夫の彦太郎が、出張から帰ってくるなり騒ぎ始めた。
「お前がロレックスを盗んだんだろ、この泥棒女!」
近距離で投げつけられたリモコンが、思いっきり私の顔に当たった。痛い。
「何するのよ!」
彦太郎は今にも私に飛びかかりそうな勢いだ。
「私は知らないわ。あなたの部屋の掃除は使用人に任せているし、あなたの持ち物なんて触りたくもない」
「いいや、お前に決まってる。お前以外に犯人がいるわけないんだ」
彦太郎はわざとらしく騒ぎ立て、私に濡れ衣を着せようとしている。
「だったら警察を呼ぶべきね。盗まれたのなら当然でしょ」
私が冷静に言い返すと、彦太郎は動揺した様子を見せた。
「警察なんて必要ない」
警察を呼ばれたくない理由があるのだろうか。
「盗んだことを認めれば、涼介の将来を安泰にしてやる」
彦太郎は、同じ会社で働く私の兄・涼介を盾に、私に罪を認めさせようとした。しかし、盗んでいないものを認めるわけにはいかない。
「この際だから、警察に徹底的に捜査してもらいましょう」
「ちょっと待て!」
彦太郎は激しく焦り始めた。止めても無駄だ。私は彦太郎の嘘を知っているのだから。
私は沼田清香、32歳。専業主婦をしながら夫の彦太郎と暮らしている。
彦太郎と出会ったのは10年前。当時、大学を卒業してメーカーに就職した私は、初めて担当することになった取引先が、義父が経営する会社だった。新製品のプレゼンのため何度か足を運ぶうちに、担当者として現れたのが彦太郎だった。
その時は交際している彼氏がいて、彦太郎とは単なる仕事上の付き合いだった。
私たちの関係が大きく動いたのは6年前。当時、私は彼に振られ、同じ町で暮らすのが辛くなり、田舎に引っ越そうと会社に辞表を提出していた。担当者が変わることを知らせに岐阜の会社を訪れ、彦太郎に挨拶をすると、彼はとても残念そうな顔をした。
「清香さんに会えなくなるのは寂しいです。もしよかったら、これまでのお礼も兼ねてお食事に行きませんか?」
正直なところ乗り気ではなかったが、義父の会社は重要な取引先の一つで、その担当者である彦太郎の機嫌を損ねたくはない。
「ありがとうございます。是非行かせていただきます」
私は最後の仕事のつもりで、彦太郎と食事に行くことにした。
当日、待ち合わせ場所に行くと、いつもと雰囲気の違う彦太郎がいた。仕事では高級スーツを身にまとい、髪もしっかりセットされた姿しか見たことがなかったが、その日はラフな服装に自然な髪型で、私は新鮮な感覚を覚えた。
食事中も彦太郎は屈託のない笑顔を見せ、楽しそうに話してくれた。私はこれまで持っていたマイナスのイメージを改めた。
それをきっかけに、私たちは度々二人で会うようになった。数ヶ月後、私が田舎へ引っ越すと伝えると、彦太郎は真面目な顔をして言った。
「引っ越すなら、俺のところに来ないか」
驚く私に、彦太郎は結婚しようとプロポーズしてくれた。とはいえ、彦太郎は将来岐阜の会社を継ぐことが決まっており、私では釣り合わないのではないかと不安があった。岐阜の会社は国内有数の大企業で、業界でも一目置かれた存在だ。
それでも彦太郎は「気にしなくていい」と言ってくれた。
「俺は清香とずっと一緒にいたいんだ」
彦太郎の真っすぐな気持ちが嬉しかった。半年後、私たちは結婚した。
しかし、私はすぐにこの結婚を後悔した。
一緒に暮らし始めた彦太郎は、高圧的な亭主関白だった。朝は必ず彦太郎より先に起き、朝食から着替えの用意まで全て揃えなければならない。彦太郎からの電話には3コール以内に応答しなければならず、常にスマホを持ち歩いた。
「時期社長夫人として恥ずかしくない行動をしろ」
彦太郎は私の振る舞いにもうるさく、家の中であっても気を抜くことが許されない。彦太郎が帰ってくる時間には使用人たちと共に玄関で出迎え、一日中気が抜けなかった。
ようやく私が羽を伸ばせるのは、彦太郎が寝た後だった。それでも十分な生活費を入れてもらい、贅沢な暮らしをさせてもらっていると自分に言い聞かせていた。
