「フリーのエンジニアなんて得体の知れない奴によく8年も任せてきたものだ」——初対面の挨拶代わりに、新部長はそう言って笑った。8年間、夜中でも呼ばれれば駆けつけ、この工場の機械を守り続けてきたのは俺だ。なのに、彼は俺の技術を鼻で笑い、親友の追川まで「裏切られるに決まってる」と侮辱した。そして翌日、契約解除の書類を突きつけられた。入館証も返せ、と。俺は黙ってサインした。だが、その数日後、工場から…

「フリーのエンジニアなんて得体の知れない奴によく8年も任せてきたものだ」——初対面の挨拶代わりに、新部長はそう言って笑った。8年間、夜中でも呼ばれれば駆けつけ、この工場の機械を守り続けてきたのは俺だ。なのに、彼は俺の技術を鼻で笑い、親友の追川まで「裏切られるに決まってる」と侮辱した。そして翌日、契約解除の書類を突きつけられた。入館証も返せ、と。俺は黙ってサインした。だが、その数日後、工場から...

「フリーのエンジニアなんて得体の知れない奴によく8年も任せてきたものだ。」

初対面の挨拶代わりに、新しく部長になった土田は半笑いでそう言った。8年間、この工場の機械を守り続けてきた俺への、最初の侮辱だった。

俺の名前は井上。35歳のエンジニアだ。特許を取得して独立し、今はフリーランスとして働いている。この工場には、高校からの親友である追川の紹介で、俺の特許システムを導入してもらってから8年になる。

俺の特許は、機械が製品を作る瞬間にミクロン単位のずれや内部の見えない欠陥をリアルタイムで検知し、自動で微調整して不良品を出さないようにするシステムだ。さらに、素人が勝手に設定をいじって暴走させないよう、システム自身が自分の身を守る仕組みも組み込んである。

導入を決めてくれた当時の部長は、今は本部の役員になっている。契約は、毎月の点検費用はもらうが、緊急対応の費用はもらわないというものだった。24時間稼働の工場なので、緊急対応の連絡は夜に来ることが多い。俺は入館証をもらっているので、夜中でも工場に出入りできる。

今までに夜中の緊急対応に出たのは10回程度。いずれも従業員の操作ミスといった人為的な要因で、深刻な故障に当たったことは一度もない。追川や他の従業員はいつも「助かるよ」と温かく迎え入れてくれる。

だが最近、その平穏な関係が崩れ始めていた。

部長が変わり、本部から土田という50代の男がやってきた。コストカットのために就任したそうだが、追川が相当嫌っている。

「就任初日に『無駄が多い。特にこの外部の個人エンジニアに任せている保守契約。月々のコストがこれだけかかっている。俺の最初の実績になる』と言ったらしい」

追川曰く、本部から早く数字を出せと相当締め上げられているそうだ。だからこそ、手っ取り早い実績作りに焦っているのだろう。

「もしかしたら費用の値下げを要求されるかもしれないが、口出しはするなよ」

追川がイライラしながら忠告してくれた。

どうしてそんなに追川が苛立っているのかと言うと、追川は俺の特許システムを信頼してくれているからだ。土田に向かって「夜間にも緊急対応を無償でしてくれている」と進言してくれたそうなのだが、土田はそれを切り捨てたという。

「無償?それって現場の人間と業者が癒着してるってことだろ。そういうのをなくしに来たんだよ、俺は。夜間の緊急対応なんて、一流大手の業者に変えればいいだけの話だ」

そう言って鼻で笑ったという。

その話を聞いた翌日、俺は定期点検で工場に向かった。追川が案内してくれて、初めて土田と対面する。

「ああ、君がフリーの井上君か。得体の知れない奴によく8年も任せてきたものだ」

土田は初対面から半笑いで馬鹿にしてきた。俺は感情を抑えて頭を下げたが、土田の煽りは止まらない。

「8年も前の特許を自慢しているのか」とまで言われたのだ。

横で聞いていた追川が口を挟む。

「井上は大手でも働いていた経験もありますし、技術に関しては申し分ありませんよ。それにこの特許はうちの工場にとってなくてはならないものです」

土田はそれを聞いて不機嫌になり、

「君たちは親友なんだって?親友ね。そんなのいつか裏切られるに決まってるんだよ。君がフリーになったきっかけは何だ?どうせ首切りにあったとか、人間関係がうまくいかなかったとか、そういうくだらない理由だろ」

