10月17日の朝8時。夜勤明けの私は、回らない鍵を握ったまま門の前に立っていた。差し込んでも回らない。抜いて、もう一度刺した。やはりダメだ。
「どういうことですか?」
インターホンのスピーカーが、義母の声を吐き出した。
「そのままの意味よ。夜勤明けの嫁は外で反省しなさい」
スピーカーの向こうで笑い声がした。後ろで湯のみの触れる音がした。誰かがいる。この時間に。この家に。
私は夫に電話をかけた。3度目で出た。
「拓也さん、開けて」
「まず母さんに謝れば」
声が近い。この人は家の中にいる。
「あなたも知ってたの?」
「俺も賛成したよ。1時間も外にいれば頭も冷えるだろう」
働いた指先が、急に自分のものではなくなったようだった。私は門の柱に背中を預けた。
「そうですか。では、さようなら」
通話を切った。
私は柏木まゆ、35歳。青花台総合病院の外科病棟で働く看護師だ。22歳の春に就職して、今年で13年になる。夜勤は月に4回か5回。夕方5時に病棟へ入り、翌朝7時半に上がる。申し送りを終えて職員通用口を出るのが7時40分頃。自転車で20分の坂を下って、家の門に着くのがちょうど8時だ。
夫の拓也は37歳。事務機のリース会社で法人営業をしている。結婚したのは私が28の時で、その年の10月から柏木の家で暮らし始めた。
「親父は単身赴任になるし、母さん1人じゃ寂しいから」
そう言われた時の拓也は、まだ私の目を見て話す人だった。同居の話が出たのは式の3ヶ月前。私は迷った末に頷いた。義父の集一さんが穏やかな人だと知っていたからだ。
入籍の日、私は病院の名札を新しくした。柏木まゆと印字された古い札を事務室の引き出しに戻して、柏木まゆの名札を胸につけた。相馬主任がそれを見て笑った。
「名字が変わると字の並びが変わるから、最初は自分の名札でも探すのよね」
家と土地は義父の名義で、30年前に建てたと聞いている。玄関を入って右手が義父母の部屋。2階が私たちの部屋。台所と風呂は共用だ。家賃は取られない。代わりに私は毎月10万円を義母に渡していた。食費と光熱費と「その他色々」という名前の10万円だ。拓也の給料からではない。私の口座から下ろして封筒に入れ、台所の棚に置いた。
最初の4年間、この家に大きな問題はなかった。義父は夜勤明けの私を見ると、必ず同じことを言った。
「夜通し働いたんだから、今日は何もしなくていい。寝なさい」
台所で洗い物をしようとすると、手からスポンジを取り上げられた。
「まゆさんの1日はもう終わってるんだ」
と言って笑う。義母もその時は何も言わない。むしろ私の前では「まゆちゃんは大変な仕事だからね」と義父に調子を合わせていた。
私はその4年で油断したのだと思う。
3年前の10月、義父が北関東の新工場の立ち上げに出された。単身赴任は最短でも3年。状況によっては伸びると義父は言った。帰って来られるのは2、3ヶ月に1度。荷物を車に積む義父を3人で見送った。
「まゆさんのことは頼んだぞ」
義父が言うと、義母は玄関のたたきに立ったまま頷いた。車が角を曲がって見えなくなったのは午後の2時頃だった。
その日の夕方、義母が冷蔵庫の脇のカレンダーを外した。代わりにそこへ私の勤務表を張った。病棟から毎月末に配られる、翌月分の勤務表だ。
「これ、あんたの勤務表でしょ。ここに貼ってね。誰がいつ家にいるか分かるように」
私は「ありがたい話だ」と思った。
その2日後、夜勤明けで帰ると、玄関に掃除機が出してあった。
「あら、お帰り。また昼間から寝るの?」
義母は勤務表を見ていた。夕方5時入りと書いてある欄を指でなぞってさえいた。それでも、その言い方をした。
「昨日の夕方から病院にいたので、休ませてもらいます」
「でも昼間は家にいるでしょ」
言葉を探しているうちに、義母は掃除機のコードを引き出していた。
「2階から始めるわね」
と言って階段を上がっていく。私の部屋は2階だ。
その日、私は3時間しか眠れなかった。夕方に起きて台所へ降りると、義母が電話をしていた。相手は近所の誰かだったと思う。
「そうなのよ。うちの嫁は夜のお勤めだから、昼間はずっと寝てるの。まあ、若い人はいいわよね」
「夜のお勤め」。その言い方をこの家で聞いたのは、その時が最初だった。私は流しの前で足を止め、そのまま米を研いだ。
義父がいたら、その電話は途中で切られていただろう。義父はそういう言い方を許さない人だ。けれど義父は北関東にいて、この家にいるのは義母と私と、まだ帰らない拓也だけだった。
その夜、拓也が帰ってきたのは10時過ぎだった。私は台所で待っていて、昼間のことを話した。掃除機のことも、電話のことも。拓也は冷蔵庫から缶を出して、プルタブを開けてから言った。
「母さんも悪気はないよ。年寄りだから、夜働くってのがピンとこないんだ」
「勤務表を見ながら言ってるの」
拓也は缶をテーブルに置いて、指で口元を拭った。
「見ても分からないんだって。まあ、お前が大人になれよ」
その言葉は、それから3年、この人の口癖であり続けた。
その週の金曜、私は夜勤入りだった。4時に起きて夕食の下ごしらえをして、テーブルに置き、手紙を残して家を出た。「豚汁は温め直してください」と書いた。翌朝帰ると、鍋は空になっていて、洗わずに流しに置いてあった。私の分は残っていなかった。
「あら、言ってくれれば取っておいたのに」
義母は新聞を畳みながらそう言った。作ったのは私だとは言わなかった。言えば長くなると思っていたからだ。
私は鍋を洗って、食パンを1枚焼いて2回に分けて食べた。
こういうことが、月に1度から2度になり、4度になった。いつからが普通でなくなったのか、自分でも線が引けない。覚えているのは、玄関の鍵の音だ。夜勤明けの朝に鍵を刺して回すと、古いシリンダーは決まって2段階で鳴った。カチリと一度止まって、それからもう半回転する。眠い頭でその音を聞くと、ようやく終わったと思えた。7年間、その音は1度も変わらなかった。
私は昔から勤務のことを手帳に書く癖がある。入りの時刻と上がりの時刻と家に着いた時刻。患者さんのことは一行も書かない。書けない。決まりだ。書くのは自分の時間だけで、何のためかと聞かれても答えられなかった。その手帳が7年分溜まっていることに、私はまだ何の意味も見ていなかった。
義父がいなくなってから、この家の空気は少しずつ入れ替わっていった。義母の言い方が変わったのは、義父が経ってから半年ほどしてからだ。最初は独り言のふりだった。廊下ですれ違うたびに「まあ、結構なゴミ屑ね」と天井に向かって言う。私が振り返ると「あら、あんたに言ったんじゃないわよ」と。
半年が過ぎると、独り言はやめた。
「普通のお嫁さんは朝から家事してるわよ」
夜勤明けの朝、玄関で靴を脱いでいる私の背中に、義母はそう言った。
「昨日の夕方から働いていました」
と答えた。
「でも家にいるじゃない」
その答えは、いつまで経っても変わらなかった。
嫌がらせは順番に種類を変えていった。まず眠りだった。私が2階に上がると、義母は必ず階段の下で何かを始めた。掃除機、洗濯機、テレビの音量、布団を叩くこともあった。昼過ぎに起きて庭を見ると、干された布団はそのまま夕方まで置かれている。取り込むのは私だ。
次に食事だった。夜勤入りの日に作っていった煮物が、翌朝には鍋ごと空になっている。私の分だけがない。
「言ってくれれば取っておいたのに」
そのセリフも同じだった。
3つ目は物だった。台所の吊り戸棚に、私は母の湯のみを置いていた。母が亡くなった時に実家から持ってきた、青い焼き物の小さな湯のみだ。私はそれで麦茶を飲むのが好きだった。ある日、それがなくなっていた。
「お母さん、あの青い湯のみ知りませんか?」
義母は新聞から目を上げなかった。
「ああ、あれ。かけてたから捨てたわよ」
「かけてません」
「縁が薄くなってたじゃない。ああいうのはね、口をつけるものなんだから、買い換えなさいよ」
義母は新しい湯のみを2つ、テーブルに出して見せた。300円の値札がついたままだった。
「ほら、こっちの方が上等でしょ」
私は受け取って、礼を言った。ゴミ袋はもう出した後だった。
その晩、私は風呂場でシャワーを出しっぱなしにして泣いた。音を消すためだ。この家で泣くには、水の音がいる。
4つ目は外だった。義母は近所の人と立ち話をする時、私が通りかかるのを待っているようなところがあった。
「うちの嫁は夜のお勤めでね。昼間はずっと寝てるのよ」
相手の人が困った顔をする。私は会釈をして通り過ぎる。背中で話が続いている。
向いの大谷ふみ子さんだけは、そういう時困った顔をしなかった。私と目が合うと、いつも何か言いかけて、それから口を閉じた。
「まゆさん、あのね」
私が足を止めると、大谷さんは自分の手元を見た。
「はい」
「うん。お仕事。体だけ壊さないようにね」
大谷さんはそれきり何も言わなかった。
5つ目は言葉そのものだった。義母は私を名前で呼ばなくなっていた。「あんた」で始まって「あんた」で終わる。
「あんたね、看護婦さんっていうのはもっと気が利くもんだと思ってたわ」
「看護婦」という古い言い方をわざと使う。私が訂正しないのを確かめてから、次を言う。
「うちの子がかわいそう。奥さんが家にいない家なんて、家じゃないでしょ」
その言葉に、拓也は何も言わなかった。テレビを見ていた。音量を上げていた。
拓也が義母の側に立ち始めたのは、その頃からだったと思う。ある日曜の朝、洗濯機の前に洗濯物の山ができていた。2日分だ。私は夜勤明けと日勤で家にいなかった。
「これ、洗ってくれよ。今日は8時から日勤なんだけど」
拓也は洗濯物の山を足の先で避けた。
「仕事から帰ってきたなら、洗濯くらいできるだろ」
「帰ってきたなら」という言い方に、私は引っかかった。帰ってきたなら、その先はどうなるのだろう。休むではないらしい。
私は洗濯機を回してから家を出た。夜帰ってくると、洗濯物は洗濯機の中で丸まっていた。誰も干していなかった。
そういうことが積み重なると、人は先回りをするようになる。夜勤明けの朝、私は帰ってすぐ寝るのをやめた。朝食の皿を洗い、洗濯物を干し、買い物をして夕食の下ごしらえまで済ませてから2階へ上がる。そうしておけば、掃除機はかからない。かからないから、2時間は眠れる。2時間眠って夕方に起きて、また夕食を作った。
「あら、今日はちゃんとやったのね」
義母はそれを褒め言葉のつもりで言っていた。
毎月1日、私は10万円の入った封筒を台所のテーブルに置いた。義父がいた頃と同じ額で、同じ場所だ。義母はそれを見ないまま、引き出しに入れるようになった。
「お母さん、今月の分です」
「うん」
それだけだ。以前はいつも「悪いわね」の一言があった。その一言がいつ消えたのか、私は思い出せない。消えたことにさえ、しばらく気づかなかった。
3年前の冬、私は1度だけ手を打とうとした。その日、義母は私の下着を庭に干していた。前の晩に私が部屋の中に干しておいたものだ。近所から丸見えの物干し竿に、洗濯バサミで止めてあった。
私は拓也の部屋に入っていった。
「お父さんに一度相談したいの」
拓也の顔が変わったのは、その時が最初だった。
「親父を巻き込むのか?」
「巻き込むって」
拓也は椅子を回してこちらへ向き直った。
「あっちは今、工場の立ち上げで死ぬほど忙しいんだぞ。そこにお前が母さんの悪口を電話で喋るのか」
「悪口じゃなくて」
「同じだよ。嫁が義父に告げ口してどうすんだ?」
拓也はそのまま部屋を出ていった。
その夜から1週間、拓也は私と口を聞かなかった。朝の挨拶も、ただいまもない。義母はその1週間、やけに機嫌が良かった。1週間が明けた朝、拓也が私の前で口を開いた時、最初に出た言葉はこれだった。
「母さんも悪気はないんだよ」
頷くしかなかった。以来、私は義父に電話をしなかった。したいと思った日は何度もある。その度に「告げ口」という言葉が耳の奥で鳴った。言えばまた1週間、この家の中で誰にも名前を呼ばれない。それがどれほど長いか、私は知ってしまっていた。
その頃から、義母は近所で新しいことを言い始めていた。私がそれを知るのは、ずっと後になってからだ。
この家で私の味方は、遠くにいる1人だけだった。
閉め出される3ヶ月前、7月の中頃に義父が3日だけ帰ってきた。帰る前の晩から、家の中の景色が変わり始めた。義母は台所を磨き、廊下に掃除機をかけ、私が干した洗濯物を自分で畳んだ。
「まゆちゃん、明日はお父さん帰って来るからね」
名前で呼ばれたのは久しぶりだった。
義父は土曜の昼前に着いた。玄関の鍵が回る音がして、カチリと半回転。私はその音で「ああ、帰ってきた」と分かった。
「ただいま」
義父は痩せていた。前より確実に細く、ベルトの穴が2つ内側に寄っていた。
「お父さん、お帰りなさい」
義父は鞄を玄関の上がり口に置いた。
「まゆさん、悪いな。急に帰ってきて」
義父は靴を脱ぎながら私の顔を見た。それから長く見た。
「顔色が良くないな」
「夜勤明けなんです」
そう答えたのは私ではなく義母だった。台所から出てきて、両手をエプロンで拭きながら言う。
「まゆちゃん、夜勤明けなんだから寝てなさい。私、さっきから言ってるのよ」
言われていない。その朝、私は8時に帰って朝食の皿を洗って風呂を掃除して、義父の布団を干していた。
義父は納得した顔をした。
「そうか。じゃあ休みなさい」
その3日間、義母は別人だった。私が台所に立とうとすると「いいの、いいの」と手を振って追い出す。麦茶を出してくれる。私の勤務表を見て「明日は日勤なのね。早いのに大変ね」と言う。拓也もよく喋った。
「俺も最近は家事やってるよ。洗濯とかさ」
「そうか。ちゃんとやれよ」
義父は頷いて、それ以上は言わなかった。
翌日の夕方、義父が縁側でタバコを吸っているところへ、私はお茶を持っていった。義父はしばらく黙ってから聞いた。
「まゆさん、何か困ってることはないか?」
