、短く言った。「ここは全部、落とします。泥をかぶった野菜は出せません。」その日のうちに、契約農家へも一斉に連絡が回った。風で葉が傷んだところから病気が入る。水が引いたら、その日のうちに薬をかけろ。ただし、取るまでの日数が足りない畑にはかけるな。薬と倍率はこちらで指定すると。私はその連絡の記録も、その日の分の紙に書き出した。冠水した三枚は、三日かけてみんなで掘り起こして土に返した。何番の畑をどれだけ落としたかは、私が紙に残した。まだ取れる大きさのものもあった。誰も文句を言わなかった。
そして、ホテルへの納品は一度も止まらなかった。片付け終えた日の夜、小泉さんが夕飯の時にこう言った。「グランドホテルの総料理長から電話がありました。」「はい。」「台風の時、うちだけ穴が開かなかったと。他の産地はみんな止まったそうです。」小泉さんは茶碗を置いた。「みどりさんから聞きました。あの夜、選果場を仕切ったのは君だと。」私は箸を持ったまま俯いた。「私は、紙を並べただけです。」「うちは、その紙で十年苦労してきました。」小泉さんの声が少し変わった。「はるかさん。」初めて名前で呼ばれた。「どうして君は、自分がやったことをいつも小さく言うんですか?」私は顔を上げられなかった。理由なら分かっていた。私は大きく言うことを許されてこなかった。言えば妬まれ、手柄を取られた。だから小さく言う癖がついた。けれど、それを説明する言葉を私は持っていなかった。
黙っている私に、小泉さんは静かに聞いた。「聞いてもいいですか?実家では、給料は出ていたんですか?」私は首を横に振った。「七年ですか?」「はい。」小泉さんはそれきり何も言わなかった。ただ、湯呑みを持つ手が止まったままだった。代わりに、こう言った。「秋になったら、式をあげましょう。」私は顔を上げた。「ちゃんとした式です。人を呼んで、君を身代わりじゃなく、俺の妻として紹介したい。」
その夜、私は布団の中で長いこと眠れなかった。嬉しかったからではない。怖かったのだ。式を上げるということは、実家を呼ぶということだった。
式を上げると決まってから、私は実家に連絡を入れた。電話に出たのは母だった。「あら、はるか。どうしたの?泥だらけの生活にはもう慣れた?」その一言が最初に来た。四ヶ月ぶりの電話の、最初の一言だった。「うん。慣れた。」「まあ、あんたは元々そういうのが向いてるものね。お姉ちゃんだったら絶対に無理だったわ。あの子、爪が割れるだけで泣くんだから。」私は言いにくそうに切り出した。「あのね、お母さん。式をあげることになったの。」一瞬、電話の向こうが静かになった。「式、あんたが?」「十月の終わりに。」「へえ。どこで?」「まだ決まってない。決まったら招待状を送る。」「まあ、来なさいって言うなら行くけど。」そして母は少し声を落として、こう言った。「あんまり派手にしない方がいいわよ。味を描くのは自分なんだから。」
電話を切ってから、私はしばらく台所に立っていた。四ヶ月ぶりに聞いた母の声は、家を出た日と全く同じだった。変わっていたのは私の方だけだ。手が変わった。腰の使い方が変わった。伝票の並べ方を人に教えるようになった。けれど、母にとって私はまだ台所で皿を洗っている娘のままだった。
その二日後、今度は姉から電話がかかってきた。「もしもし。はるか?式やるんだって。」「うん。」「どこでやるの?まさか畑?」姉は笑っていた。冗談のつもりなのだ。「あ、公民館とか。田舎ってそういうのあるでしょ。言っとくけど、ご祝儀そんなに出せないからね。会費制でもいいくらい。」「うん。」「っていうかさ、あんた元気なの?痩せた?農家の嫁って大変そうだもんね。私、絶対無理だわ。」私は「そうだね」とだけ言った。姉は五分ほど自分の話をした。売り上げが厳しい、取引先がうるさい、産地の直接取引を取ってこいと言われている。その最後のところで、姉が言った。「あ、そうだ。あんたの旦那の会社って、農業やってるんだよね。」「うん。」「うちと取引とかできないの?」私は答えなかった。「まあ、小さい農家じゃ無理か。うちは量がいるからね。」そう言って姉は笑って電話を切った。
その夜、私は夕飯の支度をしながらずっと考えていた。小泉農産は小さくない。釣り書きで読んだ時はただの数字だった。四ヶ月いた今は、その数字に顔がついている。従業員は百四十人いて、契約している農家は百二十戸ある。トラックは毎日県内と東京へ出ていく。姉の会社が欲しがっている産地との直接取引の相手として、これ以上ないはずだった。私が一言「実家の会社と取引してもらえませんか」と言えば、姉の売り上げは助かる。父は喜ぶ。母は初めて私を褒めるかもしれない。
私は包丁を置いた。自分が今何を考えたのかに気づいて、動けなくなった。「家族のためでしょう。」あの朝、母が言った言葉だ。私はまた、あの言葉の中に戻ろうとしていた。自分の手柄でもない場所の力を実家に差し出して、認めてもらおうとしていた。身代わりで座らされたあの日から、何も変わっていなかった。
その夜、小泉さんには何も言わなかった。代わりに、自分に約束をした。もしこの先、私がこの家で何かを持てるとしたら、それは自分の手で作ったものにする。借りてきた力で認められても、私が認められたことにはならない。二十五年かかって、やっとそこに気づいた。
翌朝、いつもより早く選果場へ行くと、伝票を閉じながらみどりさんが言った。「奥さん、顔色悪いよ。」「そうですか。」「昨日から、一言も喋ってない。」私は手を止めた。みどりさんは野菜を分けながら、こちらを見ずに続けた。「実家の話。」私は驚いて顔を上げた。「隠さなくていいよ。私も同じだったから。離婚して戻った時、実家の母に言われたのよ。あんたは昔から中途半端だって。十二年経っても、まだ言われる。あのね、奥さん。親って、こっちが変わったの見ないのよ。見ると、自分が間違ってたことになるから。」私はその言葉を頭の隅に置いたまま、その日を過ごした。
九月の半ば、事態が動いた。選果場の事務所で伝票を閉じていると、窓の外に車が止まる音がした。白いワゴンで、ドアの横に見覚えのある社名が入っていた。霧原フードサービス。降りてきたのはスーツの男の人二人だった。父の会社の営業部の人たちで、一人は私が事務所にいた頃によく顔を見た人だ。その人は事務所に入ってきて、私を見るとはっきりと分かるほど驚いた顔をした。「え、霧原さん。お久しぶりです。」「あ、いや、その、お嬢さん、こちらに。」私は頭を下げた。「今は、小泉です。」その後、みどりさんがパートの人と話しているのが聞こえた。「また来たの?あそこ。今月これで四回目です。社長は出ないでくださいって言ってあるんですけど、玄関で三十分粘っていくんですよ。」「よく来るよね。十年断られてるのに。」私は手を止めた。十年。その言葉が耳の奥に引っかかった。
