「よくも呼ばれている立場で俺に大口を叩けたな。」
目の前の男が声を張り上げ、俺が自慢の企画書を破り捨てた。取引先の部長でありながら、不真面目な態度を指摘したらこれだ。感情的になっている相手を見て、俺は不快感から眉を寄せる。これから仕事を共にする人間の行動とは、とても思えない。
破られた企画書を見て、俺は決心を固めた。
俺の名前は清村。48歳だ。研究開発系の企業で技術部の部長をしている。2年前に昇進したばかりだ。忙しいが充実した毎日を送っている。
うちは社員50名ほどの小規模な会社だが、独自の特許を保持している。以前から次世代エネルギーに注力しており、その特許技術が登録完了したばかりだ。簡単に説明すると、工場の排熱や振動などのエネルギーを電力に変換して蓄えるといった技術である。俺は部長になる前からこの特許の開発リーダーとして関わっていた。
この技術には500億の価値があると、俺は車のハンドルにつっぷすような姿勢を取りながらつぶやく。今いるのはある企業の駐車場だ。実は今日、大手精密機器メーカーと2回目の合同プロジェクトの会議が開かれる。前回は社長や会長も出席する顔合わせだったが、今回からは実務者レベルで技術的な部門の面々と詳細を詰めるのだ。
自社からは俺一人がやってきたが、次の議題によっては他の部署の人間と来る必要があるだろう。そのキーとなるのが俺の特許技術である。実際にはまだこの技術に明確な金額があるわけではないのだが、先方の社長や会長がそれくらいの価値があるとうちの社長に言ったようなのだ。
俺は顔を上げ、自分の頬を挟み込むようにパチンと叩いた。俺は代表として堂々としっかり説明したらいいだけだ。こういう場は初めてではない。いつも通り平常心で、と俺は心の中で呪文のように呟いた。
取引先の本社ビルの受付を済ませると、会議室に向かう途中、ある人物に声をかけられた。
「おう、清村じゃないか。久しぶりだな。」
声の主に俺はぎくりと体をこわばらせる。駆け寄ってきたのは野川と言って、俺の大学時代の先輩だ。野川とは同じゼミだったことが多く、その分、嫌な思い出も多い。
「やあ、前回は本当にびっくりしたな。まさか可愛がってた後輩と一緒に仕事をすることになるとは。」
野川は無遠慮に俺の背中を強く叩いた。ニヤニヤした表情は大学時代の頃と何も変わらない。俺としてはあまり嬉しくないんだよな、と俺は愛想笑いを浮かべながら心の中で思う。今回のプロジェクトで仕事の内容がプレッシャーなのは当然だが、この野川の存在もまた不安要素だった。
野川と再会したのは前回の会議、つまり顔合わせの時だ。俺は自分で言うのもなんだけど、大学時代とそんなに変わっていないし、顔に特徴的なほくろがある。それで野川は俺にすぐ気がついたみたいだった。
野川は昔から後輩に対して高圧的で、先輩風を吹かせるのが好きなタイプだ。
「うちと協力会社の2者合同プロジェクトのはずだから、お前が協力会社側の人間ってことだろ。ってことは、そこそこの立場なのか。」
「えっと、まあ、今は技術部の部長を…と言っても、なってまだ2年なんですが。」
俺が苦笑混じりに答えつつ名刺を手渡すと、野川は意地悪く笑った。
「え、お前確か俺の1個下だったよな。ってことは46歳で部長に昇進したってことか。俺なんか7年前の42歳で昇進したんだぜ。ああ、まあ、小さい会社の部長じゃ、俺とは全然立場が違うよな。ごめん、ごめん。」
露骨に見下した笑顔で、何がごめんなのか。この瞬間、ああ、そういうやつだったなと、嫌な記憶を鮮明に思い出したものだ。
大学時代の野川は不真面目な学生だった。授業にも出ず、バレないように代理出席やレポートの代筆をさせているという噂を聞いたのは一度や二度じゃない。それでも野川は教授の前では愛想よく振る舞い、要領よく立ち回っていた。つまり、辻褄を合わせたり、表面を取り繕うことが得意なのだ。しかも、それでいて後輩や下に見た人間に対してはかなり高圧的でマウントがすぎるため、学生の中ではかなり嫌われ者だった。
そこまで思い出したところで、俺は現実に引き戻される。
「何か合同プロジェクトって言うから、どんだけ盛大なもんかと思ってたけど、お前のとこの会社なら大したことないんだろうな。この分だと、会議中に居眠りしてても問題ないかも。」
あまりの発言に俺は目が点になる。うちが馬鹿にされたことも聞き逃せないが、居眠りしてても問題ないとは。
