「このままだったら会社が倒産しますよ。社員の生活にも関わります。」
そう言った瞬間、社長の遠藤健一はグラスを俺に投げつけた。酒の入ったグラスが頭に当たり、中身が顔中にかかる。
「俺がいるから経営が傾くわけねえだろうが。社長である俺と普段から関われることはそうないんだから、ありがたく思ってほしいね。」
俺は石川正斗、56歳。遠動食品で部長として働いてきた。初代社長の遠藤和美さんが病気で倒れ、余命いくばくもないと告げられた。後継者を決めないままだったため、親戚の健一さんが二代目社長に就任した。
健一さんは昔から仕事をサボることで有名だった。社長の親戚というだけで周りにちやほやされ、誰も注意しなかった。社長も叱らないから、態度は悪化するばかり。そんな男が社長になるなんておかしいと思ったが、もしかしたら変わるかもしれないと期待した。
しかし、健一さんの態度は変わらないどころか悪化した。社内で横柄な態度を取り、女性社員にしつこく言い寄る。我慢の限界だった。
社長室に報告に行くと、彼はパソコンでゲームをしていた。
「いい加減にしてください。このままでは会社が傾きますよ。」
「俺がいるから会社は成り立ってるんだ。お前は何もわかってない。」
「あなたは何をしたんですか?いつもサボってスマホで遊んで、何も仕事をしていないじゃないですか。社員も迷惑しています。」
「そんなわけねえだろ。俺が逆らうやつは要らないんだよ。今すぐ出ていけ。お前は首だ。」
抗議しても聞く耳を持たない。首か田舎への左遷か、選べと言う。
「私が何か問題を起こしたなら転勤も受け入れます。しかし、私は何もしていません。」
「お前は俺に逆らった。それだけで十分だ。」
「あなたは何もわかっていないんですか?ここに私がいる理由を。」
「てめえのような老人はいない方がいいね。」
そう言って、彼はグラスを投げつけてきた。酒の匂いがする。会社で、しかも仕事中に酒を飲んでいる。床には空き瓶が無造作に並び、書類は隅に追いやられている。
「あなたはここに何をしに来ているんですか?社長として仕事をしないのはおかしいでしょう。」
すると、健一さんは立ち上がり、俺の顔を殴った。避けられず、よろけて尻もちをつく。
「俺に逆らうともっとひどい目に合わせるぞ。お前の家族をもっと辛い目に合わせてもいいんだぞ。」
ここまでされて、もうこの会社にいるのは嫌になった。
「じゃあ、やめます。」
「その年で再就職先もないくせに、首を選ぶなんてバカだな。」
彼は大笑いした。確かに今後どうするかは決めていなかったが、それでもここにいるよりましだと思った。荷物をまとめて会社を出た。
それから一週間後、健一さんから電話がかかってきた。
「ふざけんじゃねえぞ。お前が開発した特許の契約を切ったから大変なことになったんだぞ。」
「ああ、そのことですか。元々先日に契約が終了したんですから、当たり前ですよ。」
「契約を続行しないのか?」
「あなたと関わりたくないからです。すでに海外の企業に売ったので、御社とは契約しません。」
「なんだって!」
彼が焦るのも無理はない。俺が十年前に開発した特許は、遠動食品にとってなくてはならないものだった。それが使えなくなれば、会社は大損害だ。
「あなたが私を首にしたんですよね。」
「お前がやめるって言ってきたんだろうが。お前がさっさと言わなかったのが悪い。」
「どうしてあなたは社長なのに知らないんですか?」
「お前、喧嘩売ってんのか?」
「そうですよ。あなたは社長に就任したのに、仕事もせずみんなに迷惑をかけて遊んでいるだけの最低な人間だ。会社のことや社長がやるべきことを全く考えなかったから、今の状態になっているんでしょう。」
俺は思っていることをはっきり言った。一週間前の会話で、健一さんが特許のことを知らないと気づいていた。しかし、腹が立っていたので何も言わなかった。数日前に契約更新の電話が他の社員からかかってきたが、断固として断った。
「どうしてお前が特許を持っているんだ?そういうのは会社が持つものじゃないのか。」
「よく気づきましたね。ずっと指摘されないと思っていました。」
「お前、俺をバカにしてるだろう。」
「仕事を全くしないので、何も知らないと思っていたんですよ。」
俺は特許の話を始めた。趣味で開発した商品で、まだ誰も作っていないものだった。特許を取る際、初代社長に相談した。
「会社で使いたいが、特許は君が持っていて構わない。」
そう言われたので、一年契約で遠動食品にのみ使用を許可していた。毎年更新していたが、健一さんの言動で今回から契約しないことに決めた。そして、海外の企業に売り付けることに成功した。もう俺に権利はない。
「ふざけるな!」
彼は今までで一番大きな声で叫んだ。
「今まで雇ってもらっていた恩を忘れたのか?これは犯罪だぞ。」
「どうしてそうなるんですか?俺を首にしたのはあなたですよ。」
「お前が選んだんだろう。」