私は湯のみを置く手を止めた。言おうと思えば、その時言えた。2階の掃除機のことも、鍋のことも、庭に干された下着のことも。けれど私は義父の顔を見ていた。半袖から出た腕が細くて、皮膚の下に骨が浮いていた。工場の話は拓也からも聞いていた。人が足りず工期が遅れ、義父は月に何度か泊まり込んでいるらしい。それにあの1週間のことがあった。「嫁が義父に告げ口してどうすんだ?」あの言葉が、こういう場面のために用意されていたように思えた。
「大丈夫です。仕事が忙しいだけで」
「そうか」
義父はそれ以上は聞かなかった。煙を庭の方へ吐いて、灰皿に火を押し付けた。
「4月にはこっちへ戻る。内示が出た」
「本当ですか?」
「立ち上げは3年で区切りだ。あとちょっとだけ、母さんのことを頼む」
私は頷いた。あと9ヶ月だと、その時数えた。
立つ日の朝、義父は5時に起きて出発の支度をした。見送りに出た私に、義父は封筒を渡そうとした。
「いいです、お父さん」
「これは母さんに渡す分だ。まゆさんから渡してくれ」
私は受け取って、その日のうちに義母の引き出しに入れた。中身は見なかった。
車が角を曲がって見えなくなると、玄関の空気が元に戻った。義母は靴を脱ぎながら、もう普通の声で言った。
「さ、明日から普通の生活ね。あんた、今日は買い物お願いね。お父さんのおかげで冷蔵庫が空っぽよ」
その日の午後、義母は近所の人を家に呼んでお茶を出していた。私が2階から降りると、話し声が途切れた。
「あら、起きたの?」
「行ってきます。買い物に」
玄関で靴を履いていると、後ろで話が再開した。
「うちのお父さんが帰ってくると、あの子も少しはやるのよ。普段はね」
玄関のドアを閉める時、私は強く引いた。音が出るくらいには強く引いた。それがその頃の私にできた、精一杯の抵抗だった。
私は病院でも、そのことを誰にも話していなかった。夜勤入りの日の夕方、私は病棟の休憩室で弁当を食べていた。主任が向かいに座ってお茶を飲んでいた。
「柏木さん、来月の希望は?」
「特にないです」
「ないこともないでしょ。もう13年でしょ、あなた」
私は箸を止めた。13年。就職してから1度もやめようと思ったことがない。夜勤も嫌ではない。夜の病棟は静かで、ナースコールと点滴の落ちる音だけがある。あそこでは私は名前で呼ばれる。「柏木さん」と。家に帰ると「あんた」になる。
「主任、何?」
私は弁当の蓋を閉じた。
「夜勤って体に悪いですか?」
「悪いわよ。だから手当てが出るの」
主任は湯のみを置いて私の顔を見た。
「誰かに何か言われた?」
「いえ、そういうわけじゃ」
けれど主任は忘れていなかった。別の日にこう聞かれた。
「柏木さん、休みの日って寝てる?」
「寝てます」
主任は書きかけの記録から目を上げた。
「寝てるじゃなくて、休んでる」
主任は17年この病棟にいて、人の顔色をよく見る。答えに詰まった私を見て、それ以上は聞かなかった。代わりに翌月の勤務表で、私の夜勤を1回減らしてくれた。その1回が家に知られると、また面倒だった。私は主任に頼んで、元に戻してもらった。
その間も、私は毎月1日に10万円をテーブルに置き続けた。夜勤の月は手取りが28万円になる。そこから10万円を出して、自分の携帯代と保険を払って、残りを貯める。貯めて何をするのかは決めていなかった。決めていないまま7年が過ぎていた。
あと9ヶ月。私が頼りにしていたのは、その数字だけだった。義父が玄関の鍵を開けるあの音をあと3回か4回聞けば、こんな日々も終わる。そう思っていた。
10月16日、木曜。私は翌朝までの夜勤だった。その日の午後、私が仮眠から起きて台所へ降りると、義母がテーブルに紙を広げていた。買い物の書きつけだった。
「あんた、明日の朝ね。親戚が来るから、料理よろしく」
「明日ですか?」
「そう。お父さんの姉さんとその連れ合いと、あと2人。10時に来るから、9時までにお新香とお煮しめとお吸い物ね」
私は勤務表を見た。冷蔵庫の脇に義母が張った表がある。16日の欄に夜勤の印が入っている。
「お母さん、明日は夜勤です。朝の7時半まで病院なので、無理です」
「休めないの?」
「急には休めません。夜勤は病棟に3人しかいない。1人抜ければ回らない」
翌朝の分の人員は先月の末に決まっていて、私が抜ければ誰かが休みの日に呼び出される。患者さんを預かる仕事で、当日にそれをやる看護師はいない。
義母は聞いていなかった。
「先月も断ったでしょ。法事の時」
「あれは日勤でした」
「同じことよ。仕事って」
義母は書きつけを指で叩いた。「お新香、お煮しめ、お吸い物」と鉛筆で書いてある。字は丁寧だった。前の晩に書いたのだと分かった。分かった瞬間、私は寒くなった。勤務表は冷蔵庫の脇にある。義母はそれを毎月見ている。夜勤の日を知っていて、その前の晩に献立を書いて、当日の午後に私へ言ったのだ。断らせるために言ったのではないか。私はその考えを最後まで進めなかった。まさか。まさかそんな面倒なことをする人はいないと思ったのだ。
そう説明した。ちゃんと説明した。義母は書きつけをテーブルに置いて、私を見上げた。
「家族より仕事が大事なの」
その言い方はあの家で何十回も聞いていたけれど、その日はなぜか胸の中で音が鳴った。そこへ拓也が帰ってきた。まだ4時前だった。
「早いね」
と言うと、
「明日は休みだから、今日は早く上がった」
と答えた。
「明日休みなの?」
「ああ」
それだけだった。義母がすぐに拓也へ言いつけた。
「拓也、聞いてよ。明日おばさんたち来るのに、この人が料理できないって言うのよ」
「そうなの? たまには母さんの頼み聞いてやれよ」
拓也は靴下を脱ぎながら言った。私の顔は見ていない。
「拓也さん、勤務を当日に休めと言われても無理です」
そう言うと、拓也が初めてこちらを見た。
「そういうことじゃないだろう。母さんが困ってるって話をしてるんだ」
「私も困ってます」
「お前は仕事だろう。仕事は困ってるって言わないんだよ」
言い返す言葉を探した。探している間に、義母が立ち上がった。
「嫁のくせに口答えして」
そこで積み上がっていた何かが動いた。私は、この家に来てから1度もしたことのない返し方をした。
「仕事のことまで命令される筋合いはありません」
台所が静かになった。冷蔵庫のモーターの音だけが残った。義母の口が半分開いて、閉じた。拓也が靴下を持ったまま立ち上がった。
「まゆ、母さんに謝れよ」
「私、何を謝るの?」
「そういう態度だよ」
「態度?」
私は自分の言葉のどこが態度なのか考えた。考えても分からなかった。壁の時計が4時半を指していた。私は自分の弁当を鞄に入れて、玄関へ行った。
「行ってきます」
返事はなかった。
自転車で坂を上がりながら、私は翌朝のことを考えていた。帰ったらまず謝るべきだろうか。謝ればこの家はまた回る。回るなら、その方が安い。そう考えている自分に、少しだけ嫌気が差した。
その晩の病棟は忙しかった。夜の9時に1人入院があり、11時に別の患者さんの点滴が漏れた。深夜2時を回った頃、受け持ちの患者さんの様子がおかしくなった。当直の医師を呼んで検査に出して、戻ってきたのが4時過ぎだった。その晩、私は1度だけ手を止めた。深夜2時の詰所で点滴の残量を確かめながら、翌朝の献立を考えた。煮物は前の日から煮ておくものだ。9時までに出すなら、朝から作るのでは間に合わない。義母もそれは知っている。40年台所をやってきた人だ。つまり、初めから私に作れる話ではなかった。できない仕事を頼んで、断らせて、断った事実だけを手元に残す。そういうやり方があるのかもしれない。そう考えて、私はすぐに打ち消した。深夜の詰所は考え事に向かない。人はどこまでも悪い方へ行く。
ナースコールが鳴って、私は立ち上がった。4時過ぎ、廊下で主任とすれ違った。主任は早番で入っていた。
「柏木さん、顔が白いよ」
「大丈夫です」
「大丈夫な顔じゃないの、それ」
主任は私の腕を軽く叩いて、記録の続きを書きに行った。私は詰所の椅子に座って手帳を出した。「入り17時、上がり7時30分」。いつもの2行を書いて鞄に戻した。
記録を書き終えたのが6時半。日勤の看護師が入ってきて、明かりが全部つく。申し送りをして、着替えて、通用口を出たのが7時40分だった。外はもう明るかった。10月の朝の風は冷たくて、自転車で坂を降りると耳が痛くなった。帰ったらシャワーを浴びて寝よう。そう思っていた。それだけを思っていた。
8時。私は門の前で自転車を止めた。鍵を刺した。その先のことは、もう話した通りだ。
インターホンを押すと、義母の声がした。
「鍵、変えたわよ」
「変えたって、どういうことですか?」
「そのままの意味よ。夜勤明けの嫁は外で反省しなさい」
スピーカーの向こうで笑い声がして、その後ろで湯のみの触れる音がした。誰かがいる。平日の朝8時に、この家に。
鍵穴の周りの金属だけが朝日で白く光っていた。7年、そこは手の油で鈍い色をしていた。指を当ててみると、縁がかっていた。新しい。それを見ても、私はまだ義母が朝一番に業者を呼んだのだと思っていた。
私はもう一度インターホンを押した。今度は出なかった。3度目も出なかった。4度目でスピーカーが鳴って、義母の声が短く言った。
「うるさいわね。近所迷惑よ」
近所迷惑。私は自分が門の外に立たされていることを、その言葉で確認した。
勝手口へ回ってみた。ノブは回らなかった。庭に面した掃き出し窓には、内側から鍵がかかっていた。ガラスの向こうにテレビが見えて、その画面が動いていた。誰かが見ている。
「警察」という言葉が頭に浮かんだ。浮かんですぐ消えた。私は嫁で、中にいるのは夫と姑で、家は義父の名義だ。呼んだところで「夫婦喧嘩ですね」で終わる。その後、私はあの家へ戻って警察を呼んだ嫁として暮らすことになる。私が欲しかったのは、その朝の勝ちではなかった。
私はもう一度玄関に戻った。拓也に電話をかけた。呼び出し音が3度鳴って、出た。
「拓也さん、開けて」
「まず母さんに謝れば」
声が近かった。反響の仕方で分かる。この人は廊下にいる。家の中にいる。
「あなたも知ってたの?」
「俺も賛成したよ。1時間も外にいれば頭も冷えるだろう」
1時間。頭の中でその言葉だけが残った。私は14時間半、病院にいた。その間、この人は家にいたのだ。
私は携帯の画面を見た。8時15分。門の前に立ってから15分が経っていた。夜勤明けの15分は、詰所の15分よりずっと長い。
「そうですか。では、さようなら」
電話を切った。
門柱の上に、鍵が刺さったままだった。いつも私が持って入る。私はそれを抜いて、そのまま元に戻した。この家のものだ。私のものではない。7年でそう思ったのは、その朝が最初だった。
向いの家の2階の窓に人影があった。大谷さんだった。カーテンの端を持ったまま、こちらを見ていた。目が合うと、大谷さんは何か言おうとして、それから小さく頭を下げた。
私は自転車のハンドルを握り直した。サドルにまたがらず、押して歩いた。坂を降りる間、玄関の戸が開く音がしないか、耳だけがずっと澄んでいた。最後まで開かなかった。
坂の途中に24時間営業の店がある。私はそこの駐輪場で自転車を止めて、鞄からスマートフォンを出した。時刻は8時20分だった。通話の履歴を開いた。8時15分発信。私はその画面を写真に撮った。電話で言われた言葉の方は、頭の中でまだ声のまま鳴っていた。「まず母さんに謝れば」「俺も賛成したよ」「1時間も外にいれば頭も冷えるだろう」。日付が入るように、時計の出ているところも入れて撮った。なぜそんなことをしたのか、自分でも説明できない。ただ13年、記録を残す仕事をしてきた。書いておかないと、なかったことになる。それは病棟で最初に教わったことだ。
撮り終えて顔を上げると、店の窓に自分が映っていた。上着を着た、眠っていない女が1人立っていた。私はその顔をしばらく見ていた。
自転車のスタンドを蹴り上げた。振り返らなかった。
私はそのまま病院へ戻った。通用口ではなく、正面から入った。1階の総合案内の横に休憩用の椅子がある。そこに座って、詰所に電話をかけた。出たのは相馬主任だった。
「柏木さん、どうしたの? まだ帰ってないの?」
「主任、変なことを聞きますけど、この辺で昼間だけ泊まれるところありますか?」
電話の向こうで間があった。
「駅前のホテル。日中の休憩の料金があるはず。今から行くの?」
「はい」
「柏木さん」
「はい」
「今、家にいないのね」
私は答えなかった。答えないことが答えになった。
「10分で降りるから、そこにいて」
10分と言って、主任は7分で来た。白衣のままだ。私が門の前で何があったかを話すと、主任は椅子の背に手を置いたまま聞いていた。途中で口を挟まなかった。話を終えると、主任は1つだけ確かめた。
「今、鍵はあなたのポケットにあるのね」
「あります。回らないだけです」
「そう」
主任は自分の携帯を出して、駅前のホテルの番号を調べて、その場でかけた。休憩の部屋が空いているかを聞いて、私の名前で抑えた。
「昼までは寝なさい。話はそれから」
主任はそこで一度言葉を切った。
「柏木さん、これは主任に上げます。そんな家のことなので」
「家のことでも、帰る家を持たないまま夜勤に入るなら、勤務の話になるの。患者さんを預かる前に、上(かみ)が知っておかないといけないのよ」
私は頷いた。
「主任、明日の日勤は明後日ね。あなたは明日休みでしょ。勤務表くらい覚えてるわよ」
私は礼を言った。何度も言った気がする。
ホテルの部屋は狭くて、窓が北を向いていた。私はカーテンを閉めて、上着を椅子にかけて、そのままベッドに倒れた。眠れないだろうと思った。30秒で眠っていた。
目が覚めたのは午後の4時だった。スマートフォンに拓也からの連絡が2件入っていた。
「いつまで拗ねてるの?」
「夕飯どうする?」
私はその2件を読んで、しばらく天井を見ていた。この人は私が今どこで何をしているかを聞かなかった。聞いたのは夕飯のことだった。返事はしなかった。