とにかく人を馬鹿にしたくて仕方がないようだ。俺は誠実に返す。

「いえ、そういった理由ではなく、今まで勤務してきた企業とは今でもお付き合いさせていただいています。特許も取りましたし、自分の力を試してみたくなったというのが本音ですね」

すると土田は爆笑し始めた。

「自分の力を試せ?頭の悪い奴のセリフだな。私のように大企業で役職につけば安定する。君たちみたいなカツカツの生活とは大違いだよ」

俺は追川のことまで馬鹿にされたことが気に入らなかった。だが俺よりも早く追川が口を開く。

「そういった発言は控えた方がいいのでは?」

思いっきり土田を睨む追川。その様子を見て土田は再びむっとする。

「追川君は私のことが気に入らないようだな。私も君のことが気に入らないよ。ああ、そうだ。夜間の作業員が足りないそうだな。追川は明日から夜間勤務に変更だ。そうすれば私と会わなくて済むだろ。私も君と会わなくて済むからな。そうしよう。すぐに申請しておいてやる」

最後は勝ち誇ったかのように追川を見下した。

俺は思わず「それは権限乱用というものでは」と口を挟む。追川は2人目の子供が生まれたばかり。いつも早く家に帰って夜は子供の面倒をよく見ているのだ。夜勤になってしまったら奥さんへの負担も増えるし、今までの生活からガラリと変わってしまう。

俺は感情論でそんなことは許されないと思い、なんとか阻止したかった。だが土田は「無関係者は黙ってろ。これは私の的確な判断だ」と言ってニヤリと笑ってその場を立ち去った。

追川は唇を噛んでいる。

「追川」

と俺が声をかけると、追川は「くそ、何なんだよ、あいつ」と吐き捨てた。そして「ここも潮時か。転職でも考えるよ」と力なく言った。

その夜、俺はずっとモヤモヤしていたものをなんとか解消しようとした。そして思いついたのだ。俺はすぐに追川に電話をする。

「追川、お前が転職を考えているなら、俺と一緒にやらないか?実はうちのシステムを導入したいという企業がいくつかあるんだが、今受け負っている企業をおろそかにすることもできず、話が進んでいないんだ。お前の技術力なら問題ない。あんな奴とはさっさとおさらばしようぜ」

そう言うと、落ち込んでいた追川の声が弾んだ。

「お前、本気で言ってるのか?俺への気遣いじゃなく?」

「もちろん。やっぱりパートナーはお前じゃなくちゃな」

「ありがとう。だったらすぐに退職の準備に取りかかるよ。ああ、なんかすっきりした。お前、今更冗談でした、じゃあすまないぞ。いいな」

と笑いながら言われ、俺も「当たり前だよ」と笑いながら答えた。

翌日、俺は土田から呼び出され工場に向かう。するとそこには契約解除の書類が用意されていた。

「これにサインしろ」

土田はデスクの上に置かれた書類を、くれ見よがしに指先でトントンと叩いた。そこには「保守契約解除通知書」と大きく書かれている。

「実績のある大手のメンテナンスに来てもらうことになった。夜間の緊急対応費用も含めて全て込みで格安のプランを提案してくれたよ」

予想通りだ。土田は俺のことをフリーのエンジニアと散々馬鹿にしてきたし、俺ごときに保守費用を払いたくないということだろう。

「契約解除ですか」

と俺が言うと、

「そうそう。入館証も返してくれ。それはすぐに無効にする。そもそもフリーのエンジニアなんかが24時間この工場に自由に入れるなんて、防犯上でもリスクがありすぎる。今までが間違っていたんだ」

と笑う。俺はその言葉に呆れ、入館証を差し出した。そしてその書類にサインをする。控えはきっちり受け取っておいた。

本来なら解約は1ヶ月前に通知するのが筋だ。争うこともできる。だが、そんなことをすれば現場に残る追川の立場が悪くなるだけだ。それに俺の技術をいらんという相手に、こちらから頭を下げてすがる義理などどこにもない。こっちから願い下げだ。