営業の人たちは一時間ほど待って、会えないまま帰っていった。その夜、私は思い切って聞いてみた。「今日、実家の会社の人が来ていました。」小泉さんの箸が止まった。「そうですか。」「あの、実家の会社とは、お取引を…」「本体ではしていません。」短い答えだったけれど、その短さがいつもの短さと違った。私は続けられなくなった。小泉さんは茶碗を置いて、少しの間黙っていた。それから、こう言った。「はるかさん。一つだけ言っておきます。君の実家との取引を断っているのは、君が来る前からです。君のせいではありません。それだけは間違えないでください。」
その言い方で、私には分かってしまった。理由がある。それも、この人が四ヶ月私に言わずに来たほどの理由が。聞いてはいけないと思った。けれど、その夜から私の中に小さな穴が開いた。私はこの人の何を知っているのだろう、という穴だった。四ヶ月同じ家に住んでいる。同じ畑に出て、同じ飯を食っている。けれど、私が知っているのはあの釣り書きに並んでいた数字だけだった。その数字が何を意味するのかも、この人が十年断り続けているものの正体も、あの写真を自分で選んだ理由も、何ひとつ分かっていなかった。そして、一番大事なことを知らなかった。なぜ私だったのか。
九月の終わり。私は選果場で、その答えらしきものを聞いてしまった。昼休みだった。私がダンボールを取りに裏へ回った時、壁の向こうで人が話していた。パートさんが二人だった。声だけで誰かは分からなかった。若い人たちではない。「あの奥さん、自分のお姉さんの代わりにお見合いに来たんだってね。」「え、そうなの?」「お見合いに来るはずだった人が逃げたんだって。それで、妹が代わりに。」「じゃあ、何?社長は代わりの人と結婚したってこと?」「まあ、社長もういい年だしね。誰でも良かったんじゃないの?」
私はダンボールを持ったまま、そこで立ち止まった。「誰でも良かったんじゃないの?」その言葉は、母や姉に言われた言葉よりずっと深いところに刺さった。なぜなら、私自身がずっとそう思っていたからだ。
家に帰って、私は台所に立った。夕飯を作らないといけないのに、大根を握ったまま十分ほど動けなかった。その日、私は初めて、自分から実家に電話をかけようかと思った。帰りたいのではない。自分がいなくなった方が、この人にとっていいのではないかと思ったのだ。私がいるせいで、この人の会社は今月だけで四回も断りの応対をさせられている。私の実家の営業が押しかけてくる。式を上げれば、あの家族を呼ぶことになる。私さえいなければ、この人は静かに畑をやっていられる。
私は電話の前に立って、受話器に手をかけた。そこで、玄関が開いた。「ただいま。」私は慌てて手を引いた。小泉さんは長靴を脱ぎながらこちらを見た。そして、動きを止めた。「泣いていますよ。」「え、顔?」私は自分の頬に触った。濡れていた。気づいていなかった。私は「すみません」と言って背中を向けた。向けたまま、言ってしまった。「私、身代わりです。誰でも良かったんですよね。」言ってから、しまったと思った。こんなことを言うために、四ヶ月畑に出てきたわけではないのに。
小泉さんはしばらく黙って、それから静かに言った。「話します。全部話します。ただ、今日じゃない。どうして式の日に。話したいことがあるからです。順番があるんです。それまで待ってもらえませんか?」「どうして式の日なんですか?」「あなたにだけ話したら、あなたはきっと自分のせいだと思うからです。あの人たちのいる場所で言わないと、意味がないんです。」
私は振り返った。小泉さんは玄関に立ったままだった。作業着のままで、片手に長靴を持っている。その顔が、私の知らない顔をしていた。怖い顔ではない。覚悟をしている顔だった。
九月が終わろうとしていた。小泉さんは式の会場を常南グランドホテルに決めた。神前も教会もやらない。披露宴だけにすると、小泉さんは言った。「人に見てもらうのが目的ですから。」うちの野菜が一番多く入っている店だということは、私も伝票で知っていた。けれど、そこで式をあげると言われるとは思っていなかった。「あの、そんなところで。」「あそこが一番、うちの野菜を長く使ってくれている店なので。頼んだら、大広間をあげてくれました。」私は口を開けたまま、何も言えなかった。常南グランドホテルという名前は、私が実家にいた頃から知っていた。営業の日報と見積もり書の控えの上だけの名前だった。父の会社が食材を入れたがって、何年も断られていた相手だ。そこの大広間を頼んだら開けてくれた、とこの人は言った。私は何も聞かなかった。聞かないと決めていたからだ。
招待状は私が書いた。百五十通あった。宛名の半分以上は、私の知らない会社の名前だった。書きながら、不思議な気持ちになった。小泉農産という会社は、こんなに人と繋がっているのか。五ヶ月いても、私はその一部しか見ていなかった。日取りは決まってすぐ、電話で先に知らせてあった。招待状はその後出した。実家に出す二通だけは、最後に書いた。父と母の分と、姉の分だ。
投函した三日後に、母から電話がかかってきた。「あの招待状、名前が間違ってるんじゃないの?」「間違ってない。」「だって、あそこ、うちが何年も入り口しようとして断られてるところよ。」「うん。そこでやる。」電話の向こうで、母が誰かに何か言う声がした。姉が電話を変わった。「ちょっと、はるか。あんた、見栄張ってない?」「張ってない。」「グランドホテルって、一番安いコースでも料理と引き出物で一人三万はするよ。農家の結婚式でそんなの無理でしょう。後で払えませんでした、じゃ済まないからね。」「うん。」「まあ、言ってあげるけどさ。貧乏農家の結婚式なんて、見物だもんね。」そして最後に、こう言った。「言っとくけど、ご祝儀は少なくても文句言わないでよ。」電話が切れた。私は受話器を置いて、しばらく壁を見ていた。半年前なら、この電話の後で泣いていたと思う。その日は泣かずに、選果場へ行った。仕事があったからだ。
十月の畑は忙しい。山の上のものを取り切るのと、下の畑の秋のものが上がってくるのが重なる。私は毎日、伝票と人の割り振りで頭がいっぱいだった。そして、そのおかげで気づけたことがあった。