部屋を出て買い物をした。下着と靴下と歯ブラシと化粧水。着替えのシャツを2枚。鞄に入れながら、自分が今、家を持っていないのだと気がついた。持ち物は鞄1つだ。財布とスマートフォンと手帳と、回らない鍵。レジで1万2000円を払った。
実家はもうない。父は施設へ入り、家は兄が売った。帰る先を数えて、指が1本も立たなかった。毎月10万円を入れてきた家に入れなくて、コンビニで下着を買っている。おかしな話だと思った。おかしすぎて、笑いも出なかった。
7時にもう1件来た。
「まさかホテルに泊まってんの? 母さんもほっとけって言ってる。そのうち頭下げてくるわよ」
「だってさ」。私はその一言を声に出さずに読み直した。義母の言葉をわざわざ私に転送してくる。それがこの人のやり方だった。伝えれば私が焦ると思ったのだろう。
夜の9時に、拓也から電話がかかってきた。私は出た。出るつもりはなかったが、指が勝手に動いた。
「もしもし」
「おい、いい加減にしろよ」
「何が?」
「母さんが心配してんだよ。ご飯も喉通らないってさ」
「私も昨日から何も食べてません」
拓也は黙って、それから息を吐いた。
「そういう言い方するから、母さんが怒るんだよ」
「拓也さん」
「なんだよ」
「鍵、いつ変えたの?」
電話の向こうでテレビの音が小さくなった。誰かがリモコンを触ったのだ。
「今朝だよ」
「今朝の何時?」
「知らねえよ。母さんがやったんだから、俺は寝てた」
私は礼を言って切った。その時点ではまだ何も分かっていなかった。ただ、この人が今2つのことを言い分けたのは分かった。「俺も賛成したよ」と「俺は寝てた」。
私は起き上がって、フロントに電話をして、そのまま泊まれるかを聞いた。空いていた。その晩、私は久しぶりに長く風呂に入った。誰も廊下を歩かない。窓の外を電車が通る音だけがした。
風呂から出て、私は鞄から手帳を出した。10月17日の欄に2行を書き足した。「8時、玄関の鍵が回らず」「8時15分、夫と通話。『俺も賛成したよ』と」。書いてからその2行を読み返した。日付と時刻が入っていると、記憶は記憶でなくなる。事実になる。
ホテルの部屋で、私は自分に1つだけ問いを出した。このまま家に帰ると、どうなるか。玄関で頭を下げる。義母が鍵をくれる。2階へ上がって寝る。翌週の夜勤の前の晩に、また何かを頼まれる。断る。また同じことが起きる。今度は1時間ではないだろう。1時間で戻ったのだから、次は一晩でいいと誰かが思う。私はその先を想像した。想像して、背中が冷たくなった。帰らない理由は怒りではなかった。怖かったのだ。
その夜のうちに、私は1つだけ動いた。市役所の無料法律相談を調べた。予約制で、電話の受付は平日だけ。次の相談日は月曜の午後だと書いてあった。弁護士に相談する。35年生きてきて、自分に関係したことのない言葉だった。それでも私の指は迷わなかった。
翌日は休みだった。朝から拓也の連絡は続いた。今度は書き方が変わっていた。
「本気で怒ってんの?」
「母さんも反省してるよ。帰ってきたら鍵は渡すから」
そしてその次に、こう来た。
「それとさ、この際だから夜勤やめないか。日勤だけにすれば母さんも文句言わないし、家も回るだろう」
私はその文面を3度読んだ。「謝れ」ではなくなっていた。「夜勤をやめろ」になっていた。私は13年この仕事をしてきた。夜勤は月に4回か5回で、その分手当てがつく。日勤だけにすれば手取りは5万円下がる。それだけではない。病棟の夜を知らない看護師は、そのうち日勤も回らなくなる。急変は夜に起きるからだ。けれど、拓也はそういうことを1度も聞いたことがなかった。聞かないまま「やめないか」と書いてきた。
文字を打とうとして、やめた。代わりに、私はその画面も写真に撮った。
昼、私はホテルの1階の食堂で定食を食べた。隣の席に家族連れが座っていた。父親と母親と、小学生くらいの男の子。母親が男の子の茶碗に、自分の皿から卵焼きを1つ移していた。7年前、私は柏木の家のテーブルで同じことをされたことがある。義父が自分の魚を半分、私の皿に置いた。「夜勤明けだから」と言って。その皿の音を、私はまだ覚えている。
食堂を出る時、私は自分の茶碗を下げて、カウンターまで運んだ。誰も見ていなかった。それでも運んだ。
窓の外で、下の道を子供の乗った自転車が走っていった。私は撮った写真を日付の順に並べ直した。金曜の朝8時15分の通話履歴。その後の連絡の画面。手帳の2行。それだけだ。多くはないけれど、病棟で教わったのは、記録は多いほどいいのではなく、日付が入っているものだけが役に立つということだった。
昼過ぎ、知らない番号から電話が来た。出ると、女の人の声だった。
「あの、柏木さん? まゆさん。向いの大谷です」
「大谷さん」
「昨日の朝ね、あなた、門の外にずっと立ってたでしょ?」
「はい」
大谷さんはそこで一度黙った。息を吸う音がした。
「あのね、余計なことかもしれないんだけど、昨日の夕方、お宅の前に車が止まってたのよ。鍵屋さんの車。青い車体に鍵の絵が書いてあるの」
私はホテルの窓のところに立っていた。手が窓枠を握った。
「昨日ですか?」
「木曜の夕方、6時前だったと思う。私、犬の散歩から帰ってくるところで見たの。若い人と年配の人と、2人来てたわ」
木曜の夕方。私が家を出たのは、その日の4時半過ぎだ。
「大谷さん、その時間、うちには誰がいましたか?」
「お母さんと拓也さんが2階の窓に。拓也さんの姿が見えたわ。玄関の方は閉まってたから、業者さんと誰が話したのかまでは見てないけど」
私は礼を言って、電話を切った。それからしばらく動かなかった。
私が締め出されたのは金曜の朝だと思っていた。義母がその朝、腹を立てて業者を呼んだのだと思っていた。違った。鍵は前の晩に変わっていた。私が病院で夜勤に入っている、その時間に。つまり、あの朝私が門の前で鍵を刺した時、家の中の2人はそれが回らないことを知っていた。知っていて、私が帰って来るのを待っていたのだ。
私は看護師を13年やってきた。記録を残すことだけは、誰よりも得意だった。
日曜は日勤だった。朝8時に病棟へ入って、5時に上がった。その日の私は多分、普段よりよく働いた。手が止まると考えてしまうからだ。日の途中、私は担当の患者さんの点滴の入りを確かめて、それから布団の上に出ていた手をさすった。82歳の女性で、手術の3日後だった。
「痛みは?」
と聞くと、
「大丈夫よ。看護師さんこそ大丈夫?」
と続けて言われた。
「私ですか?」
「顔がね、うちの娘が徹夜した時と同じ顔してる」
私は笑って、点滴の速さを直した。この人たちは、私が夜に働いていることを知っている。夜中にナースコールをして、「来てくれてありがとう」という。「ありがとう」と言われる仕事が、あの家では「夜遊び」と呼ばれていた。
廊下を歩きながら、私は自分の名札を見た。「柏木まゆ」。7年つけている名前だ。
上がる前に、主任が詰所の奥へ私を呼んだ。
「柏木さん、ホテルは今日までにしなさい」
「はい」
「うちの病院の裏に、中のマンションがあるの。看護学生が実習で使うところ。事務に言えば紹介してもらえる」
「長くいるつもりは」
「つもりの話はいいの? あなた、次の夜勤いつ?」
「木曜です」
「木曜の朝、どこへ帰るか決まってないと、木曜の夜が働けないでしょう」
その通りだった。私は事務室へ寄って、紹介の紙をもらった。
中のマンションは、病院から自転車で10分だった。1階に管理人がいて、部屋は6畳一間に台所がついている。家賃は月に9万6000円で、日払いもできるという。
鍵を受け取った。銀色の新しい鍵だった。玄関の鍵穴に差してみると、すんなり回った。カチリと半回転。同じ音がした。私はしばらくドアの前に立っていた。
部屋に荷物はなかった。鞄1つとコンビニの袋1つ。私は袋から歯ブラシを出して、洗面台のコップに立てた。コップは備え付けの白いプラスチックのものだった。歯ブラシが1本だけ立っているのを見て、私は泣いた。門の前でもホテルでも泣かなかったのに、そこで泣いた。悲しかったのではない。静かだったのだ。誰も階段を上がってこない。誰も掃除機のコードを引き出さない。この部屋では、私が寝ていることを誰も咎めない。そんな当たり前のことで泣いている。あの家で、どこまで削られたのか。
その時、翌朝、私は窓を開けて外を見た。病院の白い建物が、屋根の向こうに見えた。自転車で10分の距離だ。私は毎日、坂を25分かけて上がっていた。帰りは下りで20分。往復で45分、月に20日として1年で180時間、7年で1260時間。その1260時間が何のために使われたのか、考えても答えが出なかった。
私は窓を閉めた。台所で自分の茶碗を洗った。誰も見ていないし、誰も褒めない。褒められる必要がないということが、こんなに楽だとは思わなかった。
その月曜は高給だった。朝一番に市役所へ電話を入れて、午後の枠を取った。午後2時、市役所の3階の相談室にいた。担当は日向俊という51歳の弁護士で、机に肘をついて私の目を見た。私は持ってきた紙を順に並べた。通話の履歴、やり取りの画面、手帳の2行。弁護士は1枚ずつ見て、頷いた。
「よくできています。看護のお仕事ですか?」
「はい」
「記録がついている方は強いです。後で使います。1つだけ確認させてください」
「はい」
「その家はご主人の名義ですか?」
「いえ、お父さんの名義です」
弁護士が顔を上げた。
「お父様、今どちらに?」
「単身赴任です。3年前から北関東の工場に」
「その方はこの件をご存知ですか?」
「知りません」
「そうですか」
弁護士は何も言わなかった。言わなかったが、ペンの先を1度だけ紙に押し付けた。私は聞いた。
「行った方がいいんでしょうか?」
「私からは申し上げません。ただ、その家の鍵を交換するかどうかを決められるのは、原則として持ち主の方です」
その一言が、部屋を出てからも耳に残った。
それから30分、私は聞きたいことを順に聞いた。家は義父の名義であること。私が7年間毎月10万円を入れてきたこと。夫は母親の側に立っていること。弁護士の答えはどれも慎重だった。
「お母様への扶養の義務がお嫁さんにあるかと言うと、原則としてありません。義務があるのは実のお子さん。この場合はご主人です。ただ、あなたが入れてきた生活費は、それとは別のご夫婦の家計の話になります。後から1円ずつ請求するのは、正直に申し上げて簡単ではありません」
「お金が欲しいわけじゃないんです」
「では、何をお望みですか?」
答えられないまま、口が動いた。
「もうあの家に入れたくないんです」
弁護士は頷いた。ペンを置いた。
「それはご自身で決められることです。誰の許可もいりません」
相談室を出て、廊下の椅子に座った。窓から西日が入っていた。私が持ち帰ったのは2つだった。記録を揃えること、順番を踏むこと。どちらも、私が13年やってきた仕事のやり方と同じだった。
その晩、また動いた。拓也からの連絡が少し長くなっていた。
「なあ、いい加減帰って来いよ。俺だってあの日はわざわざ有休まで取って、1日家にいたんだぞ。お前が帰って来るのを朝から待ってたんだ。それをあの態度はないだろう」
私は画面を見たまま動けなくなった。有休。あの日は金曜だった。平日だ。前の晩、この人は自分の口で「休みだから」と言っていた。私はそれをたまたま取れた休みなのだと思っていた。その休みがいつ、どうやって取られたものなのかまでは、その時の私は考えなかった。違った。有休を取っていたのだ。
私は指を動かして、1つだけ返した。
「その有休、いつ申請したの?」
返事はすぐ来た。
「先々週の金曜だよ。何が言いたいんだよ」
先々週の金曜。私は手帳をめくった。閉め出された金曜の1週間前は10月10日。その日、この人は会社で有休の申請を出している。あの朝私が門の前に立つ7日前だ。「1時間も外にいれば頭も冷えるだろう」。その1時間のために、人は有休を取らない。
それから続きが来た。
「大体さ、母さんだって鍵変えるのはやりすぎだって、俺も言ったんだよ。でも母さんが聞かないんだから、仕方ないだろう」
私はその2行と、前の晩の電話を並べた。「俺も賛成したよ」「俺は寝てた」「母さんが聞かないんだから仕方ない」。3つとも、この人の口から出ている。3つとも、噛み合わない。噛み合わないものを3つ並べた時、どれが本当かは分からない。分かるのは、この人が今何かを隠そうとしているということだけだ。
私は返事を打たなかった。代わりに、その画面も写真に撮った。
私は椅子に座ったまま、部屋の壁を見ていた。安いクロスの白い壁だった。待たれていたことは、もう分かっていた。分からなかったのは、その15分のために7日前から人が動いていたということだった。
火曜は日勤だった。昼の休憩に詰所へ戻ると、主任が私を見て頷きを上げた。
「顔が戻ったね」
「寝てますから」
「それが普通なの。溜まった分の睡眠を返してもらいなさい」
笑ったのは、あの朝から初めてだった。
午後、ナースステーションで記録を書いていると、若い看護師が隣に座った。2年目の子だ。
「柏木さん、この患者さんの奥さんが退院後の食事のことを心配してて。栄養士に相談しよう。あと、退院前に一度奥さんに来てもらって説明する時間を取ろうか」
「いいんですか?」
「その方が早いよ。後で困るより、先に困っておくの」
そう言いながら、私は自分のことを考えていた。先に困っておく。あの家で、私はそれをしてこなかった。困ってから困り、困ったまま眠り、また困った。
夕方、上がってすぐに拓也から電話が来た。3日ぶりの声だった。
「まゆ、いい加減に帰ってこい」
「帰りません」
「はあ?」
「今後の連絡は、必要なことだけにしてください」
「必要なことって何だよ」
私は歩きながら答えた。病院の駐輪場に向かう坂の途中だった。
「離婚について話し合いたいです」
電話の向こうが静かになった。風の音だけが聞こえた。この人は多分、外にいる。会社を出たところだ。
「聞こえましたよね」
「おい、待てよ。鍵1本の話だぞ」