「野川さんも部長なんですよね。部署はどこでしたっけ?」
過去、野川は先輩だったが、今はもう関係ないことだ。俺はビジネスに適した口調に言い換える。
「事業企画部だけど、そう自己紹介しただろう。」
もちろん覚えていた。なぜ訪ねたかと言うと、プロジェクトを軽視する野川の発言がありえなかったからだ。俺が知る限り、事業部というのはプロジェクトの企画や全体の進行管理を担当する部署だ。確かにうちの規模がまだまだ少数規模なのは否定できないが、内容を知っていたら決してそんな発言はできないはず。いや、さすがにな、と俺は心の中で否定する。
会議が始まってすぐ、俺のそんな考えは打ち砕かれた。
俺はもちろん、先方の技術、営業、資材、製造の部長たちが真剣な表情で話をする中、本来進行をするはずの野川だけはだるそうに頬杖をついている。それだけでもいる意味あるのかと言いたくなるのに、スマホを堂々といじったり、資料を無意味にペラペラと音を立ててめくるのが視界に入って鬱陶しい。
そう思っているのは俺だけではないらしく、他の部長たちも眉を潜めていた。実際に進行は誰がやっているかと言えば、事業企画部の課長だった。
さらに問題なのは野川のヤジである。
「それでは清村さん、エネルギーの変換効率について」と課長が俺に話を振ろうとすれば、「おい、専門用語ばっかで何言ってるか分かりづらいぞ。もっと分かりやすく説明できないのか」と俺に言ってきたりする。実際、分かりにくい用語はその都度補足しているのだが、聞いていないだけだろう。
他にも、「清村さんが提供予定の技術は応用範囲が非常に広く」と先方の技術部長が自社に取り入れるメリットを説明していると、「でもコストは結局高いんだろ」と横やりをする。
「野川部長、コストに関しては次の議題で…」
「いやいや、今聞いてんだよ」と議題の順序を無視してくるのだ。事前資料も進行内容も全く頭に入っていないのは明白だ。
ふと、くすくすと小さな笑い声が聞こえた。資料から顔を上げると、ニヤニヤしながらスマホを横向きにして眺めている野川の姿が。どうやら片耳だけイヤホンをして動画を見ているようだ。
俺はさすがに頭に来て口を開いた。
「あの、先ほどから思っていたのですが、野川部長はずっと会議に真面目に参加されていませんよね。」
その一言で野川がはっとこちらに目を向ける。
「片耳でちゃんと会議は聞いてるし、さっきから思ったことは発言して参加しているだろう。」
発言というのは、さっきからしている無駄な横やりのことだろうか。俺は咳払いして言葉を続けた。
「先ほどから私も皆さんも迷惑しているのが分かりませんか?」
「はあ?清村、お前後輩のくせに、俺にこの場から消えろって言ってんのか?」
誰も消えろとまでは言っていないが、退出してくれた方が有意義な時間は過ごせるかもしれない。あなたが先輩だったのは大学時代の話で、今は全く関係ありません。
野川はようやく他の部長たちの迷惑そうな表情に気がついたのか、一気に顔を赤くする。頭に血が登ったのか、感情的な言葉を吐き出した。
「というか、そもそも誰がゴミ企業呼ばわりしたんだよ。お前こそ消えろ。よくも呼ばれている立場で俺に大口を叩けたな。どうせ特許だって大したことないんだろ。」
パンと机を叩いて野川は俺を睨みつけてくる。
「お前が持ってきた企画書もさ、グラフは見づらいし、専門用語は多いし、まるでなってないんだよな。それに、まろっこしいっていうの、結論からかけよ。結論からさ。」
ほとんど言いがかりのような内容だ。丁寧に用意した俺の企画書を乱暴に突き出して、野川はまくし立てている。顔は真っ赤でかなり感情的になっている。
「あの、野川部長、落ち着いてください。」
「そうですよ。清村さんに失礼です。」
進行役の課長や他の部長たちが俺をかばうように発言したが、それがまた気に食わないらしい。
「うるさい。どうして俺が何か言われなきゃならないんだ。先に喧嘩を売ってきたのはこいつだろ。」
まるで子供の癇癪のような言い分に、俺は怒りよりも困惑する。俺だけでなく周りも完全に引いている状態だ。どうしたらいいのかと途方に暮れていると、ビリという鋭い音が耳に入ってくる。
「ちょっと、野川部長、何を…」
野川が俺に突き出していた企画書を破ったところだった。あまりの出来事に頭が真っ白になる。周りの人間も言葉を失っていた。