十月の半ば、選果場の裏を歩いていて足を止めた。一日分のはね出しが、そこにまとめてあった。私は毎日、台の上で一本ずつそれを落としている。落としているのは自分の手だ。それなのに、落とした先がどうなっているかを、私は一度も見に行ったことがなかった。鉄のコンテナが二台、詰める高さまで並んでいた。大根とキャベツと、それからニンジンだった。私はしゃがんで、ニンジンを一本取り上げた。先が二股に割れていた。もう一本は真ん中がくびれ、もう一本は真っすぐなのに短かった。
みどりさんが通りかかった。「みどりさん、これ、毎日ですか?」「毎日よ。秋はもっと出る日もある。一本ずつ落としてる時は分かんないでしょ。溜まると、こうなるのよ。」「これ、どうするんですか?」「畑に戻すか、安く引き取ってもらうか。あとは従業員が持って帰る。ほとんどは畑に返しちゃうね。持って帰るったって、限度があるし。」
私はそのニンジンを割ってみた。中が詰まっていて、断面が濡れて光っていた。一口かじると、甘かった。見合いの席で食べた、あのニンジンと同じ味だった。私はしゃがんだまま動けなかった。胸の中で、ひっくり返ったものがあった。私ははね出しを食べて育った。実家の食卓に上がるのは、いつもはね出された野菜だった。そして、私はその野菜が言われていることと、自分が言われていることが全く同じだと気づいた。形が悪い、揃っていない、値がつかない。けれど、中身は何ひとつ劣っていない。
その夜、私は初めて自分から小泉さんに提案というものをした。「はね出しのことなんですけど。」「はい。」「あれ、売れませんか?」小泉さんが顔を上げた。「売る?」「そのままでは無理だと思います。形が揃わないので、箱に入りません。でも、切ってしまえば、形は関係なくなります。」私はテーブルの上に、その日の紙を置いた。「刻んでスープにするとか、押して乾かすとか、漬け物にするとか。切ってしまえば、二股でもくびれていても同じです。実家の会社にいた時、加工場の伝票をよく見ていました。ホテルの厨房は、下処理の人手が一番足りません。切ってある野菜は、高く買います。」
小泉さんは紙を見ていた。何も言わなかった。私は急に恥ずかしくなった。「すみません。素人が。」「はるかさん。」小泉さんが紙から目を上げた。「それ、うちが十年、やろうとしてできなかったことです。」「え?」「加工の会社は、うちにも二つあります。ただ、あそこは決まった規格のものを決まった量だけ流すための場所です。毎日同じ大きさのものが同じ本数、同じ時間に入ってくる前提で機械が組んである。はね出しは、その日によって形も量も違う。あのラインには乗らないんです。別にもう一本、はね出し専用のやり方を作らないといけない。それを何度も考えて、誰も、どこにどう売るかまで書けなかった。」小泉さんは紙を持ち上げてもう一度見た。「これは、続きを書いてもらえますか?式が終わったら、ちゃんと話しましょう。」
その夜、私は布団の中でずっと天井を見ていた。「続きを書いてもらえますか」と言われた。誰も、私にそんなことを言った人はいなかった。
その週、和田さんのことがあった。朝、和田さんが畑に来なかった。私は昼にみどりさんに聞いた。みどりさんは首を振った。「息子さんが来て、もう来させないって。あの人、この前ちょっと転んだのよ。畑じゃなくて、家の玄関先でね。それで、息子さんが怒っちゃって。」
私はその日の夕方、和田さんの家へ行った。小さな平屋だった。和田さんは縁側に座って、何もしていなかった。声をかけると、和田さんは振り向いて、それから困ったように笑った。「あら、奥さん。わざわざ来なくていいのに。」私は和田さんの隣に座った。しばらく二人で庭を見ていた。やがて和田さんが言った。「息子はね、悪くないんだ。私が転んだら、あの子が仕事を休んで来なきゃいけない。嫁さんにも迷惑かける。だから、家にいるのが正しいんだ。分かってるんだよ。」その声が、少し震えていた。
私は膝の上で手を握って、思い切って言った。「和田さん、畑じゃなくて、選果場に来ませんか?」「選果場?」「座って仕事ができます。屋根もあります。それに、和田さんにしかできないことがあります。」「私にしか?」私は頷いた。「うちのパートさん、若い人が増えました。あの人たち、野菜の見分けが早くありません。傷が入っているのと、乾いているだけのやつの違いが分からないんです。だから、いい野菜まで、はね出しに落としてます。一日で何十本も落としてます。もったいないです。」私は和田さんの手を見た。土の色の入った、小さくて硬い手だった。「和田さんが一週間見てくれたら、あの人たちは覚えます。」和田さんは自分の手を見ていた。それから、こう言った。「それは、私がいるってことかい。」「はい。畑に出なくても、いるのかい?」「います。」和田さんは膝を叩いて、それから何度も頷いた。顔を上げた時、目の縁が濡れていた。「じゃあ、息子に電話してくれるかね。私が言うと、喧嘩になるから。」
小泉さんに話すと、一晩考えてからやりましょうと言った。私はその夜、和田さんの息子さんに電話をかけた。四十分かかった。最初ははっきり嫌そうだった。当たり前だと思う。選果場は座り仕事で屋根があること。送り迎えはうちの車が出せることを説明して、最後にこう言った。「お母様に、私たちが教わりたいんです。」電話の向こうで、しばらく音がしなかった。やがて息子さんが低い声で言った。「あの、うちの母ちゃん、役に立ってますか?」その声が、少し詰まっていた。「はい。うちの一番古い人です。」
次の週から、和田さんは選果場の椅子に座るようになった。若いパートさんが台に持ってくる野菜を見て、「これは出せる。これは落とせ」と言った。他の人と同じ一日六時間ではなく、四時間だけの契約にした。和田さんは毎朝、誰より早く来るようになった。
そして十月の下旬、式の六日前に、一人の客が畑に来た。黒い車が止まって、白髪の男の人が降りてきた。六十歳くらいだろうか。仕立てのいいコートを着ていた。小泉さんが畑から上がってきて、その人と握手をした。私は少し離れたところで長靴を洗っていた。その人が私に気づいて、こちらへ来た。そして、深く頭を下げた。「初めまして。常南グランドホテルで料理場を預かっております。高と申します。」私は慌てて頭を下げた。手が濡れたままだった。「奥様のお噂は伺っております。あの台風の後に、主人へお電話をくださった総料理長の高さんですか?」「はい。その高です。八月の台風の時、うちだけ野菜が止まりませんでした。あの時、現場を回されたのが奥様だと、小泉さんから伺いました。」私は小泉さんを見た。小泉さんは畑の方を向いていた。「あの週、市内のホテルはどこも青名が入らずに献立を組み換えました。うちだけが、献立を一品も変えずに済みました。」高さんはもう一度頭を下げた。「料理場を代表して、お礼を申し上げます。」私はどうしていいか分からなくなって、ただ「こちらこそ」と繰り返した。