鍵1本。私は自転車の鍵を外す手を止めた。
「拓也さん、あの朝、私は何時間働いて帰ったと思いますか?」
「知らねえよ」
「知らないんですね」
「そういう言い方が」
「14時間半です。夕方の5時に入って、朝の7時半に上がりました。夜中に急変があって、2時から4時まで動いていました」
「だからなんだよ。それが仕事だろ」
「そうです。仕事です」
私は言った。声は震えなかった。自分でも驚くほど震えなかった。
「その仕事から帰ってきた妻を、家の中から閉め出したんです。あなたは家の中にいて、廊下から『まず母さんに謝れば』と言いました。私はそれを一生忘れません」
「大げさなんだよ」
風の音が強くなった。この人、歩き出したのだ。
「大げさかどうかは、私が決めます」
私は電話を切った。自転車をこぎながら、涙が出るかと思った。出なかった。代わりに、腹の底が妙に軽くなっていた。言葉にすると決まるのだ。決まると体が軽くなる。それも仕事で覚えたことだった。
中のマンションに帰って、私は畳の上に座った。部屋には物がほとんどない。鞄とコンビニの袋と、洗面台の歯ブラシ1本。それだけで生活が回っている。柏木の家に置いてきたものを頭の中で数えてみた。着るもの、仕事の靴、母の写真、看護学校の卒業証書、結婚の時にもらった食器、そして手帳の入っていない年の分。あれは2階の箪笥の青い箱の中にある。取りに行かなければならない。そう思った途端、体が冷たくなった。あの門をもう一度くぐるのかと思うと、指の先まで冷たくなった。私はその晩、それ以上考えるのをやめた。
その夜から、拓也の連絡の中身が変わった。
「本気じゃないよな」
「母さんも謝るって言ってる」
「鍵を渡しに行くから」
「どこにいるんだよ。教えろよ」
私は最後の1行にだけ返した。
「必要なことだけにしてください」
翌日の水曜、私の携帯が鳴った。義母だった。番号を見て、私は迷ってから出た。
「もしもし」
「あんた、何を言ったのよ」
挨拶はなかった。
「拓也が離婚だなんて言い出して。何を吹き込んだの?」
「私が言いました」
「鍵くらいで大げさね」
その一言が、電話の中でやけに大きく聞こえた。
「鍵だけじゃありません」
「じゃあ何よ?」
「7年間、ずっと我慢してきました」
「我慢?」
義母が笑った。乾いた笑い方だった。
「あんたね、家族なら我慢するものでしょ。私だって柏木の家に来てから40年、うちのお母さんに散々言われて我慢したのよ。それが嫁ってものよ」
「それはお母さんが我慢なさった話です」
「同じことよ」
「同じじゃありません。お母さんは我慢して、それで次の人にも我慢させたんです。私はそこで止めます」
義母の息が止まる音がした。義母は続けた。声が一段高くなっていた。
「置いてやったのはこっちよ。あんた、うちがいなかったら行くところもなかったでしょ」
「私は家賃の代わりに、毎月10万円お渡ししてきました」
「10万?」
義母は鼻で笑った。
「10万でこの家に住んで、ご飯食べて、お風呂入って。そういうもんじゃない?」
「そうかもしれません」
「そうよ」
「では、その10万円を母さんは何に使っていましたか?」
電話が黙った。私は答えを求めていなかった。求めていないのに、その黙り方が耳に残った。
「だから、もう家族をやめます。お世話になりました」
私は電話を切った。切った後、2回深く息をした。
それで終わらなかった。夕方、佐田さんから電話が来た。義父の姉で、あの朝家に来る予定だった人だ。
「まゆさん、あなた今どこにいるの?」
「病院の近くです。ご心配をおかけしました」
「恵津子さんがね、あの日、あなたが親戚の集まりをすっぽかしたっていうのよ」
私は目を閉じた。
「佐田さん、私はあの日、夜勤明けでした。前の晩の5時から働いていました。勤務表は1ヶ月前に決まっています。お母さんもそれを見ていました」
佐田さんはしばらく何も言わなかった。それから短く息を吐いた。
「恵津子さんはね、そういうところがあるのよ。昔から。昔から、集一さんがいる時は出さないの。いなくなると出るの」
私はその言葉を手帳に書いた。日付と入れて。
翌日の朝、私は木曜の夜勤に備えて昼まで寝るつもりだった。9時に病院から電話が来た。師長だった。
「柏木さん、朝からごめんね。ちょっと確認したいことがあって」
「はい」
「相馬主任から話は聞いています。その上で、今朝、あなたのお母さんという方から病院に電話がありました」
私は体を起こした。
「何を言われましたか?」
「私が出ました。『うちの嫁が家出をしていて困っている。勤務のことで話がある』と。私は『職員の家庭のことについては、病院ではお答えできません』とお伝えしました」
「すみません」
「柏木さんが謝ることじゃないの」
師長は一旦黙って、それから続けた。
「同じ電話がもう1度あったら、事務に回すようにしておきます。あなたには落ち度がない。それでいいわね」
「はい」
「それとね」
「はい」
「勤務のことで文句を言われる筋合いは、うちの職員には1つもないから。あなたの夜勤の記録は、全部うちが持ってます」
電話を切って、私は座り込んだ。病院は私が働いていることを知っている。何時に入って何時に上がったかを、全部持っている。あの家にないものを、13年分持っている。それに気づいた時、私は初めて自分に武器らしいものがあるのだと思った。
その日の午後、私は病院の事務室へ電話をかけて、在職と勤務の証明書を頼んだ。「義父が留守にしていた3年分でお願いします」と。理由は聞かれなかった。「3日でできます」とだけ言われた。
夜、私は木曜の夜勤に入った。木曜の夜、病棟は静かだった。消灯後、4号室の患者さんが眠れないと言った。
「痛みますか?」
「痛みはないの。ただ、夜って長いのね」
私は椅子を寄せて、少しの間座った。
「長いです」
「看護師さん、毎晩これ見てるの?」
「毎晩ではないです。月に4回か5回」
「大変ね。ご家族、心配するでしょう」
私は答えなかった。その人は自分で頷いた。
「余計なこと聞いたわね。ごめんなさい」
「いえ」
その人は目を閉じた。廊下の非常灯だけが緑に光っていた。ここでは、誰も私が寝ていることを咎めない。起きていることも咎めない。ただ人が眠り、目を覚まし、朝が来る。それだけの場所だ。義母はその場所を「夜遊びみたいな時間」と呼んだ。
私は詰所へ戻って、記録の続きを書いた。入りの前、詰所で手帳を開いた。10月17日の欄の下に、その週の分を書き足した。日付、時刻、誰が何を言ったか。7年同じ形で書いてきた手帳だ。書き足すのに迷いはなかった。
書きながら、1つだけ引っかかっていることがあった。義母は「鍵を変えた」と言った。自分の判断だけで家の鍵を変えて、それを「鍵」で済ませられる。あの人は、あの家を誰の家だと思っているのだろう。その問いを、私はまだ口に出していなかった。
金曜の朝、夜勤を上がって、私は中のマンションへ帰った。1週間前と同じ時刻だった。7時40分に通用口を出て、自転車で10分、8時前に部屋の鍵を刺した。回った。それだけのことが、こんなに大きいとは思わなかった。
シャワーを浴びて、髪を乾かして、私は畳の上に座った。眠る前に、1つだけやることがあった。義父に連絡する。文面は前の晩から考えていた。考えるほど長くなった。長くなるたびに消した。義母がこう言った。拓也がこう言った。私はこう思った。そういうことを書こうとして、その度に消した。
書き終えたのは2行だった。
「お父さん、今まで本当にありがとうございました。もうあの家には戻らないことにしました」
送る前に、私は一度指を止めた。これを送れば、義父は必ず動く。動けば、あの家で何かが壊れる。義母と義父の40年も、義父と拓也の37年も、多分元には戻らない。私はそれを望んでいるのか。自問して、答えは出なかった。ただ1つだけ分かっていることがあった。黙っていれば、私は勝手に出ていった嫁のままになる。あの家の中で、義母の口から出る話だけが残る。私が7年分働いた時間は、誰の記憶にも残らない。それは嫌だった。金でも謝罪でもなく、それだけが嫌だった。
私は送信をした。それだけを送って、私は携帯を伏せた。
電話が来たのは4分後だった。
「まゆさん」
義父の声は、いつもより低かった。
「はい」
「今、どこにおる?」
「病院の近くです。修士の部屋を借りています」
「いつから?」
「先週の日曜からです。その前の2日はホテルにいました」
義父が黙った。何かを計算している間だった。
「先週の金曜に、何かあったのか?」
私は答えた。長く話すつもりはなかった。事実だけを言った。
「夜勤明けで朝8時に帰りました。玄関の鍵が回りませんでした」
「回らない」
「鍵が変わっていました。インターホンでお母さんが『鍵を変えたわよ』と言いました」
電話の向こうで、椅子の動く音がした。
「鍵を変えた」
「はい」
「拓也は家の中にいたのか」
「私は外に15分くらい経って、8時15分に拓也さんへ電話しました。『まず母さんに謝れば』と言われました」
「拓也は鍵を変えることを前から知っとったのか」
私は少しだけ迷った。それでも言った。言わなければ意味がない。
「『俺も賛成したよ』とも言われました」
長い沈黙があった。息の音も聞こえなかった。やがて義父は、聞き取れないくらいの声で何か言った。もう一度言い直した。
「俺は何を見ておったんだ?」
「お父さんのせいではありません」
「まゆさん、あんた、7月にわしが帰った時、『困ることはないか』と聞いたな」
「聞かれました」
「『大丈夫です』と言ったな」
「言いました」
「なぜ言わんかった?」
私は畳の目を見ていた。窓の外で洗濯物を干す音がした。どこかの部屋の生活の音だ。
「3つあります」
「3つ?」
「1つ目は、3年前に1度だけ拓也さんに『お父さんに相談したい』と言ったことがあります。その時、拓也さんが『親父を巻き込むのか。嫁が義父に告げ口してどうすんだ』と言いました。その日から1週間、家の中で誰も私に話しかけませんでした」
義父が何かを言おうとして、やめた。
「2つ目は、7月にお父さんの腕を見たからです。痩せていました。ベルトの穴が2つ内側でした。工場の立ち上げで泊まり込んでいると聞いていました。そんな人に、こんな話をできるわけがありません」
「3つ目は、私が告げ口をする嫁になりたくなかったからです。それが1番いけなかったと、今は思います」
言い終えて、私は息を吐いた。義父はしばらく黙っていた。それから、はっきりした声で言った。
「俺が悪い」
「お父さん」
「そんなあんたが言わんかったのは、家ん中にわしがおらんかったからだ。3年、2、3ヶ月に1度帰って、3日だけ機嫌のいい家を見て、それで安心しとった。安心したかっただけだ」
私は返す言葉を持たなかった。義父はもう1つ聞いた。
「その鍵を変えた業者は、いつ来た?」
「向かいの大谷さんが、木曜の夕方に見たそうです。青い車で2人来たと」
「木曜の夕方」
「私が病院へ出た後です」
義父が息を吸うのが分かった。
「まゆさん、その話、拓也は何と言っとる?」
「最初は『今朝だ』と言いました。次に『母さんがやったから知らない。俺は寝てた』と。その後に『母さんが聞かないんだから仕方ないだろ』と」
「3つとも違うな」
「はい」
「まゆさん、もう1つだけ聞かせてくれ」
「はい」
「母さんは、あんたの勤務を何と言っとった?」
私は答えていいものか迷った。義父に妻の言葉を伝えるのは「告げ口」だと言われたことだ。それでも言った。もう「告げ口」という言葉に負けないと決めていた。
「『夜遊びみたいな時間』と。近所の方には『うちの嫁は夜のお勤めで』と話していました」
義父が何かを机に置く音がした。
「わしが単身赴任に出る時、母さんに言ったんだ。『まゆさんは夜も働く人だから、昼間は静かにしてやってくれ』と」
私は目を開いた。
「そんな話は聞いていません」
「言ったんだ。玄関であんたの前で言ったつもりだった」
「私が聞いたのは、『まゆさんのことは頼んだぞ』だけです」
「そうか」
義父はそこで一度、大きく息を吐いた。
「じゃあ母さんは、わしの前でだけ聞いておったんだな」
また沈黙があった。今度は短かった。
「まゆさん、聞いてくれ。あの家はわしの名義だ。わしが建てて、わしが払って、わしの名前で登記してある。母さんの名義でもなければ、拓也の名義でもない」
「はい」
「わしに一言もなく、その家の鍵を変えた」
義父の声が変わった。怒っているのではなかった。何かを1つずつ確かめる声だった。
「わしは帰る。仕事は調整する」
「お父さん、無理はなさらないでください」
「無理ではない。順番だ」
順番。4日前、弁護士の部屋を出た時に、私が自分でまとめた言葉と同じものだった。
「1つだけ頼みがある」
「はい」
「あんたは何もせんでくれ。あの家に帰らんでくれ。荷物も取りに帰らんでくれ」
「はい」
「あれはわしの家で、これはわしの息子だ。わしが始末をつける」
「お父さん」
「なんだ」
「拓也さんのことは、攻めないでください」
言ってから、自分でも変なことを言ったと思った。義父の返事は短かった。
「それはあんたが決めることじゃない」
「はい」
「まゆさん、37の男が自分の妻を家から閉め出して、それを母親のせいにしとる。攻める攻めないの話じゃない。それを見過ごしたら、わしは37年、何を育てたことになる?」
私は何も言えなかった。
「あれはわしの息子だ。だからわしが言う」
電話が切れた後、私はしばらく携帯を持ったまま座っていた。あの家で私に味方はいなかった。いなかったのではなく、遠くにいたのだ。そして遠くにいた人は、3年分の空白を1本の電話で全部知った。
眠る前に、私はもう1度手帳を開いた。7年分の手帳は押入れの青い箱の中だ。手元にあるのはその年の分だけ。それでも10ヶ月分ある。「入り17時、上がり7時30分、帰宅8時」。同じ行が何十も並んでいた。その中に1行だけ違う行がある。「8時、玄関の鍵が回らず」。私はその行を指でなぞった。指はそこで止まった。7年間、私はこの手順を何のために書いているのか分からなかった。分からないまま書いていた。今も分からない。ただ、書いておいてよかったとは思った。