結婚して半年ほど経った頃、私の兄・涼介が家を尋ねてきた。兄とは昔から仲が良く、私が結婚してからも時々連絡を取り合っていたが、彦太郎に遠慮していたのか、家に来たのは初めてだった。
「急にどうしたの?」
「ちょっと報告があって。実は会社を首になったんだ」
涼介は、それまで勤めていた会社の上司が不正を働いていることを知り、内部告発をしたらしい。それが原因で会社から自主退職を迫られたのだという。
「内部告発者を解雇することは法律で禁じられてるはずよ」
「だから自主退職を迫られたんだ。表向きは若い子に思われないようにね」
涼介は昔から真面目な性格で、間違ったことを見逃せないタイプだ。兄らしい正義感のある行動ではあるが、会社を首になってしまっては今後の生活が心配される。
「それなら、うちの会社で働きませんか? 親父には俺から話を通しておくので」
岐阜の会社で雇ってもらえるなら、それほどありがたいことはない。涼介は彦太郎の提案を受け入れた。
翌日、彦太郎は早々に岐阜に報告し、涼介は岐阜の会社に中途採用されることになった。
「ありがとう。だけど、どうして兄を雇ってくれたの?」
「今のうちに恩を売っておけば、この先俺に従う部下となるだろう」
彦太郎の言葉に、私は呆れてしまった。彦太郎は涼介を自分の支配下に置き、思い通りに動かせる手駒と考えていたのだ。もしかしたら、彦太郎は私のことも都合よく扱える駒だと思っているのかもしれない。漠然とした不安が頭をよぎった。
翌年のお正月、新年の挨拶をしに彦太郎と共に義実家を訪れた。彦太郎と結婚して初めて迎える正月で、私は少し緊張していた。
義実家に到着すると、義母は彦太郎には笑顔を見せるものの、私には一瞬目を向けただけで、その後は目を合わせることもなかった。義両親と彦太郎の三人で会話している間、私は彦太郎の横で黙って座っているだけだった。
「お腹が空いたな。母さん、今日の昼はどうするんだ?」
「中井さんのご主人がお昼だけお店を開けてくれるって言うから、そこで食事するつもりよ」
「それはいい。じゃあ早速出かけよう」
彦太郎が動き出し、私も後ろをついていく。
「あら、まさかあなたも一緒に来る気じゃないでしょうね」
義母の言葉の意味が分からなかった。
「家族でもないのについてくるとは厚かましい」
義両親は私のことを家族として受け入れてくれていなかった。結局その日は私だけ先に家に帰ることになったが、彦太郎と結婚したというのに他人のように振る舞う義両親に、私は不審感を抱いた。その上、一緒にいた彦太郎でさえ、私をかばうことなく「先に帰っておけ」と命令した。
私は彦太郎の妻として認められていないのだと思うと、無性に悲しくなり涙が溢れてきた。しかし、時が立てば義両親も私のことを受け入れてくれるだろうと、この時はまだ淡い期待をしていた。
月日は過ぎ、結婚から5年が経った。義両親は相変わらず私のことを受け入れてくれない。家族の食事会も私だけ呼ばれず、他人扱いされるのは相変わらずだった。そればかりか、顔を合わせると「子供も産めない役立たず」と嫌みを言われるようになった。
私と彦太郎に子供ができないのは当然だった。結婚当初から彦太郎は寝室を共にするのを嫌がり、「子供は作らない」と断言していたのだ。しかし、義両親が私に嫌みを言っていても、彦太郎がかばってくれることはない。私が義両親にちゃんと説明してほしいと頼んでも、「そのうち諦めるさ」と、まるで他人事のように聞き流していた。
ある日、夕飯の買い物に行った時のこと。いつものようにクレジットカードで支払いをしようとカードを出したが、使用できないと言われた。何かの間違いかと何度か試してもらったが結果は同じで、仕方なくその日は現金で支払いを済ませた。
家に帰りカード会社に確認してみると、口座引き落としにしているはずの支払いができていないという。不思議に思いながら、毎月彦太郎が入金してくれている口座を確認してみると、その月の分の入金がされていない。彦太郎が忘れているのかと、仕事から帰った彼に確認すると、
「今後生活費は入れない」
と断言された。