高さんは畑に入っていった。小泉さんと二人で畝を歩きながら、何かの話をしているのが遠くに聞こえた。私は長靴を洗いながら、その二人の背中を見ていた。その時、また同じことを思った。私はこの人が何者なのか、まだ紙の上の数字でしか知らない。
式はその六日後だった。式の朝、目を覚ますと隣の部屋の布団はもう畳んであった。台所に紙が置いてあった。「畑に出ます。一時までには行きます。先に行っていてください」と書いてあった。私はつい笑ってしまった。自分の結婚式の日の朝に畑へ出る人が、この世にどれだけいるだろう。けれど、その人らしかった。十月の終わりは、うちの畑の締め切りだ。山の上はこれで終わりで、後は下の畑へ引き継いでいく。その最後の日の出荷を見届けないで行くという選択肢が、この人にはない。
私は九時に家を出た。みどりさんが車を出してくれた。常南グランドホテルまでは一時間半かかった。控え室に入って、支度が始まった。髪を結って、白い衣装を着せられた。鏡の前に座っている間、私はずっと自分の手を見ていた。半年前、この手は赤切れだらけだった。今は豆が潰れて硬くなり、爪の際に土の色が入っている。美容師の人が「あら」と言って、その手を取った。「爪、綺麗にしましょうか?」「あの、このままでいいです。」「でも、指輪をされるので…」「このままがいいんです。」その人は少し驚いた顔をしたが、それ以上は言わなかった。
十二時半を回った頃、控え室のドアがノックされた。入ってきたのは、信用金庫の森岡支店長だった。「奥様、本日は誠におめでとうございます。」深く頭を下げてから、森岡さんは祝儀袋を置いた。「早く着き過ぎてしまいまして、受付にお渡しする前に、一言ご挨拶をと思いまして。」「わざわざ、ありがとうございます。」森岡さんは立ったまま部屋の中を見回した。それから、少し声を落として言った。「それにしても、この会場をよく抑えられましたね。ここの大広間は一年先まで埋まっていると聞いておりましたが。」「主人が頼んだら、開けてくれたと。」森岡さんは笑った。「小泉社長がそうおっしゃったんですか?」「はい。」「まあ、あの方はそうおっしゃるでしょうね。」森岡さんはネクタイを直しながら続けた。「今日は、うちの本部の役員も参ります。農協の関係の方もご挨拶が多くなりますので、お体だけはお気をつけください。」
私は膝の上で指を組んだ。「あの、森岡さん。」「はい。」「うちの会社って、その、どのくらい…」言いかけて、私は自分でも何を聞きたいのか分からなくなった。森岡さんが初めて、真面目な顔をした。「奥様は、お聞きになっていないのですか?」「釣り書きの数字は読みました。八十ヘクタールも、百四十名も。ただ、畑と加工の会社だけだと思っていました。」森岡さんはしばらく私を見ていた。それから、姿勢を正した。「株式会社小泉農産は、当金庫で一番大きなお取引先です。畑と生産者と加工の会社が二社。それに加えて、東京と大阪に販売の会社がございます。売る会社をご自分で持っておられる生産者は、この県に他にございません。その全部の代表が、小泉新一社長です。」
私は鏡の中の自分を見ていた。「県内の農業では、正直、別格です。東京の百貨店とホテル、それから全国のレストランに直接卸しています。それをやれている生産者は、この国にそう多くありません。」森岡さんはそこで言葉を切った。「申し訳ありません。余計なことを申しました。」「いえ。」「私はてっきり、奥様はご存知で、その上で畑に出ておられるのだと思っておりました。毎朝畑に出ておられると伺っておりましたので。」私は何も言えなかった。
森岡さんが出ていった後、私は鏡の前でしばらく動けなかった。驚いていなかったと言えば嘘になる。けれど、自分が何に驚いているのかが、自分でも意外だった。私はお金のことを考えていなかった。考えていたのは、半年間のことだった。あの人は毎朝五時前に家を出て、畑に出ていた。泥のついた長靴を、自分で洗っていた。台風の前の日、自分で重機に乗って、日が暮れるまで水路の泥をさらっていた。私が握り飯を持たせると、両手で受け取っていた。その全部が、やらなくてもいいことだったのだ。やらなくていい人が、十年、毎朝やっていた。
私は控え室を出て、ロビーの見えるところまで歩いた。正面に黒い車が何台も止まって、次々に人が降りてくる。受付の前に列ができていた。並んでいるのはスーツを着た人ばかりだった。年配の人が多い。ホテルの人が飛ぶように動いて、次々に頭を下げている。その列の中に、和服の和田さんがいた。私に気づいて、手を振った。私は廊下から手を振り返した。和田さんは受付を離れて、こちらへ来た。「ああ、綺麗だね。うちの奥さんが、こんなに。」私は和田さんの手を取った。私の手と同じ手だった。「和田さん。」「なんだい。」「私、何も分かっていませんでした。」「何を?」「主人のこと。」和田さんは私の顔をじっと見た。それから、ロビーの人だかりの方へ目をやった。「まあ、あの子は言わないからね。親父さんもそうだった。うちの畑は日本一だなんて、一度も言わない人だった。その代わり、日本一のものを出した。」和田さんは少しの間黙った。そして、こう言った。「あんた、しんちゃん、うちの社長のことだよ。あの子の親父さんが、最後の年に何をしてたか知ってるかい?」「いえ。」「頭を下げに行ってたんだよ。あの頃、うちは畑ばかり増えて、売り先が追いつかなかった。作ったものを買ってくれる先を探して、親父さんは自分でスーツを着て、自分で車を運転して、県内の会社を回った。一年で、確か六十何社行ったって言ってたね。そのうちの一つで、何か言われたらしいんだ。」「何を?」「それは言わなかった。ただね、帰ってきた日に、一言だけこう言ったんだ。」和田さんはゆっくりと繰り返した。「人は、土ほど正直じゃないなって。」
私は息を止めた。「あの人の口癖は、しんちゃんからも聞いてるだろう。土は嘘をつかん、と。その人が、あんな言い方をしたのは、後にも先にもあの一度きりだった。その半年後に、あの人は倒れて死んだ。」
その時、正面の自動ドアが開いて、見覚えのある三人が入ってきた。父と母と姉だった。母は薄い色の留め袖で、姉は黒いドレス。父はいつものスーツだった。三人は入ってきて、そこで足を止めた。母がロビーを見回している。姉が天井のシャンデリアを見上げている。そして、父が受付の方を見た。そのまま、動かなくなった。