その日、私はよく眠った。夕方に目が覚めると、義父から1行だけ届いていた。「次の水曜に帰る。それまで何も動かんでくれ」。
「分かりました」とだけ返した。
その夜、私はもう一度、拓也の3つの言い分を並べ直した。「その朝に変えた」「母さんがやった」「母さんが聞かない」。並べても、やはり3つとも噛み合わなかった。
翌日の土曜、私は日勤だった。病院は土曜でも動いている。点滴を変え、記録を書き、退院の説明をして、5時に上がった。上がる時、詰所の壁に貼られた翌月の勤務表の下書きを見た。まだ鉛筆書きで、確定して配られるのは月末だ。私の欄には夜勤の印が4つ入っていた。4つ。翌月も、私は4回この病棟の夜を守ることになっていた。
土曜の夕方、佐田さんから電話が来た。声の調子で、いい話でないことはすぐに分かった。
「まゆさん、今日ね、うちで法事の打ち合わせがあったの。恵津子さんも拓也さんも来てたわ」
「そうですか」
「あのね、聞いて欲しくない話かもしれないけど、私は言っておこうと思って」
私は畳の上に座り直して、手帳を膝に置いた。
「お願いします」
佐田さんの話は、そこから30分続いた。座敷に8人いたそうだ。義父の親戚が6人と、義母と拓也。法事の日の話が終わった後、義母が湯のみを置いて言い出したという。
「うちの嫁ね。家出したのよ」
「家出?」
「そう、鍵が開かないってだけで大騒ぎして、そのまま帰って来ないの」
それが最初の一言だったと、佐田さんは言った。そこから先は、私がこの家で聞いてきたものと同じだった。ただ、話している義母の他に、それを聞いている人が7人いた。
「あの子は昼間ずっと寝ている。嫁なのに家事もしない。夜遊びみたいな時間に働く女で、朝帰ってきて昼間寝て、それで奥さんのつもりでいる。もう35過ぎてるのに、あの態度」
私は35だ。義母は私の誕生日を7年、1度も口にしたことがない。
「うちの拓也がかわいそうよ。あんなお嫁さん、私が選んだわけじゃないもの」
佐田さんはそこで一度、義母の話を遮った。
「恵津子さん、まゆさんは看護師さんでしょ? 夜勤は仕事よ」
そう言ったのだ。そうだ。帰ってきたのはこうだった。
「仕事なら何でも許されるの? うちは家庭なのよ」
座敷が静かになったという。それだけじゃないの。佐田さんは声を潜めた。
「あのね、恵津子さんが、あなたの給料の話まで始めたのよ。『看護師さんは手当てがつくから、うちの拓也より稼いでるんですよ』って。『それを自分のために使ってるんです』って」
私は目を閉じた。毎月1日、私は10万円の入った封筒を台所のテーブルに置いていた。1度も欠かさずに、84ヶ月分だ。その封筒を引き出しに入れていた人が、座敷でその話をしていた。
「佐田さん、私は毎月生活費を渡していました」
「いくら?」
「10万円です」
電話の向こうで、佐田さんが何かを言いかけてやめた。
「それ、集一さんは知ってるの?」
「知らないと思います」
佐田さんはそれきり、その話には触れなかった。佐田さんは続けた。
「それでね、まゆさん、私が1番びっくりしたのはそこじゃないの」
「はい」
「恵津子さんがね、こう言ったのよ。『あの子も、もうそろそろ夜の仕事はやめるって言ってたんですけどね』って」
私は手が止まった。
「私、そんなことを言ったことがありません」
「そうよね。だから私、変だと思ったの」
「1度もありません。誰にも」
「恵津子さんね、その言い方が慣れてるのよ。今日思いついた言い方じゃないの。何度も言ってきた人の言い方だった」
私は膝の上の手帳を見た。手が動かなかった。夜の仕事をやめる。私が言っていないことが、義母の口から出て、この7年、親戚と近所を回っていた。
「拓也さんは、何か言いましたか?」
佐田さんの声が低くなった。
「拓也さんはね、最後にこう言ったの。『まあ、あいつも大人になればいいんですけどね』って」
「大人になれ」。私はその言葉を何十回聞いただろう。それから、恵津子さんがもう一度言ったのよ。
「私、それを聞いて帰ってきたの。『なんと、役立たずの嫁は外で反省すればいいのよ』って」
さらに、拓也のことがあった。佐田さんによると、拓也は座敷でほとんど喋らなかったという。義母が話し、親戚が困り、佐田さんが止め、また義母が話す。その間、拓也は自分の湯のみを両手で持って、下を向いていたそうだ。1度だけ、誰かが聞いた。
「拓也さん、まゆさんとは連絡取れてるの?」
拓也はこう答えたと言う。
「向こうが取らないんですよ」
私は毎日、「必要なことだけにしてください」と返していた。返信をしていた。「取らない」と「必要なことだけ」は違う。違うのに、座敷で残るのは前の方だ。私はそれを責める気にもならなかった。この人はいつもそうやって、その場で1番楽な言い方を選んできた。母を怒らせない言い方、親戚に呆れられない言い方。その度に削られるのは私だった。削られていることに、この人は多分気づいていない。
電話の向こうで、佐田さんが息を吐いた。
「まゆさん、私はね、恵津子さんの言うことを信じませんよ。集一さんの姉として、それだけは言っておきたかったの」
「ありがとうございます」
「あなた、ちゃんと食べてるの?」
「食べています」
「嘘。声で分かるわよ」
私は笑ったつもりだったが、うまく音にならなかった。
電話を切ってから、私はその内容を全部書いた。日付、時刻。誰が何を言ったか、誰がそれを聞いたか。書き終えて、ペンを置いた。そこで涙が出た。門の前で立たされた時も、鍵が回らなかった時も、夫に「賛成した」と言われた時も出なかったのに、書き終えたペンを置いた瞬間に出た。悔しいのではなかった。私があの家でやってきたことは、あの座敷では1行も存在しなかったのだ。夕食の下ごしらえも、明けの日の洗濯も、毎月1日にテーブルへ置いた封筒も、義父の布団を干したことも、何ひとつあの8人の耳には届いていない。届いていたのは、「昼間寝ている嫁」だけだった。
私は立ち上がって、台所で湯を沸かした。湧くまでの間、窓の外を見た。病院の裏の道を、夜勤の看護師が自転車で坂を上がっていく。7年前、私もああやって坂を上がっていた。あの頃の私は、家に帰れば布団があると思っていた。ご飯があると思っていた。夜勤明けの朝に「お帰り」と言われると思っていた。思っていただけだった。
湯が湧いた。私は茶を入れて、両手で湯のみを持った。新しい湯のみだ。マンションの備え付けの白いもの。青い焼き物の母の湯のみは、もうこの世にない。かけてもいないのに捨てられて、ゴミの袋と一緒に出された。あの時、私は礼を言った。7年間、私は礼を言い続けてきたのだ。取り上げられるに。
その晩、大谷さんからも電話が来た。
「まゆさん、余計なことばっかり言ってごめんなさいね。でも、もう1つだけ」
「はい」
「恵津子さんね、ずっと前から言ってたのよ。『うちの嫁は、そのうち夜の仕事をやめる』って」
「前からというと?」
「うーん。私が聞いたのは、何年も前よ。お父さんが単身赴任に行ってすぐくらいから。3年前。そうね、そのくらいから、会うたびに言うの。『もうすぐやめさせるから』って」
やめさせる。「やめる」ではなく「やめさせる」。
「大谷さん、それ、確かですか?」
「確かよ。私、その度に『まゆさんのお仕事は立派なのにね』って思ってたもの。だから声をかけようとして、いつも途中でやめてたの。ごめんなさいね」
私は礼を言って、電話を切った。畳の上に手帳と携帯が並んでいた。
7年間、私は義母のことを「夜勤が理解できないだけの人」だと思っていた。分からないから文句を言うのだと思っていた。違うのかもしれない。分かっていて、やめさせようとしていたのだとしたら。そう考えた時、あの家の出来事が全部、違う形に見え始めた。
その夜、私は眠れなかった。布団に入って天井を見ていると、昔のことが順番に浮かんできた。結婚が決まった時、義母は私の勤務先を人に紹介するのが好きだった。「うちの嫁は看護師さんなの」と言っていた。あの時は自慢だったのだ。何が変わったのだろう。考えて、1つ思い当たった。義父が家を出た年から、義母は変わった。夫がいなくなって、家の中に自分と、帰りの遅い息子と、夜にいなくなる嫁だけになった。夜、あの家には義母が1人になる。そう考えた時、少しだけ何かが見えかけた。見えかけて、また消えた。私は照明を消して、目を閉じた。
翌日は日勤だった。眠らなければならない。眠らなければ、人の点滴を触る資格がない。それだけを自分に言い聞かせて、私は目を閉じ続けた。
水曜の昼、私は義父から短い連絡をもらった。「今から出る。夜に電話する」。それだけだった。私は返事を打たずに、部屋の掃除をした。掃除と言っても6畳で、拭くところもない。それでも雑巾を絞って、窓の桟を拭いた。手を動かしていないと、色々考えてしまう。考えていたのは義父のことだった。62歳、3年単身赴任で新工場を立ち上げてきた人だ。その人が仕事を調整して、平日に3時間半の運転をする。何のためかと言えば、嫁が家に入れなかったからだ。私はそれを申し訳ないと思った。同時に、申し訳ないと思う自分に腹が立った。悪いことは1つもしていない。夜勤に行って、朝帰っただけだ。それなのに、なぜ私が申し訳ないのだろう。7年で、そういう考え方が体に染みついていた。
水曜の夜9時半に、義父から電話が来た。私は中の部屋にいた。翌日が夜勤なので、その日は何もせずに過ごしていた。
「まゆさん、今いいか?」
「はい。お帰りになったんですね」
「帰った。今は駅前のホテルにおる」
「ホテルですか?」
「うん」
義父はそれから、1つずつ話した。声はゆっくりだった。話しているというより、自分で確かめながら並べているようだった。
その日、義父は午後2時に工場を出て、3時間半かけて車を走らせ、6時前に家に着いたという。連絡はしなかった。するとまた3日分の芝居を見せられると思ったからだと、義父は言った。門に入って、玄関の前に立った。鍵を出した。30年、同じ鍵を使ってきた。刺した。回らなかった。
「私は目を閉じた」
「もう1度刺した。奥までは入る。入るが回らん」
「はい」
「わしはその時、正直に言うと鍵を間違えたと思った。工場の寮の鍵と間違えたかと。それで両方を見た。合っとった」
「はい」
「30年、自分が建てた家の玄関で、鍵が回らんかった」
義父はそこで一度、言葉を切った。
「まゆさん、あんたはあの朝、あそこで15分くらい経っとったんだな」
「はい」
「わしは5分だった。5分でおかしくなった」
インターホンをしたそうだ。義母が出た。「あら」と言ったという。「お帰りなさい。連絡くらいくれればいいのに」。そして玄関のドアが開いた。義母が新しい鍵を手に持って立っていた。
「鍵ね。変えたの?」
「前のが古かったから」
「誰の許可で変えた?」
義父はそう聞いた。玄関に入りもせず、たたきの手前で聞いた。義母の顔から表情が消えたと、義父は言った。
「そんなの、許可なんて。家にいないんだから」
「わしがおるかおらんかの話はしとらん。誰の許可で変えたかを聞いとる」
「だって、あの嫁が」
「理由を聞いとるんじゃない」
義父はそこで声を大きくはしなかったという。ただ、1度だけ言葉を直した。
「この家はわしの名義だ。誰の許可で鍵を変えた?」
義母は答えなかったそうだ。そこへ拓也が出てきた。仕事から帰って、まだネクタイを緩めたところだったという。
「親父、帰ってたのか」
「ああ。まゆから何か聞いた?」
「あいつ、大げさなんだよ」
「大げさか」
「そうだよ。ちょっと外で待たせただけで、離婚だとか言い出して」
「拓也、お前は止めなかったのか?」
拓也はしばらく黙ったそうだ。それから、こう言った。
「俺もちょっと反省させた方がいいと思って」
「夜勤明けで帰ってきた自分の妻を、家から閉め出したのか」
「閉め出したっていうか」
「それで自分だけ家の中におったのか」
拓也は何も言わなかったという。
「答えろ」
「うん」
玄関が静かになったそうだ。義母が口を挟んだ。
「だってね、お父さん。あの子は昼間ずっと寝てるのよ。嫁なのに家事もしないで」
「夜勤だからだろう」
「でも、お前が寝とる時間に、あの人は働いとるんだ」
私は電話を持ったまま、畳に座っていた。その一言を聞いた時、私は自分の呼吸が止まっているのに気がついた。誰も言わなかった言葉だった。難しいことは何ひとつ言っていない。ただ事実をそのまま言っただけの言葉だ。誰もそれを言わなかった。
電話の向こうで、義父が言葉をついだ。
「もう1つ、母さんが言った」
「はい」
「わしがなぜ連絡もせずに帰ってきたのかと聞いたら、母さんはこう言った。『まゆさんが変なことを吹き込んだんでしょう』と」
「私が」
「そうだ。それでわしは聞いた。『まゆさんは何を吹き込んだと思う?』と。お母さんは答えられんかった」
義父はそこで1つ息を吐いた。
「まゆさんが送ってきたのは2行だ。『ありがとうございました』と『もう戻らないことにしました』だ。あれのどこが吹き込みだ?」
私は膝の上の手を見ていた。
「わしはそれも母さんに言った。『2行しか来とらん』と」
「お母さんはなんと」
「『それが余計に腹が立つ』と言った」
その言い方は、義母らしかった。言われたことより、言われなかったことの方に腹を立てる人だ。私が7年何も言わずに耐えてきたことも、多分この人にとっては腹の立つことだったのだろう。
「まゆさん」
「はい」
「その後、2人が言い出したことがある。あんたに言うべきかどうか、わしはホテルで1時間考えた」
「何ですか?」
「母さんが『拓也が業者を呼んだ』と言った」
私は顔を上げた。
「拓也は『母さんが言い出したんだ』と言った」
「2人とも」
「うん。玄関で、わしの前で、互いにそう言った」
義父の声は淡々としていた。