「そんな生活費がなかったら、どうやって暮らしていくのよ」
「そんなこと自分で考えろ」
彦太郎は何を思ったのか、専業主婦の私に自分で生活費を何とかしろという。仕方なく私はパートに出ることにしたが、こだわりの強い彦太郎の食事を作るだけでも相当な金額がかかる。とてもパートだけではやっていけなかった。そこで私は会社員時代に身につけたスキルを生かして、在宅ワークも始めることにした。
これでなんとか生活はやっていける。とはいえ、彦太郎が突然家にお金を入れなくなった理由は分からないままだった。
そればかりか、彦太郎は些細な家事の不備を見つけては私のことを「役立たず」と罵倒し、家事のやり直しを命じるようになっていた。生活費を稼ぐのに時間を取られ、家事がおろそかになっているのは認めるが、それであれば家計費を入れてくれれば済む話だ。
「また元のように生活費を入れてくれないかしら」
「嫌だ」
彦太郎は理由も告げず、頑なに拒否した。
「仕事をしながら家事を完璧にこなすのは難しいのよ。時間だって足りないわ」
「そんなもの、お前の努力が足りないだけだろ。俺に甘えるんじゃない」
彦太郎は何を言っても私を非難するばかりで、まともに話を聞こうともしてくれない。仕方なく私は使用人たちの手を借りながら、仕事と家事を続けた。
1ヶ月後、彦太郎が出張で家を開けることになり、私は久しぶりに解放された時間を過ごしていた。使用人たちに「たまには息抜きよ」と言われ、私は買い物に出ようと着替えることにした。洋服を選ぼうとクローゼットを開けると、妙な違和感に襲われた。
よく見ると、数年前に購入した高級バッグがない。さらにアクセサリーボックスにしまっておいたはずのプラチナのネックレスもなくなっていた。ネックレスは結婚祝いに祖母が送ってくれたものだったが、結婚式でつけて以来、使用した覚えがない。
まさか使用人の誰かが盗んでいるのではないか。疑いたくはなかったが、この家に家族と使用人以外が入ったことはない。義両親や彦太郎の可能性もあるが、三人がわざわざ私の私物を持ち出すとも思えなかった。しかし直接確認すると角が立ってしまう。これまで彦太郎の無理難題に答えてこれたのは、使用人たちのおかげでもある。
誰が盗んでいるのか明らかにし、当人だけに話をしよう。私は家のリビングと寝室に隠しカメラを設置することにした。
数日後、彦太郎が出張から帰ってきたが、妙に機嫌のいい彼に私は違和感を感じた。仕事帰りはいつも不機嫌さを全面に押し出し、難しい顔をしている彦太郎が、一体どうしたのか。私は注意深く様子を伺った。
「スーツをクリーニングに出しておけ」
彦太郎が脱いだスーツを受け取った瞬間、見慣れない女性物の香水の匂いがした。よく見ると、スーツには茶色の長い髪の毛がついている。彦太郎は浮気しているのではないか。私の中に疑念が湧き起こった。
「女性の方と一緒だったの?」
「え? ああ、先方の社長秘書が一緒だったよ」
この時は彦太郎の言葉を信じた。しかし、スーツケースの中身を片付けている最中、私は決定的な証拠を発見してしまった。彦太郎の着替えの中に、女性の下着が入っていたのだ。ご丁寧に「楽しかった」とメモまでつけてある。
彦太郎は仕事の出張だと嘘を言って、不倫旅行に出かけていたのだ。
怒りが湧き起こった私は、すぐに彦太郎を問い詰めた。
「これは一体どういうこと?」
「な、なんだよ。秘書が間違えただけだろ」
「同じ部屋で寝てたって間違えないわよ」
彦太郎の苦しい言い訳に、私は一層腹が立つ。
「家にお金も入れないで、女に貢いでたのね」
「俺の金を俺がどう使おうが勝手だろう。お前にいちいち口出しされる覚えはない」
彦太郎は開き直ったように逆切れし始めた。
「浮気しておいて開き直るつもり? 分かった。だったら離婚しよう」
「その代わり、お前の兄貴も首にしてやる」
彦太郎は涼介のことを持ち出し、私を脅してきた。
「兄は関係ないでしょ」
「関係あるさ。涼介を首にされたくなかったら、俺に文句言うんじゃない」