私は廊下の柱の影から、その様子を見ていた。不思議なもので、胸にあったのは勝ったという気持ちではなかった。もっと静かで、もっと冷たいものだった。私が家にいた頃から、父はいつも言っていた。これからは産地と直に組む時代だと。その産地は、四月の座敷にいた。多分、人生というのはいつもそういう小さなところで別れているのだ。
受付には、祝儀を書いた大きな板が立てられていた。名前の下に、小さく会社名が入っていた。祝儀を書く人の列が、そこから伸びている。父の目が、その列を追っていた。列に並んでいたのは、この土地で名前を知らない人がいない会社の人たちだった。父の会社が何年も入り口しようとして断られていた店の人たちだった。その顔ぶれが何を意味するのかは、七年分の伝票が私に教えてくれた。父の顔から、色が引いていった。母が父の袖を引いた。「ねえ、あなた。ここ、本当にはるかの?」父は答えなかった。口を半分開けたまま、受付の方を見ていた。「ちょっと、聞いてるの?」「静かにしろ。」父の声がかすれていた。姉が受付の板を覗き込んで、小さく声をあげた。「ちょっと待って。なんでうちの取引先が?っていうか、この名前、うちが二年断られてる会社の役員じゃない。」三人がそこで固まった。
私は息を吸って、廊下から出た。母が私に気づいた。「はるか、あんた。これ、どういうことなの?」私は三人の前に立った。「今日は、来てくれてありがとう。」「そうじゃなくて、この会場は…」「主人が頼んだら、開けてくれたそうです。」母は口を開けたまま、何も言えなくなった。姉が私の衣装を上から下まで見て言った。「ねえ、あんたの旦那って、農家だよね。」「はい。」「農家なんだよね。」「農家です。」私はその時から目をそらさなかった。そして、こう続けた。「あの釣り書き、読んだ?」姉が瞬きをした。「見合いの前に、父さんが持ち帰ってきたと。写真と一緒に入ってた紙。」「知らない。」「お母さんは?」「釣り書きは、写真なら見たわよ。」「お父さんは、最初の職業で閉じたよね。」父が私を見た。私は頭を下げた。「じゃあ、後で会場で。」そう言って、私は控え室へ戻った。戻る途中、廊下の窓から駐車場が見えた。見慣れた軽トラックが、黒い車の列の端に止まっていた。荷台には、空のコンテナが三つ積んであった。
披露宴は午後二時に始まった。大広間には丸いテーブルが三十卓並び、人が入ると天井の高い部屋が一気に狭く見えた。私は控え室の扉の前で待っていた。隣に、小泉さんが立っていた。黒い礼服で、髪をきちんと分けて、靴を磨いて、ネクタイを綺麗に結んでいた。私はその姿をしばらくまともに見られなかった。「変ですか?」「いえ。」「一時間前に着いて、そこで着替えました。親族の紹介も写真も、こちらの都合で全部省いてもらいました。畑を出るのが遅れて、すみません。」私は首を横に振った。「野菜、出ましたか?」「出ました。全部。」「よかった。」小泉さんがこちらを見た。そして、少し笑った。「今、自分の結婚式より先に野菜の心配をしましたね。」「そうですね。」「そういう人だから、俺は。」そこまで言って、小泉さんは口を閉じた。扉の向こうで司会の声がして、名前が呼ばれた。扉が開いて、拍手が起こった。
私たちは中の通路をゆっくり歩いた。三十卓の顔が、全部こちらを向いていた。そのうちの一つの卓に、父と母と姉がいた。三人の顔を、私は歩きながら見た。母は口を半分開けていた。姉は目を見開いていた。そして、父はこちらを見ていなかった。父が見ていたのは、隣の小泉さんだった。
新郎新婦の席についてすぐ、主賓の挨拶があった。立ったのは、東京から来た百貨店の役員の人だった。その人は、小泉農産と十年あまりの付き合いがあると言った。小泉さんのお父さんが、一人でリヤカーのような荷車で振り込みに来た日のことを話し、今では自分の会社の売り場の柱になっていると言った。次に立ったのが、常南グランドホテルの総料理長、高さんだった。「本日は、誠におめでとうございます。小泉社長からお話をいただいた時、お受けできる日は本来ございませんでした。この大広間は一年先まで埋まっております。ただ、この秋に一日だけ、お日取りの変わったお客様がございました。宴会のものが、小泉様なら、と申しまして、その日のうちにお電話を差し上げたのでございます。当館は、小泉農産のお野菜に無理を聞いていただいたことが数えきれないほどございます。今回ばかりは、こちらが走り回らせていただく番でございました。」会場から笑いと拍手が起きた。
私は父の卓の方を見た。父はナプキンを膝の上で握り、母は俯き、姉はグラスをじっと見ていた。
披露宴が進んで、乾杯の後、歓談に入った。そこからが私には長かった。次から次へと人が、私たちの席の前に来た。来る人がみんな、まず小泉さんに頭を下げ、それから私に向き直ってもう一度深く礼した。「おめでとうございます、社長」という声の後に、必ず「奥様にも是非ご挨拶を」と続いた。名刺を出す人もいた。私は受け取るたびに立ち上がって礼をした。手が震えていた。その列が、父のテーブルのすぐ横を通っていた。だから、全部聞こえていたはずだ。
会場の三分の一ほどが挨拶を済ませた頃、父が立ち上がった。気づいた時には、もう私たちの席のすぐ下まで来ていた。母と姉も後ろについてきた。父はタキシードの小泉さんを正面から見て、そこで足を止めた。差し出しかけた手が、はっきり分かるほど震えていた。母が横からその腕を掴んだ。掴んだ母の手も震えていた。姉は二人の後ろで、床の方を見たまま肩を震わせていた。三人とも、声が出ないのだ。
父は小泉さんの前で、深く頭を下げた。「この度は、誠におめでとうございます。霧原健造でございます。はるかの父でございます。」その声は、料亭の座敷で聞いた時とまるで違っていた。「いや、私は最初から立派な方だと思っておりました。言葉数の少ない方は、中身のある方だと。あの席でも、内に相しまして。」母が隣で何度も頷いた。「そうなんです。私もしっかりした方だと、ずっと…」姉が顔を上げた。目の縁が赤かった。それから、いつもの顔を作った。「はるか、あんた、すごいじゃない。やっぱりあんた、昔から運がいい子だったもんね。」私は姉の手を見た。その手には、私の手にあるものが何ひとつなかった。潰れて硬くなった豆も、爪の際の土の色も。
