「他人は逆らうなよ」――7年間、会社を救うためにシステムを開発し、功績を奪われても、給与を抑えられても、部下の前で馬鹿にされても耐えてきた。なのに、社長は私を降格させると脅し、予算を半分にすると言い放った。私は静かに会社を去る決意をした。ところが、有給消化中の朝、社長から電話がかかってきた。「今すぐ会社に来い」。仕方なく向かった先で、私はある書類を鞄から取り出した。社長の顔色が一瞬で青ざめる…

「他人は逆らうなよ」――7年間、会社を救うためにシステムを開発し、功績を奪われても、給与を抑えられても、部下の前で馬鹿にされても耐えてきた。なのに、社長は私を降格させると脅し、予算を半分にすると言い放った。私は静かに会社を去る決意をした。ところが、有給消化中の朝、社長から電話がかかってきた。「今すぐ会社に来い」。仕方なく向かった先で、私はある書類を鞄から取り出した。社長の顔色が一瞬で青ざめる...

「川野先輩、助けてください」

電話の向こうの声は、明らかに追い詰められていた。大学の後輩・北口からだ。

「どうしたんだ?」

「実はうちの会社、廃業寸前なんです」

北口の会社は、新しいけど勢いのあるベンチャーだったはずだ。だが、社長が代わってからはガタガタらしい。銀行からの融資も打ち切られ、社員が次々と辞めているという。

「先輩なら、大手でシステム開発をされてましたよね。うちの業務を立て直せるかもしれないと思って」

「俺に動ける権限はあるのか?」

「実は俺、経営企画を担当していまして。今の社長は現場にほぼ関与しないので、採用や業務改革はほぼ俺の一存で動かせます。情報システム部門のトップとして入ってもらえれば、現場レベルの改革は自由にやれるはずです」

それを聞いて、俺は少し安心した。権限のないところに、いくら優秀な人間を入れても何も変わらない。それは長年の会社員生活で身に染みていた。

「俺、仕事を失うわけにはいかないんです。娘の入院費用を稼がなきゃいけないし」

北口の娘は生まれつき重い病気で、多額の治療費が必要だった。

「分かった。俺がお前の会社に転職して、なんとかする」

「え、いいんですか? こんな大変な事態に巻き込むわけには」

「俺はお前と違って独身で気軽に動ける。お前の娘には何度も会ってて、他人事には思えないんだよ。それに、俺も会社をやめようかと思ってたところだ」

実はこの時、俺は出世争いに負けて打ちのめされていた。ライバルの同僚に根も葉もない噂を流され、職場での居場所を失っていたのだ。

「大丈夫、俺に任せておけ」

そして俺は北口の会社に転職し、大手企業で培った経験と知識を総動員した。私費と休日を使い、業務効率化システムを独力で開発・実装したのだ。

その結果、会社の業績は見る見るうちに回復。北口は大喜びで、俺も会社のピンチを救った充実感で満たされていた。

ところが、思わぬ人物がケチをつける。

「あのシステムは俺が指示して作らせたんだよ。細かい部分は俺が考えたんだ」

社員に自慢げに話しているのは、会社のトップである池田社長。この人は最初から俺にいい顔をしていなかった。

転職は社員である北口の紹介だった上、俺が大手企業でそこそこの役職だったこともあり、簡単な面接だけという形になった。担当者は俺の雇用に前向きだったが、同席した池田社長はいい顔をしなかった。

「もっと若い人材が欲しいんだけどな」

ブツブツ文句を言っていたが、社長以外は全員納得していて、そのまま採用となった。

北口に採用試験の様子をそれとなく話すと、こんな答えが返ってきた。

「社長は若い頃、先輩がいた会社の採用試験を受けたんです。でも不採用だったんですって。それが悔しくて必死になって働いて起業したんですよ。多分、劣等感があるんじゃないですか」

そういう事情があったのかと納得するが、俺もあの会社を追われた立場だ。社長は俺が入社してから業績が回復した事実を頭では理解していたはずだ。だからこそ、余計に認めたくなかったのだろう。自分の会社を中途採用の部下に救われたという事実を。

それでも、いずれ社長とは分かり合えるはずだと俺は思っていた。

しかし、社長は一向に俺を認めようとせず、結局システムは社長の功績という認識となり、俺の名前は一切表に出なかった。

「黙ってていいんですか?」

不満そうな北口に、俺は苦笑いで答えた。

「お前のピンチを救えたんだ。それで十分だよ」

「先輩、お人よしすぎますって」

呆れたように言う北口。そうかもしれないなと思いつつ、俺は何も答えなかった。

会社が立ち直った後も、池田社長は俺に一切感謝しない。むしろ、俺に対する悪い感情を徐々に募らせていく。決定的だったのが、ある取引先との会議だ。

4年前、俺と社長は大手取引先と重要な相談を進めていた。我が社も使っている業務効率化システムを使いたいと話を持ちかけられたのだ。嘘がバレないように、社長は俺を無理やり同席させた。