俺はその場で大きなため息をつく。
「そうですか。もういいです。では帰りますね。」
俺は端的にそう口にする。冷静を装ってはいたが、俺の腹は煮えくり返っていた。真剣に会議に参加していた他の部長たちには申し訳ないが、ここまでコケにされて黙ってはいられない。単純に、野川のような人間が合同プロジェクトに参加しているということもありえない。
再会した時から不安要素ではあったが、まさかここまで昔と変わらないとは。いや、むしろ悪化している。とにかく、俺たちの血の滲むような努力を馬鹿にする権利は誰にもない。それをゴミ企業だの、大したことないだのと簡単に言ってのけるのだ。そんな相手と仕事を共にしたいわけがない。
俺は密かに拳を強く握りしめる。怒りと失望のあまり、爪が手のひらに食い込んだ。少なくとも、俺はこの事実を持ち帰り、上に報告する必要がある。そう判断したのだ。
「清村さん、どうかお待ちください。」
「野川部長、謝罪を…」
進行役の課長や他の部長たちがこぞって俺を引き止める。俺はゆっくりと首を横に振る。
「私はこの事実を上に報告する義務があります。我々の技術に疑問を持ち、それだけでなく馬鹿にするのは看過できません。」
俺が毅然として言い放つと、野川が後ろから吠えた。
「おい、何が看過できないだ?ゴミ企業が調子に乗り上がって。」
口調だけは強気だが、顔には焦りが滲んでいる。この状況がまずいことは分かっているが、反して感情が止まらないのだろう。これだけで、いかに野川が未熟で短絡的なのかが分かる。
「他の方々は私どもの技術を理解していただいています。ですが、あなたは資料をろくに読みもせず、話も聞かず、ただ会社の規模や私が昔馴染みだと言うだけで見下した。」
淡々と告げると、
「当たり前だろ。ビジネスってのはそういうもんだろうが。中小企業が大手と対等に話せるなんて思い上がってんじゃねえ。」
と野川が退出しようとしている俺に手を伸ばす。
「野川部長、いい加減にしてください。」
進行役をしていた課長が必死で野川を抑えてくれたため、俺に手が届くことはなかった。
「では、私は失礼いたします。」
俺は野川以外の面々に軽く会釈して退出する。エレベーターホールに向かおうとした時、まだ遠くから野川の怒声が聞こえていたが、俺は振り返らなかった。
俺が取引先から戻ったその日のうちの出来事だった。
「清村君、社長が至急、君をお呼びだよ。」
総務部の部長から内線でそう伝えられたのだ。俺は戻ってすぐに社長にことの顛末を全て報告した。まだ他に何か確認したいことでもあるのかな?疑問に思いつつ俺が社長室へ向かうと、その疑問はすぐに解決した。
「大変申し訳ございませんでした。」
聞き覚えのある声が社長室の扉越しに聞こえてきたのだ。この声は野川だ。俺はすぐに分かったが、冷静を装って扉をノックする。
「ああ、清村君、わざわざ済まないね。」
社長が手招きしてくれて入室すると、土下座をする男性の後ろ姿が目に飛び込んできた。間違いない。土下座しているのは野川だ。もう一人、野川の隣に男性が立っているのが見えた。
俺が到着したことで、その男性がこちらを向く。
「あっ。」
俺は思わず慌てて頭を下げた。その男性は取引先の会長、江口さんだったのだ。直接会ったことはなかったが、SNSなどで会長の顔を見ていたのですぐに分かった。
「ああ、どうか顔を上げて。頭を下げるのはこちらですから。」
江口会長は申し訳なさそうに眉を寄せ、俺に頭を上げさせる。
「江口会長から、どうしても至急に謝罪したいと申し出があってね。そこで合同会議に参加した清村君にも同席して欲しかったんだ。」
社長の説明で合点がいった。
「そうでしたか。」
俺が着くと、江口会長は改めて俺と社長に謝罪する。
「この度は我が社の社員が大変失礼いたしました。本来なら弊社の社長が他の者も同行し謝罪すべきですが、私が代表としてまいりました。」
今回の合同プロジェクトが持ち上がった時、俺は社長から聞かされていたのだ。
「今回の合同プロジェクトには先方の会長や社長がすごく期待していてね、なんでも次世代エネルギー事業は会長の悲願だったそうだよ。」
つまり、今回の仕事に一番期待していたのは、他でもない江口会長なのだ。