父が身を乗り出した。「あの、小泉社長。スカのことをお伺いしますが、弊社は業務用の食材を扱っておりまして、産地との直接のお取引に力を入れております。是非、一度、恩者とも…」そこで、小泉さんが手を上げた。言葉ではなく、手だけだった。父の口が止まった。小泉さんが静かに立ち上がって、こう言った。「霧原さん。うちは、恩社と今期でお取引を終わります。」
会場の一角が静かになって、父の顔が固まった。「お、お取引?弊社とは、まだ…」「本体とはありません。うちの北の食品という会社が、今期から恩社に材料を出しています。名前にお泉は入っていません。月に二回。今年の一月からです。縁談より前に決まっていた話で、私は子会社の販売先まで一件ずつは見ていません。今期の一覧で、名前を見つけました。」父の目が泳いだ。営業部の話は、父の耳には数字でしか入っていなかったのだと思う。「あれを、次の期は更新しません。」「待ってください。何か行き違いが。」「行き違いではありません。」小泉さんの声は大きくなかったけれど、その静かさで周りのテーブルの音が消えた。「十年前、うちの親父が恩社に行きました。」その言葉に、目の前に立っている私の父の方が動いた。「作った野菜を買ってくれる先を探して、一年で六十何社回りました。その中の一社が、恩社です。親父は三度、本社の玄関で待ちました。三度目に出てきた方が、こう言ったそうです。土臭いのが座ってると客が引くから、裏へ回ってくれ、と。」
会場が、水を打ったようになった。私の父の顔から、完全に色が消えた。「その方は、もう恩社にはいません。だから、その方個人を責めるつもりはありません。私が十年断ってきたのは、そういうことを言える空気が恩社にあったということです。今度の縁談が霧原さんの家だと聞いた時、私は断るつもりでした。十年経てば、会社の中身も変わります。変わっていれば、それで良かった。ただ、変わったかどうかを紙に書いて送ってくれる人はいません。だから、うちの釣り書きを、あの家の誰がどう読むのかだけ、一度見ておこうと思いました。そして今日、あの日と同じものを見ました。」小泉さんは初めて、父の目をまっすぐ見た。「本社の社長は、今日、私の前に来られて、おめでとうございますの次にお取引の話をされました。四月のお見合いの席で、恩者は私に何と言いましたか?いいものを作る人には、ちゃんと値をつけてやりたい、と。その時、私の隣にいたのは、恩社が七年間、給料も出さずに働かせていた娘さんです。」母が、小さく声を漏らした。「値をつけてやりたいというのは、そういう意味ですか?」
父は何も言えなかった。その時、姉が顔を赤くして前に出た。「ちょっと待ってください。そもそも、あなたのお見合いの相手は私だったんです。私が行くはずだったんです。それを、その子が勝手に…」会場がざわついた。小泉さんは姉の方を向いた。そして、静かに言った。「存じています。あなたは、私の写真を見て逃げましたね。」「それは、あの写真が…」「あの写真は、私が自分で選びました。」姉の口が止まった。「見合いの写真は、普通はスーツを着て写真屋で撮ります。私も何度かそうしました。そうすると、断られなくなるんです。代わりに、私が何ヘクタール持っているかを先に調べてから来る人ばかりになりました。だから、やめました。作業着で、軽トラックの前で、畑の帰りに社員に撮ってもらった一枚を送るようにしました。隠したわけじゃありません。釣り書きには全部書いてある。写真を先に見るか、紙を先に読むか、それだけの違いです。写真で断る人は、紙を読まない人です。それで構わない。そういうつもりで送っていました。」
私は膝の上で手を握っていた。それから、小泉さんは続けた。「それから、釣り書きです。うちが送った釣り書きには、会社の名前も、私の役職も、従業員の数も、契約している農家の数も、全部書いてありました。書いてあったんですよ。最初から読まなかったのは、そちらです。」父が、椅子の背に手をついた。「そして、その釣り書きを最後まで読んだのは…」小泉さんはこちらを見た。「電話をくださったのは、はるかさん、お一人でした。」
私はその時、あの夜のことを言われたのだと分かった。家族が寝静まった後に、引き出しから封筒を出して読んだ、あの夜のことを。けれど、私は誰にもそれを言っていない。言っていないのに、なぜ。小泉さんが続けた。「見合いの後、仲人から連絡がありました。霧原さんの家から、娘さんが釣り書きの内容を確認する電話をよこした、と。」私は息を飲んだ。かけたのは私だ。数字が大きすぎて、書き間違いかもしれないと思ったのだ。八十ヘクタールというのが本当なのかを、仲人の役員さんの会社に電話して確かめた。それだけのことだった。「私はそこで、話を進めてくださいと言いました。順番がそれでした。あの人は座敷で、うちの野菜を、うちの野菜と知らないまま甘いと言いました。肩書きも面積も、何ひとつ知らないうちにです。その後で、うちの釣り書きを最後まで読んで、数字を確かめる電話をかけてきた。肩書きを見て逃げる人でも、肩書きを見て寄ってくる人でもない人が、この順番で来たんです。そういう人に会いたかった。それだけを待っていました。」
私は俯いた。前が見えなくなっていた。小泉さんが姉の方へ向き直った。「最後に、一つだけ申し上げます。私が選んだのは、身代わりではありません。私の妻です。」姉は何も言えなかった。口を開けて、閉じて、それきり下を向いた。
私はそこで、立ち上がった。自分でもなぜ立ったのか分からなかった。会場の全部の顔が、こちらを向いた。私は姉を見た。二十五年間、私は姉の目をまっすぐ見て話したことが、ほとんどなかった。見れば負けると思っていたからだ。その日は、見られた。「姉さん。」「何を…」「私、姉さんのこと、恨んでない?」姉が顔を上げた。「あの日、姉さんが逃げてくれなかったら、私はあの座敷に座っていなかった。だから、恨んでない。」姉の目が揺れた。「でも、これだけは言わせて。あの写真、もう一度ちゃんと見てほしい。その人の膝についている土は、その日、畑でついたんです。私はそれを、毎日洗ってます。」私はそこまで言って、それ以上は言えなくなった。喉が塞がって、声が出なくなったのだ。小泉さんの手が、私の背中にそっと触れた。私は座った。
会場は静まり返っていた。母が口元を抑えていた。それでも、父は引き下がらなかった。「小泉社長。取引は、どうか考え直していただけませんか?うちには、五十人の従業員がおります。」「存じてます。」「では、その五十人の中に、はるかさんは入っていましたか?」父の言葉が止まった。「七年間、事務所に毎日来て、伝票を仕分けて、電話を取っていた人が、名簿に乗っていましたか?」父は答えなかった。答えられなかったのだと思う。私の名前は、あの会社のどの紙にも乗っていない。