「APIの使用書をいただけますか?」

APIとは、あるソフトの機能を別のソフトと連携させる仕組みだ。取引先の問いかけに、社長はポカンとしているだけ。

「おい、APIって何だ?」

はっと我に返ると、慌てて俺に耳打ちする。

「どうされました?」

「いえ、何でもありません。えっと、APIの使用書ですね」

「おい、早く使用書を出せ」

その後も社長は取引先の質問にしどろもどろで対応。相手も社長では話にならないと気づいたらしく、最終的に社長ではなく俺に質問してきた。

そして会議が終わる直前。

「このシステムは社長のご指示で開発したと認識していましたが、我々の勘違いでしたね。大変失礼いたしました」

池田社長は自分の嘘がバレたことに気づき、顔を赤くさせる。会議の後、俺に対して罵声を浴びせてきた。

「お前がうまくサポートしないから恥をかいたじゃないか」

後日、その取引先の担当者から個別に名刺を渡された。

「川野さん、もしよければ一度うちへ話を聞きに来ませんか?」

その言葉を、俺はずっと頭の片隅に置いていた。

これ以降、池田社長は俺に対する態度を悪化させていった。他の社員の前でも平然と俺を馬鹿にしてくる。社長なので誰も俺を庇えないが、北口は俺の味方でいてくれた。

「俺だけじゃありませんよ。システム開発部の社員は全員、先輩の味方です」

開発部の社員は俺を入れてわずか5名。苦楽を共に乗り越えてきた頼もしい味方だ。

「俺、池田社長に直談判します。先輩を正当に評価してくださいって」

北口の申し出に、俺は慌てて首を横に振った。

「いやいや、もう十分だよ。部長に昇進できたし」

「でも、先輩ボーナスをちゃんともらってないですよね」

北口の問いかけに、一瞬返事に詰まる。俺のボーナスはかなり少ない。疑問に思って直接聞いたこともあるが、「転職してまだ日が浅いから」と言われるだけで、7年経っても一向に増えなかった。

「俺のために何かしなくていいから」

必死になって北口を止めたが、本人は納得しなかったらしい。

ある日、社内通達で驚きの内容が舞い込んできた。

北口が総務に移動。

飛び上がりそうなほど驚いた俺は、出勤してきた北口に事情を尋ねる。すると、少し言いづらそうに口を開いた。

「社長に直談判したせいです。先輩の処遇をよくしてくださいって」

「そんなことをしてたのか」

「どうしても納得できなくて。俺を助けるために転職してくれた先輩が、こんなひどい目に遭い続けて、責任を感じてたんです」

北口の目には涙が浮かんでいる。釣られて俺も泣きそうになってしまった。

北口の移動は社の決定事項で、俺がどうにかできることではなかった。味方を失い、俺は意気消沈する。同時にこう悟った。相手は社長で、下手に動いても悪化するだけだ。

俺は落ち込んだまま日々を送る。すると、さらに俺を追い詰める出来事が起こった。

ある日突然、池田社長が全社員を集め集会を開催。そして衝撃の発表を行った。

「大手銀行を退職した息子が次期社長だ」

社員からどよめきが起こる。役員たちの方を見ると、驚いた表情をしていた。どうやら社長の独断の発表らしい。

「年齢的に俺もそろそろ引退だ。会社を任せるなら信頼できる身内がいい。俺の息子は大手銀行で働いた経験がある優秀な人材だ。タイミングよく最近退職したから、2代目社長として育てることにした」