ちらりと視線を移すと、土下座の姿勢のまま首だけをこちらに向けて様子を伺っている野川と目が合う。その瞬間、野川は慌てて俺から視線をそらした。見下していた会社の社長室で、同じように見下していた俺に情けない姿をさらすことになったのだ。心中穏やかではないのは明白だろう。
「それにしても驚きました。たまたまだったのですが、今日は本社に用がありましてね、合同プロジェクトの会議に顔を出してみたら。」
江口会長曰く、こういうことだった。俺が合同会議を退出した直後のこと。会長は俺がエントランスへ向かった別のルートから入れ違いに会議室を訪ねたそうだ。俺の姿がないことに気づき、「もう会議は終わったのかね。500億規模の特許契約は進んだかな」とその場の全員に訪ねた。
そう、当然、ことの顛末を知っている全員が硬直した。中でも現行犯である野川のうろたえっぷりは、聞いているこちらが想像できるほど凄まじかったらしい。
「先ほどから何を黙っている?野川君、何のために君を同行させたと思っているんだ?」
怒った会長がじろりと野川を睨む。
「ひいっ。」
野川は大きく体をびくつかせると、姿勢を俺に向け直し、再び土下座の姿勢になった。
「お、本当に申し訳ございませんでした。まさか御社の特許がそれほどまでの価値のあるものとは…」
一緒に仕事をする企業の特許がどんなものか理解していないのも変な話だが、価値あるなしを自分の裁量で判断するその傲慢さにはほとほと呆れてしまう。
俺と社長の顔から呆れっぷりを読み取ったのか、野川は言葉を続けた。
「その、大学時代から気心の知れている清村さんと再会できたことで、あのう、浮かれていたんです。気安さから羽を外したというか…」
言い訳に選ぶには何ともお粗末な理由だ。仮に本当にそうだとして、それがビジネスで通用すると思うこと自体がおかしい。俺と社長は黙って頷き合う。
「私としましては、清村君から報告を聞いて、信頼関係の構築が難しいと感じました。企画書を破るというのは、そういうことではないでしょうか。契約というのはそれほどまでに重いものなのです。あなたも社会人ならお分かりでは。」
社長の言葉に、江口会長も重々しく頷く。その言葉の意味を、さすがの野川も分かるのだろう。真っ青になっていた。
「まさか我が社の社員に、ここまで何も理解していない人間がいるとは思いませんでした。」
江口会長が悲しげに言う。俺が会議から帰った後、ことの顛末を知った会長は、野川に対してうちの特許がどれだけの可能性を秘めているかを説明したそうだ。そもそもプロジェクトが始まっている時点で説明するのもおかしな話だが、野川がまるで何も理解していないのだから仕方ないだろう。
「500億規模なんて…そんな、そんな大きな仕事とは…」
ぶるぶると震えながら野川は繰り返す。自分たちの会社の仕事だから、それなりに大きな仕事だろうとは思っていたらしい。ただ、それは数千万から数億規模だと思っていたんだとか。
どちらにしても、大切な仕事には変わらないでしょう。どんな仕事だろうが、あなたが真面目に取り組んでいれば、少なくともこんな事態にはなっていません。
俺がぴしゃりと言うと、野川は「うっ」と情けない声を出して黙ってしまう。
「清村…いや、清村さん、本当に申し訳ございませんでした。お願いです。このままだと、俺、いえ、私は…」
保身に走った謝罪など見苦しいだけです。俺の言葉に、社長も江口会長でさえも頷いている。
「うわあああっ。」
絶望したのだろう。真っ青になった顔をくしゃくしゃに歪め、野川は大きな声をあげて床に突っ伏した。
後日、野川は今回の責任を問われ、広告と宣伝の工場へと移動が決まったそうだ。移動になった理由は明かされていないらしく、野川は毎日針のむしろ状態で過ごしているという。しかも、今までと違いハードワークで体も悲鳴を上げているとかなんとか。
教えてくれたのは江口会長だ。江口会長の謝罪からしばらくして、うちの社長と話し合いの末、合同プロジェクトは引き続き継続することが決まった。特許のライセンスに関する契約も無事に締結した。ただし、会長の希望もあり、かなりうちの会社に有利な条件にしてもらったのだ。お金の問題ではないかもしれないが、単純に会社の利益が増えるということは社員たちにもいいだろうと考えてのことらしい。
俺も、野川に関してはともかく、江口会長の真摯な態度と言葉、そして情熱は好ましく感じている。うちの社長がよく考えて決めたことなら、俺はそれについていくだけだ。