「わしはそこで、それ以上聞くのをやめた」
「なぜですか?」
「2人の口から出たものは、もう当てにならん。片方が嘘なら、両方が嘘かもしれん。人の言葉で決めるのはやめる」
義父はそのまま続けた。
「拓也にも1つ聞いた」
「はい」
「『お前、まゆさんが何時に帰ってくるか知っとったのか』と」
私は携帯を持ち直した。
「拓也は『知ってたよ』と言った。『8時だろ』と」
「8時?」
「そうだ。8時に帰ることを知っていて、あの朝、家におった」
「はい」
「わしはそこでもう1つ聞くべきだった。あれは平日の朝だ。なぜあの日に限って会社を休んだのかと。だが、聞かんかった」
「なぜですか?」
「聞けばまた言い訳が出る。人の口はいくらでも動く」
義父の声がそこで固くなった。
「わしはもう、あの2人の口を当てにせん」
義父はそこで黙って、それから言った。
「紙で決める。業者に聞く。この家の持ち主はわしだ。わしの家の鍵が、誰の名前で、いつ、何のために変えられたのか。それは残っとるはずだ」
私は聞いた。
「お父さん、今日はお家には泊まらないんですか?」
「新しい鍵を出されたが、受け取らんかった」
「受け取らないと、入れません」
「入らんでいい」
義父の声が、そこで初めて揺れた。
「わしは今日、あの家に入れんかった。30年、自分で払ってきた家にな。それがどういうものか、5分で分かった。あんたは15分だ。しかも夜働いた後で」
私は答えられなかった。
「明日、業者へ行く。まゆさん、あんたはまだ何もせんでくれ」
「はい」
「それと、1つだけ」
「はい」
「あの朝、あんたは誰かに助けを求めたか?」
おかしな質問だった。私は思い出して答えた。
「求めませんでした。求める相手が思いつきませんでした」
「そうか」
義父はそれだけ言って、電話を切った。
電話を切ってから、私はその内容を全部書いた。誰が何を言ったか。義父が5分経ったこと。義母が新しい鍵を持って出てきたこと。2人が互いのせいにしたこと。書きながら、手が少し震えていた。嬉しいのではなかった。怖かったのだ。あの家で長いこと積み上げられてきたものが、たった一晩で崩れる音がした。崩れたら、その下から何が出てくるのか分からない。
私は書き終えて、ペンを置いた。窓の外は暗かった。病院の白い建物の、当直室の窓だけが光っていた。あそこには誰かがいる。夜通し起きている人がいる。翌日は、私があそこにいる番だった。
木曜の朝、私は夜勤に備えて寝ていた。昼の1時に携帯が鳴って、目が覚めた。義父だった。
「悪い。起こしたか?」
「大丈夫です」
「今、業者から出てきた」
私は体を起こして、壁に背中をつけた。
「どうでしたか?」
まず行った先の話をする。義父はそういう話し方をする人だ。順番を飛ばさない。店は家から車で20分の街道沿いで、「三雲防犯設備」という名前だったという。青い看板に鍵の絵。大谷さんが見た車と同じ絵だ。義父は身分証と、家の登記の写しを持っていった。
「登記の写しですか?」
「法務局で撮った。今朝一番で言った。自分の家の証明を自分で取りに行くことになるとは思わんかったが」
応対したのは、鍵屋の「井」という52歳の職人だったそうだ。義父が要件を言うと、井さんは奥から1冊のファイルを持ってきた。
「柏木様のお宅ですね。工事は10月16日に伺っております」
「16日?」
「はい。木曜日の夕方でした。私が入りました」
義父はそこでまず日付を確かめた。
「17日ではないのか?」
「16日です。伝票にもそう入っています」
私は電話の向こうで、義父の指がテーブルを叩く音を聞いた。
「まゆさん、あんたが閉め出されたのは17日の朝だな」
「はい」
「鍵はその前の日に変わっとおった。大谷さんが見た通りです」
「そうだ。あの人が正しかった」
井さんは署名を出す前に、1つだけ確かめてきたそうだ。
「立ち入ったことをお伺いしますが、今、何かお困りでしょうか?」
義父は正直に答えたという。
「息子の嫁が、夜勤明けにこの家へ帰って入れんかった」
井さんはしばらく黙って、それからこう言ったそうだ。
「私どもはお客様同士のお話には入りません。それは決めております」
「分かっとる」
「ただ、うちは年に何件かこういうご相談をいただきます。変えた方から来ることもあれば、変えられた方から来ることもあります」
「どちらが多い?」
「どちらとも申し上げません」
井さんは工具の並んだ台に手を置いて、それだけ言ったそうだ。義父はその答え方が気に入ったらしい。
「何も言わんのに、こっちが分かるように言う人だった。ああいうのを仕事のできる人という」
それだけではなかった。井さんはもう1枚めくっていったそうだ。
「お見積もりのご依頼は、10月10日に頂いております」
義父が聞き返した。
「10月10日?」
「10月10日です。お電話を頂いて、その日のうちに下見に伺いました。表札に鍵が並んだ、複製のしにくい鍵でしてね。在庫のない型がありまして、取り寄せに数日いただくんです。それで工事が16日になりました」
10月10日。その日付なら、私はもう手帳に書き込んでいた。余白に小さく印をつけてある。10月10日、金曜。私は日勤だった。入り8時、上がり5時10分。その日に、この家では別のことが起きていた。
「お父さん」
「うん」
「拓也さんが有休を申請したのが、その日です」
電話の向こうで、義父が息を止めたのが分かった。
「なんだと?」
「『先々週の金曜だよ』と、拓也さん本人が言いました。10月10日です」
「同じ日か?」
「同じ日です」
義父はしばらく黙っていた。それから低い声で言った。
「見積もりの電話と有休の申請が、同じ日か」
「はい」
「1時間の反省で有休は取らんな」
「取りません」
「鍵の取り寄せも、またあんな」
「待ちません」
その会話を手帳に書き移した。書きながら、指がまた冷たくなった。「1時間も外にいれば頭も冷えるだろう」。あの言葉は、腹を立てた勢いで出たように聞こえた。違った。あの朝の7日前から、決まっていたのだ。
義父の話はまだ続いていた。
「もう1つ聞いた」
「はい」
「古い鍵はどうなったかと聞いた」
「古い鍵?」
「うん。『うちで預かっております』と言われた。『お引き取りの希望がなかったので、しばらく保管して処分することになっております』と」
私はその意味が、すぐには分からなかった。
「捨てるつもりだったんですね」
「そうだ。30年、あの家の玄関についていたものだ。誰も引き取らんかった」
義父の声が、そこだけ低くなった。
「わしが引き取ってきた」
「今、持っているんですか?」
「車の後ろにある。新聞紙に包んであった」
私は何も言えなかった。その鍵は、私が7年間毎朝刺してきたものだ。カチリと1度止まって、それからもう半回転する、あの音だ。
「まゆさん、これはわしの勝手だ。あんたに渡すつもりもない」
「はい」
「ただ、捨てさせるのは違うと思った」
「それで、お父さん。誰の名前で頼まれていたんですか?」
そこが1番聞きたいことだった。義父の答えは意外なものだった。
「聞かんかった」
「え?」
「その場では聞かんかった」
「なぜですか?」
「井さんに言われたんだ。『お客様のご依頼の内容につきましては、書面をお出しする形にさせてください』と」
「書面?」
「うん。『所有者様ご本人の確認ですので、控えの写しを出しできます』と。ただ、車内の確認がありますので、明日お渡ししますと言われた」
「明日?」
「明日の午前だ。金曜の午前」
私は天井を見た。
「お父さん、電話で聞けば、その場で教えてもらえたんじゃないですか?」
「教えてもらえたかもしれんが。それでは人の口だ」
義父の声は落ち着いていた。
「口で聞いたことは、後で『そんなことは言っていない』になる。わしはもう、それには付き合わん」
「はい」
「紙をもらう。紙に書いてあるものだけで話をする」
私は頷いた。電話では見えないのに。
「まゆさん」
「はい」
「あんたが書き続けてきた手帳も、同じことだ」
私は返事ができなかった。
「明日、紙をもらったら電話する。それまで何も考えんで寝なさい。今夜は夜勤だろう」
「はい」
「じゃあ、切る」
電話が切れた後、私は布団に戻った。布団の中で、私は同じことを何度か反芻した。10月10日に見積もりを取った。10月16日に鍵を変えた。10月17日の朝、私を閉め出した。7日かけて用意して、前の晩に済ませて、朝を待った。その間、2人はどうやって過ごしていたのだろう。10日から16日まで、私は普通にあの家にいた。ご飯を作った。洗濯をした。夜勤に出て、朝に帰った。封筒を渡す日ではなかったが、挨拶はした。「おはようございます」も「行ってきます」も言った。その1週間、あの2人は私に何も言わずに、玄関の鍵が届くのを待っていたのだ。
目を閉じても、その景色は消えなかった。眠れないまま、夕方になった。私は起きて病院へ行った。その夜の夜勤は、いつもと同じだった。消灯前に薬を配り、点滴の残りを確かめ、9時に1人入院を受け、深夜に2回ナースコールが鳴った。午前3時、詰所で記録を書いていると、一緒に夜勤していた後輩が言った。
「柏木さん、最近ちょっと変わりましたね」
「そう?」
「なんか、はっきり喋るようになりました」
私は手を止めた。
「前はどうだった?」
「うーん。聞かれたことに答える感じでした。今は自分から言いますよね。さっきも先生に『この点滴は下の朝に切りましょう』って」
「それは前から言ってたよ」
「言ってなかったです」
後輩は笑って、休憩に行った。私は記録の画面を見たまま、動かなかった。言っていなかったのだろうか。私はあの家で「言わない人」をやってきた。やっているうちに、病棟でも言わなくなっていたのかもしれない。家の中の癖は、家の外まで出る。そのことに、私はその夜まで気づかなかった。
10月10日。その日付を、私は別の場所でもう一度見ることになる。
金曜の朝、私は夜勤を上がった。7時40分に通用口を出て、自転車で10分。部屋に着いてシャワーを浴びて、髪を乾かしている時に、義父から連絡が来た。「10時に店へ行く」。私は返事を打って、そのまま起きていた。眠るつもりだったが、眠れるはずがなかった。
11時20分に、電話が鳴った。
「まゆさん」
義父の声は、前の日と違ってた。低いのではない。何かを飲み込んだ後の声だった。
「もらいましたか?」
「もらった」
「どうでしたか?」
義父はすぐには答えなかった。紙をめくる音がした。車の中にいるのだと分かった。
「その前に、井さんが1つ教えてくれた」
「はい」
「電話をかけてきたのは、男の声だった」
「男の声?」
「うん。『10月10日の午前中、男性のお客様からお電話をいただきました』と言っておった。『お家の鍵を変えたい。できるだけ早く』と」
私は手帳のページをめくった。10月10日、金曜。拓也は会社にいたはずだ。午前中に、会社の外から電話をかけたことになる。
「お父さん、その電話、女性ではなかったんですね」
「男だ。井さんはそこをはっきり言った。『年配の女性からのご依頼と、若い男性からのご依頼は、うちが間違えることはありません』と」
紙の音がした。義父が紙を持ち直したのだと思った。
「今から読む。書いてある通りに読む。わしの言葉じゃない」
「はい」
「作業依頼書。日付、10月10日。見積もりの日ですね」
「そうだ」
「作業日、10月16日。作業内容、玄関鍵交換、上下2箇所。金額、鍵2万6000円、作業費9000円、出張費3000円。合計3万8000円」
私は手帳を開いて、聞いた通りに書いた。
「支払い、現金」
「ここまでは、はい」
義父はそこで1度、息を吸った。
「シランペン」
「シランペン?」
「止めた。『柏木拓也』」
部屋の音が消えた。冷蔵庫のモーターの音も、外の車の音も、一瞬なくなった。
「拓也さんですか?」
「そうだ。『柏木拓也』。字はあれの字だ。わしは37年見とる。お母さんではなく。母さんの名前はどこにもない」
私は自分の膝を見た。「母さんがやったんだから、俺は寝てた」「母さんが聞かないんだから、仕方ないだろう」「拓也が呼んだのよ」と義母は言った。「母さんが言い出したんだ」と拓也は言った。紙に残っていたのは、拓也の名前だけだった。
「井さんに、その日の様子も聞いた」
「16日の夕方ですね」
「そうだ。6時前に着いて、7時前には終わったそうだ。玄関の上下2箇所で、40分ほどの仕事だ。その間、家には男性と年配の女性がおられました、と言っておった」
「2人とも」
「2人ともだ。若い方の男性が立ち合って、鍵は5本渡しました、と」
「5本?」
「そうだ。5本渡して、受け取りの証明をもらっとる。『柏木拓也』」
私は数えた。あの家の人間は、義母と拓也と私と義父の4人だ。5本のうち、私に渡ったものはない。そして義父にも、1本も届いていない。
「お父さん、その5本は、今どこにあるんでしょう?」
「知らん。わしは受け取っとらんからな」
義父の声は乾いていた。
「わしの家の鍵が5本できて、わしの手には1本もない。それが半月前から続いとる。4人しかおらん家で、なぜ5本なのかも、わしは聞いとらん」
まだある。義父の声が続いた。
「所有者欄」
「所有者」
「この用紙にはな、建物の所有者を書く欄がある。『所有者ご本人か。そうでない場合は、ご関係を書きください』と印刷してある」
「拓也さんはなんと」
「『本人所有』に丸がついとる。その下に署名がある。『柏木拓也』」
口の中が乾いた。その家は義父の名義だ。30年前に義父が建てて、義父が払って、義父の名前で登記されている。拓也の名義ではない。
「業者さんは、それを信じたんですね」
「井さんはそう言った。『私どもは登記までは調べません。調べる権限がありませんので』と。ただ、その前にこうも言われた。『あの日、玄関で一度止めました』と」
「止めた?」