彦太郎と離婚することは構わない。しかし、涼介のことを考えると、このまま彦太郎を攻め続けるわけにはいかなかった。不気味な笑みを浮かべる彦太郎を睨みつけながらも、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
それからというもの、彦太郎は堂々と浮気をするようになり、一層傲慢な態度を取るようになった。私が少しでも文句を言おうものなら「涼介を首にする」と脅してくる。そればかりか、私に暴力を振るうようにもなった。
この状況を打破したいと思うものの、誰に相談していいのかも分からない。私の結婚を大喜びしてくれた両親に心配をかけるわけにはいかず、かと言って私が相談したことが彦太郎や義両親に伝われば、涼介を窮地に追い込んでしまう。義父は涼介のことをよく思っていない。涼介が入社してからというもの、「言われたこともできない」と口癖のように批判しているのだ。もし私が彦太郎との関係を第三者に相談していると知れば、間違いなく涼介を首にしてしまうだろう。そう考えると、私は一人で抱え込むしかなかった。
それから3ヶ月ほど経ったある日、涼介が突然自宅を尋ねてきた。この日、彦太郎は出張に出かけていて、使用人たちも休暇を取らせていたため、家には私一人だった。
「急にどうしたの?」
「近くまで来たから、ちょっと顔を見ていこうと思ってね。それより大丈夫か?」
涼介は私の顔を覗き込み、心配そうに見つめた。涼介に本当のことを話してもいいものか、私は悩んだ。しかし、自分のせいで私が悩んでいると思ったら、涼介は責任を感じてしまうかもしれない。
「大丈夫よ」
私は精一杯笑って見せた。
「もう何も心配しなくていいから」
涼介は何かを察知したように、私に微笑んだ。
3日後、出張から帰ってきた彦太郎が、腕時計がないと騒ぎ出した。岐阜から譲り受けたロレックスで、300万するものだそうだ。
「お前が盗んだんだろ、この泥棒女」
彦太郎は私にリモコンを投げつけてきた。近距離で投げつけられたリモコンが、思いっきり私の顔に当たる。
「痛いわね。何するのよ」
彦太郎は今にも私に飛びかかりそうな勢いだ。
「私は知らないわ。あなたの部屋の掃除は使用人に任せているし、あなたの持ち物なんて触りたくもない」
「いいや。お前に決まってる。お前以外に犯人がいるわけないんだ」
彦太郎はわざとらしく騒ぎ立て、私に濡れ衣を着せたいようだ。
「だったら警察を呼ぶべきね」
私は冷静に言い返した。
「警察なんて必要ない」
彦太郎は警察を呼びたくない理由でもあるのだろうか。あからさまに動揺を見せている。
「盗んだことを認めれば、涼介の将来を安泰にしてやる」
そういえば、私が素直に認めるとでも思ってるの? 悪いけど、盗んでもいないものを認めることはできないわ。
私が拒否すると、彦太郎は激高し、「涼介を首にする」と騒ぎ立てた。
「実はね、少し前から私の私物もなくなっているの。おかしいと思って、リビングと寝室に防犯カメラを設置していたのよ」
「んだと」
私がカメラの存在を明かすと、彦太郎は途端に焦った様子を見せる。
「あなた、ロレックスを自分で売却したのよね。金に困った彦太郎は、義父には内緒で腕時計を換金していたのだ。しかし、売却したことが義父にバレたら、彦太郎の悪事が露呈してしまうかもしれない。そう考えた彦太郎は、言い逃れのために私に濡れ衣を着せようとしていたのだ」
部屋に設置した防犯カメラの映像には、彦太郎がロレックスを持ち出す様子がしっかりと映っていた。そればかりか、私の私物を盗んでいたのも彦太郎だということが判明した。彦太郎は私の私物のバッグや貴金属など換金できるものを、複数回に渡り無断で持ち出していた。
「なんで勝手に防犯カメラなんか」
彦太郎は逆上し、ゴルフクラブで防犯カメラを破壊し出した。カメラを壊せば証拠隠滅が図れるとでも思ったのだろう。しかし、カメラの映像はすでにクラウドに保存している。
「防犯カメラを壊しても無駄よ。映像はクラウドに保存されてるから、あなたには消せないわ」
「なんだって」
