退職決定書が書かれた薄い紙が、私の手の上で先金の重さのように感じられた。27年間、工場の機械音が私の人生のBGMだった。今日でそれが終わる。若い同僚たちが私の周りに集まり、旅行や老後の楽しみを語り合っていた。私は微笑みで応えたが、心の隅では正体不明の不安が芽生えていた。
家に帰ると、夫の鈴木年がリビングで黒い家計簿と電卓に向かっていた。彼は私を見るなり言った。「お帰り。今日はいつもより15分遅いな。電気代が先月より12%も上がってる。節約しろ。」
私はため息をつきながら、退職決定書を彼の前に差し出した。「正式に退職しました。来月からは年金だけです。」
夫は書類を一瞥し、何事もなかったかのように言った。「年金は月6万円か。生活費は十分払えるだろう。退職したら時間が増えるから、家事はもっとやらないといけない。」
彼の言葉に、私は胸が締め付けられた。長年働いてきた私の気持ちを尋ねる言葉は一つもなかった。
その夜、私は夫に背を向けて横になった。目を閉じると、田舎で一人暮らす母の顔が浮かんだ。今年78歳。体が弱り、一人で寂しく暮らしている。私はずっと母の面倒を見たいと思っていた。退職金と貯金を合わせれば、田舎で母と暮らすことはできる。しかし、夫に話す勇気が出なかった。
私はこの結婚生活の始まりを思い出していた。28歳の時、近所のおばさんに紹介されたのが鈴木年だった。彼は真面目で、酒もタバコもやらない。しかし、結婚式の準備を始めてから、彼の本性が見え始めた。彼は招待客リストを見ながら、誰がいくら包んでくれるかを計算していた。「あの佐藤のおばさんはケチだから、招待したら損だ。名前を消せ。」
結婚式の夜、彼は家計簿と祝儀袋の箱を持ってきた。「誰がいくら包んだか記録しておかないと。後で同じだけ返さないといけないからな。」私は呆然とした。新婚の夜が、財産決算の夜に変わってしまった。
翌朝、彼は生活ルールを宣言した。「食費は折半だ。電気代も水道代も同じ。それぞれが稼いだ金はそれぞれが管理する。それが一番公平だ。」
私はそのルールに従って生きてきた。しかし、彼の「公平」は常に自分に有利だった。彼は高価なオーディオを買い漁るのに、私には古着を着せ、息子にはおもちゃを買ってやらなかった。息子が5歳の時、3000円のおもちゃの車を欲しがった。夫は「牛乳パックで作ってやる」と言い放った。私は自分の金で買ってやったが、彼は家計簿に「不必要な支出」と記録した。
息子が大学に進学した時、学費を折半しろと言われた。私の給料では生活費を払うのがやっとだった。夫は「足りなければアルバイトさせろ」と冷たく言った。私は必死で働き、息子もアルバイトをした。息子は痩せていった。
義母もまた、私を嫁として見下していた。「うちは代々東京で商売をしてきた家柄だ。田舎の女を連れてきてしまったがね。」彼女はいつも私をこき下ろした。
そして、義妹が夫の事業の倒産で200万円の借金を抱えて泣きついてきた。義母は私に「へそくりを崩して貸してやりなさい」と言った。私は断った。その200万円は、私が何年もかけて貯めた老後の資金だった。義母は激怒し、夫も「妹を助けてやろう」と言った。私は「それぞれが稼いだ金はそれぞれが管理する。それがあなたの教えでしょう」と反論した。
その日から、家の中は殺伐とした。義母は私を無視し、夫は生活費を渡さなくなった。ある日、夫に「お前は妻として犠牲になるべきだ」と言われ、平手打ちされた。27年間で初めてのことだった。
2年前、義母が脳卒中で倒れた。半身不随と言語障害が残り、介護が必要になった。夫は「介護士を雇うと月20万円かかる。君が面倒を見ろ」と言った。私は工場で働きながら、義母の介護を一人で背負うことになった。朝4時に起き、体を拭き、食事をさせ、出勤する。昼休みには家に戻り、夜も介護に追われた。夫は自分の趣味に没頭し、何も手伝わなかった。
私は限界だった。退職を機に、故郷に帰って母の面倒を見る決心をした。
夕食の時、私は夫に告げた。「実家に帰って母の面倒を見ながら暮らそうと思います。」
夫は激怒した。「俺の母さんは誰が面倒を見るんだ!お前は俺の妻だろう!」
私は冷静に言い返した。「お母さんはあなたと義妹さんのお母さんでしょう。2人が責任を持って面倒を見るべきです。私はもう嫁としての役割は果たしました。」
夫は「出ていけ」と叫び、私は「出て行くと決めた以上、帰ってくるつもりはありません」と答えた。
私は荷物をまとめ、黒い家計簿を指さして言った。「その家計簿でも抱きしめて生きてください。それがあなたの本当の妻です。」
夫は引き留めようとしたが、私は振り返らずに家を出た。雨が降っていたが、心は自由と希望に満ちていた。
故郷に着くと、母が杖をついて出てきた。「お母さん、ただいま。」私は母を抱きしめた。
それから1ヶ月後、夫から電話があった。家がめちゃくちゃになり、義母の容態が悪化し、介護士も逃げたと言う。彼は「全財産を任せるから帰ってきてほしい」と懇願した。私は「あなたは自分が巻いた種を刈り取っているだけです。離婚届けを送りましたから、判を押してください」と言って電話を切り、着信拒否にした。
今、私は母と一緒に田舎で暮らしている。幸せはお金の中にはない。心の平穏と、愛する人のそばで尊重されて生きることだと気づいた。27年間の計算高い結婚生活は、私に自由と自尊心の価値を教えてくれた。