母が前に出た。目に涙を貯めていた。「はるか。お母さん、あんたのこと、ちゃんと厳しくしたのは、あんたのためを思って…親じゃないの?」姉が私の腕を掴んだ。「ねえ、はるか。私からも謝るからね。だから、お願い。あの会社の…」その時、小泉さんが後ろを向いた。言葉はなかった。少し首を動かしただけだった。壁際に立っていたホテルの人が、すっと出てきた。総料理長の高さんだった。「妻を傷つける方を、これ以上、お置きするつもりはありません。」「かしこまりました。」高さんは三人の前に立って、深く頭を下げた。「霧原様。恐れますが、別室にお席をご用意いたしました。お料理はそちらへお運びいたします。」「待ってくれ。私は花嫁の父だぞ。」「承知しております。その上で、ご案内をいたします。」ホテルの人が二人、静かに横に着いた。乱暴なことは何もしない。ただ、そこから動かなかった。父は会場を見回した。助けを求めるように、あちこちのテーブルに目をやったけれど、誰も目を合わせなかった。
私はそこで、会場の全体を見た。三十卓の人たちが、みんな静かにこちらを見ていた。その中に、和田さんがいた。みどりさんも、拓君も、選果場のパートさんたちも、揃いの席に座っていた。その日は朝のうちに出荷を出し切って、選果場を昼で閉めて、みんなで出てきてくれたのだと後で聞いた。招待の宛名を書いたのは私だけれど、紙の上の名前が席に座っている光景を、この目で見たのはこの時が初めてだった。その人たちは、みんなこの半年の私を見ている。台風の前の夜に選果場を仕切った私を見ている。ダンボールを畳んでいた私を見ている。はね出しの山の前にしゃがみ込んでいた私を見ている。だから、誰も父の味方をしなかった。
父と母と姉は、扉の方へ歩いていった。姉が一度だけ振り返って、何か言おうとしたが、言葉は出てこなかった。扉が閉まった。しばらく、誰も声を出さなかった。やがて、一番後ろの卓から拍手が起きた。拓君だった。真っ赤な顔で、手を叩いていた。それが、徐々に広がった。みどりさんが立った。和田さんが立った。選果場の人たちが順番に立った。契約農家の人が立ち、ホテルの人が立ち、百貨店の人が立った。最後には、三十卓の全員が立って、手を叩いていた。
私はそこで、とうとう泣いてしまった。顔を上げていられなくて、俯いたまま白い衣装の膝に涙を落とした。隣で、小泉さんが何も言わずに立っていた。
やがて拍手が止んで、司会の人が「新郎新婦より、花束の贈呈です」と読み上げた。花束は二つ用意してあって、渡す相手を決めたのは私だった。私は一つを和田さんに、小泉さんがもう一つをみどりさんに渡した。和田さんは受け取ってから「これ、水に刺さないと」と言って、会場を笑わせた。
花束を渡しながら、私は妙なことを考えていた。今、握手をしてくれた人たちは、私の家族ではない。血の繋がりも、戸籍の繋がりもない。半年前まで名前も知らなかった人たちだけれど、この人たちは半年分の私を知っている。見ていてくれた人が、こんなにいた。私は二十五年間、一つの家の中でだけ点数をつけられてきた。家の外に、こんなに世界があった。
披露宴は最後まで無事に終わった。帰りの車の中で、私はずっと窓の外を見ていた。日が落ちて、街道沿いの店の明かりが流れていった。北の町に近づくと、明かりが減って、畑が黒く広がった。私は口を開いた。「あの。」「はい。」「私のせいで、あなたに迷惑をかけましたよね。」「迷惑?」「取引です。北の食品の、あの月二回のあれ。続けた方が良かったんじゃないですか。」小泉さんはしばらく黙って運転していた。それから、こう言った。「君のせいじゃありません。俺は、君を傷つけた人たちに線を引いただけです。でも、はるかさん。」小泉さんは赤信号で車を止めた。そして、こちらを向いた。「うちは、あの取引がなくても回ります。回らなくても、やります。十年前、裏へ回ってくれと言われた日から、俺はずっとそう決めていました。値段の話じゃないんです。誰と組むかの話です。」信号が青に変わって、車が動き出した。しばらくして、小泉さんが前を向いたまま言った。「それに、俺はもう、君の家族じゃない人たちのことを、そんなに考えていません。」「え?」「これからは、俺が家族です。」
私は膝の上で手を握って、それから声を上げて泣いた。私はずっと、家族に認めてもらおうとしてきた。朝五時に起きて、給料の出ない仕事をして、姉に手柄を渡して、それでも一度も認めてもらえなかった。必要だったのは、認めてもらうことではなかった。血の繋がりでもなかった。私を、私として見てくれる人が、たった一人いればよかった。それだけのことに、私は二十五年かかった。
式から四日後、実家から電話がかかってきた。父だった。「はるか。」「はい。」「その、体は大丈夫か?」父が私の体のことを聞いたのは、思い出せないくらい久しぶりだった。「実はな、うちが今、少し立て込んでいてな。行きの取引を、次の期で終わりにすると言われた。それだけならまだいいんだが、他の産地からも契約の見直しの話が来ている。」私は黙って聞いていた。「噂は、誰がどこで何を言ったか、すぐに伝わる。そして、産地と直に繋がっているのを売りにしてきた会社が、産地に嫌われたら、残るものは何もない。頼む。旦那さんに取りなしてくれんか?お前が言えば、聞いてくれるだろう。」私は受話器を持ち替えた。窓の外に、下の畑のまだ取り切っていない畑が見えた。そして、静かに言った。「お父さん。」「なんだ?」「私は、もう家族の道具にはなりません。」電話の向こうが静かになった。「七年間、私はうちの会社の伝票を仕分けました。給料は一度ももらっていません。お見合いの日は、姉さんの代わりに座らされました。それでも行きました。家族のためだと言われたからです。でも、もうしません。」「はるか、お前…」「お父さん。私、元気です。ご飯もちゃんと食べています。仕事もあります。名前で呼ばれています。だから、心配しないでください。」私はそう言って、電話を切った。手が震えていたけれど、涙は出なかった。
台所の窓から、夕方の光が入っていた。私は流しの前に立って、その日の大根を一本取った。重かった。いつもと同じ、手に来る重さだった。