「この際だから、警察を呼んで徹底的に捜査してもらいましょう」
「ちょっと待ってくれ」
彦太郎にしてみれば、警察を呼ばれることだけは阻止したいだろう。防犯カメラの映像には、彦太郎が盗みを働いている姿だけでなく、私に暴力を振るう姿も映っていたのだ。
「私への暴力についても被害届を出すつもりだから」
私はきっぱりと宣言した。
「ちゃんと時間を取って、落ち着いて話し合おう」
彦太郎は激しく焦り始め、私をなだめようとしている。しかし、私は一切聞き入れず、考えが変わらないことを告げた。
追い詰められた彦太郎は、翌日義両親に助けを求めたようで、二人揃って自宅に押しかけてきた。
「太郎を訴えると聞いたんだが」
義両親は威圧的に私を睨みつけている。私は冷静に防犯カメラの映像を見せた。
「これを信じろっていうのは無理な話ね」
「どうしてですか?」
「彦太郎は社長の息子よ。こんなものを換金しなきゃいけないほどお金に困るわけがないわ」
義母は彦太郎の犯行を目の当たりにしても、一切信じようとしない。
「どうせあなたがAIを使って作った偽物の映像でしょ」
「そうですか。では、これはどうですか?」
私は別日の映像として、彦太郎が私の不在中に自宅に愛人を連れ込み、愛し合う様子を見せた。さらに、彦太郎が抱えている多額の借金の明細をつきつけた。彦太郎は自身の給与と合わせ、私の私物やロレックスを売ったお金を全て愛人に貢いでいた。それでも足らず、多額の借金を作っていたのだ。
「彦太郎が愛人に貢いでいた証拠にはならないわ」
義母は、彦太郎であれば多額の借金であろうとすぐに返せると言い、その明細だけで愛人に貢いでいたことにはならないという。そこで私は数枚の写真を広げて見せた。実は、彦太郎の浮気の証拠を掴もうと、私は何度か彼を尾行したのだ。愛人と合流した彦太郎は、高級レストランで食事をするだけでなく、貴金属や高級品など、愛人に求められるままに買い与えていた。その金額は、彦太郎の給与では到底賄いきれるものではない。
「それが何だって言うんだ? 夫の浮気は100%妻に責任がある」
義父は身勝手な持論を持ち出し、彦太郎を擁護した。
「大体、1度や2度の浮気を許せないとは、自分の器の狭さを反省しろ」
義父は彦太郎ではなく、私を攻め立てた。
「そんな勝手な論理が世間に通用すると思ってるんですか?」
「嫁のくせに、何様のつもり?」
義母は私が反抗的だと罵倒する。
「私は何も間違ったことは言っていません」
「なんだと? いいだろう。お前の兄貴を首にしてやる」
義父がそう言った瞬間、テレビモニターに岐阜の会社の役員が映し出され、義父は大いに焦り始めた。モニターの向こうでは全役員が揃い、臨時の役員会議が開かれているようだ。
「なんだこれは? 俺は何も聞いてないぞ」
義父は動揺を見せながらモニターに張り付いている。
「それでは、沼田社長の解任について協議を始めたいと思います」
役員会議では、義父の長年に渡る背任行為や数多くの不正行為が告発され、義父の社長解任が協議されていた。義父は自身の会社との取引を盾に、取引先に無理難題を押し付けていたそうだ。そればかりか、自身の立場を利用し経費を不正に利用するなど、会社を私物化していたのだとか。他にも、女性社員に体の関係を強要し、訴えられそうになるとその度に金で解決してきたそうだ。
涼介はそれらの証拠を次々に提示していく。
「それでは決議を取ります。社長解任に賛成の方は挙手をお願いします」
涼介の声に、役員全員が手を上げた。
「なんだこれは? なんでこの男が?」
涼介は義父の不正の証拠や被害にあった女性たちの証言を集め、クーデターを起こしたのだ。5年に渡り、義父と彦太郎は涼介を見下してきた。しかし、「仕事ができない」「言われたこともできない」と言っていたのは、涼介が自分たちの言う通りに行動しなかったからだったのだ。実際には、涼介の真面目な仕事ぶりや功績が評価され、人当たりのいい性格も相まって、全社員と全役員の信頼を得ていたのである。