土田はニヤリと笑うと俺の肩を叩き、「まあまあ、気を落とすなよ。自分の力を試してみたいんだろ?うちみたいな安定した企業と契約を解除したら、自分の力を試すチャンスじゃないか」と言った。

俺は思わず土田を睨みつける。ここまで馬鹿にされる義理はない。しかし土田はそんな俺の感情はスルーして「業者は変えた。無関係者は消えろ」と笑う。

俺は「分かりました」と言って退出した。

その後、俺は追川に電話をする。

「あいつ、お前にまでそんな」

と追川は怒ってくれたが、俺も「清算した」と伝えると、追川は「分かった。2人で見返そうな」と言って電話を切り、夜勤の仕事に向かった。

その夜、追川から連絡が来る。

「井上、システムがなんだか変わってるんだが、何も聞いてないよな」

追川は俺のシステムを熟知しているので、些細な変化も見逃さない。だが俺は今日契約解除を言い渡されただけで、システムには触っていない。それを伝えると、追川は「夜中にごめんな。明日本部から視察が来るらしくてさ、土田のやつ、視察に合わせて増産をぶち上げたらしいんだ。それで新しい業者にラインの生産速度を上げる設定をさせたって聞いた。前のシステム、そんな雑ないじり方をして大丈夫なのか」と言って電話を切った。

なんとなく気になりログを見ようとしたのだが、システム側からシャットアウトされている。おそらく今日の段階で土田の大手のメンテナンスが来て設定をいじったのだろう。

増産初日の深夜2時。俺のスマホが鳴った。だが工場からだったので無視した。契約を切られた俺が夜中に勝手に工場へ入れば、それこそ不法侵入だ。入館証を取り上げたのはあちらさんである。土田が正式に頭を下げるまで、無関係者は動けないし、動いてはいけないのだ。

着信は鳴り止まず、いわゆる鬼電というレベルだ。俺はそのまま通知を切って眠りに着いた。

朝6時に目が覚めると、スマホには50件以上の着信履歴。留守電には土田が「今すぐ工場に来い」と叫んでいる声が入っている。追川からはメッセージが入っていた。

「新しい業者が設定をいじったみたいで、とにかくひどいことになってる。不良品が出たから止めようとしたけど、いつもの操作じゃ止まらないんだ。土田部長も寝起きのまま呼び出されて超不機嫌で隣に鳴り散らしてるよ」

それから2時間ほど後には「井上に電話が繋がらないってなってたから、契約解除したんですよね。当たり前じゃないですかって言ったら、タコみたいに顔を真っ赤にしてたよ。笑っちゃったね。朝から視察なのにどうするんだろうな」というメッセージが。想像したら俺まで笑えてきた。

そこへ今度は土田から直接電話が来た。仕方ないので取ってみる。

「やっと出たか。今すぐ来い。うちの工場が大変なことになってる」

「契約解除しましたが」

と俺が穏やかに言うと、土田は「とにかく来い。これから本部の視察だ。いくらでも払う。早く来てくれ」と怒鳴ったり懇願したりと忙しい。

突っぱねることもできたが、どんな状態になっているのか興味があり、俺は行ってみることにした。

工場に到着すると、敷地内は大パニック。けたたましくエラー警告音が鳴り響き、不良品の山が積まれていた。機械の前では土田が髪を振り乱し、青ざめた顔の新業者に怒鳴り散らしている。

「おい、なんで止まらないんだ?」

「非常停止は押しました。でも私たちが変えた設定が勝手にラインを再起動させるんです。このシステム、普通じゃありません」

業者もパニックになっているようだ。それもそのはず。俺のシステムには、素人が設定を壊した時に自分の身を守る仕組みがある。マニュアルを無視して増産設定を書き込んだ報いがこれだ。