その夜、私は夕飯の時に、初めてこう呼んでみた。「新一さん。」新一さんは箸を止めて、顔を上げた。「はい。」「今日、父から電話がありました。もう家族の道具にはなりません、と言いました。」新一さんは少しの間黙っていた。それから、こう言った。「よく言えましたね。」「手が震えました。」「震えていいんです。震えながら言ったことの方が、本当のことです。」私は頷いて、味噌汁を一口飲んだ。半年間、私はこの人を「小泉さん」と呼んでいた。席を入れても、同じ家に住んでも、名前で呼べなかった。名前で呼べるようになるのに、半年かかった。その半年で私が手に入れたものは、多分、名前だけだ。自分の名前と、この人の名前。それだけで、十分だった。
それから二年が過ぎた。小泉農産の選果場の隣に、小さな建物が立った。看板には「はね出しの台所」と書いてある。やっているのは、規格から外れた野菜の加工だ。二股のニンジンも、割れた大根も、外の葉が破れたキャベツも、全部ここへ入る。切って下処理をして、氷水で締めて、シールドの箱で厨房へ送る。翌日までに使ってもらう約束だ。乾かして粉にする試みも始めた。
建てる前の半年、私は野菜をほとんど触らなかった。保健所に何度も通って、書類を直して、手を洗う場所と人の動き方を決めた。建ってからは、書式を作った。どこの畑の、いつのものか。何時に切って、何度で冷やして、いつまでに食べてもらうか。それを全部紙に落とすのに、一番時間がかかった。七年分の紙が、そこでもう一度役に立った。
開けてすぐ、常南グランドホテルが定期で使ってくれるようになった。高さんは「うちの若い衆の手が開く」と言って笑っていた。今は県内の中堅の店と、隣県のスーパーにも卸している。それから、月に二回、町の子供食堂と隣町のデイサービスの調理室へ野菜を届けている。値はもらっていない。加工に回してもなお余る分だ。初めて子供食堂に届けた日、小学生の女の子が二股の人参を持ち上げて、こう言った。「これ、足が二本ある。走れるの?」私は笑ってしまって、それから少しだけ泣きそうになった。
はね出しの台所を任されているのは私だ。小泉農産の社員として、給料をもらっている。名刺には、自分の名前が刷ってある。みどりさんが工場長で、和田さんが野菜の目利きの先生をしている。和田さんはこの春で八十歳になった。週に三日、椅子に座って、若い人に「これは出せる、これは落とす」と教えている。去年の秋に、一度だけ和田さんの息子さんが、うちの工場まで来たことがあった。和田さんが台に座って、若い子に人参を持たせて何かを教えている。そこを、息子さんは入り口のところからしばらく黙って見ていた。帰り際、その人は私に頭を下げて、こう言った。「母があんなに喋るのを、久しぶりに見ました。あの、すみません。うちの母を…」そこで言葉が続かなくなって、その人はもう一度だけ深く礼をして帰っていった。
和田さんが座っている台の後ろの壁に、紙が貼ってある。そこには、和田さんが若い子に毎日言っている言葉を、私が書き取って貼った。「はね出しにも、はね出しの理由がある。理由を見てから落とせ。」
拓君は今、配送の責任者だ。去年、新しく入った子に色分けを教えているところを見た。「これ、青がホテルな。字を読まなくていい。色で覚えろ。俺もそうしてもらったから。」私は事務所の窓から、それを聞いていた。みどりさんの娘さんは、去年、農業の専門学校に入った。夏休みにうちへ手伝いに来て、「なぜこの畑の人参は甘いのか」と新一さんに聞いていた。新一さんは畝の間にしゃがんで、その全部に答えていた。
実家のことは、あまり知らない。父の会社は今も続いている。規模はだいぶ小さくなったと、風の噂に聞いた。姉は式の次の年に会社を辞めて、別の仕事に着いたそうだ。母から手紙が一度だけ来た。長い手紙だった。便箋で五枚あった。最後の一枚に、「一度でいいから帰ってきて欲しい」と書いてあった。私はその手紙を三日かけて何度も読んで、返事は書かなかった。書けなかったのではない。書かないことを選んだ。あの家に戻れば、私はまた台所に立って、伝票を仕分けて、電話を取る。母はきっと悪気なくそうさせるし、私も悪気なくそうしてしまう。二十五年の癖というのは、そういうものだ。いつか帰る日が来るのかもしれない。来ないのかもしれない。今は、それでいいと思っている。
新一さんは手紙のことを一度も聞かなかった。ただ、その三日の間、夕飯を作ってくれた。味噌汁と漬け物とご飯だけの、出汁の薄い味噌汁だった。それでも、私は三日分全部飲み干した。
去年の冬、私は畑の隅で、新一さんが立ち止まっているのを見た。もう何もない、掘り返しただけの黒い土だった。「ここが、父の最後の畑です。倒れた年の秋に、ここで人参を作りました。あの人が最後に作ったのが、あの人参です。うちの人参は、あの人は買った種を使いませんでした。秋に取る時、形と中身のいいのだけを、人う分選び出して、抜いて、土に埋めるんです。ここは冬に凍るので、畑に置いたままだと腐ってしまう。春に、それをもう一度植える。茎が伸びて、花が咲いて、夏に種が取れる。種を蒔いてから、次の種が取れるまで、丸二年です。畑を塞いで取れるのは一回分だけ。手間ばかりなので、周りはみんなやめました。あの人が倒れた年も、人う分選んで埋めてありました。俺はそれを春に植えて、次の夏に種を取りました。」
そう言って、新一さんは土を一握り取って、指の間から落とした。「見合いの席を、あの料亭にお願いしたのは私です。四月にね。君が食べたのは、秋に取って、冬、土に埋めておいたニンジンです。土の中で寒さに当たると、ニンジンは甘くなる。あの畑から、何台か下った人参です。」私は何も言えなくなった。あの日、料亭の座敷で私が甘いと言った人参は、この人の父親が最後に残した人うから、二年で一台ずつ受け継がれてきた人参だったのだ。
新一さんはしばらく畑を見ていた。そして、こう言った。「土は嘘をつかん、って、あの人はよく言っていました。人も同じだとも。俺は長いこと、後ろの方は信じていませんでした。でも、今は信じています。」風が吹いて、黒い土の表面が少しだけ動いた。「君が来てから、この農園は温かくなりました。」私は笑って、それからこう返した。「私も、あなたが来てから温かいです。」「俺は前からここにいますけど。」「そうでしたね。」二人で笑った。
家に「人生が終わった」と言われた結婚は、私にとって人生が始まった結婚だった。私は姉の代わりに座らされたと思っていたけれど、この人は私を代わりだと思ったことが一度もなかった。最初の日から、一人の人間として見ていてくれた。そして、私を見下していた家族は、あの結婚式の日に、自分たちが捨てたものの大きさを知ることになった。
今、私の手には豆がある。爪の際には、土の色が入っている。二十五年間、私は自分の手が嫌いだった。今は、この手が好きだ。これは、誰かの引き立て役の手ではない。私の手だ。