「うん。見積もりに伺った日に申し上げたそうだ。『ご家族の方が中へ入れなくなる工事は、後で必ず揉めます。所有者様のご了解を一筆いただけませんか』と。拓也さんは『俺が所有者だ。母も承知している』と答えたそうだ。そう言われたら、業者はそれ以上は言えん。書面に書いてもらう。井さんはそう言っておった」
「はい」
「それでな、まゆさん。井さんは最後に頭を下げた」
「業者さんが」
「うん。『結果として、所有者様のご了解のないまま作業してしまいました。申し訳ありません』と」
私は目を閉じた。悪いのはその人ではない。それでも、その人が頭を下げた。頭を下げなかった人たちは、あの家にいる。
「お父さん、まだ何かありますか?」
義父はしばらく黙った。
「ある」
「はい」
「工事理由欄がある」
私は待った。
「読むぞ」
「はい」
「『同居している女性が無断で出入りするため』」
私は聞き返さなかった。聞き返せなかった。同居している女性。7年、あの家に住んだ。毎月10万円を入れた。夕食を作った。義父の布団を干した。2階の部屋で、あの人と7年寝起きした。その私の名前は、その紙のどこにもない。
台所で水を飲んだ。コップを置いた時、手がまだ震えていた。怒りだと思った。違った。悲しみでもなかった。それは、ずっと薄々気づいていたことを、紙の上ではっきり見せられた時の感覚だった。私はあの家で、家族ではなかった。嫁でもなかった。「同居している女性」だった。そう書かれて初めて分かったのではない。そう書かれて、ようやく認めることができたのだ。
「まゆさん」
「はい」
「あんたの名前は書いてない」
「はい」
「『妻』とも書いてない」
「はい」
「『同居している女性』だ」
義父はそこで一度、紙を置いたようだった。
「わしはこれを読んで、車を出せんかった。30分、駐車場におった」
私は何も言えなかった。「無断で出入りする」。私はその言葉を口の中で繰り返した。私はあの玄関を毎日通っていた。夜勤へ出る時に出て、明けの朝に帰った。カチリと半回転。あの音を、多分2000回は聞いた。それが「無断で出入りする」になった。
「お父さん」
「うん」
「私はあの家に、無断で入っていたことになるんですね」
「ならん」
義父の声が、そこで初めて大きくなった。
「こんなことには絶対にならん。あんたは7年、わしが渡した鍵であの家の玄関を開けてきたんだ。あの鍵はな、わしが自分の手で渡した。覚えとるか?」
私は覚えていた。結婚した日の夜、義父がチャブ台を持ってきた。中に鍵が1本入っていた。「まゆさんの分だ」と言った。それだけだった。
「覚えています」
「わしが渡した鍵で入っとる人間に、無断もクソもあるか」
電話の向こうで、義父が何かを畳む音がした。
「まゆさん、もう1つだけ言っておく」
「はい」
「この紙には、拓也の字しかない。母さんの字は1つもない。あれは母さんに使われたんじゃない。自分で書いて、自分で名前を出した」
「はい」
「だから、母さんのせいにはさせん」
「もう1つだけ聞かせてください」
「うん」
「拓也さんは、その紙に何と署名していましたか? フルネームですか?」
「『柏木拓也』と書いてある。それと、印鑑が押してある」
「印鑑」
「玄関の下駄箱の上に、いつも置いてある印鑑がある。あれだろう。宅配便の受け取りに使う、赤い蓋の印鑑だ。私も何度も使った」
その印鑑で、私を閉め出す紙に印を押された。
「まゆさん、1つわしから謝らせてくれ」
「やめてください」
「聞け。わしが7年前にあんたに渡したのは、鍵1本だ。それだけで、あの家にあんたの場所を作ったつもりでおった」
「十分でした」
「十分じゃなかった。鍵は変えられる」
私は返事ができなかった。
「名義も通帳も、部屋の割り当ても、何ひとつあんたの名前でしとらんかった。あの家の中で、あんたの名前がついとるものは1つもない。だから、あんな紙が書ける」
「お父さん」
「『置いてやった』と母さんは言うんじゃろう。置いてあったつもりの人間は、いつでも出せると思っとる」
義父はそこで1度だけ、声を落とした。
「わしは3年、それを見とらんかった」
私は畳の上に座ったまま、窓の外を見ていた。金曜の昼前で、道を子供が通ることもなく、静かだった。見積もりを頼んだその日に、この人は紙に向かって、私のことを「同居している女性」と書いたのだ。書いて、署名して、印をした。迷わなかったのだろうか。
「お父さん、その紙、私が見ることはできますか?」
「見るか?」
「いえ、まゆさん。私は見なくていいです」
自分でも意外な言葉が出た。
「聞けば十分です。私はもう、その紙を手に取りたくありません」
義父は少し黙って、それから短く答えた。
「分かった。わしが持っとく」
その紙は、それからずっと義父の手の中にあった。電話の最後に、義父はもう1度、一行を読み上げた。
「『同居している女性』」
金曜の午後、私は大谷さんに会っていた。病院の近くの喫茶店まで、わざわざ出てきてくれたのだ。バスを2本乗り継いだという。
「ごめんなさいね。電話じゃ言いにくくて」
大谷さんは鞄から手帳を出した。分厚い、日記のような手帳だった。
「私ね、町内会の役をやってるから、日記を書く癖があるの」
めくったページに、鉛筆で細かく書き込みがあった。
「これ、去年、秋子さんとバス停で一緒になった日。『うちの嫁は、そのうち夜のお仕事をやめさせますから』って。そう言ったのよ。私、その時変だなと思って、書いておいたの」
「去年」
「そう。それとね、その前の年も、あなたの結婚記念日の頃に庭で会った時に、同じことを言われたの。『もうすぐやめさせる』って」
他人の手帳に、私のことが書かれている。
「大谷さん、どうして書いておこうと思ったんですか?」
大谷さんは困った顔をした。
「あのね、まゆさん。あなた、あの家に来てから、だんだん挨拶の声が小さくなったのよ」
「そうですか」
「最初の年はね、まゆさん、『おはようございます』って、こうはっきり言ってたの。それがだんだん会釈だけになって、去年あたりは、こっちを見ないで通るようになった」
私は返す言葉が出てこなかった。自分では分かっていなかった。
「私ね、何度も声をかけようと思ったのよ。でも、よそ様の家のことでしょ。だから、書いておくことにしたの。いつか役に立つかもしれないと思って」
大谷さんはその手帳を鞄にしまった。
「役に立ちました」
「はい。よかった」
土曜の夜、義父からまた電話が来た。その日、義父は昼から家にいたという。ホテルに泊まって、ようやく家に上がった。義母が新しい鍵を持って玄関で待っていて、今度は義父も受け取った。
「そうだ。受け取ったんですね」
「受け取った。話をせんといかんからな。玄関先で立ったままでは終わらん」
義父は台所のテーブルに座って、義母と向かい合ったという。拓也は仕事で、夕方まで帰らなかった。
「まゆさん、母さんの引き出しから封筒が出てきた。あんた、毎月10万円を入れとったな」
「はい。7年間、毎月1日に」
「聞いとらんかった。母さんは1度も、わしに言わんかった」
「母さんに、1つだけ聞いた」
「はい」
「『なぜ、あの人の夜勤をやめさせたかったのか』と」
私は膝の上で手を組んだ。義母は最初、話をそらしたそうだ。「あの子が悪い。口答えする。家事をしない」。義父はその度に、同じ問いに戻した。「なぜ、夜勤をやめさせたかったのか」。同じ問いを4回繰り返したところで、義母は答えたという。
「だって、あなたが4月に帰ってくるじゃないの」
義父はそこで声を落として、私に言った。
「まゆさん、わしの帰任は7月に内示が出とる。母さんにも、同じ月に言った」
「はい。私も7月に伺いました」
「母さんは3年前から、あんたの勤務を愚痴っとった。だが、それはただの愚痴だ。7月にわしの帰任を聞いてから、『いつまでにやめさせるか』という、期限のついた話に変わった」
「母さんは4月から逆算しとったんだ」
「逆算」
「4月にわしが帰ってくる。そうしたら、また前と同じになる。わしが夜勤明けのあんたに『寝なさい』という。母さんが家事を1人でやることになる。それが嫌だった、と言った」
「1人で」
「そうだ。お母さんはこう言った。『お父さんが帰ってくるまでに、あの子が夜勤をやめてくれてれば、うちは元通りになるのにと』」
私は自分の呼吸を数えていた。
「元通りというのは」
「わしは聞いた。『元通りとは何だ』と。母さんは答えた。『私が楽になるのよ』と。それが答えだった」
「もう1つ、母さんは言った」
「これがわしには1番応えた」
「はい」
「『あの子が家にいてくれれば、私が倒れた時も安心でしょう』と」
私は目を閉じた。そこまでは、私も薄々考えていた。考えていたが、口に出したことはなかった。義母の口から出たという事実が、7年分の出来事の形を変えた。「昼まで寝るな」と言われ続けた。「夜遊びだ」と呼ばれ続けた。近所には「あの子はそのうち夜の仕事をやめる」と言われ続けた。どれも思いつきの嫌がらせではなかった。長い時間をかけて、1つの方向へ仕向けられていたのだ。
「お父さん」
「うん」
「私は、介護をするのが嫌だと言ったことは、1度もありません」
「知っとる」
「頼まれれば、多分やりました。私は看護師です」
「知っとる。だからこそ、腹が立つんだ」
義父の声は、そこで初めてはっきりと怒っていた。
「頼めばよかった。頼めば、あんたは考えたはずだ。それを7年、押してやらせようとした。人にやらせるのに、その人を『役立たず』と呼びながら、やらせようとした」
「役立たず」。その言葉が、電話越しに部屋へ落ちた。
「母さんは、多分自分でも気づいとらん」
「気づいていない」
「うん。母さんはな、40年前、同じことをされとる」
私は顔を上げた。
「わしの母親は、きつい人だった。母さんは若い頃、随分言われとった。台所の使い方から、洗濯物の畳み方まで。わしは会社に行っとったから、その時間を見とらん」
「はい」
「母さんはそれを『我慢』だと思っとる。我慢した人間には、次に我慢させる番が回ってくると思っとる。そういう順番があると、信じとるんだ」
私は義母の言葉を思い出した。「家族なら我慢するものでしょう」。
「お父さん、私はお母さんに言いました。『お母さんは我慢して、それで次の人にも我慢させた。私はそこで止めます』と」
「そう言ったのか」
「はい」
義父は一旦黙って、それから言った。
「それでいい。それで正しい」
義父の言い方が、そこで変わった。
「もう1つ、母さんが言ったことがある」
「はい」
「これはあんたに言うかどうか迷った」
「聞きます」
義父は湯のみを置いた。
「母さんはこう言った。『あの子は子供がいないんだから、家のことくらいやってくれてもいいでしょう』と」
7年前、私と拓也は子供を望んだ。望んだ通りにはならなかった。それだけの話だ。その話を、義母は知っている。
「わしは母さんに言った。それは口にしてはならんことだと」
「はい」
「母さんは『何が?』と言った」
私は目を閉じた。「何が?」。その一言だけで、7年分の説明がついた気がした。この人には、多分本当に分からないのだ。分からないまま40年、誰かに我慢をさせ、誰かに我慢をさせられてきた。私はそれをかわいそうだとは思わなかった。分からないことと、やっていいことは、別のことだ。
話はそこで終わらなかった。その日の夕方、拓也が帰ってきたという。義父は拓也にも、1つだけ聞いた。
「なぜ、業者の電話をお前がかけた」
拓也は最初、「母さんに頼まれた」と言ったそうだ。
「母さんは『お前が言い出した』と言った」
「俺が電話しただけだよ。言い出したのは母さんだ」
「なぜ、お前がかけた?」
拓也は答えなかったと言う。義父はもう一度、こう聞いた。
「母さんの名前では頼めんかったからじゃないのか」
拓也は下を向いたそうだ。
「所有者は誰かと聞かれる。母さんの名前では答えられん。だから、お前が自分の名前で『本人所有』と書いた。違うか?」
「違わない」
「なぜ、そこまでした?」
拓也は長く黙って、それから言ったそうだ。
「夜勤をやめさせりゃ、母さんの機嫌が治る。母さんの機嫌が治りゃ、俺は何もしなくて良くなるんだよ」
それが、その日の拓也の最後の言葉だったという。
電話を切ってから、しばらく動かなかった。それから、携帯で口座の入出金の明細を開いた。毎月1日の10万円の出金が、遡れるだけ並んでいた。数えたら84回だった。1度も欠かしていない。夜勤の多い月も、少ない月も、母の一周忌で実家に帰った月も、同じ日に同じ額を下ろしている。84ヶ月、10万円。840万円。私はその数値を、その晩まで足したことがなかった。足す必要がなかったからだ。あれは家に入れる金で、返してもらう金ではない。返してもらうつもりで入れる人はいない。
携帯を伏せて、私はその横に1冊置いた。その年の手帳だ。そこには私の時間が書いてある。「入り17時、上がり7時30分、帰宅8時」。7年分を全部合わせたら、何時間になるのだろう? 夜勤は月に4回か5回、1回が14時間半。年に50回として725時間、7年で5000時間を超える。5000時間。私は夜の病棟にいた。その5000時間が、あの家では「昼まで寝ている時間」と呼ばれていた。数値にすると、腹が立つより先におかしくなってくる。それでも、その数字を紙に書いてみた。840万円。役立たずと呼ばれた7年で、私がこの家に置いてきた金額だ。私はその紙を手帳に挟んだ。挟んで、閉じた。誰かに見せるつもりはなかった。
私を家から締め出した鍵は、義父がいなくなった日から、少しずつ回されていたのだ。
11月5日、水曜の午後2時。私は駅前の法律事務所の会議室にいた。市の無料相談は1回切りだ。私はその週のうちに日向弁護士の事務所へ電話をかけ、着手金を払って、代理人を頼んでいた。長机の片側に私と日向弁護士、向かい側に拓也と義母、机の橋に義父。この場は義父が呼んだ。「話をするなら、第3者のいる部屋である」と、義母と拓也に伝えたのだという。
拓也は黒のスーツで、義母は外行きの服だった。2人とも、私を見なかった。机の中央に、紙が1枚置いてある。作業依頼書の控えの写しだ。義父が持ってきて、そこに置いた。私はそれを手に取らなかった。あの朝からその日まで、1度も自分の手に取らなかった。