大手銀行を退職した理由について、社長は詳しく語らなかった。あまりにも突然すぎる決定に、俺は呆然と社長を見つめていた。すると、社長がこちらへ視線を向ける。

「他人は逆らうなよ」

明らかに俺に対する発言だ。7年間貢献してきた俺を、出身企業への劣等感だけでないがしろにする。もう少し処遇を考えてもらえないか。そんな不満を抱きつつ、集会は終了。

部署へ戻ろうとした俺の肩を、いきなり誰かが乱暴に掴んだ。

「社長、何でしょう?」

俺を呼び止めたのは池田社長だ。にやにやした笑みを浮かべながら、とんでもないことを口にした。

「次期社長の決定に伴い、社内の人事も大幅に変更予定だ。いつまでも部長の椅子に座っていられると思うなよ」

社長は俺を降格させるつもりなのか? 私情で他人を振り回すなんて、社長失格だ。怒りのあまり、俺は思わず言い返してしまう。

「社長ともあろうお方が、自分の権力を振りかざすのですか?」

すると社長は怒りで顔を真っ赤にしながら、さらに信じられないことを言い放った。

「誰に向かって生意気な口を聞いている? 情報システム部の予算を半分にカットするぞ」

この人には何を言っても無駄だ。7年間歯を食いしばって耐えた日々が、音を立てて崩れていった。同時に俺は自覚する。俺が消えれば、これ以上の問題は起こらないだろう。

「失礼しました」

深々と頭を下げ、踵を返す。

「おい」

池田社長が何か叫んでいたが、聞こえないふりをして部署へ戻った。

情報システム部に戻った後、俺は総務に移動になった北口を呼び出し、部署の社員も集め、社長との間に何があったか詳しい事情を話した。

「これ以上俺がここにいたら、みんなに迷惑がかかる。だから俺は会社を去ろうと思う。今まで色々迷惑をかけてしまったな。あとは頼みます」

頭を下げながら、悲しい気持ちで決意を口にする。北口と社員たちも俯き、辛そうな顔をしていた。

ゆっくり頭を上げると、北口が俺の肩をポンと叩く。

「北口」

北口の顔に、先ほどまで浮かんでいた悲壮感はない。代わりに強い決意がみなぎった目を俺に向けていた。

それから1ヶ月後、俺が会社を去る日が訪れた。正確には、あと1週間会社に席を置くことになっている。この1週間は残った有給の消化期間で、会社に出勤する必要はない。

荷物をまとめ、会社を後にする。

「明日は久々にのんびりしよう」

いい終わり方とは言えなかったが、俺の顔には笑顔が浮かんでいた。

翌日、ゆっくり起きて朝食を済ませ、散歩にでも出ようかと考えていると、スマホの着信音が鳴り響いた。表示されているのは会社の名前だ。

「もしもし」

「今すぐ会社に来い」

聞こえてきたのは池田社長の怒声だ。

「有給消化中ですが」

「来ないなら、お前の家に行くからな」

返事をする暇もなく、電話が切れてしまう。家に押しかけられるのは嫌だったので、仕方なく会社へ向かった。

エントランスに入ると、待機していた池田社長がすっ飛んでくる。社長の顔には怒りが滲んでいたが、顔色は青く、冷や汗も滲んでいた。

「こっちに来い」

説明もなく連れてこられたのは、会社で一番大きな会議室。入ると役員たちが全員揃っていた。

「川野君、有給中に申し訳ない。実は君が開発した業務効率化システムが突然停止したんだ。君にはその対応に当たってもらいたい」

「ああ、そのことですか」

このシステムは請求書の発行や管理、顧客情報、在庫管理など、会社の様々な業務を担っている。重大な問題発生に対してあっけらかんと返した俺に、役員たちと池田社長は目を丸くしていた。

「お前、どういう事態か理解してないのか? 会社の業務がほぼ全停止してるんだぞ」

「そのシステム利用権の即時消滅に伴い、停止させたのは俺です」

7年間ずっと黙ってきた。功績を奪われても、給与を抑えられても、部下の前で馬鹿にされても。だが、今日は違う。

「ど、どういうことだ?」

静寂を破ったのは、池田社長の叫び声だった。

俺は鞄の中からある書類を取り出す。会社に呼び出された理由は、電話に出た時から分かっていた。なので、必要なものを事前に準備できたのだ。

「なんだこれは?」

「業務効率化システムの利用契約書です。あのシステムが特許を取得しているのはご存知ですね」

問いかけると、池田社長が頷いて答える。

「もちろん。あれは会社の特許だからな」

「いや、分かってないじゃないですか。あれ、俺個人の特許システムですよ。名義は会社ではなく、俺のものです」

今度は役員たちが騒ぎ始めた。

「川野君、何を言ってるんだ?」

「あのシステムは俺が独力で開発し、実装したものです。開発の際、休日と私費を使いました。会社からの支援は望めなかったので」

業務改善システムの作成を申し出た時から、池田社長の俺に対する一方的な敵視が始まっていた。

「勝手にしろ。会社は関与しない」

そう言い捨てられ、何も支援をもらえなかったのだ。それならばと、俺は当時の担当役員に「会社は本件の開発に一切関与しない」という一文を含む覚え書きにサインしてもらった。そして、仕方なく自分の時間とお金を使い、開発したのだ。