奥にいた追川と目が合い、追川がニヤリと笑う。その時、土田が俺を見つけて、

「井上君、待っていたぞ。早くこれを止めてくれ。視察が来る前に、早く」

と叫び、昨日の傲慢な態度はどこへやら、俺の袖にすがりついてくる。

俺はその手を冷やかに振り払った。

「俺は昨日契約を解除された無関係者です。入館証もありませんから、これ以上中に留まることもできません。防犯のリスクになりますからね。どうしてもというのなら、作業費用を提示してください。『いくらでも払う』とおっしゃいましたが、本当ですか?」

「いや、その、とにかく直してくれ。話はそれからだ」

追川がそれを聞き、「そんなの無理でしょう」と笑う。

そこへ工場のドアが開き、本部の役員が入ってきた。土田は役員の元に飛んでいき、

「これには事情が、え、いえ、ゴミの山ではないです。あ、はい。不良品です」

と言い訳をしている。

「どういうことだ?」という役員の声が響いた。すると土田は突然俺を指さし、

「あいつです。フリーのエンジニアが、契約を切られた腹いせにウイルスを仕込みました」

と叫ぶ。

役員の鋭い視線が俺に刺さったが、その瞬間、追川が間に入った。

「違います。原因は土田部長が自分の実績作りのために、8年間この工場を無事故で守ってきた井上との契約を一方的に打ち切り、システムの知識がない新業者に変えさせたからです」

俺は静かにタブレットを開いた。

俺の特許システムは、保守業者が変わって外部アクセスを遮断されても、設定変更の操作記録だけは別系統で保存される設計になっている。制御系とは切り離された記録領域に、誰がいつどのパラメーターをどの値に書き換えたのか、その全てが暗号化されて自動保存され、開発者権限を持つ俺の端末からだけ吸い出すことができるのだ。

毎回のトラブルの際、原因究明と責任の所在を明確にするための、いわば飛行機のブラックボックスのような仕組みで、改ざんも消去もできない。業者がマニュアルを無視していじり回した痕跡は全てここに残っている。

「こちらがログになります」

とその記録を役員に見せる。

「それに、こちらが一方的に契約解除された書類の控えです。これは御社としての判断ということでよろしいでしょうか?」

土田は顔面蒼白のまま首を横に振るが、役員はすでに土田のことを信用していないようだ。それもそのはず。この役員は追川の元上司。8年前に俺の特許システムを導入する時に承諾をしたあの部長だからだ。

ログを確認した役員は激怒し、土田の胸ぐらを掴み上げた。

「土田、自分の無能を他人のせいにするな。このシステムがどれだけ優秀か、私は知っている。一晩で数千万の損害を出したお前は、今すぐ首だ。個人にも損害賠償を請求する」

突き離され、床に崩れ落ちた土田は涙目でガタガタと震え出した。

あの日の借りを返させてもらう。俺はゆっくりと歩み寄り、冷たい半笑いで見下ろした。

「土田部長、大企業で役職について安定した余裕のある生活を送られていたんじゃなかったんですか?賠償金でこれから俺たちみたいなカツカツの生活になっちゃいそうで、本当に同情しますよ」

「あ、あ……」

土田は絶望の声をもらし、涙をこぼした。

「井上さん、申し訳ありません。なんとかなりませんか」

と役員は丁寧な口調で言ってきた。俺は「この人には世話になったし」と思い、「追川君をお借りしますね」と言って、追川と復旧作業に入った。

追川のおかげもあり、1時間足らずでシステムは止まり、俺たちはハイタッチをかわしたのだ。

役員は俺に「井上さん、改めて契約をお願いできませんか」と頭を下げてくれたが、俺は「ありがたいお話ですが、実は追川君と新しい船出をするところでして」と丁重にお断りした。

追川はその足で役員の元へ行き、「すみません。これ」と退職届を渡し、役員は静かにそれを受け取った。

結局、土田は懲戒解雇。家も車も失い、妻には離婚され、今は狭いアパートで文字通りカツカツの生活を送っているらしい。自業自得だ。

追川は今では俺の相棒として一緒に働き、売上は倍以上になった。

「やっぱりお前といるのが一番だな。これからも頼むぞ、相棒」

そう言った俺に「ああ」と追川が力強く頷いた。俺たちはこれからも力を合わせて頑張っていこうと思う。

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