最初に口を開いたのは、拓也だった。
「まゆ、俺が悪かった」
私は黙っていた。
「母さんとも距離を置くよ。2人で別のところに住んでもいい。鍵なんてすぐ元に戻すから」
「鍵の問題じゃありません」
「え?」
「鍵は元に戻せば戻ります。古い鍵はお父さんが引き取っていますから、付け替えるだけです。戻ります」
拓也が机の上の紙を見た。私は見ていない。
「私が言っているのは、そこじゃないんです」
「じゃあ、なんだよ」
私は顔を上げて、この人の目を見た。7年、2階の部屋で毎晩隣にいた人の目だ。
「私を締め出したお母さんを見て、あなたが笑ってたことが問題なんです」
拓也の口が開いて、閉じた。
「あの朝、インターホンの向こうで笑い声がしました。2人分です。私は玄関の外でそれを聞きました」
「笑ってない」
「笑いました」
私は言い切った。
「14時間半働いて帰った妻が、家の外に立っている。その音を聞きながら、あなたはお茶を飲んでいた。湯のみの音がしました」
拓也は何も言わなかった。義母が横から口を挟んだ。
「そんなの、笑ったなんて。あなた、被害者ぶらないでちょうだい」
「お母さん」
私はそちらを向いた。
「私は被害者ぶっていません。事実を言っています」
「事実って」
「玄関の外に立っていたのは事実です。中にいたのはお2人です。それ以外に、何を言えばいいんでしょう?」
義母が何かを言おうとして、義父が短く止めた。
「母さん、今日は聞く日だ」
拓也がそこで、机の紙に手を伸ばそうとした。伸ばして、途中でやめた。
「それさ」
「はい」
「母さんに言われたんだよ。俺は電話をかけただけで」
私は待った。待って、それから聞いた。
「拓也さん、あなた今、37歳ですよね」
「は?」
「37歳ですよね」
「そうだけど」
「あの朝、あなたは何て言いましたか?」
拓也は答えなかった。
「『俺も賛成したよ』と言いました。私はそれを覚えています。忘れられません。それは、自分で決めたって、あの日自分の口で言いましたよね」
拓也の指が、机の上で止まった。拓也が顔を上げた。
「まゆ、じゃあ、どうすれば許してくれるんだよ」
その言い方に、私は疲れを覚えた。
「許すとか許さないの話をしていません」
「同じだろ?」
「違います。拓也さん、あの朝から今日まで、あなたは私に1度も聞いていません。『大丈夫だったか』を」
拓也が黙った。
「『夕飯どうする?』『いつまで拗ねてるの?』『いい加減帰って来い』『母さんが心配してる』『夜勤やめないか?』。全部覚えています。写真も撮ってあります。その中に、『大丈夫だったか』はありません」
「そんなの」
「そんなので済むなら、いいんです。でも、私はその日、14時間半働いて帰りました。夜中に急変があって、2時から4時まで走っていました。その後で15分、自分の家の前の外に立ちました」
「15分だろ?」
「はい、15分です」
私は頷いた。
「拓也さん、あなたは『1時間』と言いましたね。『1時間も外にいれば頭も冷えるだろ』と言ったよ。あなたはその1時間、誰かに家の外へ立たされたことがありますか?」
拓也は答えなかった。
「私は15分で分かりました。あの家に私の場所はないということが、15分で分かりました」
義母が横を向いた。
「大げさね」
その一言で、私の中で最後の何かが終わった。そこへ、日向弁護士が口を挟んだ。
「柏木さん、差し支えなければ、その書面のことをご説明いただけますか? 私はまゆさんの代理人として同席しています。今日はまず、事実の確認からさせてください」
義父が机の紙を指で押した。
「これは、うちの玄関の鍵を変えた業者の作業依頼書だ。控えの写しをもらってきた。所有者はわしだ。この家と土地は、30年前からわしの名義になっとる」
「はい」
「この紙の申し込みの欄に、『柏木拓也』と書いてある。所有者の欄には『本人所有』に丸がしてあって、その下にも『柏木拓也』と署名がある。印鑑も押してある」
「工事の理由の欄がある」
義父はそこで声を張った。
「読むぞ。工事の理由。『同居している女性が無断で出入りするため』」
義母の顔から色が引いた。
「拓也、お前が書いたな」
「業者の人が、理由を書いてくださいって言うから」
「なぜ『まゆ』と書かんかった?」
拓也は答えなかった。
「なぜ『妻』と書かんかった?」
沈黙が長かった。空調の音だけがしていた。
「7年、一緒に住んで、飯を食って、同じ部屋で寝た人間だぞ。それをお前は、紙の上で『同居している女性』と書いた」
義父は紙を指で抑えた。
「わしはこの一行が、1番応えた」
私はその時初めて、机の紙の方を見た。字は読まなかった。読まなくても、その一行は入っている。
義母が顔を上げた。
「え?」
その声だけが、部屋の中で妙に大きかった。
「拓也、あんた、私の名前で頼んだんじゃなかったの?」
「母さんの名前は、この紙のどこにもない」
義父は義母の方を見なかった。紙を見たまま言った。
「拓也が自分の名前で頼んだ。自分の家だと言って頼んだ。わしの許可は1度も出とらん」
義母が拓也を見た。拓也は下を向いていた。私はそのやり取りを見ていた。私はこの2人が組んでいるものだと思っていた。組んでいたのではない。楽な方へ体を寄せるもの同士は、こういう場ではまず互いを見る。
日向弁護士がペンを置いた。
「柏木さん、確認させてください。ご家族はその建物に無償でお住まいですね」
「家賃は取っとらん。まゆさんは母さんに毎月10万円を渡しとったが、それは生活費で、家賃ではない」
「使用貸借と言います。家賃を取らずに身内に貸している関係のことです。お話を伺う限りでは、そう整理される場合が多いと思います。貸しているのがお父様、住んでいるのがご親族ご夫婦ということになります」
弁護士はそこで一度、言葉を選ぶように置いた。
「無償でお住まいの方に出ていっていただく場合、いきなり通知して終わりというやり方は取りません。転居先の目星、費用の負担、いつまでに、という3つをこちらから示して、書面で伝える。応じていただけない時に、次の手続きを考える。順番を踏んだ方が、結局は早く終わります」
日向弁護士は義父の方へ軽く頭を下げた。
「今のは一般的な手順のご説明です。柏木集一さんご自身のお手続きまでは、私ではお引き受けできません。そちらは別の先生にご相談ください」
その順番である。義父は鞄からもう1枚出した。今度は自分で書いたものだった。
「拓也、読め」
拓也が紙を受け取った。手が震えていた。
「来年の3月末までに、あの家を出ろ」
義母が椅子から腰を浮かせた。
「お父さん」
「引っ越し金と引っ越しの日を、わしが立て替える。借用書を書け。月々いくらでいい? わしが生きとるうちに返せ。物件はお前が自分で探せ。3月末まで、5ヶ月ある」
「親父、待ってくれよ」
「待たん」
義父の声は大きくなかった。
「お前はもう37だ。自分の家庭も守れんかったのに、自分の生活だけは親の家でやるのか」
拓也が何かを言おうとした。義父は言い終わるまで待って、それから続けた。
「これはな、まゆさんの仕返しじゃない。わしが37年やってきたことの始末だ」
義母が立ち上がった。
「嫁1人のために、そこまでするの」
その一言で、部屋の空気が変わった。義父が初めて、義母の方を向いた。
「嫁1人じゃない」
「だって」
「人を家から閉め出して笑えるお前がおるとは、わしは知らんかった。40年おって、知らんかった。それがわしの始末だ」
部屋が静かになった。日向弁護士が私の方を見た。
「柏木さん、何かおっしゃりたいことがあれば」
私は頷いた。鞄から2つ出した。その年の勤務表と、手帳だ。机の上に置いて、開いた。開いたのは、一度きりだ。
「お母さん、これが私の勤務表です。夜勤の日に印がついています。冷蔵庫の脇に7年間張ってあったものと同じものです」
義母は見なかった。
「見なくてもいいです。事実は変わりませんから」
私は手帳を開いた。
「こっちは私の手帳です。入りの時刻と、上がりの時刻と、家に着いた時刻だけを書いています。7年分あります。押入れの青い箱の中に」
私は指でそのページを押さえた。
「10月17日。入り17時、上がり7時30分。8時、玄関の鍵が回らず」
誰も何も言わなかった。それから、鞄からもう1つ出して、机に置いた。
「病院が出した勤務の証明書です。お父さんが留守にしていた3年分の、入りと上がりの時刻が全部入っています。私が自分で頼んで、受け取りました。この場にある紙で、私が用意したのは、勤務表と手帳と証明書だけです。机の真ん中にあるあの依頼書を書いたのは、私ではありません」
「お母さんは、私のことを『役立たず』だとおっしゃいました。何度も。座敷でも、近所でも」
義母は下を向いていた。
「私はそう言われながら、この家の役に立とうとしていました。夜勤明けに洗濯をして、買い物をして、夕食の下ごしらえをして、それから2時間だけ寝ました。頼まれてもいないのに、やりました。やらないと言われるからです」
私は手帳を閉じた。
「家を出て分かったことがあります」
私は義母を見た。義母はまだ下を向いていた。
「私が役立たずだったんじゃありません。私を大切にしない場所で、必死に役に立とうとしていただけでした」
義母の肩が、少しだけ動いた。
「それは、もうやめます」
私は3つとも鞄に戻した。机の中央の紙に触れないまま、私は椅子を引いて立った。帰り際、私は事務所のドアを自分で開けて出た。誰かに開けてもらう必要は、もうなかった。
離婚が成立したのは、翌年の2月だった。協議で決まった。財産は算定通りに分けた。慰謝料は請求しなかった。拓也は1度だけ、「鍵を元に戻した」と言った。
「もう新しいのじゃない。前のやつに戻してもらった」
私は「そうですか」とだけ答えた。戻したのは玄関の鍵であって、あの朝ではない。それは言わなかった。
私は旧姓に戻った。柏木まゆ。協議の途中で、義母から手紙が来た。便箋を切ると、罫線が1枚。「私も苦労したのよ」という話が半分と、「拓也をよろしく」が半分だった。謝罪はなかった。私はその手紙を捨てなかった。青い箱に入れてある。
名札を変えた日、相馬主任が事務室の前で言った。
「字の並びが戻ったわね」
「戻りました」
「最初は自分の名札でも探すわよ」
7年前と同じことを言われて、私は笑った。
荷物は、義父が立ち合って、業者に梱包してもらった。7年分の手帳は、1冊も欠けていなかった。ダンボールが6つ届いた日、私はそれを新しい部屋で開けた。開けながら、1つずつ確かめた。コートが2着、看護学校の教科書が4冊、母の写真が1枚。青い箱が1つ。7年、あの家から出てきたのは、それだけだった。ダンボール6つに収まる量だ。少ないと思った。そして、それで良かったと思った。
あの家には、あの朝から1度も入っていない。玄関の前にも立っていない。その後のことは、義父から聞いた。拓也は3月の終わりに家を出た。会社まで40分の、1部屋だけのアパートだそうだ。引っ越し金は義父が立て替え、拓也は借用書を書いたと聞いている。義母は近所で、しばらく何も話さなくなったらしい。話す材料がなくなったのだろう。「夜の仕事をやめる嫁」は、もういない。
義父は4月に帰任した。義母とは、以前のようには戻っていないそうだ。
「玄関の鍵は、そのままにしてある。変えたら忘れるからな」
義父はそう言ったという。もう1つ、義父から聞いた。帰任してすぐ、家の通帳と印鑑を自分の手元に戻したそうだ。
「嫁に任せきりにしとったのが、間違いだった」
と言っていた。義母はそれきり、「置いてやった」とは言わなくなったそうだ。
佐田さんからは年賀状が来た。1行だけ、こう添えてあった。「あなたのお仕事は立派です」と。大谷さんとは、年に2度ほど電話で話す。バス停の話はもうしない。庭の花の話をする。
私は病院の裏のマンションに移った。家賃は7万5000円で、自転車で12分。年が明けてから、私は夜勤を増やした。減らしたのではない。自分で選んで、増やした。日勤の看護師が家庭の都合で夜に入れない日は、私が引き受ける。
病棟は変わらない。私はそこで「柏木さん」と呼ばれていた。今は「柏木さん」と呼ばれている。呼ばれ方が変わっても、やることは同じだ。点滴を確かめて、痛みを聞いて、記録を書く。
夜勤明けの朝、私は8時前に部屋へ帰る。鍵を刺すと、すんなり回る。カチリと、もう半回転。シャワーを浴びて、カーテンを閉めて、布団に入る。誰も階段を上がってこない。誰も掃除機のコードを引き出さない。静か。声に出して言ってみたことがある。返事はない。ないのが良かった。
部屋には湯のみが1つある。百均で買ったものだ。青い焼き物の小さなもので、母のものの代わりにはならない。それでも、私はそれで麦茶を飲む。誰にも捨てられない。
5月の終わりに、義父から電話が来た。
「元気か?」
「はい」
「今日は休みか?」
「夜勤明けです」
少し間があった。義父は言った。
「なら、夜通し働いたんだから、今日は何もしなくていい。寝なさい」
同居していた頃、夜勤明けの朝に義父がいつも言っていたのと同じ言葉だった。私は電話を切ってから、笑った。
先月、後輩が夜勤の相談に来た。家の人が夜勤を辞めて欲しいというのだという。私は自分の話をしなかった。代わりに、こう言った。
「勤務表を見せてご覧。何時に入って、何時に上がるか。それを紙で見せて。それでも同じことを言われるなら、それは仕事の話じゃないよ。あなたを家に置いておきたいだけの話」
後輩は頷いて、帰っていった。
あの家で、私はずっと「役立たずな嫁」と言われていました。でも、家を出て分かったんです。私が役立たずだったんじゃない。私を大切にしない場所で、必死に役に立とうとしていただけでした。
今も夜勤は続けています。これからも続けていきたいと思っています。そして、あの朝以来、私は本当に1度も、あの家へ帰っていません。