「違います。あなたが自分の欲のために動いた結果、社員の信頼を失って見捨てられたんです。そして、これは美社長も望んでいることです。」
「お前以外に俺を見限るやつはいない。それに和美さんが許すわけないだろう。」
「会社を去ってからすぐに美社長の元に行きました。全てを話したら、泣いて謝られた後、俺の好きなようにしていいし、会社のことも考えなくていいと言われましたよ。」
健一さんは信じられないと言った。
美社長は自分が長くないと知って、会社の今後を考えていた。しかし、今まで仕事をしてこなかった健一さんに任せることはできないと思い、秘書に他の人を社長にするよう伝えたらしい。しかし、株主総会で決まったことは覆せず、会社は終わったと落胆していた。
そして、俺が健一さんにされたことを聞いて、見捨てた方がいいと考えたようだ。元々、美社長は健一さんの父親に起業時の資金を貸してもらったらしく、頭が上がらないのだとか。だから、健一さんが入社しても仕事をせずに遊んでいても注意できなかったと教えてくれた。
「社長として申し訳ないことをした。」
何度も謝られた。俺は健一さんに腹が立っているだけで、美社長には何も思っていない。もちろん、注意して欲しかったという気持ちはあるが、美社長にも苦労があったと分かり、文句も言えなくなった。
美社長は「健一さんに後悔させるために行動してくれてもいい」と言っていた。だから、俺は特許を海外の企業に売り、復讐することにした。
もちろん、そんなことをしたら社員全員が路頭に迷うかもしれない。それを危惧して、美社長は秘書に頼んで社員の転職先を探したり紹介したりすることにした。今も秘書は社員のために動いているようで、すでに数人は転職先を決めているらしい。
秘書は同時進行であることを調べていた。それは、健一さんがどうして社長に選ばれたのかということだ。親戚だからという理由だけで選ばれるなんておかしい。不審に感じた秘書が株主や上層部から情報を集めたらしい。
すると、健一さんはただ扱いやすいからという理由で社長に任命されたらしい。頭が良くて敏腕な社長にふさわしい人がいなかったし、彼は株主や上層部がおだてたら簡単に動いてくれるんじゃないかと考えたらしい。つまり、お飾り社長というわけだ。
それを全く知らなかった健一さんは震える声で「嘘だろ」と言うだけだった。
「あなたは何も期待されていないんです。今まで仕事をしてこなかったから、こうなるんですよ。」
すると、彼は「これからどうしたらいいんだ」と嘆き出した。会社を失い、社員も離れていくだけでなく、周りから期待されていない現状を理解した健一さんは焦っているようで、「なんとかしてくれよ」と叫び出す。
しかし、俺は何も返答せず、こう伝えた。
「あなたが一週間前に俺にした行為に対して、被害届を出しました。」
彼は驚き、また喚き出すが、俺は被害届を取り下げるつもりはない。酒の入ったグラスを投げられ、顔を殴られた。怪我もしたし、スーツも汚れた。許すわけにはいかない。今は治療費と慰謝料を請求するために弁護士に相談している。
きっと高額な請求になるだろうし、今後の将来は大変になることが予想される。健一さんも分かっているようで、「悪かった。謝るから被害届だけは取り下げてくれ」と謝罪し続ける。
しかし、俺はもう遠動食品の社員でもないし、健一さんに恨みしかない。何を言われても許すつもりはない。
「もう話すことはない。」
そう言って電話を切った。それでも納得がいかないのか、何度も電話がかかってきたが、通話ボタンを押すことはなかった。
数時間後、警察に連れて行かれたと聞かされた。障害罪で罰金になったそうだ。俺が請求した慰謝料と治療費も合わせて、多額の金が消えることになる。しかし、健一さんは社長になったことで貯金をほとんど使ったらしく、すぐには払えなかった。そのため、毎月少しずつ払ってもらうことになった。
また、美社長の秘書から、健一さんが社長を解任されることが決まったと報告を受けた。さすがに警察に捕まった人間を社長にさせておくことはできなかったらしい。
職を失った健一さんはすぐに仕事を探し始めたが、どこにも雇ってもらえないらしい。年齢のせいかもしれないが、仕事が全くできないことを見抜かれたのではと思っている。
そして、やっと採用された道路工事のアルバイトで一応は生活していると風の噂で聞いた。きっと今まで真面目に生きてこなかったことを後悔していることだろう。
会社は一応倒産してはいないが、それも時間の問題だと噂されている。社員の三分の一は転職したとも聞いている。
美社長の症状はあまり良くなく、そのまま息を引き取ると言われているらしい。最後に会った時、彼は「会社のことはとても残念だが、自分は最後まで頑張ったから後悔はない」と言っていた。本当かどうかわからないが、安らかに眠りについて欲しいと思っている。
一方、俺は海外の企業に特許を売った金で、穏やかに家族と暮らしている。少し早いけれど、ゆっくりと余生を楽しむつもりだ。