このシステムが特許を取得できると気づいたので、権利保護のために情報漏洩の防止と社内利用に限るという契約書を作成していた。特許申請前に一般公開すると、特許取得に必要な新規性が失われてしまう。それを防止するために、俺は契約書を作成していたのだ。

契約書の条項には、こんなものがある。

「甲乙の信頼関係が損なわれた場合、システム及び特許の利用権は即時消滅する」

意味を理解した池田社長の目が、大きく見開かれた。

「信頼関係の喪失」

役員の一人が「どういうことだ」と声をあげる。

「ご存知の方もいるでしょうが、俺は社長からあまりいい扱いを受けていませんでした。1ヶ月前の集会後に社長から将来的な降格を宣言され、さらに部署の予算を半分カットすると脅されたのです」

役員たちからざわめきが起こる。

「俺がその気になれば訴えることもできますが、時間と労力がもったいない。黙って会社を去る方を選んだのですよ。ただし、契約書の内容に従った上でですが」

いずれ信頼関係は崩れる。そう考えて、俺はあの条項を契約書に記載したのだ。契約書は社長にも提出してサインをもらっている。知らなかったとは言わせませんよ。

社長は滝のような冷や汗を流している。最初に契約書を提出した際も、1年更新で再提出した際も、社長はパラパラとページをめくるだけで中身を確認していなかった。

全ての事実が明らかとなり、会議室は再び静まり返る。

「我が社には情報システム部の社員がいます。全員優秀な社員です。新しいシステムの開発を依頼してみては」

すると、役員の一人が首を横に振って答える。人事部の部長だ。

「今朝、情報システム部の社員が一斉に退職願を提出してきたんだ。システム開発は無理だよ」

会議室で役員の言葉を聞きながら、俺は1ヶ月前のことを思い出していた。

「先輩、俺も会社をやめます」

俺の肩をポンと叩いた北口が、衝撃的な言葉を言い放った。

「じゃあ俺もやめます」「私も」

続けて、情報システム部の社員が全員退職を決意する。

「みんな、どうして」

「先輩をないがしろにした会社に、これ以上いたくありません」

北口の言葉に、全員頷いて同意した。そこで俺はある人に相談する。実は以前から、取引先の大手企業に転職しないかと誘われていたのだ。担当者に連絡した際、北口と情報システム部の社員の転職先も紹介してくれないかと頼んだ。かなり無理なお願いだったが、転職先の人は「俺の頼みなら」と答えてくれたのだ。

「実はうちの会社、情報システム部の人手が足りなかったんですよ。大人数を採用しようとしていたところだったので、むしろ助かりました」

俺はとことん運が良かったようだ。北口と情報システム部の社員にこのことを伝えると、みんな大喜びで転職すると決めた。そして、今に至るというわけだ。

「契約書の内容に問題はありません。今回の問題は社長が原因と言って間違いないでしょう」

役員の一人が契約書を確認した後、ため息混じりに言い放つ。池田社長に向けられた、たくさんの冷たい視線。ここに来てようやく社長は、自分が何をしたのか理解したようだ。

「し、システムを消すなんて、そこまでするやつがいるか」

絞り出すような声を俺に向ける。

「そこまでさせたのが、あなたです。自分勝手なくだらない理由で俺を敵視して。社長としてあるまじき行為です。あなたは社長の器ではない」

役員たちは俺の言葉に同意する。

「川野君の言う通りだ。社長、責任を取ってもらえますよ」

池田社長の足がブルブルと激しく震える。耐えられなくなったのか、その場にがくりと膝をついた。

「これ以上申し上げることはありません」

そう言い残し、俺は静かに会議室を後にした。

その後、株主総会が開かれ、池田社長の解任が決定。表向きは自主退職という形で会社から去ることになった。業務改善システムは俺個人と会社が改めて契約し、継続利用が決まった。

池田社長は現在、貧乏暮らしをしているらしい。大手銀行に務めていた息子の退職理由が、実は銀行の金を横領したことを隠蔽するためだったのだ。銀行に悪事がバレてしまい、横領分を返済することで起訴は免がれたが、池田社長は資産を売却して返済に当てた。それでも足りず、ろくな仕事にもつけない暮らしとのことだ。

会社に残っている別部署の同僚から聞いた話を北口に伝えると、「自業自得ですね」と醒めた顔でそう答えた。

北口から聞いた話では、娘さんの治療も順調に進んでいるらしい。給与が上がったことも大きかったようだと。

俺たちは現在、転職先で充実した毎日を送っている。池田社長のように私情で振り回す人もいない。この先ずっとこの会社で働きたいなと思っている。

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