モニターの向こうでは、役員の一人が立ち上がり、「涼介君を次期社長に推薦したいと思います」と声をあげた。他の役員たちも同意し、全員一致で涼介が社長に就任することが決まった。
「こんなこと、あれは俺の会社だ」
義父は怒り狂い、役員たちに電話をかけるが、誰も出ようとしない。
「あんた、兄弟揃って私たちを落とし入れたわね」
義母は怒りの矛先を私に向けてきた。その時、モニターから涼介の声が聞こえてきた。
「僕は会社代表として、沼田社長を刑事告訴します」
涼介の言葉に、役員たちから拍手が湧き起こった。
「私も彦太郎を告訴するわ」
「お前、何様のつもりだ? この俺を。くそ」
彦太郎は私の腕を掴み、殴りかかってきた。
「そこまでだ。これ以上、俺の妹を傷つけることは許さない」
実は数日前、涼介が家に来た時に、私に計画を話してくれていたのだ。涼介は岐阜の会社に入社した時から二人の不正に気づき、密かに証拠を集めていた。義父や彦太郎は会社でも横暴を繰り返し、社員たちからは嫌われていた。そんな二人が私に優しく接しているとも思えず、心配していたらしい。しかし、あの日、二人を告発する準備が整い、計画を実行するべく私に報告に来たのだ。もしも私が彦太郎との結婚生活を継続するのであれば、今後会えなくなる可能性もある。そう思い、顔を見に来たのだと言った。
そこまで聞いた私は、涼介に全てを告白し、彦太郎との離婚を考えていることを明かした。涼介は「それであれば」と、二人同時に行動を起こすことを提案してきた。それがこの日だったのだ。
当然、義父と彦太郎とのやり取りはビデオ通話で全て録画されていた。
「なんてことだ。お前たち、こんなことして許されると思ってるのか?」
「ええ、私たちは正しいと思うことをしたまでよ」
焦る彦太郎と義両親を尻目に、私はまとめていた荷物を持って家を後にした。
その後、私は彦太郎を暴行と窃盗の容疑で告訴した。同時に、涼介は義父を背任と暴行の罪で訴えた。
その後の警察の捜査により、彦太郎が会社のお金を横領していたことも判明した。彦太郎は横領の事実が義父にばれないように、私から盗んだものを現金化したお金で補填していたのだ。この事実を受け、涼介は彦太郎のことも業務上横領で告訴した。
大企業の社長とその息子が逮捕されるというニュースは、連日テレビでも大きく取り上げられた。その中で、義父の被害にあった女性たちが次々に証言をし、義実家には連日マスコミが押しかけたようだ。二人の悪事はSNSでも広く拡散され、激しい批判が殺到した。
これを受け、涼介は役員と共に記者会見を開き、義父の社長解任と彦太郎の懲戒解雇を発表し、これまでのワンマン体制を廃止し、社員と共に開かれた会社組織にしていくことを約束した。この会見が功を奏し、会社は社会の信頼を取り戻し、業績は順調に回復しているそうだ。
その後行われた義父と彦太郎の裁判では、二人は容疑は認めたものの、義父は「社長として当然の権利を行使したまで」と主張し、彦太郎もまた「夫婦喧嘩に過ぎない」と開き直った態度を見せた。この後に及んでも全く反省しない二人に、私は呆れてしまう。
数ヶ月後、義父と彦太郎には実刑判決が下された。その後行われた民事裁判で、義父と彦太郎にはそれぞれの被害者への慰謝料の支払いと共に、会社に対して多額の賠償金の支払いが命じられた。二人の財産は差し押さえられることとなり、預貯金に加え、車や道具の大半が売却されることとなった。
家を失った義母は、わずかに残った資金で高級住宅街から郊外の狭いアパートに引っ越し、パートをしながら惨めな老後を過ごしているそうだ。
私は彦太郎との離婚を成立させ、涼介が手配してくれた新居に引っ越した。パート先で正社員に採用され、今は充実した日々を送っている。
涼介は新社長として次々と革新的な発想を生み出し、会社は急成長を遂げているようだ。
先週、涼介から嬉しい報告が舞い込んできた。涼介が長年交際してきた彼女と結婚することになったのだ。苦労してきた兄がようやく手に入れた幸せが、これから先も続くことを心から願いながら、妹として誇らしい気持ちに包まれている。



